「あ、しまった……」
「ん? どうした川平」
体育が終わり教室に戻った俺はいつものグループに混じって昼飯を食おうとしていた。比較的仲の良い山田くん、佐藤くん、吉田くんの三人グループだ。
この三人は幼馴染で大抵一緒にいる。明るく陽気な奴らで付き合いやすいし、そこそこ馬鹿な話しもするから結構居心地が良い。
そんなグループに混じって昼飯を食おうと鞄を漁っていた、のだけれど――。
「……弁当、忘れた」
可愛らしいウサギさんがプリントされた巾着袋に入っているお弁当箱。
なでしこ特性の『ガンバってください弁当』の姿がなかった。
もしかして、もしかしなくても忘れてきちゃった……?
「あらら、そりゃ五愁傷様だな。どうする? 購買に行くか、それとも食堂に行くか?」
そう山田くんが提案してくれるけど、どうしよう。
ちなみにこの学校には大きな食堂が一階に存在する。全校生徒の半分が入れるようにと広くスペースが作られており、メニューも和洋中と豊富。そして美味い!
なんでもどこぞの元高級料理店で板前やシェフを務めていたスーパーコックが料理長をやっているとか。風の噂では校長とは旧知の仲のようでコックの育成も兼ねて包丁を振るっているとか。なんたる聖人、さすがは武藤田高校。
ということで、まさに『安い!』『早いかもしれない!』『美味い!』の三拍子が揃った学食は結構人気があり、毎回多くの人で席の半数が埋まっている。これも武藤田高校の人気の一つとして上げられるな。
余談だが俺が食堂を利用した回数は片手を数えるくらいである。だって、俺には可愛い犬神お手製の弁当があるしー。
さすがに毎日作ってくれる弁当を平らげて学食を利用するのは物理的に胃が受けつけない。
「んー。どうしよう」
というかお金あったっけ?
「おい見ろよあれ!」
「うわ、すげぇ美人……」
財布を開こうとしたら廊下からざわめきが聞こえた。
多くの男子たちが廊下に顔を出し、何かに注目している。呆然とした表情で何かに見惚れている様子だった。
次第に大きくなる喧騒。顔を見合わせた俺たちも廊下に出てみる。何か話題の足しになればいいと思って。
「……うお! なんだあの美女!」
「うわぁ、すごい綺麗な人だねぇ」
「ていうかメイド服だよな、あれ」
他の生徒ら同様に盛り上がる山田くんたち。
廊下の先には淡い桃色というファンタジー溢れる髪を揺らしながらキョロキョロと辺りを見回している女性がいた。
いつもなら落ち着き払っている少し垂れ気味なその目は好奇心で輝いているように見える。
緑色のワンピースに白いフリルのついたエプロンが一体となったエプロンドレス。もはや私服と化しているメイド服――本当はメイド服じゃないがそれっぽいからもうメイド服と呼んでいるそれを着こなし、手には小さなバスケットかごを握っていた。
余談だが、彼女が持っている服には部屋着の割烹着に余所行きのエプロンドレスの二種類と、特別な日に着ていく洋服がある。
はい、どこからどう見てもうちの犬神さんですね。本当にありがとうございました。
――って、なんでなでしこが学校に来てんのー!?
「あっ、啓太様~!」
ざわっ!
顔を輝かせたなでしこの一言が周囲の空気を一変させた。
そこらの低級妖怪より余程鋭く強烈な殺気を一斉に向けてくる男子生徒たち。そして「あの人と一体どんなカンケイが!?」と言いたげに頬を赤らめて興味津々な目を向けてくる女子生徒たち。
隣の山田くんたちも興味深げな顔で俺を見ていた。
早足で駆け寄ってきたなでしこが手にしたバスケットを渡してきた。
「啓太様、お弁当忘れていましたよ」
「あ、ああ。ありがとう」
「いいえ。せっかく作ったお弁当ですし、啓太様にしっかり食べて頂きたかったので」
そう淑やかに微笑むなでしこを見てさらにヒートアップしていく外野。騒ぎを聞きつけ野次馬がどんどん増えてきた。
「おいおいおいおい、なんなんだあの美女?」
「あの人、川平のこと様付けで呼んでたよな?」
「どういう関係なんだ!?」
「そんなの恋人同士に決まってるでしょ」
「ねー。姉弟っていうには距離が近いし、やっぱり恋人じゃないかしら?」
「お似合いのカンケイね! いいなー、あたしも彼氏欲しいな~!」
「でも、自分の彼女に様付けで呼ばせるなんて、川平くんってああ見えて結構……」
「キャー! 俺様な川平くんもそれはそれでアリねっ」
なんかカオスになってきた。
「なでしこ、こっち」
このままではあかんと直感が告げている。なので、なでしこの手を取って避難することにした。
「あ、川平のやつ逃げたぞ!」
「追えー! リア充を決して逃がすなー!」
「キャー! 愛の逃避行よ!」
外野が騒いでいるのを無視して屋上へと逃げ込んだ。
高いフェンスで囲まれた屋上は生徒たちも立ち入りが許されている。真ん中と四方に花壇があり、数箇所にベンチも設置されている。
日当たりもいいため、女子やカップルなどがよくここでお弁当を広げいる光景を目にする。
今日もまばらだが、数組の女子とカップルたちがベンチで思い思いに昼食を取っていた。
空いているベンチに腰掛け、ふぅと一息。
「あの、啓太様?」
「あ」
不思議そうな顔で首を傾げるなでしこを見て思わず呟いてしまった。
しまった。ついなでしこを連れてきちゃった。
というか、なでしこさんはどうやってここまで辿り着いたのでしょうかね?
