いぬがみっ!   作:ポチ&タマ

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第八十話「世にも奇妙な怪談話」

 

 

 数十年ぶりの異常気象が連日のように報道された今年の夏を乗り越え残暑が遠のくと、季節は露骨なほど秋らしい顔を見せる。

 肌にまつわるような冷たい初秋の風が吹き、夜の帳が降りた町々に明かりが星屑のように散らばっている。

 人々の営みを示す文明の明かりが夜の街を彩る中、高級住宅街を抜けたところにある白亜の洋館。豪邸と呼ぶに相応しいその館の一室では八人の少女たちが身を寄せ合い怪談話に興じていた。

 季節的には遅いが、雰囲気を作るために部屋の電気を消して明かりは数本のロウソクだけ。少女たちは息を呑んで語り手のいぐさの話に集中している。

 

「――亡くなったそのAさんはBさんの会社の同僚でした。彼とは仲が良く、家族ぐるみの付き合いもあるほど親しい友人でした」

 

 ロウソクの灯が眼鏡が白く光り、その表情を窺い知ることはできない。淡々と話を進めていくいぐさに最年少のともはねが赤毛の少女の膝に顔を埋めた。小刻みにカタカタ震えながらも目だけはずっといぐさに向いている。なんだかんだで続きが気になるのだろう。ピンク色のネグリジェにショールを羽織ったせんだんは苦笑しながらともはねの頭を優しく撫でた。

 

「亡くなる半年くらい前のことです。フリークライミングが趣味のAさんは休みがあればあっちの山、こっちの崖へと常に出かけていました。趣味が趣味だけにいつ命を落とすか分からないので、「俺がもし死んだときのためにビデオを撮っておきたいんだ」と 友人であるBさんにビデオを撮ってほしいと頼みました」

 

 固唾を呑む少女たちの一人、ボーイッシュのたゆねがそわそわと身を揺すっていた。ホットパンツにTシャツと言う部屋着姿の彼女は胡坐を搔きながら両手を足の上に置き、落ち着きがない様子で体を揺らしている。他の少女たちはジッと固唾を呑んで続きを待っていた。

 中央に置かれた太いロウソクの火がふと揺らぐ。落ち着いた水色のパジャマを着たいぐさは不気味なほど口調を変えず、能面のような表情で話を続ける。

 

「あらかじめビデオメッセージを撮っておいて、万が一の際にはそれを家族に見せてほしい。そういう彼にBさんはそんなに危険なら家族もいるんだから辞めたほうがいいと言いますが、クライミングをやめることだけは絶対に考えられないとAさんはきっぱり言いました。いかにも彼らしいなと思ったっBさんは渋々と撮影を引き受けます」

 

 ほとんど同じ外見のいまりとさよかが、うんうんと相槌を打つ。

 

「Aさんの家で撮影したら発覚してしまう恐れがあるので、Bさんの部屋で撮ることになりました。白い壁をバックに、ソファーに座ったAさんが喋り始めます。

 

『えーと、僕です。このビデオを見てるということは、僕は死んでしまったということになります。美知子、幸恵、今まで本当にありがとう。僕の勝手な趣味で、みんなに迷惑をかけて本当に申し訳ないと思っています。僕を育ててくれたお父さん、お母さん、それに友人のみんな、僕が死んで悲しんでるかもしれませんが、どうか悲しまないでください。僕は天国で楽しくやっています。皆さんと会えないことは残念ですが、天国から見守っています。幸恵、お父さんはずっとお空の上から見ています。だから泣かないで、笑って見送ってください。ではさようなら』

 

 もちろんこれを撮ったときAさんは生きていたわけですが、それから半年後本当に彼は死んでしまいました。クライミング中の滑落による事故死で、クライミング仲間によると通常、もし落ちた場合でも大丈夫なように下には安全マットを敷いて登るのですが、この時はその落下予想地点から大きく外れて落下したために事故を防ぎきれなかったのだそうです」

 

 行儀よく正座をしてピンと背筋を伸ばしたなでしこも、段々と雲行きが怪しくなってきた話に気を引き締める。その膝にはすっかりライフがゼロになったようこが顔を埋め、耳まで手で塞いでしまっていた。完全に怯えた姿は幼女と同じであるが、まだ話を聞こうとするともはねのほうが偉い。親友の情けない姿になでしこは人知れず溜息をついた。

 

