【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第九十四話 狼狩り

10月25日(水)

午後――ラナフ・ハンズィール平野

 

 日本であれば、秋が深まり徐々に冬の訪れを感じる十月の末。

 中東の小国であるラナフに秋など関係なく、強い日差しと熱せられた地面の熱気で、気温は日本の真夏よりも暑い四十度近くを記録していた。

 そんなすぐにでも干物になりそうな場所にハンヴィーでやってきていたナタリアは、通信機を用意しながら連絡がくるのをジッと待っていた。

 同じ車内にいるラースやレベッカも、緊張した面持ちで座っており、これが遊びではないことを表している。

 そして、さらに待つこと三十分、用意していた通信機に仲間からの連絡が入った。

 

《こちらチームガンマ、バイクで移動している目標を捕捉。移動速度がかなり速いですね。推定一五〇キロ、難しいですが誘導弾を発射します》

「了解。すぐにヘリを飛ばすから、他のチームと共に目標を追い込め。ただし、絶対に近付くな。あの狼は容易く我々の喉元へ喰らいついて来るぞ」

《了解、ポイントCへの誘導を開始します》

 

 通信が切れた直後、遠方からミサイルの発射音や爆発音が響き、先ほど通信で言っていた誘導弾の正体がそれであることを知らせてくる。

 座っていたレベッカが音を聞いて何かに耐えるように手を強く握り締めているが、部下のそんな様子に構わず、ナタリアは続けて別の部隊に指示を飛ばした。

 

「目標が現れた。ポイントCへの誘導を開始している。“グレイプニル”搭載機及びアパッチは直ちに発進せよ。距離には十分注意しろ。目標は対物ライフルで確実に二キロヒットしてくる化け物だ。下手をすれば接近と同時に墜とされるぞ」

 

 相手の戦力を高く評価し、数で勝っていても自分たちの勝利はかなり際どいと睨み作戦を立てる。

 なにせ相手はつい先日、一人で武装した四千人の兵を殺した実績があるのだ。ナタリアたちのように戦闘ヘリや大型ランチャーを配備していなかったにしろ。壁や天井を容易く切り崩す剣戟を持っている者に、兵器の装甲がどれだけの意味を持つかが分からない。

 ならば、いっそのこと近付けないように十分な距離を保ち、そこから相手を制圧するよう攻撃を加えた方が鹵獲しやすい状況に持ちこめると踏んでいた。

 

「……ラース、車を出して。私たちもポイントCに向かうわ」

「了解。しかし、ミサイルと地雷で誘導なんて下手をしたら姫は死にますぜ?」

 

 車のエンジンを始動し、ラースは他の隊員たちが無事に湊を指定ポイントに誘導していることを祈りながら、静かに車を発進させてナタリアに話しかける。

 本日の作戦は、ここラナフをはじめとした中東地域で過激派ゲリラ組織を、ほぼ連日壊滅させ続けている湊の捕獲が目的だ。

 毎日のように色んな場所のアジトに現れているため、再びラナフに来る事は可能性として高いと言われていた。

 しかしまさか、本当にこのルートを通るとは思っていなかったラースやレベッカは、ナタリアの鋭い読みに感心しつつ、対人には随分と物騒な兵器類の使用について少々の疑問を感じている。

 その事についてラースが運転しながら尋ねれば、険しい表情をしている相手は淡々と答えた。

 

「それで死なないからわざわざグレイプニルを用意させたのよ」

「ゾウ捕獲用のスパイク付き合金鎖網なんて、下敷きになった途端に潰れて死んじまいますよ」

「ボウヤの耐久力を舐めちゃ駄目よ。あの子、素手で石造りの床を打ち抜いたり出来るんだから」

「……そりゃ、イリス情報ですかい?」

「ええ。だから、相手を人間だと思っていたら負けるわ。一個旅団を相手に勝てるんですもの。本気で殺すつもりくらいじゃないと捕まえるなんて不可能よ」

 

 非常識に常識で挑んでも負ける。故に、ナタリアは割に合わない出費と理解しながらも、湊を捕獲するためだけに日本円にして一千万以上もする合金製の網“グレイプニル”を取り寄せたのだ。

 グレイプニルは本来上空からヘリで落とし、落下で加速した勢いを利用して縁についたスパイクを地面に打ち込み、大人のアフリカゾウをほとんど怪我もなく捕獲するための物である。

 地面にスパイクが打ち込まれたグレイプニルから逃れるには、一つ辺り六千キロを持ち上げるだけの力がいる。

 本体の重量が四千キロを超えるので回収などは面倒だが、麻酔弾を撃ち込んで効くまで追う手間が省けるとあって、密漁者の中にはグレイプニルで拘束してから麻酔弾を使用する者もいた。

 これを取り寄せると決めたナタリアは、それに倣って湊の拘束に成功したときには、ゾウに使うような強力な麻酔を使って湊を無力化しようと考えている。

 湊が中性であるとイリスから聞いた同日、怪我の治療法について詳しく訊いた際、幼少期の人体実験によって毒や薬品に対する異常な耐性を持っている事を知らされたが故の処置だ。

 作戦は参加する隊員ら全員に伝えたが、使用する薬品等は私兵にしか伝えていない。

 それを伝えたときには、戦場医であるバーバラから当然の如く反対意見が出たものの、イリスから聞いた人体実験のこと、完全に破壊した心臓を再生させるほどの回復力を持ってすれば一時間も掛からず回復すると話せば、相手も同じように考えたようで黙ってしまった。

