【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第二百五十話 幼い八雲

午前――久遠総合病院

 

 肉体が幼児退行した湊に有里湊の記憶がないと判明した事で、VIP区画に戻るまでに彼を追いかけた者たちの中では、幼い彼を本名である八雲と呼ぶことが決まった。

 そして、彼を抱っこしていたアイギスは、血で汚れた自分の腕を洗うついでに、口の周りが血で汚れてしまった八雲をお風呂で洗って着替えさせる事になった。

 風花と美紀は可愛らしい彼をお風呂に入れたがってもいたが、八雲本人が他者を警戒しアイギスから離れようとしなかったことで、しばらくは彼女に任せておくべきだとシャロンが医者の観点から伝える一幕もあった。

 まぁ、他の者も悪戯に子どもを怯えさせようとは思っていないので、残念そうにしつつも二人は引き下がり、アイギスが八雲の身体を洗ってあげている間、他の者たちはお茶を飲みつつ現状確認をしておくことにした。

 

「正直、オカルトの分野だと医者としてはどうとも言えないんだけどさぁ。あの八雲ちゃんはボウヤと別人と考えて接するべきね。忘れているんじゃなくて、有里湊としての記憶がないみたいだし」

 

 身体が縮んだことは専門外で分からないと言いながら、しかし、自分が実際に彼と少し話して分かった事をシャロンは簡潔に告げてコーヒーに口を付ける。

 VIP区画から脱走してフロアの端の方まで逃げることが出来たのだ。

 アイギスに噛み付いて深い傷を負わせることも出来ていたので、その点からすると八雲の健康状態に問題はないと思われる。

 しかし、まだ精密検査をした訳でもないし、普通の二歳にもならない子どもの免疫力などあまり期待できない。

 なので、彼の体調については細心の注意を払うべきだが、その前に彼と接するときには湊の事は忘れて接してやれと彼女は言った。

 彼は有里湊として過ごした記憶を忘れた訳ではなく、記憶を得る前の状態まで戻ってしまったと考えられるのだ。

 昨夜、湊が十年前の姿になった理由を茨木童子から聞いていた者たちは、さらに彼が時を遡ったのだとすれば、どれほど彼の心に負担を強いたのかと罪悪感を覚える。

 まだ影時間の戦いは終わっておらず、次の満月には新たなアルカナシャドウに加え、先日討ち漏らしたアルカナシャドウも倒さなければならない。

 現状最強のペルソナ使いであった湊の助力が得られず、彼のペルソナたちも力を貸してくれるか分からないとなると、仮にチドリたちが手伝ってくれたとしても厳しい戦いを覚悟しなければならない。

 そうして、一同が今後の自分たちの活動についてどうしたものかと黙っていれば、脱衣所の扉が開いて何やら小さな影が元気に飛び出してきた。

 

「もう八雲さん! ちゃんと髪を乾かさないとダメであります!」

 

 飛び出してきた影はペタペタと可愛らしい足音をさせながら廊下を走り、そのままリビングへとやってきてソファーやテーブルの周りを駆け回る。

 見れば、それはオムツ一丁で濡れた髪を揺らし走る八雲だった。

 次に彼を追って出てきたアイギスは腕を洗うだけだったので服は脱いでいないが、身体を拭いてオムツを穿かせた時点で逃げた八雲の髪を拭こうとタオルを持っている。

 そんなアイギスが追いかけてくると八雲はさらに嬉しそうに笑顔で走って逃げ、話せないので声は出していないが、もし話せたならキャッキャとはしゃいだ声を出しているに違いない。

 お母さんを困らせてはしゃいでいる姿は本当に愛らしいが、小さな八雲と違って人や物の多い場所では素早く動けずアイギスが困っていると、髪を乾かさないと風邪をひくよとゆかりが走ってきた八雲を捕まえようとする。

 

「こーら、ちゃんと髪の毛拭かないと風邪ひくよ?」

「っ!?」

 

 急に横から手が伸びてくると八雲は驚いた顔のまま全力で跳び退いて逃げた。

 相手の間合いから脱出すると再び笑顔になってアイギスとの追いかけっこを再開し、今度は七歌が捕まえようとすると、先ほどのゆかりのときと同じように一切の遊びのない真顔のまま驚いて逃げている。

