【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百六十二話 自覚

9月6日(日)

深夜――久遠総合病院

 

 深夜で明かりもほとんど落とされた暗い病院の廊下。

 そこで真田たちは美紀の手術が終わるのをただジッと待っていた。

 影時間が明けてからも湊は準備が終わるまでは影時間を展開している必要があるので動けず、手術室にはシャロンをはじめとした複数の人間が忙しそうに出入りして準備を進めていた。

 桐条グループの方にも影時間の存在を知っている医者はいるが、湊の持つ異能も含めて事情を知っている者がこちらには多数いるらしく、影時間対応型の大型発電機を備えている事もあり、こちらの方が緊急時にも最善の処置が行えることはすぐに分かった。

 自分たちが原因で発生した影時間への対応として、医療という非常に重要な分野で劣っていることを知った美鶴は胸中複雑だった。

 けれど、湊は元々そういった事に対応するためにこの病院を作ったらしく、桐条グループとEP社に差が開いたのは、単純に持っている影時間の知識量の違い、そしてそこから何が必要になるかを理解した者がトップにいたかどうかの違いでしかない。

 桐条グループも湊と同等の知識を持っていれば、新たに病院を増やすか既存の施設を増築していた事だろう。

 もっとも、事が起こってからそんな事を考えても意味はないし、手術が始まる直前にシャロンが、

 

「この中にAB型RH-の人間はいる?」

 

 と尋ねてきた事で、この規模の病院であっても輸血パックの不足などの問題は起こり得るのだと理解した。

 彼女に聞かれたときには、天田と七歌が自分たちはAB型であると申し出たが、その場でシャロンが少量の血を採取して調べるとRH+と出てしまう。

 血が足りないのなら兄である自分の血を使ってくれと真田も申し出たが、そも、真田の血液型は妹と異なるA型だった。

 稀血を除き、よく人数が少ない血液型の話題として出るB型RH-というものがあるが、実をいえばB型RH-が最も少ない訳ではない。単純に他よりもAB型の方が少ない事もあり、日本で言えばB型RH-が千人に一人という割合に対しAB型RH-は二千人に一人と言われている。

 シャロンとしては兄である真田も妹と同じ稀少血を持っていないかと期待していたのだが、兄弟で血液型が違うというのはそれほど珍しい事ではない。

 仲間たちからの血液の提供が見込めないと分かれば、シャロンは今病院にある分で足りない分は湊から貰うかと言って早々に手術室に戻って行ってしまった。

 彼も手術には参加するようなので、そんな人物から血を抜いても良いのだろうかという不安はあった。

 しかし、それ以前に七歌が彼の血液型は母親と同じA型のはずだと発言した事で、異なる血液を輸血したら美紀が死んでしまうと大騒ぎになり。シャロンの助手である武多が機材を持ってきたところを捕まえ、湊の血液型が美紀と異なることを説明するという一幕もあった。

 ただ、その事を説明すると武多は不思議そうに首を傾げ、ちょっと待っていて欲しいとシャロンを呼びに行った。

 ただでさえ準備に忙しいというのに、難しい手術前に医者を呼ぶなど本来許される事ではないだろう。

 けれど、このままでは美紀が死んでしまうので、武多に呼ばれて再び廊下に出てきたシャロンに事情を話せば、彼女はそんな事かと嘆息して「名切りの血は成分が変化して万能血化している」という説明をしてくれた。

 何でも、元はどうか知らないけれど、湊の血は鬼の力に目覚めたことで血中成分にすら変化が起こり、ただの水で二十倍希釈しても問題なく輸血に使えるらしい。

 むしろ、湊の血の方が傷の治りや滋養強壮にもいいので、大量に出血して体力を失っている美紀には何にも勝る薬と言えた。

 そして、全ての準備を終わったのか扉が閉ざされ手術中というランプが点灯し、一時間は経ったかというとき、俯いて黙っていた真田がポツリと話し始めた。

 

「俺は……あの火事の日、もう少しで美紀を失うところだった」

 

 急に何の話だろうかと傍にいたメンバーたちは不思議に思う。

 ただ、何か話していないと不安のなのかも知れないと考え、他の者たちは口を挿まずに彼の言葉を聞く。

 

「危険だからと制止してくる大人たちの腕を振りほどくことも出来ず。ただ泣きながらあいつの名前を叫ぶことしか出来なかった。だが、そんなとき突然あいつが空から降ってきたんだ。急に何かが降ってきたかと思えば、扉を切り裂いて燃える建物の中に入っていった」

 

