衝撃的な先輩の訪問があった翌日。涼やかな風が吹く過ごしやすい日のことだった。
テーブルの上に置いてあった携帯のランプが点滅し、着信音が鳴った。大体俺の携帯に着信を入れる人は限られており、五割以上は仮名さんだ。
今回もまた何かの依頼かなと思いながら携帯を手に取る。
「……ん? 猫?」
着信相手は渡り猫の留吉からだった。そういえばあいつも携帯持ってたね。名義とかどうなってるんだろう? でも電話を掛けてくるなんて珍しい。
取りあえず通話ボタンをポチッと。そういえば高校ではみんな携帯ってスマホとかなんだよなぁ。俺もそういうの買わないとダメかね?
「……もしもし?」
『助けてください!』
おおう、なんという穏やかじゃない返事。
聞き捨てならない言葉に意識を集中させる。
「……どうした、猫」
『それが、そのぉ……』
留吉の声と重なって奇妙な鳴き声のようなものも聞こえる。何を言っているのか聞き取れないが、しきりに留吉に何かを呼びかけているかのようだった。
「猫、なにかに追われてる……?」
「どうしました啓太様?」
キッチンのほうからなでしこがやって来た。
ソファーで寝そべりながら漫画を読んでいたようこも顔を上げた。
片手を上げて静かにするように促す。
「……よくわからん。何がどうなってる? 猫、今どこ?」
『その……今、啓太さんのお家の前です』
「……なに?」
家の前? そこまで来てるのなら来ればいいじゃない。もしかして遠慮してる?
「……よくわからんが、遠慮してないで来る」
『は、はい。ですが、あの――』
「さっさと来る」
「わ、わかりました……。今からそちらに行きますので。で、でも僕を見ても絶対に笑わないでくださいよ? 絶対ですからねっ」
そう言い電話が切れた。結局何が言いたかったんだ? まあこっちに来るらしいからその時に聞けばいいか。
なでしこたちも訝しげな顔をしていた。そんな顔をされても困る。
それから五分もしないうちに、ほとほとほと、と玄関を叩く音が聞こえてきた。なでしこが向かおうとするのを止めて俺が出迎える。
扉を開けると丸い何かが転がり込むようにして中に入ってきた。
「それで猫。一体なに、が……」
扉に鍵を掛け直して振り返り、猫を視界に納めて思わず絶句してしまった。
「かわいい~~!」
「あらあら」
ようこが手を組んで歓声を上げ、一瞬目を丸くしたなでしこも微笑ましそうに頬を緩めた。
二人の反応を見聞きした途端、猫の双眸から滝のように涙が溢れ出た。
「うえ~~ん! 啓太さぁぁん!」
留吉は仏様の格好をしていた。
ローブのような余裕のある法衣を着込んで胸元を肌蹴させ、神々しい後光を背負っている。リアルで。
光という意味ではなく、リアルで。リング状の丸型蛍光灯のように輪っかの形をして留吉の背後に顕現していた。
額には黒子が一つ。
なかなかクオリティが高いコスプレだ。
「……趣味が高じてコスプレ? よく似合う」
うん、なかなか可愛らしいぞ?
