【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

32 / 504
第三十二話 前篇 部活-立案-

――???

 

 人は極稀にだが夢を見ているときに、自分が夢を見ていると認識出来ることがある。

 それは一般に明晰夢(めいせきむ)と呼ばれており、実際に明晰夢を経験した者によると、夢だと自覚した後は内容をある程度思い通りにコントロールする事が出来ると言われている。

 だからと言って、明晰夢を見た全ての人間が夢の中で好き勝手に行動できるかといえば、それはまた別の話であり、単に自分が自覚を持って観客でいられるというだけであったりもする。

 そうして、普段は夢など見ずに、ベルベットルームで鍛錬したりファルロスと会話をしている湊も、今日は自分が過去の記憶を夢で見ていると自覚しながら目の前の光景を眺めていた。

 

「ほら、八雲君、これが娘の写真だよ。ゆかりって言うんだ。とっても可愛いだろ?」

 

 初等部の敷地内にある木陰のベンチに幼い湊と岳羽詠一朗が並んで座っている。岳羽の手には、バースデーケーキの前で満面の笑みを浮かべている幼いゆかりの写っている写真が握られていた。

 ジュースを飲みながら垂らした足をぶらぶらとさせている湊は、ゆかりの姿を見て眉を僅かによらせると、子どもらしく自分が思った意見を素直に述べる。

 

「えー? んー……まぁ、ふつうかな。七歌(ななか)と大してかわんないとおもう」

「なっ!? ちゃんと見なさい! ほら、どこをどう見ても天使だろう!」

 

 湊の言葉に驚いた岳羽は、すぐに慌てた様子で写真を湊の顔の前に突きつける。

 そこまで至近距離になると、焦点を合わせられず、ぼんやりとしか見えないはずだが、幼い湊は気にせず岳羽を見ながら言葉を返した。

 

「天使はほんらい性別がないそんざいっていわれてるけど、きほんてきには男性的なとくちょうでかかれてるんだよ? ゆかりちゃんって男なの?」

「女の子だ! 将来は梨沙子に似てかなりの美人になるに決まっている、とても可愛い僕の自慢のム・ス・メ!」

「あと十年もしたら、おじさんの誕生日でも“わたし、今日は彼氏とデートだから”って言ってるよ」

「そ、そんな事は言わない。ゆかりは十年後でもパパって呼んでくれて、僕に抱きついてくるはずだ」

 

 小学一年生とは思えぬ変にリアリティのある冷めた言葉に、岳羽は思わず想像してしまったのか、顔を僅かに青くしながら否定した。

 だが、十年後の自分の娘は間違いなくモテる。他校の生徒にすら噂が広がり、○○高校のマドンナと呼ばれて毎日男どもに交際を申し込まれるに違いない。

 そんな風に考え、優しい娘が交際を断る度に心を痛める姿を幻視して、あまりの健気さに目に滲んだ涙をハンカチで拭いた。

 

「うぅ、ゆかり……。大丈夫だ、身の丈を弁えない男子が悪いんだ。交際を断る度に、お前が心を痛める必要はないんだ……」

「恋に恋して一人目でつきあうかもしれないじゃん」

「だから、君はどうして変に冷めてるんだ! おじさんの心を抉って何か楽しいのかなっ!?」

「ま、それなりに」

 

 そう返して湊は紙パックの中身を飲み乾し、少し離れた場所にあった屑カゴに空の紙パックを投げ入れた。

 縁に一切触れずに綺麗に入ったのを見て、げんなりしていた岳羽も思わず感嘆の声を漏らした。

 

「ほう、やっぱりすごいね。特別な訓練はしていないんだろう? それでそんなに見事なコントロールを持つのか」

「お父さんは下手だけど、僕とお母さんは血すじなんだって」

「それはすごいな。動物だと品種を固定化するために、何代にも亘って運動性能や身体的特徴の似た個体を掛け合わせるんだ。そうする事で、足の速い馬を作ったり、身体の小さな犬を作ったりするんだよ。八雲君たちも、運動が得意な人が祖先に沢山いるのかもしれないね」

 

 学者である岳羽は真剣な表情で考察しつつ説明すると、最後は湊と母親の血筋とやらのすごさを褒めて笑った。

 そして、腕時計で時間を確認した岳羽は、休憩時間がそろそろ終わるのか、膝に手をついて立ち上がり、()()()()()()()()()()を向いた。

 

