【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第三百七十六話 忘れた記憶

夜――旅館

 

 部屋に置かれていた生八つ橋を気に入り、それを求めて外に出て行った八雲はツクヨミに抱かれて戻ってきた。

 その後ろには七歌たち二年生女子が何人もついてきていたが、部屋とバルコニーを合わせれば五部屋分以上の広さがあるスイートルームは、彼女たちのことも問題なく受け入れる事が出来た。

 もっとも、部屋に来た七歌たちは部屋の広さよりも、ただの旅行客だとばかりに自由に振る舞っている自我持ちのペルソナたちに驚いている。

 部屋に入って右手側、テレビの傍では七歌たちにとって馴染み深い座敷童子が進化した闇御津羽神がサンタ・クルスと共にお茶を飲んでいる。

 そのすぐ傍に置かれたソファーでは、マーリンとアルテミスがツクヨミの置いて行った旅行ガイドを眺めている。

 そして、部屋に入って左側の庭園と部屋を仕切る窓の近くでは、アマテラスや玉藻の前ら気の強いメンバーが真剣な顔で麻雀していて、湊の女性体であるはずのベアトリーチェが近くに椅子を持っていって座りながら眺めていた。

 

「な、なんでベアトリーチェがいるの?」

 

 部屋の入口に立った七歌は驚いた様子で目を見開き、知っているなら教えて欲しいとツクヨミに視線を向ける。

 湊とベアトリーチェは魂が融合した事で、一つの身体を二つの人格で共有している。

 その主人格たる八雲はツクヨミと共に部屋に帰還したことで、手に持った生八つ橋を嬉しそうに闇御津羽神たちに見せるためトテトテと走っていった。

 八雲たちが帰ってきた時にはベアトリーチェも視線を上げていたため、そちらが肉体だけのハリボテ状態でない事は確実だ。

 ならば、八雲とベアトリーチェは各々の人格を持ったまま別の肉体として活動している事になる。

 一つになったはずの魂を分離するだけでなく、肉体までも分離することがだったのかと七歌たちが疑問をぶつければ、ツクヨミは八雲の後を追って移動しながら答えた。

 

《八雲が幼い姿になるとき、本来の肉体はエネルギーとして保持されます。それはベアトリーチェに肉体を与えた時も同じ事。故に、二人の肉体の差分で幼き八雲の身体を作る程度の量は十分に賄えるのです》

 

 現世と常世の狭間にあったヤソガミコウコウで一度は説明された事だが、あちら側での記憶はベルベットルームの住人ですら忘れてしまっている。

 湊の中にいた綾時でも覚えていないのだから、七歌たちに覚えておけというのも酷な話だろう。

 本来、元の世界と異なる理の世界へ行けば、そこに存在するために人も性質を変質させなければならない。

 その変化は本人が意識して行なうものではなく、世界に敷かれたルールに人間が縛られるだけの話だ。

 ヤソガミコウコウは現世と常世の狭間にあり、さらに二つの世界、または二つの時間軸と結び付いて出来ていた。

 生きた人間があの世の情報を持ち帰る事は出来ないし、世界が繋がっていたことで、七歌たちからすれば現代と未来、鳴上たちからすれば現代と過去に完全同一個体が同時に存在することになる。

 その矛盾を解決するため世界が取った方法が、ヤソガミコウコウでの出来事を“なかった事”にするという力業だったのだ。

 やはり七歌たちは誰もあの世界のことを覚えていないようで、説明を聞けばなるほどと納得した表情で部屋の中へ進んだ。

 

《……おかえり、八雲…………気に入ったの、あった……?》

「あい! うにゅー!」

《それを探しに出掛けていたのですね。命じてくだされば買いに出ましたのに》

 

 闇御津羽神もサンタ・クルスも八雲が楽しそうに生八つ橋を食べている姿は見ていた。

 そのもっちりとした食感が気に入ったのか。部屋に置かれていた生八つ橋は全て一人で食べていたようだが、食べ足りないと思って探しに出て行ったという。

 小さな赤ん坊がそこまで行動力を発揮する味なのかと興味を持ったサンタ・クルスが見ていれば、八雲は箱から生八つ橋を取りだして二人に手渡す。

 

「まーも!」

《……そう、ありがとう……》

《ありがとうございます》

 