 

「レベッカ、貴女もそろそろ現実を見なさい。もう事態は動いているの。ただ失敗に終われば良いけど、下手をすれば私たちを“敵”と認識したボウヤに全員殺されるかもしれないのよ」

「……分かってます。でも、あいつが私たちを殺すなんてあり得ません」

「殺されないだけかもしれないわ。二度と戦場に出られなくなる可能性だってあるもの」

 

 今の湊の詳しい状態が分からない以上、相手は狂気に取り憑かれた復讐者として考えるべきだろう。

 感情の針が振り切れてしまった者は、見る者に生理的な不快感を覚えさせ、脳が認識を拒否しようとして逆に壊れてしまう可能性もある。

 ただでさえ面倒な状態の相手は、一個旅団を単騎で殺し尽くす鬼だ。捕えるにしても一筋縄ではいかないはず。

 ナタリアは普段以上に気を引き締めると、指定のポイントを目指しながら隊員たちへ細かい指示を飛ばし続けた。

 

***

 

 過激派ゲリラ組織を潰してきた湊は、別の組織を潰しに行くべくバイクで移動していた。

 ペルソナで空を飛んだ方が速いのは分かっているが、長期戦が想定されることで力を温存しているため、時間は倍以上掛かってしまうが、湊は以前カニスで買ったバイクに乗っての移動を選らんでいる。

 そうして、今も一五〇キロを超える速度で荒れた路面を進んでいた訳だが、少し離れた位置から見られていることを感知し、湊は相手が動き出す前に道路を外れて荒野を進むルートに変更した。

 

(……こんな場所でミサイルだと?)

 

 進路変更した直後、先ほどまで進んでいた道路の傍にミサイルが着弾していた。

 あのまま進んでいても直撃はしなかっただろうが、爆風に煽れれば下手をすれば転倒していたかもしれない。

 どこの組織の人間か不明だが、随分と過激な事だと内心で思っていると、自分の進む先を索敵していた湊はさらに驚愕することになる。

 

(こんな誰が通るかも分からない平野に地雷をっ)

 

 ミサイルの来る方角から離れた方へ進路を取ったが、その先にはいくつも地雷が仕込まれていた。

 上を通過したところで確実に爆発する訳ではないものの、真っ当な相手ではないと判断して、湊はエールクロイツによる遠隔操作で全ての地雷を爆破してゆく。

 湊が到達する前に爆発した事で、先ほどから小さく聞こえていた心の声たちにはっきりとした驚愕の色が混じった。

 相手は複数、装備はかなりの物を用意しているようで、自分をどこかのポイントへ誘導したいらしい。

 そこまで読み込んだところで、どこかで見たようなエンブレムの描かれたヘリが数機やってきた。

 たった一人を相手にアパッチを二機も用意してくれているとは、ナタリアも随分と派手な歓迎だと内心で嘆息する。

 相手が何の目的で自分を狙っているのかはまだ不明だが、ナタリアたちの策に敢えて乗るために、ヘリの機関銃が火を噴く直前でさらに加速して進路を指定ポイントへ向ける。

 突然の加速にヘリのパイロットは反応が遅れたようだが、誘導係はしっかりと対応してくるようで、さらにミサイルが何発も落とされてゆく。

 

(目的は何だ。相手は直撃だけは避けてきている。なら、俺を指定ポイントに誘導しても殺す気はないんだろう)

 

 ミサイルと戦闘ヘリの機関銃に追われながらも、湊はナタリアたちの目的を探ろうと意識を広げてゆく。

 広範囲の者の声を聞くときは、相手の深いところまでは読めなくなる。

 しかし、一人でもこの作戦の目的を知っているのなら、その目的によっては相手と接触する必要はないとして、湊はただちにこの場を離れるつもりだった。

 けれど、ここは相手のよく知る土地だ。兵器類と相手の目的を読むことに集中していた湊は、指定ポイントの直前にある天然の落とし穴への反応が遅れた。

 

(ぐっ……このルートへの誘導はこれを狙っていたのかっ!?)

 

 地下水が抜け出て地中に空洞が出来てしまっていたのだろう。バイクの重量に耐えきれず崩落する地面に前輪が落ちかけるのを、強引に引き上げて飛びながら回避した湊は、相手が先に用意していたと思われる激しい凹凸の出来た地面に着地し、バランスを維持する事が出来ずに転倒してしまった。

 騎手を失って勢いのまま遠くへ滑ってゆくバイク、投げ出され凹凸の出来た固い地面の上を転がる湊。

 隊員らの目的が指定ポイントへの誘導だったことで、そこに何かの仕掛けがあるのだろうと勝手に思ったが故の初歩的なミスだ。

 以前の湊であれば、相手の心など読まずに地形の把握を最優先に行い、安全圏に移動してから相手の対処をしただろう。

 戦闘力は上がっているが、ここ最近は能力に頼った戦いを続けていたせいで、どうにも以前の慎重さや危機感が薄れていたらしい。

 身体の痛みと共にそれらを反省していた湊が止まった頃、頭上に先ほどのアパッチとは異なる大型ヘリがやってくると同時に、黒い金属製と思われる大きな網を投下していった。

 

「がぁぁぁぁっ」

 

