雲に隠れた月は薄っすらと形だけがわかる程度に光を放つ。
曖昧な形はもやもやと、やがて流れ行く雲を辛抱強く待ち続けるように、月はその場で光り続けた。
巡り行く日を思い起こせばキリがない。
たった42日間の出来事でさえ、私の歩んできてた人生の中では眩く、色鮮やかに浮かび上がる。
夜空の下を歩く私達の繋がれた手はもう離されることは無い。
力強く、ずっと。
「先輩……」
「あ?」
「……」
「……緊張、してんのか?」
「…はい」
目的地が近づくにつれ私の胸は強く脈打つ。
どんな顔をして会えばいいのだろうと思いながら。
ふと、隣を歩く先輩の顔を覗いてみるが、先輩は近所のコンビニにでも行くかのような無表情だ。
「まったく、人の気も知らないで。はぁー、もー、これだから先輩は。朴念仁とは先輩のことですよ」
「言われのない罵倒は止めてもらえますかね?」
「いいですか先輩?先輩と私はこれから私の両親に婚約の挨拶に行くわけですよ?」
「ん。そうだな」
「しかも、その娘は数ヶ月前に仕事を辞めていて、その婚約者の家に転がり込んでいた。……小町ちゃんの境遇なら先輩はどう思います?」
「その男をぶっ飛ばして小町を保護する。俺が小町の世話をするまである」
「気持ち悪い!気持ち悪いです!」
「……それだけ元気があればもう大丈夫そうだな」
そうやってまた、先輩はどこ吹く風で歩き続ける。
仮にも婚約のご挨拶に行く人の態度か。
むー。ママ怒ってるだろうな……。
.
…
……
………
…………
「あら、おかえり。早かったのね」
「え、あ、うん、ただいま?」
「なに?いろは、まるで連れてこられ野良猫みたいにしちゃって」
「そ、そんなこと……」
勝手知ったる玄関の戸を開けると、ちょうどママがリビングから顔を出しているところで、私の心臓は小高い山なら飛び越えられそうなくらいに飛び跳ねた。
が、目の前にしたママの態度、なんとゆうか……、普通?
まるでいつものように学校から帰ってきた私を迎え入れるかのように、ママは平然と私を家に入れたのだ。
「比企谷さんもお疲れでしょ?リビングにお茶があるから早く上がって」
「はい。お邪魔します」
「え?え!?なんで先輩の名前知ってるの!?」
「はぁ。本当に馬鹿な娘でごめんなさいね。いろは、話は落ち着いたらするから、今はゆっくりしていなさい」
呆れたように手を腰にやったママは、先輩の分だけスリッパを差し出すとリビングへ戻っていく。
それを追うように私もリビングへ行くと、先輩はスリッパをパタパタと這わせて付いてきた。
見慣れたリビングの見慣れたソファー。
ママはお茶菓子とコーヒーカップをお盆に載せて持ってくると、そのまま私と先輩の前にそれを置いて自分も座った。
「比企谷さん、ガムシロップは2つで良かったのよね?」
「はい。ありがとうございます」
……?
初対面の対応じゃない?
どうしてだ!?
