「あ、見てみて一夏君! これなんて良いと思わない!?」
「はあ、そうですねぇ」
「む、なぁに一夏君その顔は。おねーさんとのデートはそんなにイヤ?」
「いや、そんなわけはないんですけど」
そんな訳はないんだけど、と一夏はもう一度胸の内で反芻する。はぁ、と目の前で嬉々として商品を物色している少女には気付かれないように溜息を吐いた。
おかしい、彼の考えていたものと現実はかなりかけ離れたものになってしまっていた。思えば最初から微妙に噛み合っていなかったような感は否めなかったのだが。天井から吊るされた照明を見上げて、一夏は自嘲気味に呟いた。
「……ほんと、どうしてこうなった」
◆
事の起こりはタッグマッチトーナメントが終了して一週間程たった日のこと。七月に入りそろそろ梅雨も明ける頃だろうに、それを裏切るかのようにしとしとと雨の降る日曜日のことだった。基本的に休日はISと更識流の鍛錬をしている一夏は、今日も今日とてそのつもりで寮の廊下を歩いていた。クラスメイトであるセシリアやシャルロット、ラウラなんかとは専らアリーナを借りてISでの鍛錬を行っているが、今日は道場で姫無や簪と更識流の稽古をつけることになっている。
IS学園に入学してからは再び顔を合わせる機会が増えたことは素直に嬉しいことである。何せ姫無は初恋の相手、一度振られているとは言えその程度で諦めるようなら初めから好きになってなどいない。幸いにして簪は応援してくれているし、今日の稽古も簪が姫無を誘って行われることになったのだ。
色恋と鍛錬とを混同させたりなど間違ってもしないが、それでも時折視線が姫無へと向いてしまっているのは一夏自身も気が付いている。無意識に彼女の一挙手一投足を目で追ってしまうのだ。こればかりは残念なことに一夏にはどうすることもできなかった。
道着を既に着た状態で、二人が待っているだろう道場の扉を開く。
「おはよう一夏君」
「おはよう、一夏……」
「おはよう姫無さん、簪」
やはり二人は既に準備を終えて、道場の端で姿勢を正して座っていた。一夏もそれに倣うように簪の隣に正座し、静かに黙想に入る。一分ほど黙想した所で、横から衣擦れの音が聞こえて瞼を持ち上げる。見れば姫無が立ち上がって道場の中央へと歩いていくところだった。その姫無は一度振り返って一夏を見ると。
「さ、始めましょう。先ずは私と一夏君よ」
「はい」
言われ、一夏もその腰を上げて中央へと進む。簪は未だ背筋を伸ばして黙想していた。
ピンとした空気が張り詰める。一夏が両手を構えたことで、姫無も構えを取る。同じ構え、同じ柔術を学んでいるのだから当然と言えば当然だ。互いに視線は外さないまま、摺足を使って距離とタイミングを図りながら動く。
「――――っはぁ!」
右足で思い切り踏み込んで、一夏は姫無の腹部目掛けて膝を蹴り込んだ。常人であれば直撃は免れないタイミング、しかし姫無は動じない。タンッと床を蹴って後ろへと身体を運ぶ。一夏の脚力やリーチを把握してるが故に、その範囲までも熟知していた。よって、一夏の膝は姫無の道着にぎりぎり当たらない。膝蹴りで一瞬だけ無防備になる一夏の上体、それを姫無は見逃さなかった。重力など感じさせない着地をしたかと思えば、瞬時に一夏の懐にまで入り込み、
「うおっ!?」
一般的な高校生男子よりもかなりガタイの良い一夏の身体が、綺麗に一回転した。
その後も相手を変えて組手を続け、気がつけば昼を回ろうかという時。水分補給をしていた一夏に、タオルで汗を拭う姫無が思い出したように言ったのだ。
「あ、そうだ一夏君。今週の日曜日って空いてるかしら」
「今週ですか? 多分空いてると思いますけど」
いきなり何を、と思いながらも、一夏は姫無の質問にそう返した。その答えを聞いた姫無は満足そうに一つ頷いて。
「じゃあ一夏君。私とデートしましょ」
平然と、そんな爆弾を一夏に放り投げたのだった。
顔を真っ赤にする一夏の正面、姫無の後ろで簪が無言でサムズアップしているのを、動揺していた一夏は見逃していた。
◆
