永久の軌跡   作:お倉坊主

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第27話 偏屈極まりて

「ルシタニアの試験飛行はつつがなく終了、と。なら、あとは内装を完成させるだけね。工事を急がせなさい。初飛行は十一月末と既に決定しているのだから。遅れは許されないわよ」

 

 かちゃん、とデスクに備え付けられた導力通信機の受話器が置かれる音。今の今まで矢継ぎ早にそれで各所に指示を飛ばしていた金髪の女性は、ようやく一段落とばかりに息を吐くと、すぐさま目の前の来訪者に目を向ける。遮光眼鏡の奥から注がれる、刺すような視線にトワは思わず身じろぎした。

 

「お待たせしたわ。お互い挨拶に時間をかける理由もないでしょうし、手早く済ませましょう」

「は、はいっ!」

 

 弾かれたように返事したトワにアンゼリカが苦笑を浮べた。緊張気味の友人を置いて一歩前に出る。

 

「相変わらずお忙しいみたいですね、イリーナ会長。もう少しゆっくりするようにしても罰は当たらないんじゃないですか?」

「そうかもしれないわね。あなたが女性らしい振る舞いに改めたのなら考えるわ」

「はは、これは手厳しい」

 

 実家と付き合いがあることもさることながら、アンゼリカ個人としても知らない仲ではないからこその気軽さ。対するこの部屋の主はそっけないドライな対応。やはり相変わらずだ、とアンゼリカは笑う。彼女自身も人のことは言えないのでお互い様かもしれないが。

 返事一つで顔見知りへの義理は果たしたとばかりに、女性はアンゼリカのご挨拶を流して粛々とことを進める。眼鏡の奥に覗く吊り目の視線が再びトワたちに向けられた。

 

「改めて、ラインフォルトグループ会長のイリーナ・ラインフォルトよ。よろしくお願いするわね、トールズ士官学院の方々」

 

 

 

 

 

 駅前広場で突如として姿を現した女性――ラインフォルト家のメイド、シャロン・クルーガーに案内されて訪問したRF本社ビルの会長執務室。そこらのビルなど比較にならない高さに位置するその眺望を背負い、自分たちに向けて声掛けてきたイリーナ会長にトワは身体を硬くせざるを得なかった。

 率直にいえば、イリーナ会長のおっかない雰囲気に気圧されていた。生徒会長より三割増し怜悧な目、一分の隙も見当たらなさそうな無駄のない立ち居振る舞い、そして無用となれば即座に切って捨てられかねないと思わせられるまでのプレッシャーを肌でひしひしと感じ、第一印象から凄まじい人だと思う。大企業の会長とは、これほどまでの圧力を持った人物でなければ務まらないのだろうかと。

 

 ガチガチに緊張しながらも自己紹介を済ませ、いったい何を言われるかとトワたちは内心で身構える。実習の内容について何某か申し渡されるか、それとも面倒を起こさないように釘を刺されるか。どちらにせよ、厳格そうな第一印象から厳しいお言葉が出てきそうな予感があった。

 果たして、イリーナ会長の口から出てきたものは全くの別物であった。

 

「では、最低限の説明だけしておきましょう。実習中、基本的に私の方から接触はしないわ。連絡や課題の受け渡しは、そちらの宿泊先のホテルにシャロンを寄越すから。詳しいことや課題内容についても彼女に聞いてちょうだい――何か質問は?」

「え……あっ、いえ、大丈夫です」

 

 矢継ぎ早に告げられた説明に、つかの間呆気にとられつつも理解の意を示す。イリーナ会長は「よろしい」と一つ頷くと革張りの椅子から立ち上がり、ヒールの音を鳴らして扉へと向かう。

 

「外回りに行ってくるわ。シャロン、あとはよろしく頼んだわよ」

「はい、いってらっしゃいませ」

 

 ばたん、と扉が閉まる音。あっという間に姿を消してしまった今回の現地責任者に思わずポカンとしていると、アンゼリカがやれやれとばかりに首を横に振った。

 

