【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百四十三話 不良医師

8月8日(水)

深夜――久遠総合病院

 

 一日は二十四時間ではない。これは影時間を体感している者にとっては常識だが、桐条グループが観測した初のペルソナ自然獲得者である青年にすれば、一日は二十四時間どころか三十時間や四十時間を超える日もあった。

 その理由は、彼の心臓を包むように内蔵されている結合した黄昏の羽根“エールクロイツ”を利用して時流操作を行っているからだ。

 時流操作を使えばそれだけ疲労が溜まるにもかかわらず、湊は時間を有効に使おうと自分だけ周囲よりも速く動いて人の三倍以上の仕事をしている。

 もっとも、ファルロスの治癒能力と時流操作は、不死化を起こしている細胞をいつ癌細胞化させるか分からないため、現在は封印して自力で他者の数倍の仕事をこなしていたりする。

 そして今日も、宿直の従業員らと同じように病院に残って仕事を片付けながら、時折やってくる夜間診療を受けに来た者の相手も彼はしていた。

 留学中に戦場医として治療を施していたと言っても、本当は無免許なので診察などしていいはずがない。病院に務めている者らは湊が未成年だと知っているので、彼が日本の医師免許を持っていない事は理解している。

 けれど、医療系世界シェアナンバーワンを誇るEP社の病院ということで、開いたばかりだというのに難病患者が何人も訪れ、その一部は異能持ちの湊にしか治せない者もいた事で、患者に様々な誓約書を書かせた上で同意を得ながら秘密裏に医療行為も行っていた。

 もっとも、忙しそうなときには一般の患者の診察も行うので、公的機関の審査が入れば一発でアウトな事も平然としているが、それらは、公的機関の者が監査にくれば心と記憶を読んで、すぐに気付くだけの自信があるからこその大胆な行動だった。

 

「小児喘息だな……吸入の用意をするから、奥のベッドに靴を脱いで横向きに寝ろ。普通に仰向けに寝るよりその方がマシだ」

 

 やってきた患者の問診表を眺めてすぐに湊は診察を終了する。

 相手は小学生の女の子で、名前は宇津木 千佳(うつぎ ちか)。どこかで聞いたような名字だが、そういえば妹がいると言っていたので目の前でゼェゼェと苦しそうな呼吸をしている少女がそうなのだろう。

 幼い子どもが夜になって喘息の発作を起こしたので、夜間診療をやっている最も近い病院に連れて来たとの事だが、初めて来た患者に触れもせずに偉そうな口調で診察を終えた湊に母親が訝しむ様な視線を向けてくる。

 しかし、アナライズを使用した診察に間違いはなく、処置も吸入を吸わせるくらいしかないので文句を言われても困ってしまう。

 それならば、何かを言われてしまう前に処置に移ってしまおうと、宇津木の妹を診察室の奥から行ける隣の部屋へと案内し。看護師に用意させた吸入器をベッドの傍に持って来て、消毒済みのホースを寝ながら咥えておくように伝えた。

 

「しばらく煙が出るから深呼吸するようにゆっくり吸うんだ。別に咳き込んでもいいから、苦しいときは無理するなよ」

「うん。せんせー、千佳よくなる?」

「心配しなくても身体が成長して丈夫になるにつれて治まっていくものだからな。それに今日は少し俺が手伝うからすぐに苦しくなくなるはずだ」

 

 ベッドに横になりながら心配そうに尋ねてくる少女の頭を優しく撫で、湊は心配せずに吸入を始めるように勧める。

 その言葉で僅かに安心したのか、少女は言う通りにホースを咥えて時々咳をしながらも大人しくしていた。

 ベッド脇の椅子に腰かけた母親や立っていた看護師がその様子を黙って見つめていると、湊が突然少女の上に左手をかざし出す。一体何を始めるのだと思っていれば、かざした左手が淡い緑光に包まれ、掌から放出されたその光が少女に吸収されだした。

 

「あ、貴方は一体何を!?」

 

 あまりに不可思議な光景に危険を感じた母親が止めさせようと腰をあげかける。しかし、湊は光を放出させたまま金色の瞳を母親に向けて、相手が邪魔をしないように説明した。

 

「一般人でも分かる様に言えば気を送っているんだ。吸入は発作を落ち着かせる効果しかないが、気を送れば身体の調子がよくなって発作が起こり辛くなる。両方やれば喘息が治まるのが速くなると思ってくれればいい」

