艦隊の祥、艦娘の鳳   作:瑞穂国

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ご無沙汰しております。

これは、遅刻ですね、すみません。

前回予告しました、MO作戦です。

ガチのシリアスにならないよう、極力気をつけたつもりですが・・・

今回も、どうぞよろしくお願いします。


南方に吹く風は

一九四二年五月七日。

 

ポートモレスビーの攻略を目指したMO作戦の遂行中に、珊瑚海海戦は生起した。日米の機動部隊が初めて合間見えたこの戦闘は、終始様々な錯誤にまみれていた。

 

そして、その日。

 

上陸船団を護っていた彼女に、敵の空襲が始まった。小柄な体を捻り、向かってくる百機近い敵機の投弾を避けようとする。

 

やがて全てが終わった。全身を焼かれた彼女は、深い海の底へとその舳先を向けていた。自らが護った船団がどうなったのか、それすら知ることを許されず、薄れゆく意識の中で彼女は祈るしかなかった。

 

―――軍艦としての祥鳳の記憶は、そこで途切れている。

 

 

「納得できないっ!」

 

机を叩く鋭い音に、私は我に返りました。見れば、執務机に腰掛けてこちらを見つめている彼に、瑞鳳が詰め寄っているところです。

 

基地前の桜が、緑色になり始めている四月の半ば、ここ鹿屋基地に所属する艦娘たちは、全員が執務室に集められていました。次の大規模作戦に向け、説明を受けるためです。

 

姿勢正しく私たちに向き合う彼は、弱冠十八―――いえ、もう十九ですね。最年少で艦隊を率いる提督に任命された逸材だとか。

 

鹿屋基地は規模の小さい基地ですが、過去に行われた大規模反攻作戦には全て参加しています。近海哨戒で培った高い対潜能力を買われて、後方補給部隊の護衛を務めてきました。

 

もちろん、私たちの主任務は近海防衛ですから、全員が出撃するということはありません。青葉さんと私か瑞鳳、第七駆逐隊から二人といったところです。

 

今回もその類だろうと思っていました。私の頭の中は、私か瑞鳳どちらが参加するのか、他の鎮守府から派遣される護衛部隊とのすり合わせをどうするか、といったことを考え始めていました。

 

「MO作戦への参加が、正式に決まりました」

 

「・・・え?」

 

ですから、不意に放たれた彼の言葉に、自分でもわかるほどに間の抜けた声を上げてしまいました。

 

MO作戦。私の記憶の中に、かすかに刻まれたその名称は、かつて私が戦った、珊瑚海海戦が生起する原因となった作戦です。

 

―――いえ、隠す意味はありませんね。初陣となったこの戦いで、私は敵の集中爆撃を受け、コーラル・シーと呼ばれた海に沈んでいきました。

 

ですが不思議と、その時のことは、今まで特に思い出したり、まして夢に見るなんて事もありませんでした。艦娘の中には、あまりに凄惨な過去に毎日のようにうなされる娘もいるそうですから。

 

でも、いざその名前を聞かされたとき。私は痺れたように動けず、思考が遠のいていくのを感じました。

 

艦娘ではなく、私がただの軍艦だった頃の、今からすればずっと遠い記憶だったはずです。私自身、掠れておぼろげにしか思い出せない、そんなことだったはずです。なのにその記憶は、長い年月を経た今、艦娘としての私の感情に深く介入しようとしています。

 

「その作戦にはわたしが行く!」

 

瑞鳳はまだ彼にまくし立てます。どうやら、今回は自分が出撃する、そう主張しているようでした。

 

当然といえば当然かもしれません。MO作戦という言葉を聞いただけで、私は思考を失い、こんな状態になってしまうのですから。

 

でも、それでいいはずがありません。

 

「いえ、今回は祥鳳さんに言ってもらおうと思っています」

 

瑞鳳の話に首を振った後、彼ははっきりとした声でそう告げました。

 

「どうしてっ!?」

 

先程よりも声を荒げた瑞鳳が問いかけました。

 

「・・・今回の作戦は、対豪航路の要衝、ポートモレスビー港への輸送が目的です。みんなも知っている通り、南方海域は敵艦が跳梁跋扈する海域です。ですから、今回の輸送には、大きな危険が付きまといます」

 

そう言って彼は、一枚の地図を広げます。集まっている七人の艦娘たちは、それを覗き込むように、執務机の周りに身を寄せました。

 

地図は、私たちの基地から豪州へと至る航路を拡大したものでした。最近制圧された西方海域の前縁、そして今回通過する南方海域が写されています。その中央、横に長く、爬虫類を思わせる島が浮かんでいました。

