ようやく一万文字達成!
新作を書く予定ですので、興味がありましたら活動報告をご覧ください。
啓太様の仲介を経て、ようこさんと一緒にあの方の犬神になることが出来ました。
これから色々と大変でしょうが頑張ります!
「いかずの名は返上ですね」
「はけ様」
啓太様の後に従い、宗家様のお部屋を退出しようとすると、はけ様が声をかけて来ました。
はけ様はいつもの柔和な微笑を浮かべていらっしゃいます。
「いかずのなでしこと言われたあなたが良き主と巡り合えるかどうか不安でしたが、それも取り越し苦労でしたね」
「今までご心配をお掛けしました……」
はけ様には本当に心配をかけました。
昔からなにかと気にかけて下さり、本当に感謝の言葉もありません。
「いいんですよ。ようこも一緒というのが不安に思わなくも無いですが、啓太様のことです。なんだかんだであのじゃじゃ馬を御すことでしょう」
目を細め笑むはけ様。私も不思議と心配はしていませんでした。
「それに、啓太様ならあなたの心の闇をきっと払ってくれると信じてます。あの方はそう信じさせる何かをお持ちですから」
私の闇。あの忌わしき記憶。
救ってくれる? 啓太様が……?
言葉が出ない私はただ無言で頭を下げた。
1
中学生の啓太様が仕事につく。
半ば止むを得ない話ではありますので頷いてしまいましたが。学業を疎かにしないことと、困ったことがあったらすぐに相談するように後ほど約束してもらいました。
これから暮らす新しいお家は三人で住むには少し狭く感じますが、清潔感があって非常に良いです。台所回りも使いやすそうですし、これから毎日腕を振るえるんですね。
毎日、啓太様に手料理を食べてもらえる……。
――ハッ! いけませんいけません。ふしだらな想像をしていては啓太様に失礼です!
ざっと部屋の中を確認したら、今度は生活に必要なものを買い揃えないといけません。ついでに周辺の地理も確認しておきましょう。
家電製品などの機械については一通り見知りおいています。犬神の山にも一台だけですが、テレビがありますし情報は収集済みです。
なので啓太様? ねっとしょっぴんぐとやらで済ませようとしないでくださいね。いいですか? 買い物というのはですね、自分の目で見て手で触れて……。
――それから三十分経過。
……こほん。失礼しました。
途中、ようこさんが予期せぬ問題などを起こしたりして時間を食ってしまいましたが、なんとかデパートに着きました。
まずは食器と食材を買うようです。
これらは問題なく購入することが出来ました。途中、売り物に手を出したようこさんが啓太様に叱られましたが、なんとか事なきを得ることができました。
そして、次は家電製品の購入です。
本来は今日購入する予定ではなかったのですが、ようこさんが機転を利かせてくれたおかげで買うことが出来ました。……こしてみると、ようこさんのしゅくちって便利ですね。
しかし、驚きました。今の家電製品ってこんなにも進歩しているんですね。
パンを作る機能を持つ電子ジャーに 蒸気で蒸し焼きにするスチーム式の電子レンジ。なぜそのような機能がついているのかちょっと分かりませんが、人間の発想には驚くばかりです。
一番驚いたのがテレビでした。
私が知るテレビというのは箱の形をしていて、頭にアンテナがついており、画面の横にダイヤルがあるものでした。
しかし、今はほとんどのテレビが薄い板のようなもので、画面も驚くほど鮮明に映るのです。なにより、アンテナとダイヤルがないのに一番驚きました。
リモコンという機械で遠隔操作をするそうですが、それをなくしてしまったらどうするのでしょうか。もう使えなくなるのですか?