「気って、そんな非科学的なものっ」

「論より証拠だろ。吸入薬はどこの病院でも扱ってる一般的なものだ。それでこんなに速く発作が落ち着いた事は過去にあったか?」

 

 湊に言われて少女に視線を向けると、吸入を始めて三分も経っていないのに呼吸が落ち着いているようだった。

 今日の発作が軽度だったという事はない。それならば家にある携帯用の吸入器で十分だったのだから。

 発作が普段通りのレベルで薬も一般的な物なのだとしたら、確かに湊の言う通り気を送った事で効果があったと思うしかない。

 けれど、大切な子どもに関わる事なので、母親は完全には納得せずに椅子に座り直すと、娘が吸入を終えるのを黙って見ていた。

 それからさらに数分経って、煙が出なくなったホースから少女が口を放せば、看護師がホースを取り外して『使用済み』と書かれた容器に片付けに行く。残った湊は少女の呼吸音を聞きながら様子を観察して、もう大丈夫だと判断したのか戻ってきた看護師に声をかけた。

 

「呼吸が落ち着いているからもう大丈夫だと思う。ただ、時間も遅いし。何かあればすぐに対処できるよう一晩泊まって貰ってくれ」

「お部屋は病棟に用意しますか? それともルームの方に?」

「ルームでいい。朝食券を出しておくから、そっちの説明を頼んだ」

 

 二人が話していた『病棟』と『ルーム』とは、病棟は普通に他の患者たちが入院している場所で、ルームはキッチン・トイレ・お風呂付きのワンルームの宿泊室の事である。

 ルームは元々入院用の部屋ではなく、母子家庭など片親の社員が夜勤になった際に利用するもので、家に子どもを置いて来るよりも安心だろうと、子どもにも泊まる用意を持ってこさせ、何かあればすぐに会いに行けるようにと作られたものだ。

 社員ならば別に子どもがいなくとも利用可能なため、宿直室で休むより疲れを溜めずに済むと社員たちからの評判は上々であり、これならば夜勤でも大丈夫だとほとんどの者が夜勤のシフトにも入ってくれている。

 そして、そのルームは夜間診療に訪れた小さな子供連れの家族にも貸し出し、サービスで朝食券も渡していたりする。

 ここ久遠総合病院の診察券にはバーコードがついており、それを食堂の機械に読み込ませるとカルテから患者のアレルギー食品のデータが送られ、アレルギーがあればそれが含まれていない料理のメニューを持って来てくれるのだ。

 食堂は一般人も利用可能なため、アレルギーで食べられる物が少ない子どもを持つ親からは、メニューが豊富で子どもも喜んでいるので助かっていると大人気だった。

 

「それでは宇津木さん、お部屋に案内しますのでどうぞこちらへ」

「せんせー、ばいばーい」

「ああ、ちゃんと寝ろよ」

 

 看護師に案内されて診察室を去っていく宇津木の妹が手を振って挨拶してくる。母親も娘の発作が早期に治まったことで少しは信用する気になったのか頭を下げてから出ていった。

 今日の夜間診療はこの程度で済んでいるが、時には交通事故で重傷の患者が運ばれてくることもある。

 そういったときには研究所にいる者にも応援を頼んで全力で当たり、いまのところ死者ゼロという記録を維持し続けている。だからこそ、それに縋って助けてくれと遠方からはるばる頼ってくることもあるのだが、救える命は救うことにしている青年は負担が増えることも気にせず命を救い続けていた。

 

昼――院内

 

 夜勤を終えてからも病院に残って事務仕事をしていた湊は、ようやく一段落ついたことで昼食を食べに行こうと廊下を歩いていた。

 診察中は他の者に合わせて白衣を着ているが、それを普段着にするほど愛着を持っている訳ではないので、マフラーを形状変化させてネクタイにしつつ、ソフィアから貰った高級スーツを仕事中は着ている。

 これが研究所や工場での仕事ならば完全に私服で過ごすのだが、病院の理事長がカジュアルな私服で歩いていると印象がよろしくないので、湊なりに気を遣っての判断だった。

 

「あれ、湊さんまだ病院に残ってらしたんですか?」

「……ああ、仕事が多くてな。時間を確保出来なくなったから忙しいんだ」

 

 廊下を進んでいるとシーツの乗ったワゴンを押している恵が前からやってきた。彼女の後ろには使用済みシーツを入れたカートを押している若い看護師がいるため、二人はベッドメイクで回っていたのだろう。

