【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第四話 室長会議

深夜――エルゴ研・第一会議室

 

 飛騨が研究室をあとにし、八雲とチドリが眠りついた頃。広い部屋に置かれた長机を十三人の大人たちが囲んでいた。

 その中には飛騨の姿もあり、少々イラついた様子で腕組みをしている。

 直後、静かな音をさせながら扉が自動で開いた。

 

「遅れてすまない。急な呼び出しだったので、少々時間がかかってしまった」

 

 言いながら新たに部屋に入ってきた男は部屋の中を一通り見渡すと、部屋の奥にある上座の空いている席に腰を下ろした。

 それを見て全員が揃った事を確認すると、今まで座っていた飛騨が立ち上がり口を開いた。

 

「皆さんを集めたのは他でもありません。我々の研究の前提が崩れたことを知らせるためです」

「前提が崩れた? 飛騨室長、もう少し分かりやすく言ってもらえませんか?」

 

 飛騨に言葉を返したのは、腰まで届く長い黒髪を前髪だけシルバーのダッカールで分けている、三十代前半の女性。唯一の女性室長である第四研究室室長の沢永だった。

 彼女が室長を務める第四研はペルソナの持つ耐性の強化、耐性の無効化を主な研究テーマとして扱っている。

 最近になってペルソナのスキルとしてそう言ったものがあるという可能性が出たため、やっと軌道に乗り始めたというのに飛騨の言葉は聞き捨てならなかった。

 

「先ほど、半年間眠り続けていたエヴィデンスが目覚めたのです。そして、少しばかり話をしたのですが、彼の高い適性は本人の才能ではなく、自然適合者であった両親から受け継いだものだったと分かりました」

「両親が自然適合者だった? そんな馬鹿な。世界初の自然適合者が同時に現れるなんてありえない。それにそれが子どもに受け継がれる事も考えにくいでしょう?」

「しかし、それが現実に起こっていたのですよ。彼の話ではアイギスもその事を確認していたようです。メモリー解析班は、何故、このような大切な事を見逃していたのですか!」

 

 激昂した様子の飛騨は、目の前の机を右手で強く叩く。そして、自身から見て左側に座っている男らを睨みつけるように見やった。

 

「無茶を言わないで頂きたい。ドクトア・飛騨も見たはずだ、ズィーベンの破損具合をね」

 

 そう答えたのはくすんだ茶髪をオールバックにしている四十前後の外国人の男。対シャドウ兵器についての研究を専門としている第五研究室のトップを務めるヘーガーだった。

 ドイツ人であるヘーガーは肩を竦めると、隣に座っていた副長の男にパソコンを操作させる。すると、天井に備え付けられていたプロジェクターが動き、ボロボロな状態で八雲を抱いているアイギスの画像がスライドショーで流れ始めた。

 他の者がそれを見ているのを確認しながらヘーガーは続ける。

 

「御覧の通りズィーベンは中破して機能を停止していました。中身については思考系の一部がショートしていましたし、機能停止しているにも関わらずパピヨンハートからエヴィデンスへと精神エネルギーが送られ続けていました。そのせいでバックアップ用の電源を確保できていなかったのですよ」

「……それで、メモリーの復旧はどの辺りまで済んでいるのですか?」

「正直に言いますと、これ以上の復旧は見込めないでしょうな。エヴィデンスから離してからは、パピヨンハートも沈黙している。ドクトア・幾月にも協力して頂いたが、一切の反応が無いのですよ」

 

 沢永の質問に答えながらヘーガーは机を挟んで向かい側に座っている第二研究室室長である幾月に視線を向けた。

 研究室は別だが、幾月も対シャドウ兵器の開発には初期の段階から関わっていた。その幾月までもが同意するということは、アイギスのメモリー復旧と再起動は当分不可能であるということ示している。

 あのムーンライトブリッジでの戦闘については桐条関係の人間でも、新たに発足し直されたエルゴ研に所属している者とグループ総帥である桐条武治しか知らない。

 同日に起こった大規模な事故で多くの研究者が死亡し、そのトップを務めていた岳羽詠一朗までもが帰らぬ人となった。

 しかし、あの日より影時間とタルタロスが毎夜0時に発生するようになり、研究のトップを務める者が死んだところで研究を中断する訳にはいかなくなった。それにより集められたのが、ここに揃っている五人の室長とそれぞれの室長が選んだ副長らだった。

