六月の最終週。IS学園は今日から一週間、トーナメント一色へと染まる。例年とは異なり学年別でも個人でもなくなってしまった今回のトーナメント。だがどういう訳か諸外国からの反応は思ったよりも良く、寧ろ来年からも継続させてはどうかという提案まで受けてしまった。いや、それは丁重にお断りさせていただいたが。月曜日から金曜日までの五日間をフルに使って行われる学園トーナメントの活気は凄まじく、開会前だというのに各アリーナには未だ準備に追われて奔走する生徒たちの姿が見られる。その周囲では既に観客席の一角を場所取りしたりする生徒やアリーナの周辺で身体をほぐす生徒、ペアと最終確認を行うなどそれぞれが思い思いの時間を過ごしている。
そんな中でも最も忙しなく動き回っているのが生徒会役員とこういったイベント時に駆り出される実行委員たちで、雑務や会場整理、訪れた来賓たちの誘導と押し寄せる仕事をこなしていた。
「だってのに、何でお前はここに居るんだ?」
「んー? ちょっと休憩をね」
第一アリーナの管制塔で、俺は隣で呑気にお茶を飲む姫無を横目に見ながら言った。今述べたように、生徒会の役員は全員が例外なく仕事に追われている。普段は仕事量を増やすという理由から仕事を任せていない本音にまで雑務処理が回ってきているのだ。当然、生徒会長である姫無にはその倍以上の仕事が回ってきている筈である。
だというのにこの余裕の態度。
「……まさか」
「んふふ。虚ちゃんにお願いしてきちゃった」
「いやそれ絶対丸投げしたんだろ」
開いた扇子を口元に当てて妖艶に微笑む姫無。そこには達筆な文字で『変わり身』と書かれている。変わり身というより犠牲にしただけだろと思うが。会場のどこかで、虚の悲痛な叫びが聞こえたような気がした。
「こんなとこで油売ってていいのか?」
「どういうこと?」
俺の質問の意味が分からないのか、不思議そうに小首を傾げる。
「パートナーと打ち合わせとか、することはたくさんあるだろう」
「ああ、その点なら何も問題はないわ。だってあの子と組むのに、余計な言葉なんていらないでしょう」
さも当然だと言うかのように、姫無はパチンと開いていた扇子を閉じ、再び開く。今度は『完璧』と書かれていた。俺もこの扇子を使っていた身であるから特に何も感じないが、これ何も知らない人間が見たらどうなっているのか気になって仕方がないんじゃないだろうか。一見ただの扇子にしか見えないしな。実際普通の扇子なんだけど。
「学園最強がタッグマッチとは言え負けられないんだから」
「……それパートナーに言ったらプレッシャーにしか感じないと思うぞ」
「あらそう? 逆に燃えてきそうだけど」
からからと笑う姫無。そんな妹を見て、俺はパートナーとなった生徒に心の内で合掌。なまじ実力があるだけにパートナーとなった訳だが、それでも姫無の実力はこの学園で抜きん出ている。ということは、パートナーの方が狙われるということで、それはつまり掛かる負担が大きくなるということだ。まぁその辺りは姫無も考えているだろうし、本人も望むところなんだろうが。
それにしても、と思う。
今回のトーナメント、学年の壁をとっぱらっただけでこうも他学年のペアが組まれるとは思ってもみなかった。勿論同学年同士のペアの方が多いわけだが、それでも二割強は違う学年同士のペアである。それは目の前にいる姫無も然り。俺は当然虚と組むものだと思っていたが、虚は既にエントリーしていたらしく、また姫無も初めから虚と組むつもりはなかったのだとか。
パートナーを誰にしようが生徒の自由なので俺が口を出す道理などないが、意外と思ってしまったのは事実だ。まさかこうペアを組んでくるのかと思う反面、皆全力で優勝を狙いにきているなと感じる。IS学園の生徒全員がぶつかるイベントというのは実は少なく、それ故に全力を以て望む生徒が多いのだろう。そのことは単純に嬉しく思う。俺の時の学年別個人トーナメントは散々だったからな。特に三年の時は。
「……あ、もうこんな時間。流石に戻らないと虚ちゃんに怒られちゃうわ」
「多分もう手遅れだぞ」
腕時計に視線を落としてそう呟く姫無。どこまでもマイペースを地でいく彼女には虚もさぞ苦労していることだろう。
俺も同じく時計を確認すれば八時を回ろうとしていいるところだった。開会式は九時からなので時間はまだあるが、トーナメント表を電光掲示板に表示したり来賓たちへの挨拶回りなどこなさなければならない仕事はまだ残っている。手早く済ませられるものは昨日のうちに終わらせてあるが、それでも時間を考えると余裕があるとは言えなかった。
「じゃあね、更識先生。またあとで」
「ああ、後でな更識」
呼び名を学園内でのものに変えて、姫無は管制塔を後にした。
さて、先ずはトーナメントを掲示板に送らないといけないな。そう考え、俺は目の前のコンソールに手をかけた。
◆