「……分かってた、分かってたよ。期待した俺が阿呆なだけだって、でもこんなのってあるか……?」
時間軸は現在に戻り、ショッピングモールのベンチで一夏はぐったりと項垂れていた。
あの日姫無にデートの誘いを受けてから今日まで、一夏のテンションは常に高かった。同じクラスの箒にジト目で『どうした、なんだか気持ち悪いぞ』と言われるくらいに。だがそこは分かってほしい。好きな女の子からデートに誘われる、これほど男にとって嬉しいことはない。今まで幾度となくデートの誘いをしてきた一夏だが、姫無のほうから誘ってきてくれたのは今回が始めてだった。それはつまり、少なからず自身に興味を持ってくれているということなのではないか。そう思って妙なテンションになった一夏を誰が責められようか。
そして当日。自身が出来る最大のオシャレをして、待ち合わせの場所へと集合予定時刻の三時間前にはやって来ていた一夏。その服装はグレーの七分シャツに薄手のベスト、黒のスキニーパンツ。一応有名人であることを考慮して変装用に伊達眼鏡と中折帽子を装着している。正直この格好と元の容姿の所為で下手なモデルよりも目立っているような気がしなくもないのだが、一夏は周囲の視線など全く気にならなかった。恋する男子も盲目なようである。
集合予定の三十分前程になったところで、一夏を見つけた姫無が小走りでやって来た。青いカットソーにホットパンツ。すらりと伸びた脚元は夏を先取りしたヒールの低いベージュのサンダル。そんな姿を目の当たりにして、思わず一夏は鼻を抑えた。普段の制服姿だと脚は黒のタイツで覆われてしまっているし、稽古の時はズボンなので早々姫無のこんな姿をお目にかかることなど出来ない。これは脚フェチになっても仕方ないんじゃないだろうかと、なんとなく一夏は悟った。
「早いわね一夏君、三十分前には来たつもりだったんだけど」
「いえ、女性を待たせるわけにはいきませんから」
昂ぶってしまって三時間前に来ていたなどとは間違っても口にはしない。
「ふふ、そういうところ女の子にはポイント高いわよ」
そう言って笑う姫無に、一夏の頬も自然と赤くなる。
が、一夏の男子高校生らしいどきどきとした青春の一ページもここまで。
「じゃ行きましょうか。――――兄さんの水着を買いに」
「…………え?」
一夏の中で、何かが崩れる音がした。
一夏がデートだと思っていたのは、蓋を開けてみれば姫無の兄である楯無の水着を一緒に選んで欲しいというものだった。いやいやそれデートじゃないんじゃないかと思った一夏は思わず質問してしまったのだが、それに対して姫無は男女が一緒に買い物するのは立派なデートだと言い切った。最早一夏は何も言えない。
七月の二週目に予定されている校外特別実習期間、いわゆる臨海学校で使うであろう水着を姫無がプレゼントしようと考えていたのだ。男性物の水着は女子の姫無は詳しくないために同じ男である一夏を誘って、ついでに一夏の水着も買ってしまおう。そういう話なのであった。
言ってしまえば一夏の早合点。姫無に非があるわけでもなし、一夏はただ嬉しそうに水着を選ぶ彼女の後ろを付いて歩くことしか出来なかった。今もとある若者向けの水着売り場で男物の水着を物色している姫無から一旦離れ、こうしてベンチで精神力の回復に務めているのである。一夏の横には幾つかの紙袋、全て姫無が楯無へと買った水着である。一般的なトランクスタイプのものからかなり際どいブーメランまで、因みに一夏はブーメランを手にとった姫無に全力で首を横に振ったのだが、いつの間にか会計は済んでいた。
「あ、こんな所にいた」
と、休息を取っていた一夏の元に姫無がやって来た。その両手に二着の水着を持って。
「それも楯無さんに買っていくんですか?」
何枚買うつもりなのか見当も付かなくなってきた一夏は苦笑気味にそう尋ねる。
だが、姫無から返ってきたのは彼の予想とは違ったものだった。
「何言ってるの。これは一夏君の水着よ?」
「え?」
「兄さんの水着はもう買えたから。ほら早く、一夏君の好みだってあるでしょ。それとも私だけで選んじゃってもいいのかしら?」
