【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百七十六話 倍プッシュ

――中庭

 

 夕食として湊が用意してくれていた食材を使い、学校の中庭でBBQをしていたメンバーたち。

 途中参加した男子たちが率先して調理を担当していたのだが、そんな彼らも含めて視線はアイギスの隣に座っている赤ん坊たちに注がれていた。

 

「うー」

「アイ」

 

 片やパンダの着ぐるみパジャマを着た青髪金眼の少年、八雲。

 片やパンダの黒地の部分が薄ピンクな着ぐるみパジャマを着た白髪銀眼の少女、ベアトリーチェ。

 どちらも地面につくほど髪が長いので、今は軽く結われてちょっとした侍ヘアになっている。

 そんな二人はお互いに向き合って手押し相撲のようにタッチを繰り返して遊んでいた。

 小さい手でパチンパチンと可愛らしい音が鳴り、それがコミュニケーションになっているらしく二人は楽しそうに笑っている。

 だが、湊とベアトリーチェの関係を知っている他の者からすると、どうして湊と肉体を共有している彼女が一つの個体として出てきたのかが分からない。

 隣に座っているアイギスは、とりあえず二人が椅子から落ちないよう気をつけて見ていれば、アルビノにしか見えない真っ白な肌の赤ん坊が増えた事に驚いていた千枝たちが寄ってきた。

 

「え、なんで赤ちゃん増えてるの? てか、この子誰?」

「増えた理由は分かりません。ですが、こちらの方はベアトリーチェさんのようです」

 

 増えた理由を聞かれたところでアイギスは答えられない。

 目を離していた数秒のうちに隣で増えられた自分の方が知りたいくらいなのだ。

 近寄ってきた千枝を不思議そうに見つめる赤ん坊の頭を撫でつつ、そういった理由でアイギスがとりあえず名前だけを伝えれば、似た顔つきながら東洋風の八雲と西洋風のベアトリーチェを観察していた直斗が口を開いた。

 

「すみません、そのベアトリーチェさんとは? 同じように縮んだ有里先輩の知り合いの方ですか?」

「はい。というより、男性的側面が八雲さん、女性的側面がベアトリーチェさんなので、二人は性格の違いを除けば完全に同一人物です」

「同一人物? それは多重人格的な話ですか?」

「似て非なるものですが、大雑把に言えばそう思って貰って構わないかと」

 

 湊とベアトリーチェの関係はアイギスたちも完全に理解している訳ではない。

 だが、鬼と龍の始祖から聞いた話によれば、異界の神であるベアトリーチェを神の器としての機能を持った鬼の子孫の肉体に降ろし、鬼の子の魂を炉心として無尽蔵のエネルギーを有した神に成る事が本来の目的だったという。

 それを受け皿として優秀だった湊が神を逆に取り込み、完全に魂ごと融合したことで一つの魂で二つの意思を持つ特異な存在となってしまった。

 何も知らない直斗らにそれを伝えれば難しい表情になり、完全にはまだ信じられていないようだが、今ここにいる赤ん坊二人は男子が湊本来の魂を持ち、女子がベアトリーチェの魂を持っているに違いない事は理解して貰えた。

 複雑な事情があっても今は目の前に二人の赤ん坊がいるだけだ。

 対応も今まで通り八雲にしていたものと同じで問題ないはずなので、ただ賑やかになるのだろうと思って初めて会う者たちがベアトリーチェに挨拶しようとすれば、

 

「ま、あうあ!」

「マウ!」

「皆さんを紹介してあげるそうです」

 

 八雲がベアトリーチェの手を引いて椅子から降りるなり、そこにいる者たちの傍に駆け寄りながら彼女に紹介してゆく。

 彼がどんな風に紹介してくれるのか興味がある者たちは、料理の番をしている者たち以外はアイギスの翻訳に耳を傾ける。

 

「まーも、やい、もーも!」

「優しいお姉ちゃん、なんか知り合いの人たち、英恵おばさんの子どもの牛さんだよ、と言っておられます」

 

 最初に紹介を受けたのはアイギス、そしてアイギスと美鶴以外の女子を指で指し、最後に美鶴のことを紹介した。

 優しいお姉ちゃんと呼ばれたアイギスは嬉しそうに笑い。その他大勢扱いを受けた他の女子たちは残念そうに肩を落とす。

 しかし、一人だけ牛さんと呼ばれた美鶴が何故だと首を傾げていると、調理していたはずの男子らが「成程」と頷いて胸の辺りを見ていた事に気付き、八雲の言葉の意味を理解した彼女は「――処刑する」と絶対零度の瞳で男子らを捉えて向かっていった。

