【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第七十八話 動き出す世界

8月20日(日)

午前――桐条ラボ

 

 前日の約束通り、駅のロータリーで真田が待っていると、私服姿の美鶴が商店街の方から歩いてやってきた。

 相手の住んでいる場所を知らなかったので、家に帰ってから桐条についてパソコンで軽く調べて実家の大きさに驚いていたこともあり、最初は相手が商店街の近所に住む庶民派なのかと勘違いしたものだ。

 しかし、迎えがやってくる間に、商店街を過ぎて少し歩いた先にある分寮に住んでいると聞いたため、御令嬢でも寮生活なんてするんだなと小さく感心した程度で、本日聞かせて貰える深夜のあの時間へ真田の興味は徐々に移って行った。

 そうして、約束の時間の十分前にやってきた黒塗りのハイヤーに乗ると、真田たちは巌戸台を離れ、湾岸部にほど近い場所にある病院に似た外観の大きな施設に連れて来られた。

 

「……病院か?」

「いや、ここはラボと呼ばれる桐条の研究開発施設だ。一般公開できない物も存在するので、好き勝手に歩いて貰う事はできない。中に入ったら基本的に私と行動を共にして貰うぞ」

「トイレくらいは好きに行かせて貰えるんだろ?」

「それくらいはな。部屋のすぐ近くにトイレのある会議室を用意してある。私たちが今から向かうのはそこだ」

 

 言いながら美鶴はパスケースを首に下げて警備員に見せてから中へ入ってゆく。

 真田も車内でゲストカードを渡されていたので、同じようにパスケースを首に下げて警備員に見せると、そのまま後に続いて中に入った。

 中に入ってみて最初に思ったのは、やはりどこか病院に似ているという感想。

 続いて、自分たちの足音が聞こえていなければ、耳鳴りがするのではないかと思えるほど静かだと言うことだった。

 

「随分と静かだな」

「研究開発施設だと言ったろう。君は傍で誰かが騒いでいて勉強が捗るか? ほとんどの部屋はある程度の防音処理がなされているんだ。もっとも、騒音を出す装置のある部屋以外は、何かあったときに気付けるよう完全防音という訳ではないがな」

 

 説明されてみれば確かにと納得する真田。

 ここでどのような種類の研究をしているのかは知らないが、真田にとっての研究のイメージは白衣を着て顕微鏡や試験管を使っている大人の姿が思い浮かぶ。

 ああいったことは、少しの分量ミスで結果が全く別の物になってしまうらしい。

 ならば、出来る限り集中できる環境を用意するのも当然で、こういった場所に慣れれば静か過ぎるというのも、そのうち気にならなくなるのだろう。

 エントランスから廊下に入り、少し進んだ先でエレベーターに乗って、降りた先でさらに突当たりまで移動しながら、真田はそんな風に思っていた。

 そうして、部屋の前に確かにトイレがある会議室に到着すると、ドアノブに手をかけながら美鶴が入室を促した。

 

「さぁ、入ってくれ」

「ああ」

 

 言われるまま、美鶴に続いて部屋に入ると、そこは学校にもあるような普通の会議室だった。

 移動できるタイプの長机にホワイトボードなど、本当に学校の会議室に似た内装なので、建物の外観から重厚な雰囲気の高級机や椅子の並ぶ作戦室のような場所を想像していた真田は、少しばかり肩すかしを喰らうと共に内心では安堵していた。

 ただでさえ、ここは真田にとって未知の場所なのだ。そこであの謎の時間について聞いても、場所に不慣れで集中できず、説明がほとんど頭に入って来ないのでは困る。

 最近では、深夜に起きていればほぼ毎夜あの時間を体験するだけに、妹が棺桶のオブジェになっていて影響は本当に無いのかも含めて、しっかり聞かねばならないのだ。

 それだけに、慣れているという訳ではないが、少なくとも知った雰囲気の場所で、集中を妨げられないというのは好都合であった。

 

「やあ、遅れてごめん。少し資料の用意に手間取ってしまってね」

「いえ、我々もいま到着したばかりですから」

 

 説明する者がやってくるのでしばらく待っていて欲しいと言われ、中の椅子に座り五分ほど待っていると、扉が開いて茶色のスーツに黒のタートルネックを着た男性がやってきた。

