【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第五十九話 中学二年生

4月4日(火)

朝――月光館学園中等部

 

 湊が海外での活動を始めて半月ほど経とうとした頃、日本の月光館学園では、入学式を終えて新学期が始まろうとしていた。

 新しいクラスの発表に胸を躍らせ、春休み明けで久しぶりに出会う友人らと挨拶をしながら登校してくる生徒たち。

 そんな笑顔の集団の中に、新入生同様の真新しい制服に身を包んだ一人の男子が立っていた。

 

(えーっと、初めにクラスを確認して職員室に向かうんだったよな)

 

 くしゃくしゃになった転入初日の案内プリントを、上着の内ポケットから取り出し眺めている、黒髪を短く刈りあげた少年の名は、伊織 順平(いおり じゅんぺい)

 家庭の事情により一人だけ引っ越し、本年度から男子寮での生活をスタートした転入生だ。

 初めは知り合いもいない土地で一人暮らしなど面倒だと思っていたが、寮は利用時間さえ守れば食事も風呂もある程度自由であり、部屋も広くはないが自分だけのスペースとしてのびのび出来る。

 おまけに、実家のある田舎と違って巌戸台は新開発の進む都会だ。

 色々と遊びたい盛りの順平にとって、親の目を気にせず学校帰りにゲームセンターやCD屋を巡ることが出来るなど、まさに夢のような生活である。

 寮生活の生徒には各学期の終わりに、実家の方へ成績の記載されたプリントが郵送されるので、その点だけは面倒ではあるものの、電話で小言を言われる程度、都会での自由な暮らしに比べれば安いものである。

 

「うっし、じゃあクラスを確認しに行きますか!」

 

 そうして、少年はプリントを再び内ポケットにしまうと、この学校で初めての記念すべきクラスを確認するため、生徒玄関へと歩き出した。

 

***

 

(2年B組、仙八せんせー……って知ってるやついねーか)

 

 自分のクラスが2年B組であることを確認し、職員室に向かって担任に案内されるまま全校集会に参加した順平は、講堂を出てゆく生徒に続いて自分のクラスに向かった。

 男女混合の五十音順で出席番号が振られているため、苗字が『い』で始まる順平は、出席番号二番という若い数字を貰っていた。

 自分の前にも一人だけ生徒がいるらしいが、その生徒は海外留学をしており、順平にとってはブルジョアな存在なので、きっと「オホホホ」と変わった笑い方をするお嬢様なのだろうと勝手に思っている。

 

(つーか、若くて美人で胸が大きいって最高の担任だと思ってたんだけどなぁ……)

 

 溜め息を吐きつつそんな風に思いながら、順平は教卓のところで椅子に座ってだれている残念な担任に視線を送る。

 順平の下した初期評価SSSランクだった、現在はAAランクと高ランクを維持しつつも残念な担任こと佐久間文子は、今のクラスに不満があるのか、生徒の目の前で愚痴をこぼしていた。

 

「つまんなーい。有里君ってば全然メールも電話もくれないし、会いに行こうにも居場所分かんないし。つまんないよー」

(いや、誰だよアリサト君って……)

 

 そんな事を聞いても、新しく転入してきたばかりの順平はまるで話が理解出来ない。

 とりあえず、恋人か何かと思われるアリサト君とやらと会えなくて落ち込んでいることは分かるが、教師が生徒の前でそんなプライベートな愚痴をこぼしていいのだろうかと呆れてしまう。

 愚痴をこぼしてばかりで一向にホームルームを始めようとしない佐久間に、順平以外の生徒も同じように思ったのだろう。

 一人の男子生徒が手をあげて、佐久間に言葉をぶつけた。

 

「せんせー、仕事してくださーい」

「先生のお仕事は有里君と遊ぶ事ですー。教師は気分でやってるだけなので、こっちが遊びでーす」

「じゃあ、真面目に遊んでくださーい」

「遊ぶ相手の有里君がいないので無理でーす」

 

 自分が教職こそが遊びだと言っておきながら、ではそっちを真面目にやれと言われると、今度は湊との遊ぶことに話題をシフトして返した。

 途端に、教室中から深いため息が聞こえてくる。

 見た目だけは本当に最高ランクだというのに、中身はどうしてここまで残念なのか。

 それを論理的に説明出来れば、ミレニアム懸賞金問題を解く並みの偉業だと生徒たちに囁かれている。

 しかし、転入生である順平はその事も知らないので、隣の生徒に佐久間があんな状態である理由を小声で尋ねた。

 

