永久の軌跡   作:お倉坊主

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今回から第五回の試験実習。行き先はサブタイトルからお分かりの通りでしょう。

二次創作ではよくある話ですが、プロットを練った段階では閃Ⅲがまだ出ていなかったもので原作との齟齬が生じています。紡績市とか呼ばれていたから産業革命期のイギリスみたいなイメージだったのです……

そういうわけで原作と異なる部分がありますが、拙作におけるオリジナル要素としてご了承ください。


第44話 糸紡ぐ町

 夏の陽が照りつける士官学院のグラウンド。そこに甲高い剣の打ち合う音が響く。降り注ぐ陽光でその刀身を煌かせながら、両者は激しい応酬を繰り広げる。

 四回目を数えることになった実技教練。相手を務めるサラ教官にもはや遠慮など欠片もない。それは、教え子たちの成長と実力を認めるからこそ。二つ名に謳われし紫電の一撃を見舞うべく強化ブレードが振るわれる。

 まともに受ける義理はない。身軽に跳んで避けるトワ。しかし、最年少でA級遊撃士となった女傑はそれをみすみす見逃すほど生易しくはない。二段構えの導力銃が宙に浮く小柄な身体に狙いをつける。

 それはトワも――トワたちも承知の上。身動きのできない状態ながら彼女に焦りはない。何故ならば、自分の背中には信頼する仲間がいるのだから。

 サラ教官が舌打つ。飛来する別方向からの銃弾により引き金を引くことは許されず、その一瞬の間にトワは体勢を立て直し再び斬りかかる。

 空を裂く疾風の如く、縦横に跳駆する束の間に目と目で通じ合う。

 

 ――埒が明かねえ。どうすんだ?

 

 ――攻め手を変えるよ。合わせて、クロウ君!

 

 にやり、と不敵な笑み。返事はそれだけで十分だった。

 トワの動きが変わる。重きを速さから巧さへ。俊敏な動きの中にフェイントと威嚇を織り交ぜ、その間隙を突くように不意の一撃がサラ教官を狙う。

 入学当初から彼女の戦闘スタイルに大きな変化はない。それだけに練達の成果が顕著に現れる。以前なら押え込めたはずの剣捌きを見極めるのにサラ教官は難儀した。

 力で押し通そうにも邪魔が入る。クロウの銃とアーツによる的確な支援がトワを助け、サラ教官の動きを縛る。そちらを先に潰すことも考えたが、旋風のような剣舞がいつ牙を剥くかも分からない状況ではそれも難しい。

 

「まったく、嫌らしいわ、ねっ!」

 

 厄介な連携を前にサラ教官が選んだのは後退。紫電を伴った銃弾が地を砕くのに合わせ、一息に距離を離す。トワもまた回避と同時に後ろへ下がりクロウと肩を並べた。

 仕切り直しとなった状況。それぞれとめどなく汗を流しながら、その目に宿る戦意に陰りはない。

 

「……褒めてあげるわ。まさか二人相手にここまで手古摺らされるなんてね」

 

 本心からの賞賛だった。教え子たちの成長はサラ教官の想定を大きく超えていたのだ。

 今回の実技教練は四人同時ではない。二人組に分かれてそれぞれ相手していた。それは、四人相手では対抗できないと判断したからこそ。認めるのは悔しいが、逆に言えば二人ならまだ負けはないと思っていた。

 ところが、実際はどうだ。優位は築けず戦況は拮抗している。正直なところ、トワとクロウの緻密な連携に打ち勝つヴィジョンを抱けていない。

 

「はっ、そいつはまだ早いぜ。地面に這いつくばってから言ってもらわきゃな」

「クロウ君ってば、またそういうことを……でも、私も気持ちは同じです。これが限界だなんて、これっぽっちも思っていませんから」

 

 それはトワたちとしても同じこと。最初の実技教練から自分たちは腕を上げたのは間違いない。それでも未だにサラ教官には土をつけられていなかった。

 だが、苦汁を舐めるのも今日までだ。今の自分たちになら出来るはず。教え導いてくれる先立ちにして、この大きな壁を越えることが。並び立つ仲間と一緒なら不可能ではないと確信していた。

 教え子たちの強気な言葉にサラ教官は笑みを浮かべる。あのてんでバラバラだった子たちが、よくもここまで。教官として彼女たちの成長を喜ばずにはいられない。

 