 その手にはファイルやらノートパソコンやらがあり、向かいの斜め前方に座っていた美鶴が席を立って、相手の持っていたパソコンをケーブルでプロジェクターに繋ぐなどのサポートを始める。

 手伝ってもらっている男は美鶴に礼を言っているが、ある程度の準備を終えたところで真田に話しかけてきた。

 

「どうも、はじめまして。僕は月光館学園高等部の理事長をしている幾月修司。桐条グループでは君の体験している影時間についての研究を元々していた人間だ」

「かげ、じかん?」

「そう。毎夜零時に発生するあの時間を、僕たちは日常の影に存在する時間ということで、影時間と呼んでいるんだ」

 

 突然やって来て、自分が高等部の理事長であると告げた幾月は、話しをしながらスクリーンを下ろし、パワーポイントの画像をプロジェクターで映写した。

 そこには専門用語らしい、“影時間”“適性”“象徴化”などの単語が並んでいる。

 続けて、幾月はスクリーンに映っている単語の詳しい説明が書かれたファイルを渡しながら、それぞれについて噛み砕いて解説し始めた。

 

「影時間にはほぼ全ての電子機器が止まり。適性を持つ者以外は、象徴化といって棺のオブジェに変わってしまう。まぁ、影時間に適応出来ないからこそ、日常という殻に籠もっている状態だと思ってくれたらいい。象徴化自体は健康に何の影響もないからね」

 

 一番知りたかった事をまず初めに聞けて、真田は思わず安堵の息を吐く。

 ずっと気にしていただけに、これだけで今日はここに来て良かったと心から思える。

 真田の様子から、彼がいま何を思って安心した顔をしたのか理解したらしい二人は、微笑を浮かべながら説明を続けてゆく。

 

「次に、私が君に言っていた倒したい相手というものの説明に移らせてもらう。影時間には実はシャドウという異形の化け物が現れるんだ。やつらは我々のように影時間に迷い込んだ人間を襲い。その精神を捕食する」

「やつらに精神を食われてしまった人は、そのまま生きた屍のようになってしまうんだ。君も聞いた事はあるだろう? “無気力症”という原因も解明されていない病気を」

 

 シャドウは影時間のみに現れる行動原理すら不明の化け物。

 やつらは影時間に生きた人間と遭遇すれば、たちまち人間を襲い。その人間の精神を食べてしまう。

 襲われて死ぬことも当然あり得るので、精神だけを抜き取られて生きていれば幸運な方だとも捉えられる。

 けれど、無気力症は一般的には原因すら解明されていない奇病だ。

 人間ならば食べた物は消化されて元には戻らないので、同じようにシャドウに精神を食われた者も二度と元に戻らないのだろうか。

 書類に目を通し、説明を受けていた真田は、湧きあがった疑問を尋ねていた。

 

「精神を食われたらって、無気力症には治療法がないんですか?」

「全くない訳じゃない。まだはっきりと断言は出来ないが、現在の研究では、その精神を食べたシャドウを倒せば、もしかしたら、食われた人に心が戻って回復するのではと言われているんだ」

「もし、そのシャドウとやらを発見出来ず。倒せもしなかったら被害者はどうなるんです?」

「……その場合は、残念だけど一生無気力症のままだ。記憶なら一部が欠けても生きていけるんだけど、精神はとても繊細なバランスで出来ているらしくてね。少しでも食べられたら、危なくて要介助でしか生きられない」

 

 自分でも最低限の日常生活を送れる患者もいるが、しかし、揺ら揺らと不気味な様子で街を徘徊することもあるので、急に道路に飛び出してくる可能性などを考えれば、病院に入院させるなどして誰かが見ているしかない。

 また、治安条件によっては、無気力症患者が活発に動けないことや、ろくに話せないのをいい事に、強盗や強姦を働く者が現れないとも限らない。

 ある日突然、奇跡的に無気力症から回復した患者から医者が聞いた話では、無気力症になっていた間の記憶は、ほとんど覚えていないらしい。

 目覚める前に、何かとても怖いモノに遭遇したような、そういったボンヤリとした感覚だけが残っているようで、記憶が曖昧な件が広まれば無気力症患者を狙う犯罪者が多数現れることだろう。