微笑む姫無に釣られて、自然と一夏の頬も緩む。全く、昔からこの人はこうだと一夏は思う。自由奔放マイペースを地で行くくせに、他人にもきちんと気を配っている。
そういうところにも、惹かれるのだ。
しかしそんなことを思っているとは決して表には出さず、一夏はベンチから立ち上がる。
「ブーメランは勘弁してくださいね」
「え、ダメなの?」
「寧ろ何で良いと思ったんですか」
◆
一夏と姫無が巨大ショッピングモールで買い物を楽しんでいるだろう頃、俺は真耶と二人で臨海学校で使用する旅館や海域の現地視察へとやって来ていた。視察と言ってもそんな堅苦しいものでなく、軽い旅行気分で行えるようなものだ。三日間お世話になる予定の旅館『花月荘』は俺がIS学園に在学していた頃から利用させてもらっている場所で、女将とも今ではすっかり顔なじみである。なんでも最近女将が娘に変わったらしい。娘とは言っても俺より幾らか年上だが。
「何だか懐かしいですね」
「つっても真耶と一緒にこの場所に来るのは始めてだけどな」
最寄りの駅で降りて、海岸線沿いに旅館に向かって歩く。夏の兆しを見せる太陽の光が海面に反射して美しい。都心から二時間程の場所にこんな場所があるなんて、今更ながらに信じられない。
幸いにして花月荘は駅からそう遠くない場所にあるので、俺も真耶もそれほど疲れることなく旅館に到着することができた。今日俺たちが此処に来ることは事前に連絡してあるのでお邪魔しても大丈夫だろう。正面玄関を通ると、直ぐに奥からパタパタと足音が聞こえてきた。
「ようこそいらっしゃいました。更識くん、いえ更識先生とお呼びしたほうがいいのかしら」
「お久しぶりです梗子さん。一応仕事ですけど、そのままで結構ですよ」
「あらそうですか? あら、山田さん先生になってらしたの?」
「はい、今年から副担任を任されました」
清洲梗子。俺が学園時代の花月荘の女将だった人だ。娘の年齢を思えばどう考えても五十を超えている筈だが、その見た目は娘と変わらないと言っても差し支えない程若々しい。いや、娘も娘で異常に若く見えるんだけれども。なんだこのアンチエイジング家族。
「例年通り、今年もよろしくお願いします」
「いえいえこちらこそ。あ、今景子を呼んできますね」
そう言って、梗子さんは奥へと入っていく。少しして、その後ろに一人の女性を連れて戻ってきた。
「更識さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです景子さん」
花月荘の現女将、清洲景子。梗子さんの娘でこの花月荘を切り盛りしている若女将だ。決して派手ではない着物が彼女の雰囲気と良く合っている。
「今年は男子が二人いまして、ご迷惑をお掛けするかとは思いますが」
「それ、更識くんが学生だった頃にも言われてましたよ」
「茶化さんでくださいよ梗子さん」
ほほほ、と上品に笑う梗子さん。いや確かに、俺と織村の二人の所為で当時の臨海学校は大変だったんだけれども、それをここで掘り起こさなくてもいいんじゃないだろうか。過去を掘り返されるのは思ったよりも恥ずかしい、特にあの頃はまだ俺も若かったから。
「それで、この後はそうするおつもりなの?」
「試験運用する場所の確認をして帰ります。まだ学園に仕事を残してきているので」
「あら残念。うちでゆっくりしてもらおうと思っていたんですけれど」
「臨海学校の時は、くつろがせていただきます」
頬に手を当てて残念そうに言う梗子さんにそう言って、真耶と旅館をあとにする。この後は海外線に沿って歩き、IS武装の試験運用する場所の安全性を確認すれば学園に帰るだけだ。
帰りに何か千冬に手土産でも買っていってやるかな、自分一人だけ行けなかったことを拗ねていたし。
◆
「……ねぇ、アレ何?」
「一夏だな」
「一夏だね」
陰鬱な少女の問いかけに、その脇に並んでいた二人があっさりとそう答えた。真ん中に立つ小柄な少女はその苛立ちからか、ツインテールがうねうねと蛇のように蠢いているように見える。
