P.I.T(パイナップル・インザ・チューカスブタ) (完結)   作:コンバット越前

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第4話 『思慕』

「簪ちゃん。ちょっといいかしら?」

いきなり背後からかけられた声に、更識簪はもう日課となっているIS組み立ての作業を一旦止めた。

 

「……お姉ちゃん。ビックリするからいきなり声かけないで」

「ごめんね。なんか集中してたみたいだから中々声かけづらくて」

 

他意はないだろうが、姉の楯無が気配を全く感じさせないで近づいていたことに簪は少し暗鬱になる。こういう何気ない動作でさえ、自分との差を見せ付けられているようで。

 

「明日休みだからって、こんな時間まで駄目じゃないの」

「分かってる。もう終わる」

「経過はどうなの?」

「別に」

「何か手伝うこと……」

「ない」

 

姉の言葉を遮って返す。

手伝いなんて絶対に要らない。これ以上の劣等感は嫌だ。

 

「そう……」

楯無が寂しそうに呟く。それを横目に簪は止まっていた手を動かし始めた。

 

「ねえ簪ちゃん。ちゃんとご飯食べてる?」

「子供扱いしないで」

「あ、ごめんね。でも最近何か元気がないように見えたから。もし何か悩み事があるのなら」

「………何もないよ」

 

簪は己の動揺を悟られないよう短く返した。

 

姉が日々どうにか自分とコミュニケーションを取ろうとしているのは分かっている。他人とあまり接点を持とうとしない自分を随分と心配してくれているのも勿論分かっている。

それでもそんな心遣いさえ余裕の違いを感じさせられて煩わしい、と思っている自分がいる。そんな自分が嫌だった。誰が好き好んで家族とこういう歪な関係でいたいと思うものか。出来ることなら昔のように仲良き姉妹のままでありたいとも思っている。

 

でもそれは無理なことだ。もう昔とは変わりすぎてしまったのだから。自分も、姉も、そして周りの環境も。

 

「大丈夫……大丈夫」

楯無に聞こえない程の小さな声で、己に言い聞かせるように簪は呟いた。

 

悩み事、という姉の言葉が胸につかえる。簪は手元の機器に集中することでそのことを忘れようとした。

 

互いに無言の状態が続く。その空気の悪さに簪は整備室を出て行きたくなってきた。そして同時に姉に対し僅かな怒りも沸いてくる。ここはこの学園で数少ない自分だけの空間なのに。

 

「用がないなら……私もう少しだけやることがあるから」

「そう。ごめんね簪ちゃん。……じゃあね」

 

そうして背中を見せた姉に簪は小さく安堵の息を吐いた。

 

「あ、そうだ」

だが数歩進んだ所で楯無が立ち止まる。

 

「織斑先生の弟さんについてだけど」

その言葉に簪の手が止まった。

 

「随分と凄惨な事件だったから、今更だけど簪ちゃんも気をつけてね。IS関係者を狙ったっていう話もあるし、私も一応国家の代表生だから」

 

簪は震えを隠すように互いの手を強く握った。

 

「私も葬式に参加したけど、やっぱりああいうのは見てるだけで辛かったからね。だから簪ちゃんも……」

「お姉ちゃん分かったから。だからもう……」

 

言葉を探すように言いよどむ楯無を遮って簪が待ったをかけた。もう出て行ってくれと。

 

「分かったわ。邪魔してごめんなさい。じゃあね」

最後に寂しそうに笑うと楯無は今度こそ出て行った。

 

姉が去り、何時ものように一人になった整備室で簪は震える手で胸を抑えた。

彼のことを思うだけでまるで身体の中に暴風が巻き起こっているかのような感覚に襲われる。彼のこと、彼の身に起こった凄惨な事件のこと、それを忘れたいと願っても自分の中の何かがそれを許してくれない。

 

織斑一夏。

彼にとっては寝耳に水のことだろうが、ずっと嫌っていた。彼のせいで自分の専用機となるべきISの開発が後回しにされたからだ。彼がIS学園への入学を取りやめた後もそれは変わらず、万が一のことを想定され、相変わらず自分のことは先送りにされた。それが悔しく彼が憎かった。

 

……だけど今は。

簪は彼と初めて会ったときのことを思い出す。姉といる時のように、言いたいことも言えず、震え俯くことしか出来なかった見ず知らずの自分を助けてくれたことを。

自分が誰かなんて彼は知る由もなかっただろうし、最後まで知らなかったに違いない。簪は暫しその思い出に浸るように目を閉じた。

 

御伽噺のようなナイトなんて漫画やアニメの世界だけだと思っていた。

正義の味方なんてあり得ない空想のものだと思っていた。

……なのに、あの時颯爽と助けてくれた彼はあたかも思い描いていたヒーローのようで……。

 

彼にとっては自分を助けたことなど気にも留めてなかったに違いない。接点のない自分たちが関わったのはその時だけなのだから。

しかも後に聞いた本音の話によれば、彼は中国の代表候補生と付き合っていたらしい。元より自分が彼とどうこうなるなんてのは無理な話だったのだ。

そう。分かっている。でも、『それでも』という幼い願望が未だ消えてくれない。

 

 

……一目惚れなんてものがあるなんて考えもしなかったな。

簪は変わらない薄暗い天井を見上げながらそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

「よし着いたぞ」

「ありがとうございます。本当に」

 

一夏はここまで運んでくれた親切な運転手に深く頭を下げる。

 