 それを見ていた八雲は持ち場を放棄して逃げ出した者たちを指さし、ベアトリーチェに彼らのことも紹介する。

 

「ぶーたん、ごーご、ぷー!」

「仕事の出来ないダメな子分、中々分かってるゴリラ的子分、使えない子分たち、だそうです」

 

 クマ、完二、その他の男子の順に紹介してゆくが、当の本人たちは美鶴のペンテシレアから逃げていて話を聞いていない。

 子どもの前で情けない姿を見せている男子に女子たちも呆れているが、美鶴のペンテシレアから逃げる際、ここは僕が囮になるから先に行けと綾時が足を止めて残っていた。

 無論、彼のペルソナには氷結に対する耐性がないので一瞬で氷像に変えられていたが、その間に他の者たちは一歩でも遠くへ逃げることが出来ていた。

 男子たちと美鶴がいなくなった中庭に残っていた八雲は、やりきった表情で凍っている綾時を指さして彼の事もベアトリーチェに紹介する。

 

「め!」

「メ!」

「ダメな人、まさにその通りであります」

 

 これはダメな人だよ、と八雲が真面目な顔で教えてやれば、ベアトリーチェもダメな人なのねと真剣に頷く。

 赤ん坊たちが正しく綾時のことを認識している事にアイギスは満足そうに頷き、さらに移動した八雲たちはコロマルの許に辿り着く。

 

「わんお!」

「お、これはあたしにも分かったよ。コロちゃんのことワンちゃんだよって言ったんでしょ?」

「いえ、違います。八雲さんは僕の愛馬だよと仰いました」

 

 八雲の言葉から答えを予想する千枝。しかし、彼女の予想よりも八雲は長く話していた。

 たった一つの単語にそこまで意味を込めている事に驚いたが、さらに言えばペットのコロマルを愛馬として認識している事も謎である。

 確かに二人は仲が良さそうであったがと思って八雲たちに再び視線を向けると、なんと伏せの状態で大人しくしていたコロマルに二人が乗ろうとしていた。

 前に八雲を乗せて歩いてはいたが、流石に倍の重量を乗せては立つのも辛いに違いない。

 期待に瞳を輝かせワクワク顔の二人には悪いが、このままではコロマルが潰れてしまうと判断したラビリスが慌てて二人を止めた。

 

「コラコラコラ、二人乗りはアカンて。流石にコロマルさんが潰れてまうから」

「ヤイ!」

「別に知り合いやなくても言うわ。ほら、今はご飯食べてはるから遊んで貰うのは後にしぃて」

 

 ラビリスが止めに入るとベアトリーチェが“知り合いの人”が邪魔しないでと怒る。

 けれど、赤ん坊に言われた程度で引くラビリスではなく、コロマルに跨がっていた二人を順番に降ろすと二人にもご飯をちゃんと食べるように言いつけた。

 八雲の方は慣れているのか素直に離れていったが、ベアトリーチェは八雲以外にはまだ心を許していないからか不満そうに去って行く。

 そんな彼女を困った表情でラビリスが見送ると、その先で八雲がお腹のポケットからレジャーシートを取り出して広げていた。

 赤ん坊である二人は大人用の椅子に登って座る必要があったので、そういった手間を嫌って八雲はレジャーシートを出したのだろう。

 シートを広げ終わると八雲は先に座るようベアトリーチェに言って、自分は新しい紙皿を手にテオドアの許へ駆けてゆく。

 今度は何を貰いに行ったのかと他の者が眺めていると、八雲は数本のソーセージを載せて嬉しそうに走ってシートに戻ってきた。

 それだけでは栄養が偏ってしまうので、野菜も食べさせなければと考えるも、今は楽しそうにしている赤ん坊らをただ見守る。

 

「ま!」

「ナウ!」

 

 お互いの間にソーセージを置いた八雲はポケットから子ども用のフォークを取り出し、ニコニコと笑ったまま相手に渡す。

 受け取ったベアトリーチェも同じように笑顔を見せており、赤ん坊二人が仲睦まじくしている光景が非常に眩しく映る。

 風花などは冒しがたい神聖な空間だとしてうっとりした目で眺めているが、再びお腹のポケットをゴソゴソと漁って八雲が取り出した物を見てしばし固まった。

 

「うー」

「ウー」

 

 彼が新たに取り出したそれは二つのビールジョッキ。形状こそそっくりだが大きさは中ジョッキサイズで、さらに言えば材質もガラスではなく透明な樹脂製と思われる。

 赤ん坊が持てばサイズ比で大ジョッキ並みになるが、なんでそんなものをと思っている間に、八雲が小さな瓶ビールを取り出して器用に開けるとベアトリーチェの持つジョッキに注ぎ始めた。