「いつか、八雲君が僕の娘に会ったら、そのときは仲良くしてあげて欲しいと言ったね。優しい子だから、八雲君みたいな強い子が守ってくれたらおじさんも安心だと。今でも、まだあのお願いは有効かな?」

「――――――――」

 

 夢の中の湊は声を出す事が出来なかった。だが、確かに湊の言葉を聞いた岳羽は、嬉しそうに笑っていた。

 

 

4月6日(水)

朝――1-D教室

 

 入学式を終え、翌日は身体測定とクラス単位での学校内の施設巡りをした。

 午後からは部活案内ということで、新入生に入部してもらうため、各部が独自性に富んだ活動案内とアピールをしたのだが、岳羽ゆかりが興味を持つような部活は去年の夏のオープンスクールの時点で興味を持っていた弓道部しかなかった。

 クラスの男子の何人かは、袴を着て凛とした姿を見せる女子の先輩に視線を奪われていたが、ゆかりは純粋に格好良いなと思った。

 だが、残念ながら運動部に入れるのは四月の終わりごろで、それまでは何もする事がない。

 折角、親元を離れたといっても中学生ではバイトも出来ず、当分は帰宅部として学校と寮を往復するような生活になることだろう。

 それはあまりに味気ないなと思いながら上履きに履き替えて、階段を登って四階にある教室を目指す。

 

(はぁ、なんで一年が四階なんだろ……)

 

 運動は嫌いではない。しかし、朝から階段の上り下りは実に面倒で、身体の未熟な最低学年に最もきつい運動をさせる学校へ、不満を小さくこぼすのも仕方がなかった。

 

(せめて、三階だったらねぇ。ってか、文化部の部室を別の棟にしたら良いのに、本当に変なの)

 

 月光館学園の中等部と高等部は、教室棟は四階建てで上の階から順に一年、三年、二年、文化部の部室という構造になっている。

 部室以外にも科学室や被服室も入っているが、それは放課後にはそれぞれ科学部と家庭科部が使用しているので、文化部と全く無関係という訳ではない。

 授業での移動がフロア移動のみで少なく済むというメリットがあるのかもしれないが、ゆかりとしては前に通っていた小学校のように、専門教室は別館に集めた方が楽だと思えた。

 そんな風に、学校の構造について考えていると教室についた。何人かの女子が挨拶をしてくるので、それに返事をして自分の席に鞄を置いて座る。

 今日から実際に授業が始まるため、沢山のノートと教科書を鞄から取り出し机に入れた。

 

(授業ついていけるかな……一応、ここの高等部って上位は超難関大学に進めるくらい頭良いらしいし、定期テストの順位が貼りだされるのも嫌だなぁ)

 

 教材を机に仕舞い終えると、ゆかりは来る途中に買ってきていた紙パックのジュースを飲みながら少々だらける。

 実家に住んでいた頃、家に届いていた通信教育の案内の宣伝漫画を読んだのだが、中学校の授業は小学校のように生徒が分かるまで熱心に教えるような事はしないと書いていた。

 授業の進行ペースが決まっているので、分からない生徒がいても単元を進めていき。生徒は必死に黒板を写さなければならない。

 だが、黒板を写すことばかりに気を取られ、教師の話を聞けていないと、後でノートを見ても理解できない。

 けれど、理解しようと教師の話に集中していると、黒板を写すのが疎かになって、ノートはスカスカで全く役に立たなくなる。

 

(だから、頑張って予習をして、授業に出てくる言葉を理解できるようにしておきましょう、ってね。けど、知らないものを自分だけで勉強するのって難しくない? 私、出来る気しないわ)

 

 授業に乗り遅れるのは嫌だが、そもそも自分で単元を先取りして勉強出来ると思えない。

 故に、ゆかりは授業では自分で頑張るが、テスト前などは分かる人に聞きながら勉強していくスタイルで行く事に決めた。

 そうして、だらけていた姿勢を正し座りなおしたところで、教室で喋っていた生徒らの声のトーンが急に下がり静かになった。

 このクラスになって三日目だが、同じ現象は昨日も一昨日も起きている。そう、湊とチドリが登校してきたのだ。

 

「あ、吉野さん、その、おはよう」

「……ええ、おはよ」

 

 教室に入ってそれぞれの席へと別れると、勇気ある事にチドリの前の席の山岸という女子が挨拶をしている。

 席について鞄の中身を仕舞っているチドリが、それを一瞥して反応を示すと、すぐに視線を外され女子は戸惑っているようだが、ちゃんと返事をしてもらっているだけもう片方よりマシだとゆかりは思った。