「威勢がいいこと――でも、そう簡単にいくとは思ないことね!」

 

 だからといって簡単に負けてやるのとは話が違う。教官として、武術の先立ちとしての威信にかけて、サラ教官は奥の手を切る。

 

「はああああぁぁ!!」

 

 裂帛の気合と共に紫電の闘気が吹き荒れる。内なる気功を引き出すことで身体能力を引き上げる戦技の一種、名を『雷神功』。正真正銘の全力全開だ。

 肌を刺す闘気の奔流にトワとクロウもそれを理解する。先ほどまでの攻防で五分五分の展開。そこに強化された身体能力が加われば、趨勢を変えられることになりかねない。長時間維持できるものではないだろうが、一度連携を崩されれば僅かな時間で事足りるだろう。

 

「……何とか抑えてみせる。だからクロウ君、頼んだよ」

「おう。思いっきりやってやれ」

 

 だが、それがどうした。相手が奥の手を切ったというのなら、こちらもまた手札を切るまで。瞑目したトワは、自らの内に流れる力を呼び覚ます。

 

「――はあっ!!」

 

 トワの身体より金色の闘気が迸る。覚えのない技にサラ教官は目を見張った。アンゼリカがそういった類のものを使えるのは知っていたが、まさかトワまでもとは。

 厳密にいうと、少し違う。彼女の身体から立ち上る闘気とは似て非なるもの。彼女の内に宿る生命力、星の力そのものだ。

 星の力を操るミトスの民にとって、自前のものを活性化させるくらいお手の物である。姿も栗色の髪のまま。サラ教官にそれを理解するのは難しいだろう。教会との盟約のギリギリまで攻めた戦技だった。

 

「ほんと、大したものね。少し見ていないだけで一足飛びに強くなっていくんだもの」

「皆のおかげです。クロウ君、アンちゃんにジョルジュ君……それに、サラ教官も。皆と一緒に歩んで、導いてくれたからこそ私は強くなれた」

「嬉しいこと言ってくれるじゃない。なら、その強さ……全力でぶつけてきなさい!」

 

 同じくして地を蹴り剣が振るわれる。星の煌きが、稲妻の閃きがぶつかり合って火花を散らす。先ほどよりも数段上の速さ。残像さえ残さんばかりの領域で繰り広げられる二人の応酬は、既に常人の目には留まらないものになっていた。

 無論、クロウの援護の手が止まることはない。彼もまた相応の実力者、加えてトワとの戦術リンクがある。グラウンドを所狭しに行われる高速の戦闘を後方より支える。

 互いに奥の手を切り、尚も拮抗する戦況。激しさを増す戦いは終わりなど知らないように思われた。

 だが、それは危うい均衡だ。拮抗しているからこそ、そのバランスは僅かな変化で容易に崩れ去る。

 

「つあっ!?」

 

 ほんの少し、動きが乱れた。ただそれだけでサラ教官の一撃の威力を受け流し損ねたトワの剣が大きく弾かれる。速度が増した中での一瞬の出来事。クロウの導力銃は間に合わない。

 もらった。必中を期したサラ教官の剣閃がトワに向かう。まともに受ければ、トワの意識は瞬く間に刈り取られることになるだろう。

 崩れた構え、得物を引き戻して防ぐことは敵わない――ならば、別の手段を取るまでのこと。

 

 次の瞬間、トワは剣を手放した(・・・・・・)

 

 瞠目するサラ教官。必殺の一撃を見舞わんとするその腕を、トワの両手が絡め捕る。祖父から授かった教えは剣だけにあらず。剣を捨て、懐の内に潜り込んだ彼女が繰り出すは無手の技。相手の力の流れを変え、それを自身のものへと移し替える。

 小柄な身体が、体躯に勝る相手を投げ飛ばした。視界が回り、地面に叩き付けられたサラ教官の手から強化ブレードが零れ落ちる。それでも受け身を取っていたのは流石と言えよう。

 

「このっ……!?」

 

 悪態を吐きつつ立ち上がったサラ教官の目に映ったのは、無手のまま眼前に迫るトワの姿。得物も拾わず、息つく間もなく零れ落ちた強化ブレードを蹴飛ばして遠くに追いやった彼女は果敢に攻めかかる。

 サラ教官もまた徒手空拳でそれに応じる。互いに互いで視界を埋め尽くすような超近接戦。この距離では導力銃は役に立たない。拳と蹴りが打ち合う音が響き、相手を絡め捕らんと応酬が交わされる。

 しかし、サラ教官は状況が自分に傾いていることを理解していた。これだけの近距離における肉弾戦ではクロウも迂闊に手を出せない。それに、こと徒手空拳においてトワには絶対的なディスアドバンテージがある。

 

(判断を誤ったわね。勝ちを焦るから……!)