「なぁなぁ、あの先生って何であんな状態になってんの? さっきから出てくる“アリサト君”って彼氏か何か?」

「え? ああ、あなた転校生だっけ。有里君は貴方の前の席の人だよ。佐久間先生のお気に入りの生徒で、先月から留学でいないから落ち込んでるの」

「ちょっ、生徒と教師がそういう関係ってありなの? この学校ってめっちゃオープン過ぎね?」

「ううん、別に二人は付き合ってないよ。ただ先生が彼にベッタリなだけ。まぁ、少し恐い雰囲気だけど、すっごい美人だし。中等部だけじゃなくて、初等部と高等部の生徒にも人気あるんだ」

 

 言い終わるなり、隣の女子は制服のジャケットから定期入れを取り出し、笑顔でその裏面を順平に見せてきた。

 そこには一枚のカードが収められ、カードには『プリンス・ミナト』と筆記体のアルファベットで大きく書かれ、下には『会員番号294』と小さく書かれている。

 相手の数字が若いのか不明だが、それが入会当時の会員数のはずなので、生徒ばかりで構成された非公認組織で最低でもそれだけの人数がいるのは確かに驚きだった。

 以前、自分が通っていた市立中学では生徒のファンクラブなど存在しなかったので、これが都会クオリティかと衝撃を受けつつ、順平は呟く。

 

「すっげー、ファンクラブってアイドルか何かかよ……」

「学校にくれば会える身近な存在だし、アイドルより断然良いよ。モノレールで痴漢から助けられたって子も多いし、実はすっごい優しいからね。私も彼に会えない先生の気持ちはよく分かるんだぁ」

 

 憂いを帯びた表情で中空を見ながら溜め息を吐く女子の姿に、順平は心の中で「うわぁ……」と呟き若干引きながら会話を終了する。

 相手の姿は分からないが、とりあえずの情報収集は出来た。

 てっきりお嬢様かと思っていた前の席の生徒は男子で、さらにファンクラブが出来るほどのルックスをしている。

 隣の女子が『格好良い』ではなく、『美人』という表現を使ったのは引っ掛かるが、女子から見ても美人に見えると言うのなら、是非とも一度拝んでみたいところだ。

 

(てか、あの残念な先生も含めて、この学校って可愛い子多いしな。これが都会クオリティってやつですかね)

 

 考えながら、頬杖をついてクラスメイトらを順平は眺めてゆく。

 一人やたらと目立つ髪色の女子もいるが、その女子も含めてこのクラスの女子はレベルが高い。

 自分の後ろにいるスポーティーなポニーテールの女子に、隣の列にいる委員長とアダ名を付けたくなりそうな上品な雰囲気の女子や、その少し後ろにいるややサバサバしてそうな茶髪の女子。赤い髪の女子の前の席の小動物系の女子に、最初に目がいった赤髪の女子と、学年の可愛い女子は全員このクラスに集まっているのではと思えてしまうほどだ。

 田舎から転入してきたばかりの思春期男子にとって、そんな素晴らしいクラスになれたことに喜びを感じ、誰か一人だけでもお知り合いになれないか、などと淡い希望を持ってしまうのも無理はなかった。

 

(誰が一番話し易そうかねぇ。先に男子のダチ作って、女子らの情報をリサーチするべきか?)

 

 こういった都会の学校では、誰か一人の女子に嫌われると瞬く間に他の女子からも無視されるとよく聞く。

 それだけに、薔薇色の学校生活を夢見ている順平は、普段は使わない脳細胞をフルに活用して、女子と仲良くなるための計画を慎重に練る事にした。

 まず、リサーチのために男子と仲良くなるにしても、明らかに情報を持ってなさそうな浮いた存在は避けるべきだと考える。

 その点で言えば、最初に佐久間に「仕事しろ」と声をかけた制服をきっちり着ている男子は、適度な軽さが滲み出ているので、自分としても接しやすそうだと思えた。

 

(えーっと……ああ、友近ってやつか)

 

 すると、相手の名前を確かめるため、順平は机の数を数えて相手の出席番号を割り出し。黒板横の掲示板に貼られている出席番号一覧から相手の名前を調べた。

 さらに、いつでもリサーチ出来るよう、クラスで目立っている女子らの名前も覚えておく事にする。

 

(後ろの子が岩崎さんで、委員長が真田さん。サバサバしてそうなのが岳羽さんで、あっちの二人は山岸さんと吉野さんね。覚えやすそうな普通の名前で良かったぜ。前の席の有里ってやつの下の名前とか読めねえしな。なに、ソウ君とか?)