「道を教えていただきました。啓太様がいらっしゃる教室にも親切な方が教えてくれまして」
「ん。……そういえば、来客カードは?」
外部の人が校内に入るには受付で名前を記入して来客カードを受け取る必要があるんだが。もし、貰ってなかったら受付まで行かないと。
なでしこはエプロンドレスのポケットからカードホルダーを取り出した。よく外回り中のサラリーマンが首からかけているカード入れがあるが、まんまアレだ。
しかし流石なでしこ、そつが無い。
「ならいい。しかし、なでしこ。結構こっちの文化に慣れたみたい?」
「そうですね。今は昔と違って調べようと思えば簡単になんでも調べることが出来ますので」
パソコンはまだ苦手ですけどね、と可愛らしく微笑む。確かに貴女、キーボードを凝視しながら人差し指で打ってますものね。
さて、せっかく持ってきてくれたのだから食べますか。聞けばなでしこも昼飯はまだのようだ。なら一緒に食べんべ。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきますね」
嬉しそうに顔を綻ばせたなでしこがバスケットの中からお弁当を取り出す――って。
「サンドイッチ?」
「はい。たまにはこういう軽食も良いかと思いまして。あ、他にもポテトや唐揚げ、ウインナーもありますからね。タコさんウインナーです♪」
三角型のサンドイッチにポテト、唐揚げ、蛸足ウインナー。お弁当だと思ってたらピクニックで食べるような軽食ランチだったでござる。
しかもこの量、とても一人で食べきれる量ではない。他の男子は知らんが、生憎俺のストマックは根性がないから食べきれない。いや、無理すればいけなくもない、か?
でも、この量……明らかに一人前じゃ――。
(はっ! もしや、この状況を作り出すためにあえて二人前にしたのか?)
だとすれば、朝俺がお弁当を忘れたのもうっかりではなく、故意!?
くっ、なんて野郎――女郎だ! そこまでして俺と食事がしたいだなんて。しかも学校でだと!? なんて可愛らしい性格をしてるんだキミは!
あぁもう! 俺やっぱりなでしこ好きかもしれないなぁ!
そういえばなでしことようこの仲が改善された三ヶ月経つが、あれからなでしこの態度が少しだけ変わったような気がする。
あのムジナ大脱走事件でようこが良い子になり、今まで以上にストレートに愛情を伝えてくるようになってからだ。まるでようこに感化されたかのように、なでしこも露骨――とまではいかないが、それでも素直に好意を伝えてくるようになった気がする。
これまでも好意を寄せてくれていたのはそれとなく分かっていたし感じていたが、なんだか手段が直接的になっているような感じがするんだよなぁ。この前なんてテレビを見てて、気がついたらすごい近距離で一緒に見てたし。古風ななでしこにしては赤面ものの距離感だった。実際、顔赤くしてたし。肩軽く触れ合ってたし。
そんななでしこにまたようこが対抗するから、気を抜くとカオスになりそうで恐い。
――まあ、それはともかくとして。
そこまで露骨に愛情を表現されると、鈍感ではないと自負してる俺からすれば当然伝わるわけでして、もう嬉しいやら恥ずかしいやら。訳も分からず叫び転がりたい衝動にか駆られるのも一度や二度じゃない。
俺自身、自分のこの『胸焦がれるような熱く切ない気持ち』にもいい加減察しがついてきているし。
でもなー、俺が出した答えだと恐らく一人女の子泣かせることになると思うんだよなぁ。仕方のないことだと頭ではわかっているんだが、なかなかどうして踏ん切りがつかないものだ。
それに、伝えるにしてもタイミングというものがあるし。夕焼けの見えるベンチでロマンチックに、とか? ……ガラじゃないな。
「啓太様?」
おっと、手が止まってた。一旦思考を止めて、今は昼飯に集中しよう。
「はい、啓太様」
あの、なでしこさん? なんでサンドイッチを僕に向けてくるんでしょうか?
