電車に乗って、二人は都心部を訪れていた。繁華街はガストレア戦争ののちでも、アゲハらが知る過去の栄華そのままの情勢で彼らを迎えた。
彼らには知る由は無いのだが、ガストレア戦争敗戦による土地不足は高層ビル開発を加速させている。スカイツリーより高くそびえたつ高層ビルの群れは圧巻と言ってもいいくらいである。
そんな街並みに対し、アゲハの顔は心なしか曇っていた。
「そんなに落ち込むことは無いわよ、アゲハ」
「でもよぅ……財布の中身がカラになったら俺達一文無しだぜ。こんなことならホテル代を置いてくるんじゃなかったぜ」
「うっかりしてたのは私も一緒だし、諦めて次の手を考えようよ」
原因は財布の中身にあった。これまでは天樹院エルモアから受け取っている必要経費五百億を湯水のごとくつかえたため、金銭的な苦労と言うのは無縁の生活を送っていた。
だが、ガストレア戦争の爪痕は時間旅行者であるアゲハらにも傷を残していた。
アゲハ、桜子両名のメインバンクは愛知の地方銀行であるため、愛知県が未踏査領域と化した2031年現在ではあえなく廃行の憂いを受けていた。
さらには熱海にある天樹院家も未踏査領域にある。状況から天樹の根に避難しているのは予想できるものの、通信網が断絶しているのか連絡が取れないのだ。
直接取りに行くにしても、地図を見る限り徒歩で行くには到底無理なほどジャングル化が激しい。
「働くにしても、何をやろうか」
「そうね……」
「ちょっと、そこのお二人さん」
アゲハらの会話を聞いていたのか、一人の男が声をかけてきた。簡単に話を限りでは、どうやら闇金の客引きのようである。男の風貌はヤクザの三下のようであった。その風貌を見て、アゲハはなじみ深いある男の事を思い出す。
「済まないが、アンタは雹藤影虎を知っているか?」
「雹藤? ちょっとこっちに来てもらおうか、お兄さん」
影虎の名を聞いて、男の顔つきが変わる。こうなると、三下と見下すのは失礼と思えるほどである。男はアゲハらを彼らの事務所である光風ファイナンスまで連れ込む。
事務所にいた阿部翔貴は、舎弟が連れてきた客人に茶をもてなす。
「私は阿部と申しやす。早速で悪いですが……お兄さんはあの雹藤影虎とどういったご関係で?」
「古い知り合いだよ」
「見たところだいぶお若いようですが……」
「それが?」
「いえ、雹藤影虎が消息を絶ってからだいぶ経ちやすからね」
「その話、詳しく教えてくれないか?」
「タダでと言うわけには。
そうですね……ウチで百万ほど借りて頂ければサービスしやすよ。幸い別嬪さんを連れてやすから、五百までは融通できやすよ」
阿部の生業は金貸しであり、金を貸せばそれだけ利子収入を得られることになる。桜子を担保にすれば無条件で五百万までは融資すると申し出るが、それは即ち泡姫として桜子を五百万で買うという意味でもある。阿部の申し出はアゲハには当然飲めない。
「アンタ、何ふざけたことを言っているんだ?」
「タダで情報を貰おうとしているお兄さんの方こそふざけてやすよ」
「いいや、お前の方だ!」
桜子の事になるとアゲハの沸点は低い。アゲハの怒りに呼応して
「なんです? これは」
「さっきと同じことをもう一度言ってみろ! 俺も抑えきれるか知らねえぞ」
「アゲハ、落ち着いて」
阿部の体に脂汗が流れる。この黒い球体は危険だと、本能が伝えているのだ。
貫禄が売り物の男稼業としての意地と、生物的な本能がせめぎ合った結果、阿部の心は折れる。
「解りやした、教えやしょう。
まず、最初に断わっておきやすが……あっし達『光風会』は関東衆英会、ひいては雹藤影虎には何度も煮え湯を飲まされてきた間柄でございやすから、そこはお忘れなく」
阿部は『アゲハにイモを引いて口を割ったのではない』と自分に言い聞かせる為に、前置きを語ると茶を一息で飲み干す。先ほどのプレッシャーで喉が渇いていたのか、湯呑一杯の茶では喉の渇きは取れないが、貫禄の為に安易に二杯目を要求はせず深く息を吸った。
「続けて」
「ガストレア戦争の混乱期に生まれた新薬の中に『自分にとって都合のいい夢が見れる』クスリなんてものがございやしてね。光風会がそれを大々的に売りさばこうとしたことがあったんですよ。
クスリを買い占めていざ売りさばこうとしたところで、雹藤影虎にその計画を潰されやした。あれが九年前の出来事で、その後オヤジが躍起になって雹藤探しをおこないやしたが音沙汰なしです。
あっし個人の推測を言わせてもらうなら、生きていてもこの東京エリアにはいないだろうってことくらいでしょうか」
「それじゃあ、影虎さんは都内にはいないのか」
「そういうことになりやすね」
阿部の情報は結論を言えば行方知れずであり、影虎がこの近隣にはいないという事実確認以外にならなかった。
部下に注がせた茶のお代りを飲み干すと、阿部はアゲハに語る。
