いぬがみっ!   作:ポチ&タマ

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 三話目。


第五十五話「命を狙う影」

 

 

 突然始まった訳の判らない戦い。意味不明な超展開に置いてきぼりを食らった俺は、まともにセバスチャンのボディプレスを受けてしまった。

 

「うぶっ……!?」

 

 赤銅色をした鋼のような肉体に下敷きになる。跳躍してのボディプレスだから、かなりの衝撃だ。

 家全体が大きく揺れる。ようこたちの悲鳴が聞こえた。

 

「啓太様!?」

 

「ケイタっ!」

 

 立ち上がったセバスチャンはうつ伏せのままでいる俺の襟を掴み持ち上げると、へその辺りでガッチリと腕を組む。

 そして、とてつもない重力が一気に頭部に加わり。

 

「そいやっ!」

 

 ジャーマンスープレックスを叩き込まれた。

 あまりの威力に畳がくの字に折れる。

 咄嗟に両手で頭部を守ったが、衝撃までは逃しきれなかった。

 

「この……! ケイタになにするのよっ!」

 

「待って」

 

 前に出ようとしたようこを新堂ケイが制する。

 その目は真剣でジッと俺たちの一方的な戦いを見据えていた。

 

「これはテストなの」

 

「テスト、ですか?」

 

 訝しげな顔で問うなでしこ。

 そう、と頷き新堂ケイは言葉を続けた。

 

「最低限の実力があるのか見定める、テストなのよ」

 

 ふーん、へー、ほー。

 テストねぇ。まあ依頼をする側にしたらちゃんと実力を備えているのか不安になるのはわかるし、テスト自体は問題はない。

 問題なのは――。

 

「……唐突すぎるッ!」

 

 セバスチャンが俺の頭を掴み持ち上げようとする。その隙をついて足で手を払うと、全身をバネのように使い一気に跳躍した。

 空中で体を捻りながら体勢を整え、セバスチャンの首の上に着地する。丁度、肩車の前後逆バージョンだ。

 

「むっ!」

 

「うそ、跳んだ!?」

 

 セバスチャンと新堂ケイの驚いた声。

 身体強化をしてるからこのくらいの跳躍は余裕余裕。

 両肩の上に正面から座った俺は太ももでセバスチャンの顔を固定。そのまま思いっきり後方へ体を倒し、セバスチャンを投げた。

 メキシカンプロレスの技の一つで、ウルカン・ラナ・インベルティダという。本来なら相手を投げることで姿勢を入れ替え、マウントポジションを取るのだが、俺のは特別性だ。

 強化した脚力を遺憾なく発揮し、畳に思いっきり叩きつけた。あまりの衝撃に先ほどの俺のように畳を折って顔を埋没させた。

 

「ああ……! 折角綺麗にしたのに~!」

 

「……」

 

 ようこの悲鳴が聞こえる。安心しろ、すぐ終わらせるから。

 しかし、プロレス技は始めて使ったけど爽快だな! いきなりプロレス技で来たから俺もつい応戦しちゃったぜ。

 ダメージはそんなにないのだろう。

 すぐに起き上がったセバスチャンは好戦的な笑みを浮かべていた。

 

「驚きましたな。まさかインベルティダを使ってくるとは。川平さんもプロレスを齧っていたので?」

 

「まさか。ちょっとした真似事」

 

「それは末恐ろしいですな。川平さんでしたらこの業界でもやっていけるでしょうに」

 

「その予定はない」

 

 お互いに構えを取りながらじりじり間合いを詰めていく。

 そして――。

 

「んぶっ!?」

 

「ぶぺっ!」

 

 無言で立ち上がったなでしこが木製の椅子を片手で持ち上げると、ニコニコと笑顔のままで振り下ろしてきた。

 場外乱闘の際にパイプ椅子で攻撃するプロレスラーのように、俺とセバスチャンを交互に、そして無言の笑顔で椅子を叩きつけてくる。

 

「な、なでしこ……! ごめん、ごめんなさい! 謝るから、許して……!」

 

「すみませぬ、少々調子に乗りすぎました! 怒りをお収めくだされ!」

 

 なでしこが手を上げてくるなんて相当お怒りの証拠だ。

 俺たちは先ほどの戦いなんてなかったかのように一緒になって一心で謝罪を続けた。

 

