新しい職場で始めて迎える朝。
結局、あの後携帯が鳴ることはなく、私はプレハブの硬い椅子で眠ってしまっていた。
携帯を開き時間を確認すると、まだ7時を回る前だ。
もう一眠りしたい気分だが、腰を伸ばさずに寝ていたせいか身体のあちこたが痛くて眠れそうにない。
「あ、お姉さん。昨夜は結局お客さん捕まえられなくってさー、ごめんね。とりあえず夜またここに来てくれたらいいから自由にしててよ」
「行くとこないし。ここに居る」
「あー、……。なら、俺と遊んじゃう?」
金髪の目が途端にいやらしくなる。
こんな朝から発情できるなんてある意味すごい。
「……どうでもいい」
足取りも覚束ないまま、私は金髪に腕を取られ早朝のホテル街を歩く。
道ゆく人はどこか目の光が無く、曇る目の前に手を伸ばし縋るような人達。
きっと私もそうなんだ。
誰からも手を差し伸ばしてもらえず、こうやて足掻くように数センチ先の暗闇を模索している。
腕を弾くこの金髪に縋る私を、もし先輩が見たらどう思うだろう。
失望して、呆れられて、所詮その程度の女だと認識されるに決まっている。
「ここのホテルはねぇ、早朝料金が安いんだけど汚いんだよねー」
「……あっそ」
「もう少し行けば安くて綺麗なホテルがあるから」
下らなく意味のない会話が心を冷たく凍らせる。
冬の冷たさがあまり感じられない。
暖かさがないと冷たさすら恋しく、温度を持たない私は無機質な携帯と同じ。
「到着ー。……ん?お姉さん?」
ホテルを目の前に私は足が重たくなった。
前にもあったこの経験。
元同僚の庄司に連れてこられたホテルのように、この金髪が入ろうとするホテルも仄暗い闇の中に私を飲み込もうと待ち構えている。
肩が震える。
怖いんだ。
この闇に飲み込まれるのが私は怖いんだ。
「……いや、…いや!」
「ちょっとお姉さん。ここまで来てそれはないでしょ。…ほら、来いって。痛くしねぇからさ」
腕を掴む力が強くなった。
私はその場から抗うように腕を振るうが解けない。
想像以上に強い力に腕が痛くなる。
なにも覚悟がない私が悪いんだ。
流れに身を任すこともできない。
道を踏み外すこともできない。
だから、私は誰かに守って貰わなければならないのに、それは身勝手な甘えだとも分かっている。
「……いやいやいやっ!……先輩…。」
「おら!あんまり抵抗するようなら無理や…っぶ!?」
腕から痛みが無くなると、隣に居た金髪が数メートル前に転がっていた。
金髪の顔は冷たいコンクリートに打ち付けられてしまったのか、頬に赤いミミズ腫れができている。
香るコーヒーの匂い。
荒く上下する肩。
スラックスの裾は濡れている。
こんなに寒いのに喫茶店の制服1枚で彼はそこに立っていた。
「一色……」
「ぁ。あの、……、これは、…」
パンっ!と、小粋な音を立てたと思ったら頬が痛くなる。
寒さで悴んでいた頬に血が通うに暑くなった。
先輩の手の平が私の頬を叩いたのだ。
「っ!?……」
「何やってんだよ、バカ後輩」
先輩の目が少し大きく開かれている。
荒れた息も整わないままに、先輩は私を睨み続けていた。
「……、はぁ。叩いて悪かった」
「え、ぁ、……いや」
「なんで出てったかは聞かねぇよ。だから戻って来い」
どこまでも暖かい言葉に、私は膝から崩れ落ちた。
乾きをしらない涙が止めどなく溢れ、本物の優しさに触れる。
……でも。
もう戻れない。
こんな私が先輩の近くに居ていいはずがない。
「……いや、です。もう戻れません」
言い終わる前に、私の身体は先輩に包まれた。
何も考えられないのに、先輩の匂いだけは強く感じられる。
こうやって暖かい所に居続けたいと思わさせてしまう。
「もう、大切な人を失う悲しみを味合わせないでくれ」
身体を包む力が強くなる。
不思議と痛みはない。
私は大声で泣きながら先輩にすがっていた。
爪が食い込むくらいに先輩を抱き締めた。
行き交う人達の視線も気にせず私は先輩に抱きついていた。
「ふぇぇ…っ!わ、私も!先輩のそばに居たいです……、戻りたいです。……っ」
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