 

 確かに見事な技の冴えだ。上手く嵌れば相手を抑え込むこともできるだろう。

 だが、こうして拳を交わす状況になってしまえば、トワの圧倒的に不利な面が表出してしまう。つまり、常人よりも体躯に劣るという面が。

 短い手足ではリーチに劣り、身長の差は相手に上から抑え込まれることになる。剣を振るう時のように機敏な動きで幾らかカバーしているが、それでもこの絶対的な差は埋めようがない。

 決定的な瞬間に至るのに時間はかからなかった。跳び上がったトワの蹴りを、サラ教官が首を反らして躱す。これでトワが年相応の体躯だったら話は違っただろうが、それはもしもの可能性にすぎない。

 防ぎようのない、無防備なトワに向けてサラ教官が今度こそ意識を刈り取る一撃を繰り出す。迫る拳にトワは表情を変える。

 ――そこに浮かんでいたのは、誰かに似た不敵な笑みだった。

 

「よう、お疲れさん」

「うん。後はお願いね」

 

 必倒の拳は空を切った。トワが空中で動いた……わけではない。後ろから襟首を引っ掴まれた彼女は、軽々と明後日の方向に投げ飛ばされたのだ。

 大振りの拳を外されたサラ教官の視界に代わって映るのは、もはや目と鼻の距離にまで迫ったクロウ。その手はこれまでの鬱憤を晴らさんとばかりに拳を握っている。

 サラ教官は理解した。どうしてトワがわざわざ不利な肉弾戦で挑みかかって来たのか。視界を奪い、集中力を奪い、注意を奪うことで彼女は為し遂げたのだ。クロウがここまで、確実に一撃を叩き込める状況にまでたどり着くことを。

 それを理解したところで、彼女にはもはや甘んじて受ける以外の選択肢は残されていなかった。

 

「おらぁ!!」

 

 思いっきり振り抜かれた拳が、サラ教官の鳩尾に突き刺さった。

 遠慮なんて欠片もありはしない。まともに喰らったサラ教官は息を詰まらせ、勢いのままに吹っ飛ばされる。今度は受け身も取れず、どちゃりと地面に墜落した。

 投げ飛ばされた先で這いつくばっていたトワも、思いっきりぶん殴ったクロウも荒い息を吐く。気力も体力も限界だった。鳩尾にいいものを貰ったサラ教官は吐き気を催したかのようにえずいており、しばらくは落ち着きそうになかった。

 十秒ばかりだろうか。ようやくえずきを収めたサラ教官は「あー……」と呻き声を漏らしながら仰向けに寝転がる。それからまた間をおいて、彼女は口を開いた。

 

「ぬああああ!! 悔しいいいい!! もう負けちゃうなんてぇっ!!」

 

 ゴロゴロと転げまわりながら悶絶する姿は、女性としても教職者としても醜態と評されるものかもしれない。しかしながら、武術の先立ちの気持ちとしては無理なからぬことだろう。

 

「へ、へへ……ざまあみろってんだ。言っただろ、一発ぶん殴ってやるって」

「疲れた……あはは、でもこれで一歩前進かな」

 

 一方、息も絶え絶えな二人。余裕など全くない辛勝……だが、勝利には違いない。

 入学初日に旧校舎で落とし穴に嵌められてからというものの、事あるごとに一矢報いようとしてきたクロウ。積もりに積もった鬱憤がようやく晴れたとばかりに清々しい表情であった。

 そのことに関してトワは特に気にしていなかったが、これまで敗北を喫してきて悔しい思いをしてきたのは事実。三度目の正直、やっと掴んだ勝利に彼女も自然と笑みが零れた。

 

「やれやれ、何時の話を根に持っているんだか。まあ、何はともあれお疲れさまだ」

「凄かったよ、二人とも。最後のあたりなんて目で追うのがやっとだったし」

「……ちょっとあんたたち、こっちは放置なの?」

 