 縁についた槍の穂先型のスパイクが、網本体の重量と落下の加速によって深々と地面に突き刺さる。

 その際、本体の網は湊の身体を押し潰す様に上からのしかかってきた。あまりの衝撃と痛みに思わず声をあげるが、同じ型のヘリがさらに二機やってきたかと思えば、続けて網を投下していったため、湊は合計三つの超重量の鉄網に捕えられてしまった。

 丈夫な百鬼の身体を持つ湊と言えど、上からの圧力で流石に臓器がいくつか潰れたらしく、口から血を吐きながら抜け出そうともがく。

 けれど、積み重なった鉄網はびくともせず、腕もろくに動かせないせいで死の線も切れないことで、湊は遅れてやってきた元凶の女を目を動かす事でどうにか睨みつけた。

 

「……何のつもりだ」

「あら、まだ話す余裕があるのね。貴方、大型車を上に載せられているようなものなのよ? 呆れた丈夫さだわ」

 

 鉄網から二十メートルほど離れた位置に立つナタリア。それとほぼ同じ距離で他の隊員らが武器を構えて湊を囲んでいる。

 上空にはアパッチが待機し、さらに離れた位置には対物ライフルを構えるパトリックや、ミサイルをいつでも発射出来るようにしている隊員の姿も確認出来た。

 

「そんな事はどうでもいい。さっさとこれをどけろ」

 

 しかし、まだ相手の思惑が理解できないため、憤りを感じて冷静さを失っているように見せながら、湊は相手側の情報を引き出そうとした。

 少年のそんな様子を見つつ、薄い笑みを浮かべて煙草を吸っていたナタリアは、仕草で指示を飛ばして他の隊員らに何かを撃たせた。

 飛んできた大きな弾は、鉄網にぶつかるなり煙を噴出し始める。僅かに吸い込んだ時点で、それが麻酔ガスだと理解し、相手は自分を捕えるつもりだと湊も気付く。

 ガスが出ていたのは十数秒ほどだが、風向きをしっかりと計算していたらしく、マスクも付けずに立っていたナタリアは、煙が晴れると静かに口を開いた。

 

「まだ意識があるのね。鬼がどれだけの物かと思っていたけど、念入りに準備して正解だったみたい。まぁ、それはともかく、その合金鎖網は薬が効くまでそのままにさせて貰うわよ。じゃないとまともに話しも出来なさそうだし」

 

 ゾウをも眠らせる麻酔を吸っても瞼がほとんど落ちていない湊を見て、ナタリアは呆れたように笑っている。

 他の隊員たちはただ驚いて警戒しているようだが、周囲の隊員たちの様子に構わず、ナタリアは言葉を続けた。

 

「随分と暴れてくれたわね。初期の懸賞額が一千万ドルなんて前代未聞よ。久遠の安寧に喧嘩を売るなんて、そんなにママを殺されて悔しかったのかしら?」

「……何を言っている」

 

 湊は知り合いに自分がイリスを殺したと告げていた。だからこそ、どうして彼女が死ぬように仕向けた犯人が久遠の安寧だと知っているのか理解出来ない。

 もっとも、本人からメールで事情を聞いていない人間だったとしても、イリスと湊の関係を知っている者なら、イリスの死と重なるタイミングで突然湊が久遠の安寧に対し宣戦布告したことにより、彼女の死に久遠の安寧が何かしら絡んでいることは容易に想像できた。

 自分が周囲の親しい人間にどう思われているか知らない少年は、そんな単純な事にも気付かないまま、相手が何を知っているのかを疑い能力で探っている。

 

「イリスの復讐なんてやめなさい。ろくな結果にならないわよ」

「……違う。イリスを殺したのは俺だ」

 

 表情が以前よりも分かり辛くなっているように思ったが、蒼い瞳を僅かに伏せて静かだが苦々しげに呟いたことで、ナタリアは相手がまだまともに感情を動かすことの出来る状態にある事を理解する。

 どうして自分が彼女を殺したと言い張るのかは不明だが、ただ復讐に囚われて暴走している訳ではないのは実に僥倖だった。

 

「あらあら、随分と面白くない冗談ね。こっちはあの研究所で意図的なケミカルハザードとバイオハザードが発生した事を知っているの。そして、イリスはそれに巻き込まれた。仮に貴方が火を放った張本人だったとしても、死ぬように仕向けたのは久遠の安寧の人間だわ」

 

 まともに話せるのなら下手に会話を長引かせる必要はなくなる。

 しっかりと諭し、イリスの遺志を伝えてやれば、最初は渋るかもしれないが、本来優しい少年はイリスの遺志を尊重して従ってくれるはずだ。

 そう信じて、グレイプニルに囚われながらも強い光を瞳に宿す少年に視線を向け、ナタリアは自分がイリス本人から伝え聞いた事を話す。

 

「火を放ったのはイリスの命令でしょう。近くの町に被害が及ばないように、貴方にそうしてくれるよう頼んだって最期のメールに書いてあったわ」

「……例え、どんな理由があろうと、イリスの逃げ道を奪い、研究所にいた無関係の者たちを焼き殺したのは俺だ。その事実は変わらない」

「じゃあ、司祭たちの確認した遺体の頭蓋骨にどうして弾痕があったのか説明して頂戴。彼女は私の大切な友人だった。そして、そんな彼女の死に偽りの理由を述べるのなら、例えイリスの息子だろうと私は絶対に許さない」

 