 彼が語り始めたのは九年前の出来事だ。本当ならば自分は命を失っていたと美紀も言っていた児童養護施設で起きた火災。

 実際にそれを目にしたのは真田と荒垣のみだが、話を聞いているだけでも当時の湊が相当な無茶をしたらしい事は分かる。

 

「そして、その場にいたやつらが訳も分からず混乱していれば、あいつは美紀を背負って二階の窓を突き破って出てきたんだ。……ずっと助けてくれた相手は女だと思っていた。髪も長かったし、見た目もあってな。けど、美紀に言われて初めて有里だったと知ったんだ」

 

 最初から知っていれば心からの感謝の言葉を送りたかった。

 唯一の肉親である妹を助け、真田が生きていく上での目標となる言葉をくれたのだ。

 彼がいたから今日まで自分は妹を守るために頑張ってこられたと、そう言って感謝の言葉をずっと伝えるつもりだった。

 しかし、知らなかったことで真田が取った対応は真逆にものとなった。

 

「また、また俺はあいつに助けられた……」

 

 ずっと俯いて床を見ていた真田は立ち上がると、待合の椅子から立ち上がって何でもない壁の方へ向かう。

 

「美紀を失わないよう力だけを求め続けた。守る者にとって弱さは罪だと言われ、二度と妹をこんな目に遭わせないと強くなる事を誓った。……だが、結局はこの様だっ」

 

 静まり返った廊下に絞り出すような真田の声が響く。拳を痛めることも気にせず、彼は左手で壁を強く殴りつけてさらに続けた。

 

「力さえあれば、どんなものが来ようと守れる。そう思ってずっと戦い続けてきた。だが、そんなのは俺がただ前に進んでいる実感を求めていたに過ぎない」

 

 “守る者にとって弱さは罪”という言葉を受けて、真田は火災から少し経てばすぐ身体を鍛え始めた。

 柔道でも、空手でも、素手で出来る競技なら何でも良いと思いながら、ただ我武者羅に自分に合っているものを探してボクシングに行き着いたのだ。

 施設にいた頃は荒垣と一緒にやんちゃしていたので、体力もだが同年代の中では喧嘩慣れもしている方だった。

 ただ、やはり素人の喧嘩と格闘技は拳の出し方一つとっても違い、真田は出来る事が増えて試合に勝つようになり、少しずつではあるが自分が目標とする相手の強さに近付いている実感を得ていた。

 

「シンジも覚えているだろう。昔、試合をして負けた俺にあいつは言ったらしい。俺は美紀を守っているのではなく、自分が傷つくのが嫌で自分のために美紀を守っているんだと。まさにその通りだった」

 

 しかし、中学に入ってから湊と出会ったことで、真田は自分が思っているほど成長していないのではと考えるようになる。

 つい先日までランドセルを背負っていた小学生だった者を相手に、防戦一方のまま一ラウンドでKO負けするという無様を晒したのだ。

 彼に負けてからはしばらく荒れ、もっと強くならねばと試合に物足りなさを感じていた頃に特別課外活動部にスカウトされた。

 後になって荒垣も加わったこともあり、ペルソナを得てシャドウと戦うようになってからは、自分が本当に求めていた戦いはこれだったと充足感を覚えるようになった。

 そこには、自分よりも強い湊が持っていない力を手にしたという優越感もあったに違いない。

 おかげで真田はさらに視野が狭くなり、自分がシャドウを倒して強くなる事が美紀を守ることに繋がると考えるようになってしまった。

 

「危険だと知っていながら、分かっていながら俺は力を求めて戦う事を優先していた。守るというのなら、適性があると知った時点であいつのように美紀を遠ざければ良かった。だが、俺は負けた悔しさに意地を張って、馬鹿みたいに張り合うばかりで、美紀のことなどろくに見ていなかったっ」

 

 彼も同じ力を持っていた。いや、自分よりも遙かに強い力を持っていて、自分が知らないところで美紀をシャドウの脅威から守ってくれていた。

 本来ならば礼を言うべきだと気付いていながら、役目を奪われた気持ちになった真田にとっては屈辱的で、負けた悔しさもあり相手に反抗する態度ばかりを取ってしまった。

 美紀はそんな兄の行動は間違っていると分かっていて、本気で怒ってくれてもいたのだ。

 だが、やはりどこか意地になっている部分があったこと。折角得た力を捨てるような真似をしたくなかったこと。ただそれだけでこの地への残留を望んで湊と敵対する事を選んでしまった。