 激闘を見守っていたアンゼリカとジョルジュが二人を労いながら介抱する。その様を見てサラ教官から物申す声が。ダメージ貰っているのはこちらだというのに。

 文句をつけられた方といえば、目を瞬いた後に互いに見合わせる。どうやら意見は同じらしい。「いや、だって」「ねえ」と戻した視線には呆れが含まれていた。

 

「教官、なんだかんだ体力は残っていそうですし」

「転げまわる元気があるなら問題ないかと」

 

 なかなかに辛辣である。その推測は間違いではないのだろうが、教官に対するものとしてはぞんざいな扱いであった。思わずトワの笑みに苦いものが混じるくらいには。

 そんな扱いを受けた側は腹が立つもの。易々と受け流せるほどサラ教官は大人ではなかった。むくりと起き上った彼女は得物を回収するや再び戦闘態勢に。その額には気のせいか井形模様が浮かんでいるようだった。

 

「ほんっとに可愛くない子たちね……! ほら、さっさと構えなさい。前の二人と同じようにはいかないわよ!」

 

 やっぱりまだ元気じゃないか。そう肩を竦めながらもアンゼリカとジョルジュは得物を構える。今度は彼女たちの番だ。

 

「アンちゃん、ジョルジュ君、頑張ってね」

「こっちは何とか土をつけたんだ。情けねえ負け方するんじゃねえぞ」

「言ってくれるじゃないか。いいだろう、そこでじっくり見ているんだね」

「はは……まあ、精一杯やってくるよ」

 

 交代で後ろに下がるトワとクロウの声援に応える二人。いつも通りのやり取り。申し分のないコンディションだ。

 トワの「始め!」という合図で両者は弾かれたように動きだし、ぶつかり合う。実技教練、その第二ラウンドが始まった。

 

 

 

 

 

「…………げほっ」

 

 十数分後、そこには力尽きたサラ教官が倒れ伏していた。今度は転げまわって悔しがる元気もないのか、精も根も尽き果てたように突っ伏している。

 アンゼリカとジョルジュも倒れていないだけで同じような有り様だ。アンゼリカは膝に手をついて荒い息を吐いており、ジョルジュに至っては機械槌を支えにしていなければ今にも崩れ落ちそうな様子だった。

 それも仕方がないだろう。先に戦ったトワとクロウに比しても、かなり長丁場になっていた。サラ教官の猛攻を手堅く凌ぎながらも、勝負を決めるための突破口を二人はなかなか開けなかった。結果としては、サラ教官がスタミナ切れしたところにアンゼリカのゼロインパクトが叩き込まれた形だ。

 

「はっ、はっ……か、辛うじてもいいところだが、なんとかつり合いは取れたかな」

「……ど……どうにか……ね……」

 

 トワとクロウが競り勝ったと評するなら、アンゼリカとジョルジュは粘り勝ちといったところか。どちらにせよ、教官に勝利するという大きな目標を果たせたのだ。めでたいことであった。

 

「……あー、もう……何なのかしらね、これ」

「えっと……大丈夫ですか?」

「なに凹んでいるんだよ。教え子の成長を喜んでくれたっていいだろうが」

 

 黒星をつけられたサラ教官はごろりとうつ伏せから仰向けになると、額に手を当てて呻くような声を出す。普段の彼女らしくなく、どこか気落ちしているように見えた。

 本当ならクロウの言う通り、教え子が強くなったことを素直に喜ぶべきなのだろう。それが教官としての正しい態度だ。

 

「そりゃ分かっているわよ……でもまあ、今まで追いかける立場だったのが、いつの間にか追い越されていく立場になって……どうも変な気分よ」

 

 しかし、彼女は新任教官で、これまで前へ前へと突っ走ってきたタイプだった。シグナをはじめとした遊撃士の先輩の背中を追いかけ追い抜き、そうして手にしたのが『最年少A級遊撃士』という称号だ。

それから紆余曲折あって教官職に就き、生徒を教え導くやりがいと喜びも実感はしていたが……いざ追い越される立場になると、言葉にしがたい感情に苛まれる。悔しさだけではない、寂寥感に似た何かがあった。

 妙にセンチメンタルなサラ教官。そんな彼女の様子に教え子たちはというと――

 

「……ぶふっ!」

 

 耐えかねて、思いっきり吹き出した。

 

「ちょ、ちょっとクロウ君、真面目な話なんだから笑っちゃ……ふふっ」

「お前も笑ってんじゃねえか! くっくく……だ、駄目だ。ツボにはまった」

「ふふ……ま、まさかサラ教官の口からそんな言葉が聞けようとは……」

「ま……待ってくれ……今こんなに笑わされたら……ゲホッゲホッ!」

 