 少年の言葉を聞いて理解する。自分がイリスを殺したと言い張るのは、彼が相手の死に責任を感じているからだと。

 けれど、会った事もない他者を守るために火を放つよう指示し、さらに湊が自分を殺したと罪に苛まれぬよう自害を決断した彼女の尊い想いを、如何なる理由に置いても偽ることは許されない。

 偽りを述べることで彼女の決断をなかった事にするのなら、相応の覚悟を持ってそれを口にしてみろ。

 そう告げるように強く鋭い視線を少年へ向けたナタリアは、相手が何も言って来ない事でようやく認めたかと安堵し内心でホッと息を吐きながら、純粋に相手を気遣う物に態度を変えて本題をぶつけた。

 

「ボウヤ、私たちはイリスの最期の願いを叶えに来たの。イリスが送ってきたメールに、貴方を無事に日本へ帰してやって欲しいと書いてあった。だから我々は、無理矢理にでも貴方を日本へ送り帰すわ。馬鹿な復讐を止めて一緒に来なさい」

 

 麻痺した身体で必死に打ったに違いない誤字や脱字だらけの彼女の遺書。自分が狙われていたことや、本当の狙いが湊であるという報告を除けば、その内容は湊の身を案じるものばかりであった。

 湊が久遠の安寧を相手に動きまわったことによって、メールが届いたときよりも状況は格段に悪くなってしまっているが、それでもまだ最悪の状況にはなっていない。

 素性を隠し、仮面舞踏会の小狼として仕事をしてきたことで、活動拠点が日本であることはばれているだろうが、日本という平和な土地でなら敵も表立って襲ってくることはない。

 拳銃の所持が認められている国ですら騒ぎになり易いのだ。所持の認められていない日本では、襲撃にその何倍も注意を払う必要があるため、非武装での戦闘力を考えれば湊なら十分に対処できるはずだった。

 だからこそ、どうか言う事を聞いてくれ。そう祈りながら言葉を掛けるも、ナタリアが馬鹿な復讐という言葉を吐いた途端、全身の皮膚がひり付くような強烈な敵意を放ち湊が睨み叫んできた。

 

「子どもを殺された復讐に組織を作ったお前がそれを言うのか。奪われた腹いせに未だ意味のない殺人を続けている人間が、高いところから見下して偉そうに言うなっ」

「……っ」

 

 叫び立ち上がろうとしたのか、湊が動くとガシャンと音を立てて僅かに持ち上がる合金鎖網。

 まさか僅かでも持ち上げられると思っていなかった者たちは、一斉に銃を構えて自分たちのボスの指示を待つ。

 しかし、網が持ち上がりかけたことよりも、自分が組織を作った理由を言い当てられたナタリアは、どこで自分の事を知ったのか不思議に思いながら、ずっと蓋をしていた記憶による苦い物を胸中に感じてそれを表情に出さないよう努めて静かに言葉を返した。

 

「どこで私のことを知ったのか分からないけど、復讐の先輩だからこそ言っているのよ。日本という戦闘行為の難しい土地なら、静かに表の世界で生きている限り、貴方を隠しておけるかもしれない。隊員を使って海外に偽の目撃情報を作ったりもするし。お願いだから言う事を聞いて」

「……どうでもいい。俺は自分の意思で殺すんだ。敵を、邪魔する者を、この手でっ」

「こんな事を続けてもイリスは帰って来ない! 彼女はお前の無事を願い、平和に生きる事を望んでいた。何故、それが分からない!」

 

 冷静に見えたのは表面上だけだった。輝く蒼眼の奥に黒く濁った憎しみの炎を見てしまい、かつての復讐ばかり考えていた自分を見ているようで余計に苛つき、ナタリアはつい語気を荒げてしまう。

 けれど、言っている事は本心だ。どれだけ復讐しても何も戻りはしない。終わった後はただ虚しさだけが残り、もっと別の道もあったのではと考えてしまう。

 長い間、八つ当たりの復讐に生きてきたことで自分は既に生き方を変えられなくなっている。だが、湊はまだ引き返して、イリスの望んだ生き方を選ぶ事が出来るのだ。

 

「……どうして邪魔をするんだ。アンタも俺の敵なのか」

 

 だが、イリスの遺志もナタリアのその想いも、今の湊には届かなかった。

 蒼い瞳で敵と定めた者をみつめた湊が、隊員らの目の前で全身に力を込めて立ち上がろうとする。

 一つでもゾウを捕えられる合金製の網を三つも使ったのだ。強力な麻酔ガスを吸った人間でなくとも持ち上げられる訳がない。

 しかし、湊は口から血の泡を吐き、外套の袖の中から血を滴らせながらも、諦めずに身体を起こそうとし続けている。

 その瞳が何を映しているのかが分からず、出血してもまだ諦めずに不可能なことに挑む姿は常軌を逸しているようにしか見えない。

 

「小狼、ダメっ。無理だからっ」

 

 見ていられなくなったレベッカが思わず制止の声を掛ける。

 彼女にとって出血する湊の姿はトラウマの一つだ。自分たちのせいで怪我を負ったとはいえ、この行動は全て湊とイリスのためを思ってである。

 故に、グレイプニルを外そうとは思わないが、せめて、湊がこれ以上怪我をせずに大人しくしていて欲しいと願った。

 

「無関係な者がイリスのような不幸な目に遭わないように、チドリとアイギスが平和に暮らせるように、俺はそのために戦うんだ。この願いを阻む者がいるのなら名切りとして絶つ。その間に降り掛かる火の粉は全て振り払う。お前たちも邪魔をするというのならっ」