 湊の言うとおりにしていれば美紀はストレガに襲われる事はなかったに違いない。

 もう起きてしまった以上、どれだけ後悔しても意味はないが、真田は自分がどれだけ無意味にガキっぽい行動ばかりしていたか気付くことが出来た。

 仲間たちの前でこんな風に弱音を吐いたのも、自分がどれだけ馬鹿だったかを聞いて欲しかったに違いない。

 けれど、ここでただ弱音を吐いて終わりならば、心が折れて逃げ出しただけだ。

 自分が馬鹿だったと気付いた。なら、次はどうするんだと幼馴染みである荒垣が尋ねた。

 

「……そんでテメェはどうするんだ。弱音吐いて終わりか?」

「いや、ここからだ。どうせ、俺のこの性分は変えられない。中途半端で投げ出せば、それこそ美紀に合せる顔がない。だから、今度こそ俺は戦って守れるようになる。なってみせる」

 

 先ほどまでの後悔に沈んだ顔が嘘のように真田の瞳には強い光が宿っていた。

 挫折して終わるのではなく、再び立ち上がって彼は先を見ている。

 妹の手術も終わっておらず、心の中は不安でいっぱいだろうに、それでも真田は妹の無事を信じて新たな決意を固めている。

 それを見た他の者たちは彼を強い人間だと思った。実力ではまだまだ七歌やアイギスにも及ばぬだろうが、その心の強さだけは彼女たちにも負けていない。

 そんな彼はこれからきっと強くなってゆくだろうと、沈んでいたメンバーたちも思わず笑みを浮かべると、探知型のペルソナを持つ二人の少女がある変化に気付いた。

 

「あ、真田先輩のペルソナが……」

「……心の変化に合せて、ペルソナの方も変化したみたいね」

 

 他の者たちには真田がやる気になったようにしか見えないが、どうやら二人は彼のペルソナが別の姿になったのが分かったらしい。

 無論、本人もペルソナの変化には気付いており、新しく手にした力と共にこれから精進してゆくつもりだ。

 美紀が襲われ危険な状態であることは勿論不幸な話だが、それを切っ掛けに真田の心に変化が生じて新たな力に目覚めたのは良い報せと言える。

 あとは美紀が無事に一命を取り留めれば純粋に喜ぶことが出来るのだが、他の者たちがさらに待つこと一時間。手術中のランプが消え、扉が開いたかと思うと疲れ切った表情のシャロンが出てきた。

 二時間も難しい手術を行なっていたのだ。相手が疲れ切っていても無理はないと思うが、それでも妹のことが心配な真田が相手に駆け寄った。

 

「美紀は、妹はどうなったんですか?!」

「……ごめん、私らも全力を尽くしたんだけどさ。私らの力だけじゃ助けられなかった」

 

 その言葉を聞いたとき、その場にいた全員が言葉の意味を一瞬理解出来なかった。

 湊は助けられる可能性があると言っていたのだ。可能性があったなら、国内トップレベルのスタッフと設備が整ったこの病院なら助けられるのではないのか。

 無意識に、そう、全員が無意識のうちに湊もいるのなら助けられると思っていた。

 けれど、執刀医であるはずの女性が謝罪し、自分たちの力では助けられなかったと告げたということは、美紀は助からず死んでしまったということ。

 これから守るために戦う決意をしたばかりだというのに、妹が死んだという事実に真田は目の前が真っ暗になってその場に倒れ込みそうになる。

 だが、実際に見るまでは信じられず、考えるよりも先に手術室に向かって走り出そうとしたとき、新たに部屋から出てきた湊が真田の顔を掴んで部屋への侵入を阻んだ。

 

「……紛らわしい言い方をするな。それじゃ真田が死んだみたいだろ」

「え? ああ、そっか。ゴメンゴメン。妹さんは助かったわよ。たださぁ、現代の医療レベルじゃ助けられなかったって話でね。かなり坊や頼みになっちゃったのよ」

 

 不潔な状態で部屋に入れる訳にはいかない。ただそれだけの理由で真田を止めた湊は、荒垣に向かって真田を突き飛ばし、紛らわしい言い方をしたシャロンを諫める。

 注意された彼女も確かに言い方が拙かったかと頭を掻くと、美紀の容態は安定したと伝えてから、先ほどの言葉の意味を改めて説明した。

 

「本当にギリギリの状態だったからさ。普通ならもう助けようがなかったのよ。けど、坊やは患者の体内も視えるから真っ直ぐ出血箇所を押さえて、傷口の縫合を行ないつつ輸血もして持ち直したってわけ。ま、助けられたから良かったけど、その分現代医療の限界を感じる結果になったわぁ」