 なんで瓶ビールなのに王冠ではなく捻って開けるキャップタイプなのかとツッコミたいが、赤ん坊がそんなものを飲んで良いはずがないので、交代してベアトリーチェが八雲のジョッキに注いでいるうちに雪子が取り上げに向かう。

 だが、近くまで行った雪子はしばらく二人を見ると、そのまま取り上げもせずに戻ってきた。

 このままでは二人がビールを飲んでしまうと焦った他の者が雪子に戻ってきた理由を聞けば、

 

「あれ、バター風味の子どもビールみたい」

 

 と一切アルコールの入っていないジュースである事を告げてきた。

 なんでそんなものを八雲が知っているのかは分からないが、子どもが大人の真似をしてお酒気分を味わおうとしているなら可愛いものだ。

 男子たちを処刑し終えて戻ってきた美鶴も事情を聞き、食事を再開しながら二人を見ていれば、しっかりと泡の層が出来たビールを満足そうに持った二人がジョッキを掲げて乾杯をする。

 

「ちゃーず!」

「チャーズ!」

 

 おそらく“チアーズ”と言っていると思われる二人は子どもビールを途中まで飲むと、フォークを使って可愛らしい仕草でソーセージを食べている。

 焼きたてで熱くなっているため、火傷してしまわないか心配ではあるが、二人は美味しそうにソーセージとビールを交互に口に運びながら話をしているので、しばらくは好きにさせて問題はなさそうだった。

 そんな二人を眺めていた七歌は千枝に肉焼きを代わって貰うと、自分もさらにいくつかの料理を載せて美鶴の向かいの席に腰を下ろす。

 

「レジャーシート広げて二人で宴会始めちゃったね。ソーセージに子どもビールってのが何とも子どもらしくないけど」

「まぁ、大人しくしてくれている分には構わんさ。それより、八雲とベアトリーチェが分離した事について話そう。ベルベットルームの住人から見て、八雲たちの状態で何か気付いた事はあるか?」

 

 湊が用意していたのは本場ドイツのソーセージ数種。中には胡椒の利いた辛いものもあるのだが、バター風味の甘い子どもビールを飲んでいる二人にはいいつまみのようだ。

 それを食べている間は二人も大人しくしており、さらに椅子から落ちる心配もないので周りで見ていれば問題ない。

 故に、今は八雲とベアトリーチェが分かれた理由について考えようと、美鶴がベルベットルームの住人に尋ねれば、上品に焼きトウモロコシを食べていたエリザベスが顔をあげて答えた。

 

「ええ、まぁ。分離というより分裂と言った方が正しいのですが、その理由も概ね把握しております」

「その理由というのは?」

「回復量を倍にするためでございます」

 

 分離と分裂は確かに言葉としては似ているが別の意味を持つ。

 だが、それがどう八雲たちに当てはまるのか分からず、回復量を倍にするという意味も含めてさらに説明を聞く。

 

「八雲様は退行しておりますが、別に大人だった八雲様の肉体が消滅した訳ではありません。肉体を分解され小さな八雲様に作り替えられているだけなのです」

「待ってくれ。それが本当であれば、あのサイズで本来の重量のままという事になるんじゃないのか?」

「はい。だからこそ、八雲様は余分な分をエネルギー状態で保持していたようです。ただ、子どもの食べる量や寝る分では回復が遅いので、八雲様は余っている分をベアトリーチェ様に渡して二倍速で行こうと思われたのかと」

 

 湊と八雲では身長だけでも倍以上異なる。体重で言えば七倍以上湊の方が重いので、湊の身体を分解して八雲サイズにすると漬け物石かと言いたくなる赤ん坊が出来る事になってしまう。

 しかし、八雲を抱き上げた事のある美鶴は、八雲の体重が平均的な赤ん坊の軽さであったことを知っている。

 故に、ただ分解して再構築したのではあり得ないと考えたのだが、どうやら湊から八雲に退行するときには複雑な処理が行なわれているらしく、八雲の肉体構築に不要な分はエネルギーのまま保持されているとのこと。

 そして、今回のベアトリーチェについては、身体を倍にすれば食事量も睡眠も倍になるだろうと、その保持していたエネルギーを使って肉体を構築して具現化したらしい。

 判断したのが元の湊なのか、それともそこで宴会をしている赤ん坊なのかは分からないが、元の湊は仕事の失敗で上半身と下半身がさよならした状態から蘇生された事もあるらしいので、出血を伴わない分離ならいくらか健全かと美鶴は無理矢理に納得する事にした。

