【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百八十六話 聖夜の決断

12月24日(水)

午後――ポートアイランド駅

 

 今日はクリスマス・イヴ、日本では恋人や家族と少し特別な日を過ごすといったイメージが強い。

 日も落ちて辺りが薄暗くなり始めた頃、雪の積もった駅前で肌を刺すような寒気に白い息を吐きながら、普段よりも落ち着いた印象の服でお洒落をしてきたゆかりは、待ち人が来るのを静かに待っていた。

 

「……意外と早いな。メリー・クリスマス、と言っておくべきか?」

「それよりも久しぶりって挨拶すべきじゃない……って返して欲しいの?」

「よく覚えてたな」

「そりゃ、記念日に最初にした会話ですから」

 

 湊が去年の再現を期待した挨拶をしてきたことで、ゆかりも相手の希望に答えて同じセリフで返してやる。

 今日は世間ではクリスマス・イヴだが、二人にとっては正式に交際を始めて丁度一年の記念日でもあった。

 それだけにゆかりは湊が一周年をしっかりと覚えて意識してくれていた事が嬉しく、滑らないよう気を付けて近付けば、彼の左腕を取って抱きつくように腕を絡めた。

 

「……えへへ」

 

 今日の湊は眼鏡をかけた状態で長い髪をコートの中に仕舞い、さらに上からマフラーを巻いているので一目では長髪だと気付かれない。

 そんなちょっとした変装も兼ねた分厚いコートを着ている者に抱きついても、お互いの体温などこれっぽっちも分からない。けれど、触れあっているだけでどこか温かく感じて、ゆかりは抱きついたまま自分の右手と彼の左手を恋人繋ぎで繋ぐ。

 そんな少女の様子を眺めていた湊は、今日は随分と機嫌がいいなと思いながら、彼女との触れ合いで感じた事を率直に伝えた。

 

「こうやって腕に抱きつかれると、一年で随分育ったなと改めて実感するな」

「ちょ、可愛い彼女の愛情表現をすぐそっちの話に持っていくな!」

 

 ゆかりが湊の腕に抱きつくという事は、彼の協力もあって随分と成長した母性の象徴が押し付けられるという事である。

 別に触られても嫌な気持ちになったりはしないが、TPOは弁えて欲しいし、暗くなっているが時間的にはまだ夕方なので自重しろとゆかりは繋いだ手を強く握って彼を注意した。

 しかし、リアルに釘を刺されようと表情一つ変えないで耐えられる湊にとって、いくら弓道で鍛えていようと非力な少女の締め付けなど一切ダメージはない。

 ムスッとした顔をするゆかりをそのまま見返した湊は、酷い誤解だと溜め息を吐きながら先ほどの言葉の意味を話した。

 

「はぁ……俺は身長差のつもりで言ったんだがな」

 

 言われてみれば確かに身長差は減っていた。湊の身長は一八三センチで止まっているけれど、ゆかりはまだ伸びているので、去年から一年間でおよそ頭一つ分ほどの差まで縮まったと言える。

 だが、今日のゆかりは少しヒールのあるロングブーツを履いているし、向かい合っていたときに目線の違いで言っていたならともかく、抱きついたタイミングで言うのはどこか不自然であった。

 そこをゆかりが指摘すれば、

 

「ダウト! それ絶対――――っ」

 

 話している途中で口を塞がれた。

 目を閉じたせいで他の感覚が鋭くなり、待っている間に少し冷たくなっていた唇が触れた湊の体温で熱く感じる。

 突然の行動に驚くが彼からの愛情表現は珍しいので、彼が唇を離すまで優しい感触に身をゆだねていれば、離れた彼は小さく口元を歪めてゆかりだけに聞こえる声で呟いた。

 

「去年より近かっただろ?」

「……ばーか。まだ人いっぱいいるんだから、気を付けないと写真撮られちゃうよ?」

 

 一センチや二センチの差が縮まったところで、頭一つ分も差があればゆかりでは背伸びしても届かず、結局は今の様に湊が身体を屈めて顔を近づけてくれなければキス出来ない。

 そして、唇同士が触れあえば、ゆかりの頭の中は湊のことでいっぱいになり、ちょっとした距離の違いなど気にしていられない。

 それを分かって聞いてくる湊の意地悪に、嬉しいが周りも気にしろ有名人とゆかりは返す。

 少女の照れ混じりの返事に満足したのか、青年は姿勢を正して周囲を見渡しながら、そろそろ移動しようと提案する。

 