 

ニューギニア島。私にとって、因縁の深い場所です。

 

「通過する海域では、最近敵の機動部隊が確認されています。これを迎撃するために、第五航空戦隊を中核とした支援部隊が付きます」

 

あの時を思い出させるような編成。私の胸が、再びドキリと脈打ちました。

 

第五航空戦隊を構成する二人の艦娘、翔鶴と瑞鶴とは、中央で一緒に訓練課程を消化しました。最新鋭空母だけあって、その能力は非常に高いものです。

 

彼女たちに護られているなら、大丈夫。そう思う反面、言いようのない不安を感じている自分がいました。

 

―――いえ、何を考えているのでしょう、私は。護るのは彼女たちではありません。護られるのは私ではありません。今度こそ、私が守り抜く。そう決めたはずです。他の誰でもない、私が、みんなを護りたい。それが艦娘としての、私の決意なのですから。

 

「・・・私が護衛に付くということは、輸送船団が空襲される危険がある、ということですね」

 

渇いた口から、声が震えないように言葉を搾り出します。彼はすっと頷きました。

 

「はい。ですから、防空戦闘の経験がある祥鳳さんに、お願いしたいと思っています」

 

瑞鳳が来る前ですから、もう一年近く、でしょうか。

 

当時積極的に防空戦闘の研究をしていた佐世保鎮守府から、ここ鹿屋と岩川の両基地に対して、演習の申し出がありました。敵の空襲に対する、艦隊規模での防空戦術についての演習でした。

 

鹿屋からは、私と朧ちゃん、曙ちゃんが参加しました。図上演習と洋上での想定演習、そして実際に艦載機を使った実戦演習。あらゆる状況と装備を試しながら、一週間をかけて細部を詰めました。

 

このときの経験は、先日の渾作戦において十分に役立ちました。軽空母部隊の空襲を受けた補給船団と私たち護衛部隊は、限られた装備を活用して、三度の空襲をほぼ無傷で撃退することに成功したのです。

 

この時の作戦指揮を任されていたのは、他でもない私でした。今回の作戦もまた、防空戦闘となるのであれば私が選ばれるのはある意味必然といえます。

 

「・・・じゃあせめて、わたしも一緒に行かせて」

 

瑞鳳はなおも食い下がります。

 

「それはできません。鳳翔さんが転属になった今、近海哨戒の要は祥鳳さんと瑞鳳ちゃんだけなんです。二人とも出撃させるわけには行きません」

 

ですが、彼は首を縦には振りません。瑞鳳は唇を噛み締めます。

 

「・・・提督も知ってるでしょ?この作戦が、お姉ちゃん―――祥鳳にとってどういうものか」

 

搾り出されたのは、心配と、そして私以上の不安で満たされた声でした。語尾が微かに震えています。

 

出来るならば、今すぐにでも抱きしめてあげたい。私は大丈夫だから、と。ですがみんなの前という状況が、私を思い留まらせました。

 

代わりに抱くのは、より一層強い決意。

 

姉として、もう二度と妹を悲しませるわけにはいきませんからね。

 

「―――提督」

 

勇気と言えるほど、大げさではありません。それは、たったの一歩です。たった一歩、前に踏み出すだけ。でもきっとそれは、艦ではできないこと。軍艦であった時には、できなかったこと。

 

「大丈夫です。私に、やらせてください」

 

「っ!お姉ちゃん・・・」

 

いつかは越えなければならないのです。それにこの作戦は、あの時とは違います。ただ、同じ名を冠しているだけ。

 

「・・・いいのですか」

 

「はい」

 

彼はいつになく真剣な表情で、私を見つめています。その目を―――私たちを見守り、優しく包み込む目を。いつもなら恥ずかしさで背けたくなる目を、私もまた見つめました。

 

やがて彼は、静かに頷きました。つい先日切ったばかりだという、整えられた髪が春の陽に揺れます。かぶった軍帽のつばが、小さな影を落としました。

 

「わかりました。よろしくお願いします、祥鳳さん」

 

次の瞬間、瑞鳳は駆け出して部屋の外へと出て行きました。乱雑に閉じられたドアが、硬い音を発します。

 

「瑞鳳!!」

 

「瑞鳳ちゃん!!」

 

私たちの声は、虚しく空気を振るわせるだけでした。

 

「・・・以上で、説明は終わりです。後日、編成については連絡します」

 

彼がそう締めて解散となりました。第七駆逐隊のみんなが退出した後、執務室には私と提督だけが残っています。

 

「・・・あの、提督。すみません、瑞鳳が」

 

「いえ、祥鳳さんが謝らないでください。自分に非がありますから」

 

