【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第五十四話 それぞれの備え

11月27日(日)

影時間――タルタロス・エントランス

 

 湊が時任亜夜と出会い、彼女の湊に対する呼び名が“弟くん”であったため、学校では少しばかり騒ぎとなった。

 二人は全く似ていないが、実は生き別れの姉弟なのか。それとも、彼女は湊の知り合いで、昔から実の弟のように可愛がっていたのか、などと様々な憶測がなされた。

 もっとも、湊本人は周囲を拒絶する空気を纏っていたため、直接その理由を尋ねに来る者はいなかったが、弓道をやっているのか尋ねようとしたときに逃げられたゆかりが、腹いせのように「この、シスコン番長」と小さく呟き、佐久間に続いて二人目のアイアンクローの犠牲になったことも、新たなニュースとして話題になった。

 しかし、二週間もすればそんな話題は風化して、すぐに別のニュースに皆寄って行くようになる。

 そうして、元の平穏な学校生活が送れるようになった頃、湊は影時間のタルタロスに、ストレガの面々と会う約束をして集まっていた。

 

「ミナトー!」

 

 エントランスに入ってきた湊を見て、首に湊とお揃いのチョーカーを付けたマリアが喜色満面の笑みで駆け出し抱き付きに行く。

 身体はある程度大きくなっても、内面にまだ幼さが残るマリアは、今でも湊によく懐いていた。

 何年もそんな少女の相手をしていれば、湊の方の対応も慣れたもので、首に腕を回して抱き付いてきた相手の腰辺りに腕を回し、抱いたままスタスタと他の者の前まで移動する。

 

「早いな。近くにいたのか?」

「約束の時刻に遅れれば、貴方に何を言われるか分かりませんからね。影時間になってすぐに入れるようにしていたのですよ」

 

 本日も橙色のシャツの前を全開にしているタカヤが、楽しげに口元を歪めて答える。

 もう冬だというのに寒くないのか聞きたくなるが、夏にマフラーを巻いている人間が他人の服装について尋ねるのもおかしいかと、開きかけた口を噤んで他の者に視線を向けた。

 ここに集まっているのは、ストレガのメンバー全員だ。

 脱走から二ヵ月後に再会した、タカヤ・ジン・カズキ・マリア・メノウ・スミレの計六人。

 実際のところ、殺しの依頼などを受けているのは男子三人とサポートのメノウのみだが、マリアとスミレも影時間のシャドウとの戦闘は行っているため、仕事屋としてのストレガは男子とメノウのみ、ペルソナ使いのチームとしてのストレガは六人全員という形になっている。

 成長した彼らは、マリア以外は現在も制御剤を使用しているが、ペルソナ使いとしては非常に優秀で、それぞれに得意分野が異なっているため、探知能力持ちのメノウを指揮官に多数のシャドウを屠ってきた。

 相手が一体で広間のような地形で戦うことが出来るのなら、かなりギリギリではあるが、彼らだけで死神“刈り取る者”と戦うことも可能である。もっとも、倒すとなると話は変わり、いまのところ湊しか達成者はいない。

 

「ンで、俺らを呼ンでテメェは何をさせてェンだ?」

 

 厚めの白い上着にだぼついたカーゴパンツという服装のカズキが、刃長六十センチほどの片刃の片手剣で自分の肩を叩きながら尋ねてくる。

 湊は眞宵堂に来たマリアに口頭で伝え、タカヤには電話で用件を伝えていたのだが、二人ともそれを他の者に話していなかったようだ。

 マリアには雑談のように会う約束の時間を教えたつもりなので、それを他の者に伝えていなくとも構わないが、タカヤには依頼という名目で声をかけていた。

 だというのに、そういった情報が上手く回っていないのはどういうつもりだ、と抱き付いたままのマリアをあやしながら、湊はタカヤを睨んだ。

 

「……情報伝達の不備は違約金ものだぞ」

「どちらにせよ、ここで一度説明するつもりだったのでしょう? ならば、私が話すよりも、貴方の口から直接聞いた方が理解しやすいと思ったのですよ」

「事前情報の有無で理解度は変わってくる。金を貰うのなら、しっかりと自分の責任は果たせ」

 