「さて、とりあえずイルミネーションを観に行こうか。今年はいいと言われたからホテルは取ってないが、レストランの予約はしてるからな。色々と観に行くならそんなに時間はない」

「あ、うん。じゃあ、いこっ」

 

 クリスマスディナーの予約をするとき、一緒にホテルもどこかに取るかを湊は尋ねた。その際、ゆかりは今年はいいやと言っており、本人がいうならとホテルの予約は取っていなかった。

 彼女なりのサプライズがあるのか、それとも高校生になって寮則が変わったのかは分からないが、それでもレストランの予約は取っているので見て回る時間は限られる。

 ゆかりが見たいと言っていたイルミネーションは巌戸台から少し距離があるため、湊が駅の方へ歩き始めると、ゆかりは彼の手を取って繋ぎながら目的地を目指した。

 

夜――都心・レストラン

 

 秋には黄葉が彩るイチョウ並木のイルミネーションや、海外から巨大なモミの木を輸入して飾り付けた本物のクリスマスツリーなど、クリスマス特集の雑誌に載っているデートスポットをいくつも回った二人は、時間になった事で湊が予約していたレストランへとやってきた。

 外観はどこか教会のような感じだったが、中は落ち着いた雰囲気の洋風レストランで、離れた場所に配置されたテーブルには本物の富裕層だと分かる品のある夫婦や家族が食事を楽しんでいた。

 ゆかりもこれで名家の娘なので、桐条家主催のパーティーなどでマナーも身に付けている。服装もドレスコードがあっても問題ない物を選んできたので、名前を告げれば問題なく席まで案内された。

 席に付けば湊が椅子を引いてゆかりを待ってくれ、彼女は随分と紳士だなと小さく笑ってお礼を言いながら座る。

 彼女が座れば湊も正面に移動し席についた事で、給仕を務める女性が丁寧な仕草で礼をして本日のコースの説明を始めた。

 

「本日はクリスマスディナーの星のコースでお承りしております。食前のお飲み物はいかがなさいますか?」

「んー、酸っぱいのより甘いのがいいなぁ。ピンク色の甘いフルーツ系って何かありますか?」

「ピンク色ですとバージンブリーズは如何ですか? グレープフルーツとクランベリーのジュースを混ぜたノンアルコールカクテルで、グレープフルーツの爽やかな飲み口が特徴なのですが」

「へぇ。じゃあ、私はそれで」

 

 バージンブリーズはシー・ブリーズからウォッカを抜いたノンアルコールカクテルで、店によってピンクであったり赤に近かったりするのだが、この店ではピンク色をしているようだ。

 ゆかりはフルーツジュースを飲む方ではないので味は想像できないが、二つのフルーツの組み合わせを美味しそうだと思って頼めば、湊が目だけで「バージンじゃないのにな」と言ってきていたので、ゆかりは給仕の女性から見えないようにテーブルの下で彼の足を踏んづける。

 対して踏まれている青年は気にした様子もなく、メニューも見ないままドリンクを頼んだ。

 

「俺はサンドリヨンでお願いします」

「あ、それ前も頼んでたね。それが好きなの?」

「……レモン、オレンジ、パインのジュースで作るカクテルなんだ。これだとどこでも置いてるから選ぶ手間がなくていい」

「えー……特別なディナーでそういう選び方してたとか知りたくなかったんですけど」

 

 カクテルは言ってしまえばジュースや酒の組み合わせだ。店によってはジュースの種類が限られて作れない物もあるが、湊が挙げた三種類はよく使うのでどの店でも置いている。

 すると、自動的にサンドリヨンならどこでも頼めることになり、こだわりのない青年は好みより楽さで種類を選んでいた。

 店を調べて予約まで取るマメな性格をしているくせに、根っこの部分は面倒臭がりなようで、知りたくなかった衝撃の事実にゆかりが微妙な表情をすれば、給仕の女性も苦笑して注文を通しに去って行った。

 周りに人はいるがテーブル同士の距離は開けてあり、周囲を気にせず話せる状況になったことで、星のコースと書かれた御品書きを見ていたゆかりが湊に話しかけた。

 

「ねえねえ、星のコース以外ってどんな名前だったの?」

「花と雪だ。花は野菜中心のヘルシー系、雪は魚料理、星は肉料理のコースになってる」

「そうなんだ。雰囲気は分かるようで、ちょっと首を傾げるね」

 

 花は植物繋がり、雪は水繋がりだろうか、星に関しては綺麗な言葉で残っていたのがそれだったという理由っぽいが、とりあえずゆかりは独特ながら面白いセンスだと笑顔を見せる。

