【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

185 / 504
第百八十五話 研究の問題点

12月13日(土)

午後――ゆかり私室

 

 二学期の期末テストを目前に控えた土曜日。学校から直帰したゆかりは寮の部屋で一人湊が作ったテスト対策プリントを解きながら考え事をしていた。

 このプリントは何度も部屋にやって来られるのは迷惑だからと、プリントはやるから家には来るなと言って湊が用意した物だ。

 彼の取ってない選択授業の科目まで用意されていて、それが教師の板書よりも分かり易くまとめられていることもあり、湊に教わったときだけ点数が上がる順平などは拝みながらプリントを貰って行ったほどである。

 ただ、ゆかりは現在テストよりも気になっている事があるせいで勉強に身が入っていなかった。

 

(有里君はずっと事故のことを考え続けてるんだよね。お父さんのことも忘れないで、多分、自分だけで色々と背負ってきたんだろうな)

 

 どうして湊が父のお願いを覚えて守り続けてきたのか最初は分からなかった。湊が会うまでに岳羽詠一朗の知る性格から変わって、成長したゆかりが平気で他者を傷付けるクズになり下がっていた可能性もあるというのに、湊は好きな子をいじめる感じで遊びながらもゆかりに優しくしてくれていた。

 時には厳しい事をいうこともあったが、それは考えが子ども過ぎたゆかりを思って否定しただけで、今になって思えばゆかりと母の拗れた関係を必要以上に悪くさせないよう配慮していたのだと理解出来る。

 それらが父との約束によるものだと知り、先日のテニスの試合で聞いた英恵の言葉でようやく謎が解けた。湊は事故とそれに関わることを一切風化させずに思い続けていたのだ。

 以前、夏祭りで両親との思い出が遠い過去のように薄れていくとも言っていたが、最近の湊の様子を見ていると過去のことをしっかりと思い出せたようである。

 一部の記憶が薄れようと桐条への憎しみの炎を燃やし続け、薄れていた記憶を取り戻した今では憎しみ以外の思いも強くなっているのだろう。フルマラソンしようと疲れなさそうな青年が、心と体がばらばらになったくらいでテニスの試合で倒れる寸前まで弱っていたのが良い証拠である。

 

(私はあんなに真剣に事故のことを思った事があったかな。お父さん絡みだと怒ったり反論したりもしたけど、知らない人のことまで感情的になれるかって言われたら無理だし)

 

 そして、英恵の一言で復活し試合に勝った湊は、チドリすら初めて見たという素の表情で喜び英恵や桜に報告していた。

 クールや大人な雰囲気とファンたちに呼ばれ、ゆかりたちからすれば何にも興味がなさそう普段の様子からは想像も出来ない姿だった。

 ただ、見たときには驚いたが不思議と違和感はなかった。その事を風花たちと話せば彼女たちも同じように感じたという。

 つまり、事故さえなければ彼はゆかりたちと変わらない喜びを自然に表現する、今時の若者らしい性格をしていたという事なのだろう。

 

(お父さんの無実を証明するって月光館学園に来たのにさ。実際はただお母さんから離れたかっただけなのかも)

 

 彼の本来の姿とも言える“あり得た未来”を垣間見た事で、ゆかりは余計に事故の齎した彼への影響を強く意識した。

 性質が真逆になるような、どこにでもいるはずの子どもが人を殺せるようになってしまうような、大きな傷を彼の心に残して事故も来年で十年を迎えようとしている。

 その間にゆかりは自分が何をしていただろうかと考える。小学生の間はただ何も出来ず母と一緒に逃げていた。

 けれど、いつまでもそんな生き方は嫌で、母の様な逃げてばかりの弱さも嫌で、ゆかりは自ら父の無実を晴らすために月光館学園へとやってきた。

 来たばかりの頃はやる気で燃えていた。ここなら情報も外より集まると思って、学校が始まれば図書室で色々と調べようと計画を立てたりもした。

 だというのに、実際に学校が始まってからは難しくなった勉強に必死でついていき、中学の授業ペースに慣れてくると部活や友人との時間を楽しむようになり、いつの間にか恋をして告白までして付き合うようになっていた。