トーナメントの開会式は第一から第三までのアリーナを使用して行われる。流石に一つのアリーナに生徒全員を押し込むのには無理があり、来賓たちが今年は多く来ていることから各アリーナに設置されている大型のスクリーンを通して開会式を行うことになったのだ。学年ごとにアリーナを分けて居るので、現在一夏の周囲には一年生の生徒たちしかいない。一番大きな第一アリーナに三年生を集め、そこに企業の人間や各国の来賓を集めているので、一夏たち一年生は第三アリーナの観客席に腰を下ろしていた。
なんとはなしに周囲を見ていた一夏だったが、不意に隣から声が掛かった。
「一夏。余りきょろきょろするものではないぞ」
声の主は箒。どうにも落ち着きがない一夏の様子が気になったようだ。一夏は箒にすまんとだけ答えて、しかしまた忙しなく視線をさ迷わせ始めた。
その様子に箒は溜息を吐いて、小さく微笑んだ。一夏の心情をよく理解している身としては、彼がこれだけ落ち着きを無くしてしまうのも無理からぬことだと思ったのだ。
「一夏。緊張するのは分かるが、少し挙動不審だ」
「お、おお。悪い、どうも落ち着かなくて」
「始まる前からそんな調子では試合が思いやられるな」
「それを言うなよ……」
一夏の緊張の原因は、パートナーのこともあるがまず第一にトーナメントの組み合わせにあった。先程発表された組み合わせを見てみれば、なんと一夏たちのペアは第一シードに位置されていたのである。そのことを先程あった楯無に聞いてみれば、四月のセシリアとの戦闘データやパートナーのことを鑑みてのことだと言われた。理解できなくもないが、ISに触れて三ヶ月に満たない一夏には少しばかり荷が重かった。何せ上級生とも戦うのである。IS学園の上級生は、一年生にとっては憧れと羨望の眼差しを向ける的であり、それだけ実力も高い。身近にその最上級を知る人間がいるのでそこまでかけ離れているわけではないことは知っているが、それでも今の一夏が単体で渡り合えるかと言われれば明言は出来ない。
「私は一夏とは反対の山だったから、当たるとすれば決勝だな」
そう言う箒のパートナーは本音である。今も生徒会の仕事に追われているのかこのアリーナ内に姿は見えないが、その組み合わせを聞いた時は一夏も成程と納得した。この二人は共に整備科を志望している身であり、優秀な姉を持つという共通点もある。二人の性格を考えればとても馬が合うようには思えないが、実際この二人は特に仲が良かった。ISについて会話している二人に、一夏は全くついていけなかったほどである。
「そういえばのほほんさんて実技のほうはどうなんだ?」
「見た目に反して機敏だぞ。更識の家に仕えているからだろうが、基本的な動作や機体の扱いは学年でも上位だろう」
「こりゃまた手強いペアもいたもんだ」
とは言え箒が言ったように一夏たちとは反対のブロックにいるので、決勝まで互いに残らない限りこの対戦が実現されることはない。
「にしても意外だったな」
「? 何の話だ?」
「ペアの話さ。まさかあんな風に組むなんて思ってなかった」
一夏の言いたいことを察して、箒も首を縦に振った。今回のトーナメントで注目を集めるのは各学年の専用機持ちたちで、彼女たちとどうやってペアを組むかというのがその他の生徒たちにとっての命題だった。何せ専用機持ちと組むだけで大幅に戦力が増強されるのである。トーナメントの優勝を目指すのであれば、敵として立ちはだかりまた味方として頼もしいのが彼女たちなのだ。
故に専用機持ちたちにはペアの締切日まで連日熱烈なアプローチがあった。当然一夏にもである。が、それはここでは割愛しておくことにする。
ともあれ、専用機持ち同士で組んではいけないという制約が無くなった時点である程度専用機持ち同士で組むことになると他の生徒たちも思っていたのだろう。倍率が高いと察して上級生に走る一年生たちの姿も多勢見られた。
そして先程発表されたトーナメントで、そのペアが明らかになったわけである。
それを見た一夏の率直な感想は、『あ、これまじで取りにきてんな』だ。
「そうだな。皆優勝を狙っているらしい」
「一番手強そうなのはやっぱ上級生の代表候補生ペアかなぁ」
「あのやる気なさそうだった二人か」
「姫無先輩が言うにはあれが二人の通常運転らしい。技術はやばいらしいけど」
姫無にやばいと言わせる上級生ペア。三年のダリル・ケイシーと二年のフォルテ・サファイア。両名専用機を所持する学園内でも屈指の実力者である。元々この二人は一緒に行動していることが多く、今回のトーナメントも流れでペアを組んだのだろう。二人のコンビネーションは抜群で、生徒会長で学園最強を背負う姫無も二人纏めて相手をすると苦戦すると言っていた。負けるとは言わなかった。
「あとセシリアな。イギリス代表候補の先輩なんだろペアの人」