 

 勉強が不得意で『奏』と『湊』の違いすら分かっていない順平にすれば、かなり惜しいところまでいっているが、正解は“ミナト”である。

 全くの偶然ではあるが、隣の女子のように、クラスの中にもファンクラブの者が何名かいるため、ここで誤った名前を声に出さなかったのは利口な選択だ。

 そうして、チドリの要請で、向こうでは深夜五時ごろにも関わらず、湊から近況報告と真面目に仕事をするようにという内容のメールが佐久間の携帯に届くまで無駄な時間は続き。

 メールが来た途端に教師モードになった佐久間が、テキパキと進めたホームルームが終わったのは、結局、他のクラスの授業終了時刻と同じであった。

 生徒らの自己紹介を省略していないというのに、どうやれば挽回できるのか。そんな謎を生徒らの心の中に残し、携帯を片手に上機嫌で去っていった佐久間を、順平は悟りを開いた僧のような無心な瞳で見送った。

 

***

 

 本日の授業が終わり、後は帰るだけとなった放課後。

 時間はまだ十二時を過ぎたばかりで、部活や帰路に着く生徒以外の何名かが、帰りにどこかで食事でもしてから帰ろうかと相談する声も聞こえる。

 そうして、順平が目をつけていた友近も、周囲の席の男子と同じように話していたので、順平は友達作りも兼ねて声をかけに席を立った。

 

「なぁなぁ、その帰りにメシ食っていくっての、オレも参加して良い? こっちきたばっかでさ。美味い飯屋とか知らねぇんだよ」

「おお、転入生の伊織だっけ? いいぜ。ラーメン屋に行く話になってたけど、別に構わないよな?」

「そこ安いのか?」

「ランチのラーメン・餃子・ライスのセットなら、七五〇円。プラス百円でライスは炒飯に変更可能」

 

 やや自信ありげにニヤリと口元を歪めて友近が答える。

 その価格を聞いて順平は、財布の中身を思い出す。親からの仕送りは月末にならないと来ないが、寮暮らしを始めることを聞いた親戚から小遣いを貰ってきた。

 ほとんどは親によって貯金されたが、諭吉を一人は確保しておいたので、軍資金には何の問題もない。

 むしろ、中学生にとって諭吉を一人でも財布にいれているのは、羨望の眼差しを受けるヒーローのステータスの一つですらある。

 食事後にカラオケでもゲームセンターでもドンと来い。そんな風に余裕を見せて、順平は他の者に続いて、目的地のラーメン屋へと向かった。

 

――鍋島ラーメン“はがくれ”

 

 店の前に着いた時点で、胃袋を刺激するとても良い匂いがしていた。昼を過ぎた空腹時の腹には一種の兵器であり、席についてすぐに全員が注文を済ませてしまった。

 昼時で店員らも忙しそうに料理を作っているが、それでも他人が美味しそうに食べている姿を見ながら、より強くなった料理の匂いでさらに胃を刺激されつつ、料理が来るのを待つのは大変な苦行である。

 そうして、雑談をしながらも、テーブルの下では拳を握りしめ、貧乏揺すりをしていた順平らの元に店員がやってきた。

 

「はい、ラーメン餃子セットおまち! こっちはラーメン炒飯セットね。器が熱いから気をつけて!」

 

 次々と料理を運んで店員が去ってゆく。

 客を気遣って器が熱くなっていることを伝えてきたが、今の順平たちの視線は湯気を立てている琥珀色のスープに釘付けだ。

 壁際に座った男子が、箸立てから取った割り箸を他のメンバーに配る。

 それを受け取り、まるで訓練されたように見事に揃った動作で行儀よく手を合わせると、全員が大きな声で言った。

 

『いっただきまーす!』

 

 途端、まわりの客や店員が何事だと顔をあげて見てきたが、料理しか見えていない順平たちは、その事に気付かぬまま一心不乱に箸を進める。

 鼻の頭に汗を掻いても、拭う事すら今は面倒だ。全身からそんな気配を漂わせ、順平は麺をすすり、レンゲでスープを口に運ぶ。

 