 桐条グループも警察と連携して地域の見回りをしているが、車も入れない狭い路地に連れ込んで、事に及んでいれば発見はどうしても遅れる。

 そんな取り返しのつかない事になる前に、根源であるシャドウを狩るというのが、美鶴が真田に依頼したことであった。

 

「シャドウと戦うにはペルソナという力に目覚める必要がある。少し見ていてくれ」

 

 言って、美鶴は昨日真田に渡した物と同じデザインの銃を取り出し、自分のこめかみへと銃口をあてがった。

 武器としての機能はないと言っていたが、それでも何をするつもりなのか見ていると、静かに呼吸を整え、眼を開くと同時に美鶴は引き金を引いた。

 

「こい、ペンテシレアっ!」

「っ!? これが、ペルソナ……」

 

 驚く真田の目の前に現れていたのは、王冠を頭に乗せ、鉄仮面を被った人型のペルソナ、女帝“ペンテシレア”。

 話しを聞いても半分は冗談だと思っていただけに、目の前に証拠を突きつけられると信じざるを得ない。

 そして、相手が自分にこんな話をするということは、自分にも同じようにペルソナに目覚める可能性があるのだろうと真田は推測する。

 昨日渡された銃はちゃんと持って来ている。本物そっくりであるため、動き易い服には収納が少ないこともあって、どうやって持っていこうか今朝も悩んだものだ。

 だが、面倒でも持って来ておいて良かった。

 今まで感じたことのないような興奮を感じていることがはっきり分かる。

 シャドウと戦えば、間違いなく部活で練習をただ続けてゆくよりも強くなれるだろう。

 試合で判断を誤りパンチを貰うのとは違う。シャドウとの戦いの場合、少しでも判断を誤れば冗談でも何でもなく本当に“死ぬ”のだ。

 命懸けの戦い。これで強くなれないと言う方が嘘だと断言できる。

 昨日、銃は使わないと言っていたが、真田はポケットから銃を取り出すなり、美鶴の真似をして自身のこめかみに宛がう。

 そして、まるで極限の集中力の世界にやってきたように、クリアな思考へと移りながら、自分の頭の中に浮かんだ存在の名を呼び、ゆっくり引き金を引いた。

 

「こい、ポリデュークスッ!」

 

 引き金を引いた瞬間、頭の中でガラスの割れる音に似た特徴的な音が脳内に響いた。

 直後、自分の中から何かが抜け出るような、妙な脱力感を覚えながらも、不思議と先ほどまで感じていた高揚感は一切薄れていない。

 無事召喚に成功した真田は、自分の背後に現れたギリシャの英雄にして剣とボクシングの名手、皇帝“ポリデュークス”をどこか満足気に見つめていた。

 

「……驚いたな。まさか、こんなにも容易くペルソナを発現させてしまうとは。だが、これで君には、何としてでも我々の仲間になって欲しくなった」

「こんな面白そうな事だと聞いていれば、最初から承諾していたさ。ようは、このペルソナとやらで化け物退治をすれば良いんだろう? 妹やシンジが襲われたら堪ったものじゃない。一人でも俺は戦うぞ」

 

 ペルソナを召喚したことで、余計にシャドウという化け物が存在する事を信じられる様になった。

 自分の大切な人間がシャドウに襲われ、心を食われて影人間になってしまうことなど、絶対に御免だと真田は闘志の宿った瞳で一人でも戦うと言い切る。

 しかし、話しを聞いていた幾月は、真田があまりにやる気満々なので、少しおかしくなって笑いながら相手を窘めた。

 

「まぁ待ちたまえ。真田君、ペルソナやシャドウには相性が存在するんだ。君一人では勝てないモノも当然いる。だから、もう少し説明を聞いてくれ。それが終われば、昼食を取って、午後には訓練用のシャドウと実際に戦って貰っても構わない」

 