 そうして、二人が雑談を交わしていれば、食前のドリンクが運ばれてきて二人はグラスを手に取った。

 

「何に乾杯しようか」

「岳羽が大人になって一周年だからそれにでも乾杯するか」

「よーし、表でろ。鬼畜眼鏡に乙女の鉄拳を喰らわしてやるから」

 

 さっき言葉を交わさずに話したというのに、まだそのネタを引っ張るのなら実力行使も辞さない。

 彼のかけている眼鏡が変装用の伊達なのは分かっているため、その眼鏡叩き割るぞと良い笑顔を見せれば、青年は色気すら感じる綺麗な微笑を浮かべて言葉を返す。

 

「じゃあ、今年も今日の思い出にでいいんじゃないか」

「ん、じゃあそれで。今日の思い出に乾杯」

「乾杯」

 

 ちょっと締まらないが、青年との会話などこんな物だとゆかりも諦め、二人はグラスを小さく鳴らしてドリンクに口を付ける。

 酸っぱいフルーツ同士の組み合わせだったが、ゆかりが希望していた通り味は甘めで、けれどすっきりとした後味で非常に飲み易かった。

 湊の方は飲み慣れているので店ごとの違い程度しか感じていないが、少女は彼の選ぶ店は当たりばかりだなと感心する。

 

「こういうお店ってどうやって見つけるの? やっぱり仕事関係?」

「そういう場合もある。後は桜さん達と食事に出かけたり、昔、家族で行った事のある店だったりだな」

「今日のここは?」

「ここは仕事だな。アレルギー食材を使わない料理の研究会にシェフが参加してて、そのときに名刺を貰ったんだ」

 

 EP社では電子カルテで患者ごとにアレルギーの情報を管理しており、食堂では診察券のカードを読み込ます事で、アレルギー食材を除いた料理のメニューを個別に渡している。

 呼ぶときには食堂と呼んでいるが、建物はいくつかに分かれて一般のレストランのような建物もある。そちらはディナーなどのコースメニューも扱っているので、アレルギーがあって外食が難しい家族もそこなら安心して食事が出来ると評判になっていた。

 湊たちが今日来たレストランのシェフは、EP社が主催する料理の研究会に参加し、自分の店でも似たような事が出来ないかと熱心に話を聞いて代表を務める湊にも名刺を渡していった。

 その後、何度か話がしたいと食事に招待されて料理の味も知っており、ディナーを楽しむ場所として相応しいと選んだ訳だが、少女の方は話を聞いて彼は一体どれほどパイプを持っているのかと呆れ気味な顔をした。

 

「学校にも来てるのに、よくそんな色々な人と会ったりできるね。疲れないの?」

「部下が会って後で報告を聞く事もあるからな。岳羽が思っているほど会ってないぞ」

「そうなんだ。まぁ、どっちにしろ学生のする話じゃないと思うけどね」

 

 言ったところで料理が運ばれてきた。二人の前にはカブの冷製スープが置かれ、ゆかりは楽しみだとスプーンですくって口へ運ぶ。

 彼女のカブのイメージは柔らかい大根といった感じなのだが、スープはカブの風味でまろやかになったポタージュの様で、ときどきすりおろしたカブらしき舌触りが口の中に残る。

 ただ、ざらついているかと言えばそうではなく、丁寧に処理をしつつ別の食感も味わえるよう敢えて残しているのは確実で、こういったスープもあるのかとゆかりは初めての味と食感に心の中で賛辞を送る。

 

「冷製スープって苦手だったけど、これは飲み易くて美味しい。本当に丁寧な料理って感じ」

「最近では海外の野菜を国内で作っていたりするんだ。ここでは契約農家に頼んで西洋野菜を作ってもらって、それを直接仕入れている。だから、シェフの出したい味が出せるらしい」

「ああ、同じニンジンでも種類によって冬は甘かったり甘くなかったりするもんね。なるほど、そういう条件を食材の時点で揃えてるから、余計な処理とかを省いて丁寧に作れるんだ」

 

 ゆかり自身も料理をするので、食材の味の違いで思い通りの味を出せない難しさを知っている。

 それをここのシェフは自分で食材から選ぶことでクリアし、味のばらつきを考えなくていい分、それぞれの処理に力を注いで調理できるのだという。

 美味しさと丁寧な処理にはやはり秘密があるのだなと、ちょっとした裏話を聞きながらゆかりは運ばれてくる料理に舌鼓を打った。

 

――巌戸台

 