 好き放題な笑いようであった。サラ教官が思わず唖然となってしまうくらいに。

 なんだ、これは。自分が素直に心情を吐露したというのに、どうしてそれがこんな笑いのタネになっているのか。

 呆けた状態から、急にむかっ腹が立ってくる。底をついた体力のことも忘れ、サラ教官は憤然として立ち上がった。

 

「し、失礼ね! そんな笑うことでもないでしょ!?」

「いやいや、サラ教官にそんな繊細さがあったとは思いもよらず……」

「繊細っつうか、あれだな。婆臭い」

 

 「ばっ!?」と愕然とするサラ教官。彼女はまだ二十四歳である。四捨五入したって三十路には届かない。婆扱いされるなど心外を通り越して思慮の外であった。

 クロウとアンゼリカでは言葉がぶっきらぼうでいけない。これでは単なる暴言にしかならないだろう。フォローを入れるべく、若干の含み笑いを残しつつもトワは口を挟んだ。

 

「ふふ……すみません。なんだか気が早いことを言うものですから」

「なによ、あんたも年寄り染みているとかいうの?」

 

 トワにまで笑われたのは流石にショックだったのか、どこか拗ねた調子でサラ教官は半目を向けてくる。勿論、そんなつもりはないトワは頭を振った。

 

「まだまだ追いついたわけでもないし、サラ教官だって立ち止まっているわけではないでしょう。落ち込むには早すぎますよ」

 

 そう言われて、サラ教官は閉口した。

 勝ちを拾ったと言えども、それは二対一での話。一対一ではサラ教官に軍配が上がるのはまず間違いない。トワたちからしてみれば、追いついたと評するには首を傾げてしまうところだ。

 いずれは本当の意味で追いつくこともできるかもしれないが、それはまだ先のことだろう。なにせ、成長しているのは自分たちだけではない。サラ教官もまた、これからも成長していくに違いないのだから。

 だというのに、初めて教え子に土をつけられたからといって弱音みたいなことを口にするのはナーバスに過ぎる。クロウから婆臭いと言われても仕方なかった。

 言われてみれば自覚するところもあって、返す言葉が思い当たらずに黙ってしまう。それをいいことに、教え子たちは好き放題に口を開く。

 

「流石に早合点というか、せっかちだよね。僕なんか一人じゃ防ぐだけで手いっぱいだってのに」

「まったくだぜ。そういうのはタイマンで負け越してから言ってほしいもんだ」

「まあまあ、サラ教官にも感傷的になる時もあるということだろう。ここは一つ、笑って流してあげようじゃないか」

 

 勝手気ままな言いように、普段なら怒鳴り声の一つでも出していたかもしれない。だが、今のサラ教官の口から出たのは大きなため息だけだった。認めるしかあるまい。自分の身から出た錆であった。

 

「はあ……あたしも教官としてはまだまだってことかしらね」

「それはまあ、新任なんですし。最初からヴァンダイク学院長やベアトリクス教官みたいだったら逆に驚きです」

 

 そりゃそうだ、とサラ教官は大いに納得する。学院の大御所二人と同列だなんていうほど彼女は思い上がっていない。その比較対象からすれば、自分はまだまだひよっこだというのも胸に落ちる思いであった。

 来年度に発足する特科クラスでは担任を務めることになっている。こうしてトワたちの実技教練や試験実習の監督をしている以上に、教官としての務めや責任は大きなものになっていくだろう。

 なら、立ち止まってなどいられない。凹んでいる暇があったら少しでも前に進むための努力をするべきだ。

 気持ちを改めるように頬を叩く。ひとまず放っておいたらいつまでも人をネタにしてくれそうな、可愛げのない教え子たちに向けて声を張り上げた。

 

「ほら、いつまでもくっちゃべってんじゃないわよ! 話が進まないでしょうが」

「分かったっての。それで? 今回はどこに行くんだ」

 

 実技教練が終われば、その後はお約束の実習地発表だ。悪びれもせず、ころりと話を変えられたことに二度目のため息を零しつつも、サラ教官はいつもの封筒を取り出した。

 

「まったく……今度は少し遠出になるわよ。しっかり準備していきなさい」

 