「違いますよぉ~! これには訳が――」
とてとてと俺の元まで駆けてきた留吉は背後に隠れた。
そして次の瞬間、窓を突き破って何かが飛び込んできた。
「ひぃっ! き、きたぁー!」
「留吉さんっ、こちらへ!」
なでしこが怯える留吉を避難させる。
ようこが鋭い声を上げた。
「ケイタ!」
俺も窓ガラスが割れたと同時に行動を起こしていた。
意識を戦闘モードに切り替え拳を硬く握り、振り向くと同時に薙いだ。
ようこも指先に炎を纏わせて手刀を振り下ろす。
「ふっ!」
「えいっ!」
大気を唸らせながら拳が走る。
わざとようことのタイミングをずらし、異なる軌道での攻撃。ようことともにこなしてきた戦闘の数々がこうした阿吽の呼吸を生み出した。
しかし、飛来してきた何かは軽やかかつ最小限の動きでこれら二つの攻撃を回避した。
勢い余って前方へ体勢が崩れるようこの身体を肩で支え、その反動を利用し再び伸び上がるように爪を突き出す。
直上へ串刺しにする勢いで爪を繰り出すようこ。俺も飛び上がり右足を鞭のようにしならせた回し蹴りを放つ。
だが――。
「……ちっ」
標的はさら上方へ移動し、これらの攻撃も避わした。
電光石火の如く俊敏な動きで部屋の中を飛び回り、エアコンの上に止まる。
「タイヘンケッコー、コケコッコ―――――――!」
そいつは両手を大きく広げながら甲高い声でそう叫んだ。
その場にいた皆が唖然とする。俺も一瞬思考が停止した。
窓を突き破るというダイナミック溢れるやり方で侵入してきたそいつは、木彫りのニワトリだった。
「ブツゾウケッコウ! タイヘンケッコウ――――!」
「もういいですよぉ~!」
「コケ――――ッ!」
(また濃いのが出たなぁ……)
留吉のべそをかいたような声にニワトリが大きく羽を広げると――。
「……え?」
どろん、と大きな音とともに白い煙が立ち上り部屋を包み込む。誰かの呆然とした声が聞こえた。
煙はすぐに消えたが、部屋の中には確かな変化が生じていた。
留吉以外の皆が目をぱちくりさせる。なでしこもようこも開いた口が塞がらなかった。
しかし、唖然とするのも一瞬。状況を把握すると、笑いの渦が巻き起こる。
ようこが俺を指差し腹を抱えて笑い出す。なでしこも衝動に耐え切れず、くすくすと声を押し殺すように笑った。
「け、ケイタ……! なんて格好してんのよ! あはははははっ! ダメ……、お腹痛い……っ!」
「くす、くすくす……っ! 啓太様、よくお似合いですよ?」
「……二人も人のこと言えない」
反論したいけれども悔しいことに言い返せないでいるため憮然とした態度で抗議した。
あの一瞬の煙幕で何が起きたのかまったく理解できないが、変えられない事実がそこにあった。
「ケイタが、スク水って……! しかも結構似合ってるし……!」
そう。なぜか煙が晴れると、俺はスクール水着――俗にいうスク水に着替えていたんだ。なにが起きたのかさっぱり分からない……。
紺色の生地の典型的なスク水。筋肉質な男がスク水って誰得だよこれ。
体毛は薄く少ないほうだから脛とか醜いことにはなっていないけど、それでも男がスク水って……。
ご丁寧に胸元には『にねんしいぐみ かわひらけいた』という文字がひらがなで書かれているし。頭には水中眼鏡があるし。
そしてなにより一番意味不明なのが――。
「なぜ、猫耳? 尻尾もあるし……」
頭部には三角形の大きな耳が二つひょこひょことついていた。触れてみると柔らかく手触りも良い。そして、触れた感じが確かにした。
お尻には白い尻尾がにゅっと出ている。これも握ってみると尾てい骨辺りが痺れる感じがした。これも直接生えているらしい。
姿見で確認すると、見事な真っ白い猫耳と尻尾が生えてたんだ……。
試しに猫耳に意識を集中させると、ペタンと伏せることができた。尻尾にも意識を向けると、意図通りにくねっと先端が曲がった。ある程度自分の意志で動かせるみたい。これはこれで面白いかも……って違う!
なんで俺が猫耳スク水なんて着てるんだー!
「ちょっと恥ずかしいですね……。ようこさんもお似合いですよ」
「そう? なでしこも似合ってるよ」
はいそこ! 暢気に話し合わない!
犬神たちにも同様に異変が起こっていた。
ようこはステッキを持った魔法少女の姿。ふわふわのミニエプロンドレスに胸元にはチャームポイントである大きなリボンがつけられている。
すらりと伸びた足は純白のニーソックスに包まれ、同じく純白のブーツを履いていた。魔法少女とは結構マニアックな姿だ。俺ほどじゃないが。
そして、なでしこ。なでしこはナース姿だった。そこらの病院に行けば居そうなほどナースさんをしていた。
純白の白ではなくピンクのナース服。頭にはナース帽を被り、左胸には『なでしこ』と印字されたネームプレートがある。ご丁寧に首には聴診器をかけていた。
そして、ようことは違い何故か黒のストッキング。魅惑のナースさんという単語が頭に浮かんだ。すごく、色っぽいです。なでしこは王道マニアックだな。俺ほどじゃないが。
二人は時と場所さえ間違わなければ、かなり映える格好だ。着ている人も美人だしよく似合っている。秋葉原なら違和感もそんなにないだろう。
しかし、ここは秋葉原ではない。神奈川だ!