「うっは、うめー! 麺もだけど、これスープがとにかくヤベーよ!」

「だろ! スープも最後まで飲み干せ。そんで少し余韻に浸ったときなんて、胃だけじゃなく心まで満たされるぞ!」

 

 はがくれのラーメンに感動を覚えている順平の言葉に、正面の友近が熱く語って返してくる。

 この店で食事をしようとメンバーに提案したのも彼であり、どうやらこの店の味に魅了され、友人らと来る以外にも頻繁に通っているようだ。

 しかし、彼がそれだけ店の味にのめり込むのも、実際に食べてみた順平には分かる気がしていた。

 ただ美味しいだけではない。また食べたくなる味なのだ。

 朝食を抜いてきたせいで、普段よりも空腹に思っていたのも、並んでいる料理を美味しいと感じている要因ではあると思う。

 けれど、また食べに来たくなる味というのは、中々出会えるものではない。

 こちらに来て早々にこの店を教えて貰えたことに、順平は心から感謝した。

 

「はぁ……良い店教えて貰ったわ。また学校帰りか、寮のメシに飽きたら食いにこよっと」

「おっ。んじゃ、そんときは誘えよ。地元民だから家で晩飯出るけど、帰宅部で暇してるからな。育ち盛りの男子中学生の腹なら余裕だぜ」

 

 箸を持っていない左手親指を立てて友近が笑いかけてくる。

 今日あったばかりだが、待ち時間という同じ苦行に耐えた仲間として彼らと絆が出来た気がしていた。

 相手もそれは同じようで、知り合いのいない不安が薄れていることを感じた順平は、コップに口をつけ、水を飲み干してから笑顔で返した。

 

「ははっ、了解。つか、地元のやつなら、飯屋以外にも遊び場とかも知ってそうだな。ここらでオススメのスポットってある?」

「遊び場って言えば、やっぱポロニかな。ポロニアンモールっていう、色んな店の集まってる大型ショッピングモールだ。ゲーセンとかカラオケに、俺らは入れないけどクラブもあるぜ」

「クラブ?」

 

 クラブと聞いても、実家周辺の田舎にそんな物がなかった順平は、それがどのような場所だか想像がつかない。

 若者が音楽に合わせて激しく踊る施設だというのは聞いたことがある。しかし、ダンス自体、テレビの音楽番組でアイドルや歌手がしているのを見たことがあるくらいだ。

 そんな偏った知識と貧相な想像力では、都会の遊び場をイメージすることは出来なかった。

 

「よく分かんねえけど、色々見れんのは良いな。実家のある田舎だと、遊べる場所なんて近所の公園かジュネスしかなかったからな」

「ま、ここらも巌戸台付近が都会なだけで、少し外れたら似たようなもんだよ。電車で数駅行ったら、田んぼと山ばっかりだし」

 

 実際、湊とチドリが暮らしている六徳市も、駅にすれば五駅程度しか離れていないが、畑や田んぼに、桔梗組本部のある山など、自然の多い田舎の風景が残っている。

 すぐ隣にある市でそんな状態なのだ。昔からこの土地に住んでいる友近の言う通り、巌戸台も港区など一部を除けば、他は住宅地ばかりであったりと、遊ぶ場所がない地域も多かった。

 

「へぇ、都会つっても、そこまでメチャ広い訳じゃないんだな。あ、そういやさ。オレっち思ったんだけど、ウチの学校って女子のレベル高くね? これも都会クオリティってやつ?」

 

 そんな現地民の言葉は実にためになるようで、順平は感心して何度も頷きつつ、さらっと自分が知りたかった女子のリサーチに会話を切り替える。

 すると、残りの料理を食べていた他の男子が目をきらりと光らせ、どこか悪巧みをしているような顔を寄せてくると、時代劇の悪代官気取りの口調で返してきた。

 

「おっと、転校早々、そこに気付いてしまいましたか。いや、伊織さんもお目が高い」

「俺ら、そっちの情報についてはちょっとばかし詳しいですよ。さ、何でも聞きたまえ。お好みはどんなタイプだ?」

 

 ふざけながらも、情報を持った相手がこのように聞いてくれるのはありがたい。

 順平は顎に手を当て、少し考える素振りを見せると、他の男子らのノリに合わせてニヤリと笑い、わざと芝居がかった口調で要望を伝えた。

 

