「なるほど。ダークネス世界の侵食、とても信じ難いことですが、私自身が体験した現象を踏まえれば信じざるをえないでしょう」
ダークネスとの戦いから三日。丈と亮は鮫島校長の下へ事件のあらましや経緯を報告しにきていた。
吹雪と藤原はまだ保健室のベッドの上だ。別に命に別状があるわけでも、特に後遺症がどうこうということはないがあの二人の消耗が一番激しかったのである。
それに藤原には藤原で考える時間が必要だろう。
「ところで藤原の処遇はどうなるんでしょう。……確かにあいつは今回こんな事件を引き起こしました。けどそれはダークネスが藤原の心を惑わしたのが一番の原因です」
「あいつに問題がなかったとは俺も言いません。しかし師範――――いえ校長。どうか寛大なご処置を」
亮と二人、頭を下げる。鮫島校長はどうしたものかと頬を掻きながら、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「処遇もなにも……ダークネスの世界と契約してはならないなんて我が校の校則にあるわけでもなければ法律で禁止されてるわけでもありませんからね。
本人も反省しているようですし、今回は反省文50cmで大目に見ましょう。彼の才能ばかりを賛美して、その内面に目を向けなかった我々教師陣にも問題はあったでしょうし」
「!」
つまり実質的無罪放免。反省文を50cm分も書くというのはしんどいが、逆に言えばそれだけでしかない。
これで藤原もこれまで通りアカデミアで一緒にいることが出来る。最悪、ダークネス事件が終わったら藤原はそのまま学校を退学なんてことを想像していたので丈も胸をなでおろした。
「とはいえ特待生寮所属の貴方達の進退は私ではなく影丸理事長が握っているので、私の権限では藤原くんを退学にするなんて元々出来ませんよ。
私の調査によるとダークネスの異変が起きたのはこのデュエル・アカデミア内部だけのようですし、このことは……オーナーである海馬社長とペガサス会長、そして私と貴方たちだけの秘密ですよ。絶対に他に漏らしてはいけません」
「分かりました」
そもそも話したところで信じて貰えるわけもない。この十二次元宇宙の裏側に属するもう一つの十二次元宇宙、ダークネスの世界が現世の人間を取り込むために侵食してきたなどと。
誰かに言ったら現実と空想をごっちゃんにしているアホのレッテルを張られるだけだろう。
「あと校長。もう一つ……特待生寮のことなんですけど、あそこは一度ダークネスの世界と繋がって『門』が空いた場所です。一応あそこにあったゲートはダークネスを追い払ったら塞がりましたけど」
「成程。万が一、また別の生徒がダークネスの世界へ連れて行かれるか、もしくは契約をしてしまうというのは大いにあり得ることですね。宜しい。特待生寮については私が影丸理事長とどうにか掛け合ってみます。
短期的には暫く特待生寮は立ち入り禁止とします。貴方達は今後の事が決まるまでオベリスク・ブルー寮で生活をして下さい」
「はい」
寮としてのグレードは特待生寮より下がるが一般のブルー寮だってかなりリッチなところだ。特に不満はない。
しかしダークネスのせいで特待生寮が廃寮になってしまった場合、今後ずっとオベリスク・ブルー寮に住むことになるのだろうか。もしくは新たに特待生寮を建て直すのか……。
たった四人の生徒のためだけのあれだけ豪華な特待生寮を建て直すメリットとデメリットを鑑みれば恐らく前者となるだろう。
(四人だけでの王侯貴族生活ともお別れか。残念だな、折角慣れて来たのに)
慣れとは恐ろしいもので、初めは度肝を抜かれた特待生寮も今では当たり前の物として受け入れることができている。
しかしそれを当たり前として受け入れてしまうと今後は特待生寮に来る前まで当たり前だったものを当たり前と感じられなくなるのが問題だ。
人はなにかを得ることを望む心より、元からあるものを守る心の方が強いというが……その意味が実感できたような気がした。
「さて、と。ダークネスについてはもういいでしょう。実は私の用件とはダークネスのことだけではないのです。宍戸くん」