 エリザベスのおかげで彼が二人に分かれた理由を理解したメンバーらは、彼らの言語で談笑する赤ん坊を眺めながら食事を再開する。

 ベアトリーチェについては以前湊から反転して出てきたときもあまり言葉を交わせなかった。

 なので、赤ん坊になった彼女とも一歩ずつ関係を築いてゆくしかないと、八十神高校側のメンバーにも伝えれば、処刑を免れた稀少な男子である天田と善と共に食事をしていた玲が、お皿に肉やサラダを載せてレジャーシートへ向かってゆく。

 

「はーちゃん、わたしもお話していいかな?」

「ま!」

「ビーチェ!」

「わぁ、自分のお名前言えるんだ。ビーチェちゃんっていうの? じゃあ、ビーちゃんって呼ぶね。わたしは玲だよ。よろしくね」

 

 日本人の感覚で言えばベアトと略したくなるが、イタリアなどでのベアトリーチェの一般的な略称はビーチェとなる。

 故に、ベアトリーチェが舌っ足らずに自己紹介をすれば、玲は二人の前に持ってきた料理を置きながら、とってもお利口さんだねと頭を撫でた。

 八雲にしか懐いていなかったはずの彼女は、玲に頭を撫でられて不思議そうにしていたが、八雲が笑って拍手をすると褒められていると分かったのか嬉しそうにしている。

 本来湊以外の他人に一切興味のない彼女に受け入れられるのは一種の才能と言って良い。

 玲自身も赤ん坊の世話が好きなようなので、ベアトリーチェが他の者に懐くまで玲に手伝って貰った方がいいだろう。

 赤ん坊たちと一緒にシートに座った玲が善たちを手招きで呼んでいるのを見ながら、美鶴は世話は大変そうだが事態は好転していると考えようと他の者に話す。

 

「有里の回復速度が上がった事をとりあえずは喜ぼう。二人の世話に関しては全員出来る限り協力してくれ。彼が戻ってきた方が安全性がまるで違うからな」

 

 通常攻撃でF.O.Eを倒してくれる戦力は貴重だ。

 綾時もペルソナを使えば簡単に倒せるようだが、ペルソナの連続使用は継戦能力を考えると避けたい。

 湊がいない間は綾時に強敵を任せる事にもなってしまうので、負担の分散を考えると湊の復活は急務。

 故に、ここにいた者たちだけではなく、処刑から復活した男子たちが戻ってくると、七歌から八雲とベアトリーチェが分裂した理由を伝えて二人の世話への協力を約束させた。

 まぁ、彼らは八雲に“使えない子分たち”と見られている事が判明しているのだが、そのとき本人たちは美鶴の処刑から逃げていて話を聞いていない。

 よって、彼らはBBQへの参加を許可して貰った恩を感じたままなので、全員がすんなりと頷いて協力できる事があれば任せろと言ってくれた。

 

「ま、こんなウマイもん食わせて貰ったしな。一宿一飯の恩を忘れない男よ、オレっちは」

「そだな。けど、明日からまた祭りメシかぁ……。嫌いじゃねーけど、こういうの食べちまうと普通の食事が恋しくなってくるよな」

 

 今回の夕食も普段の食事とは異なるが、ソース味の濃い味付けのものばかり食べていた者たちにすれば、丁寧に下拵えされた食事は何にも勝るご馳走だった。

 肉のタレやサラダのドレッシングも複数用意されており、白ご飯がいくらでも食べられると思えるほどだ。

 そんなものを食べてしまえば、こちらの世界の食事に戻るのは辛いと花村が肩を落とせば、鳴上や荒垣が材料さえあればと話す。

 

「焼き魚定食とかミックスフライ定食とか、そういうのも食べられると良いんだが材料がな」

「ああ。出来ても野菜炒めくらいだ。それも焼きそば用の野菜を流用したな」

「なんもねぇよりマシっすよ。流石に毎日ソース味じゃ参っちまうし」

 

 一応、ホットドッグなどもあるがそれらは朝食か昼食用で、晩ご飯にはパンではなくもっとがっつりしたものを食べたくなる。

 仮に焼きそばの野菜などを使った野菜炒めであっても、現状で作れるものがそれしかないなら、あるだけでもありがたいと完二が言えば、話を聞いていた女子たちも揃って頷いていた。

 すると、玲や善にも子どもビールを渡して一緒に食べていた八雲も会話が聞こえていたらしく、一体何の話かと玲に尋ねる。

 