 若くてイケメンな理事長に看護師は緊張しているようだが、湊はスタッフを社員、患者を客と呼んでいるので、本人にすればそこまで距離があるとは思っていない。

 そもそも、いくら肩書き上は偉いと言っても、ここで働いているのは全員湊よりも年上なのだ。一番近いのが一つ上の恵であり、それ以外は全員が十八歳以上である。

 第三者の目もあるのであまり舐めた態度は困るが、年功序列を考えればもっと普通に接してくれて構わないのに、と青年は考えながら看護師にも一応の挨拶をしておいた。

 

「……お疲れ様」

「お、お疲れ様です。あの、これを片付けたらお昼を食べに行くんですが、有里先生もご一緒にどうですか?」

「丁度行こうと思っていたからいいぞ」

「本当ですか! それじゃあ、すぐ片付けてきます。水智さん、急ぐよ!」

「は、はい!」

 

 一緒に食事が出来るのが嬉しいのか、看護師は走って駄目なら競歩で行くとばかりにハイスピードでシーツを片付けに行った。

 追い抜いて先をゆく看護師を追いかける恵は大変そうだが、待つ時間が減るのならば人も歩いていないし、あれくらいの速さで進んでも別にいいかと湊も注意しないでおいた。

 そうして、三分ほど待っていると貴重品をいれたバッグを持ち、休憩中のバッヂを付けた二人がやってきたので、湊は一緒に外の食堂兼レストランを目指していく。

 廊下ですれ違う人々から挨拶され、時折看護師が仲間からずるいと言われているのを聞き流し、もう少しで一階に到着するというところで、湊の会社用の携帯に電話がかかってきた。

 

「はい、有里です」

《有里先生、お疲れ様です。脳神経外科の宮前です。すみません、いま院内か敷地内にいらっしゃいますか?》

「もうすぐ一階ロビーですが、何かありましたか?」

 

 仕事中だろうと休憩中だろうと、学校などでこの時間にはいないと伝えていなければ頻繁に電話がかかってくる。

 ある程度は他の科の医者に連絡して自分たちで解決してくれるのだが、開業して一月ほどしか経っていないにもかかわらず、ここが医療系世界シェアトップ企業の病院だからと、難病患者が多数訪れて判断が難しいケースも出ていた。

 医者たちはしっかりと経歴をあらった上で面接して雇っており、人柄と実力は非常に高い事は湊も認めている。

 しかし、いくら経験があろうと、最新の設備でも病気の原因を見つけるのが難しいこともあれば、治療が困難なこともある。

 湊が呼ばれるのは大概がそういった厄介なケースであるため、昼食を一緒に食べるはずだった二人に長くなるから先に行けと手振りで伝えれば、電話の相手がいる二階に向かいながら話を聞いた。

 

《いま小児癌の患者さんが来られているのですが、少々難しい状態なんです。先生にも診て頂きたいのですが、第二診察室までお越しいただけないでしょうか?》

「分かりました。いま向かっていますから待っていてください」

 

 電話を切ると人がいない場所でジャケットを脱いで元マフラーのネクタイに収納し、代わりに白衣を取り出して袖を通す。

 小児癌で脳神経外科に来院しているとなれば、十中八九、脳に腫瘍が出来ているのだろう。難しいというのが患部の切除なのか、それとも抗がん剤等を使えないという話なのかは分からないが、思ったよりも簡単に済みそうだと青年は安堵する。

 二階までエスカレーターで上がり、白い廊下を進んで診察室を目指す。相手の言っていた第二診察室の前に到着し、かかっている担当医の札の名前を確認すると、湊はノックをしてから部屋に入った。

 

「すみません、遅くなりました」

「いえ、突然お呼びしてすみません。こちら、桃井雛さんとお母さまです」

「はじめまして、当病院の理事長をしております有里です」

 

 診察室にいたのは一目で富裕層と分かる品の良い女性、そしてウェーブがかった金髪の少女だった。

 けれど、少女の方は可愛らしいブランド物の服を着ているというのに、肌の血色が悪くどこか疲れた様子をしている。

 母親の方は挨拶をした湊に頭を下げたが、少女はほとんど動きもせず、本当に大丈夫なのか心配になるほどだ。

 いつまで入り口にいてもしょうがないため、医者の隣まで進むとようやく少女の顔が見えた。頬が少々こけており、目の下にはくっきりと隈が出来ている。そして何より、濁ったような何もかもを諦めた瞳が湊は気になった。

 