「下腹部の傷跡は目立たないように塞いでおいた。三ヶ月もすれば痕も消えるはずだ」

「場所が場所だけに女の子は気にするからねぇ。一応、本人には虫垂炎って説明するから、あなた達もそんな感じでよろしく。んじゃ、私らは患者の移動とかがあるから行くわねぇ。バイバーイ」

 

 湊たちが去って行くと少しして入院着を着た状態で眠っている美紀がストレッチャーで出てきた。

 最後に見たときよりも顔色が良くなっており、自然に安定した呼吸をしていることで、もう容態が急変する心配もないらしい。

 自然に起きるまでは入院する病室への立ち入りも禁止のようだが、部屋まではついてきても良いという看護師の厚意に甘え、妹が無事でボロボロと涙を流す真田と一緒に友人が助かったことを喜び安堵の涙を流すゆかりたちも病室の前までついていった。

 

 

昼――病室

 

 手術が無事に終わり数時間が経った頃、美紀は病室のベッドで目を覚ました。

 目を覚まして身体を動かすと下腹部が痛み、思わず呻いてしまったが、それに反応して病室にいた看護師の女性が彼女の覚醒に気付いた。

 

「真田さん? 目が覚めましたか? ここがどこだか分かりますか?」

「い、いえ、病院ですか?」

 

 相手の服装と部屋の雰囲気でここが病院であることは理解出来る。

 ただ、眠る直前の記憶が曖昧で、どうして自分がここにいるのかが分からない。

 起きるまで待っていてくれていた彼女ならば、自分がここで寝ていた理由も知っているに違いないと思い、美紀はゆっくりと身体を起こそうとしながら口を開いた。

 

「あ、あの」

「ああ、起き上がっちゃダメですよ。真田さんは虫垂炎で緊急手術をしたばかりなんです。無理に動くとお腹の傷が開いてしまうから、今は安静にしていてください」

 

 虫垂炎と聞いて一瞬何のことかと考えるも、すぐに所謂盲腸のことだと思い出す。

 自分がそんなものになった覚えがないので本人は不思議そうにするが、盲腸が悪化すると激しい痛みで意識を失うこともあるというのは知っていた。

 ならば、昨夜のうちに盲腸の痛みで意識を失い、そのまま病院に運ばれてから緊急手術が行なわれたのだろう。

 欠片も記憶のない美紀は、意識を失った自分のために動いてくれた者に申し訳なさを感じながら、看護師に言われた通り素直にベッドに横になっておいた。

 そんな風に、彼女がそのままベッドに横になっているのを確認した看護師は、意識が戻ったことを伝えてくると告げて部屋を出て行った。

 何かあればナースコールしてくれとコード付きのリモコンを置いていかれ、これなら起き上がる必要もないなとぼんやりと考える。

 起きたばかりというのも関係あるのか、美紀は本当に欠片も昨夜の記憶がないことが不思議で、義両親に聞けば昨夜のことを教えて貰えるのかなと寝たまま周囲を見渡す。

 部屋には美紀の私物は一切なく、どうやら携帯電話等は全て家にあるらしい。

 これでは家族とも連絡が取れないなと思わず嘆息すれば、丁度のタイミングで扉がノックされ、美紀がどうぞと許可を出せば兄たちが部屋に入ってきた。

 

「よう、美紀。調子はどうだ?」

「あ、兄さん。それに皆さんも」

 

 真田に続いてゾロゾロと部屋に入ってきたのは、兄と同じ寮で暮らす者たちと総合芸術部の部活メンバーたちだった。

 随分と大勢でやって来たのだなとも思ったが、暇を潰すものもなかったので、今は騒がしさが逆にありがたく感じる。

 そんな美紀の顔を見た者たちは何故だか安心した表情になり、中でも普段より明るく感じる兄が積極的に話しかけてきた。

 

「まさか急に盲腸で気を失って倒れるなんてな。夜中に電話で聞いて驚いたぞ」

「そうだったんですか? あの、実はあんまり覚えてなくて……」

「まぁ、激しい痛みで気を失ったくらいだからな。でも、そういう人も多いらしいぞ」

 

 盲腸の痛みで動けなくなる者や、そのまま意識を失う者は別に珍しくはない。

 兄も美紀と同じようにそれを知っていたようで、夜中に義両親から電話で手術だと聞いて本当に心配したんだぞと苦笑を浮かべてくる。

 他の者たちは兄経由で話を聞いたのだろう。昨日の真田の焦った様子は傑作だったと茶化しつつ、ゆかりたち部活メンバーが花を持ってきた。

 

