P.I.T(パイナップル・インザ・チューカスブタ) (完結) 作:コンバット越前
「つまり織斑君はもっと女性の気持ちを考えてあげるべきなんです」
「はぁ」
「女性の気持ちに疎いというのは微笑ましくもありますが、やはり褒められたものではないことは織斑君も分かっていますよね?」
「えっと……」
「私だってなんていうか、女性の気持ちを弄ぶ織斑君なんて見たくはありませんよ?でもそれとこれとは別ってもんですよ。女性に人気があるのと、不誠実とはイコールではありません」
「そ、そうですか」
「向き合うことが大切なんですよ。鈍感という免罪符に逃げちゃいけません。想いの一方通行なんて悲し過ぎます。例え交わらなくとも向き合う努力をすることが肝心なんです」
「向き合う努力……」
「今はよく分からないと思いますが、いつかきっと分かるようになります。だから頭の片隅にでも留めておいて下さい」
「……はい」
「大丈夫織斑君なら出来ます。あなたが持つ優しさと誠実さがあれば……」
「先生……」
「ごめんなさい。職業病かな?すぐ説教じみてしまいますね」
山田はそう言うと一夏に照れたような笑みを向ける。その笑みはあたかも自分と同年代の少女のようで、一夏は何故か気恥ずかしくなり目を逸らした。
山田が言った『女性の気持ち』
……それがどういうものかはまだよくわからないけど。
それでも山田が自分に必要なものを提示してくれた、ということは分かった。
「先生。ありがとうございます」
だから礼を返そう。どこまでも『教師』なこの人に感謝を。
そうして一夏は山田に向き直ると、姿勢を正し感謝をこめて頭を下げた。
「ふふふ。いいんですよ、若人を導くのは大人の役目ですから」
そう言って生が入ったジョッキを豪快に一気飲みする教師山田。
「げぇ~ふ」
そしてオヤジのようにお下品にゲップをする。
全部ぶち壊しだった。
「先生!いい加減飲むの止めてくださいよ!」
一夏が吼える。どうしてこうなった。
「織斑君、居酒屋でお酒を飲まないというのはお店にとって失礼ってものです」
「いやそういうことじゃなくて」
「それにこの塩辛!この塩辛を前にお酒無しでいられるはずがありません!それはこのお酒の友……イカ臭さ全開の究極塩辛に対する最高の侮辱と言わざるを得ません」
「女性がイカ臭い言わないで下さいよ。マジでやめて……」
「あれぇ?それって女性差別ですかー?織斑君も所詮は俗にまみれた差別主義しゃれすかー?」
「……先生。もう帰って休みましょう……」
「何寝言いってるんれすか!夜はこれからです!そして私は大人のレディです!」
「大人の女性自称するならもっとしっかりして下さい」
「女も適齢期迎えちゃうと、飲まなきゃやってられないことが多くなるんですよ!将来の不安、周りからの無言のプレッシャー……織斑君、あなたには分からないでしょうねぇ!」
「そんなタイムリーなネタは止めてくださいよ……」
もはや制御不可能となった山田を前に一夏はただため息をつく。せっかく気まずいながらも先生と生徒として向き合っていたのに、ほんとどうしてこうなった。
しかしそれこそがお酒の魔力である。
ほんの少しだけ……。ほんの一杯だけ……。酒飲みにはこうした言葉がそのまま終わることはまずないのだから。どうあれ口にしたら最後、ほろ酔い気分という泥沼にはまり込んで行くしかないのだ。そしてその先に待つのは……。
一夏は身震いする。これからどうなるんだ?