彼は立ち上がって、頭を下げました。慌てて私は、彼に顔を上げてもらいます。

 

「ムキになってしまったんです。自分で最良の選択をしたと思ったのに、否定されて。今思い返せば、今回の編成には何の根拠もありません。自分が勝手に、祥鳳さんに頼っているだけです」

 

提督失格ですね。彼はそう言って目深に帽子を押し下げます。

 

「そんなことありません!」

 

思わず叫んでいました。

 

「提督は、最後まで瑞鳳の話を聞いていました。その上で、それでも私を選んでくれたのですよね」

 

珍しく、声を荒げる自分に驚きました。私にもこんな気持ちがあったのだろうかと。

 

なぜ、こんなにも必死になって否定しているのでしょうか。

 

「・・・それとも、私を選んだのは提督の意地があったからで、本当は信頼しているわけではないということですか」

 

「それは違います!!」

 

一瞬顔を上げた彼もまた、普段からは考えられないような表情で、私を見返します。息が詰まるのを感じました。

 

「・・・すみません、自分が誤解を招くようなことを」

 

「・・・いえ、私こそ」

 

お互いに視線を下げました。オレンジに染まりだした光が、窓から差して頬を暖めます。

 

「心配しないでください、ああ見えて瑞鳳は強い娘です。今回のことも、きっと大丈夫ですから」

 

私はそれだけ残して、執務室を後にします。ドアを閉じようとした時、

 

「祥鳳さん!」

 

中から、呼び止める声がしました。

 

「自分は、祥鳳さんのことを信頼しています。一人の女性として」

 

 

 

部屋に戻ると、明かりが落とされた部屋の隅に、小さな影がうずくまっていました。

 

紅白の鉢巻と、灰色がかったポニーテールが、夕闇の中で微かに確認できました。

 

「瑞鳳・・・」

 

私は自分の妹に、なんと声を掛ければいいのかわかりませんでした。

 

―――信頼しています。一人の女性として。

 

ですが私は、女性としてどころか、一人の艦娘としても未熟です。大切な、たった一人の妹に、何を言えばいいのか、それさえ私はわからないのです。

 

「・・・やっぱり、嫌だよ」

 

入口で立ち尽くす私に、瑞鳳は振り向くことなく呟きます。ぽつり、心から漏れ出た水滴が滴るように、小さくか細い声で。

 

「瑞鳳、私は大丈夫だから・・・」

 

「わかってる!わかってるよ・・・。でも、でも・・・」

 

私よりもずっと心もとない体を、その両腕で抱きかかえます。ぎゅっと縮こまった背中は、まだ肌寒さの残る春の夜に震えていました。

 

「時々、夢に見ちゃうの。お姉ちゃんがどこか遠くに行っちゃって、わたしだけで。寒くて、冷たくて、寂しくて」

 

何も、答えられませんでした。

 

あの日から、最後の時まで、瑞鳳はたった一人ではなかったはずです。ですが、彼女にとって―――いえ、艦娘となって感情というものを持った私たちにとって、あの戦争で姉妹を失ったということが、どれほどの痛みなのか。私に知る由はありませんでした。

 

「嫌だよ・・・また、離れ離れになっちゃうなんて・・・嫌、だよ・・・」

 

目元を擦るのが、仕草でわかりました。

 

「わかってるの、これは夢だって。起きて、隣にお姉ちゃんがいて、安心して。でも、でも・・・」

 

「・・・」

 

「怖い・・・怖いの・・・」

 

ああ、私はなんという勘違いをしていたのでしょう。

 

瑞鳳は強いのではありません。こんなにも震えて、本当は不安や恐怖で一杯で。それでも、精一杯やっているのです。文字通り、彼女が想う通りに一生懸命。

 

それも、立派な強さかもしれません。でも瑞鳳自身は、私が思っていた以上にか弱い、本当にごくごく普通の女の子だったのです。

 

畳の敷かれた部屋に上がって、私は瑞鳳のもとへと歩きます。一歩一歩が、まるで彼女の想いを語るように重く、それなのに不思議な落ち着きを、私へもたらしてくれました。

 

「瑞鳳・・・」

 

「っ!お姉、ちゃん・・・?」

 

私がそっと後ろから抱きしめると、驚いたのか肩をびくつかせて、そうしてほんの少し顔を上げてくれました。その頭を、さらさらとして心地のよい髪を撫でます。

 

「・・・今日は、一緒の布団で寝てくれる?」

 

「ふえ?」

 

こちらを見上げた瞳に、できるだけ姉らしく、優しく微笑みます。

 