 

 

 1

 

 

 

 なでしこがここまで怒りを覚えるのにはもちろん訳がある。

 それは新堂ケイとセバスチャンが自分の主、川平啓太の許を訪れに来る二時間近く前のこと。

 啓太が出かけてくると言って家を後にした時にまで遡る。

 

「よーし! お掃除タイムね!」

 

 主を見送ったようこは袖を捲くりながら、ふんすと気合を入れた。

 

「なでしこは見ててね」

 

「はい。厳しくチェックしていきますからね」

 

「上等よ!」

 

 啓太の犬神として日々、なでしこから料理や洗濯、掃除など家事を教わっていた。

 まだまだ拙く、料理などは食卓に並べられるほどの出来ではないが、なでしこの的確なアドバイスもあり、確かに腕を上達させている。

 最近ではなでしこと一緒に家事を分担して任されるほどにまで成長した。

 今日は掃除のテスト。ようこ一人で全室の掃除を行い、なでしこに採点してもらう実力テストだ。

 

「くふふふ、それじゃ~」

 

 クルッと回ったようこが腰に差したハタキを刀のように抜き、天に掲げた。

 にっと微笑む。

 

「お掃除かいし♪」

 

 ふんふ~ん♪ と大河ドラマのオープニング曲を鼻歌で歌いながら、ハタキをタクトのように振るい埃を落としていく。

 クルッとダンサーのように華麗なターン。スカートがふわっと広がった。

 ぱっぱっと見る間に辺りのゴミや埃、チリなどが掻き消え、音を立てて隅のほうに置かれたゴミ箱の中へ落ちていく。

 

「ふんふんふん~♪」

 

 しゅくちを扱える彼女ならではの掃除方法。

 ようこは実に楽しそうに掃除をしていき、見る間に部屋の中を綺麗にしていく。

 ゴミ袋を縛り、魔法を掛ける魔法使いのように指を一振り。

 

「しゅくち♪」

 

 アパートの近くにあるゴミ置き場へ直接転移。

 続いて新体操選手のようにホップ・ステップ・ジャンプで移動しながら落ちていたタオルを拾い上げ、前転。てきぱきと綺麗にタオルを折りたたみ収納場所へしゅくち。

 布団のシーツを転がり自身の体に巻きつけていく。そして、そのシーツを洗濯機の中へ投げ捨て、代えのシーツを張り替える。四つん這いになりながら妙に官能的な手つきでシーツを伸ばし、唐突に猫のポーズ。

 

「にゃーん♪」

 

 うきうきと踊るような足取りで本棚に移動すると、本をきっちりサイズ別に並べた。

 そして、花瓶に一輪の向日葵を刺し、ぱちんっと指を鳴らした。

 

「お掃除終了♪」

 

 なでしこの行き届いた管理のおかげでそこまで散らかっていたわけではないが、電球の裏やエアコンの上など、埃が溜まりやすい場所が綺麗に掃除されている。

 啓太の犬神になった当初は家事はなでしこの仕事と言わんばかりに散らかしていた張本人とは思えない仕事ぶりだ。

 しかし、家事のスペシャリストなでしこの目つきは厳しい。

 事件現場に残された証拠を探す鑑識官のように鋭い視線で部屋中の隅々まで調べていく。

 そして、一通り見終わると、優しい声で七十点と伝えた。

 

「七十点かぁー」

 

「掃除も上手になってきましたね。でも、細かなところの埃や塵まで取りきれていませよ。こういうところまで出来れば百点ですね」

 

 なでしこが指摘した通り、ようこの掃除は目に見える範囲の埃や塵だけ取り、窓枠やふすまの僅かな溝など細かなところが疎かになっていた。

 見逃しやすいところを一つ一つ指摘しながら手にした雑巾で綺麗にふき取っていく。

 

「まだまだ教えることが一杯ありますからね。これからも一緒に頑張りましょう」

 

「もちろん。早く一人前になってやるんだから!」

 

「その意気ですよ、ようこさん」

 