「これ、お見舞いの花。何日か入院したら、あとは数日おきに検査に来ればいいらしいけどね」

「わぁ、ありがとうございます。突然の事なのに本当にすみません」

 

 美紀が寝ている間に医者から話を聞いていたのか、ゆかりたちは美紀が知らない入院の日程を話してきた。

 しばらくは入院することになるのだろうかと思っていただけに、数日の入院だけで済むのは非常にありがたい。

 まだまだ新学期が始まったばかりだし、もう少しすれば学園の文化祭の準備も始めなければならない。

 友人たちと一緒に参加したいと思っていた美紀は、数日おきの通院だけで済むのは非常に幸運だと笑い、ゆかりたちが持ってきてくれた綺麗な花を素直に喜んだ。

 そして、ゆかりたちが部屋の花瓶に花を飾り、少しばかり雑談を続けていると再び扉がノックされた。

 今度は義両親かなと思って美紀が返事をすれば、今度はどこかオリエンタルな雰囲気をした外国人の女性と一人の青年が入ってきた。

 

「ハーイ。私は主治医のシャロン・J・オブライエンよ。まだ傷は痛むでしょうけど気分はどう?」

「えっと、少し熱っぽい気がしますけど、しんどさとかはないです」

「そう。それは良かった。でも、入院中はなるべく寝ておきましょうね。それが傷を治す一番の方法だから」

 

 白衣を着ていたので医者だろうかと考えていれば、その予感は見事に当たり女医のシャロンが挨拶をしてきた。

 綺麗な人だなと思いながら美紀も挨拶を返し、随分と日本語が上手なのだなと相手の経歴等に僅かな興味を抱く。

 しかし、急にそんな事を尋ねれば失礼になると思ったことで、シャロンと一緒に部屋に入ってきた青年へと視線を向け、どうして彼がここにと美紀は驚きの声をあげた。

 

「あ、有里君まで来てくださったんですか?」

「まぁ、知り合いが入院したと聞いたからな」

「そんな。数えるくらいしか話したこともないのに、仕事で忙しい中どうもすみません」

 

 部屋にやってきたのは芸能活動もしている元クラスメイトの有里湊だった。

 彼はチドリの家族であるため、きっと付き添いで来てくれたのだろうと考える。

 仕事も忙しいだろうに、わざわざお見舞いに来てくれてありがとうと礼を言えば、ゆかりたちが何やら驚いた顔をして美紀に尋ねてきた。

 

「……え? 美紀、どういう事? 有里君と話したことないって」

「あ、いえ、まったく話した事がない訳ではないですよ。ただ、中等部の頃に何度か話した程度なのに、こうやってチドリさんの付き添いでお見舞いに来てくださるなんて申し訳なくて」

 

 自分と彼はほとんど接点がなかったので会話する機会も少なかったが、チドリたちとは部活が同じだったことで、チドリに用があったときに傍にいた彼と話すことは何度かあった。

 本当にただそれだけの接点しかなかったというのに、忙しい仕事の合間にこうやって見舞いに来て貰えたのはとても嬉しい。

 改めて美紀が湊に向かって礼を言えば、腕時計を見たシャロンが面会時間はそろそろ終わりだと告げてきた。

 

「じゃあ、そろそろ出ましょうか。まだ手術の後で疲れてるしょうし、今日はここまでって事でね」

「あの、皆さん本当にありがとうございました。私も出来るだけ早く治せるよう頑張ります」

 

 倒れたときのことは思い出せないが、倒れたと聞いてすぐに大勢お見舞いに来てくれたのは非常に嬉しい。

 医者のシャロンも看護師たちも優しそうな人ばかりだったので、これだけ恵まれた環境にいればすぐに治るだろう。美紀はすぐに学校に復帰することを約束し、部屋を出て行く者たちを笑顔で見送った。

 

――病院・廊下

 

「……八雲、どういう事? 失うのは影時間に関わる記憶だけじゃなかったの?」

 

 廊下に出て部屋から十分離れるなり、シャロンと並んで先頭を歩いていた湊をチドリが呼び止めた。

 目覚めた美紀は顔色もよく、意識もはっきりとしていて元気そうだった。

 その様子から無事に手術が成功した事は感じられたが、昨夜のことに加えて影時間に関する記憶も失ったのは理解出来ても、何故彼女から湊と過ごした“日常”の記憶まで消えているのかチドリたちには理解出来ない。

