P.I.T(パイナップル・インザ・チューカスブタ) (完結) 作:コンバット越前
酒!飲まずにはいられない!
山田は震える手を伸ばすと、その魔法の水を手にした。そして躊躇することなくそれを口に含む。
「ぷはーっ」
一気に胃に流し込み満足げな息を吐くと、山田は次に残っていた日本酒に手を付けた。
「はぅ……」
ビールとはまた違うお酒の味。身体の芯が温かくなる感覚。
ビールも、日本酒も、ここには無いワインも、どれもオンリーワンな味わいがある。全てを美味いと感じ、日々の辛いことを忘れ、心を癒し、明日への活力にする。これこそがお酒の力なのだ。
「あははっ」
思わず口に笑いが出る。一夏が訝しげに見てくるが、そんな視線も気にならない。陰鬱だった気分がハイになっていく感覚、「ええじゃないか」という底抜けの陽気が内から沸き起こってくる。
「センセ?」
一夏の問いかけに答えることなく山田はその感覚に酔う。
……静かにしろい。この感覚が……。
また私を蘇らせる。何度でもね!
そして山田の目がクワッ!と開かれる。彼女は正に開眼したのだ。
アルコールが、体内に、駆け巡っていく……。
「なーんか随分好き勝手言ってくれましたねぇ?おりむらくーん」
「あ?」
山田の急な人を喰ったような言い方に、一夏の眉が上がる。
「自分と同額の年収を男性に求めるのがそんなに悪いことですか?」
「程度ってもんがあるでしょうよ。センセの場合望みすぎなんですよ。相手側の都合を考えないのはどうかと思いますけどね」
一夏がそっけなく言う。先ほどまでの山田ならそこで黙ってしまっていただろう。
しかし今の山田はもはや言われるままだった山田ではない。酒の力で強気になったYAMADAなのだ!
「フン。所詮はケツの青いガキのたわ言ですねぇ」
「なに?」
「散々言ってくれやがりましたけど~。要は織斑君何が言いたいんですかー?『男はつらいよ』とでも言いたい訳?いつの時代の人間ですかキミは」
「アンタ……」
「女尊男卑について随分思うとこがあるみたいですけど、その実、キミの根っこには男尊主義が根付いてません?」
「おい!」
一夏が怒りにかられ立ち上げる。
しかし山田は動じない。
「織斑君。キミの言うことも間違ってはないですよ?世のあり方が変わり、昔より男性がお金を得るのは難しくなってしまいました。今では女性のほうがいいお給料を貰っているなんてザラです。そういう意味では男性に同情しますね」
「そうだよ。古来より男は家族を支えるために懸命に仕事をしてきたんだ。それを……」
「ストップ」
山田は一夏の言葉を断ち切る。
「でも君は女性側の都合と言うのを全く考えはしないんですね?」
「は?女性の都合?」
「女性が優位な社会になったとはいえ、結局こと生きていくのには男性が優位なのは変わらないんですよ」
「どこがだよ。この明確な女尊男卑の世界で何言ってんだ。こんだけ優遇されといて、まだ不満なんスか。これ以上何を望むって言うんです?女ってのは」
一夏がうんざりしたように言う。
しかし山田はそれに冷笑をもって返す。
「分かってないのは君の方。いいですか?……よろしいですか!大前提として、女には出産・子育てという決して切れない大事が控えているんですよ!マタハラって言葉知っているでしょ?女性の社会進出が増えたと言っても、会社から見れば長期離脱する可能性のある女性より、男性を重用するのは変わってないんですよ。じゃあ代わりに男性が出産出来ますか?子育てしてくれますか?家事してくれますか?……出来ませんよね?しませんよねぇ!時代が変わっても世の男性は「男は仕事」と正に君が言ったような言葉を免罪符に、家のことは女性任せじゃないですか!子育てや家の事だってどんだけ心労が溜まるかなんて、男性は知らないでしょ?」
マシンガンのように話す山田に、一夏は多少驚きつつも内心ツッコミをいれる。
アンタもまだ知らねぇだろ、子育ての苦労なんて。
「男性と違い、一度社会から離れてしまえば職場復帰も難しい。そんな女性が縋れるものって結局の処……お金なんですよ。ええ、世俗的ですよ。俗物ですよ。でもそれが何ですか?保障されない未来のため、生まれてくるかもしれない新たな未来の命の為、女は『備え』を心がけなくちゃいけないんですよ。その『備え』の最も分かりやすい指標が月のお給料、そして年収なんです」
「だからと言ってそれを相手にも求めるのは話が違うんじゃないですか?」