「なんでしょう?」
鮫島校長の真面目な視線が丈を射抜いた。
「実はアメリカにあるI2社、ペガサス会長直々にアカデミアに連絡がありました。I2カップ優勝者でありアカデミア特待生である君をNDLへ迎え入れたい、と」
「な……なんですって!?」
NDL――――ナショナル・デュエル・リーグ。アメリカに存在する世界最大規模にして最強クラスのデュエルプロリーグ。野球でいえばメジャーリーグのようなものだ。
毎年世界各国から多くのデュエリストが集い凌ぎを削り合う。最近奇跡の復活を遂げたバンデット・キース、ハーピィ・レディ使いの孔雀舞といったプロリーグ発足前からのデュエリストたちの多くもそこに名を連ねている。
そこに自分が入れるかもしれない、ということが信じられず丈は瞬きをしながら頬を抓る。
ピリッとした痛みが頬に奔った。夢ではない。これは紛れもない現実だ。
「けどどうして俺を。……確かに俺は同年代のデュエリストの中では実績はある方です。それは分かります。けど俺はまだ高等部一年生です。こういうのは普通学校を卒業する三年生になってからじゃ――――」
「本来ならば、そうです。ですが宍戸くん、貴方はこんな言い方は癇に障るかもしれませんが特別な立ち位置にいます。
元全日本チャンプや元全米チャンプまで出場するI2カップは全世界に報道されました。そこで若干十五歳で優勝し、そして大会後は復活したネオ・グールズをも倒してしまいました。
そして今や全世界のデュエリストが貴方が三幻神と対となる三邪神の担い手であることを知っています。I2社としてもそれほどの知名度をもってしまった貴方を学生という立場のままにしておくのは危ないと判断したのでしょう。
この決定にはアカデミアの理事長である影丸理事長の強い推薦があったともペガサス会長より聞き及んでいます」
「理事長が……?」
自分の実力を評価してくれるのは素直に嬉しい。
けれどこれからも四人一緒に学園生活を思っていた矢先に、自分がNDLにスカウトされたという現実が丈の頭を混乱させる。
「NDLがあるのは、アメリカです。幾らなんでもここからアメリカを往復することはできません。……もしこの件を引き受けたら、俺は自主退学ってことになるんでしょうか?」
「無論そのようなことはしません。アカデミアとしてもNDLにスカウトされるような生徒を簡単に手放したくはありませんからね。
スカウトを受ける場合、貴方はアメリカ・アカデミアに長期留学という扱いになります。学生としての単位もプロデュエリストとしての成績である程度は賄えるので両立はそれほど難しいことではないでしょう。それに理事長から貴方のサポートにメイドの明弩さんがつくことになっています。
学生とプロを両立しているデュエリストは他に幾人かいます。その方々を参考にするのもいいかもしれません」
「………」
「悪くない話だと思いますよ。しかし勿論決めるのは貴方です。なにも今すぐ決めろという話じゃありません。じっくりと考えて答えを出して下さい」
それで話は終わった。丈は亮に適当に別れの挨拶をすると、逃げるようにその場を立ち去った。
とにかく今は一人で考える時間が欲しかった。
四方を海で囲まれたアカデミア島から見える大海原は中々に絶景だ。
丈は一人岩盤に腰を掛けながら、適当に釣り糸を垂らす。釣りなど特別好きなわけでもやったことがあるわけでもないが、なにか考え事をするにも手持無沙汰だったので、その場に捨てられた釣竿を垂らしてみたのだ。
捨てられていた釣竿なので餌もつけていない。さながら周の文王を釣り上げた太公望の気分だ。
「丈、こんなところにいたのか」
亮がいつも通りクールな表情で丈の隣りにきた。
「それで、どうするつもりだ。あのことは」
「あぁ、うん。悩んでる」
NDLといえば全デュエリストが一度は焦がれる場所だ。ペガサス会長のスカウトを受ければ丈はI2社というデュエルモンスターズ関連で最大とすらいっていい企業をスポンサーにすることが出来る。
一人のデュエリストとしてこれほど魅力的な話はない。しかも学籍はアメリカ・アカデミアに長期留学扱いということになるので学校を辞めなくても済む。