 聞けば誰もがスクールライフをエンジョイしていると思うだろう。本人だってそう思うのだから。

 

(ううん、そんな事ない。ちゃんと、お父さんは私の信じた優しいお父さんだったって今でも証明したいと思ってる。足りなかったのは本気で知ろうとする覚悟)

 

 ただ、それでも父を忘れた事はなかった。どう調べればいいのか分からず、楽な方へ逃げてしまった事は認めるが、母から逃げる口実に父を使った事は勿論、どうでもいいと思った事だって一度もないと少女は父に貰った思い出の携帯ストラップを握りながら考える。

 

(桐条先輩と知り合って近くにいる今はすごいチャンスなんだ。後はそこから少しでも情報を得るだけ)

 

 夏祭りで湊は言っていた。真相を調べるには桐条と接触するしかないと。そして、その切っ掛けとして美鶴とパイプを持つ事は非常に有効だとも。

 無関係の者ならば美鶴も企業スパイかと疑うかもしれないが、同じ学校に通う先輩後輩ならば心のガードも緩んで近付き易い。しかし、それも美鶴が卒業するまでしかチャンスはないので実質来年が最後だ。

 

(一人で生きていくって言ってたのに、有里君を好きになってからどこかで甘えてた。お父さんみたいに自分の味方でいてくれる人が傍にいて安心しきってた)

 

 居心地の良いぬるま湯に浸かっていた少女も、過去に対して異常な執着を持ち続ける青年を見た事で目が覚めた。自分もあの様でなければならないと。

 だが、今の自分では彼の様にはなれない。頼る事の出来る、甘える事の出来る大切な者が傍にいるのでは、心の弱い甘ったれな自分では近付く事すら出来ないと厳しい現実に少女は項垂れる。

 

(私は弱いからきっと彼の傍にいたら少し駄目なだけで簡単に諦めちゃう。お父さんのことを本気で知りたいなら、彼に甘えられる状況にいたら駄目なんだ)

 

 膝の上に落とした携帯を握ったままの手を見つめ、変わるなら方法など一つしかないではないかと自分に言い聞かせる。

 このまま彼といれば少女は幸せでいられる。ただ、父の無実を晴らすという目的からは遠ざかり、下手をすれば永遠にチャンスを失うかもしれない。

 

(私って本当に、勝手だなぁ……っ)

 

 残り約一年がきっと人生で最大のチャンスだと頭では分かっている。けれど、ゆかりは今の幸せを手放すのが怖くなり大粒の涙を流した。

 

――EP社研究所

 

 テニスの全日本選手権で優勝してから湊の生活は変わった。などという事はそれほどなく、以前よりも声をかけられ易くなったくらいで今まで通りの生活を送れていた。

 その理由としては皇子ブームが二回目だからというのが挙げられる。最初のブームならば金になるからと様々な企業やマスコミが広告塔のように使おうとしてくるが、流石に二回目になると一般人にも浸透しているので目新しさが薄れる。

 勿論、今までテレビ出演を基本的に断っていた湊が出るとなればスポンサーも集まってくるだろうが、優勝後に湊が個別取材を受けたのはテニス雑誌一件のみ。それも国内ランクトップの春日井と一緒に受けるという条件を付けた一回限りだ。

 湊ともう一度話したいと思っていた春日井も快諾した事で実現した対談は、当初予定された四ページを大きく変更した大増量十五ページで載せられ、予約時点で売り切れ続出の重版に重版を重ねる月刊スポーツ雑誌としては異例の売り上げを記録した。

 出版社からは電話で改めて感謝が伝えられ、学校に件の雑誌五十冊+湊への菓子折りが送られてきたりもしたが、その本人は母との思い出だった全日本選手権に出場を果たしたことで既に頭を研究に切り替えており、現在はEP社の工場地下区画の研究室でラビリスの生体ボディの研究を行っていた。

 記録媒体として使える黄昏の羽根の性質を利用し、それぞれの身体データを保存した黄昏の羽根を超微細に分解した後、人格ベースとなった少女らの細胞の核と入れ替えて培養する。

