P.I.T(パイナップル・インザ・チューカスブタ) (完結) 作:コンバット越前
時間にしてほんの一分程だろうか。一夏は尻餅をついたまま、あまりの驚きで遠くなっていた意識をようやく引き寄せると大きく頭を振った。
全てを否定したい。それともこれは全部性質の悪い悪夢で、このまま眠ってしまえば何時もどおりの日常が始まってくれるのだろうか?
でも分かっている。そんなのはあり得ないと。これが現実なのだと。一夏はテレビから顔を背けると立ち上がり、必要な物を揃えるために部屋の中を再度散策し始めた。先程もうここには一瞬たりとも居られないと思ったが、それ以上の衝撃が一夏を逆に少し冷静にした。今は何より出るための準備が大事なのだ。
テレビからは止むことなくアナウンサーによる『織斑一夏殺害事件』の詳細や続報が粛々と読み上げられている。一夏はリモコンで消音設定にすると、とにかく必要な物を探す作業のみに集中しようとした。
それから20分。ようやく外に出るための準備を整えた一夏はテレビが映る部屋に戻ってきた。あれから分かったのは、ここが森のような木々に囲まれた場所だという事。電気は通っているようだが、電灯から電化製品に家具まで、ありとあらゆる物が壊されていること。この建物が少なくとも二階以上の建物だということ。そして何より全てが狂っているということ。
テレビの灯りによって見つけたライターを手に、隣接する部屋に向かった一夏が見つけたのはおびただしく広がる血の跡。それを見た瞬間もはやこの建物を捜索しよう、という意思は跡形もなく消えた。廊下で階段を見上げたときに地獄への道にも見えた二階に上がるなんて以ての外だ、絶対出来っこない。一夏は無音のテレビの灯りを眩しそうに見つめると、光に安堵するように大きく息を吐いた。
サイズ的に女性物のようだが、どうにか外に出るための服も見つけることが出来た。幸運にも懐中電灯も。もうここで朝を迎える必要なんてない。それにもし誰かに誘拐されたというのなら、やはり犯人の動向も気になる。今誰も居ないうちに逃げ出さなければ。
だというのに、身体が動いてくれない。
闇が支配する外に出るのが怖いのか、テレビの内容が身体を重くしているのか、一夏自身はっきり分からなかったが、テレビの灯りの前から動くことが出来ない。
でもダメだ。今のうちに出て行かなきゃいけないんだ。頑張るんだ。一夏は自身に発破をかける。
少女の顔を思い出す。愛しい彼女の顔を。
……そうだ。俺は明日あの子と初めて恋人として……。
「よし」一夏は小さく気合を入れると、ようやく灯りの呪縛から抜け出す決心がついた。あの子の為にも帰らなきゃいけない。絶対に。
「すみません。後で必ず返します」
一夏はここに居ない持ち主に謝罪の言葉を述べると、無造作に散らばっている一万円札を三枚ポケットにねじ込んだ。願わくばここがこのお金を使う必要のない場所であることを願うが。
行こう。
最後に振り返ってテレビを一瞥すると、一夏は外に出るために歩き出した。
「こんばんはー。ちーちゃん」
弔問客が去り、誰も居なくなった会場の一室で一人物思いに耽っていた織斑千冬は、不意に思いもがけない人物から声をかけられた。
「束……?お前が一体何しにここに?」
「線香の一本でもあげようと思ってね。私もいっくんは知らない仲じゃないし」
千冬はその言葉に一瞬目を細めたが何も言わず押し黙る。そして束も線香をあげるということもせず、少し笑みを含めて千冬を見た。
「ねぇちーちゃん。どうしてあの子たちを呼んだのー?」
「別に意味はない」
「あの子たち、だけで誰を指してるか分かったんだー?さっすがちーちゃん」
「貴様のことだ、大方妹辺りから聞いていたんだろうが。別に隠すことでもない、代表候補生を学園の代表として教師の身内の葬式に出席させた。別におかしくないだろう」
話は終わりとばかりに千冬は座布団から腰を浮かすと、そのまま出て行こうとする。
束は口元を吊り上げながらその背に問いかけた。
「ちーちゃん疑ってるの?あの子たちの誰かを」
その言葉に千冬は振り返る。そして黙って束を見つめた。
「ねぇ誰?もしかしてさー……箒ちゃん?」
「聞きたいか?」
「もっちろん」
「疑ってるのは私自身をだ」
「へっ?」
「私は私を誰よりも怪しんでいる」
そう言うと千冬は小さく自虐するように笑う。そして今度はもう振り返ることなく出て行った。
束は笑みを消してその背を見送る。誰も居なくなった部屋に時折吹く風の音だけが虚しく響いた。
「しかし何だってこんな夜更けにあんなとこにいたんだ?」
