「―――ー信じろ。勝つぞ」
そう言った俺を、鈴が目を丸くして見上げてくる。
激しく脈打つ心音を聞かれないか心配だが、鈴の様子から見るにその心配は杞憂に終わりそうだ。
「ば――、バカいってんじゃないわよ! それよりあんたを病院に―――」
じたばたと腕のなかで暴れる鈴を制するため、俺は鈴の唇に人差し指をあてがった。うわ、自分でやったこととはいえ、ちょっと引くわ・・・。
「心配するな鈴。俺の身を案じてくれてるのは嬉しいが、俺のことがそんなに信頼できないか?」
「そ、そんなことは・・・ないけど・・・」
うきゅぅと赤面して縮こまる鈴。
・・・完全に主導権は握ったな、バーサーク俺。
「それに、せっかく鈴が見てくれてるんだ。ちょっとくらいカッコつけるくらいが丁度良いだろう?」
俺のセリフにさらに鈴が押し黙ったがレースの途中でまた暴れられても困る。
硬直するくらい恥ずかしい思いをさせてやろう。
「―――お、お二人とも、大丈夫ですか!?」
と、そこへマイクを持った店長が転倒した出走者を心配して駆け寄ってきた。丁度いいな。
「ええ、大丈夫ですよ」
「そうですか・・・・。あの、レースへは復帰されますか?」
そう言いながら店長は俺を追い抜いていったペアの背中を見る。
・・・・超界の瞳が弾き出した彼らのスピードは秒速4・3メートル。
大体50メートルを11・5秒で走る計算だ。遅いが、人ひとり抱えてるんだ。それくらいだろう。
「勿論ですよ。ここで引き下がっては格好が付きませんからね」
そう言うと、鈴がピクリと震えた気がしたが・・・・気のせいか。
「分かりました。でも無理はしないでくださいよ? 私が主催したイベントで事故なんて勘弁ですからね」
「はは、店長って言うのも大変ですね」
両手をあげてちょろっと本音を漏らした店長さん。
俺はそんな彼女の手から密かにマイクを拝借する。
「って、え? いつの間にマイクを・・・?」
困惑する店長に向かって少し微笑みながら人差し指を立てる。ちょっとこれから大事なこと放送するのでお静かに願いますよ。
「―――あー、ご来場のお嬢様方。これより少々荒っぽいペアが通りますので、決してその場から動かないようにお願いします」
突然響いた低い男の声に顔を見合わせる周囲の観戦者たち。
―――多分、これで大丈夫だろう。
さて、始めようか。奇跡の大逆転ってやつをな。
その時の俺はきっと不敵に微笑んでいただろう。
@
マイクを呆然としている店長に返すと、俺はその場を蹴り、空中に跳躍した。
―――PIC起動。出力を2%に制限。三次元レーダー起動―――
同時に送られてくる周囲の状況を空中にいる間に頭に叩き込む。
ちょっとセコいがISを使わせてもらおう。
なに、先にセコいマネしてきたのは先頭のあいつらだ。ちょっとくらい構わんさ。
先頭のペアをマーキングすると視界いっぱいに広がったワイヤーモデルが赤く染まった二人を映し出した。
よし、行くぞ。
着地した俺は一番後ろを走る中学生とおぼしき二人組に肉薄する。
男の方は―――おお、ガタイがいいな。格闘技でもしてんのか。
俺を邪魔するように左右に揺れて走る格闘家風の男の左肩に手を置いた俺は、タイミングを見計らって一気に突き飛ばす。
―――大丈夫だ。怪我はしないさ。
その確信があった俺は、もつれた足でその場に綺麗に
瞳から送られてくる情報に従って、その人の体軸と重心を巧く誘導してやればさっきみたいに上手くバランスを操作するなんて造作もない。
俺は同じように次々とレースの出場者を座らせていく。
周囲の人たちはそんな俺を見てただただ、驚くばかりだ。
そりゃそうだ。俺だってこんなことできるなんて思ってなかったよ。
「嘘でしょ・・・どんな魔法使ってるのよあの人・・?」
実況に戻ったらしい店長の呟きがスピーカーから流れる。
一気にごぼう抜きした俺たちに呆気にとられてるらしい。
「―――クレハ、7時方向に注意して。多分別格よ」
吹っ切れたみたいにオペレーションを始めた鈴が気になる情報を伝えてくる。
別格・・・?