 食事中にプレゼントの交換も終えて、レストランを出て巌戸台まで戻ってくると、二人は駅から歩いて女子寮を目指していた。

 薄らと雪が降ってホワイトクリスマスだなと思いながら歩いていれば、寮までまだ十五分ほどかかる場所でゆかりが立ち止まり、湊の方へ振り向くなり口を開いてきた。

 

「今日はここまででいいや」

「まだ寮までは距離があるぞ」

「分かってるよ。でも、今日はここまででいいの」

 

 現在の時刻は九時前で年頃の少女が一人で歩くには安全とは言い難い。けれど、送って行こうとすれば強く拒否してきた事で、湊はどうしたんだと不思議に思ってゆかりを見つめる。

 すると、相手はどういう訳だが今にも泣き出しそうな顔をしており、理由があってここで立ち止まった事を湊も察した。

 湊が何も言わずに相手を見つめていれば、何度も口を開きかけては閉じていたゆかりが、意を決したように震える声で話し始めた。

 

「あの、ね。突然こんな事言われても困ると思うんだけど、私と別れて欲しいの」

 

 突然の言葉に湊は目を細めて相手の真意を探ろうとする。どうみても相手は別れる事を嫌がっている。けれど、誰かに命令されてという無理矢理な感じはしないので、事件性がなければ記憶を読むのはやめておこうと話の続きを黙ってきく。

 

「自分から告白しておいて勝手なのは分かってる。でも、私、このままじゃ有里君に頼って、依存しちゃいそうで」

 

 頼る、依存する、この単語から思い出すのは誰にも頼らないと言っていた昔のゆかりの姿。

 当時の彼女は余裕がなかった。父の事を調べるといいながらも、美鶴に積極的に会いに行って情報を仕入れるでもなく、かといって図書館で桐条グループにまつわる書籍や新聞で当時の状況を再度洗い直しもせず、調べたいというだけで行動は一切起こしていない。

 そんな状況で少しは焦りを覚えていたようだが、運悪く母親が交際相手を紹介したいと言ってきた事で、彼女は母親に反発して誰にも頼らず自分だけで幸せを掴むんだと意地になっていた。

 見かねた湊が話を聞きガス抜きに恋人の真似事をして、一年前から本物の恋人になって彼女の方も色々と考えられる余裕が出来ていたはずだが、どうしてまた昔のような事をいうのか不思議に思っていれば、ゆかりは自分が改めて考えるようになった切っ掛けを話す。

 

「有里君のこと見てて分かったんだ。私に足りないのは覚悟だって。お父さんの無実を証明するためにきたって言ってたけど、今までは全然本気じゃなかった。そんなんじゃ何も分からなくて当然だよね」

 

 分からなくて当然という少女は自嘲気味に笑う。

 口でなんと言おうと行動を起こさなければ意味がない。母親との思い出を大切に思っていた湊は、母を喜ばせるためにテニスで日本一に輝いて見せた。

 ゆかりにそこまでの事は出来ないが、それでも自分に出来る範囲で全力を尽くす必要があると、思うだけで何もしてこなかった自分に活を入れられた気がしたのだ。

 

「有里君の事は今も好きだよ。本当に大好きで、付き合ってる間ずっと幸せだった。でも、お父さんの事も諦められないの。私は弱いから、付き合ったままだと、君に甘えてきっと途中で諦めちゃう」

 

 ゆかりは湊と共に過ごす中で自分の弱さを知った。だからこそ分かる。湊と一緒にいれば弱い自分はこれだけ頑張ったんだからいいよねと途中で諦めてしまうことを。

 これは自分でやらなければならないこと。自分一人で立って、必死に走り回って、そうやって真実を知ろうとしない限り途中で折れてしまう。

 故に、

 

「だから、ゴメンなさい。私と、別れて、ください……」

 

 ゆかりは大粒の涙を流しながら震える声で別れて欲しいと頼んだ。

 本気で別れるつもりなら、父の事を調べるので交際を続けられないと関係の解消を一方的に告げればいい。

 しかし、ゆかりは頼みはしたが選択を湊に委ねた。湊が嫌だと、自分も手伝うから一緒にいたいと言えば、きっと断り切れずに今の関係を続けることになるだろう。

 本人は無自覚だろうが、ちょっとした甘さが残っていることで、彼女が言っていた自分は弱いという言葉に説得力があった。

 ただ、それは色々な葛藤と別れるという決断を下す中で、そこまで考える余裕がなかっただけとも思える。

 そう思った湊はコートのポケットに手を入れたまま、真っ直ぐゆかりを見つめて静かに答えた。

 

