【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二章 -Memento Mori-
第五十五話 出立


影時間――真田私室

 

「なん、だ……これは?」

 

 世界が緑色に塗り潰された非日常で、偶然にも目を覚ました真田。

 枕元に置かれた目覚まし時計は、深夜零時丁度で止まっている。つい最近に電池を交換したばかりだというのに、長針どころか秒針も全く動いていない。

 三月の終わりと言えど、まだ夜は冬の寒さを感じるはずだが、どこか生ぬるい空気にじんわりと嫌な汗を掻き、真田は必死に状況を理解しようとベッドから起き出し、窓の外を見た。

 

「っ、あれは学校の方角か?」

 

 窓の外、自身の通う月光館学園のある方角に、途轍もなく巨大な異形の塔がそびえ立っていた。

 昨日まではあんな物はなく。寝る前に眺めた夜景だって、今のように周囲を見渡す事の出来る明るさでなかったことは確認している。

 しかし、いま外を見ると、妙に大きな月が街を照らし、薄暗くはあるが灯りを必要としないだけの明るさを保っていた。

 

「……クソッ、トレーニングのし過ぎか? こんな光景あり得る筈がない。悪い夢でも見ているんだ」

 

 明るさはあるというのに、不思議と街には人どころか生き物の気配が感じられなかった。

 そうして、これは激しいトレーニングのせいで、変な夢を見てしまっているのだと決めつけ、真田はベッドに戻ると再び寝なおしたのだった。

 

 

2006年3月19日(日)

朝――国際空港ロビー

 

 湊が海外へと出発する日の朝。空港のロビーには部活メンバー・佐久間・桜・渡瀬が見送りでやってきていた。

 部活メンバーや佐久間が来ないのなら、五代やロゼッタも湊とイリスが海外へ向かうため挨拶しようと思っていたが、流石に裏の仕事をしている人間が一般人と顔を合わせるのはあまりよくないだろうと、今回は事前の挨拶のみで見送りにはこなかった。

 また、ベルベットルームの住人は、マーガレットが依頼としてアンティークなタロットカードや懐中時計、ミュージックボックスなどを海外で見つけて持ってくるように言ってきており。エリザベスとテオドアは何か面白い物があればお土産に欲しい程度に留めている。

 そうして、見送りにきたメンバー以外からも様々な言葉を受け取り、偽造パスポートによる搭乗手続きを終えた二人が、チドリらの前に戻ってきた。

 

「てか、五ヶ国語以上話せるのに海外留学ってあんまり意味ないって先生思うなー」

 

 戻ってきた湊に向かって、やや拗ねたように佐久間が声をかける。どうやら湊と一年間会えないことが不満らしい。

 だが、英語だけでなく、中国語・フランス語・ロシア語・ヒンディー語・ドイツ語・アラビア語など、世界で使われている主要言語をいくつも習って、筆記は不完全だが日常会話程度なら出来るようになっている相手が、わざわざ海外で何を学んでくるのだろうかと疑問を持っても不思議ではない。

 湊が海外にゆく本当の理由を知っている桜は複雑そうな顔をしているが、チドリ以外の何も知らない部活メンバーは、佐久間の態度に苦笑しながら似たような事を思っていた。

 それに対し、普段通りアンニュイな表情で佐久間を見ていた湊は、心底面倒そうにしながら口を開いた。

 

「……逆だ。海外に行くために色んな言葉を覚えたんだ。キャラバン隊と一緒に色んな場所を回る以上、はぐれたときに頼れるのは自分の能力だけだからな。主要言語は覚えておいて損はない」

 

 キャラバン隊と一緒に回るというのは、湊が学校に伝えた海外留学の内容だ。

 一つの国にいるのではなく、イリスが所属しているキャラバン隊と共に、慈善活動をして世界を回る。

 もっとも、そんな物はまったくの嘘で、別の国に行くにも複数用意した偽造パスポートを利用してゆくのだが、これを教師経由で聞いた美鶴は、湊を仲間に誘えなくなるために残念に思いながらも、湊は貧困で苦しむ世界の人々を憂うことの出来る心優しい少年なのだと感動したりしていた。

 