「本当に、相変わらずお忙しい方だ。むしろ磨きがかかっているように思えるのは気のせいかな?」

「それだけ会長が事業拡大に精力的ということですわ。それに今はルシタニア号の件に注力していらっしゃる只中。開発部門との意思疎通や関係各所との会合でお忙しくなるのは致し方のないことかと」

「ああ、あの馬鹿でかい船の……それにしたってまあ、突風みたいだったが」

 

 出会い頭に電話口で何かしら指示を飛ばしていたところ、ようやく挨拶を交わしたと思った矢先に数分もせずの外出である。突風のよう、というクロウの例えも頷かざるを得ないものだろう。メイドであるシャロンも、そこのところは否定しなかった。

 

 巨大豪華客船、ルシタニア号。この会長室までの道中でシャロンから概要は聞いている。現在、RFで開発中の最大級の船体を誇る飛行船。内装も豪華なあつらえとなっており船内パーティーの催しも可能など、富豪層向けの運用を予定しているらしい。

 完成も間近で就航すれば大きな収益が見込まれているのだとか。確かに貴族の人たちなどは、最大級という謳い文句や船内パーティーといったものを好みそうだ。トワたちにとっては、あまり縁のない話なのでそれ以上はピンと来なかったが。

 

 その豪華客船開発が大詰めに入っているということもあって、トップたるイリーナ会長が忙しくしているのも仕方のないことなのだろう。それこそ、ゆっくりと挨拶をしている暇もないほどに。

 だが、アンゼリカの口ぶりからしてイリーナ会長の多忙ぶりは今に始まったことではないようだ。少しためらいがちながらも、トワはシャロンに問いかけた。

 

「えっと、イリーナ会長はいつもあんな感じでお忙しくしてらっしゃるんですか?」

「そうですわね。程度の差こそあれ、一所に留まって落ち着いてらっしゃるというのはほとんど無いかと。急な用件でご自宅にお戻りになられるのが遅くなるのも茶飯事ですし、一般的にいって激務と評して差し支えないかと存じます」

 

 うわぁ、とトワたちは半ば引いてしまう。あの調子を恒常的に、しかも残業も日常茶飯事となればとても健全な労働環境とは言えないだろう。この場合、経営者自身が自発的にそのような働き方をしているので余計に始末に負えない。シャロンも多少なりとも思うところはあるのか、ちょっと困ったような笑みを浮かべている。

 

「やれやれ、そんな有様だとアリサ君も相変わらず不満たらたらなのでは……っと、そこらについてはお互い様ですか」

 

 アンゼリカが呆れた様子で口を挟もうとし、やめる。何を言おうとしたのかトワには分からない。だが、少しばかり立ち入りすぎた話題ではあったのだろうと推測はできた。それを聞いたシャロンの困ったような笑みに、わずかながら影が混じっていたから。

 アリサ、というのはイリーナ会長の親類縁者なのだろうか。アンゼリカとも知り合いらしいことから、まだ年若い人なのだろうかとも考えるが……それを詳しく聞こうとするのは、せっかく切り上げた、その立ち入ったような話を蒸し返しかねない。疑問を飲み込んでトワは話題を切り替えた。

 

「それよりも課題――依頼の方は、シャロンさんが渡してくれることになっているんですよね。もう用意はできているんですか?」

「はい、こちらの方に」

 

 差し出される封筒。当たり前のように渡されて準備がいいなぁ、と感想を抱きつつ受け取ったそれを開封する。いつものように入っている数枚の依頼書を取り出して、ひとまずはざっと確認するべく皆の前で広げる。

 

「……試作型導力銃の実戦テストに恒例の手配魔獣か。この実戦テストっていうのは俺にお鉢が回ってきそうだな」

「普段から銃を使っているのは君だけだしね。テストというなら報告もちゃんとしなければならないわけだし、使い慣れている君が最も適役なのは分かり切ったことだろう」

 

 RF直営らしい武具店からの依頼を目にしてぼやくクロウ。彼に負担が偏るのを申し訳なく思う気持ちもあるが、アンゼリカの言う通り適役が彼しかいないのも事実。そこは我慢してもらうしかなかった。実戦テストとなれば従来のものとの使い心地の違いも必ず問われるはず。そんな細部のことまで答えられる人材は四人の中では他にいないのだから。