「……わかった」

 

 少女が別れて欲しいと頼み、青年がそれを受け入れた。言葉にすればたったそれだけで、二人の一年という長くも短くもない交際期間は終わりを告げた。

 湊の返事を聞いたゆかりは両手で顔を覆って嗚咽を漏らす。自分で決めたことだが、それでも辛い選択に変わりはなく肩を震わせている。

 そんな少女の姿を見ていた湊は今の彼女には酷かもしれないが、何も言わずに立ち去る事など出来ず、彼女の頭に優しく左手を置いた。

 

「お互い不器用だな。まぁ、なんだ。辛くなったら愚痴は聞いてやる。だから、頑張ってこい」

「うぅっ……ゴメンねっ、私、ずっと有里君のこと好きだからっ……ずっとずっと、愛してるからっ」

 

 これが最後だから許して欲しい。そう誰にでもなく言い訳をして、ゆかりは湊に抱きつき、湊もゆかりをしっかりと抱きとめキスをした。

 大切な思い出とする事が出来れば、それを支えに頑張って行ける。別れのキスは十秒にも満たない短いものだったが、身体を離したゆかりは涙を流しながらも無理矢理に笑顔を作って「ありがとう」と告げると、そのまま振り返りもせず走って寮に帰って行った。

 きっと、少しでもここに残れば決意が鈍ると分かっていたのだろう。小さくなっていく彼女の背中を見ていた湊は、突然暇になったことでどうするかなと雪の降る空を見上げた。

 

――チドリ私室

 

 桔梗組は日本家屋といった造りだが、ケーキを買ってきて桜がオーブンで焼いたターキーを食べるなど、チドリたちがやってきてからはしっかりとクリスマスも祝っていた。

 そうして、桜の手料理を楽しみつつクリスマスの音楽特番を見終わってお風呂に入ってきたチドリは、寝巻用の浴衣の上に羽織を着て自室へと戻ったのだが、

 

「っ、どうしているの? デートじゃなかったの?」

 

 扉を開けて明かりを点けると何故だか湊がいた。

 明かりも点けず暗い部屋でベッドに背を預けて座っていた青年は、本来なら今日も彼女と泊まりでクリスマスデートに行っていたはず。別にそれを本人らに聞いた訳ではないが、既に一線を越えている若い男女なら、きっと恋人同士で過ごすクリスマスはそうなるだろうと察して、ラビリスも今日は羽入の家でクリスマス会をして泊まってくると気を利かせていた。

 それがどうして十一時前という恋人たちの時間に都心から離れた桔梗組にいるのか。訳が分からず尋ねながら近付けば、湊はやる気の感じられない様子で答えてくる。

 

「デートはした。けど、さっき振られて別れてきた」

「どういうこと?」

 

 別れたという言葉は二つの解釈が出来る。一つは恋人関係の解消、もう一つは別々の帰路につくこと。振られたというからには前者のように思えるが、ゆかりが湊にべた惚れなのは部活メンバー全員が知っている。

 さばさばしているようで人一倍嫉妬深く、湊が他の女子と二人で話しているのを見かけるだけでムスッと不機嫌そうにするくらいだ。

 そんな彼女が湊を振るなど余程の事がない限りあり得ない。彼女の大好きな父親を侮辱したとか、誰かを妊娠させただとか、そういうレベルでなければないはずだが、チドリが彼の傍に腰を降ろせば青年はポツポツと話し始めた。

 

「岳羽はおじさんのことを、あの日の事故の真実を知るために月光館学園に来たんだ。だけど、俺と付き合ったままだときっと甘えて途中で諦めてしまうからって」

 

 聞いてなるほどと納得したと同時に、随分とまた難儀な性格をしているとゆかりの決断に憐れみを覚える。

 今も湊の事が好きなくせに、こうしなければ父親の事を調べられないくらい不器用なのだろう。チドリは自分も不器用だとは思っているが、そんな自分から見ても生きるのに不器用だと思う者がまわりには沢山いた。

 目の前にいる青年もその一人だ。

 

「別れて欲しいって言われて、俺もそれを受け入れたけど。なんか、気が抜けた」

 

 確かに今の湊は気が抜けているというか、どことなく無気力な感じになっている。

 別に、付き合っている間は気を張っていて、別れた事で肩の荷が降りたという様子ではない。

 とすれば、彼もゆかりとの関係解消で少しはショックを受けているのだろうかと、チドリは心配して尋ねた。

 