「ま?」

「えっとね。皆、学校のゴハンだけだと飽きちゃうんだって。お魚とかお味噌汁とかが食べたくなるんだって」

「おー」

 

 彼はこの世界に来たばかり。食事も玲から貰ったドーナッツやアメリカンドッグしか食べていないので、この世界の食事事情などは把握していない。

 しかし、他の者たちが悩んでいる事は理解したのか、それは難しい問題だなと言いたげに頷いていた。

 本当に理解しているのかは分からない。一般的な赤ん坊より遙かに知能は高いようだが、それでも言葉の意味を理解出来ていない事もあるので、やはり赤ん坊は赤ん坊でしかないのだろう。

 ただ、今の八雲たちの仕事は沢山食べて沢山休む事だ。二人がそれをしてくれれば湊に戻る期間は格段に早くなる。

 八雲たちが湊に戻りさえすれば通販も再開できるはずなので、クマとコロマルを呼んで玲やベアトリーチェと一緒に話をしている赤ん坊に今は小さな期待をするのみであった。

 そうして、湊とは別の拠点を利用していた者たちは、随分と久しぶりに感じるまともな食事を存分に堪能すると、赤ん坊は二人とも女子拠点で預かる事になり、アイギスと玲が二人の歯を磨いてやってからそれぞれの拠点で休んだ。

 

 

――ヤソガミコウコウ

 

 翌朝、拠点で目を覚ましたアイギスは、抱いて寝ていた八雲がいないことに気付いて一気に覚醒を果たした。

 部屋の中を見渡しても彼の姿はなく、オマケにベアトリーチェと玲とあいかもいない。

 朝早くに目を覚ました赤ん坊らを二人が連れて行っているのなら問題はないが、もしも二人だけで出て行ったなら心配だ。

 書き置きも何もないので、すぐに探しに行こうとアイギスが身支度をしていれば他の者たちも起きだし、そういう事なら全員で探そうと他の者もすぐに身支度を完了させて拠点を出た。

 そして、結果から言えば風花の力で赤ん坊たちの反応はすぐに見つかった。拠点のある実習棟ではなく教室棟の一階、現実の学校にはない一年四組の教室に玲とあいかだけなくクマ、善、コロマルも一緒にいた。

 

「えっと、“まんぷく亭”ですか?」

 

 ただし、アイギスたちが到着したそこは、昨日の夜まで間違いなく普通の教室だったはずが、壁と入口が和テイストになり、“まんぷく亭”と書かれた暖簾まで出されていた。

 見た感じでは普通の定食屋のようだが、表に出された小さなホワイトボードには朝、昼、晩でそれぞれ二時間ほどずつの営業時間が書かれている。

 ラストオーダーは閉店三十分前なので、ホワイトボードと一緒に置かれた時計を見るとまだ開店から三十分ほどなので一時間の余裕がある。

 

「とりあえず入ってみようよ。玲ちゃんたちも中にいるみたいだし」

「そうですね。では、ごめんくださーい」

 

 七歌に言われてアイギスが先導して横引きの扉を開けると全員で中に入る。

 中は現実世界に存在する定食屋のように、いくつかのテーブル席とカウンター席が並ぶ落ち着いた空間が広がっていた。

 

『いらっしゃいませー!』

 

 そして、入店してすぐに元気な声で挨拶が聞こえてくる。

 カウンター席の奥にある厨房へと続くと思われる出入口の方を見れば、黒い甚平を着て頭に三角巾を巻いた玲とクマが出迎えてくれた。

 

「わぁ、皆いらっしゃーい。来てくれてありがとー!」

「まんぷく亭にようこそクマ!」

 

 流石にクマが着ぐるみの上から着られるサイズはなかったようで、クマは黒い前掛けと三角巾を巻いただけだが、しっかりと制服まで用意したからには真面目に商売するつもりなのだろう。

 ただ、やはりどうしてこんな店が一晩のうちに出来たのか分からないので、姿の見えない赤ん坊たちの居場所とこの店が出来た経緯も含めてアイギスは聞き返した。

 

「お二人とも、ここは一体? それに八雲さんとベアトリーチェさんは?」

「ここは皆に美味しいご飯を食べてもらうお店だよ! はーちゃんが一緒におみせ屋さんしよって言ってくれてね。ビーちゃんとコロちゃんも善とあいかちゃんと一緒に厨房にいるよ!」

 

 二人が無事ならば良かったとホッと息を吐く。

 ただ、自分に相談もなくこっそりとおみせ屋さんなるものを始めようとした理由が知りたい。

 そう思ってアイギスが奥の厨房へ向かおうとすると、クマが両手を広げて通せんぼして彼女を止めた。

 