 チドリと同じように、湊の傍の席の女子が恐る恐る挨拶をしている。しかし、湊はイヤホンを耳にはめたままで、完全に無視しているのだ。

 あれは本当に聞こえていないのか、それとも反応が面倒で、音楽を聴いていて聞こえなかったという理由を作っているのかは分からない。

 しかし、今後の事を考えると、その反応もどうだとゆかりは湊にメールを送ることにした。

 

(後ろの席の子が挨拶してるけど、聞こえてないの? っと)

 

 素早く文面を打ち終わり、最後に送信ボタンを押して湊をジッと見つめる。

 すると、届くまで十数秒のラグが存在したのか、少ししてから湊が携帯を取り出した。

 たった一文なので、読むのに時間がかかるとは思えない。実際に、湊もすぐに読み終えたのだろう。

 携帯をポケットに仕舞うと、イヤホンを外して挨拶をしていた女子に、

 

「ごめん、聞こえてなかった。おはよう」

 

 と、感情のほとんど籠もらない声で返した。

 自分が挨拶をしてから一分は経っていたので、挨拶をされた女子は驚いたようだが、雰囲気はともかく見た目と声はクラス内でも飛びぬけて良い湊に話しかけられ喜んでいるようだ。

 その後は、湊は再びイヤホンをつけて目を閉じてしまったので、女子たちと会話が続くことはなかったが、先ほどまでの嫌な雰囲気は多少薄れた。

 なんで自分が世話を焼いているんだと苦笑しつつ、ゆかりは朝のホームルームが始まるまで、人付き合いが不器用そうなクラスメイトを眺めて過ごしたのだった。

 

午前――教室

 

「んっふふー、これ一回目の中間テストで絶対出しますからね。サービス問題だよー」

 

 そう言いながら、楽しそうに佐久間は黒板に書いた、『アウストラロピテクス』という単語を指示棒で指した。

 佐久間の担当は社会科で、高学年になると世界史を主に担当するようになる。

 指示棒は自分で買って来たと自慢げに生徒に話したり、何かと子どもっぽさが見られるが、ゆかりとしては非常に分かり易く、ペースも早過ぎないので良い先生だなと思えた。

 何より、ノートも必要ではあるが、基本は佐久間自作のプリントを配り、それに重要語句を穴埋め形式で記入して授業を進めていくので、教師の話を聞きながら重要語句を覚える事が出来る。

 他の教科では、こういった教え方は難しいのかもしれないが、他の教師は出席を取り、自身の自己紹介をすると、ほぼすぐに授業を進め出したので、ゆかりの中での教える上手さランキングは佐久間が単独トップである。

 

(良い先生だなぁ。高校と大学が女子校で、彼氏がいたことはなかったらしいけど、こりゃ男子の中から告白する冒険者もでるかもね)

 

 教室を眺めてみると、真面目に聞いているようで佐久間の姿を目で追っている男子が何人か確認出来る。

 恋愛面で鋭い者ならば、そのうち幾つかが恋慕の情を宿し始めていることにも気付くだろう。

 佐久間は経歴からすると、どちらかと言えば箱入りのお嬢様育ちのようなので、生徒から告白されれば真剣に悩んで寝込んでしまうやもしれない。

 そうなると、佐久間自身が可哀想な上、自分たちも迷惑を被るので、馬鹿な真似だけはしないでくれとゆかりは心の中で密かに願った。

 

「アウストラロピテクスはね、大人でも一四〇センチくらいしかなくて、脳も現代人よりとっても小さかったの。あ、誰か現代人の脳の容積は知ってるかな? このクラスは入学前の学力テストでとっても優秀な子が集まっているので、知ってる人もいると思うなー」

 

 ゆかりが今後の学校生活の安寧を願っていると、ニコニコと笑いながら佐久間が教室を見渡していた。

 “アウストラロピテクスの脳容積は約500ml”と書き足され、その後に即興で問題を考えたらしい。

 生憎と、ゆかりは自分たちの脳の容積など知らないので答えられないが、自分の三つほど前に新入生代表を務めた真田美紀という存在がいる。

 学力テストでトップを取った者が答えられなければ、他の者も答えられないだろうと思ってみていると、佐久間が美紀に視線を送った。

 

「それじゃあ、真田さん。真田さんは現代人の脳容積は知ってる?」

「えと、分かりません。2000mlくらいですか?」

「んー、惜しいけどハズレでーす。それじゃあ、隣の有里君、正解をズバッと言ってあげてー!」

 