 各々、渡された封筒を開けて確認していく。そこに記された実習先を見て、トワたちは一様に「おや」と思った。

 特段、変わった行き先だったわけではない。今までに訪れた帝都や各州の州都に比べれば、むしろ平凡に感じる部類だ。

 

「これまで行く先々で驚かされてきたが……今回ばかりは、その心配もなさそうだね」

「あはは、確かに」

 

 それでも四人が顕著な反応を示したのは、彼女たちが築いてきた縁がそこに繋がっていたからだ。

 ――紡績町パルム

 次なる実習先を認めてトワたちの脳裏に浮かんだのは、丸眼鏡をかけた男の丸い顔だった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 紡績町パルムとは、その名の通り紡績や染色といった繊維業が盛んな町だ。その品質は高く評価されており、織物といったらパルム産というくらいには浸透している。

 昔ながらの産業に支えられた町ではあるが、近年では技術進歩による変化もあるようだ。旧来の水車で動力を得る紡績機も用いられてはいるものの、今では導力駆動の紡績工場が主な生産力を担っているのだとか。織物自体も一般的な綿織物や絹織物の他に、様々な合成繊維も産出していると聞く。

 帝国においても最南端に位置することから、隣国のリベールと人の行き来も盛んにある。規模としては一地方都市の例に漏れないが、その内実はなかなか特徴的なものであった。

 

「――とまあ、概略としてはこんなところだろうが……あれだね。我がことながら、訪れたこともないのによくこれだけ知っているものだ」

「子爵のオッサンが事あるごとに講釈していくからな。嫌でも覚えるってもんだ」

 

 そして、そんなパルムとトワたちはとある縁があった。

 パルムの領主、ボリス・ダムマイアー子爵。領地持ちでありながら各地を商用で回る変わり者な貴族。帝都で危ないところを助けたのを切っ掛けに、彼とは実習先で度々顔を合わせる仲である。

 偶然の出会いがどう繋がるか分からないものだ。彼の商用について話を聞いていたおかげで、誰も訪れたことはないのにパルムのことはそこそこ知っている。移動の列車内、いつも通りに概要を確認していた四人は改めてそう感じていた。

 

「いつもなら現地責任者が誰か首を傾げるところだけど、こうなると分かりやすいよね」

「ボリス子爵のことだからね……放っておいても首を突っ込んできそうだし」

『まあ、知らない相手よりはずっといいの』

 

 トワたちのことが気に入ったからと、腐れ縁のハインリッヒ教頭から実習先を聞いては会いに来る人だ。領地が実習先ともなれば、関わってこようとするのは目に見えている。当然ながらパルムにおける現地責任者は彼だろう。

 下手に驚かされるよりはいい。こちらとしても知り合いが相手ならやりやすいし、幾分か気楽に実習に臨めるというものだ。

 ただ、あの妙に元気な子爵のことである。自分たちよりも張り切っている姿が目に浮かぶようで、どうにも苦い笑みが浮かんでしまう。熱心に取り組んでくれるのはいいことなのだけれども。

 

「何にせよ、悪いことにはならないだろう。真面目な話はこれくらいにしておいて、早めの昼食としないかい?」

 

 アンゼリカの提案に時間を確認する。午前十一時。確かに少し早いが、後のことを考えたらそろそろ食事は済ませておいた方がいいだろう。

 先ほど述べた通り、パルムは帝国の最南端に近い。帝都近郊のトリスタからだと相応の時間が掛かる。朝の早い時間に出発したが、それでも到着は昼過ぎを予定していた。

スムーズに実習を開始するためにも、昼食は列車内で取ろうとは事前に決めていたことである。こういう話はジョルジュがいの一番に言い出しそうなものだが、それより先にアンゼリカが口にしたのは彼女らしい理由があった。

 

「ふふ……トワの愛妻弁当が食べられるとあって、昨日から楽しみにしていたんだ。おかげで寝不足気味だよ」

「もうアンちゃんってば、お弁当くらいで大袈裟なんだから」

「いや、たぶんそいつマジで言ってるぞ……」

 

 クロウなどは当初、トリスタで適当なものを買ってこようとしていたのだが、トワの方から全員分の弁当を用意してくると申し出たのだ。一人も四人も大差ないからと。

 彼女の料理の腕前が折り紙付きなのは既知の事実だ。クロウとジョルジュも素直に厚意に甘えることにし、アンゼリカに至っては小躍りせんばかりだった。相変わらずトワのことが絡むと無駄にテンションが高くなるご令嬢である。