「あのね。君がさっき言ったじゃないですか?『これ以上何を望むのか』って。織斑君、人間ってのは『もっと上に』と向上心を持つことはあっても、下を見て「これでもいいや」となってしまったら終わりなんですよ。保障のない女性が、何で自分より年収が低い男性相手に水準を合わさなければならないんですか?」
山田がフンと鼻で笑う。
「金が全てってわけじゃないでしょうが。そこはやはり互いに協力と相手への敬意をもって……」
「ハッ!君の方こそ寝言は寝てから言って下さいよ!そんな青臭い台詞、社会に出れば嘲笑ものですよ?」
「……世の中金だと言うんですか?」
「ええお金です。『金は命より重い』利根川さんもそう言ってたでしょ?実は私も見てたんですよ、あの番組」
驚く一夏に山田がニヤリと笑う。
中間管理職という立場の難しさがよく分かる番組であった。
「IS学園にしても、一体どれほどのお金が動いているのか考えたことありますか?いや、そもそも普通の高校でも、入学金に授業料、制服代に交通費エクセトラ……どれだけのお金が入用になると思います?毎年何十万ですよ。私立にもなればそれが2倍にも3倍にもなります。君らはエリートとして特例で全てが免除されるから実感がないんですよ。自分らがどんなに恵まれているのか、そしてお金の大切さも」
山田は一気に言うと、そこでまたもビールに手を伸ばす。
もはや誰にも止められない止まらない。
「織斑君は中学のころから、そして今もこうやってお金を稼いでいるのは偉いと思いますよ?そこは素直に凄いと認めます。ですが例え君が汗水流して毎日必死でここでバイトしたとしても、普通は授業料さえ満足に払えないでしょうね」
「だから稼ぎが悪いのはダメだと言いたいんですか?教師でしょ?それは酷くないですか?」
「私だって職業に貴賎はないと思うし、どうあれ生徒たちには例えどんなお仕事でも誇りとやりがいを持って就いて欲しいと願ってますよ。でもそれとは別に、私だって自身の幸せや、不安な将来の為にお金のことを考えるのは、そんなにいけないことなんですか?」
「それは……」
「『世の中お金』っていうと下種を見るような目を向けるヒマ人が多いですがね。人を救うお医者様になるのも、悪を裁く裁判官になるのも、叶えるまでにはどうしようもなくお金が掛かるんですよ。経済的な理由が原因で、誰よりも強い志や、聡明な頭脳を持っていた人が夢を諦めるなんてのは、おそらくこの瞬間にも何処かで起きていますよ。そんな彼らは皆、口を揃えてこう言うでしょうよ『お金さえあれば』ってね」
なぜか勝ち誇った顔で鼻息を出す山田に、一夏は眉をひそめつつも返す言葉が上手く出なかった。
確かにお金は大事だし、生きていく上で必要不可欠なものだ。だけど……。
「……それでも、俺は金が全てではないって……そう信じたい」
「敢えて言うなら全てといっても過言でないと思いますがね。……ふふ。どうしたんですか織斑君、急に青臭いこと言い出して。酔いが醒めてきましたか?」
「くっ」
「不思議なんですよねー。私も学生の頃はそういう青臭いセリフとか好きだったんですがね。社会に出て荒波に揉まれるようになると、いつの間にか、そういうセリフが苛つくようになってたんですよねー。なんでだと思いますか?」
「知りませんよ」
「世間の辛さを何も知らないションベン臭いガキ共が、恋してるとか愛だとか、正義とか正しさとか、大人相手にドヤ顔で説教するのを見ると、苦笑が浮かんでくるんですよねぇ。特にお金を全否定する言葉なんかは。そういうことを言うなら完全に独り立ちして、大人の庇護から抜け出してから言えって感じですよ。そうなってもまだ同じこと言えるなら尊敬しますけどね。まぁ無理でしょうけど」
じゃあどうしろってんだよ。一夏はグダを巻く山田に言いたくなる。
これからを担う若人が「世の中金です!」とでも言えってのか?それは救いが無さ過ぎるじゃないか。
「織斑君分かりましたかー?大人の女性はガキには分からない『現実』てやつがあるんですよ。童貞臭い戯言なんざお呼びじゃないんです。言いたいことあるなら稼いで下さいね」
山田は唇を歪めると、自分のグラスにビールを注いでいく。
そしてそれを飲もうとした瞬間、一夏が横からかっさらいそれを飲み干した。
「ちょっと!」
「センセこそ何も分かってない。男のプライドってやつを……」
「ハァ?プライドぉ~?」
「ISの登場でおかしくなっちゃいましたけど、昔から男は外に出て働き、女は家を守る。これが日本の在り方だったんです」
「だから?」