 話しをするだけなら、別に巌戸台分寮でも構わなかったのだ。

 けれど、幾月たちが真田を今日ここへと招いたのは、施設に居る調整個体のシャドウを用いて、シャドウとの実戦をとりあえず見てもらうためだった。

 真田が召喚に成功したため、予定を変更して真田自身にも戦ってみてもらう。

 だが、ペルソナでの戦闘について真田は素人なので、メインは訓練を以前から行っていた美鶴の戦闘の見学をして、ペルソナ使いとしての戦闘を理解して貰うことだ。

 その事について幾月が話すと、相手は少々気になる点があったようで、素直に聞き返してくる。

 

「訓練用? 普通のとは何か違うんですか?」

「さっきも言ったろう。シャドウは影時間にしか存在しないと。だが、長年の研究によって、捕獲したシャドウに手を加えることにより、日常でも姿形を保っていられる調整個体を作ることに成功したんだ」

「まぁ、捕獲自体が難しくて、あんまり強い訳ではないんだけど。それでも油断をしていれば命に関わる。訓練の時は僕や桐条君も同席するけど、それは安全上の措置だと思って欲しい」

 

 先ほどの説明よりも、声のトーンを数段落として真っ直ぐ見つめてくる幾月の目は真剣だ。

 幾月の傍に隣の座っている美鶴も、全く遊びの無い表情をしていることから、シャドウとの戦いはそれだけ油断できないものだと理解する。

 真田もこれで公式戦無敗記録を現在も更新中の身だ。勝手はだいぶ違うだろうが、戦いの中では集中力を切らさぬよう、いつも相手を倒す事を考えて臨んできた。

 故に、いくらペルソナに目覚めたことや、未知の敵との戦闘を前にして興奮や高揚感を感じていても、実戦が始まる前にはしっかり思考を切り替えるつもりであった。

 

「安全のための取り決め等は守ります。ただ、出来る限り初めは俺一人でやらしてください。自分の力がどんな物か。それをしっかり知っておきたいんです」

「ああ、いいだろう。本来は、君も武器を装備して、物理攻撃とペルソナを併用して戦うのがペルソナ使いとしての戦闘スタイルなんだ。けど、今日はまだ召喚の疲労もあってそれは難しいだろう。だから、自分はシャドウと距離を取って、ペルソナだけを敵に向かわすことを守ってほしい」

「ええ、了解です」

 

 しっかり真田が頷いたことで、幾月も満足気な笑みを浮かべた。

 そして、その後は昼食の時間になるまで、ペルソナとシャドウについて知ってもらうため、弱点や耐性、召喚時に精神力と言い替える事も出来る適性値を消費するという説明を続けた。

 初めは相手も慣れない事で理解し辛いようだったが、アナライズで敵の弱点や攻撃属性を解析するのは能力を持っている美鶴が行うと伝えると、属性の種類をとりあえず覚えて、後はその都度知って行くということになった。

 昼食を取って休憩してから、真田は調整個体の臆病のマーヤと戦い。改めてペルソナが、自分たちがアニメや漫画の世界にのみ存在すると思っていた異能だと理解することになる。

 だが、ペルソナの受けた攻撃のフィードバックダメージの痛みで、嫌でもこれが現実の戦いだとも理解させられ、真田は面白くなってきたと精神力を使い果たして気を失うまで自分の手に入れた力を確かめたのだった。

 

――ヨーロッパ・オノス地方

 

 ヨーロッパ北部のオノス地方に存在する大きな屋敷。

 そこの主であるソフィア・ミカエラ・ヴォルケンシュタインは、上がってくる報告書に目を通し、イラついた様子で書類の束を目の前の報告者へと投げつけた。

 

「まだあの女を殺せないの! わたくしの小狼にいつまでも付き纏って迷惑なのよ。どんな手を使ってもいいから、早く始末なさい!」

「はっ。しかしながら、イリス・ダランベールには小狼様が付いておられますので、小狼様をどうにか引き離さない限り、ただの仕事屋程度ではとても……」

 

 湊がイリスを守っているせいで、並みの仕事屋では返り討ちに遭ってしまう。

 最初に差し向けたバルツァーギ兄弟も裏では一等級の殺し屋だったのだ。

 それをまとめて屠ったこと自体は、湊の成長を促すためでもあったので予想通りだが、まさか、イリスも片腕を負傷しただけで無事に生きているとは思わなかった。

 その後は、イリスが怪我の回復を待って療養していたので、ただ戦闘の多い依頼を回して仮面舞踏会と小狼の知名度と実力が上がるようにしていたが、復帰後もイリスは湊に守られ無事に生存していた。