……話が脱線してしまいましたね。
啓太様の外見ではお支払ができない恐れがあるとのことなので、お金だけもらい私が代わりに清算させていただきました。
そしてようこさんに部屋まで荷物を送ってもらい、他に買うものはないかと思ったのですが、今度は私たちの服を買ってくれると言います。
申し出はすごく嬉しいのですが、正直この服装に慣れてしまい、今時の洋服を着るのは少々ためらいがありました。たぶん、私のような古い女には似合わないでしょうし……。
なので数着だけ買ってもらい――どれがいいかだなんてよく分かりませんので、啓太様に選んでいただきました――ようこさんに送ってもらいました。
ですが、これからは家事を担う身として、啓太様のお洋服などを選ぶのに分からないでは済ませられないですね。今は若者の服装や流行などはさっぱりですが、これからいろいろと勉強していく所存です。
お洋服を買い、一通り買い物を済ませたらお食事です。
近場のファミレスに入り、啓太様はオムライス、ようこさんはハンバーグ、私は和風定食セットを頼みます。
迷わずオムライスを頼んだため、これが啓太様の好きな食べ物なのかと聞いてみればまあまあ好きとの返事が返ってきました。
台所を預かる身なのですから、啓太様の好きな食べ物、嫌いな食べ物を今のうちに把握しておきたいです。なので丁度良い機会ですので啓太様の好き嫌いを聞いてみましたが。
「ブロッコリー、ピーマン、カボチャ、ニンジン、インゲン、セロリ、ナス、トマト……」
啓太様の口からすらすらと単語が出てきました。あまりお喋りが得意ではないのに、このときばかりは流暢に言葉を口にします。
それにしても予想以上の多さです。啓太様には是非、好き嫌いを無くして――無理そうでしたら減らして――いただきたいので、これからは色々と工夫をして料理をしなければなりませんね。腕が鳴ります。
初めて食べる料理の数々に感動を覚えるようこさんを尻目に、食事はつつがなく終わりを迎えました。
途中、啓太様の手で食べさせていただく事態に遭遇しましたが。ええ、マンガで読んだことはありますが、あれが噂の「はい、あーん」なのですね。確かによいもので……いえっ、なんでもありません!
……人目があるので尻尾を消していますが、もし出ていたらはしたなく振っていたでしょう。それほどまでの幸福感がありました。
2
「行ってきます」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「いってらっしゃーい。早く帰ってきてねケイタ!」
その日は平日ですので、啓太様は学校へ行っています。
必然的に私とようこさんのふたりっきりになました。
「……」
「……」
それまでの空気が一掃されて重々しい空気が流れます。
その発生源は、ようこさん。
彼女が纏っていた無邪気で明るい空気が、鋭利で冷たい氷のようなソレに一変したのです。
理由は……分かっています。先日の儀式のことでしょう。
同じ主を持つ者同士仲良くすること。ようこさんが啓太様の犬神になるに当たっての条件です。
渋々了承したようこさんでしたが、本意でないことは明らかでした。
ようこさんは目を合わせることなく、部屋から出て行こうとします。
「あ、あのっ……ようこさん、どちらへ?」
「……あんたには関係ないでしょ」
取り付くしまもなく拒絶の言葉を放つようこさん。振り返りもせずに投げかけた言葉は言外に関わるなと云っている。
「ですが……っ」
「わたしはね」
強い言葉で被せられました。
出鼻を挫かれた私は大人しくようこさんの言葉を聞きます。
「まだあんたを認めてないから。ケイタが困るでしょうし表面上は仲良くしてあげる。でもわたしとあんたは敵同士だから」
「……」
「別にあんたとやりあってもいいけど、それだとケイタに嫌われちゃうかもしれないし。啓太の前では仲良くしてあげる。それでいいでしょ?」
冷めた目で一瞥する。その瞳の中にメラメラと静かに燃える炎を垣間見た気がしました。
ふんと鼻を鳴らし、ようこさんはそのまま部屋を出て行かれました。
思わず重いため息が零れてしまいます。まだまだ先は長いです……。
ですが諦めません。いつか二人で心から笑い会えると信じて。
3
「んー……」
啓太様がパソコンの前で唸っています。
今日は例の依頼のことで総家様の元へとやって来ました。
依頼内容はめぇるに書かれているようで、先ほどから無表情でジーっとパソコンの画面に噛り付いています。
ふよふよと寝そべるような体勢で浮いているようこさんが尋ねました。