「通夜、告別式ともに悲壮なものでした。泣き叫ぶAさんの奥さんと娘さん。Bさんも信じられない思いだでした。まさかあの彼が、と。

 一週間が過ぎたときに、友人は例のビデオをAさんの家族に見せることにしました。さすがに落ち着きを取り戻していたAさんの家族は「彼のメッセージビデオがあるなら是非見せて欲しい」と言って来たので、ちょうど初七日の法要があるときに親族の前で見せることになりました。BさんがDVDを取り出した時点で、すでに泣き始める親族。

「これも供養になりますから、是非見てあげてください」とDVDをセットし、再生します。

 ヴーという音とともに、真っ暗な画面が十秒ほど続く。あれ? 撮影に失敗していたのか? と思った瞬間、真っ暗な中に突然Bさんの姿が浮かび上がり、喋り始めました」

 

『えー、僕です。このビデオを……るということは、僕は……んでしまっ……いう……ります」

 

 いきなりどこからともなく聞こえてきた男性の声に少女たちがびくりと身を震わせた。苦笑していたせんだんも、小さくため息をついてようこの頭を撫でていたなでしこも驚いたように顔を上げ、辺りを見回す。

 

「映像は不鮮明でAさんの姿はブレていました。音声も途切れ途切れで、上手く聞き取れません」

 

『美知子、幸恵、今まで本……ありが……』

 

 再びはっきりと聞こえた男性の声。低い声音からして青年だろうか。いぐさを含めた少女たちはもちろん、彼女たちの主人である薫や啓太の声でもない。聞いたことのない類の声だ。この時点でたゆねはカチンコチンに固まり、いまりとさよかは怯えきった顔でしきりに周囲を見回している。せんだんとなでしこも何かを感じずにはいられないのか、一筋の汗が頬を伝った。ともはねはもはや泣きそうで、ようこに至っては失神寸前である。

 男性の声に混ざってヴーという雑音のようなものが聞こえる。砂嵐特有のザーっという音のように、どこか不快だ。

 

「さっきからずっと鳴り続けているヴーという雑音がひどくて声が聞き取りにくい。 そして――」

 

『僕を育ててくれたお父さん、お母さん、それに友人のみんな、僕が死んで悲しんでるかもしれませんが、どうか悲しまないでください。僕はズヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア幸恵、お父さん死んじゃっヴァアアアアアアアアアアアアア死にたくない! 死にズヴァアアアアアアアにたくないよおおおおヴヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!』

 

「ぴゃあああああ! ……あふん」

 

 鼓膜をつんざくばかりの絶叫。あまりの恐怖になでしこの膝に顔を埋めたようこが悲鳴を上げて失神。同じくともはねもブラックアウトし、う~んと唸って目を回していた。

 

「お粗末様でした」

 

 にこりと微笑んでいぐさが頭を下げた。パッと部屋の電気が付き、ガタゴトと音を立ててクローゼットが開く。

 

「……やっほー。我が七大宴会芸が一つ……声帯模写。どだった?」

 

 クローゼットから出てきたのは啓太だった。

 目を丸くして頭に糸くずを乗せたままクローゼットから出てくる啓太を眺める一同。なでしこも話を聞いていなかったようで驚いた顔を主に向けている。唯一、平常心なのはこの場に招いたいぐさだけだった。

 

「え、え? け、啓太様? なぜここに……?」

 

 予想外の人物の登場に普段は冷静沈着なせんだんが珍しく動揺している。

 リーダーの言葉にうんうんと頷くたゆねたち。クローゼットから出た啓太は大きく伸びをして凝った筋肉を解し始めた。前屈をするとパキパキッと音が鳴る。

 軽くストレッチをしながらいつもの無表情で口を開く。

 

「……ん? 遊びに来た。薫仕事でいない。留守組は怪談話してるって、いぐさに聞いた。仲間に入れるべし」

 

「はぁ、それは構いませんが……いぐさ?」

 

 怪訝な目をいぐさに向ける。恐らく部屋に通したのは彼女だろう。男性恐怖症のいぐさは啓太に対しても苦手意識を持っているはずだが、一体どういう心境の変化だろうか。

 そんなせんだんの疑問を感じ取ったのか、少し照れたような笑顔を浮かべる。

 

「その、以前啓太様たちが泊りに来た時があったでしょ。あの時啓太様に助けてもらって以来、啓太様なら大丈夫みたいなの」

 

「そうなの?」

 

「ええ。まだちょっと恥ずかしいけど……」

 