 流石に、いまの湊を殺せる人間など、仙道のような裏界でも化け物と呼ばれる者たちしか想像できない。

 男がそう言い返すと、ソフィアは血のように赤い瞳で冷やかに男を見つめて言った。

 

「その方法を考えるのも貴方たちの仕事でしょう? 無能な貴方たちでも完遂できるよう、わたくしがどれだけの費用を工面したと思っているの?」

「はい、誠に申し訳ありません」

「……はぁ、いいわ。どうせ何も期待していなかったし。さっさと下がりなさい」

「はっ、失礼致します」

 

 心底つまらなそうに手を払って下がる様に告げると、男は深々と頭をさげて部屋から出て行った。

 静かに扉が閉められ、部屋に残ったソフィアは、散らばった報告書を拾っている老執事に声をかける。

 

「ヘルマン、貴方ならあの女を殺す方法に心当たりがあって?」

「そうですな。戦闘に関しては小狼様の領分故、仙道様のような御方でないと相手になりませぬ。ですので、ここは一つ、搦め手で攻めてみてはいかがでしょう?」

「搦め手?」

「ええ、カナード様ならば、そういった事にも御詳しいかと」

 

 穏やかな笑みを浮かべ、傭兵であるカナードを頼れと進言する執事に、ソフィアも少し考え込む。

 戦闘以外の搦め手で殺すと言われ、ソフィアが初めに思い付くのは軍事力に物を言わせた制圧爆撃だ。

 彼女の父がトップを務める久遠の安寧は、医療と軍事産業で世界トップの企業である表の顔も持っている。

 故に、各国が軍事予算を必死にやり繰りして買うような戦闘機や爆撃機でも、ソフィアが言えば簡単に何十機と用意することが出来る。

 流石に大型の戦艦ともなると準備に時間がかかるが、それでも用意できない訳ではない。

 けれど、そんな大規模な破壊活動をしてしまえば、傍にいる湊も一緒に殺してしまうので、ヘルマンの思い付いている搦め手には含まれないだろう。

 さらに考え、次に思い付いたのは、食料に毒を混ぜるというものだ。

 これは昔からよく行われていた手法で、普段は大丈夫だからと油断しているからこそ、とても有効でかなりの効果が期待出来た。

 無味無臭の薬品も、製薬工場や新薬の研究施設をいくつも各地に持っているため、用意させるくらいは簡単に出来るだろう。

 だが、こちらはイリスが湊と食べ比べなどしてしまえば、湊も同じように被害に遭うため、やはり確実性を考えると容易に決断することは出来ない。

 

「……難しいわね。いっそ、施設におびき寄せて、分断してから毒でも吸わせてみようかしら。ヘルマン、カナードに連絡を入れて、二人を分断した上で殺せそうな施設を調べさせて」

「はっ、かしこまりました」

 

 先ほどの男と同じように去って行く使用人の背中を見ながら、今度こそ独りになったソフィアは、静かになった部屋の中で一人考え込む。

 カナードに調べさせ、湊とイリスを分断できるとして、どうすればイリスだけに毒を吸わせることが出来るか。

 まず思い付くプランとしては、施設で別々の場所に依頼の品を用意して、時間短縮のために二人が別行動を取るよう仕向けることだ。

 これならば、ある程度の広さのある場所であれば、警報でも鳴らして湊が毒の散布されたエリアに近付かないよう誘導する事が出来る。

 また、集めさせた情報によると、イリスは湊を随分と大切にしているようだったので、自分が毒を喰らえば、湊が巻き込まないように退避の指示を出すに違いない。

 どうせならジワジワと苦しみながら死なせたいので、用意する毒は神経毒で呼吸が徐々に出来なくなる物にしておけば良いだろう。

 

(フフッ、少し楽しくなってきたわ。そうよ。小狼の成長と同時にするからいけなかったんだわ。邪魔者を排除して、それからゆっくり調教し(てなずけ)ていけばいいのよ)

 

