「帰った……帰りやした」
北の異民族の拠点を潰し、ジーダスが帰宅したのはチェルシーが立ち去ってから、数時間後の事であった。
クロメの加勢により、思った以上に早く済んでしまったため、予定を切り上げて戻ったのだ。
尚、途中で宮殿に立ち寄り、オネストに献上品を奉納した後、戻って来た彼だが、イリスはクロメが気に入ったのか、一緒に付いていき、アルビノとBはそれぞれ帝都内を散策している。
「ん? 鍵が開いてやがる……」
「お帰りなさい。主様。女神様たちは見付かりました?」
イリスの事を女神と呼ぶVは首を傾げながら、主であるジーダスに問う。
己を慕う部下の発言に、開錠と言葉の意味が理解出来ないジーダスは聞き返す。
「はい? 私はたった今、北から帰って来たのだが……」
「え? 先程、お一人で帰って来たじゃないですか」
「…………まさか」
噛み合わない言葉に、ジーダスは一つの懸念を生み出し、地下室へと早足に向かう。
主の行動に少し驚いたVも、すぐに後を追う。
地下二階 イリスの実験室にて、ジーダスは空白となった机上を見つめた後、その周辺を探し回る。
行動の目的は、イリスが付けていた実験を書き連ねた日誌である。
あれには、ジーダスとイリスの全てと言っても過言ではない情報が記されており、決して身内以外に見せてはいけない物なのである。
幾ら探しても見付からない事に、ジーダスは初めて己の油断と愚かさを呪った。
「……チッ」
「あの……主様?」
不安そうにジーダスの背中に声を掛ける少女。
脅えるその姿は年相応の女の子であり、とても可愛らしく見える。
だが、目の前の狂人は、そんな彼女の美しさなど微塵も考えず、言葉を紡ぎ出す。
「V。貴女は私と侵入者を間違えました」
「…………え?」
呆然とし、意味を全く理解出来ないVに対し、ジーダスは淡々と続ける。
「しかも、私とイリスの重大な秘密を持ち出されました」
「え……わ、私……」
振り返った顔に浮かんでいたのは笑顔。
舌打ちをした時の殺気に満ちた表情は消え、微笑みといっても問題ない顔で、ジーダスはVに近寄る。
「さて……V。今から貴女のすべき事は分かりますか? あれだけ私を崇拝していたにも関わらず、侵入者と私を間違えた。貴女のすべき事が」
「あ……あぁ……私……私のすべき事は……」
両手で頭を抱え、しゃがみ込もうとするVの手を掴み、無理矢理に立ち上がらせる。
顔を除きこむジーダスの目は、顔とは違い笑ってはいなかった。
「貴女のすべき事は?」
「し、侵入者を討ち取って……主様に謝罪をする事……」
脅えきった顔で言葉を力なく出すVに対し、ジーダスは薄く目を開く。
冷め切った瞳がそこにあった。
「普段ならそうです。ですが、貴女はしてはならないミスを犯した……してはならないミスを」
「してはならない……ミス……」
「そう。絶対に越えてはいけない線を、貴女は越えてしまった……さぁ、ここまで言えば分かりますよね? 貴女のすべき事が」
「……………………」
力なく手を降ろすVの手を離すジーダス。
虚ろな瞳でゆっくりと動きながら、入り口付近に立て掛けてあった白銀の槍を手に取ると、主の方を向く。
「死んでお詫び申し上げます」
少女は躊躇う事なく、槍を己の額に突き刺し、意識が途切れる前に、槍を持つ手を下へと引っ張る。
当然、槍も手に沿って動き、Vの身体は縦に両断される。
大量の血飛沫が沸きあがり、床と壁、実験器具を汚していく。
血が溢れる床の上を歩き、主である青年は頭部付近にあった花弁らしき物体を取り上げる。
花弁から大量の黒い何かが溢れ出るが、構わずに口を開け、飲み込んでしまう。
口から大量の黒い何かが溢れ続け、死体となったVに纏わり付いた後、黒い何かは少女の全てを吸収し、ジーダスの口内へと消えていく。
大量の血痕を残し、ジーダスは笑顔のまま告げる。
「そう。それが正解」
Vが自害する数時間前。
帝都内を目立たずに、しかし早足に移動する二人の少年少女が居た。
ナイトレイドのチェルシーとラバックである。
先程、ジーダスの重大な秘密を手に入れた二人は、急いで内容を報告すべく、帝都からの脱出を図っていた。
とはいえ、別に追っ手がいる訳でもないため、心の余裕はあるのだが。
「しかし、ジーダスの重大な秘密って何だろうね?」
「チラッと読んだだけじゃさっぱりだけど……戻ればじっくり読めるし、そこで対抗策を練られるしね」
あまり大声で話せない内容のため、小声で話しながらも移動は止めない二人。