 それが湊の考案した対シャドウ兵装らの人間化であり、試しに自分の細胞とデータを保存した黄昏の羽根で培養したところ、実にシビアな設定と調整が必要だったが順調に培養が進んで生体義手とプロトフルオーダーの完成まで漕ぎ着けた。

 現在はその発展として人工骨格の部分を改造し、三連装アルビオレなどのような兵器としての機能を搭載した戦闘用生体義手の研究もラビリスらの研究と同時に進めているが、湊が見ていた培養液で満たされたケースの中で培養していたラビリスの細胞が彼の前で崩れていった。

 それを見ていた湊は苦虫を噛み潰した表情をすると、近くに置いてあったパイプ椅子を蹴りあげて研究室の高い天井にぶち当てる。落下してきた椅子はかなりの音を立てながら床にぶつかるが、完全にひしゃげてしまった椅子はもう直しようのないレベルだ。

 青年の突然の行動に同じ部屋で改善点などについて話していた研究員らは動揺し、明らかにまだ苛立ちが治まっていない様子から声もかけられずにいると、コーヒーを飲んで研究員らの話を聞いていたシャロンが頭を掻きながら立ちあがって湊に声をかけた。

 

「あのさぁ……そうやって物に当たるのやめてくれない? あんたがやると絶対に壊れちゃうのよぉ。それに同じ部屋にいる人がびびっちゃうしねぇ」

 

 昔よりも無駄な筋肉が落ちて細くなったが、湊は所謂細マッチョと呼ばれるガタイに長身も合わさって立っているだけで威圧感がある。

 さらに切れ長の瞳の美人でもあるため、そんな彼が苛立って物に当たっていると、殴り合いの喧嘩もした事のない研究員らは恐怖を感じて研究が手につかなくなるのだ。

 彼の経歴を知っている武多とエマなど、一歩間違えれば殺されると思っているのか他の者以上に怯えており、助手や部下の様子を見て彼を落ち着かせる必要があると思ったシャロンがこうしてわざわざ話を聞きにきた次第である。

 

「ほーら、今回はどうしたかお姉さんに言ってみな。話は聞いてあげるからさぁ」

 

 不貞腐れた様子で残っていた別のパイプ椅子に湊が座れば、後ろから抱きつく様にシャロンが話してみと彼に構う。

 二人の年齢差は約一回り。お姉さんと言われると首を傾げるものの、桜や佐久間も同じくらいの年齢なので、さらにもう一回り上の英恵がおばさんならそこまでおかしくはないはずだ。

 

「……また同じタイミングで細胞が崩れた。培養液の濃度を変えても、温度を調節しても、三日目には崩れるんだ」

「あんたの時は最初っから一週間以上いったものねぇ。細かい条件を変えてのアプローチが全部不発だとストレスが溜まるのも分かるし、年が明ける前に完成させたいって焦る気持ちも理解出来るわ」

 

 最初に行った湊の細胞を使った生体パーツの研究では、何度も条件を試行錯誤して安定して培養できる数値を割り出したが、そこに至る前段階でも一週間ほどは培養を進められた。

 だというのに、最初から安定数値で培養しているラビリスの細胞は、どうしてだか三日目には崩れて培養が進まなくなってしまう。

 基となる人格ベースの少女の細胞は培養し増やしているので、崩れた細胞から微細な黄昏の羽根の細胞核を回収すれば何度でも再実験は可能だが、湊の細胞で作ったプロトフルオーダーが完成してから今日までラビリスの方は全く進歩がない。

 ファルロスの力の欠片であるシャドウらが目覚めるのは来年で、目覚めて戦いが始まれば研究を進めていられるか分からない。故に、2009年までに彼女を人にしてあげたい湊が焦る気持ちはシャロンも理解出来た。

 

「けどさぁ、最初から無理って言うか無謀な研究だって分かってたでしょ? あんたの方は人よりも細胞の分裂速度が速くて強引に乗りきった感じなのよ。一般人の細胞では不可能でほぼ再現性のないサンプルって説明したじゃない」

 