「お土産欲しいなー。バイトしてるしお金いっぱい持ってるよね? 外国にしか売ってないブランド物とかを所望するのです。靴とかお財布とかバッグとか……ね?」

「……他のやつらは? 時間があれば見つけて買っておく」

 

 非常に珍しいことに湊は佐久間の要望を断らなかった。これには朝早くで眠そうにしていたチドリも驚きで目を大きく開いている。

 そして、本当に良いのかと確かめるように、ゆかりが湊に尋ねた。

 

「え、本当に先生にブランド物買ってあげるの? 先生って一応私らより一回り大人で、しっかり働いてるんだよ?」

「ちょとー、岳羽さんも最近言葉がキツイよー?」

「毎年、正月のお年玉で保護者と従業員たちから、総額で二百万以上貰ってる。別に土産としてブランド物を一つずつ買ってくるくらいなら問題ない」

「そ、そうなんだ」

 

 湊の発言の真偽を問うようにチドリの方へ向くと、チドリはしっかりと頷いて返した。

 これには、母親の実家が金持ちで、自身も富裕層であるはずのゆかりも口元を引き攣らせている。

 だが、話しを聞いていた美紀や風花は、いくら湊が金を持っていたとしても、流石に友人にそこまで高額な物をお土産として頼む事は出来ないと遠慮していた。

 そうして、ちょっとした小物や、珍しい御香などそういった物で良いとリクエストを聞き終えると、湊は時間を確認して搭乗口へとそろそろ向かおうと思った。

 

「……それじゃあ、そろそろ時間だから行ってくる。死んだ知らせがない限りは生きてるだろうから、便りがなくても気にしなくていい」

「馬鹿、出発前に見送りの人間が不安に思うようなこと言うな」

 

 海外の危険な場所へとわざわざ行くことが分かっているため、桜たちは心配しているというのに、湊が少々不謹慎なことを言ったためイリスが頭を軽く叩く。

 湊が叱られて大人に頭を叩かれている場面など、一度として見たことがなかった部活メンバーは驚いているが、出発時間が迫っているため、イリスは桜へ安心させる言葉をかけた。

 

「まぁ、アタシもしっかり注意して見張っておくし。こいつが連絡してなくても桜には定期的に連絡入れるから大丈夫だ」

「はい。みーくんのことよろしくお願いしますね。イリスさんもお気を付けて」

 

 深々と頭を下げる桜に笑って返すと、旅立つ二人は手荷物を持ってゲートへと向かって歩き出す。

 どこか拗ねたようなチドリ、湊と会えなくなることを寂しそうにしている佐久間、手を振っている部活メンバーらに見送られ、湊はイリスと共に飛行機に乗って日本を立ったのだった。

 

午後――ラナフ・コベ国際空港

 

 飛行機に乗ること数時間。湊とイリスは中東の小国ラナフのコベという都市の空港に到着していた。

 まだ預けた荷物を受け取る前だと言うのに、日本と違い空港内には武装した軍人らがうろついている。

 それだけで、ここが日本とどれだけ違った治安の国なのか理解させられ、冷めきった普段通りの表情で周囲を眺めていた湊にイリスが声をかけた。

 

「もう日本とは別世界だからな、変な行動はとるなよ。この国の軍じゃ、威嚇射撃で腹を撃ち抜いてきたりする。空港はスリが多くて面倒だが、そういうときは相手を一撃で無力化して地面に転がして、周囲の軍人を大きな声で呼んだ方が早く済むから、関節を決めて捕縛なんてするなよ」

 

 威嚇で、何故、致命傷を狙いにくるのか分からない。そう言いたげに湊はイリスを見るが、イリスは「そういう国なんだ」としか答えなかった。

 日本の警官がそんな事をすれば、すぐに本人に処分が下るだろう。それを考えれば、本当に文化の異なる土地に来たのだなと実感が湧いてきた。

 楽しい旅行などとは思っていないが、未知のことに触れるというのは、学者型である湊には実に好奇心をくすぐられる望むべき事である。

 小豆色のパスポートを取り出し、湊はペルソナの探知を使って周囲にどんな物があるのか探りながら、イリスと共に入国手続きの列に並び自分の順番が来るのを待った。

 そうして、イリスが無事に通過して湊の番が来ると、入管チェックをしている小太りの女性が英語で話しかけてきた。

 

