【完結】PERSONA3 Re;venger   作:清良 要

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第百十六話 変化した力

――ポロニアンモール・裏路地

 

 早朝でまだ開館前のポロニアンモールに訪れた湊は、古美術“眞宵堂”の店主である栗原から受け取っていたスタッフ用のパスで中に入ると、ベルベットルームへ続く扉のある裏路地に来ていた。

 しかし、扉を潜ろうと思っていたときにゆかりから電話が来たので、長話になっては面倒だからとからかう事で話しを短めに切り上げることに成功する。

 ただし、ゆかりに言っていた通話を録音しているという話しは本当で、通話が切れた事を確認した湊は、携帯を少し操作すると一つの音声ファイルを作り、カーソルを合わせて再生ボタンを押した。

 

《そ、その、好き……だよ?》

 

 再生ボタンを押すと携帯からは僅かに緊張した様子のゆかりの声が聞こえてくる。先ほど録音したばかりの通話音声から、この短時間で一部を切り取り音声ファイルに編集したらしい。

 テスト再生を行って問題がない事を確認した湊は、そのファイルに『岳羽ゆかり-告白編-』というふざけたタイトルを付けて保存すると、ゆかり宛のメールに添付して昼休みに届くよう送信予約をかけておいた。

 昼休みの食事中にメールを受け取ったゆかりは、きっとファイル名から嫌な予感をひしひしと感じつつも音量を最小にして再生するに違いない。

 内容を確認した後は電話やメールで大量の文句が来る事が予想されるが、その頃には携帯の電源を落とせばいいので、湊は携帯をポケットに入れるとベルベットルームの扉を開いた。

 

――ベルベットルーム

 

 ポロニアンモール側の扉を潜り、モノクロタイルの境道を進んだ先にあるもう一枚の扉を開き中へと入る。

 すると、そこにはいつもと変わらぬ様子でベルベットルームの住人たちが待っていた。

 昨夜もここを通ってタルタロスへ直接向かったが、そのときは話す暇もなかったので、今回の来訪が改めての再会となる。

 テーブルの向こうで不気味な笑みを浮かべ椅子に座っている部屋の主も、客人が来た事に気付き向かいの席に座るよう手で指し勧めてきている。

 しかし、そちらに視線を送った湊は椅子に座るかと思いきや、湊の鍵で自由に出せる扉へと向かい、そのまま扉の向こうに消えて行った。

 

『!?』

 

 これには部屋の主だけでなく従者たちも僅かに驚くが、少し待っていると扉が開き黒いマフラーを巻いた湊が戻ってきた。

 どうやら英恵の屋敷に忘れていたマフラーを取りに行っていたらしく。今度こそ再会の挨拶が出来ると、湊が椅子に座るのを確認してイゴールが口を開く。

 

「フフッ、お客人とこうして語らうのも随分と久しく感じますな。しばらく会わぬうちに随分と強くなられたご様子。新たな土地での経験はお客人に様々な変化を齎したようだ」

「……そうだな。得たもの、失ったもの、それらが釣り合っているかは分からないが、自分でもかなり変わったと思っている。能力の性質が変化したことは気付いているか?」

 

 尋ねた湊は自分のペルソナを管理しているエリザベスに視線を向けるが、エリザベスは首を横に振って自分たちは何も分かっていないと答える。

 彼女は左手で抱えていたペルソナ全書をテーブルに持ってくると、湊の所持ペルソナを登録しているページを開きみせてきた。

 そこに書かれているのは以前と変わらぬ十四体のペルソナたち。半数は自我持ちであり、純粋なペルソナとは言えないかもしれないが、どれも強い力や変わった力を持った優秀な心の欠片だ。

 けれど、そこに書かれているのは十四体だけで、昨夜、湊が呼び出したアザゼルやベリアルの名は存在していなかった。

 ここベルベットルームでペルソナ合体をしたときだけでなく、現実世界で力に目覚めて新たなペルソナを得ても自動で登録される設定なので、何故それが機能していないのかと考えたとき、ベルベットルームの住人は湊の存在を感知出来なくなった理由の影響を一度は疑った。

 だが、もしもそうであれば対処しようがない。よって、彼女たちは湊が来たときに理由を知っていれば尋ねようと考えていたため、早速のチャンス到来にエリザベスが相手の黒い右手に自身の左手を重ねながら率直に尋ねた。

 

「八雲様は、昨夜のペルソナについて御存じなのですか?」

「……手を重ねてくる意味は分からないが、自分の扱うペルソナについては分かっている。あいつらは蛇神の欠片である負の心、つまりネガティブマインドのペルソナたちだ」

 

 湊が答えれば部屋の主は色々と理解出来たようで、何度か頷いて確認するように言葉を返してくる。

 