人が蔓延るメインストリートを進み、門へと向かうチェルシー達であったが、そこで二人に声を掛ける人物が現れる。
「……チェルシー?」
「え?」
自身の名を呼ばれ、チェルシーはふと、足を止める。
声がした先を見ると、同じ様に足を止め、自分を見ている人物がいた。
季節を考えない黒いコートに、赤黒く長いマフラーをした少年……
「アル……ビノ……?」
「チェルシー……」
少女の前まで移動して来た少年は、人目も憚らずチェルシーに抱きつく。
状況が理解出来ないラバックは「え? え?」と混乱するばかり。
「貴方……生きてたの……?」
「チェルシーこそ……心配した……!」
涙目になるアルビノに呆然とするチェルシー。
周囲の人々も二人を奇妙な物を見る様な目付きで見てきたため、とりあえずラバックは自身の貸し本屋へと二人を連れて行く。
「えーと……つまり、アルビノ君はチェルシーちゃんと同郷だったんだけど、とある理由で村を離れる事になったと。んで、別の村に移り住んだ途端、ジーダスに村を壊滅させられて、唯一生き残りだった君は、奴に引き取られた、と……こういう事で合ってる?」
「そうだな」
チェルシーとアルビノの回想を三行でまとめたラバックは、奥から飲み物を取ってきて、二人に渡す。
当然、自分の分はカウンターの上に置いてある。
「でも良かったよ。アルビノが生きててさ。村がジーダスに襲われたって聞いた時、私、てっきり死んじゃったかと思ってたし……」
「心配掛けた……だが、俺もチェルシーの事は心配していた……俺にとって最も大切な、このマフラーをくれた、お前の事を」
そう言い、アルビノは先端を不器用ながらも修復したマフラーに触れる。
元々は真紅に染まっていた物が、年季によって所々黒くなっているが、彼がマフラーを大切に扱っている事は理解出来る。
「そのマフラー……アルビノが村を出て行く時に、私があげた奴だよね?」
「そう……以降、辛い時も悲しい時も、このマフラーがあったから耐えられた……チェルシーとの思い出が、俺の精神を壊さずにいてくれたんだ。ありがとう」
頭を深々と下げるアルビノに、チェルシーは軽く答える。
「いやいや……そこまでの事をした覚えはないけどね……」
マフラーでの思い出はそこそことし、暗殺者である彼女は話題を本命へと持っていく。
「……所で、ジーダスについて聞いても良い?」
チェルシーは純粋に、同郷の知り合いだったアルビノが生きていた事を喜んだが、同時に彼がジーダスの私兵である事を知ると、情報を聞き出そうとしていた。
少女である前にプロの暗殺者であるチェルシーにとって、アルビノは貴重な情報源なのだ。
そんな彼女の真意を知ってか知らずか、アルビノはチェルシーの言葉に答えていく。
「構わないが……その前に一つだけ。俺の会話は全てジーダスに聞かれている可能性が高い」
「ッ……それは本当?」
「チェルシーの前で嘘は吐かない。故に、話しても良いが、二人が危険な目に遭うだけだぞ」
「ふむ……聞かれるメカニズムは不明だが、それは困ったね……」
ラバックは指を顎に当て、思案する。
チェルシーも同様に考え込むが、そこで一つの案が浮かぶ。
「それじゃあ………………………諦めましょう」
「ん?」
「おぉ?」
それから数時間後 帝都外
ナイトレイドの潜伏地点へと向かう二人は、道中の森の中を馬に乗って移動していた。
アルビノとは帝都で別れ、そのまま何事もなく、帝都を出る事が出来たのであった。
「いやー、チェルシーちゃんの頭の回転の速さには参っちゃうね」
「まぁ、あれくらいはね……でも、アルビノがあんな事言い出すなんて……」
アルビノとの会話の中で、確かな手応えを得た二人は、良い情報を持って、アジトへと進む。
チェルシーは僅かに頬を赤らめながら。
「でも……その前に」
「……えぇ」
ラバックの言葉にチェルシーは表情を正し、頷き、馬を止め、地面に降りる。
人気のない山道には馬の荒い吐息だけが響く。
「いるんだろ? 殺気が強すぎて分かりやすいぜ」
「ここなら安心して殺り合えるから」
二人の言葉に、木々の間から姿を表す少女が一人。
透明化していたレインコートのフードを脱ぎ、姿を現す。
するとレインコートは派手な七色へと戻る。
「アルビノと話していた……ナイトレイドの人達……だよね?」
幼さの残る少女は静かに尋ねるが、ラバックはとぼけた様に答えるのみ。
「さぁ? どうだろうね」
「……そう。まぁいいや。ナイトレイドじゃなかったらゴメンナサイ。もしそうだったら……JとGの仇、取らせて貰うよ」