「な、なにがどうなってんの!?せ、先輩はママと知り合いだったんですか!?」
「は?知り合いってゆうか、何度かご挨拶に来たことがある程度だが」
「ご、ご挨拶。……?」
「……馬鹿。いろは、比企谷さんはね、あなたが仕事を辞めたことも、比企谷さんの家でお世話になっていることも、精神的に不安定だったことも、全部逐一報告してくれていたのよ」
コーヒーカップを啜りながら、ママは私の目を見て話す。
情報が頭の中を空回る。
一旦落ち着こうと私もコーヒーを一口飲み込むと、それはどこか”いつも”と同じ味がした。
「こ、このコーヒー…」
「それも以前、比企谷さんが持って来てくれたの。あなた、一緒に住んでて気がつかなかったの?」
「気がつかなかった……、ってゆうか、いつも一緒に居たはずなのに!」
カチャ、と。
先輩がコーヒーカップを受け皿に置くと、少し間延びした声で今までの出来事を説明してくれる。
「出版社に原稿のプロットを持ってく時、そのままここにも寄ってたんだよ。何度かお留守番してくれてただろ?」
「そ、そういえば」
改めて、ママは小さくため息を吐いた。
「……あなたが仕事を辞めたと聞いたとき、私は意地でも家に引き戻そうとしました。それが母親としての責任であり、あなたにとって最良だと思ったから」
「……はい」
「それでも、比企谷さんがそれを止めたから。……いろはには少し自分で自分を見つめ直す時間が必要だと言うから、私は比企谷さんにあなたを任せたの」
「そう……、だったんだ」
「ようやく顔を見せに来れるくらい、あなたは立ち直ることが出来たのでしょう?それなら、私から言う事は何もありません。……それでも、後ろめたいと言うのなら、比企谷さんにしっかりお礼を言う事。…ね?」
ママはいつも大きくて、そこに居るとも気づかないくらいに近過ぎる。
それが安心で、心が落ち着いて。
雪ノ下先輩のお母さんと対話したときにも思ったけど、やっぱり母は、幾つになっても偉大であり続けるんだ。
「……ま、ママ…ありがとう。先輩も、……ありがとうございました…っ〜」
「…おう」
「私、先輩とずっと一緒に居れて、幸せでした。…これからもずっとずっと、幸せです!!」
「……ちょ、一色、待て……」
「ママ!私、絶対に幸せになるから!!」
「……え、あ、あなた達、結婚するの?」
「……は?」
「……」
「「「……」」」
.
…
……
………
…………
その後はもはや混沌の修羅場。
困惑するママに困惑する私。
そして、頭を抱える先輩。
だって、もうママには先輩から報告してると思ったんですもん!!
私は悪くない!!
場が落ち着きを取り戻したときに、先輩は仕切り直しとばかりにママへ頭を下げた。
”こ、今度、お義父さんも居る時にゆっくりご挨拶させて頂きます”
…、ぷっ。お義父さんだって。
「いやぁ、なんだかんだ丸く収まりましたね!」
「収まってねぇよ!至る所からはみ出してるから!」
「だ、だって、私は何も知らなかったんですから!いつまでも先輩の手のひらで踊り続ける女じゃないんです!」
「おまえなぁ。物事には順序と言うものがあってだな、皆んなが皆んな、勢いやテンションで生きてるおまえとは違うんだよ」
「……ふふ。勢いでこの幸せを掴み取ってやりましたけどね」
「ドヤ顔が清々しいな!」
いつの間にか晴れていた夜空。
先ほどまで月に掛かっていた雲はどこにもない。
月明かりは私と先輩の行く末を照らすように、星がキラキラと幸せを零し落とすように、夜空は私と先輩をお祝いしながらいつまでも続く。
となりで怒りながら歩く先輩は、ポケットに手を突っ込みながら未だグチグチと文句を言っていた。
「次に挨拶へ来るときは、おまえに台本を持たせることにしよう」
「ふふ、先輩。台本とかも描けるんですか?」
「まぁな」
「……”俺はいろはと幸せになります。ずっとずっと、いろはを守り続けます”ってのはどうです?」
「クサくね?ドラマや漫画に感化され過ぎだろ」
「むむ!感化されて何が悪いんですか!!」
「……別に悪かねぇか。……はは」
「なに笑ってんですか。まったく、先が思いやられます」
「……出会ってからずっと困らせられ、悩まされ、疲れさせられ…」
「……何ですか?」
「それでも、誰よりも愛おしくて」
「へ、へ?」
「守り続けたい大切な人です」
私の考えた台本よりも、それはとても物語のようなクサいセリフ。
それでも、彼が呟く言葉には魔法が掛かっているのか。
私はその言葉一つ一つに身体を覆われていく。
「……これからも一緒に居させてください。……まぁ、月並みだがこんなもんだろ」
「……平凡でも月並みでも良いんです。大事なのは先輩の言葉が本物かどうかです」
「……本物に決まってんだろ。……って、……!?」
赤らむ先輩に、私は思わず抱き着いた。
火照る身体が暑過ぎて、先輩の瞳に映る私が照れ過ぎて。
初めてのキスは幸せに暖かくて。
名残惜しくも離れた唇には熱がこもっている。
「私の大好きも本物です
これからも……。
ずっとずっと大好きです!!」
-fin-
ちなみに
十文字 三雲
文系 三位 をキーワードに作った名前なのでした。
これ、どっかで話に盛り込もうとしてたけど、入れるタイミングを逃しちゃって……。
まぁ、大した事じゃないですけど笑