「男は日々の仕事で辛さを味わいながらも、誇りを持って励んでいたんですよ。仕事への誇り、そして何より一家の主として、家族を守ると言う誇り。プライドが男を強くしてしていたんです!」
「へぇー。そりゃすごーい」
「なのにこのご時勢になって、本来守るべき女性より年収が少なくなることが、家族を養うというプライドが崩れる様が、センセに分かりますか?……いや、決して分からないでしょうよ。女には絶対……!」
一夏は耐えるように歯を食いしばる。
プライドを奪われた世の男の苦悩。それは如何ほどのものだっただろうか。
「男は女に言われるまでもなく、年収や月給で己の価値を図ってしまう生き物なんだよ!」
「ふーん。なら話が早いじゃないですか。女性に文句言われないくらい稼げばいいんです」
「アンタって人はぁ……!」
一夏は拳を握り締める。
分かってもらえない……男と女の認識のズレが悲しい。
「一ヶ月懸命に働いて、その対価として貰える給与明細。それを鼻で笑われる男の悲哀が分かりますか?」
「笑われるくらいの給料しか稼げない男性が悪いんです」
「食事でお代わりを頼む際、『稼ぎの少ない身で食うご飯は美味しい?』そう嫌味を言われる男の屈辱が分かりますか?」
「快くお代わりをしてくれない程の給料しか稼げない男性が悪いんです」
「言葉の節々に感じる悪意。……しまいには(稼げ)(安月給)と幻聴にまで責められる男の絶望が分かりますか?」
「心に自己嫌悪が出来るくらいの給料しか稼げない男性が……ってなんでやねん。君は一体何者ですか?」
なんで学生の身分で世のお父さん方の苦悩を語ってんだよ。
山田は少し冷静になってツッコミを入れる。
「男は……男ってのはねぇ!プライドで出来ているんですよ!アンタには分からないでしょうねぇ!」
「あのねぇ。だから何?『俺はこんなに頑張っています。だからもっと褒めろ感謝しろ』そう言いたいんですか?……ちゃんちゃら可笑しいですよ!いいですか?世の女性にとって男性がどれほど頑張っているかなんて重要じゃないんです!結果です、結果が全てなんです。取って来るお金!これが全てなんです。その頑張りが給料という結果に反映されるんですか?チンケなプライドとやらが一銭にでもなるんですか?どうして男ってのは……いつまでもガキみたいなこと言うんですかね!」
山田の息が荒くなっていく。
「私がお見合いした人もそうでしたよ。聞きもしない夢とかを嬉しそうに勝手に語ってきて……。全く、現実を見てないって言うか……!」
「だから振られるんだよ」
「なんですって!」
「男というものを理解せず、年収だけ気にしてりゃそりゃ振られるっての。そんで『こんな素敵な私が振られるわけがない、相手が悪い』って自棄を起こす。……自意識高すぎじゃねぇの?」
「このガキ……!」
「そんなに金が好きならどこぞの成金親父でも捕まえろっての。アンタならロリ顔、うしちち、媚びた性格の三拍子で、スケベオヤジなんか簡単にメロメロに出来んだろ。そこで金塊を抱いて溺死してろよ」
「キー!何ですかその言い方は!」
山田が大声を出して立ち上がる。
一夏もそれに負けじと立ち上がった。
「女の……私の都合なんて考えもしないクセに!」
「そっちこそオレの……男の言い分を聞いてくれたっていいだろ!」
「聞く必要なんざありませんよ!童貞のクサいセリフなんか!」
「アンタもどうせ処女だろうが!センセみたく自意識高く貞操守ってるヤツが行き遅れになるんだよ!」
「な、な、なんですってー!」
「行き遅れー。振られ女ー。お見合い100人斬られ役でも目指すつもりですかー?」
「フ、フフフ。いくら温厚な私といえど流石にキレちまいましたよ」
「やんのか?うしちちセンコー!」
「……いいでしょう。元日本代表の力、存分にその身に刻んであげますよ!このガキンチョ!」
「かかってこいやー!」
男と女。やはりこの両者は永遠に分かり合えないのか……。
そんなやるせなさの中、二人は構えを取り対峙する。
そして怒れる二人の獣が正にぶつかろうとした瞬間……!
「失礼します!」
張りのある声を響かせて、一人の屈強な男性が酔っ払い以外誰も居なくなった店内に入ってきた。
紺色の制服に、紋章のある帽子。
誰もが知っているその格好の主は……天下の公僕おまわりさん。
「通報がありまして。何やら大声で不謹慎な会話をしていると」
ヤベェ。
山田は額に汗が浮かぶのを感じた。例え酔いが冷め切れない状態でも、その姿を見ただけで人は正気を取り戻してしまう。それが世の秩序を守る警察官という存在!