 多くは以前からエルゴ研に所属している者が、そのまま以前と同じ研究を続ける形で編成されているが、主任が死んだ事でいくらかの人事変更も行われた。

 元々は第一から第八まで研究室は作られていたのだが、現在進められている人工ペルソナ使いを生み出す研究で配属された子ども等が死に、研究を続行できなくなった研究室は他の研究室へと統合された。

 その中でいま残っているのは、遅れてきた男、松本がトップを務め解体された研究室を全て統合したため最大規模を誇り総合的に研究を進めている第一研究室。

 エルゴ研でも古株であり、現在残っているメンバーでは最もペルソナやシャドウといったものに精通しているといわれる幾月がトップを務める、シャドウに関する研究をしている第二研究室。

 ペルソナやシャドウの耐性や弱点の強化や分析について研究している、唯一の女性室長である沢永がトップを務める第四研究室。

 アイギスをはじめとした対シャドウ特別制圧兵装シリーズだけでなく、対シャドウ弾など主に対シャドウ兵器関連の研究を進めるヘーガーの第五研究室。

 そして、稀少性能力の発現と解析を主に研究している、室長である飛騨のみが所属している第八研究室の計五つ。

 一応は各室長同士は専門とする分野が違っているために、権限などは等しくなっている。だが、飛騨という特殊な人間を除き、その研究室の規模が会議における発言力の強さも表していた。

 故に、最大規模を誇り、研究のためとして最も多くの被験体の子供を殺してきた男、松本は飛騨の方を見ながら口を開いた。

 

「それで、飛騨博士は先ほどエヴィデンスが目覚めたとおっしゃっていましたが、あれはいまどこに?」

「私の第八研にいますよ。で・す・が、少年は既にうちの所属となっています。なーので、先に言っておきますが、勝手な接触は止めてください」

「ふふふ、困りますなぁ、博士。エヴィデンスは自然適合型の天然ペルソナ使い。それがどれだけ稀少な存在か分かっているでしょう。我々の研究が飛躍的に進歩する可能性を秘めているというのに、研究成果を独占しようとは、貴方は人類がどうなっても良いのですか?」

 

 目の奥をぎらぎらとさせながら松本が厭らしい笑みを浮かべて尋ねると、他の者たちも飛騨に視線を集める。

 松本が言っているのは本心ではない。むしろ、飛騨に言った事を実際にしたいと思っているのは松本の方であり、それは今までの付き合いから松本という男をある程度理解している全員が分かっている。

 だが、別の研究室に所属している被験体へ勝手に手を出すのは厳重な罰則がつくことになっている。そのため、松本ほどではないにしろ、稀少な存在である八雲を研究したいと思っていた他の者らも自分たちが研究できるようになるのならばと口をはさむ事はしなかった。

 そんな中、部屋中の視線を受ける飛騨は、全員の思惑を理解し、少々うんざりしながら松本に返事をする。

 

「やれやれ、私の研究は解析を主としているので、他所と違って明確な成果が出るようなものではありませんよ。まぁ、どちらにせよ、彼をうち以外に行かせる気はありませんが」

「明確な成果が出ないというのであれば、何故、あれを独占しようというのですか? あれは飾って眺めるだけのコレクションではないのですよ?」

「そんな物は分かっていますよ。別に独占などという意識はありませんが、彼を研究させない理由ならきちんとあります。彼を他所に行かせた場合、死ぬのが分かりきっているからです」

 

 淡々と告げる飛騨の言葉に、他の者らは眉を顰める。確かに研究によって何人もの子どもを殺している。生きてはいても廃人となった者もおり、そういった点で見れば殆ど死者を出していない第八研が最も優秀と言える。

 けれど、本来ならば研究員と被験体が一人ずつしか残っていない第八研は解体されるはずだった。

 それを研究の特殊性と飛騨が元から自分一人で第八研を切り盛りしていたことによって、第八研は現状のままで良いという許可が出ていたのだ。

 被験体の消耗を一切気にしない松本はともかく、人類をシャドウの脅威から守ろうと研究を続けた結果、被験体らを大量に死なせるに至ってしまった他の室長らはその点について物申したかった。

 そうして、その代表として幾月が飛騨を見ながら静かに言葉を返す。

 

「お言葉ですが、我々は遊びで子どもたちを危険な目に遭わせている訳ではありません。彼らと現在進めている研究が人類の為になると思って研究を続けているのです。それを悪戯に死なせているように仰るのは、流石に博士と言えど言葉が過ぎます」