 

 少女の願いも虚しく、瞳孔の開いた少年を中心に突如黒い炎が地面を走った。

 

「一体何なの? 全員下がれ、警戒態勢は崩すな!」

 

 事態が飲み込めないナタリアは隊員らを下げて距離をとって様子を見る。

 湊から拡がる黒い炎は少年を中心に静かに渦を巻く様に揺らめいている。揺らめく炎は徐々に高さを増して湊の姿を隠してしまった。これでは相手の状態から判断して対処する事が出来ないが、渦状になった炎の中から少年の声が響く。

 

「ミックスレイド――――百鬼夜行・無間地獄」

 

 炎の中にいた湊が“太陽(茨木童子)”と“魔術師(出雲阿国)”のカードを同時に砕いた途端、炎は実体を持った巨大な影の腕骨へ変化する。

 地面から突き上がる様に現れた腕骨によってグレイプニルは千切れながら吹き飛び、遠く離れた場所での落下音を聞きながら、少年はゆっくりと立ち上がった。

 あまりに現実離れした信じられない光景に周囲の者が動けずにいると、感情の消え去った顔を敵将に向け、湊は両腕を広げ未だに燃え続けている黒い炎に命令した。

 

「――――喰らい尽くせ、亡者共っ!!」

 

 鬼を統べる当主の命を受けた炎は、黒い影で出来た身体を持った獣や人型へと変化してゆく。

 身体と同じように影で出来た剣や槍を持つ者や、古代生物のアンドリューサルクスを思わせるような身体に対して巨大な頭部という歪な姿の四足の獣など、何十体も現れたそれらは形を成すなり隊員たちへ襲いかかった。

 

「ぐっ、総員、応戦しながら後退せよ! チームガンマは目標へミサイル発射、上空ヘリ部隊も攻撃を開始しろ!」

 

 反応が遅れ獣に食われ飲み込まれる者、斬り掛かられ咄嗟に転がり避ける者など、隊員らが襲われる姿を見てナタリアは反応が遅れたと顔を苦々しげに歪ませ指示を飛ばす。

 自身も湊に向けてサブマシンガンを掃射するが、弾丸は湊を守る様に地面から生えた巨大な腕骨によって全て防がれてしまった。

 しかし、相手が攻撃を防いでいる間は移動していないことで、すぐに無事な者たちを引かせると、離れた場所から湊の立っているポイントへ向けてミサイルが飛んでくる。

 先ほどと違い直撃狙いのようだが、交渉が決裂して味方が襲われれば殺すつもりで来ていたようなので、湊は自分を守っていた腕骨を消すと背中から何本もの腕骨で形成された異形の翼を広げ、天に右腕をかざしたまま飛び上がるなり、飛来するミサイルに向けて天にかざしていた腕を勢いよく振り下ろした。

 

「大威徳明王ッ!!」

 

 湊の腕に連動するよう天から現れたのは、三十メートルを超すのではないかと思われる剣や矛を持つ巨大な六本の腕。

 手をかざしていた場所に拡がった像の歪んだ灰色の空から現れた腕は、次々とミサイルを叩き落とし破壊すると、続けて飛んでいる湊にガトリングの銃口を向けていたアパッチに狙いを定め、持っていた矛を投げつける。

 先ほどのミサイルを凌駕する速度で迫る巨大な物体を避けられる訳もなく、投げられた矛にそのまま貫か

 

「影骨っ!!」

 

 れるかに見えたとき、地面に広がったままの黒い炎から腕骨が飛び出し。飛んでいたアパッチを掴むとそれを地面付近まで下ろし、荒く地面に放り投げて転がした。

 掴んだ時点でプロペラが圧し折れローターは止まっていたので、放り投げて地面を転がしたところで爆発等の恐れはないが、操縦士たちは揺さぶられ当分使い物にならないだろう。

 天から現れた腕は攻撃を外すとすぐに消えてゆき、それを見届けた湊は、今も暴れている影の亡者たちに部隊を壊滅させられ座りこんでいたナタリアの前に降り立つ。

 

「……どれだけの戦力を集め策を練ろうと、人間が鬼に敵う訳ないだろう」

 

 一切の感情が消えた冷たい瞳で告げる少年は、もはや自分たちの知っている存在ではない。

 それをようやく理解したナタリアは、俯き地面に視線を落したまま、見下ろしている少年に懇願する。

 

「分かった。もう、邪魔はしない。だから、これ以上は、やめてくれ……」

 

 地面に倒れ伏す隊員たち、暴れる巨大な影の獣に食われた者がどうなったかなど想像したくもない。

 けれど、これ以上の犠牲を出したくなかったナタリアは、少年に欠片ほどの情けが残っている事を祈り頼んだ。

 

「…………」

 

 彼女の頼みを聞いた湊は無言でミックスレイドを解除し、望み通り影骨と亡者を全て消してみせた。

 相手に優しさが残っていたのか、それとも単なる気まぐれなのかは分からない。だが、願いを聞いて貰えて良かったと安堵するナタリアが顔をあげた時、影の獣がいた場所に自分の部下たちが生きたまま倒れているのを見て思わず目を見開いた。

 

「そんなっ」

 