 湊にそう言われても、タカヤはあまり反省するつもりがないのか、

 

「ええ、次回から気を付けます」

 

 と、薄い笑みを浮かべたまま答えた。

 普段の仕事の相手がこんな態度を取れば、即座に硬いブーツのつま先を腹部へ叩きこみ、相手を地べたに這い蹲らせているところだ。

 だが、影時間の発生には制限がある。故に、これ以上は言っても無駄と思考を切り替え、マリアに少し離れるように言って、湊はマフラーから大きなアタッシュケースを取り出した。

 取り出したアタッシュケースに皆の視線が注がれるも、湊はそれを気にせず、そのままジンに向かって放り投げる。

 

「ちょっ、おまっ!?」

 

 自身も小さな鞄を持っていたジンは、湊の突然の行動に焦った。

 投げて寄越されたアタッシュケースは、目視でおよそ幅四十センチ、高さ三十センチ、厚み十センチ程と予想する。

 中に何が入っているのか分からないが、見るからに頑丈そうで、影時間への適性が通常のペルソナ使いの倍以上の湊が投げれば、それだけで立派な威力を持った投擲武器に変化する。

 そんな物を受け損なえば大ダメージは必至だと、自分の持っていた鞄を泣く泣く地面に落とし、向かってきたアタッシュケースを両腕でしっかりと受け止めた。

 

「うごっ……くぅ、投げる前に何か言うてから投げろや! ケースの角が腹におもっくそ喰い込んだやないか!」

「よかったな。それが五千万の痛みだぞ」

「……は?」

 

 ぽかん、と口を開けてジンは暫し呆ける。

 湊の言っている意味が咄嗟に理解できず、それはジン以外の者も同様であり、楽しげにくすくすと笑っているタカヤを除いた全員が、ジンの手にあるアタッシュケースに視線を注いでいた。

 そして、しばらくしても腹部の痛みと湊の発言に固まっているジンに、事態を理解しようとしたメノウが声をかける。

 

「ジン、そのケース開けてみてよ」

「お? お、おお、わかったわ」

 

 声をかけられ再起動したジンは、ケースを床に置いて震える手で留め具を外してゆく。

 先ほどの湊の発言が本当ならば、中には札束が収められているはずだ。

 そう思いながら、ゆっくりと蓋を開けると、確かにケースの厚み半分ほどまで札束が敷き詰められ、動かないようベルトで固定されていた。

 大金を目にしたジンは思わず「おおっ」と呟き、このケースいっぱいならば一億円なのかと呑気に考える。

 しかし、他の者はジンよりも復帰が早いようで、マリアに再び纏わりつかれていた湊に質問をぶつけた、

 

「おい、ありゃ何の金だ? さっきの話を聞いてりゃ依頼みてェだが、あンな報酬の依頼なンざ受けた事ねェぞ」

「ていうか、ミナト君こんな大金をどうやって……」

「自分で稼いだに決まってるだろ。一人殺すのに百万以上払うのが普通なんだ。報酬を俺とチドリで折半してるにしても、一年掛からずこれくらいは稼げる」

 

 その言葉に、メノウやジンは再び衝撃を受けた。チドリは仮面舞踏会としての仕事をしていないが、湊が稼いだ報酬を折半しているなら、実際は年間一億以上を稼いでいることになる。

 全てが報酬百万円という訳ではなく、また、人を殺す依頼ばかりではないだろうが、それでも年間にどれだけの人数を殺して金を得ているのだろうか、驚いた者たちは気になった。

 

「ミナト。お前、今年になってナンボほど殺しの依頼受けたんや?」

「今年になって……六十かそこらじゃないか? まぁ、学校に通うようになって受ける数も減っているし。今年は仕事を始めた頃並みに少ないくらいだが」

 

 なんて事はないように話す湊の言葉に、マリアは不思議そうに首をかしげ、タカヤとカズキは相手の秘められた異常性を楽しむように哂っている。

 この人間はそれが仕事ならば機械のように淡々と人を殺せる。冷静で、冷酷で、冷徹な、人の姿をした真性の化け物であると。

 湊の本来の性格を知る者が聞けば、それを否定するだろう。何せ、彼は殺す相手をしっかりと選んでいるのだから。

 そして、そこまで割り切ることの出来る人間ならば、死を理解し得られる魔眼など獲得しているはずがない。

 死を理解出来るということは、命がどのような物であるか、誰よりも深く理解せねばならないのだ。

 