「なるほど、性質の変化した状態でも力を使えるよう、強過ぎる蛇神の力を扱える規模に分けたのですな」

「そういう事だ。復讐を終えた日からペルソナを出せなくなったのは、あのときは蛇神しか使えない状態になっていたからだった。しかし、能力を使えないとまずいと思った事で、肉体と精神の最適化が行われている間、ずっとネガティブマインドのペルソナを扱えるように心の中で研究していたんだ」

 

 七年前に起きた事故以前の記憶と人格になっていたのは、英恵たちが心配していた神降ろしの影響で心が壊れていたからではなく、名切りの血に目覚めた肉体や精神の変化が最終段階に入ったせいだった。

 神降ろしは“完全なるモノ”である湊のためだけに数千年かけて作られたシステムだが、それとは別に名切りの血の覚醒にも段階がある。

 まず、親から十四歳の誕生日に一族について聞かされ血が目覚めれば、血の記憶を視ながら自分の一族について理解し、血に宿る過去の名切りの存在をぼんやりとでも感じるようになる。

 次に肉体の変化が起こり始め、筋肉だけでなく五感を司る器官に臓器、電気信号のやり取りをする神経まで強化されるのだ。

 そして、肉体の強化が順調に進めば、肉体や頭脳など能力を問わず力を持った伴侶となる者を探しながら、自分たちの力も子孫に伝え完全なるモノを生み出そうという精神の変化が起こり出す。

 茨木童子や名切りの業が干渉するのはこの段階であり、血の目覚めが強ければ強いほど干渉を受けるので、覚醒する前から干渉を受けてきた湊の血の濃さはまさに別格であった。

 このように肉体と精神の変化が徐々に起こる訳だが、最終段階として最適化というものが存在する。

 途中の変化はいわば全機能を平均的に上げるだけで、力が強い者も足が速い者も各機能の強化される程度は一緒だった。

 それを一気に仕上げるのが最適化で、力が強い者は他の部位より腕や背中の筋肉が発達し、足が速い者は足の筋肉と心肺機能がより強くなるという風に、動物たちが長い年月と数世代かけて行う進化を限定的にだが個人レベルで起こすのだ。

 肉体の最適化が起きているときには同時に精神の最適化も始まり、そこでは各個人の才に合わせた記憶や技術の伝承が行われる。

 力を持った名切りならば血から欲しい知識や技術を掬い上げて得ることが出来るが、そこまでの力を持った者は稀で、ほとんどは何かに特化した才能を持っている事が多かった。

 精神の最適化は、そのような自分では血から情報を拾えない者への救済措置であり、彼らにとって必要な情報を精神世界で授けるのだ。

 だが、名切りの最高傑作である青年は、集大成であるが故にその能力に特徴を持っていなかった。

 力は強い、足は速い、手先は器用で、身体の柔軟性もある。つまり、湊は全能力特化ともいえる万能型なのだ。

 飛騨の改造では速度特化で機能強化を施したが、あれは大人とも渡り合えるように子ども時代の能力を補強しただけで、肉体が成長すればそもそも補強など必要ないのである。

 そうして、特化させるべき部位が見つからなかった肉体は、全能力に特化した肉体の性能をさらに向上させるという荒技に出た。

 いくら健康状態が回復した湊であっても、頭の先から足の先まで全てが造り替えられれば、その多大な負担に脂汗を滲ませ意識を失うのも無理はない。

 

「他の名切りは部分的に強化するので筋肉痛に近いレベルで済むそうだが、俺の場合はフルチューンでな。完了まで時間が掛かったし、体力が回復してなかったら死んでいたところだ。まぁ、その分、精神の最適化では色々と出来たが」

 

 肉体の最適化が始まった湊は、元々全ての情報を自由に引き出せる状態にあったことで、精神の最適化ではペルソナ能力が消失した原因を探す事にした。

 しかし、己の内面世界で目を覚ました湊がいたのは、以前、茨木童子らと邂逅した空間とは異なる淀んだ空気の場所だった。

 そこで湊は自分がネガティブマインド側にいることに気付けたが、少しすると鈴鹿御前が現れて湊がどのような状態にあるのかを教えてくれた。

 彼女曰く、湊は今まで正の力の領域しか使っていなかったが、蛇神の力を自ら引き出したことで境界が曖昧になり、負の力の領域も使えるようになったのだとか。

 けれど、蛇神の持つ力が強大過ぎることで平時の湊ではそれを引き出すことが出来ず、負の領域が主体となっているときはペルソナを使えなくなってしまうのだ。

 

「元を辿れば蛇神だから記録されないのは理解しましたが、能力の性質の変化周期などは把握しておられますか?」

「ああ、そこに載っているポジティブマインドのペルソナを使えるのは、新月の翌日から満月の日の影時間が終わるまで。反対にネガティブマインドのペルソナを使えるのは、満月の翌日から新月の影時間が終了するまでだ」