元々デュエル・アカデミアはプロデュエリストを排出するための学校。他にも目的はあるが一番はプロデュエリストに相応しいデュエリストの養成だ。だから他の学校と違い学生とプロを両立できる土壌は備わっているのだ。
「贅沢な悩みだとは我ながら思うんだけどさ。あるんだよ……色々と。このままアカデミアに残って亮たちと一緒に学園生活を楽しんで、それからみんな一緒にプロ入りしたいっていう思いと、NDLっていう大きな山に挑んでみたいって急かす気持ちがごっちゃんになってどうすればいいのか」
「……いや、前に特別講師にきた城之内さんも言っていたことだ。プロになる、という選択は謂わば自分の人生をチップにした一世一代の大博打のようなもの。
例えお前がアカデミアに残ろうと、NDLに行くことを決めようと俺はお前の選択を
「亮、お前」
一見すると随分と友情に溢れた言葉を喋っている亮だが、幼馴染である丈は微かな唇や肩の震えを見逃しはしなかった。
頭に浮かんだある仮説。それをそのまま口に出す。
「もしかして、羨ましがってるとか?」
亮の体がいきなり地蔵のようにカチッと固まった。涼しそうな表情を表面上は浮かべているが唇は真一文字に閉じられ、瞳は大きく見開かれている。
やはり図星だったらしい。
「フッ。丈、お前の言いたいことは分かった。つまり俺にデュエルを挑んでいると、そういう解釈でいいんだな?」
「なんでそうなる! だが、ああそうだ。今の態度で俺の腹も決まったよ」
答えなんて決める必要なんてなかった。そもそも最初から答えは宍戸丈の心の中にずっとあったのだ。
そしてその答えを漸く見つける事が出来た。
「俺は、プロデュエリストになる。それが俺の夢でアカデミアに入学した理由だった。そのプロになるチャンスがこうして巡って来たんだ。美味しい話は美味しいだけじゃない。苦いことだって必ずある。だけど――――」
チャレンジするには必ず危険がある。雷に電気が帯びていると初めて証明した男は、人々に馬鹿だの命知らずだのと嘲られながらも自らの命を賭けて遂にその事実を証明したのだ。
挑戦すれば必ず成功が得られる道理はない。失敗することの方が多いくらいだ。けれど失敗を恐れず困難に飛び込む勇気が人類の歴史を積み重ねてきた。
その偉大なる先人たちと自分が同列であると憚りはしない。だが偉大なる先人に憧れる気持ちは丈の心に宿っている。
「ペガサス会長のスカウトを受けるよ。俺はプロになる」
丈の答えを聞いた幼馴染である友人は「そうか」と満足そうに笑うと、
「俺も直ぐに行く。いや俺だけじゃない。吹雪や藤原も必ずそっちへ行く。だから今は先に行ってこい」
「ああ」
自然と手を伸ばし握手をする。これは別れの挨拶であり、再会の約束であり、再戦の誓いでもある。
またいつか。今度は学生同士ではなくプロデュエリスト同士で戦う時まで。
「話は聞かせて貰ったよ二人とも。水臭いじゃないか本当に!」
「ふ、吹雪! さっきはこっそり隠れていようって言ったのに……」
「吹雪! それに藤原!」
完全にいつもの調子を取り戻した吹雪と、ダークネスの件があって少しだけ神妙にしている藤原が正反対の表情で駆け降りてきた。
「やっぱり友人の門出は祝わないといけないからね。こっそり保健室を抜け出してきたんだよ」
「…………ごめん」
藤原が申し訳なさそうに頭を下げる。どうやら藤原の方は吹雪に連れられて強引に保健室脱出の共犯者にされてしまったらしい。
だがそれにしても藤原も特に体に問題なさそうで良かった。
「吹雪、今頃保健室の先生が怒ってるかもしれんぞ」
「ノープロブレムだよ亮! 後で精一杯のスマイルで謝れば許してくれるよ」
「……まぁお前だから、そうなるだろうな」
難しそうな顔で亮が同意する。そういえば保健体育の先生で保健室の主でもある先生は吹雪のファンクラブの会員だった。
吹雪がスマイルを見せればイチコロだろう。それに保健室にいるのはあくまで念のためで体に特に異常があるわけでもない。