 湊が焦る理由は分かるけれど、そもそもが簡単な研究ではなかった。人工関節などは一般的な医療でも使われているので、生身に人工物を入れること自体は不可能ではない。

 だが、人工の骨に培養した細胞、直接的に言えば筋肉だけじゃなく臓器や脳に至るまで全てを後付けで人を作ろうというのだから、全ての臓器が正常に機能するかの検証も含め、本来ならもっと段階を踏んで試行実験を繰り返すべきなのだ。

 青年の細胞を基にしたプロトフルオーダーが完成したのだって、生命力に溢れた彼の細胞の分裂速度が常人よりも速く、第一の壁になると思われた一週間を簡単に越えられたから出来ただけであり。どういった順番に臓器が出来ていくのかなど参考になるデータは多数取れたが、分裂速度と耐久性に関していえばまるで参考にならない一サンプルでしかなかった。

 これまではベースとなる技術が一緒だった事で、比較的速く新しいボディを作れていたが、いま湊たちが扱っているのは機械ではなく生きた細胞だ。分野は既に医学や遺伝子工学になっており、分野を跨いで研究していたシャロンたちは慣れているが、湊だけまだ機械のボディ製作時のイメージを強く残していた事で、シャロンはしっかりと頭を切り替えろと指摘する。

 ただ、後ろから抱き締められる形になっていた青年は、大人から真っ当な指摘を受けるも納得が出来ないのかポソリと呟いた。

 

「……でも、出来る」

「いや、それはあんたの希望ね。というか願望。特殊過ぎる成功例が出来たからって希望を持ち過ぎたのよ」

 

 どこからその自信が来るのか分からないが、根拠のない言葉にシャロンは思わず溜め息を吐いて現実を教える。

 出来る可能性はあるが現状では不可能。細胞の耐久性なのか、それとも培養液が合っていないのか。失敗する原因を突きとめる事から始める必要があるので、今年中に完成させることが無理なのは分かりきっていた。

 シャロンがそんな風に子どもを諌めれば、湊は培養液で満たされたケースを見ながら色が変わるほど強く拳を握り締める。

 彼だってそんな事は言われなくても分かっているのだ。だが、諦めるような言葉を吐けば成功が遠退くようで嫌だった。

 大人びてはいてもそういう意地のはり方はまだまだ子供で、普段の様子で忘れがちになるがまだ高校生だったと思い出し、シャロンも子ども相手に厳しく言い過ぎたことを反省して頭を撫でる。

 

「あー、ゴメンゴメン。私らだって別に出来ないとは言ってないわ。現に今だって安定培養出来る方法について話してたんだし。ただ、元々研究者だった私らはそんな短期間で出来ると思ってないの。こんなの数年数十年かける研究だしさぁ」

 

 大切なのは客観的に現状を把握し、何から手を付けていくか優先順位を決めていくこと。

 そうしなければ、全てが中途半端になってしまい時間を無駄にするだけでなく、下手をすれば研究自体が続行不可能になるかもしれない。

 だから、湊も一回頭を冷やして他の研究員らと一緒に話し合おうと彼女は誘った。

 既に湊の細胞によって成功体が作られているのだから不可能ではない。本来なら長い時間をかけて行うべき研究でも、急がば回れで短縮法が見つかるかもしれないから皆で考えようと。

 しかし、そういったシャロンが身体を離すなり立ちあがった湊は、先ほどとは別の培養中のケースを見つめながら静かに言葉を発した。

 

「……もういい。元から人の力だけじゃ無理だったんだ」

「いや、人間とほぼ変わらないあんたでいけたんだから大丈夫だって。もう少し時間がかかるかもしれないけど、濃度や温度やその他諸々で安定する値が見つかるから。大切な子たちのための研究で諦めちゃダーメ」

 

 言い過ぎたことでへそを曲げたのか急に諦めるような事を言ってくる湊に、シャロンはこれだから子どもの相手は難しいと内心で顔を顰める。

 知識を得る事に貪欲な湊は教えれば吸収していくので、その器用さもあり研究の助手として非常に優秀なのだ。エマや武多では出来ない調整も対象の状態をアナライズで見続けられる湊ならば問題ない。