「本当はね、私も怖い。でも瑞鳳がいてくれるなら、きっと大丈夫だって、みんな無事に帰ってこれるって、そう思えるの。だから、ね。瑞鳳の温もりを、私にも分けてくれる?」

 

わたしの言葉に、瑞鳳はきょとんとしていました。しばらくしてもう一度目を擦ると、

 

「うん・・・うん・・・!」

 

そうやって、力一杯頷いてくれました。

 

いつぶりでしょうか。その晩は、久しぶりに姉妹同じ布団で寝ました。髪を下ろした瑞鳳は、安らかな寝息を立てて、それでも離すまいと私の寝巻きを掴んでいました。直に伝わる体温と、可愛い寝顔が、たまらなく愛おしく感じました。

 

 

出撃の日が、やってきました。

 

最終的に、本作戦に参加するのは、私と青葉さん、曙ちゃん、漣ちゃんの四人です。ただし、青葉さんは護衛艦隊ではなく、支援艦隊の前衛に回ることになりました。残った瑞鳳たちは、このまま近海哨戒任務を続行することになります。

 

輸送船団含めた艦隊とは、南方海域の要衝トラック泊地で合流が予定されています。そこまでは、佐世保から派遣される護衛部隊と共に航行して行きます。

 

出撃前、私は全ての準備が整った段階で、彼のいる執務室へと足を運びました。

 

「失礼します」

 

返事が帰ってくるのを待って、簡素な造りのドアを開きます。中には、出撃前にいつも見せる、提督の顔をした彼が待っていました。

 

「提督、MO護衛艦隊の出撃準備、整いました」

 

私の報告に、少し不安げな顔で彼は頷きました。

 

「自分から言うことは、何もありません」

 

しばらくの間。

 

「・・・どうか、ご無事で。みんなのことを頼みます」

 

「・・・はい」

 

どうしてでしょう。もっと、話したいはずなのに。この人の声を聞きたいのに。言葉は、私の口から出てきてはくれません。これほどまでに、もどかしく感じたのは初めてです。

 

何も言葉が見つからないまま、私は踵を返して執務室を後にしようとします。ですが、部屋のノブに手を掛けた私はふと思い立ち、再び彼に向き直りました。

 

「あの、提督。一つ、わがままを聞いてもらってもいいですか?」

 

彼は不思議そうな顔をしています。それもそうです。今までの私は、どちらかといえば控えめに振舞ってきましたから。

 

「はい、なんでしょうか」

 

まぶたをそっと閉じて、それからもう一度、彼を見つめます。

 

「―――どうか、私たちを迎えに来ないでください」

 

「・・・え?」

 

彼はいつも、任務から帰還した私たちを、埠頭まで迎えに来てくれています。それはとても嬉しいことでした。この基地に―――我が家に帰ってきた安心感が、きっちりと整えられた制服の彼が、静かに佇んでいるのがたまらなく嬉しかったのです。

 

でも。

 

いつまでも、待っていてもらうだけではいけません。私たちが、この基地に帰るのです。彼のもとへ、大切な仲間たちのもとへ、必ず帰ってくるのです。

 

「ですが・・・」

 

「帰ってきます。私は自分の足で、必ず報告に来ます。ですから、どうか執務室で待っていて欲しいんです」

 

私の言葉を、真剣な顔で見つめて彼は聞いていました。やがて小さく頷くと、私の目線を真っ直ぐに見返して答えました。

 

「わかりました。自分はここで、祥鳳さんたちを待っています」

 

それだけ言って、彼は柔らかな微笑を浮かべます。先程までの“提督”の表情とは打って変わった、優しさを湛えた笑顔は、私の心臓をなぜか高鳴らせました。

 

「行きましょうか。そろそろ時間です」

 

立ち上がった彼と共に、私は港へと向かいます。

 

春の終わりを告げようとする日差しが、早くも私を照らしていました。

 

 

四隻編成でトラック環礁に到着した私たちは、そこで輸送船団と支援艦隊に合流しました。久しぶりに再会した五航戦の二人は、敵艦隊は任せてと、胸を張りました。もっとも、主に瑞鶴の方でしたけど。

 

二日の滞在の後、全ての準備がなった輸送船団と共に、艦隊は一路ポートモレスビーへ向けて抜錨しました。最初に出るのは、五航戦を中核とした前衛支援艦隊。その中には、青葉さんの姿もあります。

 

「それでは、また後ほど」

 

いつも通りに明るい笑顔を浮かべた彼女が環礁を離れてから一時間、私たち護衛艦隊と隊列を組んだ輸送船団もまた、同じ航路を進み始めました。船団長は、今まで何度も輸送船団を率いてきたベテランです。恰幅のよい、優しげなおじいさんでした。