「こんにちは、黎紅龍(リー・ホンロン)さんですね。今回はご旅行ですか?」

「ええ、こっちで仕事をしている知り合いがいるので、その人に会いに来たついでに」

「そうですか。審査は問題ありません。それでは、良い旅を」

 

 好青年の爽やかな仮面を被って受け答えした湊に、女性は言いながら旅券とパスポートを返してきた。

 日本で五代の知り合いに作らせた偽造パスポートだったが、本当に使える物なのだなと密かに感心しながらイリスに合流する。

 今回は中国のパスポートを利用したが、他にも四つほど別の国のパスポートをそれぞれ違う名義で作ってもらい持って来ている。

 全て武器などと同じようにマフラーに入れているため、見つかる心配はまずなく、イリスも今回の旅はパスポートや武器を入手し直す必要がなくて楽だと喜んでいた。

 湊のようなイレギュラーを除けば、預ける荷物であっても一般客で武器を飛行機に持ちこむ事はできない。

 そのため、イリスは過去の渡航時には、ほぼ全てを現地についてから入手しなおし、その度に数十万の出費に悩んでいたらしい。

 

「さて、荷物を受け取ったらロビーでアタシの知り合いと落ち合うことになってる。仕事中と普段で性格が変わるが、基本的に信用出来る相手だ。ただし、民間軍事会社のボスだからね。部下たちが一緒にいるだろうから、色々と気を付けた方が良いぞ」

 

 二人は初めの二ヶ月の間、湊を海外での仕事に慣れさせるため、イリスの知り合いの元で世話になりつつ仕事や環境に馴染めるようにしてゆく。

 それが終われば、順次、別の地域に移って本格的に流れの仕事屋として活動を始める予定だ。

 

「……どんなやつだ?」

「プライベートじゃなきゃ、鬼軍曹ってのが一番しっくりくる言葉だな。アタシがこの世界に入るときに世話になった相手でさ。厳しさの中に優しさがあって、色んな人間に慕われてるよ」

 

 笑いながらそう話すイリスの顔が、どこか楽しそうだと湊の眼には映った。

 イリスの恩人で鬼軍曹というからには、厳つい老兵か、ゴリラのような筋肉の鎧を服で覆った大男だろう。

 預けてきたボストンバッグがベルトコンベアで流れてきたのを受け取り、湊は相手が一体どんな人間だろうかと想像を巡らしながら、ロビーへと続くゲートをイリスと共に出た。

 

「やっと出てきたか。遅かったわね。随分と待ったわよ」

 

 出て直ぐに声をかけられ、湊はそちらに視線を向ける。

 すると、そこには禁煙の表示を無視して煙草を吸っていた、ワインレッドのレディーススーツを着た白人の女性が腕組みをして呆れ顔で立っていた。

 年の頃は四十代半ば、グレーの瞳にウェーブの掛かった腰まで伸びた金髪から推測するに、相手は明らかに中東の生まれではない。

 後ろに屈強そうな軍服を着た大男を二人侍らせた、そんな得体の知れない相手へ、イリスが苦笑しながら言葉を返す。

 

「悪い、悪い。入管で詰まってるヤツがいて順番が中々こなかったんだ」

「そんなトロい豚は、蹴り飛ばして後回しにすれば良いでしょう。時間は有限なの。こっちも暇じゃないのだから、着陸した時点で連絡を入れるなりして頂戴」

「はいはい。ほら、小狼。彼女がさっき話してた相手だよ」

 

 ジッと黙って相手を観察していた湊の背後に回り、イリスは両肩に手を置いて湊を女性の前に押し出す。

 押されたときに肩甲骨辺りまで伸びてきた髪が揺れ、その揺れた髪に相手の視線が向いたのを湊は見逃さなかった。

 案の定、挨拶よりも前に、女性はやや不可解そうな顔で、イリスに対して口を開く。

 