 そして、また間合いから逃げてアイギスだけが追いかけていると笑顔になったことで、真剣に避けられた二人の少女は心にダメージを負う。

 

「え、私、そんな子どもに嫌われるような事した?」

「まぁ、知らない人扱いだとこうなのかもね。けど、正直めっちゃキツい……」

 

 風花や美紀ほどではないが二人も可愛い子どもと遊びたい気持ちはあった。

 相手が自分の大切な人が幼くなった姿というのもあって、尚のこと母性が刺激されていたという条件も重なり、本気で逃げられたショックを隠しきれない。

 落ち込む二人に同性からは同情的な視線が向けられ、男性陣はオムツ一丁で無邪気に走り回る子どもが湊の過去と言われても信じられないという顔をする。

 その間も八雲とアイギスは追いかけっこをしている訳だが、入り口の方で音がして誰かが入ってくると、突然八雲が何かに気付いたようで廊下を歩いてくる人物に突撃した。

 急にオムツ一丁の子どもが走ってきた事に相手は驚いた様だが、それが八雲だと分かると持っていた荷物を置いて彼を抱き上げている。

 

「こら、髪の毛が濡れたまま走り回っちゃ駄目でしょう? アイギスさん、そのタオル貸して貰えますか?」

「あ、はい。お願いします」

 

 やってきた人物、桐条英恵はアイギスからタオルを受け取ると八雲を床に下ろして丁寧に髪を拭いてゆく。

 彼女が髪を拭いてやっている間、その後ろからやってきた桜がチドリを呼んで荷物を持って貰うと、アイギスも英恵が床に置いた荷物を移動させる。

 しかし、移動させている間も他の者たちの視線は英恵に注がれており、どうして八雲が大人しく彼女に髪を拭かれているのかという疑問を抱いていた。

 彼は先ほどゆかりと七歌から全力で逃げていた。そこから、今の彼は噛み付いても怒らず優しくしてくれたアイギスと医者のシャロンにしか懐いていないと思われていたが、急にやってきた英恵には自分から寄っていったため別の条件があるのかもしれない。

 そうして、英恵が八雲の髪を拭き終えるのを待っていると、髪を拭き終わって英恵が八雲を抱き上げたときラビリスが尋ねた。

 

「あの、さっきゆかりちゃんと七歌ちゃんが八雲君に逃げられてたんやけど、なんで英恵さんは簡単に抱っこ出来てはるんですか?」

「なんでと言われても八雲君が自分から来たからですよ? この子は昔から人の顔を覚えるのは速かったから、知り合いだった私が来て挨拶してくれたんだと思います」

 

 別に英恵自身は特別な事はしていない。ただ八雲が英恵に気付いて寄っていっただけである。

 だからこそ、英恵がご挨拶出来て偉いねと八雲を撫でてやれば、八雲の記憶がどのような状態なのか気にしていたバアル・ペオルの姿の鈴鹿御前が、そういう事かと納得しながら頷いた。

 

《なるほど、己の名を覚えていた通り、今の八雲は八雲として生きてきた分の記憶は持っているのじゃな》

「そういう事ねぇ。じゃあ、私かアイギスちゃんがいなくても英恵さんがいれば大丈夫ってことか」

 

 八雲に生まれてから今の年齢に至るまでの記憶があると分かると、自分たち以外にも面倒を見られる人が見つかって良かったとシャロンは笑う。

 シャロンは湊に頼まれている仕事に加え、難しい手術の時は助っ人として駆り出され、さらには専門としている一般向けの義肢開発を進めている。

 今は湊の担当医師としてここにいるが、いつまでも彼に構っていられる立場ではないので、アイギス以外にも子守が出来る人物がいたのは朗報だ。

 英恵に抱き上げられて嬉しそうにしているため、これで他の者に懐くまでの間も交代で面倒を見られる。

 そう思って八雲の様子を見ていれば、英恵にたかいたかいをして貰ってはしゃいでいた八雲が急にピタッと止まった。

 

「八雲君? どうしたの?」

 

