銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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Rose Color

 イゼルローン要塞から退避し、フェザーンから侵攻する帝国軍に抗戦する。おそらく、同盟軍宇宙艦隊主力との合流は間に合わないであろうが、ならばヤン艦隊だけでも。同盟の星の海と、点在する軍事基地を利用し、帝国軍を分散させ遊撃を行う。

 

 このヤンの構想を聞いて、シェーンコップは形のよい眉と口の端の片方を上げたものだった。灰褐色の髪を、実に決まった動作でかきあげながら、司令官に皮肉を漏らした。

 

「おや、以前小官が申し上げたときには、そんな仮定は無意味とおっしゃったはずですが、

 それをおやりになるということですか」

 

 言われたほうは、黒い瞳をぱちくりさせた。全く心当たりがないという様子だった。

 

「いや、すまないが何のことだろう」

 

「昨年の四月に小官が申し上げたでしょう。

 あの金髪の坊やと一対一で戦えば、多分閣下が勝つと見ているとね。

 そう小官が言ったときには、あんなつれない台詞を言ったくせに、

 今になって戦術で戦略をひっくり返す気になりましたか」

 

「え、ああ、私はそんな事を言ったのか。それにしても貴官も記憶力がいいものだ」

 

 決まり悪げに黒髪をかき混ぜる三歳下の上官は、相変わらず年齢より若く見えた。最初に彼の下に配属された時から二年あまり。その間に、イゼルローンの無血攻略に始まり、ガイエスブルク要塞の来襲まで、転戦を重ねてなおも不敗である。その苦労は、シェーンコップには推し量りがたいものだったが、一向に容姿に反映されていない。

 

 帝国の双璧の一人、オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将を相手に、この二ヶ月というもの善戦を続けている。あちらは三個艦隊、こちらは一個艦隊。イゼルローン要塞があるとはいえ、ヤン・ウェンリーはたったの一人である。

 

 艦隊運用の名人のフィッシャー、若いながらも才覚あるアッテンボローの両少将といえども、宇宙屈指の名将の相手は荷が重い。おまけに、あちらはイゼルローン要塞のハード上の限界を知り抜いている。同盟軍の六回の攻略で蓄積された、艦隊運動まで取り入れられていて全く付け入る隙がない。むろん、ヤンの方もこれらの情報の分析を怠ってはいない。戦況は完全に膠着した。

 

 情人らに言われるまでもなく、強襲揚陸艦であちらの旗艦に乗り込んだ時に、あの金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の首を刈ってくるべきであった。シェーンコップは(ほぞ)を噛んだ。今にして思えば、あれは唯一の好機ではなかっただろうか。

 

「いや、そんな高尚なもんじゃない。身も蓋もないことを言うが、最後に勝つのは数の暴力だ」

 

「底もない発言ですな」

 

「もう他に表現のしようもないからね。こちらは一個、あちらは一ダース。

 固まってぶつかったところで、絶対に勝てやしないさ」

 

「相変わらず、正直でいらっしゃいますな。

 こういう時は、もう少しぐらい言葉を飾られた方がよろしい。

 閣下にそんな話を聞かされたら、皆絶望しますよ。

 あなたを生贄にして、帝国軍に助命を嘆願する輩が出てきたらどうします?

 小官がそうしないと信用しておいでですか」

 

 偽悪的な言葉を口にする灰褐色の瞳を、頭半分下から見上げる黒瞳。丸くなっていたそれが、ふっと細められた。

 

「心配してくれてありがとう、シェーンコップ少将。

 貴官に言われるまで、そんなことは考えもしなかったよ」

 

 美丈夫は灰褐色の髪を後頭部に向けてかきあげた。随分と念入りに。そんなことをしなくても、彼の髪型にはいつも隙はないのだが。ややあって、シェーンコップは敗北宣言をした。

 

「まったく、あなたには勝てませんよ。『不敗のヤン』というのも本当だ」

 

「負けずに済んでいるだけだがね。まあ、これは戦略でも戦術でもない。

 要は、誇り高き帝国軍の将帥たちを鬼ごっこに誘っているようなものだ。

 ばらばらになったところで、一対一の喧嘩に移行するわけなんだがね。

 だが、一対一ならば、勝算はあると私は見ている。

 結果としては、貴官の言うとおりになってしまうのかな」

 

 不本意そうに首を捻るヤンだった。

 

「閣下は、あちらが乗ってくると思いますか」

 

「乗ってもらうようにするしかないね。まあ、彼らは私達とは違う。

 我々は国民の生命や財産、権利を守るための軍隊だ。

 あちらの軍は、皇帝陛下のためにある。

 カザリン・ケートヘン一世という、可哀想な赤ん坊ではなく、

 近い将来の皇帝(カイザー)ラインハルトのための軍だよ」

 