 そんな友人の言葉を冗談半分に流しながらトワは用意してあったバスケットを開ける。食べやすさを考えて、作ってきたのはサンドイッチだ。シンプルな料理ながらも具材に工夫を凝らした一品は彩り豊かに仕上がっている。

 見目もよければ自然と涎が出ようというもの。いただきます、と我先にと手が伸ばされた。

 

「おお、生ハムかい、これ? 気合入っているなぁ」

「あはは、たくさん作ってきたから遠慮せずに食べてね」

『トワ、トワ! 私にも頂戴なの!』

 

 姿を消したまま訴えかけてくるノイに肩を竦める。他にも乗客はいるが、ジョルジュの身体を隠れ蓑にすれば大丈夫だろう。通路側から目に映りづらいところに差し出してやると、姿を現したノイが嬉々とした様子で受け取って小さな口でかぶりついた。

 談笑を交えながら食の手は進む。サンドイッチは好評でアンゼリカに至っては至福の表情を浮かべていた。空が白み始める頃合いから準備した甲斐があったというものだ。

 弾む会話、美味しい弁当、車窓を流れる景色。この場面だけを切り取れば、楽しいピクニックの一幕にでも見えるだろう。

 

「……あれ?」

 

 そんな賑わいの中で、トワは移り変わる景色の中で異彩を放つものに気付く。サザーラント州に入ってしばらく、そろそろ州都のセントアークに近付いてくる頃。遠目に見えてきたそれは、なだらかな丘陵にそびえ立つ巨大な建物だった。

 

「大きいなぁ。ドレックノール要塞っていうんだっけ?」

「ああ。帝国南部における正規軍の一大拠点だね。あれが目と鼻の先にありながら上手くやっているハイアームズ候は大したお方だよ」

 

 帝国正規軍の拠点、ドレックノール要塞。一個機甲師団を軽々と擁することが可能な大規模軍事基地である。流石に東部国境のガレリア要塞には及ばないが、それでも帝国内で有数の規模であることは間違いない。

 そんなものが州都の近郊にあれば貴族派としてはやり辛そうなものだが、サザーラント州を治めるハイアームズ候は四大名門の中でも穏健派と聞く。立場は示しつつも、軋轢が起こらないよう上手く調整しているのだろう。

 

「そういや少し前に配置換えがあったそうだな。詰めていた第三機甲師団がノルドのゼンダー門に異動したらしいぜ」

 

 不意にクロウがそんなことを呟いた。どこから情報を仕入れてくるのか知らないが、彼の言うことはおおよそ正しいものだ。きっと事実なのだろう。

 思い出されるのは先々月のルーレにおける実習でのこと。到着した駅でトワたちは貨物列車に積み込まれる第三機甲師団の戦車を目撃していた。もしや、とは思っていたが、本当に異動だったとは。遅ればせながら知った事実に驚きを覚える。

 

「共和国との緩衝地帯と言っても、ノルドはそんな緊張しているわけじゃないんだろう? どうしてわざわざ」

「うーん……軍事的理由じゃないのなら、政治的な理由も考えられるけど」

「要するに左遷ってことか。《隻眼》が鉄血宰相の不興でも買ったのかね」

 

 以前にも疑問に思ったものだが、第三機甲師団を異動させた理由がよく分からない。きっと自分たちには与り知れない動きがあったのだろう。帝国は政治においても軍が大きな力を持っている。軍閥の衝突は十分に考えられるものだった。

 とはいえ、それらは全て憶測にすぎない。ナイトハルト教官などなら事情を知っているかもしれないが、軍部の情報をおいそれと口外することもないだろう。トワたちに事の真相を確かめるのは難しかった。

 気になりはするものの、言ってしまえば自分たちには関係のない出来事だ。下手に詮索して藪をつつくこともない。ここは心に留め置くことにしよう。

 

「要塞が見えてきたってことは、そろそろセントアークなの。乗り換える前に食べ終わらなくちゃ」

「あ、ノイお前! 俺が狙ってた最後のカツサンド!」

 

 それより今は目の前の実習に集中しなくては。そのために腹を満たして英気を養うのは大事なことである。

 早い者勝ちとばかりにバスケットからカツサンドをかすめ取るノイ。出遅れた敗者に対して、小さな健啖家は歯牙にもかけずに口を進めるのみだ。仕方ないなぁ、と苦笑したトワは自分のものを半分にしてクロウに差し出すのだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「やあやあ諸君! よく来たね!」