 さすがに気恥ずかしいのか赤くした顔を俯けるいぐさ。

 以前、薫が仕事の都合で家を空けることがあり、その間の犬神たちの面倒を頼まれたことがあった。そのため薫邸に一泊することになった啓太たちなのだが、そこでちょっとしたトラブルがあり、いぐさを庇って啓太が負傷する事態となった。あれが切っ掛けで彼女の苦手意識が改善されたのだろう。

 彼女の変化にせんだんも「そう」と優しい顔で頷いた。

 

「……」

 

「んん~……?」

 

 その一方でピクッと反応を示したのが、啓太の犬神であるなでしことようこだった。

 一瞬片眉を跳ね上げるもいぐさの様子からどのような感情を啓太に向けているのか、その内面を推し量ったところ"恋心ではなさそうだがこの先どうなるか分からないため油断は出来ない"といった結論に達し、結果様子を見ることにしたなでしこ。

 一方で主の気配に目を覚ましたようこも"もしかして恋敵になるかも?"と一瞬警戒するが"いや、単にあれは免疫のなかった男を急に意識したからね"と野生の勘で看破し納得した。恋する乙女は常にレーダーを張り巡らせているのだった。

 

 

 

 1

 

 

 

「ともはねはもう寝た?」

 

 何故俺がここにいるのか全員が理解を示してから数分。せんだんの言葉に双子が頷いた。

 

「寝たというか」

 

「結局目を覚まさないというか」

 

「とりあえず朝まで起きてはこないと思うよ」

 

 あの怪談は俺が知る話の中でもかなりブルッとくるもので、以前ネットで都市伝説を調べていた時に偶然見つけたものを紹介させてもらった。ともはねが気を失ったのは予想外だが。ちょっと刺激が強すぎたかな?

 仕事の都合で家を空けると薫から聞いたため、お留守番をしているせんだんたちの顔を見るため遊びにやってきた。ちなみに泊まり掛けで遊びにやって来ているなでしこやようこにも俺の訪問する旨は伝えていなかったりする。

 

 ――しかし、いぐさが自分から話しかけてきた上、俺に協力を持ちかけてくるとは思わなかったな。

 

 いぐさとは薫邸に到着したと同時にばったりと鉢合わせてしまった。遊びに来たことを伝えると、緊張した表情を浮かべながら話しかけてきたのだ。これから皆で怪談話をする予定であり、自分にはそういったネタがないため何か良い話はないか、と。 男性恐怖症のいぐさが自分から距離を縮めようとしてくれるその姿勢に感激した俺はそれならと、とっておきのネタを提供すると同時に仕掛けにも協力したのだった。

 

 ――七大宴会芸が一つ声帯模写。声帯も筋肉である以上、操るなんぞちょちょいのちょいだぜ。

 

 脳神経や分泌物質を操作することに比べれば筋肉をコントロールするのは難易度的に易しい。今の俺は自分の意志で動かせる随意筋や、そうでない不随意筋を含めすべての筋肉をコントロールすることが出来る。声帯もコントロールできるため高い声から低い声まで自由自在。立派な宴会芸へと昇華してみせたのだった。

 ともはねが気絶したのは予想外だったが、反応は上々だしよかったよかった。

 

「どうぞ」

 

「ありがと……」

 

 いそいそとなでしこの隣まで移動した俺にティーカップを渡してくれるせんだん。むっ、この味はアッサムか。少し喉を使ったからありがたいね。うまうま。

 

「そーだ! お子様も寝たことだしさ、これからはアダルトな怪談大会にしない? アダルトによるアダルトな怖さでさ」

 

「お、いいねいいねぇ」

 

 いまりの言葉にさよかが諸手を上げて賛成を示す。その言葉に真っ先に反応を示したのがたゆねだった。

 

「く、くだらないよそんなの!」

 

 かちゃっ、とティーカップを鳴らし叫ぶたゆね。上擦った声がその心境を如実に表しており、一目で「あ、怖い系ダメなんやな」と察することができる。なでしこの膝上から俺の背後に移動して抱き着いてきたうちのようこも、プルプルと身体が震えていた。

 

「おやぁ? もしかして怖いのかね、たゆねくん?」

 

「こ、怖いわけないだろ!? そもそもボクたち犬神が怪談なんてやってどうするんだって言いたいだけだよ、ボクは! わは、わはははは!」

 