殺意に満ちた視線で、レインコート少女、Bはフードを被り直し、二人を見る。
ジーダスからJとGが死んだ事を聞かされた彼女は、大いに悲しんだ。
主へと異常な忠誠心と殺人への意識を除けば、彼女はまだまだ幼い子どもである。
共に生活をしていた家族同然の存在が消えれば、それは悲しむに決まっている。
ギャオスの中でも、特に仲間意識が強かったBは泣き喚き、ナイトレイドへの復讐を決めたのだった。
とはいえ、全く情報のない状態では探し様もないため、彼女は北からの帰還後、単独で帝都内をうろついていた。
ナイトレイドに関する情報集めのためだ。
しかし、歩けど歩けど何の手掛かりも掴めず、諦め、帰宅しようとした矢先、アルビノが二人の少年少女に声を掛けている場面を目撃し、尾行を開始した。
帝愚「殺人光線 バルゴン」、つまりレインコートの持つ「透明化」を使用し、貸し本屋内での密談を目撃した彼女は、二人がナイトレイド、もしくはそれに強く関係する者であると判断し、尾行を続ける。
身体改造によって、馬にすら容易に追いつく脚力を誇り、木々の隙間から二人を追跡していたBであったが、既にラバック達には尾行がバレており、声掛けによって出て来た……というのが事の瑣末である。
「敵討ち……事情を知っているって事は……やっぱりジーダスは私兵の出来事を把握出来る能力、もしくは帝具持ちって事か……」
ラバックはBの発言から、ジーダスの情報収集の源を考え、二つの推測に辿り着く。
特殊能力か帝具持ちであると。
「じゃあ、覚悟してねっ!」
Bが意気込むと、レインコートから模様と同様の虹が放物線を描きながら、ゆっくりと二人に迫る。
「んん?」
流石に難解過ぎる攻撃に二人は首を傾げる。
が、あの虹に当たる事は危険という事だけは分かるため、チェルシーは森の中に逃げ、ラバックはバックステップで少し下がり、クローステールの糸を、周辺の木々に張り巡らす。
まずは自分にとって有利な状況を作り上げる事こそが、戦闘の基本である。
そして帝具を見せた、という事は暗殺家業の彼にとっての本気を意味する。
この殺し合い、Bが死ぬか、ラバック&チェルシーが死ぬか。
「殺す―――――」
レインコートから虹を射出し続けたまま、Bはラバックの元へと掛ける。
張り巡らされたクローステールを紙一重で交わし、易々と彼の下へと辿り着く。
その間、虹は糸に触れるものの、ただすり抜けるのみ。
されどラバックは既に、クローステールの槍を作り上げており、少女の心臓目掛けて突き出していた後だった。
「……にはっ。残念」
「最近、こんなのばっかだよなぁ!?」
攻撃を避けようとせずに受けたBであるが、レインコートが槍を簡単に防いでしまう。
流石に服で防がれた経験はなかったため、ラバックは驚きながらも後方へと下がる。
突かれた衝撃により、後方の糸に接触するBであったが、やはりレインコートが彼女を糸から守る。
三本の糸が切断され、ラバックは今後の行動を考える。
「(あのレインコートのせいで、クローステールが効かないと見るべきか……なら、露出してる顔を狙うしかない訳だけど……可愛い子の顔を攻撃するのもな……)」
「さぁさぁ。殺しちゃうよ?」
思案する少年に向かい、レインコート少女は駆け出す。
ようやく射出された虹はラバックの後方の地面に着地するも、やはり何も変化はない。
地面と接着すると同時に虹は消える。
「(第一、あの虹は何なんだよ! 全く、不確定要素多過ぎるぞ! この子!)」
Bの殴打を避けつつ、時折、不意打ち気味に来る蹴りは体に巻きつけたクローステールで防ぐ、という防御を繰り返し、少女は再び少年から距離を取る。
「うーん……お兄さん。結構強いね……私の切り札も当たらないし……」
「その発言は、虹が切り札って事でいいのかな?」
「どうぞご自由に捉えてね。それじゃあ……」
フードを更に深く被り、目元まで覆い隠してしまう。
するとレインコートが七色に輝き始めると同時に、周囲の景色と同化し始め、彼女の姿は完全に消えて無くなる。
「透明化か……」
「あはは。その首を跳ね飛ばして上げるね」
前方から聞こえてきた声はすぐに消え、静寂に包まれた木々が、風に揺れる音のみが残る。
「でも、身内に使える奴がいると……案外、対処し易いもんだよ」
ラバックはそう言うと、ゴーグルを装着し、クローステールの糸を操作し、地面を何度も抉り上げる。
巻き起こる砂埃が周囲に散布され、軽い砂の結界が完成する。