 

雲量六の空の下、船団は潜水艦警戒のための之字運動を繰り返しながら、時たま支援艦隊と連絡を取って進んでいました。両艦隊の距離は、百キロといったところです。

 

艦娘専用の補給艦から燃弾の補給を受け、時間ごとに配置を換えながら、私たち護衛艦隊も警戒行動を続けます。私も常時六機の零戦を上げ、さらにすぐに出せる機体を十二機準備していました。さらに、基地の妖精さんたちがこの作戦のためにと開発してくれた一四号電探でも、早期警戒を行っています。

 

『漣、交代しま~す』

 

『あんたねえ・・・まあいいわ』

 

第七駆逐隊の二人は、いつもの通りのようです。少しだけ、気持ちが和みました。

 

MO作戦は、ポートモレスビーへの輸送を最終目的としています。ですがその過程で、輸送船団を襲おうとする敵機動部隊の撃破も目標の一つに含まれていました。言い方は悪いですが、この大規模な船団を撒き餌―――囮として、南方海域における脅威を排除しようという狙いもありました。

 

―――その分、船団が危険に曝される可能性は、高くなる。

 

トラックを発ってから三日目、支援艦隊から敵機動部隊発見の一報が入りました。船団内に、これまで以上の緊張が走ります。

 

ポートモレスビーまではあと少し。南方海域の中枢に入り込んだ船団は、ここに来て遂に、敵機動部隊と合間見えることになってしまったのです。

 

『全艦、対空警戒を厳とせよ』

 

船団長の厳しい声が聞こえてきました。私も、上空直掩の戦闘機を倍の十二機に増やします。

 

警戒を続けながら、私はこれまで一度も放っていない矢を確認しました。

 

彼から預かってきた、とっておき。少数ではありますが、そこには現在の最新鋭戦闘機“烈風”が収まっています。零戦のあとを継ぐ、空の守護者。実戦使用はまだですが、いざ防空戦闘が始まれば、これほど心強いものもありません。

 

しばらくして、五航戦が攻撃隊を出す通信が入りました。いよいよ、南洋の制空権を掛けた戦いが始まろうとしていました。

 

 

 

それは最初、豆粒ほどにしか見えません。あの時と同じ、水平線の向こうから爆音を響かせて近づいてくるのです。

 

「電探に感!敵攻撃隊!!」

 

あまりにも唐突でした。船団には先程、支援艦隊が戦闘状態に入ったこと、第一次攻撃隊が敵空母一を中破させたことが知らされていました。現在敵の第一次攻撃隊を迎撃中であることも。

 

では、今船団に向かっている攻撃隊は一体。導かれる答えは、一つでした。

 

―――別の機動部隊!?

 

一四号電探に映る影は、ゆうに八十機はいます。間違いなく、正規空母一隻以上で構成された機動部隊の攻撃隊でした。

 

『全艦、対空戦闘用意!』

 

待機中だった艦娘も、それぞれに展開していきます。輪形陣。防空戦闘の、基本となる陣形です。

 

「戦闘機隊、全機発艦してください!」

 

準備していた戦闘機を、全て上げます。もちろん烈風も含めてです。総勢四十機弱。これで防げるかどうか。

 

編隊を組んだ戦闘機隊は、ぐんぐん高度を稼いでいきます。もう少し数が多ければ、敵の戦闘機を引き付ける隊と、攻撃隊を叩く隊に分けられるのですが、今は一本に絞るしかありません。

 

―――どうすれば、護れる?

 

私は、今にもパンクしそうな頭をフル回転させて、状況の打開策を考えます。ですがこういう時に限って、有効な策というのは出てきてくれません。そうこうするうちに、攻撃隊は距離四万まで迫って来ました。

 

不意に浮かんだのは、今も鹿屋基地で私たちを待ち続ける、彼の顔でした。最後に見た、温かな笑顔。いつもわたし達のことばかり考えてくれる、優しい瞳。艦隊が無事帰投すると、真っ先に飛んできて、私たちの安全がわかると、気恥ずかしげにはにかむ口元。そのひとつひとつが、なぜか鮮明に思い出されました。

 

「・・・夕張さん、対空戦闘の指揮をお願いします」

 

気づくと私は、同じ護衛部隊の軽巡洋艦娘である彼女に、一言言い残して、艤装の出力を上げました。

 

『祥鳳さん!?』

 

蕎麦色のポニーテールをなびかせる彼女は、驚きを隠せない声で答えます。でも私は、その声を無視して、船団の一番先頭へと出ました。

 