 本人もそこは理解しているのだろう。仕方ねえ、と渋々納得した様子を見せる。異議がなさそうなのを確認してからジョルジュが次のものへと目を向ける。

 

「テスターはクロウでいいとして、この手配魔獣との兼ね合いはどうしようか? 効率を考えるなら一緒に片付けるのが一番だけど……」

 

 ジョルジュがどうしようかと問うのはクロウを気遣ってのことだ。手配魔獣は得てして強力なものが多い。そんな相手に対して使い慣れない銃で立ち向かうのはやや不安が残るところである。安全と確実を期するのなら実戦テストを終えてから手配魔獣に挑むのが正しいが、そんな懸念を笑い飛ばすようにクロウは鼻を鳴らす。

 

「あんま見縊るなっての。少し勝手が違うくらいで外しやしねえよ」

「クロウ君が平気ならそれでいいけど、一応は気を付けてね。怪我したらいろいろと大変なんだから」

「へっ、経験者は語るってか」

 

 先月に大怪我をしてサラ教官にこっ酷く叱られたトワだからこそ言葉にも力がこもる。冗談めかしたクロウもそこは承知しているはずだ。あまり無茶なことはしないだろう。

 

「まあ、その二つについてはそんなところでいいだろう。問題はこれだ」

 

 アンゼリカが残ったもう一枚の依頼書を取り上げる。それを見て自然と四人は難しい顔になる。そこに記された内容が困難を極めるものだったから、ではない。むしろその逆ともいえるかもしれない。トワは困り顔で傍に控えるシャロンへと疑問を呈す。

 

「あの、シャロンさん。このすごく端的な依頼は……」

 

 それは、他の依頼書に比べてあまりにも短い文章しか記されていなかった。「工科大学に来るように」と、ただそれだけの内容にトワたちが困惑するのも無理はない。自分たちが何をすればいいのか、そもそも誰がこれを依頼してきたのか。そのすべてが不明という今までにないそれに首を傾げる他なかった。

 いや、ただ一人ジョルジュだけが首を傾げるというよりも頭を抱えるという様相を呈していたが、どうすればいいのか分からないという点を取れば他の三人とさして変わりはないだろう。誰が、という点については多分に心当たりがあるのは否めないが。

 そんな四人の心情を分かっているのか分かっていないのか。変わらず穏やかで、そして底の見えない微笑を浮かべるシャロンは「ああ、その依頼ですわね」と何事もないかのように応じる。

 

「実はとても気難しい方からのご依頼でして。提出していただいた依頼書にもそれだけしか記入していただけなかったのです。申し訳ありませんが、ご用件は直接うかがう他にないかと存じます」

「いや、気難しいにもほどがあるだろ……」

 

 げんなりとするクロウ。いまだ顔も名も知れぬ依頼人に対して苦手意識を覚えてしまう。詳細を書くことが面倒だったのか何か別の事情によるものか判別はつかないものの、少なくとも一筋縄でいく人物ではないことは確実だ。会いに行くとしても身構えてしまうものがあった。

 

「どうしようか。一応、これを最初に行った方がいいのかな?」

 

 かといって依頼として来ている以上は行かないという選択肢はない。いや、正確には依頼の遂行はトワたちの判断に任されているのだが、そこはお人好し具合に定評のある誰かさんのことである。依頼の無視などするはずもなかった。例えそうでなくても、この気難しい依頼人とやらを無視したら後が怖いので結局は行くことになっていただろうが。

 さておき、行くなら行くとして最初にしようかと提案するのは内容が知れないからである。何をするにせよ、まずはそれを知らなければ順序の立てようもない。それに気難しい人が相手となれば、早めに行った方が面倒も少ないのではないかという打算もある。

 クロウ、アンゼリカもそれに異議はない。これで決まりかと思ったところで、残りの一人が首を横に振った。

 

