お客さんが1人も居ない店内で、私はカウンターに座り文庫本を読んでいる。
先輩も買い物があるとかで外に出て行ってしまい、お店には私1人だけだ。
外は雨。
こんな喫茶店に、雨の中わざわざ足を運ぶ人は居ないだろう。
ちなみに、この文庫本は昨日お客さんが忘れていった物。
栞は文庫の中判に差し掛かるところに挟まっていた。
持ち主が現れたら返してあげようと、とりあえず暇つぶしにページをめくってみる。
何の気なしに見たページの一文。
『久しぶりに会った君の前で、僕は笑い方を忘れてしまったみたいだ。あの頃のように、素直な気持ちを口から出すことも出来ない。……出来るはずなのに出来ない。それはきっと、君に後ろめたい事があるから』
『後ろめたいこと?私からはあなたの正面しか見えないわ。後ろのことなんてどうでもいい。少し照れたように笑うあなたは、今も昔も変わらない。後ろめたさがあるのら、私はあなたの前にずっと居続けてあげる』
静かな店内に、ページをめくる音だけが鳴り響く。
読めば読む程没頭していってしまうのは、主人公の心情が私と似ているからだろうか。
気付けば時計の長針は天辺から天辺へと1周していたらしく、お昼の時間を指し示していた。
「ただいま。ちゃんと仕事してたか?」
「え!?あ、はい!おかえりなさいです先輩!」
「へぇ、おまえも小説なんか読むんだな。意外だわ」
「む。私だって小説くらい読みますよ。ほら、私は続きを読んでるんで、先輩はお昼ご飯の用意をしてください」
「……」
私はカウンター席に座り直し、先輩の料理姿を眺める。
前掛けを外した喫茶店の制服は、まるで学校の制服のようにシンプルな外見で、思わず高校生だった頃の先輩を重ね合わせてしまう。
私の正面に立つ先輩は、いつものようにコーヒーとトーストを用意していた。
私は彼から目を離さない。
なんとなく、後ろに回られないように。
「先輩、私の後ろに立たないでください」
「ゴルゴかよ」
「見られたくないんです」
「……後ろめたさをか?」
「あはは、先輩もこれ読んだんですか?」
「読んだって言うか、……まぁな」
「そうですよ。私、先輩に見られたくない後ろめたさがあるんです。だから、今みたいにちゃんと前に立っててください」
先輩は少し笑いながら、小さく肩を上げる。
「おまえの後ろめたさなんて見たくもねぇよ。まぁ、見たからって何とも思わんがな」
「なんですかそれー!」
「後ろめたさなんて妖怪に食べてもらえば?」
「もー!シリアスな感じが台無しですよ!」
そう言いながら、きっと先輩は私の後ろめたさだって受け止めてくれるんだ。
受け止めてくれるどころかカウンターを仕掛けてくるに違いない。
そうやって、自分を傷つけながら周りを助けてきた彼が、少し大人になった彼が、美味しそうなトーストを2人分運んできてくれる。
程よく広がる肩幅と筋が一本通った背中。
私は思わず彼の背中に抱きついた。
背中越しにしか感じられない先輩の温もりも、今は私だけのもの。
こうしていれば、先輩に後ろめたさを見られることもないはずだ。
先輩は何も言わずそこに立っていてくれる。
「……コーヒー零しちゃうだろ」
「えへへ。だったら黙って抱きしめられててください」
6/42days