防空戦闘で一番やりにくいのは、前後左右、あらゆる方向から敵機が襲い掛かってくることです。でも、その攻撃を一方向に絞らせることが出来たら。具体的には、一隻の囮艦に集中したら。迎撃は、ずっと楽になります。

 

護衛艦隊の中で最も戦略価値が高く、なおかつ目立つのは、間違いなく私です。もしも、攻撃隊が私に食いつけば、あるいは船団を護り切れるかもしれません。

 

「・・・そうは問屋が卸しませんよっと」

 

突然、私のすぐ横でひょうきんな声がしました。そこには、よく見知った顔が―――今まで何度も、一緒に護衛艦隊を務めてきた少女が航行していました。

 

「漣ちゃん・・・」

 

「お互いに、言いっこなしですよ、祥ちゃん」

 

普段の砕けた口調は、作戦行動中に公試を混同しない彼女には珍しいものでした。

 

「曙ちゃんは?」

 

「付いてくって聞かないから、他の子に預けてきました」

 

テヘッと頭を軽く叩く仕草。でも、そこにどれほどの想いが込められているか、今の私には少し理解できるつもりです。

 

「祥ちゃんの護衛艦は、この漣以外にいないのですよ」

 

おまかせと言わんばかりのピースサインに、私も自然と笑みがこぼれます。これから二人で、あの攻撃隊を引き受けるのです。

 

「ごめんね。でも―――ありがとう」

 

次の瞬間、前衛を捉えた零戦隊が、急降下攻撃を開始しました。攻撃隊のほぼ真ん中を、真一文字で切り裂いた銀翼は、たちまちのうちに十数機を撃墜し、ほぼ同数の敵機を脱落させます。気づいた敵戦闘機隊の相手は、待機していた烈風隊です。

 

瞬く間に、船団の上空は敵味方が入り乱れる空戦場となりました。そして案の定、その間をすり抜けた攻撃機や爆撃機は、船団の輪形陣より一歩前に出た私と漣ちゃんを狙い始めました。

 

「高角砲、撃ち方始め!」

 

個艦防空用の連装高角砲が火を噴き、両舷から迫る攻撃機の前に真っ黒い花を咲かせます。急降下を掛けてくる爆撃機については、それぞれの回避行動で避けるしかありません。

 

「これが、漣の本気なのです!!」

 

回避運動の合間を縫って放たれる漣ちゃんの射撃が、一機、また一機と敵機を火達磨に変えていきました。ですが敵の攻撃機は、それに倍する勢いで突っ込んできます。

 

「っ!!」

 

転舵を続ける私の背中に、鋭い痛みが走りました。同時に、体が前に突き出されるような衝撃が襲います。被弾したのは、確認せずともわかりました。

 

立て続けに二発目が命中しました。今度こそ、バランスを失った私は、前のめりに海面に倒れこみました。

 

「祥ちゃん!!」

 

漣ちゃんが呼ぶ声が、どこか薄ぼんやりと聞こえました。被弾の衝撃からでしょうか、焦点が合わず、意識が朦朧とします。

 

 

 

―――みんなのことを、頼みます。

 

 

 

「・・・護らなきゃ」

 

護るのです、私が。

 

「みんなで、無事に帰るって」

 

海水の冷たさが、肌を通して感じられます。

 

「約束、したから」

 

同時に戻りだした意識をフルに使って、無理やり上体を持ち上げました。

 

 

 

彼の声が、聞こえた気がしました。

 

 

 

今度こそ、帰るのです。この船団を送り届けて、誰一人欠けることなく無事に。

 

私が囮になったのは、何のため?自己犠牲の精神。そんなものではなかったはずです。

 

船団を護れるのは、この方法だけだと思ったから。一点に引き付ければ、護り抜けると思ったから。

 

今、私が倒れるわけにはいかないのです。

 

「私は、祥鳳!!」

 

絶対に、帰る。私たちの基地へ。大好きな彼の下へ。

 

 

 

―――ああ、そうだったんだ。

 

私は、彼が好き。そんな簡単なことなのに、今まで思い至らなかった自分は、どれだけ滑稽だったのでしょう。

 

漣ちゃんたちは、気づいてたのかな?青葉さんは?瑞鳳は?

 

彼は、どう思っているのかな?