 静かな口調だった。

 

「戦略的に見れば、たったの一個艦隊なんて放置していい。

 だが、彼らは皇帝陛下のためには、玉砕を厭わないメンタリティーの持ち主だよ。

 第七次攻略戦のイゼルローン駐留艦隊司令官のように。

 まして、あの華麗極まりない天才は、限りなくロマンティシズムと忠誠心をかきたてる。

 なによりも、将帥らが単独で武勲を立てるチャンスだ。そう思わせるんだ」

 

 フェザーン回廊から侵攻する帝国軍本体と、同盟軍主力艦隊が激突しても、同盟軍に待っているのは敗北だ。ヤンの概算では戦力差は四倍。いかにビュコック提督が老練な名将であっても、この数の暴力の前にはどうしようもない。

 

 恐らく早々に決着がつく。そして、武勲を充分に立てていない将帥が、勝利を求めるだろう。あのガイエスブルク要塞の襲来と同様に。

 

 その時に、ヤン・ウェンリーの名は魅力的に響くだろう。同盟軍史上最高の智将。アスターテとアムリッツァの会戦で、ローエングラム公に完勝を許さなかった『不敗のヤン』。イゼルローンを味方の無血で攻略し、ガイエスブルク要塞を完膚なきまでに破壊した『奇蹟の魔術師』。

 

 彼を補殺すべく、襲いかかってくる幾つもの艦隊に、勝ち続けることが要求される。そして、痺れを切らせた金髪の坊やの出馬を促す。険しい、険しすぎる道程だった。

 

「閣下、そこまで政府に忠誠を尽くすおつもりですか」

 

「公僕っていうのはそういうものじゃないか」

 

 灰褐色の眼差しが険しくなった。こちらの方は、副司令官のようには納得してくれないようだ。

 

「民主共和制の美点を一つ挙げるなら、私は思想の自由だと思う。

 そういえば、三つの赤(ドライロット)だったかな。薔薇の騎士(ローゼンリッター)のエンブレムは真紅だね。

 人生は薔薇色って言ったりするが、貴官にとっての薔薇も真紅かい?」

 

 面喰った表情の美丈夫に、ヤンは薔薇の色を挙げ始めた。

 

「私にとっての薔薇色は、青みがかった濃いピンクかな。

 真紅という人も、薄桃色だという人もいるだろう。

 人によっては、白や黄色、紫色と言うかもしれないね。

 だが、薔薇の色という点では皆が正しいだろう。

 様々な薔薇色の中で、一番支持を集めたものが代表になる。

 白や黄色でも、理があれば薔薇色として認められるだろう」

 

「白や黄色も薔薇の色、ですか。確かに花屋には売っておりますが、

 白はともかく黄色は、女性へのプレゼントにはお勧めできませんね」

 

「そりゃまたどうして?」

 

「黄色い薔薇の花言葉は、嫉妬に薄れた愛。

 小ぶりのものは特によろしくありません」

 

 黒い頭が傾げられ、飛びまわる疑問符が見えてきそうな表情になる。

 

「笑顔で別れましょうという意味ですよ。

 閣下もプレゼントにする際には、注意をなさることですな」

 

 流石の色事師の発言に、ヤンは髪をかきまわした。無論、帝国内の細やかな情報は彼らの知るところではない。双璧の片割れのロマンスについても同様だ。もしも、彼の夫人の度量を知っていたら、シェーンコップの口調は一般論を述べるものよりも、さらに辛口だったことだろう。

 

「いや、貴官がもてる理由がよくわかったよ。

 花言葉はおいておくが、たとえば、黄色の薔薇を選んでしまって、

 よろしくなければ次の機会には選ばない。それが選挙のシステムさ。

 権力に期限を設けて、駄目ならそこで終わりというね。

 専制政治よりも権力のスパンがずっと短い。

 だから長期的事業には向かないんだが、反面いつでもノーと言える。

 だが、専制君主にナインと言ったら大逆罪になってしまう」

 

 ヤンは吐息をついた。

 

「そこが、恐ろしいんだよ。間違っていても、君主自身にしか正すことができないのがね。

 ルドルフにそれは違うと言った者は、一族郎党が処刑台に送られた。

 大逆罪の拡大適用、それが40億人を殺したんだ。

 どうしてそんなことになってしまったのかと、子どもだった私は疑問に思った。

 父に聞いてみたら、人民が楽をしたがったからだと答えてくれた」

 

「楽をしたがった、ですか」

 

「そう。面倒なことを引き受けてくれる超人にね。父の答えが正解かどうかはわからない。

 でも、政治を他人任せにした罰が、圧政や刑死ではわりに合わないと思ったよ」

 