「それよりも、さ。丈はこれからプロになるから僕達と中々デュエルをするチャンスもなくなるだろう? その前にデュエルをしようじゃないか」
「デュエル?」
「ああ。僕と亮、藤原と丈。四人で丈の門出祝いバトルロワイアルデュエル。どう?」
「フッ。いいだろう、俺も先程のこいつの言動にカチンときたところでな。サイバー・エンド・ドラゴンの力、プロになる前に脳裏に刻ませておこうか」
「僕とオネストたちとの再出発、手伝ってくれるかい?」
「待て待て! それは実質三対一じゃないか!」
「問答無用だ! いくぞ、デュエルディスクを構えろ――――!」
「ええぃ! もう自棄だ!」
そう口では言いながらもブラックデュエルディスクを起動させた丈の口元には笑みがあった。
四人は自分が信頼する最高のデッキをデュエルディスクにセットすると同時に宣言する。
「「「「デュエル!!」」」」
そして宍戸丈がデュエル・アカデミアを去ってから二年の月日が流れる。
アメリカにあるとある空港には星条旗のデザインのバンダナを巻いた金髪の男と、眼鏡をかけた同じく金髪の女性がある人物を待っていた。
どちらの人物も非常に容姿は整っているが、男の方が猛禽類染みた野性味を感じさせるのに対し、女性の方はどことなく知性を思わせる容貌をしている。
やがて二人のもとに待ち人がやってきた。
「あっ。キース……それにレベッカまで。お見送りありがとう」
やってきた男は二人とは対照的に黒髪黒目の東洋人だった。黒い外套を羽織り、黒いアタッシュケースを手に持つ姿は見事なまでに黒一色だ。
現在は意図的に人払いされているため周囲に他の人影はないが、もしもそれがなければちょっとした騒ぎになっていただろう。
なんといっても三人が三人ともアメリカではかなりの有名人だ。一人は奇跡の復活を遂げて再び全米オープンを制した現全米チャンプで、一人は史上最年少の全米チャンプで、一人は日本人初の全米チャンプだ。
三人が目立つ外見をしていることもあり、どうしても人目につき易い。
「ふん。俺も今日ここで試合があるからな。ついでだよついで」
「まったく素直じゃないんだからキースは。同じチームメイトじゃないの」
「五月蠅ぇよ餓鬼。武藤遊戯にフラれた後はこいつに乗り換えるつもりか?」
「……へぇ。面白いこと言うじゃない。言っとくけど私まだアンタがブルーアイズのことで私を騙したの完全に許したわけじゃないんだからね」
「あァ?」
「おいおい。いきなり空港で一触即発の状態に進展しないでくれると嬉しいんだけど……。ほら俺も今日はフライトの時間もあるし」
「チッ。仕方ねえ。今日はこのへんにしておいてやるよ。――――つぅか丈、なんで今更アカデミアに戻るんだ? 今のテメエは全米チャンプにしてNDLのトッププロなんだぜ」
「全米チャンプは去年の話だ。今年はお前に負けたじゃないか」
「去年は俺に勝った癖によく言うぜ」
「けど本当にいいの? プロデュエリストとしての活動を一旦停止してまでアカデミアに戻るなんて」
レベッカの問いかけに、青年は薄く笑いながら頷く。
「元々ハイスクール最後の数か月はアカデミア本校で過ごす予定だったからな。……ただ少し予定を早めることになったけど」
青年は懐からある人物からの便りを取り出す。宛名はアカデミア本校の校長である鮫島となっている。
そこに記されているのはセブンスターズと呼ばれる集団がアカデミアに封印された三幻神に匹敵するだけの力をもったカード、三幻魔の封印をとくために七星門の鍵を狙っているという内容が記載されていた。
青年が担う三枚の特別なカードが『三幻魔』という超常のカードの存在を感じてか強く反応していた。
「それじゃ行ってくる」
そして青年、宍戸丈はキースとレベッカに別れを告げるとI2社の用意してくれた飛行機に乗り込む。
彼が離れて二年の月日が経過したデュエル・アカデミア。そこで何が起こっているか、どんな事件が待っているか丈はまだ知らない。
取り敢えずはI2カップ終了の時と同じように一区切りです。明日、この作品の詳しい設定資料を公開しようと思います。
ともあれ次章では原作主人公の十代も出せそうです。