気になってチラリと確認してみると――――げ、なんだあの二人組。
俺たちの後方から物凄い勢いで迫り来る男女のペアが居たのだ。
あの男の顔は・・・・見たことあるぞ。
今年の一月にあった箱根駅伝に出てた優勝校選手だぞ。
名前は確か・・・東郷とかっていったかな?
どうやら先頭集団でゆったり走っていたが、俺に無理やり座らされて火が着いたらしい。
短髪で揃えられたアスリート然としている東郷のスピードはまさかの秒速6・6メートル。
女性一人抱えてその速さって、駅伝選手は短距離が苦手かと思ってたがそうでも無いらしい。
オフシーズンなのか知らないけど、可愛いカノジョ連れて遊びにでも来てたのかな?
流石に将来有望なランナーとの対決は避けようと、俺は更にペースを上げる。
遂にトップのあの二人に追い付いた俺は仕返しとばかりに、見えないように出足払いをかけてやった。
見事に背中から倒れたチャラ男の上に落ちる金髪女性。彼女に罪はないさ。
・・・・さて、トップになったはいいが、残りは直線距離で100メートル。
背後を見やると東郷もペースを上げてきた。直線で抜き去るつもりか。
頭の中はクリアなのに、肺が、胸が、足がいたい。
ここまで300メートル。途中でスッ転んだ事もあってペース配分がガタガタのままでここまで来た。
いよいよ限界が近づきつつあるらしい。
背後から迫った東郷が―――隣に並んだ。
チラリと様子を伺うと、ニヤリと笑って俺を見ていた。
良いぜ。その勝負、受けてやる。
相手方も息が上がって辛そうだ。
「―――ッ!」
俺は悲鳴を上げ始めていた脚に更に力を込め―――地を蹴る。
鈴は俺が勝つことを信じているのか、視線はずっと前を見たままだ。
東郷が支える女性も同じように、視線は前に。
見ず知らずの相手とこんなにキツイ勝負をするとは思わなかったぜ。
SoLaDo原宿を越えた―――残り50メートル。
鈴を支える両手に力が籠る。
鈴も同じように俺の服を掴む左手に力が籠っているようだった。
「「ラストスパートォ!」」
隣の二人組が吠える。
なんつーか、面白い組み合わせだなあんたら。
東郷が前に出る。
俺も負けじと食い下がる。
残り30メートル。大学生ランナーをトップにその後を俺が追う。
行ける。最後の瞬間だ。最後に、決めろ!