「さて、依頼の内容だが、俺が海外に行ってる間、タルタロスでシャドウ狩りをして欲しいというものだ。とくに討伐数は決めないが、二週間に百体はこなして欲しい」

「えっとぉ、二週間に百体だから……ノルマは二千六百体以上ってことかなぁ?」

「それぐらい簡単だろ? 満月付近ならフロアを変えつつ戦えば、一日で百体だって殺せるんだから」

 

 この中で最年少ながら、スミレは一年の週換算を容易くこなして、ハの字になっている眉根をさらに寄せて考えている。

 二千六百という数で聞けば膨大に思えるが、湊は年間で倍以上のシャドウを殺しているのだ。

 学校、裏の仕事、シャドウ狩りとハードなスケジュールをこなしながらでも、一人でそれだけ倒せているのだから、ストレガのメンバーなら自分同様、ノルマの倍以上を倒せるだろうと踏んでいた。

 

「まぁ、俺も影時間中だけ戻ったりも出来るが、面倒だからな。報酬分は働いて貰うぞ」

「ミナト、どこの国に行くの? マリアも一緒に行きたい」

「初めは中東のラナフ辺りに行く。地域紛争やら、過激派組織が派遣された大国の軍相手に活動しているから、治安も悪いし丁度良いんだ。だが、マリアをそういうところには連れて行きたくない。マリアはそんな場所じゃなく、こっちに居て俺の依頼した仕事を頑張ってくれ」

 

 幼い子どもに言い聞かせるよう、静かな口調で伝え、湊は抱き付いてきたマリアの頭を優しくポンポンと叩いた。

 頭に手を置かれたマリアは、気持ち良さそうに目を細めている。

 マリアは精神的に幼いままだが、頭は非常に良い。

 よって、湊について行きたい気持ちもあるが、湊のために頼まれたことを完遂した方が良いと理解して、嬉しそうに笑顔を見せるとしっかりと頷いた。

 マリアが依頼を受けると決めたからには、元々仕事をしていた年長組の四人と、カズキと同様に戦闘狂タイプのスミレが反対するはずがないので、話しは簡単にまとまった。

 話しが決まったその後は、久しぶりに集まったということで、カズキを筆頭に誰がシャドウを最も多く狩れるかという勝負を行い。

 湊は新しい武器に慣れようと短弓を使った事で、カズキとマリアに次いで三位という結果で、その日のシャドウ狩りを終えたのだった。

 

 

11月28日(月)

放課後――巌戸台

 

 最近になって、桐条で美鶴を中心としたペルソナ使いの組織編成が考えられていると、英恵経由で湊は情報を入手していた。

 そんな物を考えているということは、美鶴以外のペルソナ使いを既に見つけているか、または目覚める可能性がある者がいると言う事だろう。

 最近は回数が減ったが、以前あれほど美鶴が湊に対談を求めていたことから、桐条側に湊の適性の高さは既に知られており。同じようにチドリの適性の高さについてもばれているはず。

 候補として最上位に位置する二人以外に、まだ他にも桐条側だけが知っているペルソナ使いの候補者がいるのかは知らないが、相手の拠点となるであろう元ホテルらしい建物の近くに湊は来ていた。

 

(四階建てに加えて、屋上へも出られるのか。離れは男女に分かれた大浴場みたいだな。そして、ロビーの地下にも空間があるが、これは完全に物置きのようだし。特に何か手を加えていることもなさそうだ)

 

 道路を挟んだほぼ向かいにある喫茶店の中から、青い工事用の防護シートに覆われた建物の内部をペルソナの力で探ってゆく。

 家具の搬入は改装後にするつもりなのか、中には殆ど物がない状態だが、それでも色々と面白いことを知ることが出来た。

 風呂のある離れは単にタイルの張り直しなど、ただのリフォームだけをしているようだが、本館の方には窓や扉に細工がなされ、それらはどうやら水智恵の部屋の窓に似た機能を持っているらしい。