 直前まで笑っていたというのに、急に笑顔をやめてジィッと英恵のことを見ている。

 年の割に理解力などがあるため、今の彼の行動にも何かしらの意味があるのだと思われるが、残念なことに子どもは大人が考えもしない事をしでかすこともある。

 さらに彼は現在言葉を話せないので、次のアクションから何を考えているのか推測するしかないのだが、英恵を見ていた八雲は何故か急に嫌そうな顔をして暴れ始めた。

 驚いた英恵はこのままでは落としてしまうと考え、八雲を床の上に下ろしてやる。

 すると、八雲は走って英恵の前から離れ、今度はソファーに座っていた美鶴の前で停止してジッと相手を見つめた。

 

「これは一体何をしているんだ?」

 

 幼い子どもにジッと見つめられている美鶴は、慣れないからか居心地が悪そうに他の者に尋ねた。

 しかし、他の者は急に英恵を嫌がった事も含めて状況を理解出来ていない。まだもう少し八雲の行動を観察しなければ分からないので見ていれば、八雲は美鶴に向かって万歳のような形で手を伸ばす。

 

「……抱き上げればいいのか?」

 

 どうやら抱っこを強請っているようなので、美鶴は怖々と手を伸ばして八雲を抱き上げた。

 小さくて柔らかく、体温も自分たちより高いので、抱き枕としては最高品質なのではと思わず考える。

 こんな抱き方で良いのだろうかと思いつつ、軽く上下に揺すってあやしてみれば、抱っこされていた八雲は何やら微妙そうな顔で美鶴の胸をペシペシと叩き下ろせと催促した。

 下ろせと言われたからには言う通りにするが、相手を床に下ろした美鶴は抱き心地が良かっただけに残念そうだ。

 一方、下ろして貰った八雲は一切の関心を失ったようにすぐに美鶴から離れ、立ったままでいたアイギスの許に戻った。

 下からジッと見上げて万歳したので、アイギスが抱き上げると少し安心した顔になり、八雲は英恵の方を指さして首を横に振る。

 どうやら英恵が違うと言いたいらしいが、一体何が違うのかが他の者には分からない。

 相手の言いたいことを理解してやりたい気持ちはあるので、他の者も一緒になって考えていると、ゆかりが「あ!」と声をあげた。

 

「分かった! 八雲君の記憶と姿が違うんだ!」

「それは八雲さんと会われていたときの服装とという意味ですか?」

「そうじゃなくて、八雲君の知っている英恵さんは十数年前の姿でしょ? 子どもにしてみれば多分よく似た人って感じちゃうんだよ」

 

 ゆかりの説明を受けたことで、他の者は言われてみれば確かにと納得する。

 八雲の正確な年齢は分からないが、仮に二歳だとしても十五年前の記憶ということになる。

 つまり、八雲の知る英恵は二十代の姿なのだ。現在の四十歳手前の姿とはやはり差異もあって、それが気になった八雲は英恵を贋物だと思ったに違いない。

 その後に美鶴の方へ行ったのは、親子だけあって昔の英恵と似ていないこともないと思い一応確かめたのだろう。

 彼が英恵から逃げた理由を理解したアイギスは、ちゃんと話せば理解してくれるはずだと抱っこしたまま八雲を英恵の前まで連れて行く。

 

「八雲さん、この方は八雲さんのお母様のご友人である桐条英恵さんであります。八雲さんの知っている姿と違うのは、八雲さんが沢山寝ている間に歳を取っただけなのです」

「ゴメンね、八雲君。おばさんがおばさんになってビックリさせちゃったね」

 

 この人は貴方の知り合いですと改めて説明し、英恵も謝りながら八雲の小さい手を握って握手する。

 半信半疑の八雲はアイギスと英恵を交互に見ていたが、先ほど優しく頭を拭いて貰ったこともあり、相手を本人と認めたのか再び笑顔を見せた。

 その顔を見た英恵も内心で安堵の息を吐き、ほっと胸をなで下ろしながらアイギスから八雲を受け取ってあやす。

 まだ髪は完全には乾いておらず、もっと言えばオムツしか穿いていないので着替えさせる必要もある。

 だが、今は親がいないことを不安に思っているであろう八雲を安心させることが大事だ。

 背中を優しくトントンと叩きながら、身体を上下に揺すって相手を落ち着かせていれば、ニコニコと笑っていた八雲は何やら考える顔になって英恵の胸に手をパシパシと置いた。

 先ほど美鶴に対しても似た様な仕草を見せたが、あの時と違って今の八雲は嫌そうな顔をしていない。

 一体彼が何を伝えたいのだろうかとアイギスが考えていれば、八雲の行動の意味を理解していたらしい英恵が口を開いた。

 

