トラックの運転手を囮にして逃げ延びた悠河は汗だらけの姿でアジトに戻った。
到着するなりおもむろにエナジードリンクを一本飲み干した悠河はひどく疲れていた。
アジトにいたコートの男、ソードテールは心配して彼に話しかける。
「お前にしては珍しいな」
「ソードテール……僕を嘲うつもりか?」
「そんなつもりではない。ただお前が画策していた『里見蓮太郎撃破』に動きがあったのでな。その様子でやれるか体調を心配しただけだ」
「動き?」
「里見蓮太郎は今、聖居に呼び出されている。格好の機会だからお前の名を使ってコマを動かしたと言うわけだ。お前の予想より早かったがな」
「何を勝手にやっているんだ、僕に断りも無しに!」
「怒るな、全ては教授の御意向だ。俺はこれからコマのサポートに向かうがお前には教授から伝言がある。俺が出て行ったらこのビデオを回せ」
「ちょっと!」
「もう一度言うがこれは教授の御意向だ。俺からはしくじるなとしか言えん」
ソードテールは悠河を残して出かけていった。
悠河は彼が言うようにビデオデータを再生するとそこには敬愛するグリューネワルド教授の姿が映る。
「いきなりだが失望したぞ。まさかワイズの首領に勝てる気でいたとは」
再生すると開口一番で教授は悠河の失態をなじった。教授は義眼に仕組まれた監視機能で悠河の動向を把握しているため当然ながら先程の失敗も存じていた。
悠河がアゲハを捕まえようとしていたことも黙認していたがアゲハ一人ならまだしも天戯弥勒はさすがに今の悠河ではキャパシティダウンを使っても勝てないと教授は読んでいた。
教授としては弥勒の姿を見たら決行を取りやめて日を改めるなりして当初の予定通りにアゲハに狙いを絞って欲しかったわけである。
悠河も返答しないビデオに言い訳を告げるが通じることは当然無い。
「これ以上の深追いはするな。今は室戸菫の機械化兵士に勝利することだけを考えろ」
教授は一方的に悠河を諌めてビデオメールを終えた。
この内容は蓮太郎との戦いをもししくじれば容赦なく彼を切り捨てるという意図を含んだものであり、それを悠河自身も察していた。
最高傑作を自負するうえでは避けられない戦いはすぐそこに迫っていた。
――――
拳銃を突き立てられた蓮太郎は場末のホテルに連れてこられた。
管理も全自動とずさんなラブホテルの一室で、前回利用者からろくに掃除もしていないのかシーツも乱れて汚れている。
利用客もまばらでこの時間では居たとしても誘拐されてレイプされた少女くらいのものでこの日は他にだれもいなかった。
そもそも相手は十歳ほどの幼女であり本来ならこんなところに男女二人で足を踏み込んだ時点で犯罪なのだが咎めるものがいないのもまたこのホテルのずさんさであろうか。
「それで……どういうつもりだ紅露火垂」
「それは自分の胸に聞いてみなさいよ」
蓮太郎を誘拐した犯人は鬼八のパートナー、紅露火垂だった。
彼女は冷たい目で終始蓮太郎を睨んでおり、鬼八が殺されたことを踏まえると犯人を蓮太郎であると思っていることは明白だった。
彼女が彼に向ける視線は殺気である。
だが事件の犯人として蓮太郎が逮捕されたことを知るのはまだ一部の人間のはずである。そのことが蓮太郎の脳裏に引っ掛かる。
「……水原の事なら俺じゃない。被害者遺族として警察から聞いたのかも知らないが、本当に俺はやっていないんだ」
「だったら証拠はあるのかしら? こっちにはアナタの銃弾が鬼八さんに打ち込まれたっていう証拠があるのだけれど」
「俺達は先の関東開戦を戦った戦友だろう? それに水原は俺にとっては幼馴染だ。ましてや俺には動機もない」
「動機? それこそいくらでもあるじゃない。些細な口論から殺意が芽生えても不思議じゃないわ」
蓮太郎を犯人と決めつけてかかる火垂には何を言っても暖簾に腕押しである。
平行線の口論のまま十二時を過ぎたころ、ホテルに来客が訪れる。
歳は蓮太郎と同じ十代後半らしき青年は部屋に入るなり火垂と同様に拳銃を突き立てた。