「分かっていますよ。けれど、彼にとってそんな物は理由にならないようなのです。話して分かりましたが、彼の知能の発達レベルは小学生を遥かに超えています。制御剤が研究段階であることを告げると、正式な薬が出来ていないことが問題なのではなく。それが開発されるよりも先に無理矢理にペルソナを発現させたことが問題だと言い返されました」

『……ッ!?』

 

 飛騨の話を聞いた者たちは八雲が言ったという言葉の内容に思わず驚く。

 大人であれば確かに八雲と同じ意見に辿り着く者は多くいるだろう。しかし、それが知能の発達が未熟である小学生の意見だとすれば話は別だ。

 八雲は自分が新たに得ていた知識について、飛騨や他の研究員が寝ている間に学習装置を使ってインストールしたのだと思っていた。

 だが、いくらアイギスの様なオーバーテクノロジーの対シャドウ兵器を開発していようが、人間の脳というブラックボックスに直接データをインストールすることなど出来はしない。

 すると、八雲の知識は意識を失っているいつの間にか得ていた事になるのだが、本人も知らぬ事を他の人間が理解できている筈がなった。

 

「……他にエヴィデンスの少年は何か言っていましたか?」

「ええ、子ども等を殺している私たちの研究には一切協力しないとしっかりはっきりとね。もし我々にペルソナを見せるとすれば、それは我々を脅すか殺すかする時だと言われてしまいましたよ」

 

 やれやれと苦笑気味に話す飛騨だが、他の者はそれほど楽観的な態度は取れない。

 去年末頃から始まったこの計画で、被験体らをコントロールし、自分たちの管理下に置いているが、実際はこれはかなり危ういバランスで成り立っている行為だ。

 ペルソナとは現代科学では解明しきれない超常の力であり、それを有している子どもは一種の兵器の様なものである。

 その危険な存在を研究者らは制御剤と多少のマインドコントロールで逆らわないようしているため、今のところは子ども等の反乱なども起こらずに研究を続けられている。

 しかし、八雲は違う。

 八雲は自らの力でペルソナを発現することに成功したため制御剤を必要としておらず、半年もの間、昏睡状態で寝続けていたためマインドコントロールを施していない。

 そんな一切制御することの出来ない相手が自分たちを敵視している。それも自分の持っている力の強大さを理解した上でだ。

 ペルソナを見せるのは脅すときか殺すときかの二択。

 医学・科学・影時間に関わる知識と多くの分野に精通し、天才の部類に入る飛騨のお墨付きの頭脳ならば、わざわざ敵視する研究者側の人間に自身の胸の内を話したのも理由があるのだろうと考える。

 そう、それらは当然、報告として上がり主要な研究員らの耳に入る。すると、そんなことを聞いた者たちは危険を冒そうとはせず、八雲に手を出そうとはしなくなる。

 仮にそれを見越した上での飛騨の嘘ならば飛騨を失脚させる事が出来るようになるが、本当に八雲が言った事ならば手を出してしまったときには火傷程度では済まない。

 研究の飛躍的な発展の可能性の芽として自分たちの内に招きこんだと思ったら、目覚めてみれば自分たちの存在を脅かす厄災の種だったとは、笑えない冗談だった。

 

「くっふっふ、エヴィデンスかと思っていたら、彼はどうやらプロヴィデンスだったようですねえ。まぁ、彼がいたからこの世界があるのですから、我々はそれを弁えて接しなくてはいけません」

「今はまだ弱っているから良いものの、今後、あれの身体能力が戻ってきた場合どうするのですか! 目覚めて直ぐにそのような危険な思想を持っているのであれば、自ら動けるようになった時には我々を殺しに来るやもしれんのですぞ!」

「そうなったら、そうなる運命だったということでしょう。彼のおかげで世界の滅びは免れたんです。親の仇を殺す権利くらいはある」

 

 激昂し声を荒げる松本にそう言うと、飛騨は席を立って入り口へと歩いて行く。

 他の者がその後ろ姿を黙って見送る中、自動で開いた扉が閉まる直前に飛騨は呟いた。

 

「同僚として忠告しておきます。殺されたくなければ、彼には関わらない方が良いですよ。あんな目をする子どもが、殺す事を躊躇うとは思えませんから」

 