「それで、難しいというのは?」

「はい、この写真を見てください。これは先月の頭に他所で撮られた彼女のMRIなのですが、ここが白くなっているでしょう」

「ええ、間違いなく腫瘍ですね。切除は難しいと思いますけど、抗がん剤かレーザーってところでしょうか」

 

 子どもは大人に比べ細胞の成長が活発なため、ただでさえ他よりも活発に成長を続ける癌細胞を取り除くのが非常に難しい。切除して内部を抗がん剤の混じった液で洗浄しようと、少しでも残っていれば再発してしまうのだ。

 それを考えると抗がん剤治療はほとんど効果がないため、切除できないならレーザーしか選択肢はないのではと考える。

 もっと初期の段階ならば放射線治療も選択肢に入ったが、少女の腫瘍はかなり成長しており放射線治療では治しきれない。

 故に湊は治療法を限定して淡々と話を進めたのだが、それを聞いていた少女の母親が口を挿んできた。

 

「あの、レーザー治療だと髪の毛はどうなるんでしょう? それに再発のリスクは?」

「頭骨を切って器具を入れるので、そのスペース分の髪は剃ります。まぁ、他の部分で隠せる程度ですが。再発のリスクはやはりありますね。ご年配の方ですと癌の進行が進まなかったりするのですが、子どもは細胞分裂が活発に行われていますから、どうしてもリスクは残ります」

 

 担当医師の宮前が説明すれば、患者が女の子ということもあり髪を剃るのは可哀想だと母親の表情が曇る。再発のリスクもあるとなれば尚更だ。

 

「一〇〇パーセント除去することは出来ないんですか?」

「正常な細胞が後に癌化することもありますし。脳だと幹部を取るだけでも障害が残る可能性がありますから、一〇〇パーセント除去するために周辺を多めに取ってしまうと重度の障害が残ってしまうかと」

 

 転移を恐れて多めに摘出することはあるが、それは胃や食道などただちに命に関わることのない部分での話だ。

 癌が発症しているのは脳なので、それでそんな事をすれば身体に麻痺が残るなど、重度の障害と一生付き合っていくことになってしまう。

 他所でも同じような説明をされたらしい母親は、最先端の医療を扱っているEP社の病院でも駄目だったかと肩を震わせている。

 だが、少女はそれと対照的に、子どもらしからぬ淡々とした口調で言葉を発してきた。

 

「……どうせ、貴方もわたくしをなおせないのでしょう? もう何人ものお医者さまに言われましたから分かっていますのよ。どうせこのまま死ぬんですから、無駄なことをする必要はないですわ」

「雛さん、そうやって生きることを諦めては駄目だ。貴女に治す気がないと私たちもちゃんと治療してあげられないんだよ?」

「できるのなら初めから言っているはずですわ。それができないから、わざわざ病院の偉い人まで呼んでなおせないと説明するんでしょう? 子どもだからって甘くみないでくださいまし」

 

 この病院に来るまでの間に、他所の病院でも同じ事を言われ続けた結果、彼女は自分の病気が治らないと悟ったらしい。

 普通に過ごしているだけでも突然頭が割れるような痛みを感じたり、酷いと眩暈からの嘔吐や手足の麻痺が出る事もある。

 彼女がやつれて目の下に隈を作っているのは、そういった症状で疲弊して、夜も満足に寝られていないことが原因に違いない。

 幼い子どもがそういった辛い状況を味わい続ければ、こんな風に諦めてしまうのも仕方がないと担当医も同情的な視線を向ける。

 だが、治せないと説明するために病院の理事長を呼んだ訳ではない。そもそも、治せないならはっきり告げるのも医者の役目だ。そんな事で理事長を呼んだりはしない。

 担当医は少女の話を聞いて顔を上げると、傍らに立つ青年に視線を移して期待するように尋ねた。

 

「有里先生、治療できますか?」

「……まぁ、大して難しくありませんから」

 

 彼の言葉を聞いた親子は目を見開いて湊を見てくる。

 それはそうだ。さっきあれほど難しいと説明していたのだから、急に来た若い男が治療難度の低い症例だと言えば、どちらの言葉を信じて良いのか分からなくなる。

 自分の言葉に驚いている相手の胸中をしっかりと理解しながら、けれど、訊かれる前に説明をしてしまおうと湊は話し出す。

 

「単刀直入に言わせて貰いますと再発のリスクもなく治療は出来ます。切除もしないので障害が残ることもありません」

「え、でも、さっき」

「宮前先生が言われたのは一般的な治療法での話です。しかし、自分が行うのは特殊な鍼治療です」

 

