今月はこの一回だけです
ごめんなさい
明久がバトラーと出会っていた頃、浅葱は部屋でウダウダしていた
放課後、明久を意識してテニスウェアを着たというのに、明久は一切反応しなかった
それが腹立たしくもあり、これ以上どうしようか悩んでいた
その時、浅葱のパソコンが着信を知らせた
最初、浅葱はスパムメールか確認する程度だった
しかし、題名は『解読希望』
そして、依頼主はカノウ・アルケミカル・インダストリー社と表示されていた
浅葱も何度か、仕事の依頼を受けたことのある、島内の大手企業の一つだ
「解読希望? 仕事の依頼にしちゃ、変ね……」
浅葱はそう言うと、メールを開いた
すると表示されたのは、あまりにも奇怪な文字だった
あらゆる言語や古代文字とも違った文字
「パズル? ……いいじゃない、あたしに挑んだことを後悔させてやるわ」
浅葱はそう言うと、鬱憤を晴らすために、解読に意識を集中した
それが、後に大変な事態を招くとは気づかずに……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「明久君! 明久君ってば、もう!」
凪沙は甲高い声で叫びながら、部屋のカーテンを開けてから明久からタオルケットを奪い取った
「朝だよ、起きなよ。遅刻するよ。朝ご飯どうするの! あー、また目覚まし時計壊れてる! 教科書は揃えたの? 宿題は? 服も脱いだら、ちゃんと畳んでよー。って、スーツはハンガーに掛けて! シワになるでしょ!?」
「凪沙。お願いだから、もう少し寝かせて……」
明久はそう言うと、凪沙に奪われたタオルケットを取り返して被った
ディミトリエ・ヴァトラーとの会談が終わって帰ってきたのは、夜中の3時だった
つまり、バリバリの寝不足である
「明久君、さっきもそう言ったじゃない。もう……遅刻してもしらないからね」
凪沙は諦めた様子でそう言うと、部屋から出ていった
凪沙が部屋から出ていくと、明久はヴァトラーとの会談を思い出した
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「君の中から感じる気配……それは、獅子の黄金かい? ふゥん……普通の人間が第四真祖を食ったって噂、わざわざ確かめに来たのも、案外無駄じゃなかったわけだ」
明久に奇襲したというのに、ヴァトラーは悪びれもせずにそう言った
巨大クルーズ船《オシアナス・グレイヴ》の広い上甲板
夜風にコートを靡かせながら、ヴァトラーは愉しげな表情で笑っていた
「……獅子の黄金を知ってるの……?」
明久は愉しげに笑っているヴァトラーを、困惑気に睨みながら問い掛けた
ヴァトラーの見た目は二十代前半だが、ヴァトラーは間違いなく《旧き世代の吸血鬼》である
実際の年齢は、今の見た目の数倍に達するだろう
そこまで行くと、その吸血鬼の実力は真祖に匹敵すると言われている
そうなると、ヴァトラーの有する記憶量は、明久の記憶量を遥かに上回っているだろう
そして、明久の知らない第四真祖の事も知っているはずである
「ン?
ヴァトラーの淡々とした言葉に、明久は顔をしかめた
先代の第四真祖、焔光の夜伯、アヴローラ・フロレスティーナ……その名前を聞いただけで、明久は頭痛に苛まれた
昔、どこかで出会ったはずの彼女のことを、明久は断片的にしか思い出すことが出来ない
もはや、呪いに匹敵する強固な封印が、明久の記憶を奪っているのである
「あんたと
だんだんと激しくなる頭痛に明久は苛まれながらも、明久はヴァトラーに問い掛けた
すると、ヴァトラーはどこか怪しい笑みを浮かべて
「最初に言わなかったっけ? ボクは彼女を愛してるんだ。永遠の愛を誓ったんだよ」
と言った
それを聞いて、明久はジト目でヴァトラーを見ながら
「愛を誓った……って、あんた確か、第一真祖の一族じゃなかったっけ?」
と問いかけた
すると、ヴァトラーはクククッと笑うと
「まあね。でもうちの
と答えて、犬歯を剥いた
そして、続けて
「要は、《血》が強ければいいのさ。先祖が誰だろうが無関係に、強い血族が生き残る。吸血鬼ってのはそういうものだろ? そんなわけで、仲良く愛を語らおうじゃないか、吉井明久」
「よし、待とう。なんでそんな話になった?」
「ん?」
嫌な予感に襲われて、明久は近寄ってきたヴァトラーを止めた
が、ヴァトラーは意味が分からないらしく、首を傾げた
そんなヴァトラーに対して、明久は少し距離を取ってから
「だって、あんたが愛を誓ったのはアヴローラなんでしょ?」
「だけど、彼女はもう居ない。君が彼女を喰ったんだろう?」
明久の問い掛けに対して、ヴァトラーは平然とした様子で返した
そして、ヴァトラーの言葉を聞いて、明久は低く唸った
明久には、その時の記憶がない
だが、ほんの数ヶ月前までは普通の人間だった
しかしその時を境に、第四真祖と呼ばれる吸血鬼の力を手に入れた
考えられる可能性は、たった一つだけ
それが、明久が真祖を《喰った》ということ
先代の第四真祖を融合補食し、その存在と能力を奪ったのである
人間だったはずの明久が、真祖の吸血鬼を喰う
想像するだに、忌まわしい光景だろう
だが、ヴァトラーの声音には、明久を責めるような響きは一切無い