「……この子は、男で良いのかしら? 体格的には男みたいだけど」

「ああ、正真正銘コイツは男だよ。美人なせいで分かりづらい顔だろ? 小さい頃はもっと髪が長くて女っぽかったから、これでもマシになったくらいだ」

「難儀なものね。というか、こだわりがないなら髪くらい切りなさい。ただでさえ、日本人(イポンスキー)は年齢が分かりづらいのだから、性別まで判断がつかないと面倒だわ。髪なんて長くても動き辛いだけでしょうに」

 

 女性はそういうと、後ろに控えていた男に携帯灰皿を出させて煙草の火を消した。

 自己紹介の前に、こんなにも初対面の相手に駄目出しをされると思っていなかった湊はしばし考える。

 湊は自分の見た目に無頓着だ。髪を伸ばしているのは、単に切るのが面倒なのと、切らなくても問題ないためであり、これと言ってこだわりがあるわけではない。

 ただし、英恵から受け取った短弓の弦に使われている髪の毛が、自分の髪質に似ていたので、予備の弦を用意するという理由が最近になって生まれたが、湊にとっては些末事であるため、チドリや桜などごく近い人物にしかそれは話していない。

 そして、性別の分かりづらい顔に関して言えば、百鬼と九頭龍という容姿の優れた一族の血が濃く出た結果、誰が見ても美人という評価を受ける顔で生まれただけだ。

 今の湊は、二次性徴を迎えて身長も一六〇センチを超え、身体も絞り込まれてがっしりとしている。

 けれど、歳不相応な陰の差した顔は、成長した事でさらに美しさに磨きが掛かり、恰好良いよりも、“美人”や“綺麗”という表現がしっくりくる。

 男女どちらか分かりづらい中性的な顔立ちにより、性別はどっちだと言われる事は両親が生きているときからあったので、慣れていることもあって大して気にはしていない。

 だが、挨拶もせずにというのは、いささか失礼ではないか。

 そう思った湊は、礼儀の欠けた人間には同じレベルで接して、己の行いを自覚させようと決めた。

 

「……イリス、このおばさんは?」

「お、おい、オマエっ」

 

 女性をおばさんと言った瞬間、イリスと女性の後ろに控えていた男たちが焦った顔をした。

 これ以上、そんな口を聞いてはいけないと湊を止めようとしたが、それは女性が鋭い視線を三者に送ったことで止められる。

 視線で射抜かれた者らが動けずにいると、女性は冷笑を浮かべ、湊に向かって口を開いた。

 

「あらあら、初対面の女性を“おばさん”呼ばわりとは、随分と躾けがなっていないのね。ボウヤ、良い事を教えてあげるわ。例え相手が小汚い物乞いでも、それが女性なら紳士的に接するのがマナーよ」

「そうか。なら、俺も良い事を教えてやる。俺があんたをおばさんと言ったとき、この場にいる人間以外に数ヶ所で不自然な動きをしたやつがいた。柱にもたれて電話している男、二階のカフェで談笑しているカップル、そして、建物を出てすぐの入り口に立っている警備の軍人だ」

 

 湊がそれを口にしたとき、動けなかった三人と指摘された者らは驚愕し、女性は少し驚いたように目を開けたが、すぐに面白い物を見つけたように目を細めて笑みを浮かべた。

 相手がそんな反応を見せても、湊はさらに言葉を続けてゆく。

 

「一般人が拳銃だけじゃなく、キーケースや髪留めに偽装した小型ナイフまで携帯しているなんて不自然だ。それに、あの男の持っている携帯電話もこっちに売ってる機種じゃない。世界中で使える衛星電話なんて、貧困層の多い中東の一般人が使っている訳ないだろう。軍事会社で戦闘訓練はしていても、変装のノウハウはほとんど教えていないようだな」

「ハラショー。この距離でこちらの兵を全て見抜くなんて、ボウヤは千里眼でも持っているのかしら? そして、実に素晴らしい観察眼よ。先ほどの非礼を詫びさせて頂戴」

 

 実に愉快だと笑い、女性は拍手をして湊を褒め称えて、すぐに謝罪と共に挨拶として握手を求めてきた。

 ここで断れば、イリスの面子を潰す事になってしまう。それは可哀想かと、やや面倒臭そうにしながら湊は握手に応じた。

 湊の手をしっかりと握った女性は、凛々しさを含んだ綺麗な微笑で、湊に自らの素性を告げる。

 