 つまり、一見普通の窓や扉に見えるが、実際は殴っても割れない様な強化ガラスであり、また機械などで遠隔ロックが可能ということだ。

 きっと、シャドウを相手にするため、もしも戦えないときに敵が来た場合には、ホテルに立て籠って安全を確保出来るようにするものなのだろう。

 一つ一つ施錠してロックせずとも、機械ならば“全てをロックする”とボタン一つで操作できる。

 ほぼ唯一と言っていいシャドウへ対抗できる者たちが住む場所なのだ。ならば、これくらいの補助機能は当然と言えた。

 

(まぁそれも、普通のシャドウが相手だったらの話だが。俺を含めた上位種のシャドウなら、思考制御で機械を動かす事は出来る。それもコンピュータのシステムを介さずに)

 

 そう、桐条側は知らないのだ。シャドウの中には機械類と融合したり、遠隔で動かして操る事も出来る個体が存在する事を。

 彼らに出来るのは機械を直接操作することで、ハッキングなどデータ系をいじる事は出来ない。

 しかし、鍵も使わずにエンジンをかけて車を動かすことや、スイッチを切り替えずに電灯を付ける事も出来るため、応用性は非常に高い。

 胸に納められたエールクロイツにより、そんなシャドウと同じことが出来る湊が相手ならば、桐条がやらせているコンピュータ制御はむしろコントロールを奪われる危険を高めていると言えた。

 

(無知はそれ自体が罪って言うのは本当だな。娘のためにとした事が、お前の娘や娘の仲間になってくれる者を危険に晒すんだ)

 

 コーヒーを飲み終えた湊は、肩にかかる髪を揺らしながら立ち上がり、バイトらしきレジの女性店員が頬を赤らめながら見てきていることも無視して、無表情のまま会計を済ませると店を出た。

 切り札を守るにしては思ったよりも大したことのない設備である。それが湊の下した評価だ。

 ほぼ同時期に改築中のホテル周辺の土地も買われているため、ペルソナ使いを集めると同時に、別の計画も考えられていそうではあるが、どちらにせよ湊を相手に出来る戦力を桐条側は有していない。

 適性の高さは、影時間に付与される力の量にも影響するため、日常の時間内で同じ重さの物を持ち上げられたとしても、影時間には適性の高い者の方が重い物を持てるのだ。

 シャドウが怯えて出て来なくなるため、高過ぎる適性をわざと抑えている湊には、三枚の黄昏の羽根の結合したペタル・デュ・クールを内蔵して力の上がっているチドリですら届いておらず。

 その抑えた適性の数値を目にして驚いていた桐条では、日常の時間内に総戦力を投入でもしない限り、絶対に勝つことは出来ないだろう。

 これならば、わざわざ調べるまでもなかったと、湊がその場を去ろうとしたとき、向かいの道路に一台の黒塗りの高級車が止まった。

 

(……あれは)

 

 運転席と助手席からスーツに身を包んだ屈強そうな男が出てきて、後部座席のドアを開くと精悍な顔つきをした隻眼の男が姿を現した。

 湊はその男を知っている。エルゴ研で目覚めてから今日(こんにち)まで一日だって忘れたことはない。

 世界のためという正義を掲げ、身寄りのない子どもたちを生け贄にした男。

 研究所には顔を出さず、自分の下した決断による結果を書面で知って、罪深い悪魔の所業だと理解した気になっている湊の最も許せないタイプの臆病な犯罪者だ。

 事が全て終わるまで手を出す気はなかった。だが、実際に目にしてしまうと感情が昂り、理性で自分を抑える事が出来ない。

 

「きり、じょう……武治っ」

 

 怒りによって瞳の色が蒼へと変わる。桐条の乗っていた車にも、桐条自身にも存在の綻びたる光の線が視えている。

 あとは、ただその光の線をなぞれば良い。それだけで相手を殺す事が出来るのだ。

 相手はSPに守られながら、防護シートの中から現れた作業着の男に案内され中へと消えていこうとしている。

 ここで逃がしてなるものか。

 色が変わるほど拳を握りしめていた湊が、相手へ迫るため車道へと飛び出そうと、ガードレールを越えかけたそのとき、

 

