――稲羽郷土展・第二夜
夏祭りを模しているのか蒸し暑い空気が漂う第二層。
時折ある“尻”と書かれた布看板が気になるも、メンバーたちは敵が現われると陣形を組んで排除していた。
「やっちまえ、ヘルメス!」
呼び出され上空に飛び上がったヘルメスは、着物を着た枯れ木のようなシャドウ“招きの女御”に向かって急降下してゆく。
金属の翼を刃にして敵を切りつけ、すぐに離れて味方の射線を確保すれば、体勢の崩れた敵に向かって待っていたとばかりにコロマルのケルベロスが炎弾を放つ。
「アオーン!」
三つの頭それぞれが炎弾を形成し、時間差でシャドウ目掛けて雪崩れ込む。
一発ならば耐えられる攻撃でも、続けて二発、三発と続けば防ぎきれず、まともに喰らった敵は炎の爆発に呑まれて消滅していった。
「はあっ!!」
一方、順平たちが戦っている裏で別のシャドウの相手をしていた七歌は、竹で組まれた椅子に腰掛ける老人型シャドウ“浅薄の翁”に接近すると自ら薙刀で切りつけて待避する。
この攻撃でバランスを崩してくれれば儲けもの。そうならなくても、味方が攻撃する隙が出来ればいい。
そうして、椅子の脚の一つを切って七歌が離れれば、シャドウがそれを追おうとしたタイミングでゆかりが弓を放った。
「させないっつーの!」
「援護します。すぐに後退してください」
ゆかりの弓がシャドウ本体の頭部に向かって飛べば、敵は七歌の追跡を諦め後退して避けた。
だが、まだ完全には安心できないため、アイギスがサブマシンガンの掃射で七歌が戻るための時間を稼ぐ。
一発一発は大した威力ではないが、続けて当たればシャドウにもダメージが通る。
敵もそれが分かっているようで深追いはしてこず、七歌が味方の許に戻ってきたところでアイギスも攻撃をやめた。
しかし、七歌たちの攻撃はこれで終わりではない。味方が完全に逃げ切った事を確認したタイミングで荒垣のカストールが敵に向けて飛び出す。
「ぶっつぶせカストール!」
砲弾のように勢いよく飛び出したきたカストールが一本脚の騎馬で敵を押し潰さんと迫る。
パワーと重量を兼ね備えたカストールの一撃だ。かつては、戦車型のシャドウですら重厚な金属で出来たボディが蹄形に陥没して本体がひしゃげていた。
そんな攻撃を老人型のシャドウが喰らえばひとたまりもない。敵は大慌てで着地予想地点から飛び退き、直後、カストールが着地した床が爆発したように割れて砂埃が舞い上がった。
無事に回避できた敵は安堵の息を吐いているのかもしれないが、そんな余裕を七歌たちが与えるはずもなく、砂埃で視界が悪くなったところに上から氷槍の雨が降り注いだ。
「フゥ……こんなところか」
ペンテシレアを敵の頭上に回り込ませていた美鶴は、氷槍の雨に打たれて敵が消滅したのを確認するとペルソナを消して呼吸を整える。
蒸し暑かったフロアも氷槍の冷気によって少し温度が下がり、辺りに涼しい風が吹き抜けた事で戦闘を終えた者たちは心地よさを感じた。
《敵の反応全て消滅、戦闘終了です。おつかれさまでした》
周囲の反応を探ってくれた風花からも戦闘終了の通信が入ると、戦っていたメンバーたちは警戒を解いて待機組の許まで戻ってゆく。
彼らにはりせから戦闘終了の通信が入っていたようで、全員が落ち着いた様子で戻ってきた者たちを労う。
七歌たちもそんな仲間たちに笑顔で返していると、ゆかりはチドリに抱っこされている八雲が何かを食べている事に気付いた。
「あ、八雲君いいの食べてるねー」
「ま!」
美味しそうだねとゆかりが笑顔で話しかければ、八雲はどこか自慢げに手に持ったビニール製の容器を掲げてみせた。
昔ながらのジュースのガラス瓶を模したデザインになっているそれは、百円程度で売られている“パピッ子”というソーダ味のシャーベットだ。
蒸し暑いダンジョンの内部では冷たい飲み物などがどうしても欲しくなる。