 格好の獲物を前にした詐欺師のような顔でにやにやと笑いだす双子。適当に流せばいいものを、勝気な性格からかその言葉に乗っかってしまった。

 悪戯っ子のような微笑みを浮かべたせんだんが追い打ちを仕掛ける。

 

「怪異を知るのもある意味、私たちのお勉強だと思うわ。怖くないのなら、このまま話を続けましょうか」

 

「えっ!?」

 

「怖くないんでしょう? ならいいじゃない。それとも、本当は怖がりだったりして」

 

 せんだんの挑発的な言葉に、むっと抗議口調になるたゆね。

 

「ぼ、ボクは別に怖がりじゃないもん! 必要ないだけだもん!」

 

 せんだんはそれを華麗に無視して微笑んだ。

 

「出たら出たで始めましょうか」

 

 リーダがそうと決まれば自然と話はそちらの方向で進んで行く。反対していたたゆねも渋々と従い、群れの上下関係を垣間見た気がした。

 

「じゃあ、次は誰が話す?」

 

 わくわくした様子でいまりが一同を見回した。たゆねがただ一人「く、くだらない! くだらないから是非やめよう!」と言い続けていたが、誰も気に掛ける様子はなかった。

 怪談話のメインキャストに抜擢されてもおかしくない存在が、怖い話をするというこの状況。うーん、なんだろう。普通に考えてカオスだなぁ。

 

「じゃあ折角ですので、ここは啓太様にお手本を示して頂きましょうか」

 

「いいですね。私もそういったお話を聞いたことがないので楽しみです♪」

 

 せんだんの提案になでしこが手を合わせて微笑む。確かにあまりそういう話ってしないね。基本的には学校や仕事、世間話程度の話ばかりだし。

 よーし、それなら俺が経験してきた中で一番怖い話を披露しようではないか!

 

「――フッ、無知は怖い。俺を指名するなんて……。腰抜かしても知らない」

 

 声のトーンを落としてそう脅すと、各々味のある反応が返ってきた。ギュっとクッションを抱きかかえるいぐさに、「く、くだらないから別にいいのに」と言いつつもそそくさとせんだんの影に隠れるたゆね。

 正座をしたいまりとさよかの双子は目を輝かせて身を乗り出し、リーダーであるせんだんは背筋を伸ばして毅然とした表情を見せる。

 対してうちの犬神だが。俺がどんな話をするのか興味津々なのだろう、わくわくした顔でお行儀よく正座したなでしこ。そしてホラー系全般が苦手なようこは俺に圧し掛かるように体重を預けながら、両手で耳を塞いでいた。

 ようこはともかくとして、年長組は落ち着いてますね。しかし、その余裕、果たしていつまで持つかな?

 

「これから話すのは、とてもショッキングな体験談。今まで経験してきた中でも、とびっきり……ね」

 

 こう見えて俺もそこそこ非日常的な経験を味わって来たからな。それなりに引き出しはあるが、今回は特別にとっておきを出しちゃうぜ?

 一呼吸置き、重い口を開く。何を語るのかと、皆が固唾を呑んだ。

 

 

 

 2

 

 

 

 今でもよく覚えている。あれは俺が中二の頃の夏の話だ。

 その日の夜、俺は不気味な夢を見たんだ。

 一人、薄暗い駅のホームに立っていた俺。人気はなく、駅員すらもいない完全の無人駅。そんな無人駅のホームで佇みながら列車を待っていた。

 夢を見ている自覚が不思議とあり、気味の悪い夢だなと思った。普段俺が見る夢はファンタジー溢れるものばかりで、剣や魔法が飛び交う漫画のような世界が多い。夢の内容を忘れることが多いが、覚えているものは大抵そんなのばかりだった。えっ、子供っぽい? うっさい、ほっとけ!

 

 手持ち無沙汰のまま突っ立っていると、やけに精気のない男の声がアナウンスで流れた。何分ほど待っていたのか分からないが、そんなに経っていなかったと思う。

 

『まもなく、列車が参りまぁす。その列車に乗るとあなたは、怖い目に遇いますよぉぉ』

 

 間延びした声が耳についた。さすが夢の中。普通なら業務でこんな喋り方したら一発でアウトだ。第一怖い目ってなんだよ。さすが夢の中。

 突っ込みどころ満載のアナウンスに心の中でツッコミを入れていると、プルルルル――と電車の到着を知らせるベルが鳴り、まもなくして列車が到着した。

 

 ――なんだこれ? 猿の電車?