 

 セントアークより支線に乗り換えて列車に揺られることしばらく。目的地の紡績町パルムに降り立ったトワたちは、半ば予想していた光景に「ああ、やっぱり」と愛想笑いのようなものを浮かべていた。

 駅から出たところに両手を広げて待ち構えていたのは、パルムの領主その人であるボリス子爵。傍に控える秘書のドミニクは仕方ない人だと肩を竦めていた。

 

「お久し振りです、ボリスさん。今回はよろしくお願いします」

「うんうん。私としても君たちを迎え入れられて嬉しい限りだ。どうか実り多き実習にしていってくれたまえ」

 

 ご機嫌な様子のボリス子爵はトワたちの来訪を心から喜んでいるようだった。よほど気に入ってくれているのだろう。それだけに期待には応えたいと思う。

 

「ドミニクさんもご無沙汰しています。短い期間ですが、お世話になりますよ」

「ああ……といっても、今までの実習地に比べたら面白みのないところだと思うけどね。君たちならさして苦労もしないんじゃないかな」

「どうかね。見た感じ、ここもここで独特な雰囲気のようだが」

 

 辺りをぐるりと見まわしたクロウがそんなことを零す。後を追って目を配らせたトワは内心で確かに、と頷いた。

 駅の周辺は昔ながらの町並みが広がっている。流石は織物の名産地と言ったところか。露店には色とりどりの布地が並び、広場の一角には美麗に染められた大きな織物が風に靡いていた。河川の流れを利用した水車も近頃では物珍しい。

 一方で、少し離れたところに目を移すと趣が変わってくる。駅の周辺に比べて近代的な大きい建物が遠目に窺えた。話に聞く工場か何かかもしれない。

 列車から見えた景色にも、郊外に大規模な耕作地が広がっているのが見て取れた。規模は確かに帝都などに比べたら劣るだろう。だが、この町でも学び取れることは多くありそうだった。

 

「個人的には向こうの工場みたいなのが気になるなぁ……んんっ、何はともあれ、依頼も含めて精一杯頑張らせてもらいます」

「はっはっは、そうかね。それは楽しみだ」

 

 試験実習で訪れている以上、この町においても多くを学び来年のカリキュラムに活かせるようにしていかなければ。その心構えはどこにおいても変わりない。

 意気込みを見せるトワたちにボリス子爵は朗らかに笑う。彼としても、それでこそ現地責任者を買って出た甲斐があるというものだろう。領主として、パルムのことをよく知ってもらいたいという気持ちは人一倍だろうから。

 さて、とひとしきり笑った子爵は言葉を区切る。挨拶はこれくらいにして動くとしよう。

 

「長いこと列車に揺られて腹も減ったろう。宿に荷物を置いたらまずは食事にでも――」

「あ、すみません。お昼はお弁当で済ましてしまって……」

 

 動こうとしたのだが、出鼻をくじかれた。

 ボリス子爵は「そうかね……」としょんぼりした様子。こちらに非はないのだが、ちょっとばかり申し訳ない気持ちになって苦笑いが浮かぶ。ドミニクは呆れ顔で首を横に振るばかりだ。

 なんだか締まらない形になってしまったが、こうしてパルムにおける試験実習は幕を開けるのだった。

 

 

 

 

 

「――ほう、これはこれは」

 

 そんなトワたちの姿を遠目に見つめる人影があった。

 緩くウェーブした長めの青い髪、白を基調とした仰々しい服装。一見して貴族のよう――だが、どこか胡散臭い怪しさを漂わせた男。彼は意図せぬ遭遇に足を止めていた。

 小さな少女が率いる四人の学生たち。その姿を認めた男の口元が歪んだ弧を描く。

 

「野暮用で立ち寄ったところで噂の学生諸君に出会えるとは……くく、これも女神の巡り合わせというものかな?」

 

 男がパルムを訪れたのは偶然だった。ただ、近くに少し用事があった。それだけだ。

 だが、そこで興味深いものを見つけてしまった以上、彼がちょっかいを出さない理由もない。傍迷惑極まりないものの、彼はそういう男だった。

 さて、どのような趣向を用意したものか。

 頭の中でろくでもないことを考えながら男は悠々と足を進め始める。まるで初めからそこにいなかったかのように、白いその姿は雑踏の中に掻き消えた。

 


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