「いや、今すぐはやめた方がいいと思うよ。他の予定があるところに来られたら更に機嫌を悪くするだろうから」

「おや、もしや文面だけでも厄介そうなこの御仁と知り合いなのかい?」

「まあ、たぶんね。僕としては『来い』って書かれていないだけマシに思えるくらいには知っている人だよ」

 

 苦笑いとともにそんなことを言われて三人の頬が引き攣る。どれだけ気難しい、いや、偏屈なのかと慄いてしまう。

 

「僕が知っているスケジュールのままなら……うん、十六時くらいなら予定もないだろう。それくらいに行けば多少はまともな歓迎をしてくれる……と思う」

「……ちなみに、そのまともな歓迎っていうのはどれくらいのもの指すんだ?」

「部屋に入った瞬間に怒鳴り散らして叩き出したりはしない程度、かな」

「オーケー、あまり期待はしないでおくわ」

 

 もう今からうんざりした様子のクロウにいつもなら励ましの言葉をかけるところだが、今回ばかりはトワも「あはは……」と引き攣った笑い声を出すしか思いつかなかった。アンゼリカも諦観した様子でやれやれと肩をすくめるばかり。依頼書を見ただけでここまで憂鬱になったのは初めてではないだろうか。

 

「と、取りあえず、そういうことなら他の依頼から片付けていっちゃおうか。あっ、その前に荷物の片付けもしなきゃいけないか」

 

 ひとまず憂鬱さは置いておくとして、それ以外のことから手を付けようとしたところで気付く。よくよく考えれば荷物の片付けどころか宿泊先すら知っていなかったのだと。前回までは先に宿泊先を知っていたり、あるいは連れてかれた先がそれだったりという感じだったが、今回はどうなのだろうか。

 思い当たったその疑問を口にする前に、立て板に水のごとく答えが返ってくる。

 

「それでしたら私が運んでおきますので。後ほど宿泊先で用向きをお伝えしてくだされば大丈夫なようにしておきますわ」

「それはありがたいですけど、結構な量がありますよ」

「うふふ、ご心配なく。この程度のこと、私にとってはお安い御用ですので」

 

 気遣い無用と言われてしまえばこちらとしては何とも言えなくなってしまう。ありがたいことは確かなので、お任せできるというのならば是非ともお願いしたいことだ。ここは素直に厚意を受け取っておくべきところだろう。

 

「シャロンさん、ちなみにその宿泊先というのは……」

「ホテルに二部屋確保しております。まかり間違ってもログナー邸ではないのでご安心を」

 

 その返事にアンゼリカはどこかホッとしたような表情を浮かべた。やはり実家には顔を出しづらいのだろうか。傍から見て感情の動きが明らかに分かるというのは彼女らしからぬことだ。詳しくは話さないものの、それだけ本人にとって根の深い問題なのかもしれない。

 

「ご配慮に感謝しますよ。礼と言っては何ですが、課題には全力をもって取り組ませてもらいます」

「ええ、どうか頑張ってきてくださいませ。皆様もお気をつけて」

 

 たおやかな声に送り出され、トワたちは執務室を後にして鋼の街へと繰り出していく。

 ジョルジュの語る偏屈な依頼人に言い知れぬ不安を感じながらも、まずは他の依頼を達成するべく先を急ぐ。まるで不安から逃れるように、しかして不安のもとへと確実に繋がっている道を。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ルーレの北方には山岳地帯が広がっている。雪に包まれた温泉地ユミル、そして雄大な大地が広がるというノルド高原との狭間に存在する山々。その中には帝国の屋台骨とも称されるザクセン鉄鉱山が含まれ、大量の鉄鋼を製錬、消費するルーレとは専用の貨物線を通じて頻繁に往来がある。

 過去には馬車や人力で鉄鉱を運んでいたのだから、当然ながら歩道も整備されておりザクセン山道という比較的整った道が通っている。その山道を下って再びルーレに戻ってきたトワたち。そのまま依頼を受けたRFの直営販売店に向かい報告を済ませた彼女たちは、起伏の激しい道を歩いてきたがために疲れてはいたものの、依頼を完遂した満足感があった。