「私は民間軍事会社『蠍の心臓(コル・スコルピイ)』の社長をしている、ナターリア・イリーニチナ・メドヴェージェヴァ。名前で分かると思うけど、ロシア人よ。少し発音がしづらいと思うから、ナタリアでもナターシャでも好きに呼んで貰って構わないわ」

「……イリス」

「ん? ああ、小狼の方で良い。そっちの方がナタリアも呼びやすいだろうからな」

 

 相手から自己紹介を受けても、湊は今の本名で名乗るべきか、それとも仕事の名前で名乗るべきか考えてしまう。

 依頼人が相手なら、それは仕事中なので小狼で構わない。だが、いまは修行のために外国へきたため、プライベートとも仕事とも言い切れない状態だ。

 そうして、悩んだ末にイリスに尋ねると、イリスは苦笑して湊の頭を撫でつつ答えた。

 子どもらしくないところも多いが、こんな風に判断に困ったときに頼って貰えると、どことなく息子と母親のような気分になって嬉しい。

 イリスはそんな事を心の中で思いながら、湊にしっかり挨拶するよう促した。

 

「……仮面舞踏会(バル・マスケ)の小狼」

「貴方の名前はこっちにも届いているわ。極東の島国に、ここ数年で名前の売れてきている仕事屋がいるってね。まぁ、イリスに聞くまでは半信半疑だったのだけど、本当にまだ子どもなのね。あの武神とやりあって生き残るとは、恐れ入ったわ」

 

 話している間に、先ほどまで一般人などに変装していた者らが、ナタリアの後ろに控えるように集まってきた。

 しかし、相手は会釈などもしてこないので、湊はナタリアの言葉で気になった部分について聞き返す。

 

「武神って渡瀬さん?」

「それが、ノブアキ・ワタセのことなら違うわ。現役時代の彼には敵として私も悩まされたけど、武神は彼と同門の人間、ミロク・センドウという名前の赤髪の巨漢よ」

 

 言われて、湊はかつて地下駐車場で戦った敵のことを思い出した。

 目を覚ましてから、イリスから仙道弥勒という敵の名前を聞き。渡瀬からは同じ師から武術を習い、自身の左目の傷を付けた相手だと教えてもらった。

 仙道との戦闘中のことは、相手の拳に頭突きを喰らわせ、拳を破壊したとこまでしか覚えていないが、イリスと力の管理者らの話しによれば、どちらかが死ぬという決着がつく寸前まで無意識状態で戦っていたという。

 さらに、自分の中にその存在は確認できないが、力の管理者との戦いでは、湊は『世界』のアルカナの蛇神のペルソナを呼び出したと聞いた。

 無意識状態で戦えたこと、存在を感知できない蛇神のペルソナ、夢の中で会った母親や茜色の髪の女など、あの日のことは不可解な事が多い。

 自分が海外へ修行に出たのは仙道に敵わなかったことが理由だが、それでも、ほとんど記憶の無い戦いで生き残ったことを褒められても、湊はなんの感情も湧いては来なかった。

 

「……どうでもいい。戦った記憶は残ってない。だから、感心されても反応出来ない」

「そうなの? まぁ、生き残るのに無我夢中だったということかしら。いいわ。それじゃあ、ここで話しているのもなんだから移動しましょう。貴方たちとチャドとヤンは私と同じ車で、あとは皆、ラースの方に乗って頂戴」

 

 ナタリアの言葉で彼女の私兵は全員が頷いて建物の外へと歩き出す。

 その際、最初に彼女の後ろに控えていた大男らが、ナタリアだけでなく湊とイリスも庇うように歩いていることで、湊は自分が客として扱われていることを知った。

 外に出て、乾いた少し砂っぽい空気と強い日差しの中を歩くと、大きなワゴン車が二台停まっており。

 カフェにいたカップル、電話していた男、自分らを庇って歩いていた大男の一人が、運転席に一人座っていた前の車に乗り込む。

 続けて、軍人の恰好をした男が助手席に女子が乗っていた後ろの車の運転席に乗り込み、残った黒人の大男が後部座席のドアを開けてくれたので、湊たちはイリスとナタリアが二列目に、湊が一人で三列目に乗り込み、最後に大男が乗り込みドアを閉めて一番後ろの四列目の席へと座った。