 従順な犬など、金と力を見せればいくらでも手に入る。そんな家畜にも劣る存在をペットにしてもつまらない。

 ソフィアが欲しいのは、強く、美しく、そして何者にも屈しない気高さを持った者だ。

 名切りについては年若いため詳しくは知らないが、使用人のヘルマンも生き残りがいると知って驚いていたため、血統も申し分ないはず。

 名切りに似た一族は海外にもいるが、暗殺を生業としている『蛇』と呼ばれる者たちを、久遠の安寧は既に囲い込むことに成功している。

 紀元前から続き、一騎当千と謳われた名切りとは違い。『蛇』たちはまだ五百年ほどの歴史しかないが、それでも裏の世界では恐れられる集団戦のプロだ。

 個々の力で劣ろうとも、その隙の無い連携は、まるで蛇が絡みつくように対象の自由を奪ってゆく。

 イリスを殺した後は、その者たちに頼めば、麻酔等で無力化して湊を連れて来てくれるに違いない。

 そこからは、湊がどれだけ抵抗しようと、守護天使であるアパテーの力を見せつけ、絶対的な力関係を理解させた後、鎖に繋がれ悔しがる相手の頭に小水でも掛けてみれば面白いだろう。

 未だ男を知らず、性器など風呂係の女中たちくらいにしか見せたことはないが、相手は大切なコレクションだ。余興のついでに見せるくらいのご褒美は与えてやってもいい。

 

(あれだけの美しさですもの。足でならしてあげてもいいわね。きっと、屈辱に顔を歪めるのでしょうけど、そういった表情ですら美しいに違いないわ)

 

 もう何ヶ月もずっと待っているのだ。早く湊が欲しい。どんな手を使ってもいいから、さっさと自分の手元に置きたい。

 そんな待ちきれない感情を抑えこみ。ソフィアは湊を手に入れた後のことに思いを馳せながら、相手に怪しまれず依頼を受けさせるため、裏の仕事をするには随分と情に弱いという、甘さを持った二人ならば受けるであろう依頼内容を考え始めるのだった。

 

 

――???

 

 湊の心の深部。深く濃い闇の中で(うごめ)く蛇神の気配を感じながら、茨木童子が独り座っていると、知った気配が傍にあることに気付いたのか、茨木童子は何もいない闇の方を見つめ声をかけた。

 

「……ユウリ、いつまで隠れているつもりだ? ばれていることにも気付いているのだろう」

 

 茨木童子が声をかけると、彼女が見つめていた方向に淡い光と水色の欠片が集まりだす。

 そして、集まった光が徐々に輪郭を帯びてくると、その光の中から永劫“カグヤ”が現れた。

 現れたカグヤは光が治まって完全に姿を晒すなり、今度は白い光に包まれ。袖がなく紫の縁取りがされた黒のとても丈の短い着物のような、一見すると“くノ一”のようにも見える衣装を身に付けた、白く長い髪をした女性の姿になっていた。

 その顔は茨木童子にどこか似ているが、彼女よりも少し柔らかい印象を受ける顔の作りをしている。

 けれど、カグヤはその端正な顔を悲しみに染めて、茨木童子へと歩み寄った。

 

(あね)さま、どうして八雲を苦しめようとするのですか? あの子は、戦いを望んではおりません」

「フフフ、アハハハハッ! 中々に面白い冗談だ。けれど、お前は随分と勘違いしているなぁ。私は何も八雲を苦しめようとしていない。だがな、望もうと望むまいと、ナギリの血は争いを招くのだ」

 

 カグヤの話しが余程面白く感じたのか、腹を押さえておかしそうに笑い、笑った際に滲んで目尻に溜まった涙を指で拭う茨木童子。

 そんな相手の反応に気分を害したのか、カグヤは真剣な表情のまま、眉を顰めて言葉を続ける。

 

「姉さま方が八雲から感情を取り除けば、争いを嫌うあの子は戦いからは離れましょう」

「ふふっ、随分と甘いことを言ってくれる。いま感情を取り除けば、待っているのは心の崩壊だけだぞ? 崩壊を防ぐには、ナギリの血に目覚める必要がある。自分が人殺しの一族だと知れば、諦観としてやつにとっても救いとなろう」

 