「遅かったじゃない、巳継さん」
「少し野暮用があってね。でも僕が言うように彼は『俺はやってない』と言うだけだったろう?」
「ええ。鬼八さんを殺したことなどどこ吹く風と言った感じだわ」
「ちょっといいか……この男は誰だ?」
蓮太郎はやって来た男の事を火垂に訊ねた。
「警視庁に顔が利く巳継悠河っていう民警よ。何度か仕事で組んだことがある仲で、今は暫定ながら私のパートナー代理もしてもらっているわ」
「初めましてだね、里見蓮太郎君。いや、東京エリアの英雄さんと言えばいいかな」
悠河の態度は一見すると柔らかいが蓮太郎にはどこか気色が悪く感じられた。
火垂は彼を信用している様子だが、どうにも違和感がぬぐえない。
それに警察に顔が利くと言われてもだからと言ってこの火垂への協力ぶりは不自然に感じられた。
「―――なあ、火垂に俺を誘拐するチャンスを教えたのもアンタでいいんだよな?」
「当然」
「じゃあ、そういうアンタは何処から俺があの場所を車で通ると知ったんだ? 当の本人でさえ直前まで知らなかったんだぜ」
「櫃間警視の差し金ですよ。天童社長から聞いていませんか?」
「だったらおかしいよな? アイツは俺の『冤罪』を晴らす協力をしてくれるって話だったぜ。冤罪を晴らすことと誘拐することはかみ合わない。それに火垂は俺を殺す気で誘拐したんだ、矛盾していないか?」
「一々細かい人だ」
悠河は少し額に青筋を立てるとおもむろに構えた拳銃を火垂に向けて弾いた。
部屋の中に銃声が響いて額を貫かれた火垂は瞳孔を見開いたまま倒れる。
「何をするんだ!」
「いいじゃないですか、キミを殺そうとしたガキが死んだところで」
「コイツは……火垂は勘違いしていただけだ。誤解さえ解けばきっと―――」
「僕もそうですが、信じる誰かを思う気持ちと言うのはそう簡単には緩みませんよ。例えば水原君を殺した犯人を彼女の前に突き出してみじめに殺しでもしなければ彼女は止まらなかったでしょう」
「それは火垂を殺していい理由なんかじゃない!」
「生きていたら僕の邪魔になる。理由なんてそれで充分ですよ」
火垂が撃たれたことを怒る蓮太郎とは対照的に悠河はまるで悪びれない。
彼にとって火垂はこの場をセッティングするための道具としてしか見ていない。
だから死んだところでなんの感想もない。
悠河は無言のまま拳銃を蓮太郎に向けて引き金を引く。
冷や汗を出しながら眼光を鋭くする蓮太郎は左眼の機能を発動させて射線を見切って横に躱す。
左足を蹴って右に飛びのき、そのまま着地に合わせて右足の頸を炸裂させて加速する蹴撃は悠河の胴を狙う。
「―――
鋭い飛び廻し蹴りが悠河を襲う。普通の人間ならカウンターKO必至の一撃だが悠河は動じない。
両の眼を怪しく光らせた悠河は蹴りの軌道にショートアッパーを合わせて弾く。
「うわぁ!」
元の勢いが強いがゆえに飛び跳ねた蓮太郎は壁に打ち付けられる。
起き上がろうとする蓮太郎に眼を光らせる悠河はゆっくりと歩み寄る。
「先輩と呼べばいいですかね」
「その眼……」
悠河の眼光に蓮太郎も気づく。
彼の両目に浮かぶ幾何学模様はなじみ深い。
「なんでお前が?」
「冥途の土産に教えてあげます。僕は新人類創造計画のアップデート版、『新世界創造計画』の巳継悠河です。僕の力を証明するためにキミには犠牲になってもらいますよ」
駆け寄る悠河の拳は二十一式バラニウム義眼の世界から見れば遅い。
お返しとばかりにぬるい拳打を弾いて反撃を企てようとした蓮太郎だがそれは失敗に終わる。
拳打を受ける左手から伝わる衝撃は内臓を撃ち貫かれたような鈍い痛みを全身に響かせたからだ。
蓮太郎は『新世界創造計画』を知らないがゆえに悠河の術中に陥っていた。
「あががが」
「その防ぎ方は不正解だったね。もっとも、小手調べのけん制だからキミもその程度で済んだわけだけど」
「ぎぎぎ!」
蓮太郎は痛みを食いしばる歯の刺激で耐えると再び悠河に挑む。