むしろ、ヴァトラーは明久を賞賛するように微笑み、唇の端を軽く舐めて
「……だからボクは、彼女の《血》を受け継いだ君に愛を捧げる。彼女に永遠の愛を誓ったボクとしては、当然の行動じゃないか」
「その理屈がおかしいの! 血筋が同じなら、なんでもいいの!?」
明久が本気で突っ込むと、ヴァトラーは当然と言わんばかりに頷いて
「もちろんそうだよ。きみが第四真祖の力を受け継いだということは、つまり彼女がきみを認めたということだ。それに比べれば、ボク達が男同士だという事実なんて些細なことだよ」
と告げた
すると、明久は一気に距離を取って
「些細じゃないからね!? そこは重大な問題だからね!? それと、その舌使いはやめて!!」
と怒鳴ると、明久は逃げる算段を考え始めた
すると、雪菜が前に出て
「アルデアル公……恐れながらお尋ねします」
意外な乱入に、ヴァトラーは不思議そうな表情を浮かべた
これまで、雪菜の存在を毛ほどにも意識していなかったらしい
「きみは?」
「獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜と申します。今夜は第四真祖の監視役として参上いたしました」
恭しく雪菜が名乗ると、ヴァトラーは退屈そうに見下ろして
「ふゥん……なるほど。紗矢華嬢のご同輩か」
と呟いた
そして、数秒間雪菜を見てから
「ところで明久の身体から、きみの血と同じ匂いがするんだが……もしかしてきみが獅子の黄金の霊媒だったりするのかな?」
「……っ!?」
ヴァトラーの指摘に、雪菜の全身が僅かに硬直した
そして、明久もヴァトラーの言葉で表情が固まった
先代の第四真祖から明久が引き継いだ眷獣の数は、全部で十二
だが、明久が掌握したのはたった一体だけ
他の眷獣達は明久を宿主とは認めておらず、制御不能の状態である
それは、紆余曲折あって雪菜の血を吸ったことで掌握したのである
もちろんのこと、その事実は迂闊に話せる内容ではないのだが……
「匂いって……そんなことまでわかるもんなの!?」
明久が呟くように言ったのを、紗矢華が聞き逃さなかった
紗矢華から凄まじい殺気が放たれて、明久は納得した
紗矢華は呪詛と暗殺の専門家と言った
そして、紗矢華が放っている殺気はそれを信ずるに値する程だった
「いや、嘘だよ。ちょっと言ってみただけだ」
ヴァトラーはそう言うと、クックックと笑ってから
「でもまあ、きみが明久の血の伴侶候補だというのなら、ボクにとっては恋敵ってことになる。それに敬意を評して、特別に質問を受け付けてあげるよ。なにが聞きたい?」
「前提からしていろいろと間違ってるでしょ!? 恋敵ってなにさ!?」
明久が抗議するが、ヴァトラーは何事もなかったのように聞き流した
そして、雪菜は深々と溜め息を吐いてから、ヴァトラーを険しい目で見て
「貴公がこの島を来訪された目的についてお聞かせください。そうやって第四真祖といかがわしい縁を結ぶことが目的なのですか?」
雪菜が咎めるように問い掛けたが、ヴァトラーはむしろ愉快そうに眉を上げて
「ああ、そうか、忘れていたな。本題は別にある。もちろんそっちもあるんだけどね」
「そっちもあるんかい……」
ヴァトラーの言葉を聞いて、明久はうんざりした様子で呟いた
雪菜は攻撃的な気配を纏いながら、威嚇するようにヴァトラーを睨み
「本題というのは……?」
と問いかけた
すると、ヴァトラーは指を鳴らしながら
「ちょっとした根回しってやつだよ。この魔族特区が第四真祖の領地だというのなら、まずは挨拶しておこうと思ってね。もしかしたら迷惑をかけることになるかもしれないからねェ」
と語った
すると、大勢の使用人達が現れた
その彼らはワゴンを運んでおり、その上には料理の皿が満載されていた
しかも、パーティー会場に出されていた料理が、みすぼらしく思えるほど豪華だった
「……迷惑とは、どういうことですか?」
出された料理には目もくれずに、雪菜は問いかけた
するとヴァトラーは、生ハムを一切れ咥えて
「クリストフ・ガルドシュという名前を知ってるかい、明久?」
「誰?」
明久が首を傾げると、目の前にワインが出された
出してきた人物を見ると、それは先ほど中でシャンパンを出してきた男だった
とりあえず明久が受け取ると、ヴァトラーも受け取って貴族らしく様になる姿で明久の前に掲げた
悔しいが絵になる光景だった
そして、一口飲むと
「戦王領域出身の元軍人で、欧州では少しばかり知られたテロリストさ。黒死皇派という過激派グループの幹部で、十年ほど前のプラハ国立劇場占拠事件では民間人に四百人以上の死傷者を出した」
「黒死皇派って名前は聞いたことがある……だけど、何年も前に壊滅したんじゃなかったっけ? たしか、指導者が殺されたって……」
明久はうろ覚えで昔みたニュースを思い出した
当時小学生だった明久ですら知ってるのだから、かなりの大事件だった
「そう、彼はボクが殺した。少々厄介な特技を持つ獣人の爺さんだったけどね」
ワイングラスを傾けながら、ヴァトラーは悠然と笑った
明久は目の前の青年貴族を凝視した
今更ながら、この軽薄な男が世界的に重要人物だと実感した
そしてこれが、今回の事件の始まりだった