しかし、水分の過剰摂取は戦闘を控える者に取っては避ける必要があり、さらに言えばメンバーたちの持ってきている水などの物資にも限りがある。
それ故、他の者たちは前線組に優先的に水を回して節約しているのだが、八雲は精神的にも肉体的にも我慢が難しい赤ん坊だ。
元から大人より体温が高く、さらにダンジョン内の移動では抱っこされている事が多いので他の者よりも暑く感じる。
さらに、身体が未熟な赤ん坊はちょっとの事で体調を崩してしまう恐れがあるので、八雲には他の者と違って水や食料を気にせず摂取させているのだ。
勿論、彼に与えられる水や食料はメンバーたちが持ってきている物とは別であり、八雲に関わる物だけは湊のマフラーに貯蔵されているものを与えている。
それを見ていた一部のメンバーからは、自分たちも湊のマフラーから分けて貰えば良いのではという意見も挙がったが、アイギスやチドリが湊に集るような真似はさせないと禁止し、さらに七歌や鳴上からも物資の減りは自分たちの疲労の目安になるので、撤退すべきタイミングが分からなくなる状況は避けるべきだと反対していた。
おかげでダンジョン内で自由に飲食できるのは八雲だけとなっているが、こうも暑いと流石に羨ましさが理性を超え始めるのか、戦闘で疲れていた順平が優しいお兄さんを演じて八雲に話しかけた。
「なぁなぁ、八雲君。お兄さんも一緒にアイス食べたいなぁ」
「う?」
「ご飯は皆で一緒に食べると美味しいだろ? アイスも同じで皆と一緒に食べた方が美味しいんだぞ」
「おー」
八雲は赤ん坊なので他の者にご飯を食べさせて貰っているが、その時は一緒に食べるのが楽しいのか笑顔でいることが多い。
順平の話を聞いてそれを思い浮かべたのか、納得したように頷くと残っていた中身を全て飲み干し、ゴミをお腹のポケットの無限収納内に取り込んでから何かを探し始めた。
「……ちょっと、うちの八雲に変なこと吹き込まないでくれる?」
「いやいや、オレっちは何も嘘は言ってねーよ? 一緒に飯食った方が美味いのは事実だし、オヤツだって一緒だろ?」
「そうやって赤ん坊を利用して……」
順平が言っていることは理解出来るが、その行動は完全に彼個人の利益のためだ。
純粋な赤ん坊を騙すようなやり方にチドリは嫌悪感を覚え、八雲がこんなやつにアイスを渡さそうとすれば止めようと決意する。
チドリがそんな事を考えているなどと思ってもいない順平は、八雲がアイスをくれることに期待して取り出すのを待っていた。
少しすると目的の物を見つけたようで、八雲はお腹の黒いポケットから“パピッ子ツインズ”と書かれたアイスの袋を取り出した。
今度のアイスは先ほど食べていた物の小型版で、代わりに一袋に二つ繋がって入っている。
これならば順平が言ったように一緒に食べることが出来ると考え、八雲は袋を乱暴に破ってアイスを取り出すと、繋がっている容器を器用に切り離して一つをアイギスに向けて差し出した。
「あい!」
「わたしにくださるんですか? 嬉しいです。どうもありがとうございます」
「ちー!」
「もう一つは私にくれるの? ふふっ、ありがとう」
二つの容器の片方はアイギスに、もう片方は自分を抱っこしてくれているチドリに渡す。
アイギスに渡すことはやや予想出来ていたが、もう一つは彼が自分で食べると思っていただけに、受け取って貰えて嬉しそう笑っている八雲を見てチドリは胸に温かい物が広がるのを感じた。
いつまでも食べないと不思議がられてしまうので、貰った二人は他の者に悪いと思いつつも八雲の見ている前で食べ始める。
視界の端で帽子を被った顎ヒゲ面が愕然としているのを無視しつつ吸い込めば、パピッ子ツインズ限定のメロンソーダ味のシャーベットが身体と頭を冷やし、甘さが疲れを癒やしてくれる。
水分補給ではここまでリフレッシュできなかったので、このダンジョンでは自分が思っている以上に疲れていることに気付かされた。