 

 やって来た列車は遊園地などにある猿の電車だった。二人掛けの席が三つ列を成して並んでいて、それぞれ男女が座っている。

 妙に気になったのはその席に座っている人たちだ。全員やけに精気がなく顔色が悪い。しかも血色の悪い顔は妙に虚ろだった。

 

 ――とりあえず乗るか。

 

 気になることはあるものの、とりあえず乗車する。乗らないという不思議と頭になかった。

 開いている席が最前列の一列目しかなかったため、そこに座る。お隣は黒髪の二十代の女性でこれまた例に漏れず精気のない顔。なにもない宙をボーっと眺めている。

 目の前では車掌帽を頭に乗せた猿が列車を運転している。後ろ姿しか見えないが、その出で立ちは芸を仕込まれた猿そのもの。

 辺りには生暖かい空気が流れていて、夢の中だというのに臨場感があり妙にリアルだった。

 

『それでは出発しまぁす』

 

 ゆるやかに発進した列車。どこへ向かうのか、そこに何があるのか。俺の夢である以上、自身の想像力が試される。不安と期待を胸にドキドキしながら座席に深く腰掛けた。

 ホームを出た列車は徐々に速度を上げて薄暗い闇の中を突き進んでいく。辺りを見回しても視界が利かないほど暗く、到底景色なんて見れない。

 どんな景色が待っているかなとワクワクしていたため拍子抜けした思いだった。

 

『次はぁ、いけづくり駅ぃ。いけづくり駅ぃ』

 

 ――いけづくり駅? そんな駅名あったか?

 

 記憶にない駅名がアナウンスで流れ、首を傾げる。いけづくり……池作り?

 不意に後ろからけたたましい悲鳴が聞こえてきた。

 振り返ると最後尾に座っていた男性に子猿が群がっていた。四匹ほどの子猿は皆血まみれで、包丁を手にしている。

 男は猿に包丁で切り付けられていた。おびただしい量の血を流し絶叫する男。耳が痛くなるほどの大声を上げる男の体を猿たちは「キキッ」と捌いていく。さらには切口に手を突っ込み、腸などの内臓を取り出していく猿たち。床には血まみれの臓器や肉片が散らばり、大量の血が飛び散って辺りが悲惨なことになっていた。

 

 ――えええええ! いけづくりって、そっちぃぃ~!?

 

 魚のほうの活け造りかよ! ていうかこの夢ってホラー系!? 寝る前にみんなで『世にも奇妙なストーリー』を見たからか!?

 まさかのホラーっていうね。ホラー系の夢はあまり見ないからびっくりだよ。しかもグロ系のだし……。いやグロ大丈夫だけど。

 すぐ傍で斬殺事件が起きたというのに他の乗客は見向きもしない。男の隣に座る長い髪の女性もボケ~と宙を見ているだけだ。自分の隣で血塗れ事件が起きたというのになんという無関心っぷり。さすが夢の中!

 

 ――あれ、いねえ! どこ行った、あの活け造り!

 

 ふと気が付くと活け造りにされたあの男は綺麗さっぱりいなくなっていた。初めから乗っていなかったとでもいうように。

 しかし、その席の上には肉の欠片のような物体が残されており、活け造りにされた男――活け男が確かにそこに座っていたのと物語っていた。

 気を取り直して座り直す俺。するとまた――。

 

『次はぁ、えぐりだし駅ぃ。えぐりだし駅ぃ』

 

 ――おっ、これは分かるぞ。抉り出しってことだな。……なにを?

 

 今度のターゲットは活け男の隣に座っている女性のようだ。虚ろな目で宙を眺めている女性の傍らに二匹の子猿が現れた。子猿の手には先端がギザギザ状に尖ったスプーンが。

 えっ、まさか……と思うも束の間。予想通り子猿たちはそのスプーンを女性の目に突き刺し、抉り始めたのだった!

 

『ギャアアアアアアアアアアア――――ッッ!!』

 

 それまで無表情ともいえる虚ろな表情だった顔が壮絶な形相に変貌する。眼球を抉られる痛みというのがどれほどのものなのか分からないが、想像するだけで痛々しく、見るだけで鳥肌が立つ。まさしく想像を絶する凄まじい痛みに違いない。

 喉を潰さんばかりに悲鳴を上げる女性。この人も活け男と同じくされるがままで、逃げようとしない。もしかしたら逃れられないという設定なのかもしれない。それだと俺もちょっと危ないかも……。

 両の眼球を抉られ、その眼窩が露になった。ぽっかりと空いた穴からはドバドバと血が流れている。

 汗と血の匂いが嫌に鼻につく。俺の夢はとうとう臭いまで感じ取るようになったのか!