 よく見てみると、人型に襲われていた者たちも怪我は負っているが全員が生きている。

 骨折や出血がある者もいるが、それらは命に関わるものではなく、自分で起き上がれていることから後遺症が残る可能性も低いように見えた。

 何より、自分自身と傍にいたレベッカなどは一切の危害すら加えられていない。

 圧倒的な戦力差のあった状態で、兵の負傷率が非常に低いことに加えてこの状況だ。相手が意図的に殺す事を避けていたとしか思えなかった。

 

「貴方まさか、一人も殺す気がなかったというの?」

「……元々、話し合いが目的だったんだろう。敵として阻むのなら排除する事もあるが、ただ俺を止めるつもりなら殺す気はない。それに、イリスの死を悼んでくれた人たちを殺めたくなかった」

 

 その言葉を聞いたとき、ナタリアの傍にいたレベッカが駆け出し湊に抱きついた。

 変わってしまった。自分たちの手の届かない場所へと堕ちていった。そう思っていたのに、湊の中には自分たちの知っている“小狼”の姿が確かに在ったのだ。

 抱き締められた湊はペルソナの姿をしたカグヤを呼び出し、相手が適性持ちですらないため効果の薄い回復スキルを気休めと思って掛けてやっているが、応急処置以上の効果はあったようで、隊員たちはお互いの無事を確認しあっている。

 そうして、戦闘が終わり戦った相手に仲間の治療まで受けた組織のボスは、色々と相手に言いたい事はあったが、自分たちが乗ってきた車まで移動し、そこに積まれていた大きなアタッシュケースを持って湊の元に戻ってきた。

 

「……これ、イリスからの預かりものよ。ボウヤの誕生日に間に合うよう造らせた、貴方のための世界に一組しかない二挺拳銃。十月だとは聞いていたけど、詳しい日付を聞いていなかったから遅れてしまったのなら御免なさい」

「いや、今日が丁度その日だ。届けてくれてありがとう」

 

 ナタリアの手からイリスがガンスミスに造らせていた銃を受け取った湊。顔からは感情が消えていて何を思っているのかは読めないが、どこか悲しそうにしながら笑っているように感じ、ナタリアもレベッカも、少年が母からのプレゼントを喜んでいるように思えた。

 抱き締められていた状態から解放され、受け取った荷物を外套に収納していた湊に、レベッカは純粋に身を案じて今後の事を尋ねる。

 

「あんた、まだ久遠の安寧と戦い続けるの?」

「……ああ。俺が殺されるか、俺が相手を滅ぼすか、もうその二択しか残ってないんだ」

「こんな事を続けて、それであんたは幸せになれるの?」

「……自分の幸せを考えたことはないな。でも、大切な人が無事に暮らせるのなら、それが一番嬉しい」

 

 転倒した際に滑っていったバイクの元へ向かいながら、湊は自分の幸せは大切な少女たちが幸せである事だと話す。

 それを聞いたレベッカらは複雑な表情を浮かべているが、車両の状態を確かめている湊は、さらに静かな口調で続けた。

 

「今のままじゃ駄目なんだ。変えないと、認めさせるだけの力を示さないと、人間じゃない彼女が平和に暮らす場所を作ることが出来ない」

 

 その言葉には今まで以上の決意の重さが宿っていた。

 “人間じゃない彼女”というのが誰を指しているのかは分からないが、無理をして戦い続けてでも守りたい相手なのだろう。

 バイクのエンジンが損傷して駄目になっていたことで諦めた湊は、バイクを外套に仕舞うなり、遠くの彼方へ敵意の籠った視線を向けた、

 

「……だから、今も俺を見ているアイツらを俺は全員殺し尽くす。大口真神ッ」

 

 “剛毅”のカードを握り潰して現れたのは、牛よりも一回り大きな巨大な白狼。

 呼び出したペルソナに跨るなり、湊は彼女らに別れも告げず睨んだ方角へと去っていった。

 信じられない加速で走る白狼に追い付くには、先ほど破壊された戦闘ヘリの全速力を出さなければならないだろう。

 壊れたヘリにそんな事は出来ないため、追跡を諦めたナタリアは、隊員らに怪我の具合を尋ねながら隊列を組み直させると、本部に応援を求め、迎えにやってきたヘリと車を利用し、自分たちのホームへと帰ってゆくのだった。

 

――ラナフ・ナミル

 

 その男、カナード・フォルスは焦っていた。

 

「やべぇ、やべぇ、やべぇ! クソッ、五キロは離れてたってのにどうやって気付きやがったんだあのガキ!」

 

 ソフィアからの命令を受けて湊を監視するつもりだったが、その不規則な移動と異常な速度によって早々に追跡を断念し、古巣である蠍の心臓と湊が接触する事に賭け、ここ一ヶ月ほどラナフのナミルの街を拠点に滞在していた。

 蠍の心臓を監視していると、急に何やら大規模作戦でも行うのかという動きを見せたため、もしや、湊の捕獲にでも乗り出すのかとカナードも監視を強めてみれば、予想は見事当たり、連中がグレイプニルという対人にはまず使わない装備を利用して捕獲している現場を目撃した。

 もっとも、監視は念には念を入れて五キロ以上離れた場所から、サーモや赤外線カメラに映りにくい特殊な布を被り、百万近くする超遠距離まで見通せる望遠鏡を駆使して行っていたのだが、遠く離れた場所の湊と目が合うという信じられない事が起こった。