「未成年同士でお酒を飲んでいるとか……君たちのことですか?」
おまわりさんが疑いの視線を向けてくる。
そりゃあんだけ大声で喚いていれば店内にいた人も不思議に思うだろうなー。山田は一人納得する。
「二人ともまだ幼い顔つきですが、まさか……」
「いやだなーおまわりさん。恋人ですよボクたち!」
一夏が取り繕うように山田の肩に手を回す。
おい。
「ちょっと喧嘩しちゃっただけです」
「本当ですか?」
「はい」
「失礼ですが二人とも本当に二十歳超えているんですか?」
「もちろん!幼く見えるけど自分らは大人です。セン……じゃない真耶。証明してあげて」
一夏は山田に向き直り、片目を何度も瞬かせ合図する。
暫しポカンとしていた山田だったが、慌ててバックから身分証を取り出して警官に渡した。
「……確かに成年ですね」
「え、ええ。そうです」
「そちらの彼氏さんは身分を証明出来るものは?」
「いやー財布忘れちゃったんです。実は喧嘩の原因もそれなんですよー。会計のことで揉めちゃって」
一夏は人好きのする笑顔でのたまう。
山田は畏怖の目で少年を見た。この状況でよくペラペラと……。
「……まぁいいでしょう」
警官は未だ少し思うところがあるようだったが、身分証を山田に返した。
「では私はこれで。ところでこの店の店員さんはどこに?」
「買い物に行ったみたいですよ。客ほっぽいて何考えてんでしょうね?」
一夏がため息混じりに言う。
「そうだおまわりさん。ここの店長は見た目からして犯罪者予備軍ですよ。気をつけた方がいいです」
「は?」
「そうですね。彼の言うとおりです。近いうち逮捕したほうがいいと思います」
一夏に同意する形で山田も続く。全部投げ捨てて逃げ出しやがったイカ野郎に鉄槌を。
警官は首を捻りながらも「ではこれで」と言って去っていった。
大きく安堵の息を吐き、山田は一夏と顔を見合わす。
「驚きましたよ。よく咄嗟にあんなウソ言えましたね織斑君」
「内心ドキドキしてましたよ。汗ダラダラです」
「ハンカチ使います?」
「どうも……って、何コレ臭!」
汗をふき取るため頬にハンカチを当てた一夏が、顔を顰めてそのハンカチを投げ捨てた。
「あ……。そういえばそれでゲ○拭ったんだった……」
「おいふざけんな!」
「すみません……」
「ハァ……。ははっ」
「ふふ」
もはや互いに危機を乗り越え、ゲ○の香りを共有した彼らにはわだかまりが消え、連帯感のようなものが生まれていた。言うなれば川原で殴り合いを終えた不良同士が芽生える友情のようなものか。それとも堕ちるとこまで堕ちた者同士の現実逃避か。
「どうします先生?これから」
「織斑くんのご予定は?」
「あるわけないでしょ」
「じゃあ場所変えてもう少しお話ししません?まだ言いたいこと沢山あるし」
「偶然ですね。俺もですよ」
「女性の辛さ、愚痴……存分に聞いてもらいますからね」
「先生の方こそ男というものを理解してもらいます」
二人の男女は顔を見合わせ笑い合うと、静かにイカ931店を出た。
「なんか逃避行みたいですね」
「ドラマの見すぎッスよ先生。何処に行くって言うんです?」
「あーあ。のんびり旅行にでも行きたいなぁ……。休みが欲しいですよぉ」
「大変ですね。身体には気をつけてくださいよセンセ。じゃあ行きましょうか」
そして彼らは寄り添うように、欲望渦巻く深夜のネオンに消えて行った……。
さて、普通ならその後確実にイヤ~ンな展開になるものだが、そこはお子様二人&酔っ払い。そんなハァハァな関係になるはずもなく、バカ正直に次の店にはしご酒に向かった。
そこで懲りることなく暴走し、酔っ払い二人による傍若無人な行為によるお店の通報によって、敢え無く先ほどとは違う別のポリスの御用になってしまったのであった。
酔っ払いというのは、本当にまるで成長しない……。
その後暫くして、とある交番にはアホ二人の引き受け人として、明け方近くに呼び出された千冬の姿があった。彼女がそこで見たのは大口開けて長椅子で眠る弟と同僚の姿。千冬は世話になった警官、迷惑をかけた店の人に何度も何度も非礼を詫びると、どうか大事にしないよう深く頭を下げてお願いした。
こうしてアホ二人による、はた迷惑な飲み会は終了したのである。
その後について少しだけ。
織斑一夏は姉に顔の形が変わるほどビンタされ、新学期までの間毎日反省文十枚を書く日々を送っている。
とはいえ、素面に戻った彼自身があの日の自分の行為を一番に恥じており、頭を丸めて暫く何処かの山で修行させてくれるよう姉に頼んでいるが、その願いが叶えられる可能性は今のところない。
そして山田真耶は、自身が望んでいた暫しの旅行を、青筋立てたIS委員会のお偉いさんたちから笑顔でプレゼントされ。
『研修』という形で旅行に向かおうとしている。