 何かの勘違いだろうかとゆかりが確認してみても、美紀の中では本当に湊との接点がなかったようで、部活メンバーである“チドリ、ゆかり、風花、ラビリス”と彼が一緒にいたときに何度か言葉を交わしただけだと言っていた。

 これでは日常の記憶は消えないという彼の説明が嘘だった事になる。助けることを優先し、日常の記憶も一部消えるリスクを隠したのだろうか。

 アベルの能力を正確に把握しているのは湊だけなので、先ほどの美紀の様子と昨夜の説明について改めて尋ねれば、湊は後ろにいたチドリたちの方へ振り向いて静かに答えた。

 

「……ああ。だから、俺のことも影時間に関わる記憶として消えたんだろ」

「それはおかしいであります。話によれば美紀さんと八雲さんが出会ったのは中学校に入ってからとのこと。ならば、チドリさんやゆかりさんや風花さんと同じく、八雲さんとの記憶も残っているはずです」

 

 湊が自分との記憶も影時間に関わる記憶に含まれたのだろうと答えた。

 けれど、それはおかしい。なにせ湊も他の部活メンバーも美紀と出会ったのは中等部に入学したときなのだ。

 一応、彼だけ九年前の火事のときに会っていたという違いはあるが、その火事も影時間ではなく日常の時間に起きている。

 他の者たちとの思い出が消えていないというのに、湊との事だけが影時間に関わる記憶に含まれるのはやはりおかしい。

 アイギスがそう反論し、他の者たちが再び彼の言葉を待てば、湊はそもそも条件が違うんだと言って話し始めた。

 

「……俺は高い適性を持っているせいで他の人間の適性に影響を与えやすい。岳羽や山岸みたいに、傍にいれば適性を獲得しやすくなる。真田に関しても同様で、あいつが適性を得た原因は日常で俺の傍にいたことにあるんだ」

「たった、たったそれだけで、美紀ちゃんにとって湊君との思い出も影時間に関わることに含まれたん?」

 

 ラビリスの言葉に湊は頷いて返す。別に美紀に限った話ではないが、研究所にいた者たちのように最初から適性を持っていたならともかく、湊の傍で適性が強化された者たちが適性を失えば美紀と同じようになるはずだ。

 その事を淡々と説明する彼の様子を見ていれば、彼も適性を奪って初めてそうなると理解したのではなく、予めそうなると分かっていたように思えてくる。

 既に美紀からは適性を奪ったので元に戻すことは出来ない。ただ、彼がこうなると知っていたのかだけは確認しなければならないと真剣な眼差しで湊を見つめ真田が口を開いた。

 

「有里、お前はこうなると分かっていて美紀の適性を奪ったのか?」

「……確信はなかった。だが、その可能性は高いと思っていた」

 

 知り合いの記憶から自分が消える。それを予想していながら実行したと聞いて、真田はやるせない気持ちになり思わず拳を握り締めた。

 もし、自分が友人から他人として扱われればどう思うだろうかと想像してみる。

 昨日までは一緒に笑いあっていたというのに、次の日には顔と名前しか知られていないのだ。

 共通の知人がいて間接的に友好な態度を取ってもらえればいいが、それがなければ他人なのだから関心を持ってもらえず。相手の関心を引こうとして自分の知っている相手の興味がある話題を出せば、何故そんなに自分のことを知っているのかと不審がられるに違いない。

 考えれば考えるほど辛くなる未来しか想像できず、実際にそんな状況になった彼が平然としていられる事が理解出来なかったゆかりが思わず彼の本心を聞いた。

 

「なんで? なんで、そんな何でもないことみたいに言えるの? 一緒に過ごした思い出が、美紀の中からあなたのことが消えちゃったんだよ?」

「……相手の中から俺に関する記憶が消える。それだけで命を救えるなら迷う余地なんてない」

 

 ゆかりに聞かれた湊は、相手に忘れられる事を“その程度のこと”と言ってのけた。

 あのとき、他に取れる手段はなかったのだ。美紀の命を救うには適性を奪い、象徴化させて治療の準備を進める必要があった。

 ならば、本人がどう考えようと結局はやらなければならなかったのだ。

 これが自分の命や四肢の一つを使ってという話ならば別だろうが、湊との思い出を忘れた美紀は何も悲しんでいないし、湊にとっても美紀を無事に助けられて良かったと考えている。

 他の者は何もすることが出来なかったのだから、自分が納得している以上は口を出す必要はない。

 最後にそう言い残した湊は他の者たちをその場に残し、仕事があると言ってシャロンと共にEP社の工場区画へと去って行った。

 