一気に食べ過ぎると頭が痛くなるので、ある程度のところで口を離すとフゥと息を吐いてから八雲に改めて礼をいう。
「ありがとう、八雲。おかげで元気になれた」
「うー!」
片手で抱っこしながら食べているので頭を撫でてやる事は出来ないが、穏やかな表情でチドリが礼を言えば八雲は喜んで貰えた事に嬉しそうにする。
そんな、自分の事よりも他人の事で喜ぶところを見ると、彼の性格はやはり湊のままなのだなと納得できる。
もっとも、年齢的に言えば八雲の方が下だが、ここにいる八雲は正確に言えば湊の過去ではないのだが、今はそんな事はどうでもいいかと考えてチドリは再びアイスに口をつけた。
すると、八雲がアイギスとチドリにアイスを渡すのをすぐ近くで見ていた順平が、アイスを貰えると思って伸ばしかけた手をどうしようか迷いながら話しかけてきた。
「ちょ……えー、オレっちには? お兄さんにはくれないの?」
「うーう、あーぶぶ」
「あ、あはは……兄さんが知らない人にはあげちゃダメって英恵さんに言われたと」
「うっそだろ!? オレってば有里が縮んだ頃からずっといたぞ!?」
順平だって付き合いの長さではアイギスやチドリと変わらない。
だというのに、未だに自分の事を知らない人と認識していたとなれば、流石にそれは酷いだろうと順平は抗議の声をあげた。
やや本気さを感じる順平のそんな言葉を聞いた八雲はというと、あまり気にしていないのかチドリにアイスを分けて貰いなが言葉を返す。
「まう」
「八雲さんが冗談だと仰っています。ただ、わたしたちにアイスをくれたのは抱っこしてくれているお礼だと」
「やだ、赤ん坊なのに律儀で健気……でも、オレっちも食いたかった」
八雲が二人にアイスをあげた理由を聞いて、順平は思わず良い子だなとほろりと来そうになる。
そういう理由であれば八雲を抱いていた事のない順平が選ばれなかったのも無理はない。
男子で彼を抱っこしたことがある者など、ダンジョン内での食事のときに椅子になっていた善くらいではないだろうか。
女性陣は皆一通り抱っこしていたが、八雲にも好みがあるのでメインはアイギスで後はチドリや玲にあいかなどが主に抱っこしている。
今回は暑いダンジョン内で抱っこしてくれている二人にあげたようなので、理由を理解した順平は次こそ貰えるよう様々な手段を考えて自分の持ち場へと戻っていった。
***
休憩を挟みつつ奥へと進んでゆくと、再びあの筋肉の化物がいた。
相手は元気に自分の縄張り内を彷徨いており、敵を観察していた鳴上がどうしたものかなと顎に手を当てる。
「さて、また例のF.O.Eがいるな」
《見つかったら厄介だから、アイツの視界に入らないように注意してね》
あくまで敵に感知能力がない事が前提だが、マッスルなF.O.Eは人間と同じように自分の視覚を頼りに追って来ているようだった。
相手の視界に入らないように気をつければ、ある程度はまでは近付いても問題がないはずだとりせは言う。
ただ、相手と初めて会ったときに眠っていた八雲は話が分からないのか、何の話をしているのかと首を傾げている。
「ま?」
「八雲さん、あのF.O.Eはとても足が速いんです。見た目通り鍛えられた肉体が武器といったところでしょうか。パワー、スピード、タフネスを兼ね備えた強敵と言えるでしょう」
「おー」
チドリから交代したアイギスに抱っこされている八雲も、アイギスと一緒に壁に隠れながら遠くにいるF.O.Eの姿をこっそり見る。
確かに相手の肉体は鍛え上げられていて、魔法などの小細工に頼らずともその身を武器に戦うだけで大概の敵には勝てそうではあった。
客観的に評価しようとすればするほど、相手のその無駄につき過ぎているとも言える筋肉を褒めるしかない。
アイギスがどこかうんざりした様子で相手のスペックを説明して少し道を戻り、完全にお互いの姿が見えない場所にくれば、八雲がアイギスに降ろして欲しいと身振りで示した。