「あれ、弟くん。こんなところで偶然だね」

 

 不意に横からかけられた声によって、湊はハッとして正気を取り戻した。

 声をかけてきたのは、少し前に知り合いになったばかりの月光館学園中等部三年生の時任亜夜。

 相手はブラウンの落ち着いた色合いのセーターに、下は膝が隠れる丈のスカートとブーツいう私服姿で、手には食材の入ったスーパーの袋を持っていることから、家に一度帰ってから夕食の食材を買いに出た帰りらしい。

 そんな事を、相手のことを見ながら推測した湊が視線を合わせると、何やら相手は驚いた様子を見せている。

 何かあったのだろうか。湊がそう考えていると、驚きから今度は心配するような表情に変わった亜夜が駆け寄って、湊の頬に手を添えて話しかけてきた。

 

「その目、どうしたの? いつもと色が変わっちゃってるよ。ちゃんと見えてる? 病院連れて行こうか?」

 

 そこで湊は、自分がまだ魔眼の状態であることに気付いた。

 機能自体は伝えていないが、日常側で眼の変化について知っているのは佐久間だけであり、部活メンバーやその知り合いにも知られてはいなかった。

 怒りでまわりが見えていなかったことが原因だが、姉を自称してくるような、やや過保護な相手に知られたことは失態としか言いようがない。

 感情のコントロールは以前よりも上手くなった気になっていたが、自分もまだまだ未熟だと内心で吐き捨て、湊は頬に添えられていた相手の手を掴んで離させると静かに答えた。

 

「問題ない。色素の関係で、血の巡りがよくなると色が変わったりするんだ。すぐに元に戻るから、放っておいてくれ」

「本当に? 無理しちゃ駄目だよ?」

 

 どうしてこんなにも自分を心配するのだろうか。湊は相手の考えや感情の動きが理解出来ず、ただ黙ってジッと相手の顔を見つめる。

 仕事関係の知り合いならばともかく、どうにも日常側において親身になってくれようとする者とは相性が悪い。

 チドリならば、相手が誰であっても普段通りの自分で接するため、どんな相手にも対応できる。

 だが、その点、湊は“素の自分”・“小狼”・“仕事の相手によって演じる仮想人格”といくつもの仮面を持っているため、このように得手不得手が存在してしまっていた。

 これでは、どちらが不器用なのか分からないと大人たちは笑って話していたが、そんな事を考えている暇はない。いまは直ぐにでもこの場を離れるのが先だ。

 桐条は既に青い防護シートの中に消えたが、桐条側に万が一にでも湊を知っている者がいて、桐条側のペルソナ使いの拠点を既に把握していると知られては拙い。

 そうして、直ぐにここを離れることに決めた湊は、瞳の色を普段の黄金色に戻し、心配そうに自身を見つめていた相手の手を取ってその場を離れた。

 

***

 

 湊が亜夜の手を取って去って行った頃、桐条武治は作業着の男に案内されながら、自身の娘を中心に組織するペルソナ使いらの拠点の視察を行っていた。

 元のホテル自体が古い建物だっただけに、耐震強度などを高める補強工事に加え、壁紙やカーペットの張り替え作業も行っている。

 また、元はスイートルームだった作戦室となる四階の大部屋には、影時間にも稼働できるレーダーや通信機械を随時搬入する予定でいる。これで桐条グループのサーバーへ直通のラインを確保すれば、グループによるバックアップもしやすくなるだろう。

 

「えー、本来のホテルの個室の壁をいくらか取り払いまして。各部屋の広さを十分に確保できるよう手配しておきました。その分、入居者数は少なくなりますが、その場合には一時的に相部屋になって頂き、第二分寮をこの近辺に設立するという手筈になっております」

「うむ。どれだけの入居者が現れるか分からないが、入居者の安全を第一に考えるのだ。浴室や各フロアのリラクゼーションスペースなど、ストレスから解放される場は特に機能面や景観を注意するようにな」

「はい、畏まりました」

 