 

夜――EP社・工場区画

 

 あの後、七歌たちは納得し切れていないようだったが、結局はそのまま寮と自宅に戻っていった。

 湊がいない間、チドリはマンションに泊まってラビリスとコロマルと一緒にいるらしいが、影時間に何か起きたときすぐに対応出来るようにと部屋にいるのは明白だ。

 彼女が影時間に積極的に動くことを好ましく思っていない湊にすれば複雑だが、幼い姿から元に戻ってから一度もマンションに帰っていない者に言われても相手は納得しないだろう。

 それが分かっているからこそ、湊は彼女たちに好きにさせている訳だが、ソフィアと共に薄暗い廊下を歩いていた湊は、昼間に七歌たちに伝えていなかったことを話していた。

 

「……真田の件ではっきりしたが、やはり影時間の記憶を失えば俺の事も忘れるようだ」

「そうですか。それは寂しくなりますわね」

 

 僅かに顔を俯かせてソフィアは残念そうに漏らす。

 もし話を聞いていた者がいれば、何故、美紀の記憶から湊との思い出が消えたという話で、関係のない彼女がそんな態度を見せるのか不思議に思うだろう。

 だが、それは次の湊の言葉ですぐに理解出来た。

 

「そう考える事も出来なくなるんだ。何せ、影時間が消えればお前たちも同じように記憶を失うんだからな」

 

 コツコツと硬い床で靴音を鳴らして歩く湊は、既に決定事項のようにそれを口にした。

 今まではあくまで予想でしかなかった。けれど、美紀という実例が生まれたことで、湊との思い出を持った者が影時間に関する記憶を失えば、その思い出も一緒に消えると分かったのだ。

 影時間に出会ったアイギス、研究所で出会ったチドリは勿論、八雲のときに出会っていた七歌や美鶴も、百鬼一家は全員事故で死亡したと認識し、有里湊のことは同じ学校に通っていた生徒程度にしか記憶されないはずだ。

 共に仕事をしているソフィアやシャロンの記憶は難しいところだが、あまり会ったことのないビジネスパートナーという素っ気ない関係になるのかもしれない。

 

「どれだけ長くても来年には終わるのですね」

「ああ、半年後にはそうなる」

 

 湊はソフィアたちに決戦の日を教えていないが、本年度中には影時間を終わらせると伝えてある。

 つまりはそれが今の関係の終わりということ。

 出会いこそ最低なものであったが、今ではお互いに相手を認める良好な関係を築いているというのに、それが半年後には解消されるとなるとソフィアはとても辛かった。

 その辛いという感情も消えるというのがまた悲しく、それと同時に高過ぎる適性のおかげで影時間が消えても他の者のように記憶を失えない青年の境遇を思うと胸が詰まった。

 普段、辛いことがあれば彼と肌を重ねることで嫌な事は忘れられる。

 だが、辛い気持ちを一時でも忘れるために彼を求めれば、他の者たちから忘れられたときに彼が余計に辛い思いをしてしまう。

 そんな思いを味わせることは出来ないので、ソフィアは胸の痛みに耐えて正面を向くと、通路の奥に見えてきた巨大な鉄の扉に視線を向けて口を開いた。

 

「湊様、あれはまだ試作品です。軸の強度や攻撃時の衝撃吸収率に不安があります」

「それも使ってみないと分からないだろう。改良点があればちゃんと報告するさ」

 

 湊のためを思っての忠告をしてみても、本人は大丈夫だと根拠のない自信を見せて返してくる。

 最初からソフィアでは彼を止めることは出来ないので、彼が使うと言った時点で何を言っても無駄だとは分かっていたが、やはり乙女として心配せずにはいられなかったらしい。

 扉の前に到着したソフィアは、はぁ、と深い溜息をして扉の横の壁まであるいてゆくと、生体認証で操作パネルを出し、複雑な暗証キーと網膜キーで鉄の扉のロックを解除する。

 ロックが解除されれば、ゴゴゴゴッ、と静かに音を響かせながら扉が開き始めた。

 解除すれば離れても問題がないので、ソフィアが湊の隣に戻ってくると二人は並んで扉の先へ入ってゆく。

 そこは一見ただの倉庫のようだが、中はほとんど何も置かれておらず、部屋の中央に巨大な影が一つ存在するだけだった。

 一歩一歩静かに二人が近付けば、部屋の中央にあった巨大な影の正体が徐々に明らかになってゆく。

 それは、鉄塊と呼ぶに相応しい無骨で巨大な鉄の塊だった。

 