 

「いいわ、出して頂戴。第二演習場へ向かうから、ラースにもそう伝えて」

「了解です。ラースさん、第二演習場です」

《えー、先にメシに行くと思ってたんだけど、それってボスの命令?》

「はい、昼は終わってからですね」

《はぁ……了解。メシのためにアクセル全開で行くんで、そっちも遅れないように》

 

 湊らの乗った車の運転手が無線で通信すると、前の車の運転手と思われる少ししゃがれた男の声が聞こえてきた。

 いまの時刻は現地時間で昼を過ぎた頃。確かに昼時には丁度良い時間だが、ボスにも聞こえている通信で、明らかにやる気をなくした調子で答えて良いのだろうか。

 そんな風に湊が考えている間に車は発進し、イリスとナタリアが何やら雑談を始めたので、暇な湊は外を眺めつつ目的地に着くのを待つことにした。

 そうして、車が発進して空港から離れ、窓の外が草木の無い荒野がしばらく続くようになると、外を眺めている湊の肩を後ろから叩く者がいた。

 後ろには一人しかいないので、必然的に大男が呼んでいることになるが、一体何の用だと振り返ってみると、男がニコニコと笑顔を浮かべてカラフルなチョコマーブルの入った筒状の容器をさし出していた。

 

「小狼君は甘い物は好きかな?」

「……普通」

「そっか。僕の名前はチャド。それで、良かったら食べるかい?」

 

 見た目は身体が大きい事もあって威圧感もあり厳ついが、浮かべている笑顔は自然なもので、このチャドという人物は子ども好きで優しい男なのだろう。

 あとどれくらいで目的地に着くのか分からず、特にやることもなかった湊は、頷いて容器を相手の手から受け取ると、蓋を開けて一気に中身を口の中へ流し込んだ。

 ジャラジャラと音がしたことで、前に座っていたイリスとナタリアが振り返り、口を少々膨らませてチョコレートを咀嚼している湊の様子に苦笑している。

 そして、空になった容器をチャドに渡すと、チャドも湊の少しばかり子どもっぽい姿にさらに優しい笑顔を向けていた。

 後部座席の者らが、そのように和やかな空気で包まれた頃、今まで一言も話していなかった黒いキャップ帽を被った助手席の少女が振り返って口を開いた。

 

「チャドさん、あたしにも頂戴」

「あ、ゴメン。小狼君にあげたので最後だったんだ」

「なら、日本人(ハポン)、チャドさんに貰ったのあたしに寄越しなさ……あなた、本当に日本人なの?」

 

 言いかけた途中でウェーブのかかったアッシュブロンドに碧眼の少女は、湊の見た目に気付き、自身の知っている日本人の特徴と一致しないため、訝しむ様に目を細めた。

 それも当然で、湊の瞳は金色をしている。暗い場所でなら琥珀色のようにも見えるのだが、明るい場所では、外国人にいる淡褐色のゴールドなどではなく、純金のような惹かれる輝きを持った美しい黄金色なのだ。

 これは世界的に見ても極めて珍しい色であり、学校で定期的に行われる眼科検診では、検診にやってきた医者が、視力や色覚に異常がないかと、他の生徒が待っているのも構わず尋ね続けたほどである。

 そして、湊は髪の色もやや青みがかっており、それも黒髪という日本人の特徴からやや外れている。

 本人は未だに百鬼の家のことについて知らないが、湊の出自を知っている者なら、そもそも百鬼は異国の血を取り入れているため、純粋な日本人ではないからと納得できる。

 しかし、この場でそれを理解しているのはイリスだけだ。そのイリスも、自分が人殺しの一族の末裔だと湊が知らず済むのなら、その方が良いと思っているので、本人がいる場で話す気はなかった。

 そうして、怪しい物を観察するように少女が自身を見続けてきたことで、湊はただ面倒そうに素っ気なく返した。

 