 言いながら湊は白衣のポケットから治療用の鍼の入ったケースを取り出し、実際の鍼がどんな物かを患者に見せながら説明を続ける。

 

「人は身体を動かす際に脳から信号を送り、それが神経を通って伝わることで動かしますよね。もし、それを鍼で止めてしまえば信号は伝わらず動かせません」

 

 鍼を使わずとも似たような事は出来るため、湊は母親の腕の一点を指で押さえながら、掌を閉じたり開けたりしてみろという。

 言われた母親は状況をよく分かっていないようだが、言われたとおりにしてみるも掌を閉じられず驚いている。

 鍼治療では血行を良くしたり身体の機能を高めたりするが、逆に身体の機能を停止させる方法もあるのだと理解して貰ったところで、湊は手を離して本題について語る。

 

「それと同じように細胞にも分裂するための指令を出すような部位があるんです。そこへ鍼を刺すと指令は送られなくなり、癌細胞なら時間経過で正常な状態へと戻ります。脳細胞全体の分裂がストップすることを心配されているなら、腫瘍部分は細胞的に他と繋がってはいますが、別ブロックのように分かれているので心配はありません」

「でも、脳に鍼を刺すなんて……」

「髪を剃ってメスを入れるよりマシでしょう。それに安全に出来るから俺が呼ばれたんですよ。治療はすぐに出来ます。終わったら三日ほど様子見で入院して貰いますが、病室ではなくアパートのワンルームのような部屋ですから、好きに過ごして貰って構いません」

 

 感染症という訳でもないので、親子で泊まれるルームの方を利用して貰って構わない。全ての診察室に置いてあるガイドブックを親子に見せ、こんな普通の部屋で入院するなど聞いた事もないと驚いているところで改めて治療の意志を確認する。

 

「……それで治療はどうします? もしも、施術後に何かあれば勿論補償しますが、大切な子どもの命ですから金で解決できるとは思っていません。しかし、こちらで用意できる最もリスクの少ない治療法が今お話した鍼によるものです。ご本人と保護者様の同意を得られなければするつもりはありません」

 

 ゴッドハンドと呼ばれる名医たちでも、リスクなく脳の外科手術を行うことは出来ない。それをノーリスクで行えるのは、青年の持つ魔眼のおかげだった。

 患部が体内にあろうとソコに繋がる線や点を魔眼で視て突いたり切ってしまえば、それだけで腫瘍に死を発現させられる。死ぬのは腫瘍としての機能なので、脳が部分欠損したりはせず、時間経過で見た目的にも正常な状態に戻る。

 流石に医者や看護師たちに魔眼の話など出来ないので、どうやって腫瘍を殺しているかは患者に対する説明と同じものしかしていないが、論より証拠、百聞は一見にしかずという訳で、メスも入れずに体外から鍼を一発刺すだけで出来るのは本人の経験と勘によるものだと納得して貰っている。

 ただし、何件も治るのを見ている医者と違い。患者はほとんど言葉だけの説明で納得して治療するかを決めてもらうので、ここで無理に頷かせる事は出来ない。

 諦めた目をしていた少女と湊が視線を合わせれば、相手は瞳の奥に本当に小さな希望の光を宿して縋る様に見てきた。

 

「……ほんとうになおりますの? たくさんのお医者さまが無理だと言ってましたのよ?」

「出来ないのなら最初から期待を持たせたりはしない。失敗すれば一緒に死んでやるから心配するな」

「あったばかりの方に一緒に死なれてもこまりますが、一人でないのは少しいいかもしれませんわね。わたくしは小学二年生の桃井雛です。あらためて貴方のお名前をうかがってもよろしくて?」

「有里湊だ」

「そう。では、みーちゃまと呼ばせていただきますわ。みーちゃま、わたくしをなおしてください」

 

 これで最後。彼に治せないのなら、諦めて治療もせずに死のうと彼女は思っていた。

 心の奥底では生きることを望みながら、しかし、苦しみながら生き続けるのは嫌だと進行を遅らせるような治療もする気はない。

 彼女の瞳からその意思を読み取った湊は、母親の方を見て彼女にも意思の確認を取った。

 大切な子どものことだけあって、相手はまだ決めかねていたようだが、諦めていたはずの娘が治療に前向きになったことで意を決したのか、最後には深々と頭を下げて頼んできた。