 

 ――ていうか、眼球の抉り出しって……自分の夢だけどえぐいな……。

 

 自分のことながらそんな思いに駆られる中、ふと意識が引っ張られるような感覚がやってきた。

 これは今まさに覚醒しようとしている合図。今までも何度か同じ経験をしてきたため、すっかり意識が覚醒する感覚というのを覚えてしまったのだ。なんというか、針の糸で意識をヒョイっと引っ張り上げられるようなイメージかな。

 その予想は正しく、目を覚ました俺。あの不気味な夢は不思議と鮮明に脳に焼き付いていたのを覚えている。あの耳をつんざくような絶叫や血と汗の臭いを今でも思い出せるほどだ。

 その時の俺は珍しくホラー系の夢を見たな程度の印象で思うところはなく、特に気に留めず学校へ向かった。

 しかし、この夢がこれまで見た来たものとは毛色が違うということをその夜、知ることになる。

 

「速報です、ニュースをお伝えします。先ほど○○駅近辺の路上で三十代の男性が突然倒れ、心肺停止状態となりました。近くの病院へ緊急搬送されましたが、その後死亡が確認されました。死因は心不全とのことです。亡くなられた男性に持病はなく、現在病理解剖にて死因を調べているところです」

 

 夜のニュースで流れた一方。心不全で突然男性が亡くなったというニュースで、普段ならこういうこともあるんだな程度であまり気にかけることはないのだが、テレビ画面に表示された男性の顔写真を見て思わず声を上げていた。

 テレビに写っている顔写真の男性は、あの夢で活け造りとなった男――活け男その人だったのだから。

 

 ――偶然の一致? それとも……。

 

 嫌な想像を振り払い、その時は偶然の一致だと思い込んだ。きっとどこかで見たことがあったのかもしれない。知らないうちにすれ違っていたとか。

 少し釈然としないがそう結論付けたが、しかしその翌日。朝のニュースでのことだった。

 早朝に似つかわしくない訃報の知らせ。昨夜のニュースと同じく、一般会社員の女性が原因不明の心不全で亡くなったらしい。しかもその女性と言うのが、あの夢で目玉を抉られた女の人と同じ顔だった。

 こんな偶然が二度も起きるものだろうか。何かしらの怪異が絡んでいると思うが生憎心当たりはない。ものすっっごく気になるが、現状どうしようもないからしばらく様子見することにした。

 それから一週間が過ぎ、特に何事もなく日常を送っていたある日のこと。

 

 ――あれ? この夢って確か……。

 

 床に就いた俺は気が付いたらあの猿の列車に乗っていた。前回座っていた席と同じ最前列。隣に座る女性も昨日と同じ黒髪の二十代女性。相変わらずボーっと宙を眺めている。

 最後尾の席には虚ろな目をした女性が座っていて、その隣の空席はおびただしい量の血痕がこびり付き、肉の欠片のようなものが散らばっていた。

 

 ――確か前の夢だとこの女の人、眼球を抉り出されてたよな。現実でも心不全で亡くなってたし。ていうことはこの夢とは特に関係ないのか? でもあの顔写真とめっちゃ似てるんだけど……双子?

 

 てっきりこの夢が関わる怪異だと思っていた。当てが外れて若干肩透かしを食らった気分だ。

 

『次はぁ、えぐりだし駅ぃ。えぐりだし駅ぃ』

 

 ――あ、そっちのパターンっすか。

 

 聞き覚えのあるアナウンスが流れる。なんとなく状況が読めてきた。

 これはそういうことだろう、と確信に近い予想を胸に振り返ってみると。

 

『ギャアアアアアアアアアアア――――ッッ!!』

 

 やはりというべきか。二匹の子猿がギザギザのスプーンを手に、最後列に座る女性の目を抉り出していた。昨夜見た夢をリプレイしているかのようだ。何度見てもエグイ光景である。

 

 ――ていうことは、今回は夢の続きからってことか?