「へ、へー……。何だ私の見間違いじゃなかったのかー。これはうっかりだわー」
棒読みの少女、鳳鈴音。想い人である少年が他の女と二人きりで買い物している現場にばったりと出会してしまってはこの反応も仕方ないのかもしれない。だが隣に立つ二人、箒とシャルロットはそんな鈴とは対照的に生暖かい視線を一夏へと向けている。彼に恋慕を抱いていないのだから当然と言えば当然なのかもしれないが。
「それにしても一夏もちゃんと男だったということか」
「どういうこと?」
腕を組んでうんうんと頷く箒に、シャルロットが尋ねる。
「昔のアイツは超が付く鈍感でな。女性を好きになるなんて有り得なかったんだ。どころかホモなんじゃないかとの噂まであったほどだ」
「そうなの?」
「楯無さんと出会ってからだな。一夏がそういった事にも明るくなったのは。まぁ姫無さんに惚れたからなんだろうが」
和気あいあいと一夏を話題に盛り上がる二人を尻目に、鈴は一夏たちをジッと見つめる。分かっていた。自身が転校する少し前から、一夏の様子が変わったことくらい。それが姫無を理由にしたものだとは思っていなかったが、纏う雰囲気が柔らかくなったと感じていたのだ。それから少しして中国に帰ってしまったためにその後の一夏の様子は分からなかったが、今の彼を見る限り鈴の入り込めるような余地は見当たらなかった。
「……はぁ」
中国へ帰る直前にした約束は曲解されるし、一夏が惚れているらしい相手は自分に無いものを全て持っているように見える、胸部も含めて。もう一度言う、胸部も含めて。
言いようのない敗北感が彼女を襲う。
「鈴」
「いいの、箒。分かってるから」
何かを言おうとした箒に先んじて鈴はその言葉を止めた。他人から言われると余計にみじめに感じてしまうから。一度俯いて、大きく息を吐き出す。ここで諦めてしまえるのならいっそ、どれだけ良かっただろうか。いや、そうじゃないかと鈴は頭を振る。ここで諦めてしまえるような感情は、きっと好意ではあっても恋慕ではない。
だからこそ、鈴は目の前の光景を見せつけられても諦めることはなかった。逆境上等、追い詰められれば追い詰められるほど燃えてくるのが鳳鈴音という少女なのだ。決してドMなわけではない。
「よし! 箒、シャルロット。早く水着買いに行きましょ。一夏に見せつけてやるんだから」
「あの二人のことを追わないのか?」
「そんな無粋なことしないわよ。今は一夏の好きにさせてあげる。ほっといたって最後は収まるところに収まるもんよ」
それが強がりであることくらい箒たちにはお見通しだったが、敢えてそこを突く必要性も感じない。二人は快く頷いて、一夏たちが居たのとは別の店舗へと入っていった。
◆
目的であった水着も無事に購入し、一夏と姫無はレゾナンス内にあるレストランで昼食を摂っていた。日曜日の昼時ということもあって客足も多く、店内に設置されたテーブルは満席だ。一夏と姫無は混雑する時間を避けて少し早めに訪れたつもりだったが、それでもぎりぎりだったらしい。一先ず席に着けたことに安堵しながら、一夏は目先にあったメニューを取った。
「姫無さん、何にします?」
「一夏君は?」
「俺はカツ丼とかでいいですかね」
「もう、デートなんだからもう少しおしゃれなの頼まないの?」
「姫無さんが言うとデートって言葉も薄っぺらく聞こえますね」
普段は言われっぱなしのせめてもの意趣返しとばかりに一夏が言った。が、姫無はまったく堪えていないらしく。
「ん? なら一夏君の耳元で艶っぽく言ってあげましょうか?」
ずいっと身を乗り出して、姫無の顔が一夏の鼻先数センチのところまで迫る。身を乗り出しているせいで姫無の胸元がかなり危険な所まで見えそうになってしまっているが、一夏は鋼の心で見ないよう視線を逸した。この人はほんとにもう、と思わずにはいられない。こうして思春期の男子の心を弄んで楽しむとはまったくいい趣味をしている。無意識のうちに一夏は溜息を吐いた。
「む、女性の前で溜息なんてダメよ?」