 その中でもクロウはホクホク顔だ。上機嫌に鼻歌でも歌いだしそうな彼の手の中では真新しい導力銃がくるくると回っていた。

 

「RFもなかなか太っ腹じゃねえか。依頼自体も楽勝、報酬は上々、こんな依頼ばかりだったのなら万々歳なんだがな」

「現金だね、まったく。そんなにそれが気に入ったのかい?」

 

 半ば呆れたようなアンゼリカに「まあな」と素直な返答。よほどご機嫌らしい。

 

「癖は強いが威力は折り紙付き、精度も癖に慣れりゃ悪くねえ。いい銃だぜ、こいつは」

「その癖が強すぎるから、そのまま量産化はできないらしいけどね。クロウ君は使う気満々だけど、大丈夫なの?」

「そこは腕の見せ所ってやつよ。まあ、下手は打たねえから安心しな」

「大言壮語でないことを祈るよ」

 

 RF直営店から引き受けた試作導力銃のテスト。手配魔獣の討伐がてらそれを使ってみたクロウは随分とお気に召していた。一般のユーザーには敬遠される癖の強さが逆に嚙み合ったらしい。

 販売するにはもう少しマイルドな操作性にしないといけないそうなので、報酬としてもらったこれは実質的に一品物のクロウ専用。男子とは得てして専用という響きに弱いものである。分かりやすい機嫌のよさにトワは心配を口にしつつも微笑みを隠せなかった。

 

「一応、試作品だから扱いには気を付けてくれ。調子が悪かったらメンテナンスくらいは引き受けるからさ。メーカー保証は利かないだろうし」

「へいへい、気を付けますよ……それよりストレスで死にそうな顔になってんぞ、お前」

 

 見れば、確かにとクロウの言葉に納得する。ジョルジュの顔にはありありと胃痛にでも苛まれていそうな色が浮かんでいた。それほどまでにこの後の予定が憂鬱なのだろうかと今度は真剣に心配してしまう。

 

「はは……大丈夫だよ。実際に顔を合わせたらなんて怒鳴りつけられるかと考えているだけで……」

 

 それは割と大丈夫じゃない気がする。ジョルジュ以外の面々はそろって同じことを思った。

 手配魔獣、試作導力銃のテストが終わり、当初の予定通りルーレ工科大学に向かっているトワたち。ジョルジュの恩師ともいえる依頼人がどれほどの偏屈具合なのかもはや怖いもの見たさの領域になってきたが、友人がこうも参ってしまっているとさすがに考えものだ。

 本当に顔を合わせ辛いなら無理をする必要もない。顔を知らなくても依頼を聞くことくらい訳はないのだから。

 

『無理はしない方がいいの。先にホテルで休んでいる?』

「……いや、遠慮しておくよ」

「そう? 別に必ずジョルジュ君が行かなくても……」

「行かなかったら、逆に怒鳴り込んできそうな予感がするからね」

 

 そんなことを言われてしまったら黙り込むしかない。ジョルジュの浮かべた苦笑には哀愁が滲んでいた。

 

「そういうことなら仕方がない。精々、腹を括っていくとしようか」

 

 どうあっても師弟の胃の痛む再会が避けられないのであれば、もうさっさと用事を済ませてしまうよう急ぐ方が賢い。喉元過ぎれば、という言葉もある。手早くことを進められればジョルジュの胃へのダメージも少なくできるだろう。

 

 足早にルーレ工科大学に向かう。RF本社ビルの前を過ぎて、遠目に見えてきたキャンパスはなかなかに立派なものだった。直前に威容を放つ巨大ビルを目にしているのでインパクトは劣るが、それでも他の街ではそうそうお目に掛かれないくらいの規模がある。技術力がものをいう街における基礎研究の大御所だ。立派なのも頷けよう。

 勝手知ったるジョルジュが先導し構内に入ると、まずはエントランスホールへ。学生らしい人たちが談笑したり技術的な議論を戦わせているのを傍目にしながら奥の受付に向かうと、こちらに気付いた女性職員が「あら」と驚きを含んだ声を漏らす。

 