ゴールしか見えていない視界の端で鈴のツインテールが揺れている。
だが、その瞬間。俺と東郷が同時にバランスを崩した。
妨害的なモノじゃない。ただただ生身の限界が来たんだ。
「「――――ッァ!」」
前屈みに膝を突きそうだった俺たちは同時に右足をだし、ギリギリ転倒は防いだ。
東郷はそのまま体勢を建て直し、走り去るだろう。
だが俺がそれをやるより、日常的に走っているランナーの方がどうしても体勢の建て直しを早く終えてしまう。
つまり、俺の方が一手分――遅い。
流石だな。東郷選手。
Bシステム使ってる俺に勝てるってのか。
だが、俺も意地があるんでね・・・・・。
(ちょっと無茶だが、こうすれば――――)
――――鈴の目の前で負けてらんないんだよ。
俺は倒れつつある上半身を、
しかし、右足は地面を蹴り、前に出る。
まさに短距離走のスタートダッシュみたいに姿勢を低くした俺は、そのまま前に出た。
鈴を抱いているからか、上半身のバランスがうまくとれない。
でも、ゴールまで20メートル。それだけ持てば十分だ。
「く、クレハッ!?」
地面すれすれを滑るように移動する自分にビビったのか、鈴が涙目で俺を呼ぶ。
大丈夫だ鈴。意地でも落としはしないよ。
普通ならこんな危険な手には出たくはなかったが、Bシステム特有の負けず嫌い&自信たっぷりな俺だ。
強行策も難なくとっちまうのさ。
「くッ!?」
勝てると思っていたのか、隣に現れた俺を見て東郷はその端正な顔立ちを歪めた。
後は――――ただ前に出るだけだ。
これ以上はスピードを上げることもできない。
ISにも頼るわけにはいかない。
俺自身の、俺だけの力で成し遂げてやる。
「―――ぉぉっ!」
そして遂に、明治通りに出た―――。
通行規制のされていた歩道には誰もおらず、走るのを止めた俺だけが立っていた。
ゴールテープを切ったのはほとんどの同時だったはずだ。
―――勝敗が、分からない。
鈴も俺と同じようにキョロキョロしていた。
「・・・あんた、あそこで立ち直さないって、ただのバカだろ」
後ろからした声に振り返る。東郷だ。
頬に伝う汗を抱きかかえた女性に拭って貰いながら俺たちに語りかける。
「東郷こそ、よくあそこから追い上げてきたね。俺はもう勝ったつもりでいたのにな」
「はっ、うちの大学じゃよくやる練習だったからな。ちょっとやそっとじゃ諦めねぇよ」
抱えていた女性を下ろしながら東郷が言う。
「――――でもまあ、今回は負けてやる。あんたスゲーよ。超カッケー」
東郷から送られた賛辞だけでは、理解できなかった。
同時に起こった歓声。
IS学園での試合にも負けない声がそこらじゅうに響き渡る。
『激しい攻防を制したのは―――柊、凰ペア! ラストはまさにデッドヒート! 原宿のイメージにそぐわないアツい戦いでしたが見事に盛り上げてくれました!』
店長のアナウンスが聞こえてようやく理解できた。
「・・・勝ったんだな、俺た―――「クレハぁっ!」――ぐふっ」
鈴、いきなり体重を俺の首にかけるの止めてくれよ・・・。死ぬかと思ったぞ。
「やった! やった! 優勝じゃない! スゴいわよこれ!」
俺に抱きついて目一杯喜ぶ鈴。
Bシステムは解かれちまったが、今はもう鈴の柔らかさにテンパる気力もないよ。
「ちょっと、落ち着け、おい。周り見てるぞ」
「――――え?」
辺りを見ると、去年の受けがよかったのか、取材に来た記者らしき人物が俺たちの写真を撮りまくっていた。
やれやれと嘆息しつつその事を教えてやると、ギュイン。
速攻で顔を赤く染めた鈴がアワワと焦り始める。
そして、自分が俺の首に腕を回して抱きついている状態を確認して――――あ、嫌な予感。
「こンのォ・・・・スケベッ!!」
がいん。
珍しくISを展開しなかった鈴の拳が、俺の顔面に突き刺さった。
なんでだよ。
@
当然ながら、俺たちの勝ちに文句を言うやつもいた。