 笑顔で期待に満ちた眼差しを送る佐久間。だが、教室にいた他の者たちは、なぜよりにもよって湊を指名したのだと、思わず心の中でツッコミを入れていた。

 当てられた本人は板書がないときは、窓の外を眺めたりしていて、反応までに数秒のズレが存在する。

 しかし、話自体は聞いていたようで、アンニュイな表情で佐久間の方へ振り返った湊は、低いがよく通る声で答えた。

 

「……成人ならおよそ1400ml前後、人類の進化の過程で脳容積2000mlは流石にいなかったけど、進化で途中分岐したネアンデルタール人なら1700mlくらいはあったと思われるものも確認されている」

「大正解! 有里君が言った通り、ネアンデルタール人って脳容積が大きい種族がいたんだけど、それは私たちの直接の祖先ではないの。それはもう少し後で習うから、そのとき詳しく説明するね。それじゃあ、授業を進めていっきまーす!」

 

 湊が答えると、佐久間は満面の笑みで授業を進め出した。しかし、ゆかりは湊が美紀も分からなかった問題をすらすらと答えた事で、軽い混乱を覚えていた。

 

(なんで!? 有里君って我儘プーのお馬鹿さんじゃなかったの!? ってか、先生も正解すると思って当てたってことは、実は成績上位者? うっそぉ、見た目は舐めてるのに、そんなスペック高いとか卑怯でしょ……)

 

 相手を見下していたつもりはなかったが、心のどこかで自分よりも成績下位がいることに安心感を覚えていた。

 けれど、それは全くの勘違いで、相手は隠れた知的キャラであり、クラスでトップと思われていた人物よりも、いま確認しただけでも社会科や生物に関する知識については上だったのだ。

 家は金持ち――と思われる――で、顔はクールなイケメン、身長もクラスでは高い方で運動が出来そうなしっかりとした身体付き。そこに頭の良さまで加わるとなると、ゆかりには性格と雰囲気と人付き合い以外に悪い点が見当たらなかった。

 無論、その時点で十分に駄目人間に分類されるのだが。

 

(うぅ……なんだろ、すんごいヘコむ……)

 

 その後、授業自体はちゃんと受けていたが、ゆかりは湊に対して抱いた疑問のせいで、どこか集中を欠いていた。

 

昼休み――教室

 

 午前中の授業が終わり昼休みになった。月光館学園では初等部以外では給食は存在しないため、 中等部と高等部では、自分で昼食を持って来なければ、購買部で何か買うか食堂に行くしかない。

 もっとも、高等部になると昼に抜け出して外に買いに行ったり、どこかで食べてくる者もいるが、もしも見つかった場合、それなりのペナルティが発生するので、そのような事をする者は殆どいなかった。

 そうして、岳羽ゆかりはどのような昼食を用意しているかというと、まだ自炊出来るような料理スキルを持っていないため、オニギリ二つとポテトサラダを学校へ来る途中に買ってきていた。

 

「やっぱり、頭使うとお腹減るわねぇ」

 

 授業はまだ始まったばかりだが、新しい環境で内容が難しくなった勉強をするというのは、中々に疲れるものである。

 今後はさらに難しくなっていくことを考えると嫌になってくるが、不満ばかり漏らしていても何にもならない。

 故に、いまは身体が求めているように、食欲を満たし身体に栄養を取り入れようと、鞄から取り出したコンビニ袋の中身を机の上に広げた。

 しかし、食べ始めようと未開封のオニギリを手に取ったところで、視界の端で赤髪の少女に話しかける者の姿が目に入った。

 

「あの、お昼……一緒に食べても良いかな?」

 

 そんな風にチドリに話しかけている者の名は、山岸 風花(やまぎし ふうか)

 クラスにラ行とワ行の名字の者がいないため、出席番号の最後になっているチドリの一つ前の番号の生徒である。

 透き通るような声をした、小柄で小動物を思わせる中々に愛らしい容姿をしており。ゆかりと同じように中等部からの入学のようで、まだクラスで親しくなった友人もいないため、席が前後で同性であるチドリと交友を深めるため昼食に誘ったらしい。

 しかし、他の者もゆかりと同じように考えているはずだ。湊がいるチドリがそんな誘いを受ける筈がないと。

 そうして、小さなお弁当の包みを持って、風花が不安を隠しながら笑顔を向けてチドリの返事を待っていると、チドリは机の横にかけていた鞄を手に持って立ち上がった。

 