 桐条の言葉に深く頷き、作業着の男は一礼すると現場の指揮に戻っていった。

 ペルソナは精神状態が召喚に強く影響するため、桐条はここに入居する者らには、せめて日常生活にストレスを感じずに過ごして貰いたいと思っている。

 そのためならば、本家にいる執事やメイドを健康管理のために派遣してもいい。

 むしろ、娘のことを考えるのなら、本家で身の回りの世話を任せている斉川 菊乃(さいかわ きくの)をこちらに移ってからも置いてやった方が良いかもしれない。

 歳も同じで、主従を考えればあまり褒められた事ではないが、お互いに幼馴染として気の置けない付き合いをしているのだ。

 娘と菊乃本人に確認して、両者が望むのであれば、すぐにでもそのように手配しようと考えながら桐条はSPを引き連れ階段を上ってゆく。

 そして、そこで作業員らと話しをしていた、黒のタートルネックの上に白衣をきた男に声をかけた。

 

「久しいな幾月。改装の進行状況はどうだ?」

「これはご当主、ご無沙汰しています。改装工事は順調ですよ。私の部屋までご用意して頂けるようになっていましたが、流石に自宅があるため、資料置き場に作戦室の隣に書斎を一つ用意して貰うだけにしました。それ以外は特に変更点もなく進んでおります」

 

 作業員と話をしていた幾月は笑顔を浮かべ、やってきた桐条に挨拶をして言葉を交わす。

 エルゴ研が湊によって壊滅させられた後、生き残り最古参でラボの主任を務めている幾月は、新たに発足されるペルソナ使いの監督役に任命される事が決定していた。

 故に、この拠点の改装工事の時点から関わり、ペルソナ使いによりよい環境を提供する事にも協力している。

 既にこちらで暮らすことが確定している美鶴の入寮自体は、改装後である来年の新学期からとなるが、学校関係者でもない者が母体グループの令嬢の暮らす寮に出入りしていては世間体も悪い。

 よって、幾月も月光館学園における役職を用意することになっているが、彼が教員免許を持っていない以上、ある程度の自由が利くよう配慮しながら理事側の役職を用意しようと桐条は考えていた。

 

「お前の役職を用意するという件だが、実は理事会の方に用意しようと思っている。経営自体はこちらで行うが、役職としては最も高い理事長でどうだ。定例会議に顔を出す必要も出てくるが、最低限の知識さえ持って受け答えしていれば、後は秘書役の者に任せればよい」

「理事長、ですか。確かにタルタロスは高等部の校舎ですし、同じ校舎に部屋のあるそちらの方が手もまわし易いでしょう。わかりました。謹んでお受けいたします」

 

 慎重に桐条から聞かされたことを反芻し、幾月は受ける事を決めてしっかりと頷き握手を交わす。

 理事長に就任すれば、ラボに居られる時間が減るため、シャドウに関する研究は他の者に任せることになるだろう。

 だが、幾月はそれでも構わないと思っていた。何せ今の段階で、自分たちに研究できることなどほぼ出尽くしているのだから。

 湊の齎した情報は偉大だった。五年経ってもラボの研究は湊の話した事を研究し直している程度で、ほとんど進んでいないと言っていい。

 岳羽詠一朗の遺言と飛騨データという、別口からデス復活の方法に幾月個人は辿り着いているが、散らばったデスの欠片たちが目覚めるまでは、玖美奈と理の調整以外に何もすることがない。

 ならば、自分の手駒となる者らに近い場所に居た方が、相手の信頼を得ることが出来て、より簡単にデス復活へ駒を進めて行けるはずだ。

 そうして、役職がほぼ決定したことで、幾月は新たにプランを詰めてゆく事に決めると、その後は桐条と共に話し合いながら、ペルソナ使いらの拠点の改装を進めていった。

 

***

 

「ちょ、ちょっと、弟くん? 弟くんってば」

 