なんせ最下位からの逆転勝利だ。そりゃ不正を疑うわな。
実際ちょっと不正を行っていた(ISによる跳躍と地形把握)俺は終始黙秘を続けたが、鈴がISの操縦者であることが露見すると俺たちを擁護してくれていた店長の旗色も悪くなる。
やむ無くして俺たちに贈られるハズだった半額チケットは二位である東郷たちに贈られ(悪いなと言って意気揚々と買い物に出掛けていったよ。畜生め)、結局俺たちは試合に勝って、勝負に負けたって感じになった。
ちっ、あの不正不正騒いでたペア。俺たちを転ばせた不正第一号者じゃねーか。
逆にその事を訴えてやろうかと思ったが、あの二人と同じ土俵には立ちたくなかったので文句は言わなかった。
俺たちに感謝してくれてた店長さんには悪いことしたな。
そしてやっとの思いでたどり着いた屋内遊泳アミューズメント施設、アクアマリン。
所持金の問題で水着を借りられなかった俺は、上着を脱いで水着の鈴を追う。
「クレハ~見てみて! 海みたいよ!」
甲龍と同じ赤紫色のフリル付きビキニに身を包んだ鈴は、遊泳場にでると直ぐ様水辺に駆け寄った。
「あんまり走らせるんじゃねーよ。こちとらクタクタだっつーの」
「なによテンション低いわね、折角のプールなんだから遊ばなきゃ損じゃない」
ああ、損だな。ここまで来て泳げないって何の冗談だよ。
そんな俺のことは気にも留めてないのか、浮き輪を装備した鈴は人工波に揺られてプカプカ浮いてやがる。畜生、世界なんか滅んじまえ。
・・・・にしても、オープン直後と言うだけあって人が多いな。
辺りを見れば嫌でも際どい水着が目に入る。
おい、ソコの女子大学生。ちょっと派手じゃないですかね?
Bシステム停止直後だといって油断は出来ない。
俺だってそう言うのに興味がない訳じゃないんだ。
油断してBシステムが始まってしまったら、例としてナンパ、あわよくばその後まで直行しかねんぞ。
そしてその後に待ち受けるのは冷たい檻に直行ルートだ。
将来の不安を感じた俺は思考を立ちきって近くのベンチに座る。
周囲の喧騒のせいで寝ようにも眠れない俺は一人、クタクタの体をだましだまし動かし続ける。
あ、鈴が遠泳始めた。
別に特別ここの奥行きが長いって訳じゃないが、泳ぎたい人には十分な広さがある。
運動が好きな鈴は泳がずには居られなかったんだろう。
・・・・いいや。ほっとこう。
そうして、キャッキャ独りで騒ぎ続ける鈴を見ていると・・・・。
「―――キミ、大丈夫? 親御さんは?」
なんて声がすぐそばで聞こえた。
声の主は・・・・ライフセーバーのお兄さんか。浅黒く、逞しい体を覆う黄色いTシャツが限界まで引き伸ばされていてイヤな迫力があるな。
「ええと・・・・」
そのお兄さんから少し視線をずらせば、小さな女の子が目に入った。
輝くような白い髪に紺碧の瞳。唇は小さく秋桜の花弁みたいにピンク色だ。鼻筋が通っていて、トンでもなく綺麗な顔立ちだ。
しかし、この世のものとは思えぬその風貌に俺は何故か身震いした。
関わりたくない、そう感じた俺は直ぐ様視線を外して元の体勢に戻る――――が。
「――――!」
一瞬、ほんの一瞬だけであるが、キョロキョロと視線を右往左往させるその少女と目があってしまった。
相手がどう思ったか知らんが、俺は目なんかあっていない風を装って鼻唄を歌ってやる。
すると・・・。
「―――大丈夫、です。兄を見つけた、です」
たどたどしいしゃべり方で、その少女が声を発した。外見相応の幼い声だ。
(なんだ、俺が過敏になってるだけか・・・・)
最近は色々ありすぎた。
戦闘に次ぐ戦闘で、驚くような事実が多く明らかになった。
そのせいか、何にでも繋がりがあると考えてしまうイヤなクセでも付いたらしい。
変な考えを振り払うように頭を振って、暫くすると・・・。
(あ、なんか寝るチャンスかも・・?)