「フム……では、諸君らがもっとも美しいと思う女性を教えて頂こう」

「うわっ、それきっついなぁ。自分の好みバラすとか、どんな罰ゲームだよ。ま、俺は桐条先輩派なんですけどね」

「んだよ、言ってんじゃねーか。かく言う私は、真田さん推しですけども」

 

 順平と友近の隣に座っていた男子がそれぞれ笑って答え、それを聞いた順平は話に出た二人の姿を思い出す。

 桐条先輩とは、三年D組の桐条美鶴のことであり、今日の全校集会でも生徒会長として挨拶をしていたため、姿を見たときには随分と大人びた美人の先輩がいたと驚いたものだ。

 次に、真田さんとは、順平が勝手に委員長と心の中であだ名を付けたクラスメイトである。

 こちらも美鶴に負けないくらい美人でスタイルの良い、大和撫子といった優しげな雰囲気の女子だった。

 姿を無事に思い出せた順平は、二人が最も美しいと思ったのも無理はないと頷いて同意し、最後にまだ答えていない友近の答えを待つ。

 

「最もなぁ。ウチの学校って年上のお姉さん系が不足してんだよな。会長も何年かしたら良い感じだろうけど、いまはやっぱ学生って感じじゃん?」

「何、オマエ、年上好きなの? じゃあ、担任のあの人とか先生らは?」

「あの人って、佐久間先生な。いや、美人だけど、あれは大人としては駄目だろ。一回り違うのに俺らと同じノリってどうよ。あれでもっと落ち着いてたら、会った瞬間に告白してたんだけどな」

 

 見た目は良いのに中身が残念。心底惜しそうに溜め息を吐きつつ友近が呟くと、他の男子も深く頷いて同意している。

 やはり、順平自身も思っていた、見た目は最高なのに中身で損をしているというのは、在校生らも同意見らしい。佐久間文子、実に惜しい女である。

 

「あ、それじゃあ保健の先生は?」

「櫛名田先生な。伊織はしょうがないけど、お前ら先生の名前はちゃんと覚えとけよ。つか、あの人も佐久間先生と大差ないって。なんで高等部の制服の上に白衣着てんだよ。似合い過ぎてて逆にビックリだわ」

 

 隣の男子の質問に答える前に、最低限の礼儀は守れと友近は相手を窘める。どうやら、制服の着こなしも含め、妙なところで真面目らしい。

 しかし、保険医である櫛名田の評価は、残念な大人代表の佐久間と同レベルという酷評であった。

 確かに今年で二十七歳の女性が、普段から女子高生の恰好をしているのは、世間一般の常識として中々にキツイものがある。

 しかも、それが大人の色気を纏いつつも、ほとんど違和感なく着こなしているというのだから、どうして普通に美人な保健医でいてくれなかったのか、と友近が文句を言いたくなるもの無理はなかった。

 中等部教師陣で2トップの美貌を誇る二人の評価を下した友近は、コップの水をグイッと呷り、瞳に熱を宿して語り出す。

 

「あのな。二人とも文句なしに美人なんだよ。運動してないのに程良く引き締まってて、足とかも健康的にエロいんだ。佐久間先生なんて、それ加えて巨乳だろ? いや、櫛名田先生も胸は普通にあるんだけど、佐久間先生のが腰のくびれとか考えるとバランス的にすごいんだよ」

「は、はぁ、それで?」

「あの二人ときたら、美人なのに、優秀なのに、なんであんな変人なんだよ! つか、生徒の一人に色目使ってる時点でおかしいだろ?! 夏場に上がカッターシャツ姿で男子生徒の背中に抱き付くとか、マジで羨ましいし、妬ましいわ! イケメン滅びろ!」

『そうだそうだ! イケメン滅びろ!』

 

 二人を残念な大人と言いながらも、実は嫉妬していた友近の心からの叫びに、他の二人も同調して叫び出す。

 最後のカッターシャツ姿で抱き付くというのは、つまり、薄着で抱きつけば、佐久間の豊かな双丘が相手の背中に当たると言っているらしい。

 確かに、リクルートスーツのジャケットを着ていても胸が大きいと分かっていたので、薄着でそんな事をすればとんでもないことなるだろう。

 順平は、自分がそのような状況になっている場面を想像し、鼻の奥が熱くなりかけたところで、頭を振って妄想をかき消した。

 

