P.I.T(パイナップル・インザ・チューカスブタ) (完結)   作:コンバット越前

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我ながら久っさしぶりに書いたのがこんなのかよ……
神様。明るい話が書けません。







織斑一夏の罪

健やかなる時も

病めるときも

喜びのときも

悲しみのときも

あなたは妻となる者を慈しみ、愛し続けることをここに誓いますか?

 

 

 

 

 

……はい。誓います。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

目を覚ました一夏は仰向けのまま、目に入る汚い天井を暗鬱の思いで見た。ヤニやら劣化やらで汚く変色した天井模様。見ているだけで吐き気が酷くなりそうだ。

 

顔を背けるために体を横にすると、ベッドがミシミシと嫌な音を立てて軋んだ。ベッドとは名ばかりの粗末な寝床。身体を休めることが本来の機能のはずなのに、その役割をぜんぜん果たしていない。

 

「ちっ」

小さく舌打ちして身体を起こす。頭があたかも鉛が乗っかっているように重い。

 

ふらつく足で一夏は立ち上がると、ゆっくりと窓のほうへ向かった。

ボロキレのようなカーテンを思いっきり引っ張る。目に入るのは今日もいつもの雨模様。

 

 

 

変わらぬイギリスの空。

 

 

 

一夏は軽く頭を振ると、持ってきていた旅行用のバッグからペットボトルのミネラルウォーターを引っ張り出した。手で触れると既にぬるくなっている。出来ればキンキンに冷えた水が飲みたかった。だがこんな超格安のモーテルに冷蔵庫なんて洒落たものが置いてあるはずも無い。

 

どんよりとした天気を肴にぬるくなった不味い水を喉に押し込む。

無性に日本の……自分の故郷の空が恋しくなった。

 

そんな故郷の青い空を思い浮かべていると、テーブルの上に置いてあった携帯が鳴る。立ち上がり手にとって確認するとやはり相手は妻からだった。一夏はため息をつくと、手に取った携帯を静かにテーブルに置いて、再度ベッドに仰向けになった。勢いをつけた為、またベッドが嫌な音を奏でる。

 

携帯は鳴り続けている。

一夏はそれから逃れるように両手を目にやって静かに瞳を閉じた。

 

 

 

どうしてこうなったんだろう?

何度も何度も繰り返し反芻した思い。答えは未だ出ない。

愛し合い・誓い合い・彼女を守り抜く。そう決めたはずだった。

彼女を選んだ。沢山の好意の中から、そして数多の愛情の中から。誰でもない、自分の意思で。

多くの大切な人たちの涙を犠牲にして、彼女の笑顔を選んだんだ。

彼女となら生涯を共に出来ると、そう思ったはずだったのに。

 

 

本当にそうなのか?

そこで頭の隅に自分の中の蛇が囁いてきた。本当にそう思っていたのか?織斑一夏と。

 

「違う、違う違う!俺は確かにアイツを愛して……愛そうと誓って……!」

己の中の蛇に一夏は返す。だが何も言葉は返ってこない。返ってくるのは己を嘲笑うような罪という名の幻聴だけ。

 

 

どうして、こうなったんだろう?

 

 

 

「セシリア……」

未だ鳴り続ける電話の相手……妻の名前を一夏は呟く。

 

 

守り抜くと誓った彼女の笑顔。

その心からの笑顔を見たのはもう何時のことだろう?一夏自身もう分からなかった。

 

 

 

 

 

 

一夏は学園を卒業すると同時にイギリスに渡り、オルコットの籍に入った。セシリアは国を代表する貴族の、財閥の家柄だ。学園を卒業すれば当然の如く祖国に帰らなければならなかったし、オルコット家の当主としての職務を果たさなければならないからだ。だから一夏の方が彼女について行くのは必然であり決定事項でもあった。

 

織斑の名を捨てること、日本を離れること、葛藤がなかったのか?と言われれば嘘になる。千冬からももう少し時間をかけるよう何度も何度も言われた。

 

「お前らはまだ若すぎる。もう少し時間を置かないと不幸になるだけだ」

「お前の為を思って言っているんだ一夏。お願いだから分かってくれ」

「なぜだ一夏。何をそんなに急いでいるんだ?私にはお前が分からない」

 

何度この台詞を聞いただろう。終いには姉と喧嘩別れする形で一夏は家を出た。

最後に見た見送る姉の悲しそうな顔はきっと生涯忘れることは出来ないだろう。

 

なぜあの時そんなにムキになって急いでいたのだろう?一夏は回想する。

姉の言うように急ぐ必要なんて何も無かった。世の一般の恋愛のように普通に恋をし、お互いをより理解していく。それじゃいけなかったのか。

 