「はいはい。じゃあ、その前に髪の毛を乾かしてお着替えしましょうね」

「あの、八雲さんが何を伝えたいのか分かったんですか?」

「ええ。まぁ、子どもは会話での意思疎通が難しいから、こういったサインは割と多いの」

 

 こういった幼い子どもとのコミュニケーションは、やはり育児経験のある者の方が優れている。

 湊とチドリを育てた桜も赤ん坊は育てた事がないので、これから八雲の面倒をみる可能性も考えてアイギスと共に英恵から説明を受ける。

 

「いま八雲君は私の胸を叩いたでしょう? それはお腹が空いたってサインなの。赤ちゃんはお母さんのおっぱいを飲んでたから、ゴハンを食べるようになってからも名残として残ってるのよ」

 

 全ての赤ん坊がそうという訳ではないが、お腹が空いて泣くでもなければ、お母さんの胸を叩いてお腹が空いたと伝える子は多い。

 八雲は声を出すことが出来ないので、余計にそういったサインに気付いてあげる必要がある。

 それを理解しているアイギスたちは、八雲の髪を乾かしに洗面所へ移動しながら、英恵と一緒にいる間に出来る限り学ぼうと真剣に話を聞いていた。

 

***

 

 八雲がお腹が空いたということで、昼には少し早いが一同は敷地内の食堂に向かうことになった。

 しかし、それには八雲を着替えさせる必要があるからと待っていれば、英恵と桜が買ってきた荷物と一緒に部屋に入った八雲が数分後に皆の前に現われた。

 

「うわー、可愛い!!」

 

 リビングにやってきた八雲を見た途端に風花が瞳を輝かせる。

 ポニーテールに纏めた頭にはピンク色のキャップ、白地にキャンディ柄のTシャツを着て、その上にややカボチャ型の膝丈オーバーオールを穿いた姿はやはり幼女にしか見えない。

 これらをコーディネートした二人の母親も満足げに八雲を見ており、本人たちはズボンだから大丈夫と考えているに違いないが、可愛いと褒められている八雲も得意気な顔をしているので良いのかもしれない。

 まぁ、男性陣はあまり玩具にしてやるなよと呆れているが、そんな事を口にすれば女性陣から怒濤の反論が待っているので順平すら口に出さなかった。

 

「じゃあ、八雲ちゃん連れて食堂にいきましょうか。先に連絡して個室の方を取っておいてもらったから別にゆっくりでいいわよ」

 

 呼ぶ際の名前は食堂だが中身はそこらの店よりしっかりした洋風レストランだ。

 病院のカルテから患者のアレルギー情報だけを取得し、IDカードになっている診察券を通せばアレルギー食材を除いた専用メニューを頼めるとして大勢の固定客を確保している。

 そんな人気の食堂の個室など中々取ることは出来ないはずだが、そこはオーナー権限というやつで、普段は利用されていない専用の部屋がしっかりと存在していた。

 ここから向かうまでの間に部屋の用意をしてくれているはずなので、のんびり行きましょうとシャロンが先導すれば、部屋に残るという自我持ちのペルソナ以外が彼女の後に続いてVIP区画を出て行く。

 お出かけ用の服に着替えてご機嫌の八雲もアイギスと手を繋いで歩いており、病院の中で他の人とすれ違う際、オシャレさんねと大勢から褒められて余計に機嫌を良くしていた。

 そして、入り口の自動ドアを潜って熱気を感じながら外に出れば、日陰のところで寝て待っていたコロマルがアイギスたちに気付いて駆け寄ってきた。

 

「ワン!」

「すみません、お待たせしましたコロマルさん。ほら、八雲さんもコロマルさんにご挨拶ですよ」

 

