「西欧教会の《神》に使えた、聖人の遺体……」
明久はそう言いながら、キーストーンと呼ばれている構造物を憐れむように眺めた
その半透明な構造物の中心部には、誰かの《腕》が浮かんでいた
ミイラのように干からびた、細い腕だった
その手首部分には、まるで磔にあったかのように、無惨な傷跡が残されていた
自らの信仰のために苦難を受け入れ、命を失った殉教者の遺体である
それらは神の聖性が現世に顕現するための依代であり、それ故に人々の信仰の対象になる
強い聖性を帯びたその遺体は、決して腐らず、様々な奇跡を引き起こすと言われている
その聖人の遺体の一部が、キーストーンの中に埋め込まれていたのだ
「聖遺物って言うんだってね? やっぱりこれが、アンタの目的だったわけ?」
明久は神妙な表情を浮かべて、ルードルフに問い掛けた
浅葱が厳重なプロテクトと突破して調べ上げた、この島最下層の秘密
それが、この聖遺物の存在だったのだ
巨大な人工都市である絃神島は、聖遺物が引き起こす奇跡によって存在していたのである
「貴方達が絃神島と呼ぶこの都市が設計されたのは、今から四十年以上も前のことです……」
そう語り出したルードルフの声は低く荘厳さが満ちていて、まさしく西欧教会の神父に相応しいものだった
「レイライン……東洋でいう龍脈が通る《海洋上》に、人工の浮島を建設して、新たな都市を築く……それは、当時としては画期的な発想でした。龍脈が流し込む霊力は住民の活力へとつながり、都市を繁栄へと導くだろうと誰もが考えた。しかし、建設は難航しました。海洋を流れる剥き出しの龍脈の力は、人々の予想を遥かに超えていたからです」
ルードルフの説明を聞いて、明久は無言で頷いた
この島が、本土から遠く離れた南の海上に建設された理由
それが龍脈……地球表面を流れる巨大な霊力経路の存在であった
「都市の設計者、絃神千羅はよくやりました。東西南北……四つに分割した人工島を風水でいうところの四神に見立て、それらを有機的に結合することで龍脈を制御しようとした。だが、それでも解決できない問題がひとつだけ残ったのです」
「要石の強度……だね?」
明久が続けるように言うと、ルードルフは重々しく頷き
「いかにもそのとおり……絃神千羅の設計では、島の中央に四神の長たる黄龍が……連結部の要諦となる要石が必要でした。しかし当時の技術では、それに耐えうる強度の建材を作り出すことができなかったのです。故に、彼は忌まわしき邪法に手を染めた……」
「供犠建材……」
ルードルフの説明を聞いて、雪菜は弱々しく呟いた
絃神島の設計者たる絃神千羅は、光学的に行き詰った問題の解決策として、呪術に頼った
それが、人柱
建造物の強度を上げるために、生きた人間を生贄にする邪法を使うことを思いついたのである
だが、龍脈とは自然界の気の流れであり、その荒々しい力は、人工島の連結部に過大な負荷を与える
それを受ける要石の役目には、生半可な呪術では到底耐えられなかったのだ
それこそ、神の奇跡に匹敵するほどでなければ無理だったのだ
ゆえに……
「彼が都市を支える贄として選んだのは、我らの聖堂より簒奪した尊き聖人の遺体でした。魔族共が跳梁跋扈する島の土台として、我等の信仰を踏みにじる所業……決して許せるものではありません!」
ルードルフはそう言うと、戦斧を構えた
それは言外に、話は終わりだという意思表示だった
ルードルフの目的は聖遺物の奪還である
明久たちと無理に戦う必要など、ルードルフにはない
ゆえに、ルードルフは明久からの問い掛けに答えたのである
それと同時に、ルードルフの正当性の証明でもあった
ルードルフはもはや、如何なる説得にも応じなければ、決意を覆す方法もなかった
「ゆえに私は、実力をもって我らの聖遺物を奪還します。立ち去るがいい、第四真祖よ。これは我等と、この都市との聖戦です。貴方といえども、邪魔は許さぬ!」
「あんたの気持ちもわかるよ……絃神千羅のやったことは、絶対に許されない……」
明久はそう言うと、要石とルードルフの間に立った
「だけど、アンタのやり方は間違ってる! 何も知らず罪も無い五十六万人を、その復讐の巻き添えにする気!? ここに来るまでアンタが傷付けたアイランドガードの人達だって一緒だよ。無関係な人達を巻き込むな!」
確かに、ルードルフの行動は正義かもしれない
だが、そのやり方を彼は間違えていた
しかし、それは今はいい
ルードルフが、彼の決断でこの島を破壊しようというのならば、吉井明久は絶対にそれを止めると決めていた
「この街が贖うべき罪の対価を思えば、その程度の犠牲、一顧だにする価値なし」
明久の言葉に対して、ルードルフは無表情で冷酷に告げた
すると、明久の横に雪菜が寄り添うように立った
そして、ルードルフに向けて雪霞狼を突きつけながら凛と響く声で
「供擬建材の使用は、今は国際条約で禁止されています。ましてや、それが簒奪された聖人の遺体を使ったものであれば、尚更……っ!」
と叫んだ
だが、ルードルフは表情を変えずに
「だから、なんだというのです、剣巫よ? この国の裁判所にでも訴えろと?」
と問い掛けた
すると雪菜は、なおも縋るように
「現在の技術ならば、人柱なんか使わなくても、人工島の連結に必要な強度の要石が作れる筈です。要石を交換して、聖遺物を返却することも……」
と説得を試みたが、ルードルフは雪菜を睨みつけて
「貴女は、己の肉親が人々に踏みつけにされて苦しんでいるときにも、同じことが言えるのですか?」
と怒りを滲ませた声で言った
ルードルフのその言葉を聞いて、雪菜は一瞬動揺した
剣巫として育てられた雪菜は、実の両親を知らなかった
ルードルフはその事を知っている上で、雪菜の心を抉る言葉を言ったのだ
「アンタは……っ!!」
ルードルフの言葉に明久は怒り、一歩前に出た
だが、それをすぐに雪菜が明久の腕を掴んで止めて笑みを浮かべた
笑みを浮かべている雪菜の瞳には、穏やかな光が満ちていた
すると、ルードルフは荒々しく息を吐いて
「もはや言葉は無益なようです。これより我らは聖遺物を奪還する。邪魔立てするというならば、実力を持って排除するまで……アスタルテ!」
「……
ルードルフが命じると、それまで沈黙していたアスタルテが微かに悲しみを滲ませた声で答えた
すると、虹色の眷獣の輝きが増して、それに比例して撒き散らされていた魔力が勢いを増した
「結局、こうなるのか……」
明久は嘆息しながら、背負っていた竹刀袋を持って、紐を解いた
「……けどさ、忘れてないかな? 僕はアンタに胴体を斬られた借りがあるんだよ? とっくの昔に死んだ設計者に対する復讐よりもさ、その決着をつけようよ」
と言いながら、明久は刀、雷切を抜くと同時に、明久の左腕から雷光が溢れた
「貴様……その能力は……」
明久から迸る雷光を見て、ルードルフは表情を歪めた
なぜならば、その雷光が怒りに任せた暴走じゃないことに気づいたからだ
明久の意志に呼応して、血の中に棲んでいる獣が目覚めようとしているのだ
「さあ、始めようか、オッサン……ここから先は、
明久はそう言いながら、雷切を突き付けた
すると、雪菜が寄り添うように雪霞狼を構えて、悪戯っぽく微笑みながら
「いいえ、先輩。《わたしたちの
と宣言した