 直前に黒い巨大な腕が地面から生えたり、天から出現した謎の存在がミサイルを迎撃するなど、確かに非現実的な物をカナード自身も目にしていたのだが、それだけに“目が合う”という現実的な体験と“五キロ以上離れた人間に気付かれた”という非現実的な事が合わさったことで、ただあり得ない物を見る以上に相手の異常さをカナードも理解出来てしまう。

 

「冗談じゃねえぞ。ありゃ、裏界の姫さんと同じ化け物の力じゃねぇかっ」

 

 だからこそ、カナードは湊の力が自分の知るソフィアの能力と同質の物だと理解し、そんな力を持った者に追われている現状に焦りを覚えているのだ。

 気付かれたと思った瞬間にバイクに乗り、いくらかフェイントを入れて拠点にしている空家へと戻ってきたが、扉を締めて部屋が静かになってもカナードはまるで安心出来ずにいる。

 ソフィアが能力を使って人を殺す場面を初めてみたときは、こんな相手が裏界最大規模の組織を持っているとは何と恐ろしいのだ、と他の依頼人を相手するように裏切ってはならないと固く誓ったものだ。

 それがまさか、日本でのみ活動していたにも関わらず、海の向こうにまで名が知られていた鬼の一族が末裔にも、同じ恐ろしい力を持った者がいるなど質の悪い冗談であって欲しかった。

 

「クソッ、姫さんに連絡しねぇとっ」

 

 自分の命が危険に晒されている状況だが、ソフィアへの連絡を怠っても今度は組織の人間に消されることになる。

 相手は気分屋なので連絡の遅れを許す事もあれば、一分でも遅れたら死刑だと言って組織の人間を差し向けてくることもある。

 故に、このような状況でも連絡はしなければならないと、スリープ状態にしていたパソコンを起動させ、ソフィアへのテレビ電話用プライベートラインを繋ぐよう操作した。

 応答に関しても気紛れな相手は、呼び出しのランプが点滅したとて、すぐに出るとは限らない。

 置かれた状況が状況だけに早く出てくれと苛ついていると、カナードの背後で、閂をしていた扉が激しい音を立てて吹き飛んだ。

 周囲からは空き家と思われている場所への来訪者など普通はいない。だからこそ、カナードは来訪者の正体に確信を持ちながら、努めて明るい表情を繕いながら振り返り、来訪者の少年へ話しかけた。

 

「よ、よう、大将。やっぱり、俺が見ていた事に気付いてたみたいだな。いやぁ、珍しい物があると思ってよ。つい盗み見なんてしちまったんだ。他言はしねぇからよ、どうか許してくれねえか?」

 

 パソコンから離れ、咄嗟に逃げられるよう窓際に移動しつつ、傍のテーブルの上に置いてあったキャラメルで麦を固めたバー状のお菓子を手に取り、それを湊に放り投げてカナードはさらに言葉を続ける。

 

「大将は遠目に見るより随分若いな。お菓子は嫌いか? 町の方じゃ結構人気のもんなんだ。良かったら食ってくれよ」

「……バドゥル・ザイド・ハーディー、久遠の安寧に雇われている傭兵か」

「っ!? テメェ、どこで俺の名をっ」

 

 放り投げたお菓子を手に取り、それをそのまま外套にしまった湊が蒼眼を向けて口を開いた時、カナードは相手が自分の本名を口にしたことに驚愕する。

 何十年も前にその名は捨て、過去の知り合いであろうと自分を見て名を思い出せるはずがないのだ。

 それだけに、湊がどこで自分の素性を知ったのかが分からず、カナードはいざとなれば銃を抜けるよう用心しながら会話を続けるため問い返した。

 

「俺のことを調べたのか? いくら払った?」

「……お前のことは今日初めて知った。そして、もう二度と思い出すことはない」

 

 言いながら湊が構えたのはデザートイーグルよりもさらに一回り大きな二挺の銃。

 輝く白銀のフレームに青い縁取りの威力強化銃“ファルファッラ”、漆黒のフレームにゴールドの縁取りがされた装弾数・連射力強化銃“カラブローネ”。

 イリスの死を招く一因を担った者を、イリスから贈られた対極の見た目と性能を誇る銃で葬る。

 これで死んだ彼女が喜ぶとは欠片も思わないが、銃を向けられ焦った様子の相手を冷たい瞳で見つめ、湊は引き金に指を掛けた。

 

「ま、待て待てっ。見逃してくれれば俺が持ってる情報は何でもやる。ほら、何が知りたい? 組織のトップの名前か? それとも重要拠点の場所か?」

 

 全身に嫌な汗をかきながら、それでも愛想笑いを浮かべて交渉を続けるカナード。

 銃を構える湊に隙がなく、銃を抜こうと手を下ろしかけた瞬間に撃ち抜かれる未来しか見えないため、見逃して貰えそうな情報を提示することで相手の注意を引くのが先ほどの条件を出した一番の目的だ。

 これで食い付いてくれば裏切りとして粛清されない程度に情報を教え、相手が満足したところでこの場を即座に離脱し、ソフィアに湊が同じ異能を持っている事を伝える。

 かなりギリギリの綱渡りになるだろうが、表にほとんど出て来ない巨大組織の内部情報は、その組織を狙っている者にとって喉から手が出るほど欲しい物だろう。

 どうか食い付いてこいと願いながらカナードが湊の言葉を待っていると、湊は一分以上経ってからようやく口を開いた。

 