「あぶねぇあぶねぇ。つか、マジであの先生そんなことしてんの? それってイケメン限定イベント?」

「イケメンってか、有里限定な。同じ学年のナルシー入ったサッカー部のイケメンが、有里と同じ美味しい思いをしようと積極的に話しかけに行ってたことがあるんだけど、結果は撃沈。話しかければ答えてくれるけど、絶対に身体に触らせないんだよ」

 

 少し冷静になったのか、叫んでいた友近は肩を竦めて順平の問いに答える。

 他の男子も同じように冷静さを取り戻したようで、友近に続けて、当時のことを話しだした。

 

「ああ、ノリでハイタッチで挨拶しようとしても、完璧に手の方はスルーして『こんにちは』とかって返すだけでな。ソイツ、最後にはやけ起こして背中から抱きつこうとして、先生に思いっきりヒールで腹に蹴り喰らってたぞ」

「あん時は流石にビビったわ。ギャグっぽく怒ることはよくあるけど、そのときの佐久間先生マジギレして、“有里君以外に触らせるか!”って大声で叫んだしな。玄関ホールだったし、まわりはドン引きして固まって、偶然購買にいた有里が先生の頭を叩いて引っ張って行ってくれなかったら、誰も動けなかったし」

「まぁ、そういう訳で、伊織も夢を見るのは良いけど、あくまで妄想だけにしておけよ。あの先生、ヒール履いたままで垂直跳び六十三センチとか跳ぶ人間だから、マジ蹴り喰らったら病院行き決定だからな」

 

 垂直跳びで六十センチ台を叩き出すのは、一般人なら成人男性でも難しいことであり、それをヒールを履いたままという不安定な状態で達成したことに、佐久間の脚力の強さが伺える。

 いくら思春期男子で、佐久間の身体に途轍もない魅力を感じていたとしても、流石の順平も我が身の可愛さを思えば、そこまで身体を張る気にはなれなかった。

 なにより、話を聞いていると、佐久間は留学中の有里君に本当にベッタリのようで、他に可愛い女子らがいるというのに、わざわざ玉砕が分かっている相手にアタックをかける意味が分からない。

 故に、順平は教師陣を目の保養のみにしようと心に決め、お近づきになるのはやはり同級生にすることにした。

 

「そんじゃ、ウチのクラスの女子らはどうなんだ? 飛び抜けてんのが四、五人くらいいたけど」

「うーん、そっちはそっちで難しいんだよな。伊織が言ってるメンバーってだいたい真田さん・岳羽さん・山岸さん・吉野さん辺りだろ?」

「あと、岩崎さんとかな」

「はぁ? なんで、理緒がそのメンバーに入るんだよ。明らかに浮いてるだろ」

 

 友近の挙げたメンバーに順平が補足すると、途端に相手は怪訝そうな顔をする。

 順平にしてみれば、素直にルックスの整っていた女子を挙げただけなので、そのように否定される覚えはない。

 だが、よくよく相手の発言を思い返してみると、友近が一人だけ名字ではなく名前で呼んでいることに気付いた。

 それにより、二人が知り合いである可能性にいきつき、順平はその点を尋ねてみる。

 

「おたく、もしかして、岩崎さんと知り合い?」

「いや、知り合いって言えば全員と知り合いだよ。初めの四人は去年も同じクラスだったし。ただ、理緒は家が近所でさ。まぁ、腐れ縁って感じかな」

 

 聞いてなるほどと納得がいった。岩崎 理緒(いわさき りお)は他の者から見れば十分に美しい少女だが、昔から親交のある友近にはそうは思えなかったようだ。

 無論、友近は年上好きであるため、長い付き合いで内面まで知っている相手が、守備範囲外の子どもという認識の可能性もある。

 しかし、そういう事ならば、理緒の評価のみ他の者に頼れば良いので、とりあえず、友近が先に挙げた四人について順平は聞くことにした。

 

「んじゃ、他の四人が難しいってどゆこと? 実は性格悪いとか?」

「まぁ、岳羽さんと吉野さんは難しい性格してるな。岳羽さんって結構サバサバしてるし、吉野さんは他人にほとんど興味ないみたいでさ。あ、ついでに言っておくと、吉野さんと有里は一緒の家に住んでんだ。家の事情? とかってやつで、別に親戚じゃないらしいけど」