ダンジョン内は危ないので出来るだけ抱っこして一緒に行動したいのだが、こういうときの八雲は何かしらしたいことがあるパターンが多い。
故に、彼を床に降ろして見守っていれば、八雲はシャツを脱いで上半身を出すと両腕を上げた状態で力こぶを作って見せた。
「むきゃ!」
急に何がしたいのだろうと見ていた者たちはしばし呆ける。
だが、すぐにF.O.Eに対抗して見せているんだと気付き、赤ちゃんのプニプニお肌でマッチョポーズを取っている赤ん坊に雪子が微笑みかけた。
「フフッ、八雲君の方が強そうで格好良いよ」
「むふー」
ガチムチのマッスルよりも八雲の方が強そうで格好良い。
実際は格好良いというより可愛らしいのだが、今回はこう褒めた方が喜ぶと思って雪子は言葉を選んだ。
おかげで八雲も得意気に胸を張っており、旅館の接客の中で磨かれた対人コミュニケーションが見事に発揮されたと言えるだろう。
思わず可愛いと言いそうになった女性陣は小さく反省しつつ、鳴上が先ほど言った通り、どうやってF.O.Eを攻略するか意見を出し合う。
完全に別の道へゆくか、それとも視界にだけは入らないよう注意して隠れて近くの道へ行く。いっそ実際に戦って相手の強さを正確に把握してみてはという意見も出た。
しかし、ナビ役の二人が揃ってそれは推奨できないと言ってきた事で、これまでのダンジョンに出てきたF.O.Eとは比べものにならない強さなのだとメンバーも暗に理解する。
強さだけでなく生理的にも厄介な敵を前に話し合いが続いていれば、
「ワンワン!!」
「うわっ、ビックリした。どしたのコロマル?」
急にコロマルが吠えたことで七歌が一体何と彼に尋ねる。
だが、コロマルは答えもせず駆け出し、F.O.Eのいる方へ向かっていった。
そっちへ行ってしまうとF.O.Eに見つかって相手を呼び寄せる事になる。それは不味いと全員が止めるために追いかけると、曲がり角に着いたところでコロマルが駆け出した理由を理解した。
「あいやー!」
一体いつの間にいなくなっていたのか。上半身裸で右手にシャツを持った八雲が、一人でF.O.Eの正面に立っていた。
無駄にやる気満々で、既に相手にも見つかっているので介入しようにも間に合わない。
とはいえ、何もしなければ八雲がF.O.Eの餌食になってしまうため、アイギスが即座に対物ライフルを構えると、対峙する二人に動きがあった。
《フンッ!!》
「ちぇい!」
四メートルを越す巨体が繰り出すは、筋肉のきしみが聞こえるほど見事なサイドチェスト。
対する一メートルにも満たない幼児が繰り出すは、思わず微笑ましくなるフロント・ダブル・バイセップス。
続けてF.O.Eはアブドミナル・アンド・サイで全身の筋肉をアピール。
負けじと八雲はなんちゃってモスト・マスキュラーで対抗している。
F.O.Eと赤ん坊のそんな対決を遠くから見ていた者たちは、二人は一体何の戦いをしているんだと困惑する。
そも、いま八雲と謎の勝負をしているF.O.Eは好戦的な追尾型なので、目の前に来た者を敵と認識して戦い出さないのはおかしい。
ポージング対決も戦いではあるのだろうが、いまいち納得がいかない上に、いつまで二人はポージングしているのかも謎である。
このまま八雲がいつまでも敵の前から逃げられないと危険なので、どうにかして救出できないかを話し合う。
男子たちが代わりにポージング対決を挑めば良いのではと雪子が言えば、他の女子たちもそれなら行けそうだと賛同する。
だが、言われた男子たちは、失敗すれば間抜けな格好で死ぬかもしれないんだぞとその作戦を拒否。
完二だけは赤ん坊のためならとやる気を見せたが、他の者たちがもっとマシな作戦を考えるべきだと止めた。
そうして、いつまでも意見が纏まらずにいれば、F.O.Eの正面にいた八雲の身体が光に包まれていた。
まさかこのタイミングでか、と一同が彼の復活に僅かな希望を抱く。