「私、ここでは食べないから。来るなら勝手にすればいい」

「一緒に食べていいの?」

「勝手にすればいいって言った」

 

 チドリは少々冷たく聞こえる言葉で淡々と返したが、意味する内容は共に食事をすることを拒否しないというものだ。

 風花はそれを理解して明るい表情を見せると、鞄から水筒を取り出し、弁当の包みと一緒に持って立ち上がった。

 一方のチドリは、教室に前と後ろに一つずつある出口の後ろ側の方に立って、湊がやってくるのを待つ。チドリと同じように鞄を丸ごと持って席を立つと、湊も合流するため後ろの扉に向かって歩き出した。

 だが、何を思ったのか、湊は途中でピタリと足を止めた。そう、岳羽ゆかりの机の横で。

 

「……何か御用でしょうか? そこに立たれると威圧感があるんだけど?」

「友人もいないのか?」

「っ……まだ親しくなれてないだけでいない訳じゃないわよ」

「……行くぞ」

 

 失礼な事を言われてムスッとした表情でゆかりが反論すると、湊は表情の通り、興味もなさげに切って捨て、ゆかりの昼食を全てコンビニの袋に仕舞い直して持ち去った。

 急に変な声をかけてきた上に、空腹の自分からまだ手をつけていない昼食を奪うとは何事だと、ゆかりは貴重品を手に取って慌てて立ち上がり、既にチドリらの元へ歩き出していた湊を追う。

 まわりの生徒は事態がよく分かっていないようで、目を丸くして傍観者に徹しているが、今のゆかりにまわりの様子を把握している余裕はなかった。

 

「ちょっと、私のお昼返しなさいよ!」

「チドリ、一人追加」

「そう。なら、時間もなくなるし、早くいきましょ」

 

 短く返事をすると、チドリは特に気にせず教室を出て歩き始めた。その後ろをついていく風花は、湊の後ろで怒って騒いでいるゆかりを時折心配そうに振り返ってみているが、怒らせている本人は意に介さず、チドリの後をついて歩いて行く。

 そうして、ゆかりは相手の制服を掴んで止めようとしたりもするのだが、湊は振り返りもせずに身体を捻って躱し、結局、止まらせる事は出来ずに相手の目的地まで共に行く羽目になった。

 

***

 

「屋上って出れたんだ……」

 

 キョロキョロと周囲を見渡しながら風花がこぼした。

 チドリたちがやってきたのは、一年生のフロアからさらに上がって扉を出ると行く事の出来る学校の屋上。

 屋上へ出るための扉の前には、お約束通りに予備の机と椅子が大量に置いてあったが、幸いなことに壁際には人が一人通る事が出来る隙間が空いていたので、四人はそこを通って扉から出たのである。

 ただし、高等部と違い屋上は解放されておらず、扉にはしっかりと鍵が掛けられていて、それを湊がポケットから取り出した鍵で開けてしまったのだが。

 

「ねぇ、有里君さ。なんで屋上の鍵持ってるの?」

「拾った」

「……私、クラスメイトから退学者出るとか嫌だよ?」

「共犯だろ、一緒に屋上に出た時点で」

 

 相手を心配した言葉に湊は振り向きもせず答えると、そのままフェンスの方へと歩き出した。

 チドリも同じように後を追っていくが、ついてきた風花とついて行かざるを得なかったゆかりは、お互いに顔を見合わせて口元を引き攣らせていた。

 学校が始まったばかりでいきなりの校則無視。

 もっとも、湊とチドリに関しては入学式の時点で服装の違反をしていたが、それは本人らも自覚してやっているので、学校側と本人だけの問題だ。

 けれど、風花とゆかりの両名は、本人たちに破る意思はなかったというのに、巻きこまれる形で共犯にされてしまった。

 屋上へ出ることでのペナルティがどうなるかは分からない。しかし、これで清く正しい学校生活を過ごす日常は半分終わったと理解した。

 

「……諦めよう。もう、色々と諦めよう。彼に関わった時点でそういう運命だったって受け入れる事にするわ」

「だ、大丈夫だよ。ほら、先生もまだ気付いてないし。明日から別の場所で食べようって言えば、ね?」

 