「ジョルジュ君じゃない。四か月ぶりくらい?」

「どうもお久しぶりです。今日は博士に用事があって来たんですけど……」

「ええ、聞いていますよ。士官学院の実習なんですってね。君が来るって聞いたときは驚いたけど」

「はは……まあ、博士の研究も絡んでいる件なので」

 

 随分と仲がよさそうな二人。大学に頻繁に出入りしていただけあって、話す機会も多かったのだろう。勝手知った間柄という印象を抱いた。

 

「学長ならご自分の研究室にいらっしゃるわ。今なら会いに行っても問題ないだろうけど……その、初めて会う人はあまり気を悪くしないでくださいね。少々、いえ、かなり気難しい方だから」

「そこまで言われると逆に興味が湧いてくるね」

 

 職員にまでこうも評されていると、どれだけのものやらと呆れと好奇心が半々になってくる。もっとも、それは対面が避けられないがための開き直りに近いものだが。どちらにせよ碌な対面になりそうにないのは分かり切っているのだ。ならば開き直った方が気持ち的に楽ではある。

 入構証を発行してもらい、ジョルジュの案内でキャンパス内へと進んでいく。途中ですれ違う彼の知り合いと幾許か言葉を交わしながら件の博士の研究室へ。博士に用事が、というと誰もが「そうか……」と若干の憐憫を向けてくるあたり、博士へのイメージが確固なものであることがこれでもかと伝わってくる。

 そして、ついに目的地へたどり着く。部屋の主を示すプレートを一目見て、トワたちは薄々と勘付いてはいたが、それでもやはり驚きは隠せなかった。

 

「ジョルジュ君の先生、やっぱり凄い人だったんだね。なんとなくそうかなって思っていたけど」

「凄い人か。それだけならよかったんだけどね……言っても仕方がないか」

 

 諦めをつけるかのような嘆息を一つ。意を決した面持ちで、ジョルジュは研究室のドアをノックした。

 

「…………」

「…………」

 

 無音。

 

 返事のないドアを前にトワたちは目を見合わせる。受付の人にも確認したのだから居ないはずはないのだが、現に音沙汰がないからには不在と考えるのが適当だ。出直した方がいいのか。トワがそう考え始めていると、ジョルジュが小さくため息をついた音が聞こえた。

 あっ、という間もない。断りを入れずにドアを押し開ける。鍵は掛かっていなかった。彼の大きな背中越しに雑然とした研究室の中身が目に映り、そして、その背中に隠れるデスクの位置から人の気配を感じた。

 

「呼び出したからには反応の一つくらいしてください。みんな勝手を知っているわけじゃないんですから」

「貴様がいるのだから構うまい。文句はそれだけか?」

「文句って……ああ、もういいですよ」

 

 しわがれた、しかし芯の通った強い声。ジョルジュの抗議をまるで意に介した様子もなく流し、一応は聞く形でありながらも実際はこれ以上の口答えを許してくれなさそうな態度。不遜、とでもいえばいいのだろうか。気難しいだとか、偏屈だとか散々聞かされてきたことがようやく実感を伴う。

 文句など掃いて捨てるほどにある。それを飲み込むようにして諦め気味の声を発したジョルジュは見ていて分かるほどに肩を落とす。彼の心労は最初からフルスロットルである。

 その煤けた背中から顔をのぞかせて、ようやくトワは彼の師と対面する。顔には皺が刻まれ、白髪に包まれた頭から相応の高齢であることが分かる。だが、その居住まい、片眼鏡(モノクル)の奥から覗く眼光からは衰えなど微塵も感じさせない。

 

「まあ、一応は名乗っておこう。G・シュミット、そこの()馬鹿弟子を教えていたものだ」

 

 導力器の生みの親、C・エプスタイン博士の三高弟の一人はそう宣った。

 導力式鉄道の発明をはじめとして、エレボニア帝国に導力技術による革新をもたらした著名な技術者、それがG・シュミット博士だ。つまりジョルジュは帝国において最高の技術者に教えを請うていたことになる。なるほど、彼の若さに似合わない高い技術力も頷けるというものだ。

 