 赤ん坊なら自分の好きな食べ物を独占しそうなものだが、八雲は自我持ちたちを大切な家族のように認識しているらしく、美味しいよと言ってお裾分けしている。

 続けて他の者たちの許を回っていけば、真剣に麻雀をしていた者たちも、感謝の言葉を告げて八雲の頭を撫でている。

 今にも殴り合いの喧嘩が始まるのではないかと思えるほどピリピリとした空気の中、気にせずにお菓子を渡しに行ける八雲の胆力には恐れ入る。

 八雲が差し入れを渡した事で麻雀に興じていた者らも休憩する事にしたようで、雀卓はそのままにテレビの前に置かれたテーブルまでやってきた。

 そして、皆に差し入れして回っていた本人はというと、手に生八つ橋の箱を持ったままベアトリーチェに後ろから抱き上げられていた。

 

「“私”と食事を共にするのは久方ぶりだな」

「あいあい!」

 

 活発な性格だが別に自分で歩かないと気が済まないという訳ではないのだろう。

 運ばれるままに移動し、ソファーに腰掛けたベアトリーチェの膝の上に座らされても本人は楽しそうにしている。

 他の者たちはお茶の準備をしているので、部屋に入ってきた七歌たちも自由に座っていけば、これまで黙っていた美紀が口を開いた。

 

「あの……有里君はどちらに?」

『え?』

 

 湊なら縮んだ状態ではあるが目の前にいる。

 まぁ、本人の人格が残っている訳ではないので、正確に言えば八雲とベアトリーチェに分裂しているのだが、他の者たちが振り返れば美紀はキョロキョロと湊の姿を本当に探している様子だ。

 そこで全員が彼女に湊と過した記憶がないことを思い出す。

 チドリやアイギスは湊が死んでからしばらく学校にも行っておらず、他人の事を気にしていられる余裕もなかったので無理もないだろう。

 ただ、修学旅行中は一緒に行動して流れでついてきた美紀にすれば、この場にいる自我持ちたちは湊の親戚なのかというぐらいに知識もない状態だ。

 先ほどは知っている前提で話をしていたので、ここからどうやって説明や誤魔化していくべきか考える。

 自我持ちらは気にせずお茶の準備をしており、七歌やゆかりはお前らも手伝えと言いたいがそんな事をしている余裕はない。

 記憶を失った彼女に影時間のことを話したところで信じて貰える訳がない。

 ならば、ここは適当に誤魔化そうと七歌たちがアイコンタクトで意思疎通を図ったとき、ベアトリーチェの膝から下りた八雲がトテトテと美紀の許まで進んで彼女を見上げた。

 

「みー?」

「あ、えっと、はじめまして。八雲君ですよね。湊お兄ちゃんはどこに行ったか分かりますか?」

「うーな」

 

 小さな赤ん坊が寄ってきたことで、美紀は相手の手を握って倒れないように気を遣う。

 今更バランスを崩して転倒する事などないが、美紀にすれば相手は初対面の活発な赤ん坊だ。

 畳の上で転けて擦り傷が出来たら一大事だろうと考え、安全面を配慮しつつ優しいお姉さんとして交流を持つのは流石と言える。

 ただ、湊が退行した八雲は初めて退行してから今日まで出てきた際の記憶が連続していた。

 つまり、彼にしてみれば美紀は初めて会った訳ではないのだ。

 前にも会ってしっかり挨拶したというのに、はじめましてと挨拶されて八雲は少しだけ不満気に頬を膨らます。

 

「ねーね、あーう!」

「えっとぉ、すみません。何と言ってるのでしょう?」

「八雲さんははじめましてじゃないと仰っています。お姉ちゃん忘れちゃったのとも」

 

 記憶を失ったことで八雲を覚えていない美紀と、美紀が記憶を失っていることを知らない八雲。

 アイギスが通訳してくれた事で八雲が不満そうな顔をしている理由は分かったが、美紀は本当に覚えがないので申し訳なさそうにしつつも対応に困っている。

 一方、八雲は正座で座っている相手の膝の上によじ登り、本当に覚えていないのかとジッと見つめていた。

 影時間の記憶補整は強制催眠と呼べるほどの強さだ。適性を失うと同時に記憶補整で強制的に湊との思い出を忘れた美紀では対応出来ず、このままでは自分が忘れられていることを知った八雲が泣き出しかねない。

 見かねたアイギスが八雲を引き取ろうとしたとき、八雲が怒ったように美紀の瞳を見た。

 

「むきゃー!」

 