すると、光に包まれた身体が徐々に大きくなり、一メートルもなかった身長が二倍ほどになったところで光が弾けるように消えた。
「はぁ……暑苦しいやつの前に出たもんだ。その面は鬼のつもりか?」
そこにいたのは、アンニュイな表情のまま上半身裸で右腕に黒いマフラーを巻き付けた青年。
正面に立っている筋肉の化物に比べれば細いが、遠くから見ていて背中や肩周りの筋肉が盛り上がっているのがハッキリと分かるほど見事な身体をしている。
F.O.Eも対峙する青年の肉体がかなりのレベルだと分かるのだろう。取っていたポーズを解くなり、ここからはどちらの肉体が優れているかの勝負だと言いたげに戦闘の構えを取った。
《フンヌッ!!》
気合いと共にF.O.Eは丸太のように太い右腕を振るって殴りかかる。
通常のシャドウの倍速以上の豪速で拳が迫り、握り締められた鋼の拳が青年の頭部を捉える。
「遅いし、攻撃が雑だ」
だが、上体を横に反らすことでそれを寸前で躱した湊は、カウンターで敵の腹筋に自分の拳を叩き込んでいた。
身長差は倍近いが、彼が元から持っている剛力に相手の攻撃の勢いが加わり、その拳は恐ろしい威力を発揮する。
カウンターを喰らった敵が僅かに身体を浮かせると、そこから湊は攻勢を強めてゆく。
浮いた相手の足が地面に着くなり、左手で脇腹を殴りつけ、敵の重心が左に寄れば、今度は殴った左腕を引きながら右手で腹筋を殴りつける。
殴られて今度は右に重心が寄った敵は、それを利用して右足で踏ん張ると右腕を横薙ぎに払って見せるが、湊はウィービングでしっかりと攻撃を掻い潜り、がら空きの右脇を左で強く殴りつけた。
倍近い体格差に加えて湊は素手だ。上手くカウンターを合せることで攻撃を決めるが、鍛え上げられた筋肉の鎧を持つF.O.Eは頑丈さに自信があるのか、攻撃を喰らいながらでも滅茶苦茶に殴り返してくる。
けれど、湊は持ち前の動体視力と反射神経を駆使し、ウィービングで攻撃を躱しながら完璧なシフトウェイトで動きを繋げて攻撃の手を休めない。
躱して右で殴ったかと思えば、すぐに入れ替わるように左を繰り出し。左で殴り終わればすぐに躱しながら右が打ち出される。
続けて左、右、左、右、左、右、左右、左右、左右、左右左右左右左右左右―――――。
彼の周りだけ空気が渦巻いていると錯覚するほどの交互に繰り出される左右による滅多打ち。
はじめは攻撃を喰らいながらも反撃していた敵は、いつしか身体を丸めて両腕を使ってガードしている。
だが、完全にリズムに乗った湊は相手がガードしていようが関係ないとばかりに、重い音を響かせる拳の連打を浴びせ続けた。
素人からすればただ一方的にタコ殴りにしているようにしか見えないだろう。
けれど、格闘技を囓った者からすれば、湊の動きは全て計算され尽くしたものだとハッキリ分かる。
F.O.Eのガードを横から殴りつけてずらし、相手が再び元の位置に腕を戻そうとしたタイミングで空いた肋骨を真横から抉り込むように打つ。
あまりの衝撃に相手の膝ががくんと落ちかければ、そこから湊はさらにペースと回転数を上げて拳打を浴びせた。
殴る度、ドンッ、と腹の底に振動が伝わってくるような音が鳴り響き、そんな重い拳で殴られすぎて変色した腕は上げることもままならず、ガードをこじ開けられれば防ぎようがないと敵はただ一方的に殴られ続ける。
完全に湊の攻撃のペースに嵌まった敵は抜け出す事が出来ず、そのまま数十発の拳撃に翻弄されると最後に湊が放った左のフィニッシュブローで吹き飛び仰向けに地面に倒れると消滅していった。
まさかの殴り合いで強敵のF.O.Eを倒してしまった青年に女性陣はポカンと呆けるが、一方で男子たちはどこか満足げに笑っている。
「あいつ、いつの間にデンプシーロールなんて覚えたんだ。だが、良い拳だった。俺も負けてられん」
「ああ。拳のタイマンで勝つたぁ、最高にシビれたぜ」