「あ、あの……啓太さん?」
恐る恐る伺うように俺を見る留吉。
「猫……」
「は、はい!」
「……なにが、起きてる」
誰か、教えて……。
1
「あれがなんなのか、本当に僕もよくわからないんです……。ただ仏像を探しているときに偶然見つけちゃって」
渡り猫の留吉は寂れた寺から散失した百八体の仏像を回収する使命を背負い、全国を旅して回る健脚の猫又だ。他にも何匹かいる同族と協力し合いあっちこっちを歩き回っている。
留吉たちは情報を収集する諜報部隊と、仏像を回収する実行部隊で別れ互いに連絡を取り合っているらしい。
ある日、目利きの古美術館や骨董品屋などの店先を定期巡回していた諜報部隊の猫又がとある情報を入手した。立ち話を盗み聞きしたり、手紙やパソコンなどを人知れず盗み見たりなどして情報を収集した猫又は実行部隊へ連絡。実行部隊に所属している留吉はその情報を頼りに準備を整えて意気揚々とその地へ赴いた。
しかし、どこでなにをミスったのか道に迷ってしまい、途切れ途切れだった山道も見失ってしまったらしい。困り果てたそんな留吉を助けてくれたのが、ある親子のたぬきだった。
「……タヌキ?」
「はい、たぬきさんです」
「タヌキ……」
なんか童話でありそう。こういう話。
現れた大小の親子はまだ化けたりできるほど霊験はないものの、困っていた留吉に手を差し伸べて目的地まで案内してくれた。
案内された場所は瓦葺の屋根の家が立ち並ぶ、昔ながらの村だったらしい。その仲でも一際大きな家の前まで案内された留吉は丁寧にお礼を言い、親子のタヌキと別れた。
霊力を使い不可視の姿を取っていたが、念には念を入れて慎重に物陰に隠れながら忍び込んだ。幸い家主や厄介な犬類の姿はなく、無事に倉の中に侵入できたらしい。
意外なことに倉の中は綺麗に整理されており、日本刀や掛け軸、陶器、鎧や兜、さらには古めかしいコインのようなものまであったと言う。
しかし、肝心の捜し求めている仏像の姿はなく、あったとしても仏像違いだったらしい。
「見つけた場合ってどうなさるんですか? 留吉さんのことですから手癖の悪いことはしないと思いますが」
「当然ですよ! 僕たち渡り猫は善の妖怪なんですから! もちろん発見した場合は家主と交渉して買い取るつもりでした。同族の友達が株をやっていまして、少しならお金もあるんですよ」
株……。薫さんの家の犬神を思い出すな。
仏像の探索に使用する宝ぐ――いや、針のない羅針盤にも反応しなかったことから骨折り損だと分かってはいた。が、一縷の望みを込めてさらに奥へと進んで行った。
仏像探しをしている内にいつしか骨董品にかけてちょっとした目利きになっていた留吉は、いつの間にか好奇心を前面に押し出し物色していたらしい。
「……使命そっち退け」
「仕方ないんですよぉ! 美術品を観賞するのも僕の楽しみのうちの一つなんですから!」
自分の使命を忘れて美術品を愛でていた留吉はある箱を見つける。埃が被った木箱で蓋には古ぼけたお札が貼られていた。
あきらかに曰くつきのヤバそうな物。留吉もこれは見なかったことにしようと一瞬思ったが、結局は好奇心に負けて蓋を開けてしまった。
「……それでこうなった、と」
「はい……。開けたらこのニワトリさんが眠ってまして、目が覚めたらコケコケ暴れ始めたんです。それでその結果がこれです……」
うえーん、と泣き声を上げる留吉。だが、泣きたいのはとばっちりを受けたこっちのほうじゃい!
はぁぁぁぁ~……、と深い溜息が自然と出た。
ようこはエアコンの上に乗っかっているニワトリのほうに浮かび上がり、小さく指を振っていた。その動きに合わせ首をしきりに傾けながらコッコッと鳴いている。
「もう分かったと思いますけど、あのニワトリさん人の衣装を変える能力を持ってまして。しかも一度変えたらニワトリさんが能力を解いてくれない限り脱ぐことができないんです。脱いでもすぐに同じ服に変化しちゃうので」
「……マジか」
てことは、俺ずっとこの格好なの?