 退行した八雲はコロマルの事を知らないので、待ての状態で待機してくれているコロマルに挨拶をしてと八雲とコロマルを対峙させる。

 初めて見る相手に八雲は不思議そうにしているが、コロマルは匂いで相手が湊だと分かっているのか大人しく待っている。

 その様子に本当に賢い犬だなと他の者が感心していれば、ジッと相手を見ていた八雲が手を挙げるとコロマルの頭を叩いた。

 

「きゃん!?」

「あ、こら! そんなんしたらアカンやろ! ちゃんとコロマルさんにあやまり!」

「そうですよ、八雲さん。コロマルさんに謝ってください」

 

 急に叩かれ思わず驚きの声をあげてコロマルが下がれば、傍で見ていたラビリスと共にアイギスが何故そんなことをするんだと八雲を怒る。

 直前までコロマルは待ての状態で待機してくれていたのだ。八雲を怖がらせてはいけないと気を利かせ、相手からの反応を待っていれば予想外の一撃。

 別に叩かれたところで幼い子どもの一撃など痛くはないが、それでも何もしてない相手に急に暴力を振るうのは悪いことだ。

 彼のことを可愛い可愛いとだだ甘で見ていた美紀や風花も、どうしてそんな事をしたんだろうと不思議に思って見つめれば、ラビリスたちから怒られた八雲は繋いでいたアイギスの手を振り払い、そのまま逃げる様にシャロンの後ろに隠れた。

 

「あらあら。気持ちは分かるけど子ども相手に怒っちゃダメよぉ」

「けど、悪いことしたらアカンよって教えんと」

「そうねぇ。でもさ、怒ることと叱ることは別だからねぇ」

 

 怯えた様子で自分の後ろに隠れた八雲に苦笑しつつ、シャロンは八雲を抱き上げるとそのままコロマルの前まで移動する。

 相手を叩いた直後に怒られたことで彼はコロマルのことをムッとした顔で睨んでいるが、そんな事をしちゃダメよと優しく言いながら、シャロンは左腕で相手を抱いたまま八雲の右手と自分の右手を重ね、そのままコロマルの頭に手を置いて撫でた。

 

「ねぇ、八雲ちゃん。さっき八雲ちゃんがしたみたいに頭ぺしんってしたらワンちゃんは痛い痛いってなっちゃうの。だから、触るときはこうやって優しくなでなでしてあげて?」

 

 シャロンが八雲の手を握りながらコロマルを撫でるので、八雲は抱き上げられていることもあって逃げようがない。

 ただ、手を重ねている状態で力と速度をコントロールしてもらえば、八雲自身もコロマルのフワフワとした毛を堪能することが出来た。

 

「そうそう。叩いてゴメンねーって優しくよぉ」

「くぅーん」

「ほら、ワンちゃんも許してくれるって。良かったわねぇ」

 

 途中でシャロンが手を離しても八雲は感覚を掴んだのか優しく撫で続ける。

 すると、コロマルも小さな手に撫でられるのが気持ちいいのか、もっと撫でて欲しいと自分から頭を差し出した。

 相手から好意を向けられると子どもというのは素直なもので、シャロンが地面に下ろしても笑顔になって両手でわしゃわしゃとコロマルを撫で、そこには犬と子どもが戯れる優しい空間が存在した。

 そんな温かな光景を後ろで見守っていたシャロンは、先ほど彼を怒っていた少女たちに、相手が子どもだからこそ大人はちゃんと考えて対応しなければならないと窘める。

 

「子どもはどうしても好奇心で動きやすいからさ。危ないことをしたら強く叱っていいけど、悪いことしたときは何がダメなのかをしっかり諭す様に教えてあげなきゃね」

 

 子どもは子どもなりに言われた事から学んでゆく。だからこそ、“叩いてはダメ”ではなく、“こういった理由があるから叩いてはダメ”と伝える必要があった。

 情緒面で成長したからこそ元対シャドウ兵器の姉妹は善悪の判断も出来るが、そういった部分はまだまだ経験不足な感じが否めない。

 本人たちも先ほどの自分たちの対応がいけなかったことは理解した様で、申し訳なさそうに八雲に近付いて謝ろうとすれば、近付いて来た事に気付いた八雲は嫌そうな顔で英恵の許に走って行った。