「ねえねえケイタ。お仕事ってどんな内容なの?」
それは私も気になっていました。
初めてのお仕事ですが、なるべく危なくない内容であって欲しいです。
パソコンの画面から目を離した啓太様は宙を見ながら説明しました。
「ん。お寺の住職さんからの依頼。除霊の依頼みたい。犬の霊だとか」
「除霊ですか。それならそこまで難しい話ではないですね」
むしろ簡単な仕事の範疇に入ります。
少し前まで啓太様は周りの者から落ちこぼれと呼ばれていました。
なので、このお仕事で啓太様は出来るんだぞ、というところを見せてやりたいです。私も全面的にお手伝いいたします。
「い、犬……! ケイタ、このお仕事って犬が出てくるの!?」
唇を戦慄かせたようこさんの顔は真っ青でした。
(そういえば、ようこさんは犬が苦手でしたね……)
たとえ獅子が相手でも不敵に笑って倒してしまうようこさんですが、相手が犬であるなら話は別です。子犬が相手でもプルプルと震えて無力と化してしまいます。
彼女の唯一の弱点が今回の仕事に大きく関わるようです。
「ん。そうだけど?」
「……わ、わたし、家で待ってるね! ケイタは強いから大丈夫だもんね! わたしは家でどーんと構えてるからっ」
早口でそう捲くし立てたようこさんはピューッと風のように去っていきました。
後に残されたのは呆気に取られた私と啓太様だけです。
「……?」
よくわからず首を傾げるご主人様。
「ようこさん、犬が苦手なんです……」
「……なるほど?」
顔を見合わせて思わず二人して笑ってしまいました。
啓太様の無表情以外の表情を久しぶりに見ました。
「……ん。先方とは連絡取れた。明日向かう」
「かしこまりました」
それから翌日。午前十時。
啓太様は口がすっぱくなるほどようこさんに大人しく家に居るようにと言い聞かせました。二時間ほど。
最後のほうだと辟易した様子のようこさんはコクコクと静かに頷いていました。
場所は愛知県のようで電車で向かうことになりました。
「行ってくる」
「行ってきますね、ようこさん」
「いってらっしゃーい。お土産よろしくね~」
ようこさんに見送りされた私たちは電車に揺られながら愛知県へと向かいました。
乗り換えは一本のようで、片道は大体四時間のようです。
四人掛けの椅子に座った私は啓太様に魔法瓶から注いだお茶を渡して流れる景色を眺めます。
紅葉の季節に近づいているためか、綺麗な紅葉が山々を彩っています。
「よろしいですかな?」
登山用の装備を整えた老夫婦が相席を求めました。
ご丁寧に帽子を取って向かいの席に座る啓太様と私に確認を取ってきます。
「……どうぞ」
チラッと老夫婦を見上げた啓太様は向かいの席に置いていた荷物を上の網棚に移動しようとします。
「…………なでしこ」
大きなリュックを片手でひょいと持ち上げる姿に老夫婦が目を丸くしますが、身長の問題で若干届かない様子に顔を綻ばせました。
ご主人様の微笑ましい姿に目を細める老夫婦と同じく私も微笑みながら、リュックを変わりに乗せてあげます。
「これはご丁寧に」
小さく頭を下げた老夫婦は向かいの席に腰を下ろしました。
お昼の時間になったのでお弁当を食べ始める啓太様。その頬についたご飯粒を取ると、旦那様がこんなことを尋ねてきました。
「失礼ですが、お二人はご姉弟ですかな?」
「ん? ……んー」
私たちの関係を一般の方に説明しても分からないでしょう。
啓太様もどう説明したものかと首をかしげていると、奥様が旦那様を嗜めていました。
「いやだわお父さんったら。ごめんなさいねぇ。恋人同士なのに姉弟呼ばわりしてしまって」
「こ、恋人同士……」
思わず顔を俯けてしまいます。
本当は訂正しなくてはいけない。ですが、周囲にそう見られているということが私の心を弾ませました。
「……」
そして、啓太様も否定しなかったというのも、私に小さな喜びを感じさせてくれました。
こんな些細で小さな出来事が、とても嬉しかったのです。
4
「ここが大道寺、ですか」
駅を降りて歩くこと二十分。ようやく依頼主がいるお寺に到着しました。
この付近では大道寺の他に法明寺という飼い猫の供養を専門にしたお寺があるようです。
そのためか町興しの一環として猫に関するものが広く出回っているとのことでした。
ここに来る途中でも猫の絵が描かれた旗やチラシ、カレンダー、さらには『にゃんにゃん定食』や『猫饅頭』といった食べ物にまで浸透しているようです。
(しかし、なんでしょう。なにか胸騒ぎがします……)
ここに来る途中でも不可解なことがありました。