さっきは強力なエリート選手に追いかけ回されたと思ったら次は睡魔が迫ってきた。
抗えない俺はそのまま睡魔に身を任せ・・・。寝た。
その瞬間、鈴の声が聞こえた。
「いつまであたしを独りで遊ばせる気よ!?」
いや、マジでキツいんで。勘弁してください。
@
どのくらい時間が経っただろうか。
(・・・・・ん)
不意に目が覚めた。
透明な天井から降り注ぐ西陽が眩しい。
だけど、何だろうか。
まだボヤけてはっきり見えないが、目の前に何かがある。
俺は鈍った意識で、半無意識にその物体を撫でる。
・・・すべすべしてて、ちょっと硬い部分がある。
気になってソコをスリスリ撫でると・・。
「・・・・んっ・・」
なんてドキッとする声が聞こえた。
本能的にまずいと思った俺は、そこから手を離し下に降ろす。
暖かく、規則的にトクトクと脈打つ、触れれば折れてしまいそうなほど細い何か。
肌触りがいいので感触を堪能していたら、モゾモゾと俺の頭の下が動いた。
膝を擦り合わせるような、くすぐったそうな反応だ。
「え、えーと・・・・クレ・・ハ?」
面白いので更に触れる場所を変える。
トクトク脈打つ箇所から更に手を降ろすと、何やら紐のような物体に、さらさらした生糸の束のような物が手に触れた。
「・・・・クレハ?」
生糸の束は意外と長く、病み付きになりそうなほど指通りがいい。
試しに匂いを嗅いで「ちょっ、クレハ・・ッ」みると、これまた芳しい香りがして、まるで鈴の髪みたいな――――・・・・・。
――――――じゃねぇだろ俺!
一気に意識が覚醒した俺は、目の前にある鈴の顔を見て打撃を覚悟した。
恥ずかしがってるような、怒っているような、だ。
始めに俺が触れていたのは鈴の頬。そして次にスリスリと撫でたのは、鈴の耳のしたから顎にかけての骨の部分。トクトクと脈を打っていたのは細い首で、水着のヒモの部分に髪まで堪能してしまった。
「え・・・と、お早う、であってるか?」
「そうね、お早うクレハ。そして2つ選択肢を上げるわ」
うっ、鈴の声が近い上にビックリするほど低い!
さらにイラだっているのか、頭の下にある膝がガクガク揺れている。よ、酔う・・・・ッ!
「まずひとつめ。あたしに殴られる」
「直球かよ!」
「ふたつめ。千冬さんに殴られる」
「生存ルートをくれっ!」
どっちを選んでもただでは済まないだろこれ!
でも、鈴にしては今回の拳骨制裁、かなり良心的だぞ。
どっちにしろ死ぬとはいえ、選ばせてくれるだけの理性があるってことだ。
ソコを突けば活路が見いだせるかもしれないぞ俺!
「―――だったら上げるわ。みっつめ。今度女装して一夏とここで遊ぶ。―――もちろん水着よ」
「・・・・・・・・1でお願いします」
選択肢を告げる鈴の瞳は、ハイライトがなく、所謂死んだ目状態であった――――。
@
「なぁ、悪かったって。でも疲れて寝ぼけてたんだから私服でプールに叩き落とすことはないだろ」
「ふん、当然の報いよ。あ、あたしがせっかくひ、膝、ま、膝枕してあげてたのにいきなり身体まさぐってくるなんて信じらんないわよ。クレハのアダ名を忘れてたわ」
「おい、不名誉なアダ名の話は止めてくれ。・・・ていうか言われた通り@クルーズの限定パフェ、奢ってやっただろ。いまさらグチグチ言うなよ」
「べ、別にグチグチなんて言ってないじゃない! あ、あたしだってちょっとやり過ぎたと思ってるわよ」
「へー」
鈴の言い分に適当に相づちを打ちつつ、@クルーズで買ったアイスコーヒーを飲む。
いやぁ、意外だったな。
ラウラとデュノア。最近昼間学校に居ないと思ったら、夏休み中はバイト入れてんのか。
――――先ほど足を運んだコーヒーショップ@クルーズ。
俺は鈴の機嫌を取るためにそこの夏期限定パフェを食べようと画策し、足を運んでみれば意外なメンツが意外な格好をしてお出迎えしてくれた。