「辛いの?」

「どうだろう。よく分からない。ただ、なんとなく誰かと一緒にいたくなった」

 

 これで湊も甘えたがりだ。というより愛情に飢えている。親を早くに亡くし、その後、周りから頼られてばかりの人生を送ってきた事で甘え方も知らず、甘えたとしても随分と不器用な甘え方だったりするのだが、そんな彼は急に突き離されて喪失感を覚えたのだろう。

 ゆかりはあれで尽くす女だ。付き合いだしてから湊のために料理を勉強し直したり、ファッションに無頓着だった彼をコーディネートして、服の選び方を教えてやったりもしていた。

 そんなありふれた日常とも呼べる時間が、暗い世界で生きてきた彼には尊いものだったに違いない。そして、気付かぬうちに彼もまた相手に惹かれていたという訳だ。

 

「そう。じゃあ、多分、貴方は相手の事が好きだったのね。自覚はなかったんでしょうけど」

「人を好きになるってのはよく分からない。だけど、これがそうなら、そうか、俺は岳羽が好きだったのか」

 

 他者を想う事は知っていても他人を愛することを知らない青年は、別れて初めて相手を好きだったと気付いた。終わってから後悔することなどざらだが、本当にいま自分が胸に抱いている空虚感が失恋の痛みならば、人を好きになるというのは随分と身近にある感情なのだなと思った。

 そしてそのとき、湊の心の変化に呼応するように彼の前に一枚のカードが現れる。光を放ちながら現れたカードのアルカナは“恋愛”。

 

「……これは、恋愛“ブリュンヒルデ”か」

 

 新たな力の目覚め、失ったことで愛を知った青年に悲恋の戦乙女たるブリュンヒルデが目覚めたのは随分と洒落が利いている。

 人を好きになるという他の者が当然の様に知っている感情。それをようやく理解し始めた青年がカードを見つめたまましばらく何も話さず黙っていれば、それを静かに見守っていたチドリに湊が急に声をかけてきた。

 

「……チドリ、馬鹿なこと言っていいか?」

クリスマス・イヴ(特別な日)だもの。大抵の事は許してあげる」

 

 失恋の痛みで参っている二人には申し訳ないが、彼の心が成長を見せたのは喜ぶべきことだ。それが人を好きになるということなら尚更で、今なら多少無茶な我儘もチドリは許せた。

 すると、青年はチドリの言葉に僅かな安堵を見せ、彼女の手を掴むと真っ直ぐ瞳を見つめながら言った。

 

「今日は一緒にいたい」

「それはどういう意味で?」

「チドリと一緒にいたいんだ」

 

 青年の発言にこれは予想外だとチドリも若干戸惑う。彼なら添い寝して欲しいという意味で言っている可能性もあるが、話の流れを考えると男としてチドリを求めているように取れる。

 失恋で自棄になっているのかと相手を見るが、その瞳にはしっかりと彼の意志が見て取れ、寂しさや人恋しい気持ちもあるのだろうが、ただ失恋の痛みを埋めたいというだけで言っている訳ではないのは分かった。

 しかし、事が事だけにチドリも相手の考えや意志はしっかりと確認しておかねばならない。

 

「寂しいの?」

「かもしれない。でも、ああ、うん。なんだろ。別れて、どうしようか考えたとき、最初にチドリの顔が浮かんだんだ」

 

 言われてチドリは自分の顔が熱くなるのを感じる。それはそういう事と思っていいのだろうかと。

 チドリは失恋のショックを受けた湊に、ショックを受けているならゆかりの事が好きだったのだろうと伝えたが、人は必ずしも一人しか愛せない訳ではない。

 大切な者以外は他人という極端な思考を持つ青年にとって、ゆかり以上に好きな相手や同じくらい好きな相手が知らぬうちに出来ていてもおかしくない。

 なにせ、彼は自分が相手に抱いている感情の種類すら知らなかったのだ。普通の者よりも想う気持ちが大きいだけに、愛に飢えたまま無自覚に複数の女性を同時に愛している可能性は十分に考えられた。

 そして、そんな彼が真っ先に会いたいと思って来たのが自分だと知った少女は、大抵の事は許すと言ったしと心の中で誰にでもなく説明し、自分の左腕を掴んでいた彼の手に右手を重ねた。

 

「いいわ。今日は特別な日だから、私が貴方の欠けた心を満たしてあげる。その代わり、貴方は私を愛して――――」

 