「……? 食べないんですか?」
いや食べるよ、食べるけどさ! なにこれ、もしかして狙ってやってるの!?
結局なでしこが手を下ろすことはありませんでした。周りのカップルからは生暖かい目で見られ、グループに分かれた女子たちはキャイキャイ騒がれながらも全部「あーん」で食べさせられました。
顔から火が出るほど恥ずかしかったけど、まあなでしこが満足しているようだからいいか。
食後に魔法瓶から出してくれたお茶を啜っていると、そういえばもう一人の犬神がいないなと今更ながら思い出した。
「……ところで、ようこは?」
「近所の野良猫さんたちの定例集会だそうです」
「あ、そう」
もうなにも突っ込まんぞ。
1
(川平の奴めぇ~~! あんな美女に啓太『様』って呼ばせているだと!? なんて羨まけしからん奴だ!)
廊下が騒がしいから来てみれば、アイドル顔負けの超絶美女が柔和な笑みを浮かべながら川平と親しくしていた。
しかも『啓太様』だと!? 聞くところによるとあの女の人とはかなり親しい間柄のようだが、様付けで呼んでもらえるなんて!
こっちはむさ苦しい男どもから『兄貴』『親分』呼ばわりなのにっ、なんて羨ましい!
俺も一度でいいから気軽に『剛三郎くん』なんて呼ばれたい!
「ひゃ~、すげえ美人ですね兄貴」
「相変わらず川平の奴モテてますねぇ。今時はあんな弱弱しい奴がモテんすかねぇ」
勝手に集まってきた子分AとBが口々にそういうが、俺も頷ける話だ。
だが、あんななりをしているが意外とあいつって運動神経は抜群なんだよなぁ。今日も高速反復横とびで分身作ってたし。
うーむ、あのくらい運動神経が良ければモテるんだろうか。俺も分身作れるくらい頑張らないとダメなのか。
「おや、そこにいるのは三島ではないか!」
「ん? おお、河原崎か」
明るい声に振り向くとそこには友人の河原崎直己の姿が。
こいつは県内ではそれなりに有名な資産家の息子であり自他共に認める筋金入りのオタクだ。その熱意は思わずこちらがたじろいでしまうほどで妙なカリスマ性を持った変人でもある。オタクに貴賓無しを地で行く奴だから俺のような人間にも分け隔てなく接することができるらしい。
ブレザーの背中には河原崎の萌えキャラがプリントされており、額には『ニャンニャンしちゃうにゃん♪』の文字とイラストが入った特性ハチマキを巻いていた。
相変わらずのオタクっぷりだ。
「この騒ぎはいったい何事だ?」
瓶底メガネを輝かせた河原崎に今し方の出来事を聞かせると。
「ほう、あの川平に春がきたか。うむ、良いことだ」
「んぁ? お前川平と知り合いだったのか?」
「うむ。中学では先輩後輩の仲であり俺の友人の一人だ。あれでいてなかなか語れる口を持つ」
「へぇ……」
河原崎が認めると言うことはあいつもそっち方向に理解があるということか。なんというか、意外だな。
ちなみに俺も萌えキャラは好きなほうだ。オタクとまではいかないがな。
「おお、そういえば例のアレはどうなったんだ?」
真剣な顔で唐突にそんなことを聞いてきた。すぐにそれが何を指しているのか気がついた俺はつい渋面を作ってしまう。
そんな俺の顔を見て河原崎は得心がいったとでもいうように首肯してみせた。
「やはりそうか」
「事が事だからな。気軽に相談できる相手もいねぇ。そういうのを専門にしている奴らに相談したこともあるが大抵はパチモノだった」
「なるほど。であれば、この俺が良い奴を紹介してやろう」
「いい奴?」
「うむ。その道のエキスパートだ。俺が知る中では断トツの腕利きだ」
自信満々に頷く河原崎だが、俺はあまり信用ができない。
そいつもどうせ同じような偽者じゃないか?
「安心しろ、あやつはパチモノではないさ。なにせこの河原崎が信を置く奴だからな」
そう断言する河原崎。それを見て俺の考えも少々改まった。
こいつの人を見る目は確かだ。こいつがここまで自信を持って推す奴なら信用できるかもしれない。
「……わかった。お前がそこまで言うなら多分、そいつはデキる奴なんだろう。で、誰なんだ?」
俺の言葉に河原崎はニヤリと口元を歪めた。
「川平啓太。話題に挙がった人物さ」
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