 脱力しながらとぼとぼと歩きだしたゆかりを、風花は出来るだけ安心させられるような笑顔で慰める。

 屋上に出てきた事は確かに校則違反だが、何も悪い事をしようと出てきた訳ではない。自分たちは、ただ落ち着いて昼食を取れる場所を探して屋上へとやってきたのだ。

 故に、場所が駄目なのならば、明日からはまた別の場所へ移ればいいだけだと、風花は落ち込むゆかりを元気付けようとした。

 その言葉を聞いたゆかりは、視線の端にブルーシートを広げている男子を収めながら、少々意外そうに風花を見た。

 

「ああ、次から別のグループと食べるって選択肢はないのね。けど、そういうのって、見た目と雰囲気だけでレッテル貼るような連中よりも良いと思うよ。二人って多分、不器用なだけで悪い人じゃないと思うし」

「そ、そうかな? 私は、ただ同じクラスになった人とお話したいなって思っただけなんだけど」

「朝の挨拶した人もいるけど、他の人は明らかに避けてるでしょ。十分に少数派よ」

 

 ゆかりの言葉に照れたように困惑する風花と話しているうちに、二人は湊の広げたブルーシートに到着した。

 上履きを脱いで上がっているチドリに倣って、ゆかりと風花も上履きを脱いでシートに座る。

 すると、鞄から大きな弁当箱を取り出していた湊が、ゆかりにコンビニの袋を返してきた。

 

「……返す」

「勝手に取っておいて、返すじゃないでしょ。ま、もういいけどさ。ってか、君、そんなに食べるの?」

 

 袋を受け取ったゆかりは、湊の持っている二人前は軽くありそうな弁当を見て、その細身のどこにそれだけ入るのかと不思議に思った。

 隣にいるチドリは女子では一般的な二段の弁当箱なので、これは明らかに湊だけが大食いである事を示している。

 包みから自分の弁当箱を取り出していた風花も、湊の弁当箱のサイズと中身の量に驚いているようだ。

 

「あ、有里君ってたくさん食べるんだね。でも、男の子だし、私たちよりいっぱい食べないとお腹すくよね」

 

 一人で感心して一人で納得する風花に、ゆかりは「いや、これ大人でも多いって……」という、ツッコミを入れたかった。

 だが、この場では自分だけがツッコミ役のようなので、気疲れしないためにも流すことにし、オニギリの包装を外してぱくりとかぶりつく。

 普通のコンビニのオニギリだが、温かな日差しと通り抜ける風の気持ち良さもあって、普段よりも美味しく感じられた。

 

(あー、なんか良いかも。フェンスの向こうには街と海が見えるし、こんな場所でお昼っていうのも小さな贅沢だなぁ)

 

 そんな風にゆかりが思っていると、風花も同じように思ったのか、ベーコンのアスパラ巻きを箸で摘みながら笑顔で皆に話しかけた。

 

「屋上って気持ち良いね。高等部だと屋上も解放してるらしいけど、こっちでも解放してくれたら良いのに」

「……フェンスはあるけど、屋上でサッカーとかバレーする馬鹿もいるから無理でしょ。落ちてきたボールで怪我人が出ても、名乗り出ない犯人もいるでしょうし。責任を取りきれない学校は、最初から解放しないって選択肢しか取れないわ」

「あ、そっか。そうだよね。軽いボールでも、この高さから落ちてきたら怪我するよね」

 

 チドリが饒舌に話す姿を見て固まるゆかりに対し、風花はもぐもぐと咀嚼しながら共感して頷いている。

 これは自分が驚き過ぎなのか、それとも山岸風花の適応力が高いのか。そんなどうでも良い事に悩んでいると、食べながら無言で他の者を眺めていた湊と目があった。

 入学式で話して以降は、まともな会話や雑談をしていないと思い、ゆかりは自ら話題を振ってみる。

 

「そういえばさ。有里君たちと一緒にいた女の人ってどっちのお母さんなの? かなり若いなって思ったんだけど」

「どちらのでもない。あの人は俺たちの未成年後継人。保護者ではあるけど、血の繋がりは一切ない」

「未成年後継人……?」

 

 “未成年”と“後継人”、それぞれの単語の意味は分かるが、“未成年後継人”という単語は聞いた事がなかったので、どういったものなのか分からない。

 風花も同じようにキョトンとしているので、同年代で知っている者の方が珍しいものだと思う。

 そうして、ゆかりらが湊を見ていると、湊は少々面倒そうにしながら説明を始めた。

 

「保護者や身元保証人という認識で良い。親がいない、親が保護者としての責任を果たせない状態でも、その子どもが困らず生活していけるようにするための制度だ。ようするに、昔の俺たちは親がいない状態だったんだよ」