 本来の湊が争いを嫌う優しい子どもなのは知っている。

 けれど、いま茨木童子たちが植え付けた負の感情や殺人衝動を取り除けば、湊は自分の犯した罪の重さに耐えきれず、下手をすれば命を絶つ可能性があった。

 勿論、茨木童子自身は、湊はチドリやアイギスのためにそんな事はしないと思っているが、それでもナギリの血に目覚めて、自分が人殺しの一族だと理解した方が、血の業だと諦めることが出来るだけマシだろうと相手に伝える。

 それを聞いたカグヤも、自分の姉の言っていることが理解出来たためか、一瞬表情を強張らせるも、すぐに表情を引き締め、血に目覚めるということがどういう事か分かっているのかを相手に尋ねた。

 

「あの子の母君の施した術は八雲自身の死を持ってしても発動しませんでした。ならば、後は強い感情の発露でしか解禁はあり得ませぬ」

「だろうな。八雲は随分と沢山の物を抱えている。アイギスとチドリだけだったはずが、絆を深めるうちに自分の両手だけでは抱えきれないほどまで増えた。そろそろ、いくつか取り溢すことだろうさ」

 

 茨木童子の言っていることは、湊自身も気付いていながら、それは無いと否定し眼を背けている事実。

 今の湊は守る物、守りたい物が増えすぎた。

 以前、被験体を助けようとした結果、自分の考えの甘さから、残っていた半数以上の被験体を死なせるハメになった。

 そのとき、自分の守りたい物を脅かそうとする者は全て敵だと、ナギリの感情を植え付けられながら殺すことで守る道を知り。邪魔をする者は全て排除してきた。

 しかし、今では守りたい物が増えすぎたせいで、湊一人では全員を守ることが難しくなってきている。

 湊の身体は一つしかないのだから、そう大勢を守ってばかりもいられないだろう。

 イリスも気負い過ぎている湊へ、本当に大切な物以外は全て諦める覚悟をしておけと言っていた。

 人は神ではない。自分の命すら必死にならなければ守れないのだから、全てを救う事など出来はしないと。

 だが、自分たちの大切な愛子(まなご)が苦しむことを分かっていながら、血の目覚めのために必要なことだと笑っている女へ、カグヤは慈悲の心はないのかと声を荒げた。

 

「それが分かっていて、姉さまは自らの悲願のために見過ごそうとされるのですかっ」

「歪んでいると軽蔑するか? だがな、我らをこのような願いのための装置へと変えたのは、お前たち九頭龍なのだ。同じように子孫の血に宿り、九頭龍が我らに強いてきた仕打ちをずっと独りで目にしてきたお前なら分かるだろう。真におぞましきはどちらかが」

「っ……」

 

 茨木童子の言葉に、言われたカグヤは言葉を詰まらせ顔を俯かせる。

 そう、茨木童子が血に宿ったナギリの祖であるように、ここにいるカグヤも血に宿り今日まで生き続けた九頭龍の祖であった。

 鬼と龍は元々一つの一族だった。だが、旧き時代に存在したペルソナやシャドウとも異なる人にあらざるモノと人の間に生まれたある姉妹が、“生まれ変わっても再び巡り合えるように”、と母から受け継いだ権能を使い、姉の子孫が妹の子孫を守るという盟約を結ぶ事で離れぬようにしたのだ。

 そして、残っていた権能を使い姉妹は血に宿ることで生き続け、姉は龍を守れるよう一族の者らに変革を求め、妹は一族にただ鬼と共にあれと伝えるようにさせた。

 変革を求められた鬼たちは、自身の磨いた知識も技術も全てを伝えるために、始祖と同じく血に宿るようになった。

 共にあれと伝えられた龍たちは、鬼に守られるうちに自分たちを鬼の主人と思うようになり、血に宿っている妹は子孫の過ちに嘆いた。

 けれど、血に宿った者たちでは生きている者らをどうする事も出来ず。いつしか龍と鬼の伝承が生まれ、鬼の一族だけが人々から恐れられるモノとなったのだ。

 そうして、数千年にも及ぶ年月が流れ、平和な世の中になり鬼が解放されたことで、ようやく姉妹の願いは鬼と龍の混血児“百鬼八雲”の誕生によって叶う事となった。

 