 そんな青年がここで研究を下りてしまえばシャロンの負担は急増し、さらに言えば作業が回らなくなって研究を凍結せざるを得ない状況になる事も考えられた。

 相手が頑固なのは過去の経歴とこれまでの付き合いで分かっている。故に、どうにかしてやる気を取り戻して貰えないだろうかと考えていれば、ケースを見ていた湊が振り返って言葉を返してきた。

 

「……何を勘違いしている。元々一人でやろうとしてたんだ。いくら失敗を繰り返しても死ぬまで諦める気はない」

「あー……そうなんだ。じゃあ、さっきのはどういう意味?」

 

 諦めないのなら良かったが、紛らわしいのでもっと分かり易く言って欲しいとシャロンは頭を掻く。普通に聞けば諦める言葉だが、彼は別の意味で言ったらしいので、その意味を尋ねれば湊はケースに視線を戻して言葉を続ける。

 

「前提が間違っていたんだ。培養液はこれでいい。というか、必要な栄養を混ぜた羊水とほぼ同じで駄目なはずがない」

「ふむ。それで?」

「足りないのは情報の方だった。黄昏の羽根は命じゃない。生物とは異なる概念を持つ存在の欠片だ。だから、その欠片に命を教えてやればいい」

 

 瞬間、湊の身体から淡い緑の光が溢れだしケースを包みこむ。何が起きているのか分からないが、近くにいたシャロンは激しさを増す光で近くに居続けることが出来ずに後ろに下がった。

 他の研究員らはシャロン以上に怯えて壁際まで逃げているが、シャロンはこれもペルソナの力なのだろうかと観察を続ける。そして、よく見れば溢れ出た光は小さな粒の様になっており、彼女は流れてきた光の粒に試しに触れてみる。

 元が光なので硬さや手触りのような感触はなかったが熱は感じて、たった一粒なのに随分と温かいのだなと感心を覚えた。

 見ていてどこか落ち着く綺麗で優しい緑光が、まるで暴れる炎のように激しく放出される様はどこか歪に感じるが、少しすれば光は治まり、疲れた様子の湊がケースから離れ椅子に座ったことでシャロンも近付いてケースの中を改めて見る。

 すると、そこにはこれまで崩壊していたときよりも明らかに育った細胞が残っており、湊が時流操作と先ほどの光の放出を同時に行っていたと理解した。

 

「……安定した。ねぇ、これ何日目?」

「二週間だ」

「へぇ、それでどうやったの? さっきの光ってなに?」

「あれは俺の生命力だ。なくなれば死ぬから全てはやれないがかなりの量を注ぎこんだ」

 

 湊の時流操作は範囲を選べる。心臓を包む結合した黄昏の羽根であるエールクロイツを中心に、アナライズで自由に範囲を選べることで、湊は心臓から培養している細胞までのごく狭い範囲だけ時を加速させた。

 また、それと並行して細胞に生命力という命の源であるエネルギーを直接与え続け、湊は他の者の細胞でも自分と同じように細胞が崩壊する前に安定期まで持っていこうとした。

 細胞核として入れた黄昏の羽根は命ではない。けれど、命の源を外部から与え続ければ、それが潤滑油のように元の細胞と黄昏の羽根を馴染ませ機能させる。

 情報を記録できはするものの、人格を与えない限り学習能力を持たない黄昏の羽根にどうやって命を教えるのか不思議に思っていたシャロンは、湊の説明を聞いて随分と荒っぽい教え方だと苦笑しつつも納得したという表情を作る。

 

「なるほどねぇ……。というか、もしかしたら、駄目だったのはラビリスちゃんやアイギスちゃんのデータの方だったのかも。データって心を除いた純粋な身体のデータでしょ? 二人の身体の設定数値は出せても、元が人工物だからカテゴリが生命体としてのデータになってなかったのかもしれないわね」

 

 彼女の口にした説に湊は僅かに驚きを見せる。確かに言われてみればそうだが、湊たちが入力したラビリス達のデータは身長や体重に筋肉のバランスなど、人であればこんなスタイルだという感じで入力したものだ。