「チョコレートは全部食べた。もう残ってない」

「はぁ!? なんで残しておかないのよ! てか、男のくせに甘い物なんか食べてんじゃないわよ!」

「……静かにしろ。おばさんも呆れた顔をしてるぞ」

 

 訳の分からない事を言ってくる少女に湊がその言葉を発した瞬間、車内の空気が凍てついた。

 騒いでいた少女も引き攣った表情のまま固まり、ゆっくりと前を向くように自分の席に座り直す。

 これでようやく静かになったか。そう思いながら湊が窓の外へ視線を送ったとき、咄嗟に殺気を感じて頭を下げた。

 すると、湊の頭があった場所を高速の何かが通り、ワインレッドの軌跡をその場に残していた。

 追撃がない事を確認しながら、後部座席へ移動する通路部分に退避していた湊は、車外への脱出を頭の片隅に置きながら、自分に裏拳を放ってきたナタリアへ言葉をかける。

 

「イリスだって親子ほどに歳が離れているのに、それより年上の人間をおばさんと呼んでも何もおかしくないだろう」

「ああ、確かに何もおかしくはない。だが、私はそう呼ぶなと言ったはず。ここでは私が規律であり法だ。次にまた不用意な発言をすれば、しっかり私の言葉が聞こえるようお前の頭部に耳の穴を増やしてやる。覚えておけ」

「俺はおばさんの部下じゃない。組織として同盟にもなっていない。そんな一方的な命令を聞く義理も義務も初めからない」

 

 運転席の男と助手席の少女は、バックミラー越しに二人の様子を恐々眺め、イリスとチャドは湊にもう止めとけと言いたそうに動けないでいる。

 だが、口調を作戦行動中の物に変えた、ナタリアの鋭い氷の視線で射抜かれて尚、湊は動じた様子もなくはっきりと言い返した。

 こうなることは、飛行場のロビーでのやり取りでおおよそ予想出来ていたため、ナタリアは嘆息して静かに呟く。

 

「……小さくとも狼か、犬と違って躾けは面倒だな」

 

 元からの性格か、親代わりの躾けの賜物か、実に胆が据わっていて、その度胸に関しては自分の部下らに見習わせたいと思えた。

 だが、組織のトップとしてただ子どもに舐められたままではいられない。故に、お互いに納得のいく方法での解決案を提示する。

 

「ならば、私と賭けをしろ。私が勝てば今後私の命令には逆らうな。お前が勝てば好きに私を呼んでいい。さらに、こちらのメンバーで最初にリタイアした人間に昼食を奢らせよう」

「内容は?」

「私の私兵とお前とで模擬戦をして貰う。使うのはペイント弾だが、当たれば痛いぞ。まぁ、今の内に謝罪するのなら、呼び名の訂正のみで許してやるが」

「……やる。ただ、好きに呼んで良いって言ったからには、例えどんな呼び方をしようと怒るのはなしだ。怒らないとは言ってないなんて屁理屈でしかないからな」

 

 ここに来ても条件を自分からも出してくる。どこまでもコントロールの利かない相手だ。

 そう思いながら、ナタリアは頷いて口調を普段の物に戻しつつ、一応、最低限の釘をさしておく。

 

「まぁ、流石にこっちの負けはないと思うけど。万が一にも勝った場合、TPOは弁えなさいよ。滞在する二ヶ月の間、こっちが仕事の話をしているときに雌豚だのアバズレだの呼んできたら、イリスに責任取らせるから」

「ハァっ!? おい、アタシは別に小狼の保護者じゃないぞ!」

「大丈夫、あなた達はよく似ているわ。その子の生意気な目、拾ってあげたばかりの頃の貴女にそっくりよ。まぁ、実力も似ているのなら、勝ち目なんてないでしょうけど。結果が今から楽しみだわ」

 

 湊の実力を下に見ている訳ではなく、自分の部下の実力を信頼しているからこその自信で、ナタリアは不敵な笑みを浮かべて到着のときを待った。

 湊が席に戻り、車が目的地に着くまでの間、誰一人として口を開こうとはせず、一同を乗せた車はただ静かに荒野の中央を走る道路を進み続けた。

 

 


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