「つまり、月が満ち始め満月となるまでは正の力を、月が欠け始め新月となるまでは負の力を扱えるということですね。しかし、鈴鹿御前はどちらでも呼び出せていたようですが?」

「あいつは蛇骨を消そうと干渉した事で性質が混ざったらしい。ま、イレギュラーな存在だ。他のペルソナたちは出したままにしない限りは、それぞれの期間にしか呼べない」

 

 鈴鹿御前がネガティブマインド側にいた理由だが、湊が阿眞根になっていたとき蛇骨を消そうと干渉を試みた際、少しばかり蛇神の影響を受けて性質が混ざってしまったかららしい。

 湊の精神は正の領域がタナトスとアベルに分かれている湊本来のペルソナの領域で、負の領域は完全に蛇神のものである。

 他のペルソナたちは湊の心から分かれたものなので、正の領域に間借りしている存在であり、名切りの業で精神に影響を受けていても性質までは混ざっていない。

 よって、姿や能力に若干の変更は見られるが、性質の混ざった鈴鹿御前だけは彼女自身の人格を維持した状態でどちらでも呼び出せるようになっていた。

 それぞれの期間が終わる影時間の時点で出しておけば、他のペルソナも期間を無視して顕現していられるが、一度消せば再び呼び出せる期間になるまで出せないので、そういった意味では鈴鹿御前しか安定した戦力がいないと捉える事も出来た。

 時期で力がまるきり入れ替わるとは中々にイレギュラーな力の在り方だが、湊から説明を受けた住人達もちゃんと理解出来たようで、何度か頷いた後新たなサポートの仕方について考えている。

 それを湊が眺めていると、まだ隣にいたエリザベスが重ねていた手を離し再び声をかけてきた。

 

「話しは理解しましたが、ネガティブマインドのペルソナを記録する方法はないのでしょうか。流石に何体のペルソナがいるのかも分からなければ、ペルソナを管理させていただいている身としてサポートのしようがありません」

「……そうだな。ペルソナ全書に空いているページはあるか?」

「新しいページを足す事は出来ますが」

 

 言うなりエリザベスはポジティブマインドのペルソナの書かれたページに白金細工の栞を挿み、手袋をはめた手で栞をなぞるとペルソナ全書が光りに包まれ、そこに新しいページが追加された。

 どういった技術なのかは不明だが、隣に新しいページが出来たのなら並べてみる事が出来て丁度良いだろう。

 そんな風に考えて黒い右手を出した湊は、新しいページの上で拳を握り、そこに黒い雫を一滴落とした。

 黒い雫がページに触れると落ちた箇所を中心に黒い炎がページ全体に走る。けれど、それは現実の炎ではないため、見ている者らも慌てず眺めていれば、炎は徐々に治まり最後には消えていった。

 真新しい白紙だったページも、雫を落とされ走った炎が消えて見れば姿を変えており、そこにはしっかりと数体のペルソナの名が記されている。

 ミックスレイドで同じような物を出す事は出来るが、今の湊の黒い腕は蛇神の影なので、その雫を落としたことで力自体を読み込ませたらしい。

 これでお客人のペルソナを管理するという職務を全う出来そうだと、ペルソナ全書を手に持ったエリザベスも記された名を眺めながら口元に笑みを浮かべ元の位置に戻った。

 

「……見事に悪魔や堕天使ばかりね。別にネガティブマインドとはそういった物ではないはずなんだけど」

 

 エリザベスが元の位置に戻ったことで、傍にいたマーガレットも彼女にペルソナ全書を見せてもらい内容を確認して口を開く。

 そこに記されていたのは、

 審判“アザゼル”、

 悪魔“マスティマ”、

 審判“ルシファー”、

 女帝“レヴィアタン”、

 審判“サタン”、

 運命“バアル・ペオル”、

 刑死者“マモン”、

 悪魔“ベルゼブブ”、

 戦車“アスモデウス”、

 悪魔“ベリアル”、

 審判“グザファン”、

 永劫“セルピヌス”、

 といった具合に神話や伝承において悪魔や堕天使と呼ばれる者ばかりであった。

 アザゼルやベリアルに、ベルフェゴールの別名であるバアル・ペオルを呼び出していた時点で薄々予想は出来ていたようだが、よくもまぁこれだけ揃えてきたなと逆に感心してしまう。

 また、ベリアルもバアル・ペオルもマーガレットたちの知る同名や同一存在のペルソナとは姿が異なっていたため、通常の方法では全書に記録できない事も含めてややこしくも思う。