「ユウリ、お前はいつまで偽るつもりだ? 力に目覚めた八雲であれば、お前の擬態にも気付くだろう。姿もアルカナも偽っているとなれば、訝しんだ八雲はお前を消すかもしれない」

 

 悲痛な表情で俯き手を震わせている妹へ、姉の茨木童子が声をかける。

 ペルソナとなった彼女は、今の人としての物が本来の姿であり。太陽を司る姉に対応するように、“月”のアルカナを司っている。

 生前の名は、ユウリ。ペルソナとして本当の名は、月“赫夜比売(カグヤヒメ)”。それが九頭龍の祖である、彼女の真の姿であった。

 

「……わたしを殺すことで八雲の気が晴れるのであれば、どのような仕打ちでも受けましょう。子孫の罪は、両一族の仕組みを作った一人としてわたしが全て負います」

 

 一族の増長を止められなかったのは、姉の子孫らが自分の子孫らを守ってくれることをただ喜び、自分の子孫らには共にあれと言うだけで、恩に報いるよう伝えておかなかったから。

 故に、湊がナギリの業を背負わされ苦しむのであれば、元凶である自分を好きにして貰って構わない。

 そう言って、ようやく俯いていた顔を上げたカグヤは、悲しそうな表情をしながらも、瞳には強い決意の光を宿らせていた。

 しかし、またしても茨木童子は気だるげにしながら、カグヤの決意の籠められた言葉を一笑に付す。

 

「だから、お前は甘いのだ。咎により殺されてお前は満足かもしれないが、蛇神を抱える八雲の憎悪はその程度では治まらない。しかし、優しい八雲のことだ。真面目にお前との約束を守り、九頭龍たちに手を出したりはしないだろう。そうなったとき、八雲は自分の抱える感情を向ける矛先を見失う訳だが……苦しいものだぞ? どうにも出来ない感情を抱え込むというのはな。まさに生き地獄だ」

 

 罪を背負い、罰は自分が全て受ける。確かに素晴らしい事故犠牲の如き献身の精神だ。

 けれど、それは湊が嫌う桐条武治と同じ、全ての決定を他者に投げ、自分の罪から逃げる行為に他ならない。

 憎しみで殺してくれればいいとはいうが、殺して何か変わるのだろうか。

 殺したところで心の隙間が埋まることはなく、生活においても何も変わらない。

 それで変わることがあるとすれば一点、ただ、殺された者が自分の罪から逃れられるだけだ。

 殉教者のような誠実さでカグヤは罪を全て負うと言ったのだろうが、罪から逃れようとする最も卑怯な行為に、茨木童子は薄く嘲笑を浮かべながら相手に手をかざす。

 

「運命は既に動き出した。我らに見守る以外で出来ることは何もない。ユウリ、お前は血に目覚めた八雲に真の姿を晒す覚悟でもしておけ」

「まっ、待ってください! 姉さまっ……」

 

 かざした手を茨木童子が横に一閃すると、黒い闇が蠢き、そのままカグヤを飲みこんでしまった。

 この場よりも、もう少しだけ湊の表層意識に近い部分へ送り帰しただけだが、きっと相手は驚いたに違いない。

 完全に闇に飲まれる瞬間まで、驚愕の表情で手を伸ばしていた妹を思い出し、茨木童子は一人ごちる。

 

「フッ……八雲の優しさはユウリにでも似たのやもしれんな。誰よりも先に、八雲のペルソナ(ちから)となることを選んだやつだ。出来れば殺して欲しくないんだがな」

 

 オルフェウスやプチフロストを通じて、少しだけ湊に力を貸していたのは座敷童子だ。

 しかし、最初に自分ごとペルソナに転生し、様々な局面で湊の力となったのはカグヤであった。

 余力といった意味で、自分だけが九頭龍の血に宿っていたカグヤに対し、子孫にも血に宿る力を分け与えたことで、ナギリたちの血に宿る力は小さくなりつつあったのやもしれない。

 それでも、血に宿った自分の魂を一部改編してまで、自分たちの子孫を助けようとするのは、やはり彼女自身の優しさだろうと思える。

 そんな優しくて愛しい実妹を、どうにか許してやって欲しいと、茨木童子は願わずには居られなかった。

 

 

 


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