 瞬間、八雲の両眼が紫水晶色に変化する。

 傍で様子を窺っていた者たちは、それが湊の持つ暗示の魔眼だと理解してすぐに八雲を止めようとした。

 そもそも、七歌やアイギスたちは八雲の状態でどれだけの異能が引き継がれているか知らない。

 身体の大きさからすればベアトリーチェが本体で、八雲は湊の意識を表出させるためのユニットという認識であるため、ほとんどの力は使えないだろうと考えていた。

 だからこそ、八雲が魔眼を使おうとした時に対処が遅れてしまった訳だが、八雲の紫水晶色の瞳を見た美紀は身体をビクンと震わせると、そのまま身体の力が抜けたように八雲を巻き込んだまま前方に倒れてゆく。

 

「美紀!?」

「八雲さんっ」

 

 正座している状態から前のめりに倒れていく美紀をゆかりが支え、巻き込まれるように倒れそうになる八雲をアイギスが片手で抱き寄せる。

 どちらも倒れきる前に受け止めた事で怪我もなかったが、美紀は未だに目の焦点が合わなくなって身体の力も抜けている。

 先ほど八雲は怒りながら暗示の魔眼を出していたため、一体何をしたのかとチドリたちが八雲を問い質した。

 

「八雲、さっき何したの? 答えて?」

「お願いします。八雲さん。美紀さんに何かあっては遅いんです。正直に話してください」

 

 もしもの時はベアトリーチェと八雲を再び一つにして湊に戻って貰い。そのまま彼の力で八雲が掛けた暗示を解いて貰うしかない。

 それも時間経過で状況が悪化するなら急ぐ必要があるので、急にアイギスたちに強く訊かれて怖がっている八雲を気遣っていられる余裕はない。

 ゆかりに支えられていた美紀は畳の上に寝かせられると、徐々に顔色が悪くなって脂汗を掻いている。

 もしや、幼いが故に自分の能力の強さを把握しないまま、直情的に死に至る精神攻撃をしてしまったのではないか。

 

「アカンっ! ベアトリーチェ、すぐに湊君にっ」

 

 ゆかり同様美紀の傍についていたラビリスは、このままでは美紀が保たないと考え、ベアトリーチェに湊に戻れと言おうとした。

 しかし、言い切る前に腕を掴まれ、誰だと思って振り返れば、それは目の焦点が戻り始めていた美紀本人だった。

 

「だ、大丈夫です。少し、ショックを受けただけですから……」

「ホンマに大丈夫なん? 顔色メッチャ悪いし布団借りよか?」

 

 ラビリスたちがいるのは玄関を抜けてすぐのリビングに相当する場所だ。

 ここだけでも十分に広いが、さらに襖を開ければ奥の部屋に既に布団が並んだ畳のスペースと、二つのベッドが置かれた洋室風のスペースがある。

 アマテラスたちはお茶を飲み終えたらしばらく麻雀を続けるようなので、体調が戻るまで美紀を寝かせて休ませておくことは出来る。

 麻雀に参加していない者の中には、比較的話の分かるツクヨミもいるため、彼女に頼めばすぐにでも案内してくれるだろう。

 そう思ってラビリスが休むことを提案すれば、ゆかりに支えられながら身体を起こした美紀は疲れて弱々しくなりながらも微笑を浮かべた。

 

「……本当に、大丈夫です。八雲君は、私に影時間の記憶を返してくれただけなんです」

 

 美紀の口から影時間という単語が出た事に全員が息をのむ。

 何せ彼女はストレガのカズキによって殺され掛けた際、高度な治療を施す準備を整える時間を稼ぐため、延命目的のためにアベルの楔の剣で適性を奪われたのだ。

 適性を失えば影時間に関わる記憶も失う。誰よりも影時間について知っていた湊がそう告げた以上、その点はどうやっても覆しようがない事実のはず。

 もしや蘇った事で湊の力も変化したのかと思いつつ、一番状況が分かっているであろう美紀にゆかりが尋ねた。

 

「そんな、どうやって? だって、有里君は奪った適性は返せないって……」

「……はい。恐らく、適性は戻っていないでしょう。でも、影時間に関わる記憶は、記憶の補整によって忘れるだけです。八雲君はそこを突いて強制的に思い出させてくれたんだと思います」

 

 言いながら美紀は先ほど強く問い詰められて怯えている八雲を呼んで、安心して良いよと頭を撫でて落ち着かせる。

 顔色はまだ戻っていないが、その優しい眼差しはかつて自分に向けられていたものと同じだと分かったのか、八雲は喜んだ様子で美紀に抱きついた。

 

「まいま!」

「はい。思い出すのが遅れてゴメンなさい。そして、大切な思い出を取り戻させてくれてありがとうございます」

 