 

 おそらくこれは怪異だろう。夢の中で無残に殺されると現実世界の自分に何かしらの方法でフィードバック。その結果、心不全という形で表れるのだと思う。

 試しに立ち上がろうとするが、俺の体はビクとも動かない。自由は完全に奪われているパターンの夢ね……。

 俺が座っている席は最前列。後ろには二人の男女が座っているから、俺に回ってくるまで時間的猶予はまだある。しかしそれも少しで悠長にしていられる時間でもない。

 体は動かないし、さてどうしようと頭を回転させていると例のアナウンスが流れた。

 

『次はぁ、ひきにく駅ぃ。ひきにく駅ぃ』

 

 次のターゲットは俺の真後ろの女性だった。再び登場した子猿たちは大掛かりの機械を運び込んできた。

 それはヒト一人くらいはスッポリ入れてしまう巨大なミンチ機だ。子猿の一匹が電源を入れると、ドゥルルルル――と唸りを上げて内部の刃が回転し始める。

 ボーっと身じろぎ一つしない女性に十匹以上の子猿が群がり、胴上げするようにその体を持ち上げた。

 

『ウキッ、ウキッ!』

 

『イギャアアアアァァァァァァァ~~~~ッ!!』

 

 そして女性を頭からミンチ機に突っ込んだ。バタつき暴れるその体を子猿たちが抑え込む。ブシャアアアッと血しぶきが飛び、無情にもミンチ機は

女性をどんどん呑み込んでいった。

 ニュルニュル、とミンチ状の肉となって出てくる。むせ返るほどの濃い血の臭いが辺りに漂う。たったの十秒ほどで女性はミンチ肉へと変貌してしまった。

 

 ――さすがにこれはグロすぎる……。

 

 グロ耐性がある俺も人間がミンチになる光景を生で見るのはキツかった。吐いたりはしないけど、それでも精神的にくるものがある。

 それからも淡々と子猿たちの処刑は進んでいく。

【まるやき駅】で豚の丸焼きのように股下から串刺しになり、全身を火で炙られてこんがり丸焼きになった男性。

【おどりくい駅】で巨大な猿に丸のみされた隣に座っていた女性。今までの名からこれが一番マシな死に方じゃないか?

 そして、とうとう残るは俺だけになってしまった。濃い血の臭いに包まれた猿の列車はスピードを落とさず暗闇の中を突き進んでいく。

 この先は一体どこに繫がっているのだろうか。一体、どんな凄惨な【駅】が俺を待ち受けているんだ……。

 

 

 

 3

 

 

 

 そこで一旦話を止め、おかわりの紅茶で喉を潤す。

 予想を超えたグロ話に乙女たちはすっかり血の気が引いて顔をしていた。たゆねに至っては最初の活け造りで意識を手放し、ようこは勝手にせんだんの布団に入り込んで籠城している。

 話を聞いていて不安になったのか、なでしこがしきりに俺の体を触ってきた。幽霊かどうか確かめているらしい。

 ……ちょっとやり過ぎたか?

 

「そ、それで、どうなったんですか……?」

 

 皆を代表してせんだんが聞いてくる。いぐさ、いまりとさよか、なでしこ、布団からちょこっとだけ顔を出したようこの視線が集中する。

 全員の視線を一心に受け止め、口を開いた。

 

「ん……? 別になにも……俺、夢の中、無敵」

 

 群がる子猿をなぎ倒し、車掌の猿を手刀で真っ二つにしてやったZE!

 ごつん、と皆が一斉に額を床に打ち付けた。

 

 

 

【おまけ】

 

 

 

 とうとう俺だけになった。車掌がアナウンスを入れる。

 一体、どんな【駅】が待ち受けているんだ……!

 

『次はぁ、やつざきのけい駅ぃ。やつざきのけい駅ぃ』

 

 これまで暗闇の中を突き進んでいた列車が初めて止まった。

 止まった先には開けた空間が広がっており、そこには何故か四頭の馬が待機していた。

 どこからともなく現れた子猿たちに体を持ち上げられ、馬たちが居る場所まで運ばれていく。よく見れば馬には馬具のようなものが取り付けられていた。

 子猿たちが俺の手足を馬具に備え付けられたロープのようなもので結びつけ固定していく。ここに来てようやく、何をしようとしているのか理解した。

 

 ――八つ裂きの刑って、処刑の方か!

 

 確か四肢を馬や牛に結びつけ、それらを異なる方向に走らせて引き裂く、死刑の執行方法の一つだ。

 

 ――やばいやばいやばいやばい! このままだと俺も他の人たちのように殺される! 動け俺の体ぁぁぁっ!!