「ふーん。そんで他の二人は?」

「ああ、真田さんは一つ上にお兄さんがいてな。すっげぇ過保護で、男子が彼女を遊びに誘うには、ボクシング部エースのお兄さんにスパーリングで認めて貰うしかないんだ。付き合うのなんて、先輩に勝たなくちゃいけないからな」

「なに、その無理ゲー……」

 

 結婚の挨拶で相手の父親に会う訳ではないが、相手のお兄さんに会うのもやや気が引けるというのに、そこにボクシング部エースとスパーリングという情報が追加されるだけで、順平は美紀と仲良くなるのは自分には不可能だと感じた。

 小学生時代に地元の少年野球チームに入っていたので、帰宅部の者よりは体力にも自信はある。

 だが、無制限に逃げ回れるならともかく、リングのような限られた空間で殴り合いなど御免だ。

 殴るのも殴られるのも、普通に生活していて味わう事などほとんどないのだから、自分が当事者になった場合を想像し、順平が純粋な不安を抱くのも当然だった。

 

「はぁ……で、最後の山岸さんは?」

「山岸さんは普通だよ。これは真田さんも一緒だけど、成績が良いのに皆に優しいって感じで接しやすいし。天然っていうかちょっとずれた部分もあるけど、小動物系で癒されるって隠れファンは多いぜ?」

「おー、他がおかしいのか知らないけど、一気に安心できるわ。なら、オレっちも山岸さんと先ずはお友達になろうかね」

 

 腕組みをして頷きながら、順平は今後の学校生活における指針を作る。

 もっとも近付けないのは委員長こと真田美紀であり、次点で他人に興味のない吉野千鳥だ。

 サバサバした性格というのは、本人が割とあっさりした人付き合いをしているとも取れるので、岳羽ゆかりに関しては保留だが、他の者が認める安全牌が存在するのなら順平もそれを選択する。

 別に彼女を作ろうという訳ではない。単に親しい異性の友人を作り、その先で当人かその友人とほろ甘いことがあれば、と淡い希望を持っているだけだ。

 故に順平は自ら危険を冒そうとはしない。虎穴に入らなければ虎児を得ることが出来ないのなら、高架下の野良猫で十分なのである。

 胃袋が満たされ、精神的にもリラックスした状態で順平はそのように考えをまとめる。そして、そろそろ会計かと財布を取り出しかけたとき、友近から更なる情報が齎された。

 

「あ、けど、山岸さんも有里の庇護下にあるからな。さっきの四人に有里を加えた五人と、佐久間先生が顧問で美術工芸部って部活やってるんだ。部員メンバーとお近づきになりたくて入部希望も多いらしいけど、部員を募集してないから誰も入れないって状態でな」

「因みに、その有里は入学からテストで満点以外取った事ないし。ボクシング部エースの真田先輩を一方的に負かした化け物だ。その庇護下の女子に下心を持って近付くなら、ちゃんと医療保険に加入してからをオススメするぞ」

「……は?」

 

 新たな情報を聞いた途端、順平はポカンと口を開けて呆けてしまう。

 先ほどから思っていたことだが、学園の話をしていると最終的に『有里』という存在が壁となり阻んでくる。

 美紀についてはボクシング部エースの兄がネックだと思っていたと言うのに、さらに大魔王のようなラスボス的存在が後ろに控えていると誰が思うだろうか。

 耐えきれなくなった順平は、ワナワナと身体を震わせると、テーブルに手をバンッとついて抗議した。

 

「おいおいおい、なんだよそりゃ! 君らのいう美人教師は有里君にベッタリで? おまけに美味しい想いもしてるっていうのに、他にも学園の見目麗しい女子を何人も囲ってハーレム作ってるってことですかぁ?! おかしいだろ! いつから日本は重婚が認められるようになったんだよ!」

 

 言っていることは意味不明だが、絶対に認められない、そんな強い抗う意思を瞳に宿して順平は叫ぶ。

 自分はただ青春を謳歌したいだけだ。それをたった一人の、まだ姿も知らない男子なんぞに阻まれる訳にはいかない。

 相手は文武両道でファンクラブまで存在する完璧超人だが、涙を流し倒れていった男子(なかま)たちのためにも、他所者であった自分は断固として屈さず、革命を起こして見せる。