 本人と保護者から許可を取ったなら何も躊躇うことはない。湊は相手に動くなよと声をかけてから、頭を掴むとすぐに左眼を蒼く光らせ一本の鍼を頭に刺した。

 

「……終わったぞ」

「え? た、たったこれだけですの?」

 

 何か大層なことでもすると思っていた少女は目を丸くする。それは母親も同じようで、一本の鍼を刺して抜いただけで終わりと言われて面食らっているようだ。

 

「ああ、一刺しだけだ。頭痛が消えたりしてないか?」

「そういえば、なんかすっきりしていますわ。頭のおくの響くかんじもなくなっています。ですが、こんな急によくなったりするものなのですか?」

「実際によくなってるだろ。治療費はいらないぞ。正規の治療じゃないから健診料以外の治療費を請求できないんだ。その代わり、一瞬で癌が完治したとか誰にも話さないで欲しい。これでも多忙で普段から病院にいる訳じゃない。それで噂を聞いた人間に殺到されれば追い返すはめになるから、変な期待を持たせて傷付けないためにも約束して欲しい」

 

 湊は様子見で数日入院して貰うと言ったが、魔眼に医療ミスはないので本当に一瞬で完治しているのだが、相手には一時的に痛みが消えていること以外まだ実感がないはず。なので、病院で数日健康的な生活をして貰い。改めてMRIで腫瘍が消えていることを確認して貰うまでがこの治療の流れだった。

 治療したことを口外しないというのは、湊も言った通り正規の治療ではない上に患者の殺到を防ぐ意味で重要な意味を持つ。後で誓約書を書いてもらうが、それは腫瘍が消えて完治したと確認し終わった後で構わないので、とりあえずの口約束だけ取り付けておいた。

 少女と母親がそれに頷くと宮前に看護師を呼んで貰い。二人が泊まる部屋まで案内を頼む。母親はまだ娘が治ったと思っていないようだが、鍼を刺しただけで痛みが消えて娘が久しぶりに明るい表情を浮かべているので、今は何も言うつもりはないようだ。

 

「先生、どうもありがとうございました」

「何かあればベッドにナースコールのボタンがありますし、内線が使えるようになっていますから、“#99”を押してナースステーションにすぐに連絡してください」

「ええ、分かりました」

 

 診察室を出て湊は廊下で二人を見送る。本当は宿直明けで帰るつもりだったが、仕事が合ってこんな時間まで残るはめになったものの、自分にしか治せない患者が来たタイミングに居合わせたのは幸運だったと言える。

 生きることを諦めていた少女が部屋を出る頃には歳相応な笑顔を見せていることで、湊も少し柔らかい表情で彼女を見やった。

 

「みーちゃま、またお会いしましょうですわ」

「医者になんて二度と会わない方が良いんだがな。まぁ、ここは色々と設備が整ってるから、病気で落ちた体力を取り戻すリハビリとかを受けに来てもいいぞ。子どもスポーツ教室なんてのもあるから、今まで学校に通えていなくても友達も作れる。院内学級で勉強も見ているから何か受けたいのがあれば両親に申し込んで貰え」

 

 そういってEP社の敷地内でやっている習い事のパンフレットを渡す。こういった地味な収入源は馬鹿に出来ないので、湊は社員全員に隙あらば勧誘ないし宣伝しておけと言っている。

 受け取った少女は楽しそうにそれを見ているので、本当にリハビリ等で何かを受講するかもしれない。

 そんな事を考えながら看護師に案内されて遠ざかって行く背中を見ていると、母親と手を繋いで歩く少女が話していることが湊の耳にも届く。

 

「お母さま、わたくしみーちゃまのいるこの病院の近くで暮らしたいですわ。どんな病気でもきっとなおしてくださるもの。お父さまにもお願いしてお引っ越しさせてくださいまし」

「う、うーん、急には無理だけど言ってみるのは別にいいわよ。二学期から学校にもまた通うなら、どこか探さないといけないから色々と考えていきましょうね」

 

 相手は見るからに富裕層なので引っ越しくらいは簡単かもしれない。だが、何かあったら頼れる病院の傍に住みたいとは、子どものくせに年配者のような考え方だなと思わず苦笑する。

 相手が廊下の角を曲がって見えなくなると、湊は宮前に昼食に行ってくると別れを告げ、恵たちのいる食堂で昼食を取り終えれば、そのまま本日の業務は終了だと自分の家へ帰って行った。

 

 

 


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