 その後ろ姿を見つめるアイギスは、大切な少年に嫌われてしまったと深く落ち込む。

 だが、怒られた子どもなんてしばらくはそんなものだとシャロンがフォローし、一同はそのまま食堂へ向かった。

 

***

 

 シャロンが話を通して用意して貰った個室は、呼び名こそ個室であったがささやかなパーティーを開けそうな広さがあった。

 部屋は二階にあり、窓からは夏の日差しをキラキラと反射する海が遠くに見える。

 広い部屋の中には三つの円卓が置かれ、やってきた者たちは三組に分かれて席についてゆく。

 一つ目のテーブルには男子が固まって座り、二つ目のテーブルには特別課外活動部の女子メンバーとラビリスが座る。

 そして、三つ目のテーブルには八雲と保護者二人に加えてチドリとシャロンと美紀が座れば、八雲には子ども用のメニューが渡され、彼の隣に座った英恵と桜が一緒にメニューをみながら彼の料理を選んでやる。

 

「わぁ、八雲君のはどれも美味しそうで良いわねぇ。八雲君はどれが食べたい?」

 

 写真付きのメニューには豪華なお子様ランチやカレーにラーメンと庶民的なものもある。

 今の八雲は濃すぎる味付けでなければ、基本的には何でも食べて良いので、どれが食べたいかと尋ねられると、彼は瞳を輝かせて大きなパフェを指さした。

 

「んんー、それはご飯を食べてからにしようね? ほら、八雲君。美味しそうなハンバーグもあるよ? それともカレーライスがいいかな?」

 

 子どもからすると甘いものは格別のご馳走なのだろう。だが、ご飯を食べる前にデザートを食べさせる訳にはいかないので、桜が苦笑しつつ食後にしようねと言えば、八雲はわかったと頷いてメニューを眺める作業に戻った。

 他の者たちはそんな様子を眺めながら自分の注文を決め、桜と英恵も交代で八雲の様子を見ながら注文を決める。

 そして、最後まで悩んでいた八雲が子どもメニューで一番量の多い“よくばりお子様プレート”に決めたところで、店員を部屋に呼んで全員の注文をまとめて伝えた。

 まだまだ小さい八雲がお子様メニューで一番量の多い料理を頼んだときには、小学生向けの量だが大丈夫かとも聞かれたが、もし食べきれなければ他の者が貰ってもいい。

 男子たちが子どもとはいえ赤の他人の食べ残しを食べるかは分からないが、風花も身体の割に健啖家であるし、七歌も下手な男子たちより大食いである。

 アイギスとラビリスも女子の平均よりは食べるため、彼女たちならば八雲の残しも食べるだろうとしてそのまま注文を通した。

 すると、注文を受けて部屋を出て行った店員が少ししてから部屋に再び戻ってきて、八雲の許までやってくると玩具がたくさん入った箱を見せた。

 

「こちら、お子様メニューご注文のお子様へのプレゼントでございます。お好きなものをお一つお選びください」

「あら、良かったわねぇ。ほら、八雲君はどれがいい?」

 

 お子様メニューのオマケだとは言っても、ここはトップ企業であるEP社の直営だ。

 全国チェーンのファミレスで配っているようなチャチなものではなく、EP社のトイ部門で作られた正規品が箱の中には入っている。

 ボトルを握るとリングが出てくるシャボン玉セットや、振動に反応して七色に光るリングなど、子どもが好きそうなものが揃っており、夢中になって見ている八雲には宝の山に違いない。

 しかし、貰えるのは一つだけ。いくら可愛くてもちゃんとルールは守らせなければと英恵と桜が見ていれば、八雲はじっくりと悩んだ末に自分の背丈ほどもある合成樹脂製の刀を選んだ。

 せっかく女の子のような服装をさせたというのに、どうしてそんな男の子っぽいものをと思わなくもないが、それは母親たちが思っているだけで成長した湊を見れば彼が武器好きなのは分かりきっていた。

 八雲が玩具を選べば店員は去って行き、自分の愛刀をゲットした八雲は得意気な顔で刀を鞘から抜いている。

 

「八雲君、危ないからあんまり振り回しちゃダメよ?」

「けど、軽いとはいえ、自分の背丈ほどもある武器を振れるものなんですね」

「ま、子どもは握力が強いからねぇ」

 