それをばっちりと目撃していた姫無から声が飛ぶ。
普段であればその言葉でバツが悪そうにする一夏だったが、今日は色々とありすぎて容量がいっぱいいっぱいだった。故に、若干ながらの反論を試みる。
「姫無さん」
「なぁに?」
「俺、前姫無さんに告白して振られましたよね」
「そうね」
「なのにデートとか言うんですか?」
「言ったじゃない。男女二人で買い物するのはデートよ」
何を言うのとでも言いたげに首を傾げる姫無に、そういうことじゃないんですがとつっこみたい気持ちでいっぱいだった。逆に考えれば、振った相手をデートに誘ってくれるということはまだチャンスがあるということなのだろうか。だが中々自分の気持ちを表に出さない姫無が一体何を考えているのかさっぱり一夏には分からなかった。
「……何か勘違いしてるみたいだけど、」
と、悶々としたまま水を流し込む一夏の耳に姫無の声が滑り込む。
「――――一夏君のことはきちんと好きよ?」
思わず水を明後日の方向に吹き出した一夏を、きっと誰も責められない。
◆
1 名前:名無し:20??/7/3(日)11:43/ID:Kgf8n1v5p
【速報】
レゾナンスにIS学園の生徒多数確認。中には三人目の男子とロシア代表もいる模様。
2 名前:名無し:20??/7/3(日)11:44/ID:jH2bdr09A
>>1
俺もさっき見た。変装してるっぽいけどあれロシア代表の更識姫無だよな、横にいたのって織斑一夏じゃね?
3 名前:名無し:20??/7/3(日)11:44/ID:nDk3jpm4Y
ひめちゃんファンの俺にとって死刑宣告にも等しい報告だ
4 名前:名無し:20??/7/3(日)11:45/ID:TdNskbn5g
つうかなんでレゾナンスにそんな学園の生徒いるんだ?
なんかイベントあったっけ?
5 名前:名無し:20??/7/3(日)11:46/ID:8hwIc4qFB
>>4
臨海学校が七月にあるからその準備じゃね
6 名前:名無し:20??/7/3(日)11:46/ID:gf63Dp0zb
つかIS学園の男子って羨ましすぎだろwwww
7 名前:名無し:20??/7/3(日)11:48/ID:TdNskbn5g
IS学園の男は人生勝ち組だな
「……レゾナンス? あぁ、今日はその日だったのか」
明かりも点けず、カーテンも締め切ったままの部屋でパソコンの画面を見つめる少年は、ぼんやりとそんなことを口にした。傍から見れば完全に引きこもりだが、残念ながら本人には全くその自覚はなかった。
翌週末に臨海学校を控えていることは知っているが、一夏たちが買い物に行く日までは把握していなかった。
鞘無にとっての臨海学校は正直なところあまり乗り気にはなれないイベントだった。美少女達の水着姿が見られるという点では非常に眼福ではあるのだがそれは三日あるうちの一日だけ。残りの二日は武装のテストをしたり飛行確認をしたりと訓練所のようなメニューをこなさなくてはならないのだ。加えて二日目には銀の福音が暴走してやってくることだろう。万が一にも自身が撃墜されるとは思わないが、そういった面倒事は避けたい所だ。そういうのは一夏にでも任せておけばいいのだ。レベルアップフラグをへし折るようなことはしなくてもいい。
某掲示板のページをスクロールしながらその画面をぼんやりと見つめていた鞘無だが、ふいにそのスクロールが止まった。
8 名前:名無し:20??/7/3(日)11:49/ID:jH2bdr09A
そういや先月のトーナメントおまいら見た?
ブリュンヒルデの弟はともかくもう一人のほうどう思うよ
9 名前:名無し:20??/7/3(日)11:49/ID:pd19Cn4Ws
>>8
あれはないな
10 名前:名無し:20??/7/3(日)11:50/ID:Kgf8n1v5p
会話全部オープンでしゃべってるとかアホすぎww
11 名前:名無し:20??/7/3(日)11:50/ID:TdNskbn5g
肩の装甲壊してたけどなんなのあれ?