 最後まで言い切るかどうかというところで唇を塞がれる。そのまま抱き上げるようにベッドに寝かされ、明るいのは嫌だと言えばリモコンで部屋の明かりを消し、聖なる夜に二人は長い時間を過ごした。

 

 

12月25日(木)

早朝――桔梗組

 

 クリスマス当日の午前五時半頃、冬場で外はまだ真っ暗だが、桔梗組では既に起き出して洗濯機の前で話す者たちがいた。

 一人は赤い髪の少女、もう一人は青みがかった黒髪の青年。二人は汗などで汚れた身体を綺麗にするため温泉に入ると、今度は洗濯が必要だとベッドのシーツや入浴前に着ていた衣類を洗濯機に放り込んで洗いに来たのだ。

 ゴウンゴウン、と音を立ててまわる洗濯機の傍に並んで座る二人は、他の者がまだ寝静まっている屋敷の中で、ここだけが音がしている事に不思議な感覚を覚えながら言葉を交わす。

 

「……なんか変な感じ。まだ入ってるみたい」

「それ、岳羽も同じこと言ってたな」

 

 チドリの言葉に湊が返すと、流石にデリカシーがないと少女は隣の青年の脇腹を肘で小突く。

 つい小一時間ほど前まで自分を抱いていて今も一緒にいるというに、どうしてここで他の女の名前を出すのか、それも元カノとなれば余計にアウトだと言うように睨みつけた。

 そこまですれば青年も自分の失言を察して素直に謝罪してくる。少女の方も別に本気で怒っている訳ではないが、今は普段よりも独占欲が強くなって嫉妬し易いため注意するよう暗に伝えれば、また静かになってしばらくしてから湊が喋り出した。

 

「……少し考えてたんだ。人を好きになるってこと」

「そう。何か分かった?」

「チドリは俺が相手を好きだったんじゃないかって言ったけど、俺は今まで相手を大切だと想っていたんだ」

 

 他人から指摘されたところで素直に自分の気持ちがそうだったのかと断定は出来ない。こういった物は自分で考えて納得するか、悩み続けて折り合いを付けていくものだ。だからこそ、青年も情事を終えて熱い湯に浸かりながら自分なりに考えた。

 

「でも、俺は山岸や真田のことも大切に想ってる。チドリの友人だからってだけじゃなく、俺個人から見ても好ましい相手だと」

「それはまた、随分と気が多いのね」

 

 二人はこれまで家族だからと越えて来なかった一線を越えてしまったが、別にこれから恋人として過ごしていく訳ではない。あくまで今日は特別だっただけだ。

 なので、湊が新しく恋人を作ろうが、他の誰かを好きになろうがチドリに口を出す権利はない。

 ただ、いくらなんでも自分も所属するコミュニティの中で、最後に血を見そうなドロドロの愛憎劇はやめて欲しい。

 現時点で既に二人は彼に純潔を捧げ、一人は同棲し、残る者も幼少期の初恋や憧れ混じりの親愛の情を抱いているのだ。ちょっとの変化で保たれているバランスは崩壊するのは容易に想像がつく。

 彼の真意は違うところにあるのだろうが、先に釘を刺しておくという意味も込めてチドリが言えば、湊は茶化さないでくれと苦笑しながら続ける。

 

「今まで岳羽に対しての気持ちと山岸らに対する気持ちに差はなかったんだ。まぁ、距離感や接し方は相手によって変えていたけど、それはコミュニケーションの取り方の違いでしかない」

 

 湊が明確に特別扱いしているのはアイギス、チドリ、ラビリスの三人。英恵や桜という母親に、エリザベスなど他の者よりも優先度が上だと思われる者もいるが、基本的には大切な者というカテゴリー内にいる者たちの扱いに差はなかった。

 しかし、チドリの指摘が正しいとすればその認識は間違っていた事になる。本人は同列に扱っているつもりでも、無自覚に差を付けて特別な感情を抱いていたとすれば、ではどうして同列だと思っていたのかという新たな疑問も湧いた。

 

「だから、余計に分からなくなった。振られてショックだったのは確かだろうが、それが好きな人と離れたからなのか、恋人という関係が終わってしまったからなのか」

「私にはよく分からないけど、別れたからって別に話さなくなる訳じゃないでしょ。というか、相手はまだ八雲の事が好きでしょうし、無視されたら傷付くと思うわよ」

「そうなのかな」

 