「嬢ちゃんいい塩梅になってきたじゃねーか」
そこへ山田に酒を勧めやがった元凶が再登場し、一夏は冷めた目を向けた。
「店長……」
「おう一夏。お前も飲むか?」
「飲みませんよ。それよりどうしてくれるんですか?」
「なにが?」
「ん」
一夏は山田の方を軽く顎でしゃくってイカ店長に非難を表す。
山田はというと先程のハイテンションから一転、焦点の合わない目をあらぬ方向へ向けている。
「ご覧のありさまですよ。せっかく介抱してシラフに戻っていたのに」
「一夏よ」
「なんですか?」
「支えてやれよ、何度でもな……。酒で泣いている女の肩を支えてやるのは男の役目だぜ」
「何言ってんの?」
「酒ってのは楽しくなくちゃならねぇんだ。女の涙は酒の肴にするのはきつ過ぎるぜ」
「恥ずかしくないんすか?年甲斐もなくそーゆーこと言うの。つーかいつ泣いたんだよ」
「一夏。俺はお前には人の痛みを知ることの出来る男になってもらいてぇんだ」
「話聞けよ」
やさぐれる一夏。オヤジという生き物は本当に若人の話を聞かない。自分の言葉と世界に酔い『若者はこうあるべき』『こういう人間になって欲しい』といった身勝手極まりない理想を押し付けてくるのだからたまったものではない。
そして目の前のオヤジも例に漏れず言いたいことを言うと、ドヤ顔を脂ぎった顔に貼り付けて去って行った。
何しに来たんだよクソが。仕事しろよ。
一夏はガンを飛ばしてその背を見送ると、ヤニで汚れた天井を仰ぎ見た。もう帰りたいよう……。
「先生ぇ。お願いだからもう帰りましょうよ」
「ん~?いやですよぉー。夜はこれからです~」
「じゃあ俺先に帰るんで。先生は店長に言ってタクシーでも頼んでくださいね」
「わたしを置いていくんですか?」
「えっ?」
「私を置いてくんだ……織斑君もそうやって私を独りにするんだ……ぐすっ」
急に泣き始める山田に一夏が慌てて手を振る。
「ちょっ先生!泣かないで下さい!」
「独りにしないで下さいよぉ……」
「分かりました、分かりましたから!帰りませんから!」
「あっそ。よしっ……と。男ってやっぱチョロイですね~」
ウソ泣きかよ。マジふざけんな。
一夏は拳を握り締め必死に耐える。神様もうキレていいですか?
人の話を聞かない酔っ払いと、若人の話を聞かないオヤジ。駄目な大人に囲まれた一夏のストレスが急激にマッハになっていく。
一夏は頭を抱え、自分の不運を呪った。
「それで~織斑君聞いてますー?」
「聞いてません」
「ここからが本題なんれすよー。私が受けた屈辱を聞きたいですかー?聞きたいですよね?仕方ないなぁ」
「聞きたくねぇよ」
それからさらに一時間、酔っ払いの相手をさせられた一夏の限界はピークに達していた。日付もとうに変わり、希望ある一日が新たに始まっているというのになぜ自分はこんな目に?そろそろ気持ち的にクーデターが勃発しそうです。クーデタークラブです。
「ふぃ~。今日も一日お疲れさん、と」
そこで呼ばれもしないのに、イカ野郎がビール片手に一夏の隣に座る。
「店長いいんですか?まだ仕事中でしょ」
「いいってことよ。もう大方客も引けたしな」
「そういう問題じゃ……」
「か~!やっぱ仕事の後の一杯は最高だぜ」
一夏の当然過ぎる疑問を無視して酒を煽るオヤジ。
「ですよね~。この一杯の為に生きているって感じですよね~」
「おっ、嬢ちゃん若いのに良いこと言うじゃねぇか」
「やってらんないことが多すぎるんれすよ~」
「そんな日々の辛さを逃れる為に人は飲むんだよ。ホレ」
「あ~どうも」
そうして飲兵衛同士は勝手に盛り上がっていく。素面はそんな飲兵衛に冷めた目を向ける。飲み場の常の光景である。
「おい一夏」
「なんすか」
「おめぇも飲むだろ?」
「飲みません」
「遠慮すんなよ。ほれ一杯」
「飲まねぇっつってんだろ」
「織斑君空気読んで下さいよ~」
「あんたは黙ってろ」
もはや教師に対する敬語を放棄して一夏は更にやさぐれる。
「一夏よぉ。お前も二十歳超えて酒の一つも飲めないなんて恥ずかしいと思わねぇのか?」
俺はまだ16の高校生だってんだよ!