 

 

……いけなかったのだろう。

一夏は目の奥に未だ焼きついて離れない大切な子らの泣き顔が浮かんできて、歯を食いしばった。

 

年若き男と女。それが仲間としていつまでも変わらぬ友情を……なんてのは土台無理な話だったんだ。

いや、少なくとも一夏自身はそう願っていた。むしろ彼女たちとはそういう男女の関係になりたくない、とさえどこかで思っていた。大切な仲間としてずっとこの関係を保ちたいと願っていたのだ。

ずっと、ずっと変わらないまま大切な仲間として、友達として……。

 

でも、そんなのは一夏の勝手な願望に過ぎなかった。

 

命をかけて運命を共にするというのは絆が深まる。戦友というのがいい例だ。

但しそれはあくまで何より友情というのが大前提なのだ。友情が。

 

亡国との命をかけた戦い。その他様々な困難。確かに学園での日々は本当に波乱万丈だった。そしてそれを乗り越えるたびに皆との絆は確かに強くなっていった。

……だけどそれは少なくても一夏が望んだ形での絆ではなかった。

いつからだろう?大切な仲間であるはずの彼女たちに言い知れぬ思いを抱くようになったのは。自分を見つめる視線に、自分に触れようとする手に、自分に投げかけてくる言葉に。

 

恐怖を、感じるようになったのは。

 

 

「だってどうしようもなかったんだよ……。千冬姉、俺にはどうにも……」

 

不意に口に出た弱言。意図せず出た言葉の相手はやはり姉だった。

その情けなさに一夏は己を嗤った。あれから3年、なのに本当に自分は何一つ成長しちゃいない。

 

「なんで誰もかれもこんな最低なヤツを……」

己を卑下する言葉が止まらない。無さけなくてやるせなくて、そして申し訳なくて。

 

そこでようやく繰り返し鳴っていた着信は止んだ。代わりにすぐさま画面にメッセージが表示される。

 

『申し訳ありません一夏さん。電話に出ることはできませんか?』

『お身体は大丈夫なんですか?お返事をいただけませんか?申し訳ありません』

『何度も繰り返し申し訳ありません。でもわたくし心配で、本当にごめんなさい』

 

申し訳ありません。

ごめんなさい。

読んだ一夏は己の胸を掻き毟る。もはや口癖となった妻の言葉。謝罪という名の罰。だけど妻を、セシリアをそのようにしたのは他ならぬ自分なのだ。

彼女が謝る必要なんて何一つないというのに。全部自分の罪だというのに。

 

一夏は仰向けのまま左手をかざす。その薬指に収まっているダイヤの指輪を見上げる。

それは愛の結晶。番の相手を永久に愛するという誓約の証。

ああ、そうだよ。分かってるよ。妻は自分を愛している。

あの日腕の中で私を選んでくれてありがとうと、代わりに貴方を永遠に愛し続けますと、そう泣きながら言ってくれた言葉と想いをそのままに、彼女はずっと自分を愛してくれている。

 

……だけど俺は?今でもセシリアを?

そこでまた己の蛇が囁いた。ウソツキめと。

 

お前は本当はセシリアを愛しちゃいなかったんだろ?

……違う。

 

セシリアを選んだんじゃない。ただ彼女に逃げただけだろ?

……違う。

 

違わないさ。

だって、お前は。

 

……蛇が嗤う。俺の中の俺が。

 

最初から誰も愛しちゃいないんだ。

「違……」

 

違う。

その言葉は出ない。もう出せない。

 

 

『どうしてセシリアなんだ。私の何がいけなかったんだ一夏。教えてくれ』

『ごめんなさい一夏。でもボクじゃダメだったの?もう夢見ることも出来ないの?」

『お前は私の嫁だ。……嫁……のはずだったのに……!』

『嫌だ……。あたし、やっぱりこんなのヤダ……。一夏とずっと一緒にいたいよぉ」

 

『一夏』

『一夏』

『一夏』

 

「やめてくれ!」

一夏は蛇が創り出す己の幻聴に向かって叫ぶ。

 

そうだ。そうだよ。その通りだよ。

俺は誰も愛しちゃいない。愛していなかったんだ。

でも……。

 

一夏は幼子のように己を掻き抱いて目を瞑る。

 

でも……愛されたいとも思っちゃいなかった。

 

 

「ごめんなさい」

口に出た言葉は妻に向けたものか、『彼女たち』に向けたものなのか、もう分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今話は『織斑一夏の罰』という話でセットなる予定です。
次回はいつになるか正直分かりませんが、ヒマでしたら読んで作者の頭を嘲笑ってやって下されば本望でございます



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