途中から腕組みをして真剣に見ていた真田は、自分がアウトボクサーであるため、先ほどの湊のような戦い方は出来ないと分かっている。
だが、一人の男としては自分の力で相手をねじ伏せるようなインファイトに憧れもあった。
同じ感性を持つ完二も最高に男らしい戦い方だったと賞賛し、どこか自分も湊と拳の殴り合いで戦ってみたそうにしている。
そんな熱血系の二人を見ていた花村は、確かに熱い戦いではあったけどなと苦笑する。
「おいおい。なんか熱いやつらが感化されてっぞ」
「けど、陽介も正直格好良いと思っただろ?」
「まぁ、男としちゃあ軽く嫉妬は覚えるけどな。流石に自分もああなれるとは思わねぇよ」
あれだけの近距離だとお互いの間合いが重なり合うので、後は肉体の性能と技術の勝負になってしまう。
大人と子どもほどに体格差があれば、身体が大きいF.O.Eが圧倒的に有利。
それを湊は人の限界を超えた身体性能で強引に迫り、己の持つ技術を合せることで完全に上をいった。
確かに格好良かった事は認めざるを得ないが、花村は自分が彼と同じように出来るとは思えない。
故に、真田や完二とは温度差があるんだと鳴上に笑って答えた。
敵を倒し終えた湊は右腕に巻き付いているマフラーからシャツを取り出し、それを着ながら戻ってくれば真田が楽しそうに話しかけた。
「有里、お前いつの間にボクシングなんて学んだんだ? ウィービングもシフトウェイトも部のやつらに見せたいほどだったぞ」
「……留学中に民間軍事会社の人間に習いました。何でもありだと有利過ぎたんで、キックを封じるためにボクシングだけで戦ってる内に、掻い潜って殴るのが上手くなりました」
「なるほど、当時のお前は小さかったからな。腕力はあるもののリーチで負ける分、小柄だからこその戦い方を編み出した訳か」
湊は攻撃を躱すのも見事だったが、真田としては攻撃時の腰の回転や腕を引き戻す際の勢いを利用し、全て次の攻撃に活かすシフトウェイトの方が気になっていた。
ああも見事に全ての動きを攻撃のために繋げて行くことが出来れば、ほとんど足を止めた状態でも自分の攻撃力をフルに発揮する事が出来るだろう。
勿論、やろうとして簡単に出来る事ではないし、近距離故に相手の攻撃を見切って躱せなければピンチに陥るリスクの高い戦法だ。
これまでエースと呼ばれる者たちを打ち破ってきた真田だからこそ、湊がどれだけ難しい事をしていたのか理解する事が出来る。
ただ、真田が求める強さの理想の形の一つがまさに湊の戦い方なのだ。
インファイトが出来ないなどと言っていられる状況ばかりとは限らない以上、アウトボクサーとインファイターを切り替えられるようにしておく必要がある。
「フッ、ここでお前の戦いを見られて良かった」
プロの試合の映像を見て研究することもあったが、F.O.E相手にボクシングのみで戦っていた先ほどの戦闘の方が何倍も刺激を受けた。
今も真田の瞼の裏に湊の動きの一つ一つが鮮明に焼き付いている。
この後、いきなり真似をしてF.O.Eに挑むつもりはないが、湊の動きを取り入れて納得できるレベルに至れば、自分もF.O.E相手にどこまで通用するか試してみたかった。
ダンジョンの暑さに集中力が乱れ始めていたはずが、湊の戦いで火がついた様子の男子たちは、真田を先頭に勝手に前線組の配置についてしまう。
月光館学園と八十神高校の男子複合チームでちゃんと機能するかは不安ではあるが、本人たちがやる気ならばそのままにしておく事にした。
勿論、そのメンバーの中に湊は入っておらず、マフラーをコート型にして着込んだ彼はアイギスの隣で煙管をふかしている。
先ほどまでの男らしい姿と今のギャップには少々困惑するが、強力なF.O.Eを倒して疲れているのかもしれない。
そう考えた他の女子たちは復活したばかりの湊を休ませつつ、男子たちの戦いを補助して先を目指した。