大道寺までの道を尋ねると、必ずといっていいほど良い反応が返ってこないのです。中には出て行けといって塩を撒く人までいました。
そこはかとない不安がこみ上げてきます。
「なでしこ。行く」
「あ、はい」
中に入ると住職さんがいました。軽く挨拶を交わし本堂へ案内されます。
住職さんはなぜか両腕に包帯を巻いていました。頬には大きな湿布が張ってあります。
猫背で疲れが身体に出ているのか、あまり覇気というものが感じられませんでした。
住職さんはお茶の用意をするため席を外しました。
キョロキョロと周囲を見回す啓太様。私も一緒になって見回します。
高い柱に黒ずんだ床、染みの浮かんだ天井。毛羽立った畳。
本堂は少々、年季を感じさせる佇まいをしていました。
ですが、なんでしょう。
特別、妖気や霊気を感じるわけでもないのに、先ほどからひどく胸騒ぎがします……。
「啓太様……」
「ん?」
言い知れない不安に、思わず啓太様へ身を寄せてしまいました。
「いやいや、お待たせしました」
襖を開けて住職さんが戻ってきます。
一瞬。
一瞬、襖の向こうに何かがいる気配を感じました。
「私がこの大道寺の住職をしております。此度はよく来てくださいました」
そう言うと、住職さんは啓太様の手を取りました。
「本当に、よく……!」
絆創膏だらけの手で啓太様の手を包むように取り、額に押し付けます。
感極まった声に啓太様もたじたじの様子です。
「……僕に依頼を任せて、本当によろしいですか?」
啓太様の容姿を懸念して確認でしょう。
しかし住職さんは啓太様の視線を真正面から受け止め、大きく頷かれました。
「勿論ですとも! 確かに貴方はお若いですが、犬神使いにそれが当て嵌まるとは私は思いません。彼女がそうなのでしょう?」
住職さんの視線が私に向かいました。
「はい。啓太様の犬神のなでしこと申します。此度は主の補佐を任されておりますので、よろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いします。もう、あなた方に縋るしかないのです……!」
その言葉にはどれほどの重いが込められているのでしょう。
住職さんは唇を震わせながら大きく頭を下げました。
「……頭を上げてください。受けた依頼は完遂します。犬神使いの名に賭けて」
「おおっ! よろしくお頼み申す、犬神使い殿!」
5
お茶を啜り一息つく啓太様。私はその隣でお話の邪魔にならないように控えていました。
「……ところで、ここに来る途中、色々な話を付近の人から聞きました。近隣の人から、結構苦情がきているとか」
「散歩がどうしても必要なもので……。近隣の衆には本当に申し訳ないことをしました」
「……随分とヤンチャ、のようですね」
住職さんの怪我を見ての言葉。それを聞いて住職さんの額から一筋、汗が流れ落ちます。
「ええ、何分……手を焼かれております」
スッと啓太様の視線が襖へ向けられます。
――襖の向こうから、カリカリと音が聞こえ出しました。
住職さんの発汗の量が増えます。
……私の不安も大きくなります。
「……今回の依頼は犬の霊の除霊、と伺っておりますが。憑き物の除霊、ですね?」
「そ、それは……」
「住職?」
顔を伏せた住職さんは小さく息を吐きました。
その顔はなにかを諦めたような、そんな諦観の表情。
「申し訳ない。このことを話せば、あなたもこの依頼を断ると、そう思っておりました」
「……他にも霊能者へ?」
「ええ、四人ばかり。うち二人は今も病院に。幸い命に別状はありませんが、今も昏睡状態にある者もおります。それ以来、他の霊能者の方に依頼を出してもアレの存在を知ると、皆断る始末で」
「……なるほど。ですが、一度受けた依頼を投げ出すつもりはありません」
「本当ですか?」
胡乱な目で啓太様を見る住職さん。そんな彼の視線を真正面から受け止め大きく頷かれました。
しばらくジッと見つめていた住職さんですが、心が定まったのか頷き返しました。
「わかりました。犬神使い殿を信じましょう」
――襖の向こうが騒がしくなります。
「あれは……」
――ばーんと、大きな音とともに襖が倒れ。
「あんどれあのふ、ダメじゃあああああああ――――――!!」
大柄な男性が四つん這いの姿勢で駆けてきました。
禿頭に逞しく鍛えられた身体。赤い褌のみを身に着けた大柄な男性は嬉しそうな表情で四つん這いで駆けてくると、啓太様に飛び掛りました。
啓太様をお守りしなくてはいけないのに、私はあまりの事態に思わず固まってしまっていました。