 啓太が返ってくるまでまだ一時間半以上ある。洗濯物はすでに済ませてあり、夕飯の支度にはまだ早い。

 ようこが戸棚からお茶菓子の煎餅を持ってくると丸テーブルの上に置き、なでしこが二人分のお茶をこぽこぽ淹れた。

 はむっ、としょうゆ味の煎餅を幸せそうに口に咥え、どろんと尻尾を出すようこ。なでしこもリラックスした様子で尻尾を出し、お茶を飲む。

 ポチッとリモコンの電源を押すと、丁度ニュース番組がやっていた。二人はまるで一仕事を終えた主婦のようにテレビを見る。

 ニュースでは最近になって不倫が発覚した国会議員が国会の場で追及されている映像が流れていた。

 デブと言っても差し支えのない太った議員が執拗に追及され、脂汗を垂らしている。しきりにハンカチで額の汗を拭いているのが印象的だ。

 

『それでは、大住議員はあくまでも不倫ではないと仰るのですね?』

 

『そうです。何度も申しましている通り、これはくだらない三流マスコミの不当な憶測に基づく噂に過ぎず、私は潔白です』

 

 あくまでも白を切る議員にようこは眉を顰めた。

 ぱりっと煎餅を噛み砕く小気味良い音が鳴る。

 

「まあ、悪い男ね!」

 

 隣のなでしこも小さく憤慨する。

 

「ですね。隣に寄り添うお方がいらっしゃるのに不貞を働くなんて不誠実です」

 

「だよねー。男の人ってみーんな浮気よくするって聞くけど、女からしてみればたまったものじゃないわよねぇ」

 

 胡乱な眼差しで弁明を続ける議員を見ながら、不意にようこがこんなことを聞いてきた。

 

「ねえねえ、もしもの話だけど。もし、ケイタが浮気したら……アンタどうする?」

 

「啓太様が浮気、ですか?」

 

 きょとんとした顔のなでしこ。普段の啓太を知るなでしこは彼が浮気をしているところを想像できないでいた。

 そもそも浮気というからには、本命の相手がちゃんといるわけで。こんなことを聞いてくるということは、その相手が自分というわけで。

 啓太の後ろを楚々と歩く自分を想像しまい思わず顔を赤くする。敏感になでしこの変化を感じ取ったようこがジト目を送った。

 

「ちょっとなに考えてんのよスケベ」

 

「す、スケ……っ! そんなんじゃありませんっ」

 

「ふーん? まあいいけど。で、どうなの? やっぱりなでしこでも許せない?」

 

「そうですねー……。もちろん怒ると思いますし悲しいですけど、やっぱりなんだかんだ最後は許しちゃうと思います」

 

 困った顔でそう言うなでしこ。

 へー、感心した顔のようこが続けて質問する。

 

「じゃあ、それでも浮気されたら? 一度や二度じゃなくて何度も何回も」

 

「そんな事態はあまり考えたくはないですけど……。それでもその人のことを本当に愛しているなら、やっぱり許しちゃうと思います。何度も不貞を働くということは私自身に何か問題があるのかもしれませんし。なので、自分を磨いて実力で奪い返しますね」

 

 そう困ったような顔で微笑む。同僚の意外な言葉にようこは目を丸くした。

 淑やかで、大和撫子を地でいく彼女から「実力で奪い返す」なんて発言を聞くとは思ってもみなかったからだ。

 それを聞いたようこは、にっと笑った。

 

「わたしもだよ。自分の男を取られて大人しく引き下がれないもん」

 

 テレビでは不倫を働いた議員が動かぬ証拠を突きつけられ、窮地に追いやられていた。

 ほんわかした空気が流れる中、チャイムが鳴る。

 

「あら? 誰かしら?」

 

 なでしこが玄関に向かった。

 扉を開いた先にいたのは、タキシードを着込んだ巨漢の執事と可愛らしい少女の二人組。

 男性が厳つい顔を和らげながら丁寧に尋ねてきた。

 

「失礼、こちらは川平啓太さんのご自宅でよろしいですかな?」

 

 

 

 2

 

 

 

「わかりましたか? ようこさんが頑張ってお掃除をしたのに、それをお二人は滅茶苦茶にしたんです。ちゃんと反省してください」

 

「……はい」

 

「重ねてお詫び申し上げる。まことに申し訳なく」

 