 そんな風に姉たちが見ていると、弟のテオドアも力の管理者の一人として確認しておこうと思ったのか、姉たちに「すみません」と一声かけて眺めている。

 湊としてはアルカナと名前からでは能力や容姿までは伝わらないので、別にいくら見てもらっても構わないのだが、話しが進まないので早めに切り上げて欲しいと思っていたとき、少々不思議そうにテオドアが質問をしてきた。

 

「おや? このセルピヌスは神話において善性存在として描かれているはずですが、どうして悪魔や堕天使の中に紛れているのですか?」

 

 セルピヌスはカンヘルと呼ばれる龍人の天使の一柱である。元はアステカの神であったが、キリスト教を布教させる際に、現地の神と結び付けて創世神話を話すことで原住民にも受け入れられるようにしたことで、蝙蝠の羽根や鋭い爪という悪魔のような特徴を持ちながらもキリスト教の天使の一柱とされている。

 よって、立場的には悪魔や堕天使とは正反対な存在であるはずだが、しっかりと記されていることで、どうしてセルピヌスがここに含まれているのかをテオドアは知りたがった。

 

「……マーガレットも言っていたが、別に負の感情だからといって悪魔や堕天使を揃えた訳じゃないんだ。力を分割していくとそこに記されたペルソナで固定されただけで、俺自身の意志はあまり反映されていない」

「なるほど、そういう事でしたか。因みに、この中に自我持ちのペルソナはいますか?」

「自我持ちは鈴鹿御前であるバアル・ペオルのみだ。しかし、自我持ちがいると何かあるのか?」

「ええ、我々は登録されているペルソナの複製体を呼べるのですが、八雲様に宿っている自我持ちだけは呼ぶ事が出来ないのです。なので、姿などを確認出来るのならこちらでもしておこうと思い質問致しました」

 

 力の管理者たちは正確に言えばペルソナ使いではない。彼女たちはペルソナ能力を持っておらず、自分自身ではペルソナを呼ぶ事は出来ない。

 それを補うのがペルソナ全書であり、彼女たちはペルソナ全書の力によってそこに記録されたペルソナを複製して呼び出す事が出来るのだ。

 しかし、湊の自我持ちのペルソナのような魂を持つ存在の複製体は作れない。姿かたちだけをコピーしたものも呼べないので、そもそも魂を宿した者は記録できないようだった。

 彼らの能力やペルソナ召喚の秘密を知らなかった湊としては、そういったシステムだったのかと感心したりもしたが、わざわざ客人のペルソナを確認しておくなどマメな性格だなとも思ってしまう。

 

「別に確認してもいいが大して面白くもないだろうに」

「いいえ。セルピヌスなど初めて目にするので非常に興味があります。試しに呼び出してみてもよろしいでしょうか?」

「……止めはしないが、でかいから気を付けろよ」

 

 湊の許可を得るとテオドアは嬉しそうに頷いて、エリザベスにセルピヌスの複製を頼んでいる。

 全書からカードを顕現させ、それをエリザベスが弟に渡している間、湊の方は何をしているかというと席を立って壁際まで移動していた。

 三姉弟はカードの複製などをしていて気付いていないが、湊が移動するのを見ていたイゴールが不思議そうに首を傾げていると、自分のペルソナ全書を取り出したテオドアが、本のページでカードを挟み砕いた。

 

「ゆきます。ペルソナッ!」

 

 カードを砕いた瞬間、テオドアの足もとには赤と黒の召喚光が輝き、その頭上に力が集束してゆく。

 一体どのようなペルソナが現れるのかと、どこか好奇心を抑え切れていない瞳でテオドアは見つめ、姉たちは少し離れた場所から眺めている。

 けれど、いつまでたっても力の集束が終わらず、だんだんと集まる光が大きくなってきていることに途中で気付いたテオドアは、冷汗を掻き表情を強張らせて焦る。

 

「い、一体どうしたというのです?」

 

 湊は確かにでかいから気を付けろと言っていた。それをテオドアも聞いてはいたが、湊の知り合いであるスミレという少女が、全長三十メートルという巨大なペルソナ“テュポーン”を持っていたことで、きっとそれぐらいの大きさなのだろうと思っていた。

 だが、いま集まっている力はその規模を完全に超えてしまっている。

 ベルベットルームは大きなエレベーターだが、流石に全長三十メートルを超えるような物が顕現出来るほどの広さはない。

 かといって、自身のペルソナではないので、一度呼び出そうとしたものをキャンセルするも出来ず。ただその存在が現れるのを黙って見ているしかなかった。

 そして、

 

《グオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――ッ!!》

 