 そう言い終わると扉は完全に閉まり、飛騨の姿は見えなくなった。しかし、部屋の中に残った者たちの表情は皆複雑なものだった。

 

 

***

 

 

3月21日(火)

朝――第八研究室

 

 朝になって目が覚めた八雲は、両の手足を使ってなんとか身体を起こすと、今日も壁に寄り掛かるようにして座る。

 子どもらを入れておく部屋には窓が無いため、日の光が射しこまず。扉の横にある数字の入力キーと電気のスイッチについている小さな赤いランプだけが部屋の中に存在する灯りだ。

 利用する際に切り替えれば部屋の電気をつけることは出来るが、今の八雲ではペルソナを使わなければ自分の身だけではそんな事は出来ない。

 しかし、チドリをもう少し寝かせておきたいことと、部屋の中につけられているであろう監視カメラにペルソナを撮られるのが嫌なため、八雲は座りながらボーっとしておく事にした。

 

「ん、ん……」

 

 声がしたので隣に視線を向けると、チドリはタオルケットに包まるように身体を縮めてまだ寝ていた。

 寝惚けているのか、寝がえりを打ったために声を出したのだろうと推測すると、興味を失ったため八雲は思考の海に潜り始める。

 

(この子らはペルソナを制御できない。それは心がまだ未熟だから、自分の中にいるシャドウを飼いならせていないため)

 

 八雲の年齢不相応な精神は一夜明けると、およそ中学生ほどで安定化していた。

 本人もそれを自覚しているが、それを知ったところで原因が分かる訳ではないとして考えないようにしている。

 

(シャドウとは無意識下の自分の心。そんな領域が存在すると認知しておく事は出来ても、無意識下の自分を意識する事は出来ない。ならば、どうやって矛盾をはらんだペルソナを制御するのか……)

 

 そんな風に八雲が考え事をしていると、プシューと音をたてて入り口の扉が自動で開く。

 胡散臭い笑顔を浮かべた飛騨が入って来た。 

 

「おんやぁ? グッモーニン、少年。起こしに来たのですが、既に起きていたのですねえ。少女にも声を掛けてもらえますか?」

 

 制御剤が寿命を縮める劇薬だと知って、それを使わずに済むようペルソナの制御方法を考えていた八雲。

 しかし、その思考は飛騨が入ってきたによって途切れ、また後で考える事にすると、言われた通りにチドリを起こす事にした。

 

「チドリ、飛騨さんが起きろってさ」

「んー……」

「まぁ、こんな窓一つない太陽光も入ってこない部屋じゃ体内時計も狂うか」

「その割に君の体内時計は正確に時間帯を理解しているのですねえ。ほら、少女。朝ですよ、朝食と合同の訓練がありますから、起きてください!」

 

 八雲の呟きが聞こえていた飛騨が、その言葉に少々驚きつつ八雲を車椅子へと移して。さらに、チドリに起きるように声をかける。

 すると、チドリも目を覚ましたのかぼんやりしながら伸びをして起き上がると、目をこすりながらベッドから抜けだし洗面所へと向かって行った。

 

「ガラガラガラ……ペッ」

 

 洗面所に向かったチドリは顔を洗うと、うがいをしてから歯を磨きだす。

 それらの準備が終わるまで少々の時間があったため、飛騨は八雲に話しかけた。

 

「昨日はよく眠れましたか?」

「まぁ、やることもないしね」

「少女と親睦を深めたりはしなかったのですか?」

「翌日に何をするか分からないのに、夜更かしさせて影響だしちゃ不味いだろうし。そんなに話す事も無いよ」

 

 昨日にも増してさらに精神年齢が上がっているように感じた飛騨だが、不思議に思いながらもチドリの事を気遣う八雲の気持ちは本物だと思えた。

 そして、それだけに敵視されているのはあくまで自分たちの様な実験に関わる大人であるとも理解し。昨日の内に他の室長らに釘をさしておいて正解だったと思いつつ、やってきたチドリも連れて部屋を出た。

 

――辰巳記念病院

 

 チドリと途中で別れた八雲と飛騨は港区にある大きな病院に来ていた。

 それは八雲のリハビリをするためであり、病院側には既に話が通っているとして、奥のリハビリ施設のある病棟へと案内された。

 

「こちらです。これから自力で歩けるレベルまでこちらに移ってリハビリを続けていきます。経過については室長のパソコンに通知を送りますので、ご安心を」

「はぁーい、わかりました。……では、少年。歩けるようになるまで、こっちで頑張ってくださいね」

「結構、適当なんだね。まぁ、どうでもいいけど」

 