 顔の造形に髪や瞳の色など細かな部分までデータとして入れてはあるが、元が人間だった湊の時と違い彼女たちには生き物という情報が欠けていた。

 そもそも、心は持っていても生き物ではないし、生き物だという情報をどのように入力すれば機能するかも分からない。湊の取った行動はかなり無理矢理な理論ではあったが、ある意味で最適解だったのではと話すシャロンに、青年はそれならアイギスの方はもっと簡単に作れるのではと尋ねる。

 

「じゃあ、先に軌道に乗ったラビリスの細胞核の羽根に、アイギスのデータを上書きすればいいのか」

「そうね。それなら、カテゴリ内の数値をいじるだけだから大丈夫じゃない? まぁ、まだ推測の域だけどさ」

 

 細胞核の交換は専用の器具を使って細心の注意を払う必要があるが、細胞核として利用した黄昏の羽根の回収だけならば、湊は能力の応用で簡単に出来る。

 培養された細胞の核は黄昏の羽根ではなく、普通の生物と同じ細胞核が残っているため、既に遺伝子情報が残っている細胞があればベースとなった黄昏の羽根は抜いても問題なく、今後の培養が楽になるなら良かったと湊も小さく笑った。

 ただ、シャロンの方はまだ話が残っていた事で、生命力のほとんどを放出して疲れて座っている湊に近付くと、

 

「あ、そうそう。あの子らの事になると周りが見えなくなるのは慣れたんだけどさ。ああいうの出すんなら先に言えっつーの!」

 

 振り上げた拳骨を青年の脳天目がけて振り下ろした。

 シャロンが湊を殴ったとき、ゴンッ、と痛そうな音が研究室に響くが、実際には殴られた方より殴った方が痛がっており、遠巻きに見ていた研究員らは拳もまともに握れない頭脳労働派が殴れば当然だなと同情する。

 急に生命力という訳の分からない光を説明もなく放出されれば、ペルソナを知る者ならそういった超常的な力か何かだろうかと推測し、その場に残っても大丈夫か心配もするだろう。

 離れていた研究員たちはまだいいが、すぐ傍にいて光にも触れているシャロン的には、いくら自分の手が痛もうと殴らなければ気が済まなかったのは容易に想像できる。

 ただ、年齢的には彼女の方が上でも、会社の中での立場は湊の方が上だ。別に痛くはなかったが疲れているときに殴られて不機嫌になった青年は、酷く冷めた表情でシャロンを見ると淡々と呟いた。

 

「……お前、冬のボーナスカットな」

「ちょ、それ割とマジで言ってるでしょ。新しい機材買うのに必要なんだからやめなさいよ。やったらラビリスちゃんに言いつけるからね」

「言ったところでラビリスに会社のことを決める権限はない。経営に関しては素人だから口出しもしないと言っているしな」

 

 シャロンが言いつければラビリスは可哀想だからやめてやれと言うに違いない。だが、言ったところでラビリスは会社の経営に関してはノータッチなので、湊より上の権限を持つ者などいないこともあり撤回させようがない。

 ボーナスカットの理由はジャパンEP社の代表取締役を殴ったからという正当なもので、先に説明もなく周りを驚かせた自分も悪いが、主任という立場ある人間が部下の前で上司に暴力はいけないなと湊は薄い笑みを浮かべて席を立った。

 

「ボーナス払いが出来なくなって残念だな。まぁ、自分の行動が原因だし反省しろよ」

「待って、ゴメンってばぁ。ほら、お姉さんちゃんと話聞いて慰めてあげたじゃない。個人の研究室用にいくつか欲しいのあるからカットされるとキツイんだってばぁ」

 

 八つ当たりで椅子を蹴り飛ばしていたときとは打って変わって、青年は疲れているのに少し楽しそうに口元を歪めて研究室を出ていく。その後を追ってボーナスカットの撤回を求めるシャロンは、他の研究員たちに交代で細胞の観察をしておくように告げて一緒に部屋を出る。

 細胞の培養さえ軌道に乗れば、人工骨格に合わせて筋肉や臓器を作って行く事も出来る。それが分かっているからこそ、湊は減った生命力を食事で回復させるため食堂を目指した。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。