「逃げても嫌がっても、全然言うこと聞いてくれなくて。それで止む無く、啓太さんのところに……。ごめんなさい、啓太さんには本当にご迷惑をかけてしまって申し訳なく思います。でも仮名さんにも連絡を取ったんですけど繋がらないんです」
それを聞き俺も携帯を取り出して仮名さんに電話を掛けてみる。
コール音が四回、五回と続き『ただいま電話に出られません』という本人が吹き込んだ応答メッセージが流れた。
「……しかし、なにアレ?」
「さあ……。僕もよくわからないです」
「お茶をどうぞ留吉さん」
「あ、どうもお構いなく」
だよねー。というかなでしこさん。貴女全然動じてませんね。
魅惑のナース姿でいつものようにお茶を入れるなでしこの姿に疑問を抱いた。
すると彼女は。
「確かに変わった子ですけど危険な子ではないようですし。それに変わったお洋服が着れてちょっと楽しかったりしますよ?」
そう言って微笑む。そういえば貴女って結構お茶目なところがありますよね。
「ケイター。この子結構大人しいよ?」
ようこが木彫りのニワトリを抱っこしながら降りてきた。ニワトリは大人しく抱かれ暴れる様子はない。
思わず目を丸くする俺と留吉にようこがカラカラと笑った。
「すっかり仲良くなっちゃった。ねー、ニワトリさん」
「コケッ」
ニワトリが満足そうに鳴く。あのムジナ事件もそうだったけど、ようこってあまり相手を警戒させないで近づくことができるよな。近所の野良猫とも仲が良いみたいだし。
なにはともあれ、これで一件落着なのか? ならさっさとこの格好を元に戻してもらうとしよう。
「……鶏、元に戻す」
さもなくば貴様は焼き鳥の刑だ。
「コケン?」
こてんと首を傾げる鶏。
言葉は通じないか。ちっ、所詮ただの鶏か。
「……でも、ホント変わった鶏」
見たところただの木彫りの鶏だ。魔力が宿ってるから妖怪なのかな。
となると、九十九神の一種だろうか。
「でも変な魔力だよねー」
目を細めながら鶏の頭を撫でるようこ。大人しく抱きかかえられながら、コッコッコッと喉を鳴らす鶏。
よじよじと俺の肩によじ登ってくる猫の重みを感じながら、記憶の糸を手繰っていった。
この魔力、どこか覚えがあるような……。
「あの啓太様。この魔力、以前仮名様から要請があった依頼で同じ気質の魔力を感じたことがありますけど」
「んー? ……あぁ」
仮名さんというとあの変態事件か!
確かに栄沢汚水という変態が起こした事件でこれと似た魔力を感じたことがある。
もし俺の予想が当たっているなら――。
「……あった!」
嫌がって身じろぎする鶏をなだめながら背中を上にすると、そこには三体の骸骨と月の模様が刻まれていた。
「なんですかこれ」
初めて見た模様に猫がきょとんと目を丸くしている。
「詳しいことは、よくわからない。でも魔導書の一種で、仮名さんが探してる物の一つ」
「はあ、そうなんですか。これを仮名さんが……」
しげしげと木彫りの鶏を眺める猫を尻目に携帯電話を取り出す。
電話帳から仮名さんの番号を呼び出しプッシュ。
しかし、応答したのは留守番電話の自動音声だった。
「……留守か」
「やっぱり……」
とりあえず伝言を残しておこう。
「……仮名さん? 川平。仮名さんが探してる魔導書? 見つけた。連絡ほしい」
仮名さんはこれでよし、と。
さて、あとは仮名さんが来るまで鶏を確保していればオッケーだな。この服はさっさと着替えたいところだけど外に出るわけじゃないから、今は我慢我慢……。
――ピンポーン♪ ピンポーン♪
『よ~うこさーん、あっそびましょ~~っ!』
軽快なインターホンの音とともに外から先輩の声が聞こえてきた。
ある意味先輩らしい頭の悪い言葉にようこの毛が逆立ち、なでしこの顔から一瞬笑顔が消えた。
「……」
に、鶏さん、ボクの服を戻してください……!
次話は11月末までには仕上げる予定です。
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