 呆れ半分にそんな風に答える八雲に看護師の女性は少しばかり驚いているが、言った本人も言われた本人も大して気にした様子もなく離れる。

 それを見た看護師は再び驚くが、空いた八雲の車椅子を押す事にすると去っていった飛騨に一礼してからマットの敷いてある場所へと向かった。

 そして、マットのところまでやってくると、八雲を抱き上げてマットに寝かせる。先ずは準備運動から始めるのだ。

 

「それじゃあ、先ずはストレッチから始めるけど先にお名前を聞いても良いかな?」

「名前? 書類に書いてなかったの?」

「え? ああ、うん。そうなの。だから、あなたのお名前教えて?」

 

 看護師は八雲の年齢不相応なはっきりとした口調に慣れないのか、少々引き攣った笑顔になりながら名前を尋ねる。

 これは本来ならば、最初の自己紹介から始める事で、相手の子どもとの信頼関係を築き。病院での生活とリハビリと言うキツイ行為から来るストレスを軽減させることが主な目的である。

 しかし、八雲の場合は本当に名前が記入されておらず、書類にはエルゴ研に登録されている『エヴィデンス』という名称しか記載されていなかったのだ。

 いくら話が通っているといっても、それは被験体の子どもの一人をリハビリ施設に送るという話であって。エルゴ研などで起こっている研究の内容については知らされていない。

 いま八雲の目の前にいるヘルパー用の制服を身につけた女性も、普通の一般職員であり。たまたま、本日の八雲の担当になったに過ぎない。

 故に、病院側から新しい患者が来ると聞いていただけに、何か特別な子ではあるのだろうとは思っているが。対応については先ずは分からない名前を聞いてから、あとは他と同じ様に接しようと考えていた。

 

「……テオっていうんだ」

「テオ君ね。格好良いお名前ね。それじゃあ、テオ君。一緒に頑張りましょうね」

 

 本当は変わっている名前だと思ったが、もしかしたらハーフなのかもしれないと納得し。女性は八雲を足を広げた状態で座らせると、そのまま背中をゆっくり押して前屈姿勢を取らせ始めた。

 一方の八雲は相手を信用していなかったために偽名を使ったのだが、それが通ったことで相手が本当に名前を知らされていないのだと思っていた。

 

(この人は一般人か。話が通ってるって言ってたのに、名前も知らせてないなんてあり得るのか?)

 

 エルゴ研以外にペルソナなんてものを研究している場所があるとは思えない。

 よって、自身の存在を隠す必要性をあまり感じていなかったのだが、何故か一般人の看護師には名前すら伏せられていた。

 普通は協力する側に名前くらいは教えるため、教えていなかったとすればそれは不備ではなく態とである可能性が高い。

 教えていないのは故意だが、名前を伏せる理由が無い状況で敢えて伏せる。多数の人間を抱えている組織がそんな手間のかかることをする訳がない。

 それに飛騨も会ったばかりに自身を『どこの誰とも分からないアンノウン』と呼んでいた。

 彼自身は自分たちを被験体名で呼びたくないから『少女』や『少年』という単語を使っているようだが。室長まで務める男が、わざわざ知っている筈の名前で呼ばない事も妙な違和感を持っていた。

 ここまでくると、最初の発言は嘘偽りないことで、実は飛騨も自分たちの名前を知らないのではと考えられる。

 とはいえ、非人道的な研究であるために、戸籍を権力で抹消しそんな人間はいなかったようにする。さらに、もしもの時のことも考えて、抹消前の個人を特定できる物も全て破棄したために、室長レベルの者でさえ本名を知らないという可能性ある。

 だが、どちらにせよ研究者らですら自身の名前は知らないことだけは理解ができたとして、八雲は納得する事にした。

 

(飛騨さんも知らないんだとすれば、こっちとしては好都合だ。今後は関係者らには本名を一切名乗らない。チドリには既に名前を教えてしまったけど、彼女からはこっちも名前を聞いたし。これといって悪用される恐れも無いから、まぁ、良いだろう)

 

 ストレッチをしながらそんな風に考えた八雲は、それから二週間に亘ってリハビリを続け。なんとか、自力でゆっくりとなら歩ける程度にはなったのだった。

 

 

 


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