「……本部の場所を知らないなら用はない」

「ああ? 何を言って……っ!? テメェ、まさか他人の記憶や心を読め―――――」

 

 カナードの言葉を途中で遮るように響く一発の銃声。

 その反響が部屋から消える前に、窓際に立っていた男は眉間に風穴を開けられ床に倒れていた。

 一方、初めて撃った銃の感覚を確かめていた少年は、男が完全に死んでいることを横目で確かめ、持っていた銃を外套に仕舞うと部屋を去ろうとする。

 

《あら、これはこれは、随分な場面を目撃してしまいましたわ》

 

 だが、湊が部屋に入ってくる前にカナードが操作していたパソコンの画面に、遠く離れた異国にいるソフィアの姿が映り、愉快そうに口を手で押さえながら笑っていた。

 おまけにそれはリアルタイムで相手の方と繋がっているようで、パソコンについたカメラで湊の姿を見ていたソフィアは、床に倒れて死んでいるカナードに構わず、パソコン越しに話しかけてくる。

 

《はじめまして、というべきかしら? 貴方が小狼ですわね? 写真では拝見していましたが、噂に違わぬ美しさだわ。わたくしはソフィア・ミカエラ・ヴォルケンシュタイン。貴方が潰そうとしている組織のトップの一人娘です》

 

 くすくすと楽しそうに笑うソフィアは、立ち止まりパソコンを見ている湊を見つめ、自己紹介に続けて雑談がてらつい先日懸けられた懸賞金について語る。

 

《ああ、懸賞金を掛けたのはわたくしの父です。けれど、貴方がわたくしの物になるのなら、直ぐにでも撤回させてあげるわ。だから、わたくしの物になりなさい》

 

 人の上に立つことを約束されて生まれたソフィアは、どこまでも上からな物言いで湊に自分の元へ来るように話す。

 画面に映る彼女の表情は、湊が絶対に拒まないという確信を持っている事がありありと分かるほど、自信に満ち溢れた余裕の笑みとなっている。

 

「……悪いな豚の言葉は分からないんだ。それと話しは変わるが、内面の醜さが姿にも現れているぞ。試験管で造られたらしいが、現代の科学力では才能を伸ばすだけで造形まではデザインできなかったようだな」

 

 だが、人の上に立つことを約束されて生まれたのは何もソフィアだけではない。

 カナードの記憶から知った相手の出生の秘密を内容に混じらせながら、心から相手に同情すると言った風に湊は言い返す。

 

《……なんですって?》

 

 途端、ソフィアの表情から笑みが消え、切れ長な瞳に怒りを宿し、鋭い視線で湊を睨んできた。

 それを正面から受けながらも、やはり、まったく意に介さずに湊は相手を煽る言葉を発し続ける。

 

「豚にしては小奇麗に着飾っているが、それは飼い主の趣味か? まぁ、着飾ったところで豚は豚だが、飼い主は出荷が待ち遠しいだろうな。そのままよく肥え太るがいいさ」

《随分とおかしな目と趣味をしているようね。このわたくしを豚呼ばわりした愚か者は貴方が初めてよ。けれど、ペットが騒いでもそれを窘め躾けるのが飼い主の務め。しっかりと調教して二度とふざけた事を言えぬようにしてあげるから、そう気にしなくていいわ》

 

 双方の顔の造形に似た部分はない。けれど、両者共に見る者全てを魅了する美貌を持っているが故に、ソフィアが感情の消えた瞳をすれば、紅玉と蒼という対極な色ながら、それは湊と同じだけの冷たさを宿していた。

 

「人間の言葉に反応して鳴くとは多芸なんだな。豚の生態には詳しくないんだが、犬のように色々と芸を覚える事も出来ると聞いている。見た目はともかく頭だけは良いようだから、しっかりと芸を覚えて飼い主を愉しませてやれ」

 

 しかし、最凶の姉妹や先祖らと付き合いのある湊にしてみれば、自身の物には数段劣る同種の視線など慣れた物である。

 相手の視線を受け止めた上で言葉だけは受け流し、表情を同情的な物から嘲るような笑みに変えたことで、画面の向こうで目を見開いているソフィアの中で何かが変わった事を湊は確信した。

 案の定、相手は先ほどまでとっていた余裕の態度を一切捨て、椅子の肘置きに置いていた手を震わせながら、殺意すら宿った怒りの瞳で語気を荒げて話してくる。

 

《……もういい、気が変わったわ。お気に入りとして飼ってあげるつもりだったけど、貴方にはきついお灸が必要なようね。組織の者を使って徹底的に追い込み、捕まえた後は肉体の自由も人としての尊厳も貴方から全て奪ってあげるわっ》

「そうか。なら俺は、お前らがどれだけの数を揃えようと、必ずお前に辿り着き、生まれてきた事を後悔させてやる。それまでゆっくり自分の駒が減っていく様を眺めていろ」

 

 言い終わると外套からファルファッラを抜き、通話状態のパソコンに向けて引き金を引く。

 弾丸が液晶に触れた途端、パソコンが浮き上がりながら空中でばらばらとなり、弾丸の威力が凄まじい事を物語っていた。

 最後に殺すつもりであった者と言葉を交わし、直接宣戦布告をする事が出来た湊は、壊れたパソコンと床に倒れているカナードの亡骸をそのままに町を出ると、再び久遠の安寧の者らを屠りに行くべく中東地域を後にするのだった。

 

 

 

 


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