 大気と共にベルベットルーム全体を振動させるほどの咆哮をあげてセルピヌスが現れる。

 テオドアが見たのは、片膝を立てながら背中を丸めて座っていても天井に頭をぶつける巨人だ。

 相手の脚と脚の間にいるため翼や尻尾がどこにあるのかは分からないが、黒い肌に、関節や胴体を群青の色の鎧のような外殻で覆い、鮫を思わせるような鋭い牙と黄色の目をした頭部が天井に頭をぶつけテオドアの方を向いていた。

 この巨大過ぎるペルソナは明らかにこの部屋の積載重量の限界を超えている。先ほどから上昇速度が遅くなっているだけでなく、ミシミシと不穏な音が壁や天井からしている。

 また、セルピヌスが現れた際の衝撃でイゴールが椅子やテーブルと共にどこかへ吹き飛んでしまった。

 姉たちは幸いなことに立てていない方の脚の横にいて無事なようだが、明らかに怒りの表情を浮かべており、この事態を無事に治めても自分の命はないとテオドアは心の中で涙を流す。

 部屋の耐久限界を迎える前に、どうやってこのペルソナを消そうかと考えたとき、部屋の隅に避難していた湊が突然駆け出し、跳躍したかと思えば振り被っていた黒い右腕を巨大化させてセルピヌスを殴り飛ばした。

 殴られたセルピヌスは勢いのまま上を向いて消えてゆくが、部屋の耐久限界ギリギリの状態に数フロアを貫通出来るほどの威力を有した拳を叩き込んだことで、限界を迎えた天井が音を立てて崩れてくる。

 様々な破片や歯車が落下しているのを眺め、どこかぼんやりとした瞳で上を向いたテオドアはぽつりと呟く。

 

「ほう、天井の向こうはこうなっていたのですね」

「言いたい事はそれだけかしら?」

「……申し訳ありませんでした」

 

 ドスの利いた声を後ろからかけられ、テオドアは即座に振り返って頭を下げる。

 すると、目から星が出るかと思うような衝撃を後頭部に受け、耐えられなかったテオドアは床の上に倒れ込む。

 軽く脳震盪を起こしつつ上を見ると、ペルソナ全書を持ったマーガレットが肩を震わせているため、先ほどの衝撃はあれで殴られたのだろう。

 そんな風にテオドアとマーガレットがやり取りをしている横では、ふきとばされた上に天井の瓦礫に埋まっていたイゴールを、湊とエリザベスが救出している。

 本来なら大人の男性が数人がかりでやる作業も、腕力に自信のある二人ならば問題ないのか、数十キロの瓦礫を片手で持ち上げポイポイと投げ捨てる。

 いくつもの瓦礫をどけてようやく救出されたイゴールは、汚れたスーツを手で払いながら礼をいった。

 

「どうもありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありませんでした。しかし、規格外のペルソナでしたな。召喚だけで適性値を十三万も消費するなど聞いた事もない」

「蛇神はその上をいくぞ。だが、天井が壊れても上昇を続けるんだな」

「フフッ、上から紐一本で吊り下げている訳ではございませんからな。天井の一部が崩れただけでは落下したりはしません」

 

 壊れた天井の向こうにはまだまだ暗闇が広がっており、最上階に着くまでどれだけかかるのか分からない。

 湊がエリザベスと並んで天井の先を眺めている間もマーガレットによるテオの折檻は続いており、イゴールは扉の一つから新しいテーブルと椅子を持ってきたので、瓦礫類を隅に積み上げて改めて席についた。

 それを確認したマーガレットの方も折檻を中止したようで、テオドアに瓦礫の撤去と崩れた天井の修理、少し傷んだ壁や床の補修を命じて涼しい顔で戻ってくる。

 

「愚弟がお見苦しいところをお見せして、どうも申し訳ありませんでした」

「……いや、よく似てると思ったぞ。マーガレットたちもたまにポカするだろ」

「ミスして腕を失ったような貴方には言われたくないけどね。まぁいいわ。それで、行く前に依頼していた物は持ってきたのかしら?」

 

 最初はベルベットルームの住人として振舞っていたマーガレットも、流石にベルベットルームを破壊するほどのミスをしたことはなかったので、よく似ていると言われてムスッとしながら皮肉で返し、出立前に頼んだ依頼の品を見せてくれと頼む。

 エリザベスとテオドアは何か面白い物があれば持ってきて欲しいということだったが、マーガレットはアンティークなタロットカードや懐中時計にミュージックボックス(オルゴール)などを所望していたはずだ。

 その事を覚えていた湊は黒いマフラーに手を入れると、取りだした物をテーブルの上に置いた。

 

「これは百年ほど前のスイスで作られた懐中時計。こっちも同じ年代に作られたドイツ製のディスクオルゴール。そして、このタロットは年代はよく分からないがかなり希少な完品デッキらしい」

 