メイドのラウラに、執事のデュノアだ。
どっちも@クルーズの制服らしく、よく見れば他のスタッフも同じかっこで店内を慌ただしく駆け巡っていた。
勤務時間だというので長くは話せなかったが、話によると以前ここで起こった問題を手際よく解決してしまったため、ここの支店長と懇意になってしまったのだと言う。
そういう経緯があって、たまにヘルプを頼まれたりするようになったのだと言う。
・・・・・ラウラがメイドでデュノアが執事なのは分からんが、まぁそういうことなのだろう。
「――――ねぇ、聞いてるクレハ!?」
「うおっ」
しまった。少しボーッとしてたみたいだ。
「べ、別にあんたなら嫌ってわけじゃないのよ・・・? でも、いきなりは、その・・・ちょっとビックリしちゃうし、寝てるときに触られるなんて考えてなかったから・・・・でも、意外に優しかったし・・・」
あ、まだその話題ですか。
フラフラ歩く鈴を尻目に、海の方へ目をやる。
・・・現在俺たちは帰りは豊洲のほうからゆりかもめに乗ろうと言うわけで、有楽町線のに沿って海岸線にある遊歩道を歩いていた。
西の空が真っ赤に染まっている。
この時間になると夏の暑さも和らぎ、涼しい海風が吹き始める。
・・・・この風で、鈴の頭も冷めてくれたら良いのになぁ・・。
そんなことを考えていたときだ。
海猫か、カモメか分からないが、海鳥が二、三羽飛んでいて思わずそれを目でおってしまった俺は、一瞬だけ回りへの配慮を欠いてしまった。
どんと、言う強い衝撃と共に鈴にぶつかってしまい、お互いに弾かれるように体勢を崩す。
「おっ?」
「えっ?」
俺は反射的に鈴の背中に右手を回し、転けないようにぐいと引き寄せる。
だが鈴は鈴で、右足を一歩引き下げて踏ん張っていたため、俺の引き寄せる力に負けて、今度は前にバランスを崩す。
すると――――トン、という軽い衝撃と共に・・・・すぽ。
鈴の身体は俺が受け止めることができ、お互いに怪我することなく事を終えることが出来た。
・・・・・出来たじゃないよなぁこれ!
「!」
「!」
前につんのめった鈴はものの見事に俺の胸に寄りかかり、背中に添えた俺の手がまるで鈴を抱き寄せたみたいな状況を作り出しちまった!
「「~~~~~~~ッ!」」
しかも二人とも硬直しちまったし・・。
どちらとも動けずにいると、次第に変な空気が漂い始める。
い、今さら思い出したんだが、この遊歩道。人通りは結構あるくせにその大半がカップルなことで有名な、所謂デートスポットだぞ・・・!
どうすればいいのか分からず、背中の右手を離そうとしたら・・・。
「あ、ちょ、ちょっと待って! こ、腰が・・・!」
鈴が本気で焦った声を発したので、ぎゅ。
更に力を込めて抱き寄せちまった!
「っ!」
より身体が密着したことに驚いたのか、鈴の息を飲む声が聞こえる。
薄い夏服越しに、鈴の暖かな体温を感じた。
足元を見ると、確かに鈴の足には力が入っていない。いきなりのことで腰が抜けてしまったらしい。
どこかで鳴く海鳥の鳴き声が聞こえる。
それほどまでに辺りは静かで、夕陽に染まった海辺の景色が幻想的な雰囲気を醸し出しているようだ。
まるで俺と鈴だけが世界に存在しているような錯覚がしはじめて、不安げに見上げてくる鈴の濡れた瞳に俺の思考はメチャクチャに掻き乱される。
可愛い。それ以外に彼女を的確に表している単語がない、と思ってしまうほどに今の鈴――いや、凰 鈴音は魅力的だった。
コーヒーを取り落としたお陰でフリーとなった左手がまるで別の意識を持っているかのように、鈴の肩を掴んだ。
自分でも分からない欲望が俺のなかに渦巻き、思わず唾を飲み込む。
鈴が―――目を閉じた。
俺にすべてを委ねるような鈴が堪らなくいとおしく思える。
俺は、そんな鈴に―――――
(だ、ダメだろクレハッ! 相手は鈴だぞ!)