「まったく同感ですな」

 

「だが、当時は三千億人、現在だって四百億人だ。一人分は軽くても、その四百億倍だよ。

 人ひとりの精神の背骨をへし折り、あらぬかたへよろめかせるには充分な重さではないかな」

 

 薔薇の騎士連隊の連隊長として、二千人の隊員らを指揮した。ガイエスブルクの来襲の際には、要塞防御指揮官として、その二十倍の人数を動かすことになった。自分の判断に、部下と民間人三百万人の命がかかっている重み。

 

 司令官代理たるキャゼルヌ、正副参謀長のムライとパトリチェフ、分艦隊を預かるフィッシャーとアッテンボロー、戦死したグエン。そして客員提督のメルカッツ。空戦隊の面々と、魔術師の弟子の少年。彼らがいて、彼らにとっては自分がいたからこそ、ヤンの不在を乗り切れたのだ。

 

 あの緊張の一万倍の重圧か。確かに一人の人間に支えきれるものではない。それに、そいつの好みの色だけが薔薇と認められるのは楽しくない。薔薇の色も、真紅と純白では意味する花言葉は違う。

 

「確かにね」

 

「歴史にもしもはないのと同様、未来を恐れても仕方がないけどね。

 私が目的を果たしたら、それは起こらない。

 私が負けたら、先の事は私にとっては関係がなくなる」

 

「だから、そういうことをおっしゃるものではありません。

 こういう時は、言葉を飾りなさい。私は勝つぐらい言うものですよ」

 

 自分に対してもあまりに客観的な上官に、シェーンコップは発破をかけた。

 

「だが、貴官は私の欺瞞(ぎまん)なんぞ見抜くじゃないか」

 

 こともなげに返された言葉に、シェーンコップは心中で白旗を掲げた。この人には完敗だ。それを知ってか知らずか、魔術師は黒い髪をかき回した。

 

「じゃあこう言うことにしておこうか。

 私は勝てない戦いはしないし、勝つための算段はする。

 計算違いはつきものだがね。このぐらいで勘弁してもらえないか」

 

「三つ目は余分ですな。他人に聞かせるなら削除をなさい。だがまあ、よしとしましょう」

 

「そいつはどうも。

 ところでシェーンコップ、先ほどの言い方だと白い薔薇は女性に贈ってもいいのかな」

 

「まずくはありませんが、使い方が難しいですな。愛の告白なら赤が基本でかつ無難です。

 情熱とあなたを愛しているという意味ですし、真紅の薔薇の花束を貰って、

 嬉しく思わない女性はまずおりませんからな」

 

「へえ、まあ参考にさせてもらおうか」

 

 こう言った上官に、シャーンコップは片眉を上げた。ほう、それはそれは。先ほどとは違う角度で口の端を持ちあげると、朴念仁の鈍感にもう一つアドバイスした。

 

「ちなみに白薔薇の花言葉は尊敬と清純。そして、私はあなたにふさわしい。

 ですから花嫁のブーケに使うのです」

 

「本当に君は博識だね」

 

「このぐらいは男としての嗜みですよ」

 

 こともなげに言う美丈夫に、ヤンは両手を上げて降参の意を示した。頭半分は上にある灰褐色に、再び視線を向けて質問する。

 

「では、君にとっての薔薇の色は何色かな」

 

「贈る相手によって違うと申しておきますよ」

 

「なるほど、そういう意見もあるか」

 

「喜ばれるものでなくては意味がない。そして趣味の押し付けは喧嘩の元です」

 

 頷く上官に、シェーンコップはそう続けた。美女には赤で愛の告白を。友人の妻にはピンクで貞淑に賞賛を。そして不世出の名将には白で尊敬を。

 

 とりどりの色から選べるのが、民主共和制だというのなら、たしかにその点は勝っている。すべてのシチュエーションを黄色だけで乗りきれ、と言われると非常に困るではないか。それが皇帝陛下のお好みだから、という世界ではきっと生きてはいけないだろう。

 

「なるほどね。ローエングラム公に貴官からも言ってやってほしいな」

 

「機会があればそうすることにしましょう」

 

「そのために、まずは要塞防御部の人員を上手に艦艇に移乗させなくてはならない。

 リストはできているから、部門ごとにタイムテーブルを作って行動を開始してくれ」

 

「了解しました」

 

 平凡な青年から、名将に変貌した司令官に、シェーンコップは心から敬礼をした。そして、自分の役割を果たすために行動を開始する。己が薔薇の色を心に抱いて。




ミッターマイヤー氏と彼のファンには誠に申し訳ない。

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