 静かに走る黒塗りのリムジンの中で、俺とセバスチャンはなでしこに叱られていた。

 折角ようこが掃除してくれたのに俺たちが暴れ回ってしまったせいで、酷い有様になってしまったからだ。

 広々としたリムジンには俺とセバスチャン、お嬢様の順で座り、向かいになでしことようこが座っている。運転席にはメイドさんが座っている。

 

「ひっく、くすん」

 

 なでしこの隣ではようこが悲しそうに鼻を啜っていて、そんな彼女をなでしこが慰めていた。

 さすがにばつが悪いな……。

 ようこの隣に移動した俺は彼女の頭を優しく撫でた。申し訳ない気持ちを込めて。

 

「……ようこ、ごめんね?」

 

「……おむすびとチョコレートケーキ」

 

「……ん、わかった」

 

 それで許してくれるなら安いものだ。

 

「いや、本当に申し訳ない。家主や行政には新堂家が対応致しますし、家財道具の費用はすべてこちらで弁償させていただきます」

 

 当然だ! そもそもあんたが仕掛けてきたんだからな!

 

「……それで、試すって言ってたけど」

 

「その前に一つ。川平さんは本当にプロレスを習っていないのですか?」

 

 ようことなでしこ、お嬢様の視線が向けられる。

 

「……あれは前にテレビで見た技。それを真似ただけ。川平の犬神使い、犬神と契約できるようになるまで、特定の人に師事。そこで体術や法術を習う。俺も師事した」

 

 仙界のことだ。

 川平の犬神使いは八歳になると仙界と呼ばれる場所に出向き、そこで一年間過ごして犬神使いとして必要な心技体を学ぶのだ。

 俺が師事したヒトは東方神鬼というお爺さん。武の仙人で身体操法という技術を教わり、徹底的に叩き込まれた。

 そのため、俺が扱う体術は完全我流だ。

 

「なるほど。それで犬神というのが」

 

 はい、この美少女のお二人です。

 にっと笑ったようこはこれ見よがしに尻尾を出し、セバスチャンの肩にこすり付けた。

 

「わぁ、本当に犬なのね」

 

 セバスチャンの額に汗が浮かび、お嬢様は純粋に驚いている。まあ一般の人が化生と触れ合う機会なんてそうそうないもんな。

 

「もしや、そちらの方も?」

 

「はい。啓太様にお仕えしている犬神のなでしこです」

 

 なでしこが微笑む。

 

「むぅ……。実は私、妖というのを初めて目にしまして。てっきり普通のお嬢さんだとばかり……いや、失礼」

 

「いえ、皆さん最初は驚かれますから」

 

 まあ、セバスチャンのこの反応も無理はない。犬神と聞いて、それが少女の姿をしているなんて普通は想像つかないだろう。まあ、人化しているだけで本性は犬の化生だけど。

 でも一部、人化しきれていないのもいるよな。ともはねとかいつも尻尾出しているし。薫から聞いた話だと仕舞えるには仕舞えるらしいが、かなりギリギリらしい。

 

「わたしも。一般の人の暮らしはそこそこ理解しているつもりだったから、川平君に使用人がいて驚いたけど。そういうことだったのね」

 

「はい。好きで啓太様のお世話をしていますので」

 

 そう言って俺の方を向き、ニコッと笑顔を見せてくれる。

 やめてくれ、顔が熱くなるじゃねぇか!

 熱を帯び始めた顔を逸らし、強引に話を戻した。

 

「……それで? そろそろ話を聞きたい」

 

「そうですな。私たちは長年、強い霊能者や格闘家を探しておりました」

 

 神妙な顔でセバスチャンが話し始めると、お嬢様はきゅっと唇を噛み、暗い顔で俯いた。

 

「それも、最凶最悪の存在と渡り合える猛者を長年捜し求めてきました。今まで幾人もの格闘家や著名な霊能者にお頼みしたが、全員返り討ちにされてしまい、中には今でも病院から出られない方もいる始末です」

 

「……」

 

「その最凶最悪の存在って?」

 

 真剣な表情で話を聞くなでしこの隣でようこが尋ねる。

 セバスチャンはどこかその名を口にするのを躊躇うように、しばし無言を貫いていたが。

 隣のお嬢様がどこか他人事のように呟いた。

 

「死神よ……。それがわたしの命を狙っているやつの正体」

 

 川平啓太、生まれて初めて神と戦うようです。

 

 




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