 

 手足を動かそうとするがうんともすんとも言わない。やはり体の自由は奪われているようだ。こんな訳の分からない怪異で殺されるなんて冗談じゃないぞ!

 

 ――くそっ、これがいつもの夢だったら……ん? 夢?

 

 そこで俺は気が付いた。怪異が介入しているとはいえあくまでもこれは夢。ならば、いつも見ている夢の中のようにいけるんじゃないか?

 もう時間がない。このまま何もしないより一か八か、あがいてみるか……!

 

 ――思い出せ、夢の中の俺を。あの絶対的な力を……! 夢の俺は最強! 無敵! 超人! 絶対王者! どんな敵もなぎ倒しあらゆる障害をぶっ壊して進む! 訳の分からん怪異に殺られる俺じゃないわああああああッ!!

 

 子猿が鞭を打ち馬に合図を送ると、それぞれが別方向へ駆け出す。俺の手足を引き裂くため、馬たちは嘶きながら力強く地面を蹴る。

 ロープがピンと張り俺は――。

 

「ぬうううう~~ん! ぬるいはボケェエエエエエ!」

 

 気合いで金縛りを解き、両手両足を力尽くで引き寄せる。力負けした馬たちはトラックに激突したかのような勢いで引っ張られ、空中で衝突し合った。

 ウキウキ、騒ぐ子猿たち。うるさいので目からビームを放ち消し炭にしてやったぜ。

 それからというもの、車掌猿は何故か【アイアンメイデン】【ファラリスの雄牛】【ギロチン】といった拷問および処刑系オンリーで攻めてきた。無敵の俺はもちろん真っ向から受けて立った。

 

【ファラリスの雄牛】は古代ギリシャで行われた処刑法の一つであり、中が空洞の真鍮で作られた雄牛の像を使う。胴体には人間を中に入れるための扉がついて、雄牛の中に閉じ込められ、牛の腹の下で火が焚かれる。真鍮は黄金色になるまで熱せられ、中の人間を炙り殺す処刑法だ。この雄牛の頭部は複雑な筒と栓からなっており、苦悶する犠牲者の叫び声が、仕掛けを通して本物の牛のうなり声のような音へと変調されるらしい。

 しかし、無敵な俺にとってはサウナ程度の熱しか感じないね。いつまで経っても開けてくれないから中から蹴破って脱出した。

 

 鉄の処女を意味する【アイアンメイデン】は中世ヨーロッパで刑罰や拷問に用いられたとされる拷問具だ。現在は「空想上の拷問具の再現」とする説が強いらしい。文献によると現存するものは釘の長さが様々で、生存空間はほとんどないようなものから、身体を動かせば刺し傷で済みそうなものまであったそうだ。ここで登場した【アイアンメイデン】は扉を閉めると針で空間が埋まり、到底生き延びることは不可能なタイプだった。まあ無敵な俺には関係ないが。

「フンッ!」と体を締め上げて全身を筋肉の鎧と化してしまえば、扉を閉めて串刺しにしようとしても針が刺さらない。それでも力尽くで閉めると、針がぐにゃっと曲がってしまうという結果に終わったのだった。フッ、軟弱な……。

 

【ギロチン】も【アイアンメイデン】並みに有名な処刑法の一つ。断頭されることから恐怖のイメージが定着しているがその実、極力苦痛を与えないことから人道的な処刑法とも言われている。事実【ギロチン】はフランス革命において受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用されたらしい。

 刃の落下距離が二・二五メートル、刃や重り、ボルトの重みを合わせた合計四十キロのギロチンの刃。これが囚人の首に到達するときの速度は、摩擦は無視するとしても秒速六・五メートルとなる。確かにそれなら痛みを味わう間もなくあの世に逝けるだろう。

 そして、巨大な刃が落下の勢いに乗ってその首を落とすだが、無敵である俺を断頭するには気合が足りないな。刃が皮膚に少し食い込んだ程度で血も流さない結果となった。

 

 このように出されたすべてのお題を真正面からクリアしていった俺に呆れたのか、車掌猿は『こんなファンキーな客、初めてですよぉ。ちょっと付き合い切れませんねぇ』と言い残し、俺を適当な場所に下して列車とともにどこかへ去って行ったのだった。

 

 ――まあ、それで終わらせるわけがないけどネ! もちろん追いかけて、ボッコボコにぶち殺してやりましたとも。

 

 





 ネットの怖い話をアレンジしたものをお送りしました。後半は猿夢です。
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