「私は両親の顔も覚えてないけど、桜とは五年近く一緒に暮らしているから、もう母親みたいなものよ。だから、別に親がどうとかあなた達が思う必要はない。ていうか、思われても私たちは気にしてないから、気にされた方が迷惑」

 

 湊の言葉に続けてチドリが話すと、チドリらの境遇を“可哀想”だと感じていた二人は、不意をつかれたようにハッとした表情をした。

 確かに、親がいないことは幸せではないかもしれないが、いないからと言って、その人が現在も不幸かと言えばそれは違う。

 自分たちが勝手な価値観で決めつけていた事を自覚すると、ゆかりと風花は二人に抱いた間違った感情を訂正した。

 そして、折角話す機会が出来たのだからと、暗くなりかけた雰囲気を払拭するため、風花も自ら新たな話題を出す事にする。

 

「そういえば、吉野さんは美術部に見学に行くって言ってたけど、もう行ってみました? 私も美術部に興味あったから、知ってたらどんな感じだったか聞きたいんだけど」

「……ここ、美術部なかった。何年も前に部員がいなくなって休部状態だって」

「え、ええ? そう、なんだ……ちょっと残念だなぁ」

 

 風花は特別絵に興味がある訳ではないが、自分で何かをするという事に軽い憧れを覚えていた。

 小学校の図工の授業では、下手なりに絵や粘土細工を楽しんでいたので、クラスメイトが入部するのならば、自分も思い切って入部しようと考えていたのだが。

 それがまさか、入部以前に部自体が既に過去のものだとは思わず、小さく箸を咥えたまましょんぼりと肩を落とした。

 しかしそこに、二人前の弁当を既に食べ終えて、鞄からお菓子を取り出して食べていた湊が声をかける。

 

「部活、ないなら復活させれば良い。部員は五人いれば条件は満たしていることになる。後一人見つけて申請用紙を出せば四月中にでも活動再開させられる」

「そうなの? 顧問の先生とか見つけなきゃいけないんじゃ?」

「……“クマモン”がいる。あの人、新任だからまだ顧問になってない」

『くまもん?』

 

 チドリの言葉にゆかり達が頭上にクエスチョンマークを浮かべる。二人がまず思い浮かべたのは、とあるご当地キャラクターのクマの着ぐるみの姿だ。

 けれど、そんな存在は学校にはおらず、また、見た目が似ている教師もいない。

 一体誰の事を言っているのだと思っていると、湊が呆れた表情で補足した。

 

「佐久間文子。佐久間のクマに、文子の文はモンとも読む。だから、カタカナでクマモン。チドリが思い付いた適当なニックネームだから、分からなくて当然。別に気にしなくて良い」

「吉野さん、まさか先生にそれ言ったりした?」

「……クマは好きだって」

(言ったんだ……)

 

 普通、そのような間抜けなニックネームを付けられて喜ぶ者はいない。まして、教師を敬うべき生徒が呼んだとなれば、軽い叱責を受けてもおかしくないだろう。

 だが、幸いにも佐久間はそういった事に大らかで、むしろ、生徒が親しみを込めて呼んでくれたと喜んだに違いない。

 入学早々、良いクラスになれたとは思っていたが、自分が思っていた以上に緩いことに、ゆかりは思わず口元を引き攣らせた。

 そう、引き攣らせたのだが、それより僅かに前の湊の言葉に引っ掛かる事があった事を思い出し、湊に視線を向けた。

 

「ねぇ、さっき後一人って言わなかった? 君と吉野さんと山岸さんで三人。となると、後二人が正しい筈なんだけど……もしかして、私も数に入れてたりします?」

「……暇だろ?」

「暇じゃねえっつの! てか、会って三日でどんだけ遠慮のない態度取ってんだ! 私は弓道部に入る予定なの。だから、美術部は無理よ」

 

 入部はまだ出来ないが、道具にどれだけの金額が掛かるかという書類は一応既に貰って来た。

 最初は体力作りの筋トレと、射る際の動作を反復練習して、徐々に実際に矢を射るようになるのだろうと思っている。

 運動は苦手ではないが、授業に必死に付いていきながら、部活で毎日くたくたになるに違いないので、流石に文化部にまで所属する余裕はない。

 食べ終わって出たゴミをコンビニ袋に放り込みながら断ると、ゆかりは袋の口を縛って湊に視線を再度向けた。

 

「…………」

 