 湊がテーブルに置いたのは美しい細工のなされた金色の懐中時計に、横幅五〇センチはありそうな大きなオルゴール、そして、イリスの夫の持ち物だったという形見のタロットカードだった。

 言われた順に手に取って確認してゆくマーガレットは、湊の持ってきた物が確かな品であると理解した上で、自分の気に入る物かどうかを見ている。

 幼い頃からいい品をみて育っているのだ。審美眼はかなり鍛えられており、骨董品屋のバイトでさらに磨きをかけていたのだから、アナライズもそこに加われば世界トップクラスの鑑定士にもなれる。

 彼の経歴を知っているマーガレットもそこは疑っていないので、品物を念入りにチェックすると頷いてテーブルに置いた。

 

「いい品ね。依頼は見事達成よ。ただし、この品は受け取れないわ。ちゃんと自分で保管して頂戴」

 

 そう言ってマーガレットが返してきたのはタロットカードだった。

 依頼は達成という事だったが、何か気に入らない点でもあったのかと不思議に思いつつ、返されてはしょうがないとマフラーに片付ける。

 その間に相手は懐中時計とオルゴールを翡翠の栞に仕舞いこみ、代わりに細長い木箱を取り出していたのでマーガレットに視線を向けて湊は理由を尋ねた。

 

「何か気に入らない点でもあったのか? イリスはかなりの値打ち物だと言っていたんだが」

「貴方、本当に理解していないの?」

「何をだ?」

 

 かなりの年代物だが保存状態も良好でカード全てが揃っているため、古い占い師にでも見せれば一財産築けるような品だ。

 同じレベルの物などオークションでもなかなかお目にかかれないというのに、何が気に入らなかったのかと、どこか哀れみの籠った瞳で見つめてくるマーガレットに湊は首を傾げて返す。

 だが、そんなリアクションに対する相手の返答はとても深い溜め息だった。

 

「はぁ……あのね、それは依頼の品として受け取るには重すぎるのよ」

 

 湊が本気で理解していないと分かったマーガレットは、呆れつつも子どもに言い聞かすようゆっくり丁寧に理由を話す。

 

「貴方の大切な人が本当に大切にしていた物なんでしょう? なら、彼女の形見として貴方が持っていないと駄目じゃない」

「俺には誕生日プレゼントで貰った拳銃がある」

「それでもよ。納得いかないならその形見を生涯持ち続けろって依頼を出してあげるから、売ったり譲ったりしないで貴方が持っていなさい」

 

 確かに湊は自分のためだけに作られた品をイリスから貰っていた。

 ガンスミス・テッドが生涯を掛けて作ろうとした最高傑作であり、普通の人間では扱いきれない無茶な設計でありながら、装飾など細部までこだわり抜いた至高の逸品。

 昔から温めていた設計図を流用したにもかかわらず、開発や調整など諸々込みで日本円にして七百万以上かかっており。二挺揃った状態の価値はガンマニアならば一千万出そうとする者もいるはずだ。

 そんな大層な品を自分専用に作って貰ったのだから、受け取った湊が他にはいらないと言う気持ちも分からなくはない。

 けれど、形見の品は一つでなくとも構わないはずだ。故に、マーガレットはわざわざ依頼として出してでも、タロットカードを手放さないようにと言い含めた。

 湊も別に進んで手放そうとは思っていなかったので、そこまで言われれば言う通りにしようと頷けば、マーガレットはようやく話しを進められると小さく嘆息して先ほど取りだした木箱を湊の前に置いた。

 

「これが依頼の報酬よ。開けてみなさい」

 

 置かれた木箱は細い縦長で、縦三十センチ横六センチほどと推測する。

 雰囲気から察するにナイフかと期待して箱を開けてみれば、そこには紅緋色の管をした長煙管が入っていた。

 途端、湊の表情が何だこれはと嫌そうなものに変わる。

 未成年だからという最大の理由もあるが、それ以外にも、肉体を弄っているせいで、湊は酒も煙草も全く気分が高揚せず楽しめないという理由があった。

 楽しめないのに貰ったところでゴミか箪笥の肥やしにしかならないため、手に取ったりもせず落胆したような興味のない表情を湊がしていると、長年の付き合いでそのリアクションも分かっていたのか、僅かに口元を怒りでひくつかせながらもマーガレットは品物の説明を始めた。

 

「それは煙管の形をしたマジックアイテムよ。その火皿に液体の物を注げば、温度はそのままに霧状というか煙化して楽しめるの。まぁ、喉用の加湿機に飴やガムとしての楽しむ機能がついたと考えたら分かり易いかしら」

「……入れた分だけ楽しめるのか?」

「そうよ。味に飽きたら吸い口を右に捻って逆さまにすれば火皿から液体のまま出せるわ。左に捻って吸えば液体で飲めるし。水筒代わりに使いなさいな」

 