ここからの組み合いはさながら空手の乱取りのようにギャラリーがいたら見惚れるような攻防が続く。
互いに打撃を反らしながら次の一手を打ち合う平行線の並び。
一つ違いを言うならば冷や汗がにじむ蓮太郎とは対照的に悠河は余裕の表情ということだろうか。
彼とて先ほどまで様々なトラブルを突き付けられて青色吐息になっていた。
そんな悠河も先ほどのやり取りで蓮太郎を格下とみなして心の余裕ができたことで上から目線で攻め立てていた。
焦りは蓮太郎をますます追い込んでいく。
「お遊びはここまでです」
そう言うと悠河はこれまで拳銃を握ったままでいた右手を解禁する。至近距離から放たれた銃弾は蓮太郎の義手接合部当たって衝撃が体を駆けめぐる。
言葉とは裏腹に悠河は蓮太郎を嬲っていた。
圧倒的力の差を教授に見せつけて、そして室戸菫最高傑作をこの手で壊す、そのために。
「(このままじゃマズい。何か手はないか?)」
幸いにも二十一式バラニウム義眼によるオーバークロックで思考を巡らせた蓮太郎が冷静になるまでの時間は現実の時間と比べれば早い。痛みで限界まで思考を加速させた蓮太郎はこのまま互角の戦いをしてもこちらは素手で相手は拳銃と腕に仕込んだ何かを持っているので不利だと気付く。
気付いても成す術がないのだから仕方がないのだが、思い付き半分で一か八かの賭けに出ることにした。
「天童式戦闘術―――」
「何をするかは知りませんが、キミの拳法なんて僕には通用しませんよ」
眼を光らせる悠河は余裕の表情を浮かべる。
蓮太郎渾身の奥義を捌いたうえで必殺の一撃を御見舞しフィナーレとしようと少しばかり頬も緩んでいる。
師の教えである『視る』ことでそれを見抜いた蓮太郎は拳にありったけの頸を籠め、そして下から突き上げるように顎を狙った掌底を放つ。
「空の型三番、
悠河は蓮太郎の掌底を義眼で見切って紙一重で躱す。
そして涼しい顔でカウンターに振動拳を打ち込んで勝負を終わらせる「ハズ」だった。
「……ぐ!」
「さっきのお返しだぜ」
渾身の剄蘭で蓮太郎も限界に近い。
眼に見える範囲では確かに悠河は紙一重で回避したが、目に見えていなかった剄蘭による頸の打ち込みは顎を捕えていた。
クリーンヒットとまではいかないが剄による一撃を受けた悠河は酩酊したかのように足をふらつかせる。
だが蓮太郎もこれまでのダメージで踏み込むことが出来ずトドメを刺せない。
二人は動きたくても動けないままにらみ合う。
『ドカン!』
その緊張を爆発音が破った。部屋の四方で爆弾が破裂したのだ。
誰が仕掛けたのかわからないまでも、蓮太郎どころか悠河まで驚いているので消去法で火垂以外にいない。
噴煙に紛れた蓮太郎は手を引く誰かに導かれて崩れゆくホテルの窓から飛び降りて、地面に置いてあった安いスプリングベッドに打ち付けられた。
「いてて……なんだったんだ? それにこの手は誰だ?」
「私よ。それに重いんだけどどいてくれないかしら」
「火垂?!」
「まるで死人が生き帰ったみたいな顔をしないでちょうだい。単純にあの程度ならまだ生きていられただけよ」
「でも額を……」
「さあね。運が良かっただけじゃないかしら」
火垂は何かを隠している様子だったが蓮太郎の詮索を受け付ける素振りは無かった。
そのままホテルから離れた二人は火垂によって脅されるように夜の街に消えていく。
「―――誰かはわかりませんが、やってくれましたね……」
まさかの横槍による失敗に悠河は怒り狂う。
瓦礫を両腕の振動兵器で砕くことで難を逃れホテルから脱出した悠河は青筋を立てて闇夜に吠える。
「今すぐ探して殺してあげますよ、里見蓮太郎!」
悠河は何処かに逃げた蓮太郎を探すために櫃間の元を目指す。
彼が管理する監視システムを使えば東京エリアの何処に居ようともすぐに探せることを悠河は知っていたからだ。
悠河初戦の話
シティホテルがラブホテルになっちまったの巻
火垂と鬼八が常連なのかどうかはご想像で