「おっとぉ、お客様の厨房への立ち入りはご遠慮願うクマ! ささ、立ってないでお席へご案内するクマよ」

 

 今のクマたちは店員でアイギスたちは客だ。ここは彼らが自分たちでやろうと思って作ったお店なので、そこで勝手な事をしてはまずいかとアイギスは渋々従って席に着く。

 流石に全員で同じテーブルに座る事は出来ないので、アイギス・ラビリス・チドリ、美鶴・七歌・ゆかり・風花、千枝・雪子・りせ・直斗で三つのテーブルに分かれる。

 すると、クマが各テーブルに二つずつ分厚いメニューを置いていき、入れ替わるようにやってきた玲がおしぼりとお水を置いてゆく。

 店の内装だけでなくメニューも写真付きの本格派で、値段は三百円から五百円と破格な事もあり思わず悩んでしまう。

 定食屋と思いきやトーストとサラダとスープに選べる卵料理一品のセットなどもあり、直斗はこれにしようと決めつつ他の者が選ぶ間に、素人がプロデュースしたとは思えないほど凝っている店について尋ねた。

 

「随分と本格的ですね。メニューとかは夜のうちに作っていたんですか?」

「ちがうよ。えっとね、ここは不安定な世界だからはーちゃんとかだと世界に浸食して部屋の一部として色々と作れるんだって。あ、勿論、ご飯とかは無理だよ?」

 

 玲は素直な気持ちからすごいよねと八雲たちを褒めているが、話を聞いた他の者たちは世界に浸食するという不穏な単語に表情を強張らせる。

 通販の発送センターも一人で作ったとは思えない出来だったが、そちらも同様に世界の一部を作り替えたのだとすれば、湊にとってこの世界で出来ない事などないのではと思ってしまう。

 勿論、そうであればダンジョンを一本道にしたり、元の世界に帰る扉を開放しているはずなので、彼にも出来ない事はあるのだろうが、赤ん坊になっても教室を作り替える事が出来るというのは素直に驚きだ。

 そんな事を思いつつ、全員が注文を決めるとクマと玲に伝えて料理がくるのを待った。

 昨夜に続いてまともな食事が取れそうだと分かった一同の表情は明るい。待っている間もリラックスした状態で雑談を交わし、どれくらいで運ばれてくるのだろうかと待っていると、入口の扉が開いてコロマルと一緒にメティスたちが入ってきた。

 

「あ、姉さんたちも来ていたんですね。おはようございます」

「何ここ……てか、犬が案内するって……」

「ワン!」

 

 どうやら彼は途中で抜け出してメティスたちを呼びに行っていたらしい。

 お客獲得に余念がない犬に対し、マリーが変な犬だと訝しんでいるが、彼女たちとベルベットルームの住人ら三人も席に着けば、そちらでクマと玲が応対し、代わりに厨房の方から伝票の挟まったバインダーを持ったベアトリーチェがやって来て各テーブルの横にバインダーを引っかけて回る。

 

「マウ」

「あ、伝票持ってきてくれたんだ。お手伝いして偉いね」

「イー」

「あ、女将はこの店で二番目にエラいクマよ。一番は師匠クマ」

 

 雪子がベアトリーチェを褒めれば、彼女は何やら不満そうな顔をした。

 どうして不満そうなのかと不思議に思っていれば、クマが彼女は手伝いではなく店で二番目に偉い人なのだと教えてきた。

 つまり、彼女も立派な従業員であり、末端の店員たちに指示を出す管理職でもあったのだ。

 勘違いに気付いた雪子がすぐ謝罪すれば、ベアトリーチェは別に良いけどとすました顔でカウンターに入っていき、そこにある台に上って店全体を眺める。

 副店長ポジションの人間がそんなところで暇そうにしてて良いのかという疑問もあるが、メティスたちの注文を厨房へと通したクマが先に頼んでいた七歌たちの料理を持ってきたため、自分の前に置かれた料理を見た者たちは細かい事を考えるのを放棄した。

 

「ほわぁ、ホンマにお店の料理やな。クマさんたちすごいわ」

「八雲君たちはおみせ屋さんってごっこ遊びの感覚なのかもしれないけど、私らにとってはこの価格でちゃんとしたご飯食べられてありがたいよね」

 

 ラビリスとゆかりが笑いあって話し、他の者たちも同意するように頷いてから「いただきます」と挨拶をして食べ始める。

 頼んだ物は全員異なるが、どれも出来たてで美味しそうな香りがしており、今後はちゃんと開店時間を把握してここで食事をしようと全員の気持ちが一つになる。

 朝からステーキ丼と味噌汁のセットを食べている千枝も、女子に嬉しいニンニク抜きの味付けなこともあって、これを作った人は天才だと感謝しながら丼と味噌汁のナメコ汁を味わった。