 視線がかち合うと、相手は何の感情も読めない、ただ気だるげな表情のまま見返してくる。

 ゆかりの個人的な印象だが、湊とチドリは二人とも似たような雰囲気を纏っているものの、実際は性質そのものが違っているように思う。

 面倒くさそう、つまらなさそう、それが二人の表情を見て最初に感じる印象だろうが、チドリは素でそういった顔つきをしているだけだ。つまりは、普段から真顔でいるだけ。

 対して、湊は真顔なのではなく、本人が実際に周囲に何の感情も抱いておらず。無感動でほぼ全くと言っていいほど興味を持っていないのだ。

 一応、入学式の最中に僅かに驚いた顔をしていたので、全く感情を持っていない訳ではなく、さらに言うなら感情の動きも存在する。

 それらが何を基準にどのように動くのかは分からないが、湊がどのような返事をしてくるか待っていると、たっぷり三十秒ほど見つめあった末に口を開いてきた。

 

「……名称は美術工芸部。活動日は火・木・土曜日で、テスト前には部室で勉強会を開催したりしなかったり。因みにどこぞの弓道部志望者は入学前テストで全体の半分くらいの順位だったが、山岸は十六位と入部希望者には成績上位もいる」

「え、本当に? へぇ、すごいじゃない」

 

 密かに自身のテストの成績を暴露されたことを華麗に流し、感心したようにゆかりが風花を見ると、風花は僅かに頬を染めて返した。

 

「べ、別にすごくないよ。ただ、両親が成績に厳しいから勉強してただけなの。それにほら、うちのクラスには真田さんもいるし」

「あー、新入生代表ね。あの人が参加するなら、一緒にテスト勉強したいかも。休み時間の様子見てると、すごく親切で分け隔てなく接する人みたいだし」

 

 アウトローさで目立つ湊に対し、隣の席である真田美紀はその聖母の如きオーラで目立っている。

 既に何人もの男子が、放課後に一緒に遊ばないかと廊下で誘っていたのを見かけたが、彼らはどこからともなく現れた彼女の兄で、同じ月光館学園二年生の真田 明彦(さなだ あきひこ)から放課後に部活見学に来るよう言い渡されていた。

 相手は二年生にして既にボクシング部のエースで、そこへ見学に来るように言われたとなれば、当然、その末路は分かっている。

 案の定、今日の朝に見た、見学に行った男子らの顔には痣と腫れがあった。

 周囲の男子が何があったのかと詳細を聞いていたため、ゆかりの耳にもその内容は入ってきており。なんでも、美紀をデートに誘って良いのは自分とのスパーリングで3R以上耐えた者のみ、告白して良いのは自分に試合で勝利した者のみと言われたという。

 だが、試合時間こそボクシングと同じでも挑戦者は蹴りや肘もありで、武道を嗜んでいるなら竹刀などその武道の試合で使う道具は使用可。さらに、階級や減量を一切気にせず試合をするとのことで、実はかなり挑戦者に有利な条件となっている。

 しかし、真田は全ての相手に勝利した。八十キロちかい体重の柔道部員も、真田がトレーニング時に着ているシャツすら掴ませずにノックアウトしたため、美紀を狙っている在校生の男子らは皆、どうやれば勝てるかと意見を交換し合っていた。

 そんな騎士の存在するお姫様を、周囲から不良のレッテルを貼られている男が部活に誘って入部させられるとは思えない。一緒に勉強できないことは残念だが、ゆかりはこれで体よく断ろうと思った。

 だが、そう考えたのも束の間、

 

「なら、五人目はあいつで良い。他のメンバーは……別に必要ないな。とりあえず、俺たちと真田、顧問は佐久間先生で申請しておく。許可は一週間くらい掛かるだろうけど、今日の放課後にミーティングをするから空けておくように」

 

 湊は大真面目に言って鞄に弁当箱を仕舞いだした。

 それを聞いたゆかりは焦ったように声をかける。

 

「ちょ、ちょっと、まだ誘ってもないのにミーティングなんて」

「場所はまた後で連絡する。とりあえず、俺はいまから声をかけてくる」

 

 そういうと湊は鞄を持って立ち上がった。

 他の者も既に食べ終わっていたので、慌てて立ち上がり上履きを履くと、戻りかけていた湊はブルーシートを片付けて扉へと向かった。

 チドリは黙ってその後ろを歩いているが、ゆかりと風花は困惑した表情で前を行く男子の背中をただ見ていた。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。