毎回あんなことしてたら開発のほうからキレられたりしないの
12 名前:名無し:20??/7/3(日)11:51/ID:nDk3jpm4Y
ひめちゃんに楯突いた人間は死ぬ(物理)
13 名前:名無し:20??/7/3(日)11:51/ID:jH2bdr09A
>>12
お前更識姫無のこと好きすぎだろww
「くそが、好き放題言いやがって」
これだからISのことをちっとも理解していない低脳どもは嫌なんだ。あの戦い、事実上の決勝戦と言っても過言ではない激戦をさも分かっているかのように言うこういう奴らは。あの戦いは本当に接戦だった。それこそ、ふとした条件の変化で勝敗が左右されてしまう程に。自身の電磁干渉がもう少しだけ持続していれば勝てていたと鞘無は確信している。アクア・ナノマシンに干渉していると気付いたのは流石生徒会長と言ったところだろう。バレるとは思っていなかった為にその瞬間は驚愕したものだ。が、分かっていたとしても為すすべはない。ガトリングガンが出てきたのは想定外だったが、きっとあれは彼女の奥の手だったのだろう。滅多なことでは使わない大技に違いない。
とは言え、終わってしまったトーナメントのことをとやかく言っても仕方がない。今鞘無が気になるのは、こうしてネット上でトーナメントの中継を見た世間の男どもがなじるようなことを行っていることだった。所詮はネット上でのやりとりであって気にすることはないということは理解しているが、彼の中のプライドがそれを許してくれなかった。
「……待てよ、銀の福音の暴走って大ニュースだよな」
顎に手を添えて、暫し考え込む。
「てことはだ。それを俺が解決しちまえば、世間に俺の功績が一気に広まるってことじゃないのか?」
妙案を得たり、と鞘無の口角が吊り上がる。つい数分前までは全く乗り気ではなかったというのに、今の鞘無の脳内では臨海学校でどう立ち回るかという算段が着々と組み立てられつつあった。
まず根本的に銀の福音の暴走は世間に秘匿されるべき事態であるということは、彼の頭からはすっぽりと抜け落ちてしまっているようだ。
「見てろよ世の中の男ども。俺の名前がニュースのトップを飾る日がそこまで来てるぜ……!」
◆
ぼふん、と勢いよく一夏はベッドに倒れ込んだ。俯せのままベッドに倒れ込んだために多少の息苦しさを感じるものの、それとは別の息苦しさを一夏は胸の奥に感じていた。
「なんだよあれ、不意打ちすぎだろ……」
ついさっきまで二人で出掛けていたことを思い出して、頬が熱を帯びるのを自覚する。特に昼食のときの姫無の一言は一夏の精神衛生をひどく乱すものだった。
シワをつくったシーツの上から身体を起こし、口元に手を当てて思い返す。
『一夏君のことは、きちんと好きよ』
なんだよそれは、と声を大にして叫びたい気分だった。心境としては嬉しさ半分、驚き半分といったところか。告白しておいてなんだが、一夏は全く相手にされていないと思っていたのだ。年齢だけをみれば一つしか違わないが、あの兄の影響なのか彼女の精神は非常に大人びている。故に自分は子供扱いされていて、一人の異性としては見られていないのではないかと思っていたのである。
その言葉を聞いた瞬間に明後日の方向へと水を飛ばした一夏を見つめながら、姫無は言葉を続けた。
『でもね、一夏君への好きはきっとライクであってラブじゃない。今はまだね』
グッ、と拳握る。あの言葉を聞いて、一夏は自分にもチャンスがあるのだと確信した。姫無は言った、今はまだと。ならば、いずれ自身をそういった対象として見てくれるようになるかもしれないということだ。そのために超えなければいけないハードルというのが師匠たる更識楯無なのだから無理ゲーもいいところだが、可能性が0ではないと分かっただけでも十分である。
「……やってやるさ。強くなるんだ、好きな女の子を体張って守れるくらいにはならなきゃな」
決意のこもったその言葉は、一人きりの部屋の中に溶けて消えていった。
そして翌週末、臨海学校が始まる――――。
一度はやってみたかった某掲示板ネタを無理矢理ぶち込んでみたり。
そんな訳で次回からようやく臨海学校編がスタート。アイツもコイツも大集合。