「まああの事件は光風会には痛手になりやしたが、クスリ嫌いのあっしからしたら頓挫してよかったと思ってやすよ。あんなクスリが出回っていたら世の中の為にならねえですから」
「アンタ、一本筋が通っているんだな」
「なんせそれが原因で闇金に左遷されたくらいなもんで。
ところでお兄さん方は只者じゃなさそうですが、民警でございやすか?」
「民警?」
「ガストレア退治の専門家、民間警備会社のことですよ」
「ああ、あれね。そんなんじゃねえよ」
アゲハは怪しまれないように相槌を打つが、当然民警の存在は知らない。
「民警には三十前後の腕自慢ってのも多いと聞きやすからね。ここの下で商売をしている天童民間警備会社なんて、社長とプロモーターが高校生ってんだから驚きですよ」
「へぇ、高校生でもなれるのか」
「質より量なんでしょうが、コロシさえやっていなければライセンスが取れるとは聞きますよ。そのせいで、可哀想な目に合うイニシエーターも跡が絶たないようですか」
「ねえ、そのライセンスってどうやれば取れるの?」
「
影虎の情報はさほど有益ではなかったが、民警の存在はアゲハ達にとっては『そういうのもあるのか』と思い起こさせる情報だった。
言われてみればガストレアなどと言う怪物が現れ、それでも都市生活が行われているのであれば、当然都市を守る守護者は必要である。ガストレア退治と路銀の調達という一石二鳥の存在である民警は、まさに渡りに船なのだ。
プロモーターやイニシエーターがどのような役割なのかは知らぬまでも、サイキッカーである自身の能力は下手な軍隊よりもはるかに上なのは、身をもって経験済なのだ。アゲハと桜子が民警という職業に興味を持つことはさもありなん事である。
こうして、二人は光風ファイナンスを後にした。
――――
ラブホテルで一晩過ごした翌日、二人は防衛省庁舎を訪れていた。偶々宿泊したホテルにはネット設備が備え付けていたことが幸いし、庁舎の住所や民警についての基礎知識を予習できたことは大きい。
この日、二人が申し込もうとしていたのは、十日間の合宿講習である。この講習がクリアできれば晴れてライセンスが授与されると、二人は張り切っていた。
「それじゃあ、雨宮桜子さんに、夜科アゲハさんですか……共に三十八歳、犯罪歴なし。書類はコレで大丈夫ですね。合宿は府中でやってますから、合格したらまた此処に来てください」
受付の男性職員は申込書に事務的に判を押す。ここまで戸籍や住民票の確認などは一切ないが、過去の時代からの来訪者である二人にとっては、戸籍上の扱いが面倒そうである以上、都合がよかった。
男性は書類と外見で年齢が大きく離れていることに小首を傾げつつも、単なる童顔だと疑問を飲み込む。一々気にしていたら、IISOのライセンス取得窓口などやっていられないのだ。
翌日から府中にある合宿場で行われたのは、座学と実習の詰め合わせだった。最初の課題はバラニウムについて。バラニウムはその生産の多くを日本国内から賄われている黒色の磁気性金属である。ガストレア戦争以前はあまり見向きされていなかった素材だったのだが、その磁場がガストレアの生態に影響を与えることが判明し、今ではモノリスの材料として人類には欠かせない存在になっていた。
講習において重点的に叩き込まれたのは、バラニウム製武器がガストレアやその因子を持つイニシエーターに与える影響度合いである。ガストレアの倒し方から始まり、バラニウム武器が与える再生阻害効果からメジャーなバラニウム武器の目録と扱い方について、講師はアゲハ達に叩き込む。
特に拳銃や小銃の扱いについては、メジャーな装備と言うこともあり念入りに教え込まれる。アゲハと桜子は、これまでトラブルバスターとして世界中を駆け巡った経験から拳銃程度なら多少の心得を持っていたこともあり、講習は難なく突破した。
次の課題はガストレアの生態について。ガストレアにはステージⅠからⅣまでの四段階と、特例個体としてステージⅤ『ゾディアック』が存在することを講師は語る。
そして最後は様々な乗り物についての運転講習だった。流石に船舶と航空機はシミュレーター上の研修ではあったが、単車、自動車、戦車、ヘリコプター、ホバークラフト、ジャイロプレーン、クルーザー、小型ジェットと陸海空のメジャー処は網羅するラインナップだった。
講習中、疑問に思ったアゲハはなぜ多種多様な乗り物について講習を行うのか訊ねたのだが、その回答は『ライセンスに運転免許証が付随するからだ』というものであった。
こうしてアゲハと桜子は十日間の合宿講習を卒業した。思いのほか長くなったとはいえ、各種運転免許のオマケつきなら文句は言えないと思いつつ、二人は府中を出発したその足で防衛省庁舎に向かった。
ちょっとやんす言葉が怪しいですね
あとホテルといってもすけべな意図は一応ないのであしからず