「ふえっ!? 痛っ!?」
突然の砂嵐に、砂が目に入ったBは思わず、両手で顔を覆う。
「透明化は見えなくなるだけだ。存在が消えた訳じゃない。古典的な手だけど、砂埃や水を周囲に散乱させれば、簡単に居場所が判明する……つー事だよ!」
自分はゴーグルによって視界を確保していたラバックは持っていたナイフを、動きを見せたBの顔目掛けて投擲する。
目を瞑っていたBには回避する手段がなく、ナイフが突き刺さるものの、手で顔を覆っていた事が幸いし、致命傷に至らずに済む。
「普通は手で覆うよな……そこも計算済みっ!」
行動を読んでいたラバックはナイフに糸を絡ませており、操作する事でBの腕を強制的に動かす。
いきなり腕が勝手に動いた事により、Bは体勢を崩し、転んでしまう。
「あうっ!」
「……ごめんな。これで終わり」
転倒した結果、フードが脱げ、透明化が終わってしまった無防備なBに、少年の投擲したナイフが額に突き刺さる。
「あっ……」
驚いた様に目を見開き、動きを止める少女だが、ラバックは既にクローステールにより槍を編み出し、次の行動に備えていた。
「(あのJって奴は死んだと思った後に、黒い何かに飲み込まれて変化しやがった……だから、この子も化け物になる可能性は十分にある……なら、変化が始まったと同時に頭部を完璧に壊す……!)」
投擲モーションのまま、Bを注意深く見るラバックであるが、一向に動く気配はない。
頭部から黒い何かが溢れ出る事もなく、二分が経過する。
既に砂埃は消えており、周囲には木陰から二人を様子見するチェルシーの気配しかない。
「……大丈夫……なのか?」
一応、槍を持った少女を眺めるラバック。
ナイフを糸によって回収し、徐々に近づいていく。
その時である。
「!」
一際、身体が跳ねた後、Bの額から溢れ出た黒い何かが、少女の身体をあっという間に包んでしまう。
時間差で油断していた事、侵食速度がJよりも段違いであった事もあり、ラバックが行動する前に、全身を影にしたBは立ち上がり、逃げる様に森の中へと走っていく。
「あ! 待て!」
追い掛け様とする少年であったが、森の中で奇襲を掛けられると危険だと判断し、その場に一瞬、踏みとどまる。
しかし、チェルシーがいない事に気付き、急いで後を追う。
「(まさか追い掛けたのか……!?)」
クローステール使いから逃走したBは、森の少し開けた場所でのたうち回っていた。
全身を支配する殺意が、人間を殺せと叫び続ける。
頭が殺意で満たされ、可笑しくなりそうであった。
だがそれでも、彼女は僅かに正常を保っていられたのは、ジーダスへの異常な忠誠心であろう。
彼の役に立ちたい。
それ以外に自分に価値はない。
自分を救ってくれた、あの人のために―――――
殺意が満ちていく中、Bの目の前に人影が現れる。
もう警戒態勢に入る余裕もない少女の前に出て来たのは、彼女が最も敬愛する人物、ジーダス・ノックバッカーであった。
「ジーダス……様……?」
朦朧とする意識を呼び起こし、少女は必死にジーダスという存在を認識しようと、頭を動かす。
殺意の言葉が蔓延り、周りの木々すら殺す対象と誤認し始めた視覚でさえ、主である青年を間違えずに認識する。
「ジーダス様……ごめんなさい……ボク……失敗しちゃった……」
「………………良く頑張りやがりましたね。B」
笑顔のまま、労いの言葉を発したジーダスにBは思わず、俯かせていた顔を上げる。
後光が射す事により、神々しささえ感じる青年の姿に、Bは一筋の涙を流す。
「褒めて……くれるの……? こんなボクを……」
「えぇ。ですから、B……」
「貴女。私のために死にやがって下さい」
発された言葉は偶然にも、Bがジーダスと出会った際に言われた台詞と、一言一句、間違わずに合っていた。
懐かしい出会った頃の記憶を思い出し、瞳から更に涙が溢れ出す。
「……ジーダス様。その言葉……えへへ……やっぱりジーダス様は優しいや……」
頭の中の殺意が全て消え去ると同時に、彼女を覆っていた黒い何かが頭部から現れた花弁に吸収される。
無論、彼女の身体も取り込まれるのだが、その際の彼女の顔は笑顔で満ち溢れていた。
花弁はBの全てを吸収し、静かに消え去る。
残されたジーダスは煙と共に、一人の美少女へと変化する。
否、元に戻る。
「……知らないまま死ねるって事は……本当、幸せな事だね……」
チェルシーは何処か寂しさを覚えながら、遅れてやって来たラバックと合流し、仲間の下へと戻っていく。