 

こんな状況なのに、帰ったら確かめたいことが、川のように溢れて。溢れ出した想いは、私の中で止まることはなくて。止まらない気持ちは、今までにない、静かな気持ちを私に与えてくれました。

 

もう一度、海面に立ち上がった私は、空を睨んで叫びます。

 

「私は、ここ!!」

 

 

「・・・報告書です」

 

「ご苦労様です、青葉さん」

 

「・・・」

 

「・・・祥鳳さんは、まだ・・・?」

 

「・・・っ!祥鳳、さんは・・・」

 

 

 

夕闇迫る基地は、昼間の温かさを残したまま、佇んでいます。窓から横方向に差す光が、美しい線を描いて、私の前に広がっていました。

 

そんなのどかな空気に満たされた基地の廊下を、その先にある部屋に向かって、私は歩いていました。

 

よく見慣れた、質素なドア。木でできたそれは、一個艦隊を預かる指揮官のものとしては、いささか物足りないような気もします。

 

コンコンッ。

 

乾いた音が、小気味よく響きました。

 

軋み音を立てて、ドアは開きます。中には二人の人影。執務机に腰掛ける彼と、傍らには青葉さんです。

 

「祥鳳、ただいま戻りました」

 

「祥鳳さ~ん!!」

 

言うや否や、飛び掛ってきたのは彼ではなく、青葉さんでした。私の胸元で、声を上げて泣いています。

 

基地の広報官のような役目の彼女ですが、本来はこんな風に涙脆いたちです。無事な私たちを確認して、改めて安心したのでしょう。

 

「漣、戻りました~」

 

「曙、帰投したわ」

 

「うわ~ん、漣ちゃん、曙ちゃ~ん!!」

 

青葉さんは、後から入ってきた二人にも抱きついて、頬ずりまでしています。若干鬱陶しそうな二人ですが、振り払うことなく、熱い抱擁を受けていました。

 

「護衛艦隊、帰還しました」

 

私たちの様子に苦笑を浮かべる彼に、私は姿勢を正して報告しました。彼はすぐに提督の顔を作って頷きますが、それも一瞬でした。

 

「―――おかえりなさい」

 

・・・。

 

こう、改めて意識してみると、本当に惚れ惚れするような、爽やかで優しい笑みを浮かべてくれるのです。これほど近くにあるのに、その大切さに気づくというのは、もしかして難しいことなのかもしれません。今、そのことに気づけた私は、それだけで幸せなのかもしれません。

 

「―――はい、終わり。ほら野次馬ども、行くわよ」

 

「ええ~」

 

私が惚けている間に、曙ちゃんが二人を引きずって執務室を出て行きます。煤の付いた頬は、わずかに持ち上がっていました。

 

「ほら、お風呂」

 

「でも今からいいとこ」

 

それだけ残して、ドアは閉まりました。部屋に残された私と彼の間に、妙な沈黙が流れます。

 

「・・・今日は、抱きついていただけないのですね」

 

自分でも意外です。いつもはこういう時、私のほうから話しかけるなんてことはできませんでした。

 

「いえ、その・・・。青葉さんにタイミングを取られてしまったというか」

 

恥ずかしそうに頭を掻く彼は、いつもとなんら変わらない、若い提督でした。でも・・・

 

その仕草が、堪らなく愛しく感じる今日の私は、やはり何か変なのかもしれません。

 

「ありがとうございました」

 

立ち上がった彼が、抱擁の代わりに求めてきたのは、握手でした。そういえば、彼の手を握るというのは初めてかもしれません。

 

彼の手を・・・握る・・・。

 

少しばかり、顔が熱くなったのは気のせいです。絶対に、誰が何と言おうと気のせいです。

 

「・・・いえ、私こそ」

 

何と答えたものでしょう、とりあえず差し出した手で、彼の手を掴みました。

 

その後、何が起こったのか。私の思考は、すぐには理解できませんでした。

 

気づいたときには、私の体は彼の腕の中に捕らえられていました。

 

彼の心音が、息遣いが、肌から直に伝わります。

 

「・・・っ!?て、ててて、提督・・・!?」

 

こ、これで動転しない方がどうかしています。いつか鳳翔さんがおっしゃってましたが、私たちは軍艦の力と娘の心を持った艦娘です。殿方に抱きすくめられて、何と反応したものか・・・。

 

「・・・すみません。嫌、でしたか?」

 

囁くような声が、私の耳のすぐ横で聞こえました。

 

―――そんな聞き方、ずるいです。

 

「いえ・・・」

 

「あの・・・もう少し、このままでもいいですか」

 

彼の問いかけに、小さく頷きます。背中に回された腕の力が、ほんの少し強くなりました。一方の私はというと、頭の中が真っ白なので、彼の服をいじらしくつまむので精一杯です。

 

 

普段は、私が抱きとめ、なだめる役でした。その時彼は、いつも私より下にいて、不安そうに見つめていました。

 

でも。こうして私が、抱きしめられる側になって。

 