 影時間の記憶を取り戻した美紀は、八雲が退行した湊である事も思い出せている。

 以前と違って話せる言葉が増えているようだが、それは単なる成長だろうと気にせず、美紀は記憶を取り戻してくれた小さな赤ん坊を強く抱きしめた。

 どうやら体調も戻りつつあるようで、その様子に安心した七歌は、八雲が起こした奇跡のような事柄について他の者らと話し合う。

 

「でも、小さな八雲君に出来るなら成長した八雲君にも可能なはずだよね? どうして美紀の記憶を戻さなかったのかな?」

「……多分、危険から遠ざけたかったんでしょ。適性も、記憶も、どっちも失ったままなら、二度と影時間に関わらなくて良いんですもの」

「なら、八雲君は有里君の考えを無視してしまった形になるんじゃ?」

 

 チドリの言葉に風花は眉尻を下げながら八雲に視線を向ける。

 湊は元々自分の傍にいる人間の適性が強まり易い事を知っていた。

 黄昏の羽根に増幅器としての機能があるように、強い適性を持つ者は他者の適性に影響を及ぼしやすいのだ。

 中等部で湊と付き合いがあった人間を見れば分かるように、少しでも適性があればペルソナや影時間に象徴化を免れるレベルの適性まで成長する。

 ペルソナに目覚めた者らは全員が桐条グループの組織に所属し、自分で戦う事を選んだようだが、兄と違ってペルソナを得るほどの適性を持っていなかった美紀は、ただ影時間に象徴化しないだけの中途半端な力を持ってしまった。

 そのせいで影時間に混乱して外に出てしまい。シャドウに殺されかけた事もあったが、最後にはストレガに狙われて危うく命を落としかける事態にもなった。

 自分の持つ力が影響して美紀がそんな目に遭ったとなれば、湊は責任を感じて二度と彼女が巻き込まれないようにと考える。

 つまり、チドリの予想は正にその通りに違いないのだが、いくら湊であっても退行した自分によって計画を潰されるとは思わなかったに違いない。

 美紀にあやされて上機嫌になっている赤ん坊を見ていると女性陣は和んでしまうも、元の姿に戻ったときの湊の心情を考えると同情してしまう。

 

「ま、まぁ、美紀が有里君の事を思い出せたのは良かったと思おうよ。やっぱり、傍から見てると遠慮というか壁があるみたいで複雑だったし」

「そうだね。折角美紀ちゃんが助かったのに、その思い出から有里君だけが消えてしまったのは悲しかったから、私もこの方が嬉しいな」

 

 ゆかりと風花だけでなく、他の者たちも美紀の記憶が戻った事は喜ぶべき事だという認識らしい。

 記憶が戻った本人も喜んでいるので、元の姿に戻った湊が少し複雑な気分になることを除けば丸く収まったと考えて良いだろう。

 そうして、美紀の顔色も戻ってきて、お茶を楽しむだけの余裕が出てくれば、七歌たちも八雲から生八つ橋を貰ってからツクヨミらが淹れてくれたお茶を飲む。

 彼女たちも自分たちの部屋で一息吐いた際にお茶を飲んでいたのだが、部屋のグレードの違いかスイートルームに置かれていたのは小さな容器に入って一万以上する高級茶葉だった。

 八雲は冷まして貰ったそのお茶を美味しそうに飲んでおり、赤ん坊のくせに舌が肥えているのだなと全員が思わず感心する。

 食べているのが旅館の売店で売っているお土産物の生八つ橋なので、お茶に比べると数段劣ってしまうが、八雲はもちっとした食感を気に入って食べているため気にならないのだろう。

 その後、お茶を飲み終えれば八雲にとっては遊ぶ時間だとばかりに美紀たちの手を引っ張り、彼女たちをバルコニーに作られた屋上庭園や露天風呂に案内した。

 有名な神社仏閣にあるような日本庭園とは比べることは出来ないが、旅館の屋上に作られたとは思えない見事な庭園には女子たちも感嘆の声をあげる。

 京都の夜景と相まって中々の風情を感じさせる屋上庭園に女子たちが満足すれば、記憶を取り戻した時に汗を掻いただろうとツクヨミの勧めで美紀が露天風呂に入ることになり、他の者たちも折角だからと一緒に露天風呂を堪能してから部屋に戻った。

 教師らの部屋で悲しい一夜を過す者、仲間を裏切りながら暢気に明日の計画を語り合う者、再び縁を紡ぐことが出来た喜びを噛み締めながら穏やかに眠りにつく者など、修学旅行の初日は様々な形で更けていった。

 

 


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