 だが、そうやって彼女たちが食事をしていると、特等席から店の中を眺めていたベアトリーチェが急に険しい目付きになり、厨房の入口の方へ向くと声をあげた。

 

「ヤーモ!」

「ままう?」

「ブータン、メ!」

「め? ぶーたん!」

 

 彼女が声をあげると厨房から八雲がトテトテと歩いて出てきた。彼は他の従業員と異なり、若旦那と刺繍された黒い三角巾を巻いている。

 それが店主の証なのかは分からないが、ベアトリーチェが何かを報告すると八雲は怒った様子で厨房に戻っていった。

 アイギスたち姉妹以外は全員彼らの会話の内容は分からないが、“ぶーたん”がクマの事だというのは分かる。

 また彼が何かをしたのだろうと気にせず食事を続けていると、八雲に連れられ落ち込んだ様子のクマが小鉢を一つ持って現われた。

 

「千枝ちゃん、ごめんなさいクマ……」

「あう……」

 

 言いながら千枝の許までやって来ると頭を下げる二人。

 赤ん坊に頭を下げさせていると罪悪感が半端ではないので、理由も分からないし、すぐに顔をあげてくれと返す。

 

「え、ゴメンって何のこと? 八雲君まで一緒にどうしたの?」

「実は味噌汁をクマが間違えてしまったのよ。本当は白だしじゃなくて赤だしだったんだクマ」

「うーな」

「だから、これはミスのお詫びクマ。デザートに食べてくれると嬉しいクマよ」

「あ、うん。別に気にしてないけどありがと」

 

 言われて気付いたが、確かにメニューのナメコ汁は赤だしだった。

 しかし、千枝が受け取ったセットの味噌汁は白だしのナメコ汁。

 別にこれも美味しかったので気にしていないが、クマが見せてきたわらび餅が美味しそうだったので、千枝は素直に謝罪と共にそれを受け取る事にした。

 厨房へと戻ってゆく二人を見送りながら食事を続けていた者たちは、先ほどのやり取りからごっこ遊びではなくプロ意識を感じたねと話す。

 

「すごくちゃんとしてるね。クマも普段みたいにふざけてないし、ミスがないかも八雲君とベアトリーチェちゃんがしっかり見てるみたい」

「でも、これ誰が作ってるんだろう? あいかちゃんと善君が二人でやってるのかな?」

「そういう事はクマ君か玲さんに聞けば教えてくれるのでは?」

 

 先に注文した七歌たちの分に加えて、後からきたメティスたちの分もすぐに完成して運ばれてきていた。

 豚カツなどは揚げたてて湯気が見えるほどであり、どう考えても作り置きの線はない。

 となると、誰かしらが作っているはずなのだが、それが可能そうなメンバーがあいかしかいないものの、仕事量を考えると今度は完成までの早さの説明がつかない。

 そうするとやはり最低でも二人は調理を担当しているはずなので、一体誰がどういった役割分担で仕事をしているのか気になり、美鶴がテーブルの呼び出しボタンを押した。

 

「はいはい、お待たせしたクマ」

「クマ、一つ聞きたいんだが調理は誰が担当しているんだ?」

「調理? ご飯は玲ちゃんで、お味噌汁はクマが入れてるクマよ。他は善とあいかちゃんが切ったり盛り付けたりしてるクマ」

 

 ちなみに、ご飯と味噌汁はおかわり自由。トーストセットの人はコーヒーか紅茶がおかわり自由になっている。

 なんとも嬉しいサービスではあるが、今はそれは関係なく、クマの言葉に引っかかる物を感じた直斗が言い回しがおかしいことを指摘した。

 

「いや、待ってください。今の言い方では善君たちも作っていないように聞こえます。まさか、八雲君たちに作らせているのですか?」

「そんなわけないクマ! 二人はレジとかテーブル拭いたりとか色々してるクマよ」

「じゃあ、善君たちが作ってるの?」

「二人にそんなスキルないクマ。おかずを作ったのは師匠よ」

 