 マーガレットが渡して来た長煙管は、本来刻み煙草を詰める火皿から液体を注ぐことで、その飲み物を煙草を吸う感覚で楽しめるというものだ。

 液体を注げるのは吸い口を真ん中にした状態のみで、吸い口を左右のどちらかに捻っていると入ることはない。

 洗うときにはそのように吸い口を捻っておけばいいため、手入れも簡単で保温機能もあることから地味に高性能なアイテムであった。

 そういう事なら自分でも使えそうだと手に取り湊が眺めていると、いつの間にか扉を通じてどこかへ消えていたエリザベスが戻ってきて、テーブルの上にコーラの瓶を三本置いた。

 彼女は湊がコーラや胡椒博士が好きだと知っているため、早速使えるように気を利かせたらしい。

 

「ありがとう。早速やってみる」

 

 持って来てくれた事に礼をいい、湊がコーラの瓶に手を伸ばしかけたとき、何を思ったのかエリザベスは置かれた内の二本を手に取り、湊のマフラーに向けて手を伸ばした。

 しかし、湊のマフラーには生き物やナマモノは入れられないようになっている。それはジュースなど飲み物類も例外ではなく、何を考えているのかと思っていれば、なんとエリザベスの手と一緒に瓶はマフラーの中へと入ってしまった。

 これには湊だけでなく入れた本人も僅かに驚いており、しばらく無言で見つめ合っていると、手を抜いたエリザベスが興味深そうにしながら呟いた。

 

「どういう訳か機能拡張されていますね。どうやら食べ物などを入れられるようになったようです。空間内は時間凍結されますから、腐敗等食材の劣化の心配はないかと」

「……知らないで試したのか?」

「いいえ。私がお贈りしたときよりも光沢が増していましたので、何か変化があったのではと思い試してみたのです。元々は別世界の生物の革から出来ていますから、手を入れる際に纏っている力を吸収して成長したのやもしれません」

 

 自分のマフラーがメイドイン異世界という情報よりも、革を加工した後でも力を吸収して成長すると聞いた衝撃の方が大きかった。

 まさか、このまま成長を続ければ元の生物になったりはしないだろうなと思いつつ、湊は残っていたコーラの瓶を開けて、器用に中身を火皿の中に全て注いだ。

 だが、そこで湊は違和感に気付く。いま自分が入れたのは190mlのコーラだ。対して、煙管の方は直径二センチもない全長三十センチ弱の細い管である。

 これではどう頑張っても一瓶全てを注ぐ事など出来る筈がない。

 そう思ってマーガレットに視線を向けると、作業を見ていた相手は湊の疑問に気付いたようで尋ねる前に答えてきた。

 

「それ、理屈は分からないけど数百リットルは入るわよ」

「試したのか?」

「ええ、私のは黒い管だけど、説明書がないから色々と試してみたの。本来の煙草として使えるかも試したけど、火皿が汚れただけで煙は吸えなかったから完全に飲み物専用ね。強度は大したもので、管でモナドのシャドウの攻撃を受けても無事だったわ。貴方がエリザベスから貰った短刀と同じレベルと言っていいかもしれない」

 

 湊からすればどちらも製作者不明の品だが、マーガレットが上機嫌で僅かに得意げにしていることから、エリザベスから貰った短刀はかなりの名品で、それに匹敵する強度というのは途轍もないことらしい。

 別に煙管で戦おうとは思っていなかったが、そこまで試しているのなら緊急時の防御に使えそうだと少々感心する。

 容量の謎も解けたことで、煙管を咥えると早速注いだばかりのコーラの味を確かめてみる。

 マーガレットが言っていた通り、飲み物は確かに霧状になっているのだが、炭酸の刺激らしき物も僅かに感じるため、コーラ味の飴やガムを食べているというより本物のコーラを飲んでいる感覚の方が近い。

 確かにこれは水筒代わりにもなり得るなと思ったところで、湊は煙草のように口に含んだコーラの煙を吐いたらどうなるか気になった。

 丁度いい事に座っている湊の隣にはまだエリザベスが立っている。もしも、吐いた煙もコーラのままならば、相手も味や匂いを感じるだろう。

 通常であれば煙草の煙を顔に向かって吹きかけるなど失礼極まりないが、コーラならば問題ないはずと考え、湊は口に煙を含むとそれをエリザベスの顔に向かって吹きかけた。

 吐いた直後、煙が白いことに少し驚いたが、まるで本物の煙草の煙のように広がると徐々に消えていった。

 けれど、そこには煙草のような匂いはなく、むしろコーラの少し甘い匂いがしていたので、味まで伝わるかはともかく香りは伝わるのだろうと推測する。

 ならば、味の方も伝わっているのだろうかと、湊はエリザベスに尋ねた。

 