 ゆかりと別れる事がショックなのか、それとも恋人という特別な関係が終わってしまうことが惜しかったのか。考えてみても未だに答えは出そうにない。

 ただ、これで話す事もほとんどなくなると勝手に思っていた湊にとって、無視されたら相手は傷付くというチドリの指摘は少々意外だった。

 別れても終わりではない。ただ以前と関係が少し変わっただけ。チドリがいうには湊とゆかりはそういう状態になったらしい。

 

「まぁ、とりあえず、もう少し人を好きになるってことを考えてみようと思ったんだ。岳羽の事が好きだったのかも、色々と調べて考えていれば答えがはっきりすると思うし」

「そう。はっきりと答えが出るかは分からないけど、考えて自分の気持ちを明確にしようとするのは良いと思うわ。貴方はもう少し自分の気持ちについて理解を深めるべきだと思うから」

 

 この青年は目的のためなら自分の心を殺して結果を求めてしまう。だからこそ、少女としては素直な自分の気持ちと向き合う時間を作った方がいいと思った。

 幸いな事に彼の周りには、彼の境遇を理解し相談に乗ってくれる大人たちがいる。

 最近では湊がテニスの大会に出るなど普通の子どもらしい事をしているので喜んでいるが、彼が“人を好きになる”という当たり前の感情について相談してくれば、その日を相談された者にとってたちまち記念日になるに違いない。

 戦いが始まればそんな事を考えている余裕などないかもしれないが、せめてそれまでは、彼が今まで蔑ろにしてきた自分の心と向き合っていくべきだろう。

 言われて青年が自信なさげに頑張ってみると返せば、少女も切っ掛けになればいいからと笑って頷いた。

 たった一夜で青年とその周りで色々な変化があったが、そんな風に子どもたちが談笑していたとき、洗濯機の音が届かぬよう個人の私室からは離れているこの場所に、毎朝六時前に起きている一人の女性がやってきた。

 

「ちーちゃん、いるの? まだ早い、け、ど……」

 

 洗濯機の回る音と少女の声が聞こえてやってきた桜は、扉を開けて中をみた瞬間に固まる。

 早朝から回る洗濯機、その傍に並んで座る子どもたち、加えて今日はクリスマス。これだけの条件が揃っていれば誰でも簡単に答えに辿りつけた。

 現れた桜を見てチドリは驚いた顔をしてから一気に赤面して焦っているが、反対に青年の方は風呂上がりで上半身裸のままゆったり煙管を吸っている。

 これが経験の差かと無駄な思考に逸れかけるも、桜はこの状況で自分が言うべき事はなんだと必死に頭を働かし、詰まりながらも親として子どもたちに一言告げた。

 

「あ、その、高校生の内は避妊だけはしっかりね」

 

 言った。言い切った。これで自分は役目を果たせたと足早に去ろうとする。何せ桜自身は恋人がいたこともなければ、キスだって幼少期の湊やチドリとしたことしかないのだ。

 二十代後半で未だに純潔を保っている彼女にとって、情事の後を想像させる生々しい現場にいるのは非常に恥ずかしかった。

 しかし、言うだけ言って去ろうとする女性に少女が制止の声をかけた。

 

「あ、ま、待って!」

 

 女性も気まずいが少女の方が気まずい。青年はたまにしか帰って来ないが、二人はこれからも一緒にここで暮らすのだ。ここで去って行かれると、今後、顔を合わせる度に妙に気を遣われることは容易に想像がつく。

 声をかけたチドリはすぐに立ちあがり駆け寄ると、声をかけられビクリと立ち止まった桜の手を掴んで行かせない様にした。

 すると、桜は未だに動揺が抜けきっていないが、以前、家を出たはずの湊とチドリが下着一枚で同じベッドで寝ていたときから事情は知っていたからと、まだ解けていなかった誤解を元にチドリに安心してと言葉を返す。

 

「だ、大丈夫よ。うん、お父さんとかは知らないから」

「ちがっ、ていうか知らないからって何よ!」

 

 少女は恥ずかしさから反射的に違うと否定するも、これだけ条件が揃っていてその言い訳は苦しい。ただ、鵜飼や渡瀬が知らないのは当たり前だが、直前の桜の言い方では彼女は前から知っていたように聞こえた。

 チドリと湊が繋がったのは今日が初めてなので、何を知っているんだとチドリは必死に詰め寄り、チドリに負けず劣らず恥ずかしそうに赤面する桜が口ごもるというやり取りがその後数分間続けられる。

 そんな様子を黙って眺めていた湊は、マフラーから上着を取り出して着ながら、三年連続でほぼ同じ時期に自分は誰かの純潔を奪っているなと関係のないことを考えていた。

 

 

 


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