「いえ、その……ちょっと色々ありまして……本当にありがとうございました」
トラックの助手席で自分を拾ってくれた運転手に一夏は頭を下げる。暖房が入った車の中は先程まで凍えながら歩いていた身にとっては天国のようだった。
自分は助かったんだ、という思いが身体だけではなく心も暖かくした。だがカーナビの方に目をやった瞬間固まってしまう。深夜のニュースでまたも自分の顔が映っていたからだ。
「タオル使いなよ。さっき少し雨降ってたみたいだし濡れただろ?」
「……あ、ありがとうございます。た、助かります」
一夏は震える手でタオルを受け取るとそれを頭に軽く巻きつけた。そのまま下を向いて顔を出来るだけ上げないようにする。別に犯罪を犯しているわけではないのだが、今は運転手に顔を見られたくなかった。
「にしても本当にどうしたんだ?遊んでて友達にでも置いてかれたとか?」
「まぁ、そんなとこです」
「そうか。苛めとかじゃないだろうな?」
「いえそんなんじゃ……」
「ならいいけどな」
運転手に言葉を返しながら、一夏は窓越しの移り変わっていく景色を眺め安堵の息を吐いた。どうあれこれで助かったんだ。
誰かに連れこられたであろうあの建物。幸運だったのはあれが山奥などではなく、深い雑木林の中に建てられたものだったということだ。最悪途中で野宿することも覚悟していたが、道もそんなに険しくなく、しばらく下りを歩いていると嬉しいことに人工的な光が見えてきた。そこから更に進むと環状道路が連なる大きな道に降り立つことが出来て、そこで運よく停止していたトラックに助けを求めたのだった。
幸いなことに運転手によれば、ここは隣県との県境近くにあるということで、家からは当初想像していたよりそう遠くない場所だということだった。そして運転手の目的地の通り道だということで、親切にも乗せてもらう事ができ、その後適当な駅で降ろしてもらえることになった。そうやって今に至る。
後一時間もすれば駅に着くらしい。一夏は外の景色をぼんやり眺めながらこれからのことを考える。まずはどうあれ千冬姉に連絡を取る手段を考えなければ。
考えている内にあの最悪なニュースも終わったらしい。一夏はようやく視線をカーナビの方に移す。そこでその下に付属してあるホルダーの中に入っているものを見て思わず息を呑んだ。携帯電話だ。
「あ、あの!すみません!」
「なんだ?」
「で、電話。電話貸して貰えませんか?連絡したい人がいるんです!」
「はぁ?」
「お願いします!お金なら払いますから!」
ポケットの中をまさぐる。
そうだすっかり忘れていた。電話だ、これが出来ればもう何も心配要らない!
「えっと。じゃあこのお金で……」
「いいよ電話貸すくらいで金なんて!……ほら使いなよ」
「ありがとうございます!」
一夏は携帯電話を受け取るとすぐさま番号をプッシュした。唯一の家族である姉の番号はソラで覚えている。きっと心配しているだろう、早く安心させてあげないと。
これでもう本当に大丈夫だ……。
『この電話番号は現在使われておりません』
聞こえてきた機械的なアナウンスに一夏は小さく首を振った。残念だが繋がらなかった、仕方ない少し時間を置いてもう一度……。
だがそこで止まる。
……今何て言った?番号が使われていない?電源や電波じゃなく番号自体が使われてない?
一夏はすぐに切ると再度電話をかけた。急いでいたから間違えたんだ。そうなんだ。
今度はゆっくり一つ一つ確認するようにプッシュしていく。これで絶対に繋がるはずだ。
『この電話番号は現在使われておりません』
しかし無情にも聞こえてきたのは同じ無機質なアナウンス。一夏は混乱し額に手をやった。どうなってる?姉とは3日前にも電話をかけて話したばかりだ。そんな短期間に変えるわけがない。
混乱する中で一夏は再度電話をかける。知らず動悸が激しくなってきた。落ち着けと自分に言い聞かせながらもう一つ覚えている番号をプッシュした。恋人の番号、忘れはしない。昨日だって話したんだから。
繋がってくれ!そう願をかけて携帯電話を握り締める。頼むお願いだ。
『この電話番号は現在使われて……』
一夏は最後まで聞くまでもなく電話を切った。そのままうな垂れる。
「お、おい。アンタ大丈夫か?」
「運転手さん……ここは、どこ、なんですか……?」
「は?いやさっき教えただろ?ここは……」
「俺……一体誰なんですか……?」
運転手が気味悪そうに見つめてくる。だがそんなのはどうでもいい、ただ訳が分からない。
一夏は手で顔を覆う。涙が出そうになるのを堪える為に。泣いてしまえば全部壊れる気がして。
闇はまだ明けなかった。