 クマの反論に今度はりせが尋ねれば、善だけでなくあいかにもプロ級の料理スキルはないとクマは断言する。

 いくら中華料理屋の娘と言っても、彼女はあくまで手伝いをしているだけで、料理は全て父親が一人で作っていた。

 手順くらいは見ていて覚えていても、流石に見ているだけで再現できるほど彼女は天才ではない。

 色々なバイトを経験した事で多芸ではあるが、スキルのない彼女が料理を作れるはずもなく、実際に作ったのは湊だと話せばアイギスはすぐに八雲を呼ぶようクマに伝えた。

 普段は優しい雰囲気のアイギスが僅かに怒った様子を見せた事で、クマは敬礼をするなり走って厨房に戻ってゆく。

 そして少しすれば、玲に抱っこされた状態で八雲がテーブルまでやって来た。

 

「アイちゃん、はーちゃんに用事なの?」

「はい。玲さんたちもですが、八雲さんに危ない事はさせないでください。今の八雲さんは赤ん坊です。大人の時と違って、可能であっても火や包丁を使わせるのはよくありません」

「え? はーちゃん、そんなのしてないよ? 危ないから切るのとかは善とあいかちゃんがしてるもん」

「どういう事ですか? クマさんは作ったのは八雲さんだと……」

 

 子どもに火や刃物の扱いを任せるほど玲も馬鹿ではない。

 厨房には善とあいかもいるので、八雲とベアトリーチェが危ない事をしていないかは常に注意して見ている。

 しかし、それが本当だとするとクマの発言と矛盾が生じることになるため、一体何が本当なのだろうかとアイギスが悩んでいれば、何かを理解したらしい八雲がお腹のポケットを漁って、そこから揚げたての天ぷらが載ったバットを取り出してきた。

 

「あ、なるほど、料理は全部兄さんが作ってマフラーに収納していたものなんですね。中は時間凍結されていますから、出来たてのまま入れておいたなら納得です」

 

 天ぷらを見せ終わるとすぐに八雲は仕舞い直してしまったが、メティスの説明を聞いて他の者たちはようやく理解する事が出来た。

 つまり、この店の料理は湊が保存食として保管していた料理を、在庫のある限り放出して提供しているという事だ。

 この店で実際に作っているのはご飯と味噌汁、そしてトーストくらいなもので、味噌汁だってホテルの朝食バイキングにあるような、お椀に具材を入れて決まっただしを注ぐ簡単仕様。

 そして、八雲が取り出したものを皿に盛り付けるのが善たちの仕事で、これならば八雲たちが危険な事をする心配もない。

 店のからくりを理解したアイギスたちが思わず安堵の息を吐けば、話しているうちにラストオーダーの時間が来たようで、八雲を抱っこしたまま玲が全員に追加注文がないかを聞いて回った。

 誰からも注文がないと分かると二人は特等席にいたベアトリーチェを連れて厨房に引っ込み、少ししてからクマや善にあいかといったメンバーと一緒にお盆に料理を載せて戻ってきた。

 どうやらラストオーダーが終わると彼らもご飯を食べるらしく、ベアトリーチェは玲に、八雲はあいかに食べさせて貰いながら焼き魚定食をメインとした和食を食べている。

 

「すみません、あいかさん。八雲さんのお世話を任せてしまって」

「気にしないで。ここ、従業員はまかない無料。給料は売り上げの二割と好待遇」

 

 急に誘われたであろうあいかに、アイギスは八雲が色々と迷惑をかけて申し訳ないと謝罪するも、独特なイントネーションで話す彼女は気にしてないと返した。

 ちなみに給料は善と玲も二割ずつであり、コロマルとクマは一割ずつで残りは八雲たちが貰える仕組みになっている。

 コロマルとクマだけ一割しか貰えない理由は、コロマルはそも自分は金を使わないからと辞退したためであり、クマはまかないにデザートを一品付けて欲しいと要望したためである。

 生姜焼き定食を食べ終えたクマは幸せそうに満面の笑みを浮かべ、あまあま地獄に置いていない抹茶生どら焼きを熱い緑茶と共に味わっており、そこに給料面での不満は一切感じられない。

 この店は全員の食事事情を心配して八雲が始めようと言い出したらしいが、一緒にお店をやろうと集まって始めた店は、メンバー全員が和気藹々としていて非常に仲が良さそうに見えた。

 ベアトリーチェもその一団には馴染んでいる様子なので、これならば彼女が他の者と関わってくれるようになるのも時間の問題だろう。

 ベアトリーチェが馴染めるかという悩みも解決の兆しが見え、朝から満足な食事を取る事が出来た一同はベアトリーチェのレジで支払いを済ますと大満足で店を後にしたのだった。

 余談だが、女子たちが食事をしていた頃、男子たちは屋上のフードコートで昨夜のBBQは良かったよなと溜息を吐きながら焼きそばやお好み焼きを食べていたという。

 

 

 


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