「名称はまだありません。ですが、湊様の出された条件をほぼクリアしております」

 

 部屋の中央に鎮座する鉄の塊は、分類上はハンマーかメイスという扱いになる。

 だが、この武器は柄頭だけでワンボックスカー並みのサイズをしており、そこからさらに五メートル近い柄が伸びている。

 素材はレアメタルや隕石鉱を惜しげもなく使い、それらを名切りの技術で湊が形にしたあと、仕上げとして海に沈めて水圧で圧縮したのだ。

 総重量は五千キロを優に超えているが、この武器は素材の時点で細かく分解された黄昏の羽根が含まれており、以前、湊とソフィアが話していた対シャドウ武装の一つの完成形と言える。

 持ち運びや使う場面は限られるものの、九尾切り丸以上の硬度を持っているので防御にも利用でき、武器に含まれた黄昏の羽根との共鳴によって影時間ならば何とか使うことが出来る。

 昨日の戦いでもこれを持って行っていれば楽に戦車を破壊出来ただろうにと考えながら、湊は影時間を身の回りに展開して太い柄を掴んで持ち上げた。

 

「……やっぱり重いか」

「当たり前です。どこの世界にバスを持ち上げられる人間がおりますか」

「前にグレイプニルという鎖を使われたときは持ち上げかけたぞ」

 

 グレイプニルとは久遠の安寧に戦争を吹っ掛けた湊を捕縛するため、蠍の心臓のナタリアたちが用意した一つ六千キロはあるスパイク付き合金鎖網だ。

 流石にそんなものを三つも使われてはペルソナを使うしかなかったが、この武器も影時間のブーストをフルに使わなければ持ち上げることも難しい代物。

 これはスペックを追求するあまり実用性を無視したツケかと嘆息しつつも、湊は一度武器をマフラーに仕舞ってから部屋を出て行く。

 その隣を歩くソフィアは口で言うほど彼が武器を持てたことを驚いていない様子だが、地上に戻る途中に彼に声を掛けた。

 

「湊様、武器に名前は付けられないのですか?」

「……必要か?」

「まぁ、なくとも良いのですが、あれば便利ではありますから」

 

 あんな武器が世界に二つとないことは分かっている。

 およそ人が使えるはずのない人間用の武器であり、その製作費は材料費も含め先進国の国家予算並みにかかっているのだ。

 そんな馬鹿みたいな無駄の塊など世界に一つしか存在するはずがない。

 よって、知り合い同士ならばアレだのソレだので通じると思われるが、名称があればもっと円滑に話を進める事が出来る。

 エレベーターに乗って地上フロアに戻り、建物から出る途中でソフィアがその話をすれば、湊は外へ通じる扉を開いてから武器の名を口にした。

 

「デュナミスだ」

「アリストテレスも驚きの名称ですわね」

「師のプラトンはレスリングでも有名だ。問題ない」

 

 デュナミスはアリストテレスの哲学の概念だ。

 大まかに言えば、鳥になる卵や植物になる種など、これから成長や発展することで何かになる可能性を内包するもののことをそう分類する。

 彼の武器はまだ何も為していないが、これから為して結果を生むものとしてそう名付けたのだろう。

 話を聞いていたソフィアは、先に“エンテレケイア”という完全に実現させたものとしての名を与えておけばいいのにと思ったが、湊には湊の考えがあるに違いないと思って何も言わなかった。

 武器に名前をつけた湊は、外に出たことでデュナミスを手に持って空を見上げる。

 それを見たソフィアが懐中時計で時間を確認すれば、もう僅かで影時間になる頃だった。

 

「では、行ってらっしゃいませ」

「ああ。行ってくる」

 

 湊の背後に蒼い炎の鳥が現われる。美紀の適性が湊の力の影響を受けて変化したペルソナ、星“フェニックス”だ。

 既に満月を終えてネガティブマインドの期間に入っているが、フェニックスは純粋な湊のペルソナという訳ではない。

 故に、時期に関係なく呼び出す事が可能となっており。湊はその力を借りて空へと飛び上がっていった。

 

「……怒らせるから、こうなるのよ」

 

 小さく呟いたソフィアの声が風に流れて消える。

 天へと昇ってゆく蒼い炎をジッと見送る途中で世界は塗り変わり、遙か上空で小さな粒にしか見えないほどの距離が離れたとき、一瞬にして全身から冷や汗が吹き出るほどの悪寒を感じ、直後、上空から街の一画に向かって一条の光の筋となった炎が放たれた。

 

 

 


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