――――何も、しなかった。
一瞬外れそうになった理性を何とか保つ。
おい、クレハ。お前は人を死なせている身空で、何を考えているんだ。
確かに双龍の頭は捕らえたが、まだ、ダメだ。
なにがダメなのかはハッキリと纏めることは出来ないが、俺の直感が告げていた。
―――――俺は、まだ自分を赦すことができない。
どん、と鈴が俺の胸を押し退けた。
どうやら立てるようになったらしい。
―――だが。
「ふ、ふざけないでよ・・・。あ、あんたはいつもそうやって・・・・っ! 人をその気にさせて悩ませておいて―――何なのよッ!」
泣いて、いる。
大きな瞳いっぱいに涙をためた鈴が、俺に向かって何かを訴える。
いつも通りの気丈に無る舞う鈴かもしれない。だが、彼女の剣幕がそうではないと言っている。
「分からない・・・分からないのよクレハが・・・っ。あんたにとってあたしって何なのよ・・。なんであんたは優しいのよ・・・っ。なんで、なんで、クレハのことであたしがこんなに思い詰めてるのよ・・・っ?」
止めどなく溢れ出した涙を手の甲で拭う鈴。
彼女の動きに合わせてツインテールが踊るように揺れる。
「・・・鈴、俺は――――」
「―――帰る」
言い終わる前に、鈴は俺に背を向けた。
嗚咽を漏らす鈴は振り返ることなく去ってしまった。
伸ばそうとした手は誰にも向けられることはなく重力に引かれて垂れ下がる。
段々と暗くなっていく空。
そしてついに、夜のとばりが降りてきた。
・・・・何だったんだ今日の出来事は。
混乱する頭で、さっきの鈴の姿を思い浮かべる。
俺の腕のなかに居た鈴。
何かに期待するように閉じられた目に応えられるようなことを、俺は出来たんだろうか。
・・・いや、そんなはずは無い。
きっと、傷つけてしまったんだ鈴を。
俺に向かって激昂する鈴。
自分でも全部が把握できていないにも関わらず、俺に何かを訴えようと必死で言葉を探していた。
俺はそんな鈴に、必死に言葉を探して思いを伝えたか?
いや、ただ逃げたんだ俺は。
「・・・・・ゲス野郎じゃねぇか・・・」
ベンチに座り、独り打ちひしがれる。
頭では分かってるが、何かが邪魔をする。
お前は一生苦しむんだと、何かが告げてくる。
胸の中のISか、それともあの日の記憶か。はたまた、遺伝子を弄くられて生まれてきたこの身体自体か。
何にせよ、俺はアイツに応えてやることが出来なかった。
今日のなかで一番ハッキリしてるのは、それくらいのもんだよ。
@
重い脚を懸命に動かして、学園に帰ったのは8時半。
寮に戻っても誰かが帰ってきた形跡はなく、静かなモノだった。
久しぶりに大浴場に行き、気分を変えようとしたがイマイチ効果はない。
風呂から戻った俺はベッドに腰かけると照明を落とす。
多分、鈴は帰ってこない。
俺にとっても今はそれが良いし、アイツもそうなんだろう。
ベッドの間に設置された仕切りを閉まってみても、その向こうにいるはずの鈴はそこにはいない。
「・・・どこいったんだよ鈴・・・」
その夜は眠ったのか眠れてないのかハッキリしなかった。
読んでくださってありがとうございました。