「ああ。まぁ何だ。事情は分からんがとにかく元気出せや」

「……はい」

 

最後に少しだけ笑みを作ると、一夏はもう一度頭を下げてトラックから降りた。そのまま走り去っていくトラックをぼんやり見送る。

 

これからどうしようか。一夏は未だハッキリしない頭で考える。姉にも連絡をつけることが出来ない状況でどうすべきなのか。警察に駆け込むことも今となっては出来そうにない。自分自身右も左も分からない今の状態で、何をどう説明すればいいのか。

 

誰でもいい。誰か信頼できる人に連絡できたら……。

一夏は寒さに震えながら周りを見渡す。暖房がかかった車内から真夜中の寒空はやはり辛い。

 

立ち並ぶホテルに入ろうにも、身元の保証もない自分が泊まれるのかも分からない。一夏はとにかく寒さをしのぐ為に目に入った電話ボックスの中に入った。携帯の普及により、今はもう廃れるだけとなった電話ボックスだが、この瞬間だけはその存在に感謝した。

 

寒さに震える一夏の目に備えられている分厚い電話帳が映る。それを見た瞬間天恵のような考えが浮かんだ。飛びつくように電話帳を捲っていく。姉への電話は何故か繋がらない、他の連絡先も今は分からない。

でも、もしかして……!

 

「あった……!」

一夏の顔にようやく笑顔が出る。

 

五反田食堂。

この個人情報規制化の世の中でも客商売なら番号は載っているに違いないと思った。五反田なんて珍しい名だ、同じものが二つとあるがずがない。一夏は受話器を取ると番号をプッシュしようとして……。

 

「一万札しか持ってないじゃん!」

そう自分にツッコむと、一夏は小銭を手に入れる為に通りの向こう側にあるコンビニへダッシュした。

 

 

 

 

 

 

 

五反田弾は音楽を聴きながら、ただ虚ろに見慣れた自分の部屋の壁を見ていた。イヤホンからは好きな曲が流れているが一向に気分が高揚しない。

 

一夏が死んだ。

その事実を未だ受け入れられず、身体を縛る鈍い痛みのような重みが取れてくれない。

 

一夏の死亡が発覚してから妹の蘭は連日泣き通しだった。妹が親友に淡い想いを抱いていたのは知っていたし、それを慰めることに集中することで弾自身の辛さを忘れることが出来た。だがあれから数日経ち、ようやく蘭も落ち着きを取り戻すようになった。だがそれが皮肉にも加護の対象が無くなったことで、今は弾の方がその重みに押し潰されそうになっていた。

 

かけがえのない友達。何年もの付き合いの親友。それがもういないという事実が受け止めれない。どれだけ犯人への恨みを募らせただろうか。どれだけこの部屋で一人泣いただろうか。だがどんなに悲しんでも死んだ人間は還って来ることはない。絶対に。

 

弾は棚に置かれた写真立てに目を移した。数年前の一場面、一夏を中心に三人が身を寄せ合って笑い合っている絵がそこにある。

 

一夏……。

まるで自分の半身が捥がれたかのような感覚を覚えながら、弾はもういない親友のことを思った。

 

「弾。起きてる?」

そこで部屋がノックされる。そして返事を返す間もなく母親が入ってきた。

 

「やっぱりまだ寝ていなかったの」

「……何?こんな時間に?」

「あなたに電話よ」

「電話?こんな時間に家の?誰から?」

「分からないわ。友達としか聞いてないから。はい」

 

釈然としないまま母親から子機を受け取る。

 

「弾辛いのは分かるけど、お願いだから身体壊さないでね。……早く寝なさい」

母親は心配そうに言うと部屋を出て行った。弾はゆっくりと子機を耳に当てる。

 

「……もしもし」

『弾。俺だよ。良かった、やっと知り合いと繋がった』

「はぁ?」

『弾助けてくれ、俺訳分からなくて』

「いや、いきなり何なんだ?誰だよお前」

『だから俺だって!一夏だよ』

 

その瞬間、弾は今まで感じたことないくらい頭に血が上るのを感じた。その怒りで目の前まで赤く染まっていくような感覚になる。

 

「ふざけんなよテメェ!誰だか知らんがこんな夜中によくそんなふざけたこと言えるな!学校のバカか?それとも何処ぞのヒマ人か?俺のことはいいよ、でもその言葉は死者を、一夏を侮辱してんだよ!もういっぺん俺のダチを愚弄してみろ……ぶっ殺してやる!」

 

荒い息遣いを吐いて弾は吼えた。誰だろうとそれだけは許せなかった。

 

『……ははっ』

暫しの無言の後、電話の相手が小さく笑うのが聞こえた。

 

「何が可笑しいんだよ!」

『いや、違うよ。こんな時だけど何か嬉しいんだよ。やっぱり弾なんだって思えたから』

「何言って……」

『弾。信じられないだろうけど、本当に俺一夏なんだ。弾なら分かるだろ?俺が一夏だって』

「……えっ?」

『弾』

「……」

 

弾は受話器から聞こえる声に、自分の名を呼ぶその聞きなれた声の調子に改めて唖然となった。

 

そんなことあるわけない。死者は生き還ったりしない。

……だというのに電話から聞こえるそれは毎日のように言葉を交わしていた親友のようで。

 

『弾!頼むよ、助けて欲しいんだ!』

「……分かったよ。とりあえず話してみろ」

 

だから震える声でやっとそう返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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