そしてセシリアと二年のサラ・ウェルキンのペア。この二年生は専用機こそ所持していないもののイギリスの代表候補生であり、セシリアと共にイギリスで指導を受けていた姉妹弟子のような関係らしい。因みにサラの姉弟子がチェルシーであり、その師匠がリリィである。イギリスというお国柄、遠距離に特化していることは間違いないと思うが、残念ながら一夏はサラの戦闘データは見ていない。
「私はラウラとシャルロットのペアの方が怖いがな。あの二人、ほんとに出会って一ヶ月かと疑いたくなる」
「あー……、確かにラウラの火力とシャルの機動力は脅威だよな」
ラウラと前々から親交のある一夏は、ラウラの専用機の特徴や戦い方などを知っている。第三世代型特有の一点特化型機体でありながら、近遠両方をこなせるのは一重にラウラの技量の高さゆえである。そしてラウラが思う存分戦えるのは、後方でサポートするシャルのカバーリングが完璧に近いからである。現時点の一年生の中では、恐らく実力はずば抜けている。
「ラウラたちは俺たちのブロックに居るから、当たるとすれば俺たちだな」
「私たちのところにはダリル、フォルテのペアだ。お互い楽には上がれそうにないな」
「ま、そんなことはハナから分かってたさ」
――――それでも、俺は負けられない。
学園最強を背負う人に、黒星を付けさせるわけにはいかないのだから。
◆◆
三十分以上にも及ぶ開会式が終了し、トーナメント一回戦が始まろうとしていた。一週間という長丁場のトーナメントであるため、一日に行われる試合は一ペア最大で二試合である。機体調整や修復にも時間がかかるため、試合間は少なくとも三時間は空けられる。故にその日の日程が終了するのは午後五時を過ぎるだろうと予想されている。参加ペアが総勢二七二組にもなるこのトーナメント、決勝まで残った場合試合数は八にもなる。シードペアもいるので必ずしもそうではないが、それでも七試合は戦うのである。一日に二試合とは言え、その疲労は日を追うごとに蓄積されていく。生徒たちは根気との戦いにもなることだろう。
などと考えながら、俺は呑気に管制塔でコーヒーを呑んでいた。真耶に淹れてもらったものである。
先程ようやく仕事に一段落つき、こうして休息を得ることが出来た。来賓への挨拶なんてのは学園長の仕事だと思うのだが。裏であのジジイがほくそ笑んでいる表情が目に浮かぶ。
今俺の居る第一アリーナではトーナメントの左側の一回戦が開始されたところだ。このトーナメントにはシードのペアが十六いるので、実際に行われる一回戦は一二八試合。それを三つのアリーナに分けて行うので、当然予定はぎっしりだ。まぁ制限時間も設けられているし、そこまで大幅な乱れは出ないと思うが。
因みに第二アリーナには二年学年主任が、第三アリーナは千冬が指揮を取って試合を進行している。三年学年主任は整備室や控え室でISの機体確認に走り回っている。
「始まりましたね」
俺の隣にやって来た真耶が言う。手にはコーヒーカップが握られているので、俺のを淹れるついでに自分の分も淹れたんだろう。
「だな。なんだか懐かしく感じる」
「あの頃は学年別で個人でしたけどね」
「だな。俺としては個人のほうがのびのびやれて好きなんだが」
「先輩は好き放題やりすぎです」
学生だった頃を思い出して、あの頃はまだ若かったなと苦笑する。真耶の言う通り好き放題やりすぎたこともあって、今の学園の防壁はあの頃よりも頑強に設計されているらしい。俺の所為みたいに言わないで欲しいんだが。
「山田先生だってライフルでアリーナの上部に風穴開けてただろう」
「あ、あれは篠ノ之先輩のトンデモライフルが悪いんです! あんな威力なんて知りませんでした!」
束がノリで開発した武装を真耶に試させたところ、想像の斜め上を突き抜ける威力のもので冷や汗が止まらなかったとは当時の真耶の話である。凄まじい威力のくせに、その反動が皆無だというのがまた恐ろしい。結局危険すぎるということでお蔵入りとなったが。
「せんぱ……更識先生は今回のトーナメント、どこが勝ち残ると思いますか?」
無意識のうちに昔の呼び方をしていたことに気付いて慌てて呼び方を変える真耶を可愛く思いつつ、彼女の質問に少し考えてから答える。
「ま、普通に考えりゃ代表候補生同士で組んでるところが強いんだろうが、これはタッグマッチだ。単純な個人の技量だけで測れるもんじゃない、コンビネーションも重要になってくる。となると……」
そこで一旦言葉を切って、俺は真耶に言った。
「面白そうなのは、更識・織斑組とシャルロット・ラウラ組。大穴で――――鳳・皿式組だな」
とある新聞部のトーナメント予想
更識・織斑組→本命 倍率1.3倍
ダリル・フォルテ組→対抗 倍率1.6倍
シャル・ラウラ組→状況次第 倍率2.5倍
サラ・セシリア組→仕上がり良好 倍率2.9倍
篠ノ之・布仏組→ダークホース 倍率4.2倍
鳳・皿式組→旋風巻き起こすか 倍率41.8倍