大柄な男性は啓太様に伸し掛かると、顔をペロペロと舐め回します。
そう、まるで犬のように……。
「あんどれあのふ、メ――――ッ!」
「くぅ~ん」
住職さんが叱ると野太い声で鳴きながらとぼとぼと彼の元に戻ります。
私は伸し掛かられたまま仰向けに倒れる啓太様を急いで抱き起こしました。
「啓太様っ! 大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「……? ……??」
啓太様はきょとんとした顔で私を見返しました。
「なでしこ? どうしたの?」
……どうやらあまりの衝撃に記憶が数瞬飛んでしまっていたようです。
啓太様をあまり刺激しないように優しく背中を撫で続けました。
啓太様の視線が住職の隣で大人しく座って待機している男性に向かい、小さく柳眉が上がりました。
「……なるほど。彼が憑き物にあったんですね」
私ももう一度、男性をよく視てみます。
……たしかに、男性の背後には可愛らしい子犬の霊がちょこんと行儀よくお座りしていました。
「はい……この子、あんどれあのふは生前飼い主に遊んでもらえなかった子犬。この子の無念を晴らして欲しいのです」
そう言って住職さんはこの事件の発端を話してくださいました。
「法明寺が猫を供養するのに対し、我が大道寺は犬の供養を専門にしてましてな。ここから少し離れたところに犬供養の鎮魂岩があるのですが、修行に来ていたとある武道家がそれを割ってしまいましての……」
「……で、これですか」
どうか! そう言って大きく頭を下げる住職さんを男性――アンドレアノフ、さんが心配そうに頬を摺り寄せました。
わかってはいるのですが、その光景に寒気を感じざるを得ません。
確かに、この方に襲われたら普通の人なら病院へ行くことになってもおかしくないでしょう。
(啓太様はどうするのでしょうか……)
いくらお仕事のためとはいえ、男性に擦り寄られ、顔を舐められ、もみくちゃにあうのはちょっと……。
それに啓太様も病院のお世話にならないとは言い切れません。この状況だと余計に。
何事もなく、一日が終わりますように。
「むぅ……。さすがに除霊(物理)をするわけにはいかない、か……」
啓太様も子犬の霊を視て困惑しているようでした。
しばらく目を瞑り黙考していましたが、考えがまとまったのか小さく頷きます。
「……分かりました」
「おおっ、分かっていただけましたか!」
「……ええ。満足いくまで遊んであげましょう」
ただし、俺流で。
そう言うと徐に立ち上がり、その場で身体を解し始めました。
キョトンとした目の住職さんを尻目に尋ねます。
「あの、啓太様?」
「なでしこはそこで見てて。なに、ただ子犬と遊ぶだけ」
上着を脱ぎ、身軽な格好になった啓太様は少し離れた位置まで歩くと軽く周りを見回します。
「――ん、この広さなら大丈夫か。じゃあ、来な。アンドレアノフ。遊んであげる」
アンドレアノフ、さんをちょいちょいと手招くと彼は目を輝かせて啓太様目掛けて突進しました。
そのまま勢いを殺さず飛び掛ります、が――。
「……ほい」
啓太様はしゃがんで回避しました。
頭上を飛び越えたアンドレアノフさんは危なげなく着地すると再び跳躍します。
「ほっ」
しかし啓太様は外側へ一歩踏み込むとすれ違い様にアンドレアノフさんの手を取り、そのまま投げ飛ばしました。
「えっ?」
「な……!」
綺麗に宙を一回転したアンドレアノフさんは足から着地します。何が起きたのかわからないのかキョトンとした目をしていました。
子犬――見た目は大柄な男性――を投げ飛ばした。その事実に住職さんが血相を変えました。
「犬神使い殿! 一体何を……!」
「ん? 遊んでるだけですけど」
「遊ぶって、そんな投げ飛ばして! あんどれあのふが怪我をしたらどうするんですのじゃっ」
「大丈夫。そんなへまはしません。傷一つ付けませんよ」
「しかし、これを遊ぶとは……」
住職さんの仰ることも分かりますが、肝心のアンドレアノフさん本人はこの『遊び』をいたく気に入ったのか、顔を輝かせて啓太様に飛びつきました。
それを先ほどと同じように避け、または投げ飛ばしてあしらいます。投げる際も絶妙な力加減と誘導で、怪我をしないように上手く制御しています。床が畳というのも大きいでしょう。
その光景は飼い主にじゃれつく犬の姿そのものでした。
「お、おお……これは」
住職さんも嬉しそうに、そして楽しそうに啓太様とじゃれ合うアンドレアノフさんを見て驚愕の表情を浮かべました。
「ほっ、と……よ……はっ」