 急に手を掴まれ今も引っ張られ続けている亜夜は、少しばかり呼吸を乱しながら湊に声をかける。

 何故、いきなり手を繋いで来たのか不明で、さらにどこへ向かっているのかも分からない。

 あの場に留まっている事が湊にとって都合が悪かったのかと予想してみたが、どうして都合が悪かったのかという点が分からないため、結局、答えは出ず仕舞いだった。

 そして、そろそろ荷物を持ったまま湊の少し早いペースで歩くことが辛くなってきたため、亜夜は足と手に力を入れる準備をすると、その場に踏ん張って湊の腕を逆に引っ張り返した。

 

「……どうした?」

 

 ようやく止まった湊は、不思議そうに亜夜を見て尋ねてくる。

 だが、どうしたと聞きたいのは自分の方だ。そう思いながら、亜夜は相手を叱るような目付きで睨み、口を開いた。

 

「それはこっちの台詞。急にどうしたの? 弟くんが勝手に歩き続けるから、私の家から離れちゃったし。夕食の準備が遅くなる分のお詫びとして、どうしてこんな事をしたのか説明して貰えると思うんだけど」

 

 夕食が多少遅くなるのは問題ない。少し散歩がてら遠回りして帰ってきたと説明すれば済むことだ。

 しかし、今日の湊は出会った時点でどこか様子がおかしかった。

 瞳の色は、幼い頃に受けた治療の副作用で今の色になったと、美紀を通じて知っているので特に何かを言うつもりはなかった。

 だが、それでも、血の巡りで金色が蒼に変化するのは、流石にあり得ないと断言できる。

 相手は自分が弟を失った事故で両親を亡くしたらしい。

 故に、瞳の色に関しても、治療以上に複雑な事情を抱えているのなら、傷口に触れるような真似はすまいと思うところだが、話せる範囲で自分にも話して欲しい。

 そんな意思を瞳に宿してジッと見つめ、亜夜が湊の手を掴んだままでいると、湊は少し考える素振りを見せてから答えた。

 

「……家まで送って行く。連れ回して悪かった」

「いま、家まで送るなら、もれなく時任家の夕食に強制参加なんだけど、それでも良いかな? 私は別にどっちでも良いよ。弟くんとご飯食べるのも楽しそうだし」

 

 どこで知ったのか不明だが、時任家の方角へと歩き出そうとする湊に、亜夜は目だけ笑っていない笑顔を見せて涼やかに告げる。

 話題逸らしや、会話の強制終了が都合の悪い状況での相手の常套手段だと、短い付き合いながら既に経験で知っていた。

 そして、その場合はしつこく聞いても効果はなく。むしろ、会話を切った方がデメリットが発生すると退路を塞いだ方が良い。

 精神的にまだ幼い美術工芸部のメンバーらは、そのことに気付いていないようだが、お姉さんにしたい女子ランキング一位は伊達ではない。

 周囲によく気を配って世話を焼くということは、相手をよく観察しているからこそ出来る芸当だ。

 亜夜がそうして湊の前にしっかりと立って視線を合わせ続けると、湊は亜夜の思惑通り、僅かに面倒そうな顔をしてから短く嘆息した。

 

「はぁ……しつこい女はもてないぞ。ま、あんな脳筋を好いてる時点で男の趣味は酷いもんだが」

「あ、ひっどーい! 脳筋は合ってるけど、顔とか一生懸命な姿とか、真田くんには良いところが沢山あるんだよ?」

「どうでもいい。あれに興味を持った事は一度もない」

 

 湊はそう言って亜夜の荷物を奪って歩き出す。先ほどまでは亜夜が会話のペースを握っていたが、既に湊はそれを取り返していた。

 確かに亜夜の話術は相手に合わせて効果的に機能する。

 だが、仕事で交渉や脅しをすることもある湊が、ただの中学生相手に完全にペースを持っていかれる事などあり得ないのだ。

 結局、湊は家に着くまで亜夜には何も自分の事を話さず。夕食も既に家で用意してあるからと断って帰って行った。

 途中までは自分が勝っていたのに、真田を話題に出して自分のペースを乱すなど、とてもずるくて酷い弟だと夕食を食べ終えた亜夜は憤慨した。

 そして、その愚痴に電話で一時間以上付き合わされた美紀は、若干疲労を感じながらも、部活のない放課後に会って一緒に帰る程度に、湊も亜夜の事を認めているのだなと一人思ったという。

 

 

 


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