 左手で鞘を持ったまま八雲は右手一本で刀を左右に振っていた。

 そんな動きでは何も斬ることは出来ないけれど、大人たちからすれば危なっかしいという印象が強い。

 まだまだ料理が来るまで時間がかかると思うが、もし来たら一度預からなければと考えていると、八雲が椅子に座ったままお尻でジャンプをし始めた。

 

「どうしたの八雲君?」

「あ、もしかして降りたいのかな?」

 

 なんだなんだと保護者たちは驚くが、どうやら椅子から降りたいようで、英恵が椅子を引いて床に下ろしてやると八雲は笑顔になった。

 まぁ、料理が来るまでの待ち時間は子どもにとって退屈なのだろう。

 今の八雲ではドアノブを捻って外に出ることは出来ないので、部屋の中でくらいは自由にさせておくかと刀を持って走り回る彼を微笑ましく思いながら眺める。

 だが、少し走り回ると八雲はその場で動きを止め、キョロキョロと周りを見渡してから、再び走り出すと椅子に座っていたアイギスの傍に向かった。

 さっきまで嫌いだと無視していたのに、またアイギスに構ってもらいに行ったのか。

 他の者がそう考えていると、八雲は手に持った刀の先でアイギスの腕を撫でた。

 スリスリと上下に擦るように何度も撫でているが、今の八雲は何やらショボンと落ち込んだ顔をしており、そんな状態でアイギスを刀で撫でているせいで嫌いだと言っているようにも見える。

 嫌いな相手をやっつけるために玩具で武器を選んだのなら、それはとても可哀想なことをしてしまったとアイギスが困っていれば、彼の行動を眺めていた大人の女性陣から笑い声が漏れた。

 

「フフッ、八雲君は可愛いですね」

「ボウヤになってからもこれくらい素直なら楽なんだけどねぇ」

「まぁ、やはり子どもだからこその素直さなんでしょう」

 

 桜もシャロンも英恵も、誰一人として八雲の行動を咎めようとしていない。

 もし八雲が嫌いな相手をやっつけようとしていれば、彼女たちは優しく諭して止めさせているはずなので、止めないからには別の理由があるのだろう。

 だが、どうしても行動の意味を理解出来ず困っていれば、見かねた英恵が苦笑しながらアイギスに行動の意味を説明してくれた。

 

「アイギスさん。困らなくても大丈夫よ。八雲君は今あなたに謝ってるの。さっきはゴメンなさいって。そして、もう怒ってないか聞いているのよ」

 

 その説明を聞いた者たちは一斉に八雲の事を見つめた。

 つまり、落ち込んだ様子は、まだ怒っているのではという不安の表れで、攻撃らしき行動は構って欲しいというアピール。

 さっきまでは急に怒られて拗ねていたが、時間が経ってからでもちゃんと謝りに来たのは褒めてやるべきだろう。

 アイギスは相手の頭に手を乗せると、優しく撫でながら微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ、八雲さん。さっきはわたしも怒ってしまってすみません。これで仲直りです」

 

 子どもが謝ってきたのだから、アイギスも自分の非を認めて謝罪せねばと謝った。

 その言葉を聞いた八雲は先ほどまでの不安な顔が嘘のように顔を輝かせ、刀と鞘を持っている手をブンブンと振りながら全身で喜びを表現する。

 

「うー!」

『喋った!?』

 

 話せないだけでなく、声も出せないはずの子どもが声を出している。

 「うー」だけでは言葉の意味を予想することも出来ないが、今は声を出せるようになったことが重要なので、アイギスははしゃいでいた八雲の脇の下に手を入れると抱き上げつつ立ち上がった。

 

「八雲さんが話せるようになりました!」

「そうねぇ。心因性だから時間がかかると思ったけど、今の環境に慣れれば声を出したり話したり出来るのかもね」

 

 今はまだ単語すら話すことができなくても、声を出せるならコミュニケーションの幅も広がる。

 本当に良かったとアイギスが何度もたかいたかいしてやれば、喜んだ八雲が楽しそうに再び「うー!」と声をあげ。彼が話せないことを心配していた者たちが目に涙を浮かべるという一幕もありながら、一同は明るい雰囲気の中、食事の時間を大いに楽しんだ。

 

 


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