「……どうだ?」

「お気持ちは嬉しいのですが、流石に姉や主の前で誘ってこられるのは如何な物かと」

「……ん?」

 

 話しが噛み合わない事で湊は頭上に疑問符を浮かべる。

 湊が訊いたのは味は分かったかという事だ。だというのに、エリザベスはマーガレットやイゴールの前で誘ってくるのはどうかと思うと返して来た。

 別に湊は何かを誘ったつもりはないのだが、顔に煙を吹きかけるという行為がエリザベスには何かに誘ったという風に伝わったらしい。

 意味は分からないが、マーガレットの方に視線を移すと汚物を見るような冷たい視線を向けて来ていたので、あまり宜しくない意味として取られる行動だったようだ。

 知らなかったとはいえ誤解は早々に解くべきだと、湊はエリザベスがどういった意味として捉えたのかを尋ねる。

 

「すまない。吐いた煙でも味や匂いが伝わるかを訊きたかったんだが、顔に煙を吹きかけるというのは何か意味があるのか?」

「……なるほど、無自覚な行動でございましたか。では、順にお答えしますと、味も僅かに感じましたが、吹きかけられた煙ではほとんど匂いしか伝わりませんでした。ですが、顔がべたついたりはしていないので、煙になった飲み物を直接かけているのとはまた違っているようです」

 

 言ってエリザベスは湊の左手を掴むとそのまま自分の頬に触れさせる。陶器のように美しい白い肌は、なめらかな手触りでありながら瑞々しい弾力があり、いつまでも触っていたいと思わせる不思議な魔力がある。

 だが、相手は顔がコーラでべたついていないかを確認させただけなので、少しすると腕を離して言葉を続けた。

 

「では次に、煙草の煙を顔に吹きかけるという行為の意味ですが、相手を見下し挑発するという意味とは別に、夜のお誘いという意味もございます。分かり易く申しますと、“今夜お前を抱く”といった意味がございますので、異性は勿論の事、八雲様は同性に対しても行わない方が宜しいかと」

 

 最後に同性に対してもやらない方が良いと言ったのは、湊の顔の作りが母親の菖蒲に凛々しさを加えたような、異性だけでなく同性までも魅了する美しいものだからだろう。

 意味も知らずに挑発として顔に煙を吹きかけていれば、その隠された意味を知っている者の中に勘違いして襲ってくる者がいるかもしれない。

 一般人だけでなく、裏の人間に襲われようと簡単に返り討ちに出来るが、相手は湊に誘われたと思って襲いかかっているので、そういった誤解から悲しい事件を起こさないために、湊は挑発だろうと煙を吹きかけたりしないと心に決めるのだった。

 そうして、マーガレットから依頼の報酬を受け取った湊は、性質の変わった能力の説明なども終えた事で、シャロンたちの待つEP社の研究所に向かう予定があると住人達に告げ、ベルベットルームを後にした。

 

 

 

 




補足説明
 現在の湊は能力の質が時期で変化するようになり、鈴鹿御前のように性質が混ざって行き来出来る存在以外は、対応している時期にしか呼び出すことが出来ない。
 ただし、アベルの“楔の剣”で奪ったペルソナだけは例外であり、現在所持しているアイギスのパラディオンは時期に関係なく呼び出すことが出来る。
 正負それぞれで所持しているペルソナに関しては以下の通りである。

【ポジティブマインドのペルソナ】
※新月の影時間明けから満月の影時間中まで召喚出来る
・死神“タナトス”:湊本来のペルソナの半身
・審判“アベル”:湊本来のペルソナの半身
・節制“シェンウー(玄武)”
・節制“チンロン(青龍)”
・節制“スーツェー(朱雀)”
・節制“バイフー(白虎)”
・節制“座敷童子”
・隠者“ジャック・ザ・リッパー”
・魔術師“出雲阿国”
・運命“鈴鹿御前”
・月“赫夜比売”
・太陽“茨木童子”
・戦車“アタランテ”
・剛毅“大口真神”

【蛇神の分け身であるネガティブマインドのペルソナ】
※満月の影時間明けから新月の影時間中まで召喚出来る
・審判“アザゼル”
・悪魔“マスティマ”
・審判“ルシファー”
・女帝“レヴィアタン”
・審判“サタン”
・運命“バアル・ペオル(鈴鹿御前)”
・刑死者“マモン”
・悪魔“ベルゼブブ”
・戦車“アスモデウス”
・悪魔“ベリアル”
・審判“グザファン”
・永劫“セルピヌス”

【他人のペルソナ】
※時期に関係なく呼び出し可能
・戦車“パラディオン”

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