 順平はそんな決意を胸に、この地で出会った新たな友たちに宣言した。

 

「決めたぜ、オレはその有里ってやつの王国をぶっ潰す。何がプリンスだ。日本の侍なめんな。オレが革命を起こして、皆が青春を謳歌できるようにしてみせるぜ!」

『い、伊織……』

 

 全て自分に任せろ。そう言って強い瞳で笑いかけてくる順平の姿に、諦めていた男子たちの胸にも希望が灯った。

 今日初めて会ったばかりだが、自分たちは出来なかった事をこの男ならやってくれるのではないか。

 そんな期待を持った男子は、感動で目に涙を滲ませながら、少しでも勇敢なる革命家の力になろうと携帯を取り出した。

 

「伊織、コイツがその有里ってやつだ。去年の文化祭の写真だから仮装してるけど、この顔をよく覚えておいてくれ」

「お、サンキュ。やっぱ、顔が分かってないと戦えないからな。どれどれ……」

 

 斜め向かいの男子が向けてきた携帯の画面を、順平は身を乗り出して眺める。

 文化祭の仮装とやらも気になるが、ファンクラブの会員だった女子が美人と評した相手の顔には授業中から興味を抱いていた。

 これでどこぞの歌劇団の男役になれそうなルックスならば、目の敵にしようと思っていた手前、非常にやりにくいのだが、順平の目に飛び込んできた相手の姿は予想の斜め上をいっていた。

 

「……あらやだ、すっごい美人。てか、佐久間先生も猫耳つけてコスプレしてんじゃん」

 

 そう、順平が目にしたのは、猫耳をつけてナース服を着た佐久間に抱きつかれた、女性物の水色の着物を身に付け紅まで引いた湊の姿だった。

 さらに隣には黒づくめの魔女の恰好をしたチドリに、涙目で蹲っているゆかりと、そのゆかりを宥めているらしい美紀と風花も制服姿で写っている。

 

「ああ、去年は出し物でお化け屋敷をしたんだよ。ほとんど裏方にまわったけど、有里を使わないと勿体ないからって、女子らの提案で雪女役になったんだ。すごいだろ? アイツ、自分だけでそれ着られるんだぜ。着物だと胸がない分には体型もあんまり関係ないし、事情を知らない父兄にも大人気だ」

「校内販売の写真もかなり売れたしな。一学年で三百枚くらいあるんだけど、ウチのクラスだけで一四〇枚あったんだぜ? 男連中の売り上げに関しては、先生の猫娘と有里の雪女の一騎打ちだったな。吉野さんの魔女はその次って感じでさ」

「えー、なにそれ。オマエら、言ってた割に有里君のこと大好きっぽいじゃん」

『まぁ、写真の中では幻想のままでいられるし』

 

 真顔で声を揃えた三人の言葉に、順平は思わず座ったままこけそうになってしまった。

 確かに、髪が肩よりも長く着物で体型が隠れているため、その『美人』と評するのが最も相応しく思える外見から判断する限り、写真の中においては相手を幻の女生徒にしておく事が出来る。

 その美しさたるや、思春期男子の感性をモロに直撃してくる、佐久間の怪しい店のサービスのようなコスプレと売り上げで競ったのも頷けるほどだ。

 だが、どれだけ写真の中に幻想が残っていても、現実の湊は脱げば腹筋が割れているれっきとした男である。

 その事実から目を逸らし、まやかしに取り憑かれたままで良いのか。

 そう思った順平は、姿勢を正し、真剣な眼差しを他の者に向けると口を開いた。

 

「その写真のデータ貰っていい?」

『え? あ、どうぞ』

 

 直前までの闘志の籠った瞳はどうしたんだと聞きたくなるほど、順平はスケベ心丸出しの顔で写真のデータを欲しがったため、他の男子は呆気に囚われ素直に頷いてしまった。

 

「ほっほう……」

 

 赤外線でデータを送って貰うなり、顎に手を当てて鼻の下を伸ばしながら仮装した佐久間と湊の写真を眺めている。

 そんな自称・日本の侍の姿に、他の男子たちは「ああ、こいつも馬鹿か」と妙なシンパシーを感じてしまい。革命の失敗を確信した。

 だが、多数の女子に想われていることに嫉妬こそすれども、別にこれといって実害を被っている訳ではないので、友近たちも革命の成功は大して気にしていないのだった。

 

 

 


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