そう反論したい一夏であったが、どうあれ歳をごまかしていたのは事実なので黙るしかない。
「ほら一夏。空気よめよ」
「そうですよー。空気よんでくださいよ~」
酔っ払いに飲むよう暗に強要され、一夏は歯を食いしばる。
なぜ酔っ払いというのは、飲まない、飲めない人間にまで酒を強要するのだろうか?これは飲み場で下戸が抱く疑問である。皆の酒が進むと、あたかも飲まないことが罪のような空気へ向かうのだ。下戸たちは『空気を読まない奴』『場を盛り下げる奴』というレッテルを貼られ、非難の目を向けられて肩身の狭い思いをする。
そうした場の身勝手な暗黙の了解に耐え切れず、自滅の道を歩む者も後を絶たない。
それくらい酔っ払い共が複数集まった時の『空気読め。飲め」というプレッシャーは半端ないのだ。
どうか皆様方は年齢を遵守し、自身の体調に合わせて正しく楽しく飲んで下さい。
決して飲めない方に無理やり勧めたりしないよう強くお願いいたします。
「ほれ一夏」
歯を食いしばる一夏の前に注がれたビールが差し出される。ジョッキに光る黄金色が美しい。
「飲めよ。な?」
「おりむらくんの~ちょっといいとこ見てみたい~ハイッ」
酒飲みが持つ『見知らぬ他人とでもその場限りの友情を結ぶことが出来る』スキルを発動した酔っ払い二人が一夏に迫る。一夏はため息をつくと並並と注がれたビールを諦めた様に見た。
もうどーでもいいや……。
人はそれを逃避と言う。
色々疲れた一夏は薄笑いを浮かべると、渡されたジョッキを一気に煽った。
体内に、アルコールが、駆け巡っていく……。
「あれ~織斑くーん。どうしましたー?」
あれから更に数十分。無言で酒を消費していた一夏が急にテーブルに倒れこんだ。
「織斑くん。もうねんねしちゃったんですかー?」
ニヤついた山田が一夏を揺さぶる。しかし反応はない。
「織斑君……?」
更に激しく揺さぶる。だが反応なし。
え?これって……?
山田は一気にほろ酔い気分が吹っ飛んでいくのを感じた。これってまさか急性アルコール中毒?
テンパるのと同時に頭の中が急にクリアになっていく。
未成年、生徒、唯一の男性操縦者、教師、監督責任、酒の強要……そこから導き出る答え『人生終了』
「お、織斑くーん!」
涙目でマグニチュード7レベルに揺さぶる山田。終わる、マジで人生が終わってしまう。
「おいおい嬢ちゃん。どうしたんだよ?」
「織斑君が目を覚まさないんですよ!」
「ちょっと寝ちまったんだろ?ガキじゃねぇんだから暫くすりゃ……」
「ガキなんですよー!彼はまだ高校生なんです!」
「はぁ?」
「だから彼は高校生!私の生徒なんですよぉ~」
それを聞いたイカ店長の顔が真っ青になっていく。
未成年への酒の提出、強要……営業停止間違いなし。下手すりゃ後ろに手が回る。
「さ~てと。じゃあ俺そろそろ町内会の会合に行かないと」
あり得ない言い訳ほざいて席を立つイカ野郎。
それは人類に残された最後の手段。逃亡。
「ちょ、ちょっとー!」
「じゃあ。そーゆーことで」
「ま、待ってくださ……」
待たなかった。
イカ野郎は足早に裏に消えていく。
一人とり残された山田は絶望的な思いで佇んだ。本当にどうしよう……。
「おりむらぐーん。グスッ、お、お願いですから起きてくださいよ~」
大人のプライドをかけ捨てて、一夏にしがみつく山田。その姿は哀れだった。
「おりむらぐーん……」
「……ううっ」
しかしそこで一夏が僅かに反応を示した。
キタコレ!山田の目に生気が燈る。
「織斑君。おりむらくん。起きてください!ここが分かりますか!」
「……うっ」
「織斑君!」
「うっせー。うしちち」
「へっ?」
山田の動きが止まる。彼は今なんて?
うしちち……牛乳?
「キンキン耳元で叫ぶんじゃねーよ。その牛の乳みたく脳みそプリンにでもなっちまってんのか?」
「え?え?あのぉ……?」
混乱する山田を他所に、一夏はゆっくり身体を起こすとグラスに残っていたビールを飲み干した。そしてその空いたグラスを山田に突き出す。
「何してんだ?さっさと注げよ」
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
山田の叫びが店に木霊する。
ナイスミドルな店長の笑顔と、四季折々のイカ料理がお出迎えする居酒屋『イカ931MAX』
そんな一つの居酒屋にて鬼畜王が目覚めてしまった瞬間であった。
以前も申しましたが、私は下戸にも関わらず飲み会が嫌いではありません。結構ホイホイ付いていきます。
しかし皆がお酒の力で口が滑らかになったり、気分がハイになるのはいいのですが、その気分を飲めない人間にまで押し付けようとする行為はどうにかして欲しいと常々思うのですよ。
パワハラや空気の強要等、私は下戸に無理やり飲ませる行為に断固反対します!(キリッ)