彼の背は、私より高かったのです。ともすれば足の力が抜けそうな私を、そっと支えてくれる腕は、ごつごつと角ばってはいませんが、殿方らしく力強い。そしてその抱擁は、とても暖かく―――体温だけでなく、それは彼の温かさです。

 

優しい温もりが、この上なく心地よくて、次第に私の体から、強張りが消えていくのがわかりました。

 

しばらく経って、彼は私から体を離しました。私の顔も大概でしょうが、きっとそれと同じぐらいに、彼の顔にも朱が差していました。

 

「えっと・・・あの、すみませんでした」

 

これ以上ないほど、彼は恥ずかしそうに頭を掻きます。

 

刹那。

 

私もまた、どうしてそんなことをしたのでしょうか。自分でもよくわかりません。

 

ですが私の、“娘”の体は、正直に動いたのです。そうせずにはいられませんでした。

 

柔らかな感触。

 

夕陽がまぶしく、水平線の向こうへと消えていきました。

 

 

 

「それで、昨晩は何があったんですか?」

 

帰投の翌朝、自分の部屋に戻った私を迎えたのは、興味津々といった表情の青葉さんと、なぜか正座の瑞鳳でした。

 

「えっと・・・何、って?」

 

「司令官の部屋にお泊りしたんですよね!?」

 

ズズイ、と効果音が聞こえそうなほど、キラキラとした目で詰め寄ってきます。

 

その、非常に答えにくい質問ですよね。

 

「青葉、気になります!!」

 

「ええっと・・・」

 

隠しても仕方ありませんね。別に、恥ずかしがるようなことではない・・・ですよね。

 

「提督のお部屋で、お酒を一緒に・・・」

 

「お酒を飲んだ。それから・・・!?」

 

気のせいでしょうか、なぜか瑞鳳も興味ありげに見ています。いえ、青葉さんと正座待機していたということは、最初から聞く気だったのでしょうか。

 

「それから・・・その、」

 

「それから・・・!?」

 

「て、提督が」

 

「司令官が・・・!?」

 

 

 

「・・・寝てしまって」

 

未成年の提督は、もちろんお酒を飲みません。しかし、ほろ酔いの私が少し薦めたので、ほんの少し口を付けました。

 

結果、相当に弱かったのか、すぐに顔を赤くした提督は、十分と経たず床に突っ伏してしまいました。これが、昨晩の顛末です。

 

私の言葉に、瑞鳳も青葉さんも目をしばたいています。しばらくあって、

 

「あんの、へたれえええええええっ!!」

 

二人揃って、叫び声を上げました。

 

「本当に、ほんっとうにそれだけですか!?」

 

「は、はい」

 

青葉さんの剣幕に若干押されながらも、私は肯定しました。

 

「何やってるのよ、もう!!」

 

「これはこれで、ある意味スクープですよ」

 

口々に言う二人を、少々困った心境で見つめます。

 

そっと唇に触れます。

 

何も無かったかというと、少し違います。でも、私にだって、二人に内緒にしたいことはあります。

 

「・・・まあ、そういうことでしたら。青葉はこれで失礼しますよー」

 

言うが早く、青葉さんはそそくさと部屋を後にしました。相変わらず、非常にフットワークのよい人です。

 

「ね、行こうお姉ちゃん。もうすぐ朝ごはんだよっ」

 

瑞鳳は、満面の笑みでそう言って、私の手を引きました。朝陽が差し込む廊下に引きずり出された私は、元気のいい妹になされるがまま、食堂へと向かっていきます。

 

艦娘である、私は何なのでしょう。幸せとは、どこにあるのでしょうか。

 

私には、まだわかりません。きっとそれは、一人ひとりで違うのですから。

 

ですから私は、今を大切にしたい。この基地のみんなを、仲間を、彼を。護りたいのです、心から、今はそう思えます。

 

私は幸せです。あの時、見れなかったもの、叶えられなかった願い。軍艦でありながら、一人の娘としての心を与えられたことに、感謝します。

 

瑞鳳の手は、柔らかく私の心を引っ張っていきます。新しい一日を迎えようとする基地の息遣いまで、今の私には聞こえてくるようです。

 

走っていきましょう。私たちが掴める、幸せへ。

 

今を、精一杯。




勢いでお酒書いたけど、提督未成年だから慌てて修正しました(汗)

いえ、陽抜みたいに、成人年齢下げようかという発想がなかったわけではないですが、後付感すごいので、こんな感じになりました。

祥鳳さんには幸せになってもらいたいですね・・・。

しばらくは書かないかと思いますが、また何かの機会にはよろしくお願いいたします。

一応、曙編の原型的な何かが無いことはないんだけど・・・

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