「は、初めまして。私は――」

「貴様らの名など聞いていない。依頼を確実に遂行すること、私が求めているのはそれだけだ」

 

 そして同時に理解する。彼がどうしてあそこまでストレスに苛まれていたのかも。確かにこれは筋金入りの偏屈だ、とトワたちは閉口した。

 

「それで博士、依頼内容は? 渡されたものには何も書かれていませんでしたけど」

「一から十まで聞かないと分からんか。下らん理由で投げ出したとはいえ、そんなことまで教え損ねてはいなかったはずだが」

「……ARCUSの戦術リンク、その調整のための実験ですか」

 

 うむ、と一つ頷くシュミット博士。苦々しい面持ちの元弟子など眼中にない。

 

「提出されたレポートはこちらでも読んだ。ある程度は使いこなせるようになったようだが、まだまだ不安定な点が否めないそうだな」

 

 確認の言葉に首肯する。概ね、その認識で間違いなかった。

 試験開始初期と比べればだいぶマシになったとはいえ、安定して運用できる段階とはとても言えない。だからこそ開発元であるRFを訪ねることで何か進展が得られるのではないかと思っていたのだが。

 ふと思う。トワたちのレポートをシュミット博士も読んでいたということは、ARCUSの開発に一枚かんでいるのだろう。それに先ほどのジョルジュの言葉。もしや、と問いかける。

 

「もしかして、シュミット博士がARCUSの調整に力を貸してくれるんですか?」

「ものを知らん娘だ。ジョルジュ、教えていないのか」

「教える機会もなかったので」

 

 肩をすくめるジョルジュ。不機嫌そうに鼻息をついたシュミット博士は分かり切ったことを言うかのような口調で言葉を続けた。

 

「もとよりARCUSの根幹たる戦術リンクシステムは私の作品。作品が未完成である以上は改善に取り組むのは当然のことだ」

 

 驚きと納得、どちらの比重が大きかったかと問われれば後者と答えるだろう。仲間同士の知覚を直感的に理解できるようにし、連携の質を飛躍的に高める戦術リンクシステム。戦場の革命さえ起こしかねない画期的な機能を開発したのが、この帝国随一の導力技術者であるならば自然と受け入れられる。

 だが、本人にとっては他者からの理解などどうでもいいのだろう。淡々と語るその口調からは、己の作成物を完成させることしか頭にない筋金入りの技術者としての面が強く感じられた。

 

「納得したのなら早々に実験の準備に取り掛かるがいい。こちらで機材を準備している間に相手(・・)を見つけてくるのだ」

「相手って……なんの相手だよ?」

 

 当然の疑問さえシュミット博士は煩わしい面持ちを浮かべる。そんなことまで説明しなければならないのか、と言外に伝えてくる険しい目線に嫌な汗が流れそうな気分だった。

 

「まずは今の戦術リンクがどのような状況なのか調べなければ何も始まるまい。戦闘時の状況を精査するためにも適当な相手を探して来いと言っている。そこらの凡人では話にならんぞ。戦闘が成立するだけの腕前は必要だからな」

 

 必要最低限のことを言うだけ言って、シュミット博士は「さあ、さっさと行け」とトワたちを追い出しにかかる。あまりの剣幕にろくに抗うこともできず、流されるように研究室から放り出されてぴしゃりと目の前でドアは閉ざされた。

 若干、呆けたままの三人と深々とため息をつくジョルジュ。自然、言葉を発したのはあの強烈さに慣れてしまっているものだった。

 

「取りあえず、外に出ようか」

 

 ここにいつまでもいては何をぼんやりしていると怒鳴られかねない。そんな懸念を表明するジョルジュの言葉に三人ともが一も二もなく頷くのであった。

 




 はい、お久しぶりです。忙しさにかまけて半年ばかり放置していましたが、また書きたいなぁ、と意欲が少しばかり湧いて来たのでキーボードを叩いてみた次第です。久しぶりすぎて文や口調が変ではないか不安だったりします。
 今度も忘れたころになって投稿される不定期更新になると思いますが、皆様の暇つぶしの一助にでもなれば幸いです。

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