「わふっ、わふっ!」
しゃがんで避け、踏み込んで擦れ擦れのところで避け、投げることで避けと多彩な動きでアンドレアノフさんを翻弄する。
私から見てもまったく無駄のない動きで躱し続ける啓太様に必死に飛びつこうとアンドレアノフさんも動き回ります。
投げ飛ばした啓太さまはアンドレアノフさんの胸にしがみつくと、今度は擽り始めました。
「ワホ、ワホホホホホホホホッ!」
「こちょこちょー」
奇妙な笑い声を上げて畳の上を転がるアンドレアノフさんに容赦なく呵責の手を加えていきます。
「……むっ、こことみた」
「――! ワホホホホホホホホーン!」
目に涙を浮かべてまで笑い転げる姿に、住職さんは嬉し涙を流していました。
「おおっ……あんどれあのふがあそこまで喜ぶとは……。よかったのぉ、あんどれあのふや」
確かに涙ぐましいお話なのでしょう。
ですが、実際は褌一丁の男性が嬉々とした顔で中学生の男の子に飛び掛っている図。
啓太様に危害は無いので言われた通り控えていますが、自然と困った顔になってしまいます。
「……? アンドレアノフ?」
不意にそれまで活発に動き回っていたアンドレアノフさんがパタリと仰向けに倒れました。
その顔はなにかやり遂げたような満足げな表情です。
彼に憑いていた子犬は……いませんでした。
「……そうか。逝ったか」
啓太様に遊んでいただいて満足したのでしょう。
啓太様もそれに気がつき少しだけ目を細めました。
住職さんはアンドレアノフさんの名前を呼びながら号泣しています。
「……向こうではいっぱい遊んでもらいな」
「ありがとうございました、犬神使い殿。あなたのおかげであんどれあのふも満足して昇天できましたのじゃ」
「ん」
一時はどうなるかと思いましたが、啓太様の見事な手腕で乗り越えることが出来ました。
私は何も出来ることがなかったのは少し心残りではありますが、今は啓太様の無事と依頼達成に喜びましょう。
「これなら他の子たちも安心して任せられますのじゃ」
「……ん?」
「はい?」
なにか、よくない言葉を聞いたような気が……。
「実はあんどれあのふ……この方は大学の空手部主将のようでしてな」
「……」
「強化合宿なのか団体でいらしてまして、幸か不幸か部員二十名。そして、鎮魂岩に祀られていた犬も二十匹と丁度数が合いましての」
「……もしかして?」
冷や汗をかいた啓太様の言葉に住職さんは満面の笑みで応えました。
「はい~。そちらのほうの除霊もお願いしますのじゃ」
その言葉を合図に、開けた襖からその部員さんたちがすごい勢いでやってきました。
我先に遊んで、遊んでと純粋な目で駆け寄ってくるその姿。
アンドレアノフさんと同じ褌姿、じゃーじというお洋服、胴着。
皆、共通して言えるのは、全員ムキムキで筋肉質な大柄の男性という点でした。
絶句する啓太様に飛び掛る男性。反射的に避けて先ほどと同じように投げ飛ばす啓太様。
「ワホホーイ!」
遊んでくれていると実感しているのでしょう。
嬉しげな声を上げてぼくもぼくも、と皆一斉に啓太様に飛びつきます。
「さすが犬神使い殿ですじゃ。初見であれほど懐かれるとは、さすがはワシが見込んだお方ですじゃ」
もみくちゃに合うのを必死に捌いているその様子に満足げに頷く住職さん。
流石に啓太様の手に余るのではと私もお手伝いしようと申し出ました。
「大丈夫っ。ちょっとみんなで遊ぶだけ、だから……!」
……なんてことでしょう。
四方八方から飛び掛ってくる男性たちを巧みに足捌きや上体の動き、さらには投げたりして捌き続けています。
この場を支配しているのは間違いなく啓太様ご本人。
そして、非常に珍しいことに、啓太様の口が小さく吊り上っていました。
(啓太様、あなたは本当に優しい方なのですね……)
見た目は大柄な男性でも中身は子犬。
それが分かっているからこそ、啓太様は本質を直視し子犬たちと遊んであげています。
そして、それが楽しいのでしょう。
視れば、子犬たちも皆楽しげでいて嬉しそうな顔で啓太様とじゃれ合っています。
それに気がついた私は自然と強張った表情がほぐれ、微笑むことが出来ました。
それから小一時間。啓太様は皆が満足するまで遊んであげて、無事依頼を遂行することができました。
何気に、啓太結構喋った回。
愛知県はテキトーに決めました。
アンドレアノフとの遊びは合気道の乱捕りのようなイメージです。
まだ感想書いてないぜ!という方。よろしければ感想をお願いします。
もれなくポチのテンションが上がり、執筆意欲向上という副次効果が現れます。