反省はしている。
五月上旬、クラス対抗戦当日。
今日一日に限っては授業は全て休み、全学年全生徒がアリーナへと足を運ぶこととなる。
第一から第三までの各アリーナを使用して行われるこのクラス対抗戦は、勝者に褒賞が用意されている。一年生に限って言えば、なんとあの天才にして天災であるISの生みの親、篠ノ之束が持ち主の機体を直々にメンテナンスしてくれるというものだ。更にその代表の所属するクラスには半年間の学食デザートフリーパスが進呈される。
これで燃えないという学生は皆無である。
何せIS学園の学食は基本的にレベルが高く、そこいらの高級デパートなど軽く凌駕する程の一品ばかりなのだ。それを半年間食べ放題、年頃の乙女として気にしなくてはならない部分は多々あるが、それを鑑みても是非とも手に入れたい代物なのである。
さて、そんな女子生徒たちの期待を一身に背負って戦うこととなるのが、今俺の目の前で何やらどんよりとした空気を纏わせた少年、織斑一夏だ。
どうしてそんな暗い顔をしているのか、などと問いかけることはしない。その頬にくっきりと付けられた手形が何も言わずとも語っている。原作通り、鈴のあのプロポーズを奢ってくれるものだと勘違いしてうっかり口にしてしまったんだろう。全く、どれだけ身体を鍛えても心の部分はまるで成長が見られないらしい。
いや、そういえば中学時代一夏に告白したという少女をその場で振っていたという話を姫無から聞いたことがあるので、それくらいの甲斐性は身につけているのかもしれないが。
「織斑。敢えて何があったかは聞かないが、いつまでもそう暗い顔をしてはいられんぞ」
「……分かってます。切り替えます」
途端、一夏の表情が引き締まる。
これだけ自身のコントロールが出来ているのに、こと恋愛となると疎くなってしまうのは何故なのだろうか。
俺と一夏、千冬の三人が居るピットで、俺は大まかな流れだけを伝える。それは一夏も昨日のうちに把握していたので直ぐに終了し、自然話は今日の対戦へと向かう。
「お前の対戦相手の皿式だが、勝算はあるか?」
「今朝簪との試合映像を見ました。簪にも話を聞いたし、ある程度は動きの予測が付くと思います」
その言葉に、俺の隣に立つ千冬が満足そうに笑った。
「言うじゃないか。そう言うからにはきっちり勝ってくるんだろうな?」
「……当然」
挑発とも取れる千冬の言葉に、一夏は静かに答える。
本当に、これがISに乗り始めて一ヶ月弱の人間の発言とは思えないな。いや、普通の人間が言うのであれば何を馬鹿なことをと思うかもしれない。
が、一夏が言うのであればまた捉え方が変わってくる。
入学早々セシリアと激戦を演じ、更識流を不完全なまでも修得している俺の弟子であれば、寧ろこれくらいやってくれなければ困るというものだ。
今の一夏の表情を見れば、油断はするなだの目の前の相手に集中しろだのといった言葉を掛ける必要は無さそうだ。
この場は千冬に任せて、俺は自分の仕事を全うすることにしよう。
「織斑先生、この場は任せるぞ」
「了解した」
言ってピットから外し、そのまま管制塔へと向かう。既に生徒の多くはアリーナの観客席へと移動を始めており、擦れ違うたびに挨拶の言葉が掛けられる。それに簡潔に答えながら管制塔内部へと足を踏み入れると、一組副担任の真耶と四組担任の安形がコーヒーを飲みながら最終確認を行っていた。
二人に声を掛け、俺も最終確認を行う。
「おはようございます更識先生」
「おはようございますぅ」
「おはよう山田先生、安形先生。チェックはあらかた済んでいるのか?」
「ええ。後は生徒たちの機体確認が終われば、いつでも開始できます」
コンソールを操作しながら真耶が答える。
流石は現国家代表、IS関連で彼女を超える人間はこの学園には千冬くらいのものだろう。いや、情報量だけならそれをも上回っているかもしれない。
「さて。じゃあ後は開会を待つだけだな。各学年の第一試合に出場する選手たちはもう全員準備できているんだろう?」
「はい。二、三年生もアリーナ内のピットでISを装着済みです」
映像モニタを切り替え、ピット内でISを纏った生徒たちの映像が六分割で表示される。
その中でもやはりというべきか、眼を引くのは男子二人だ。一人は純白の機体を纏い、もう一人は先日完成したばかりの山吹色の専用機を身に付けている。彼の機体は世界シェア第四位の大企業、Y.Cが製作したものだ。因みに少年とその企業には何一つとして接点はなかったのだが、どういう訳か企業の取締役が出張ってきて専用機を完成させた。
いや、別にアイツが作りたいというのだから止めはしないが。しかしもの好きだと思わずにはいられない。
「はー、あれがY.Cが製作した第三世代型ですか」
どうやら俺と同じく皿式の映像を見ていたらしい真耶がそう溢す。
「ああ。確か名前は『サンライト・トゥオーノ』だったか」
「確かに装甲のデザインもどことなくそれっぽいですよね」
「つーかアイツのネーミングセンスは安直すぎると思うんだがな」
相も変わらずファースト・インプレッションで全てを決めている男の顔を思い浮かべつつ、俺は皿式の機体をもう一度じっくりと見る。
遠距離用の武装は積んでいないのか全体的にシャープな印象を与える外見。恐らく主力武装は近距離から中距離用のブレードかランスあたりなのだろう、肩周りの駆動が重くならないようその辺りは更に装甲が薄く作られていた。限界まで機動力を求めるためか、意外な方向からの攻撃を行うためかは現段階では判断しかねるが。
「ふむ。機動力特化という点じゃ、一夏の白式と通じる点があるかもな」
「そうですね。機体性能の開きはある程度は仕方ないですし、後は乗り手の技量の問題になりそうです」
第四世代型に相当する一夏の白式と、第三世代型のサンライト・ストゥーノとではどうしても機体の性能差は埋められない。
だとするなら、後はその操縦者の技量如何によってしか試合の形勢は変わらないだろう。
四月当初の試合を見る限りでは一夏はツメが甘く、皿式はそもそも戦闘の何たるかを理解していないようだった。
あれから一月。たった一月と思うかもしれないが、成長期の一月というのは侮れない。織村があっという間に化けたように、一夏や皿式もまた、俺の知らぬ間に変貌しているかもしれないのだ。
まぁ、皿式に関してはハッキリ言ってそこまでの成長はしていないと思うが。
簪と同じクラスである少年の様子を時たま耳にするが、四月当初と変わらず、電撃を基本とした攻撃スタンスを貫いているらしい。
あの電撃がどういった理屈で発せられているかは分からないが、専用機を得た今でも恐らくそのスタンスは変わっていないだろう。というかだ、そこはかとなくあの電撃に某都市第三位の面影を感じるんだが、まさかまたそういうのじゃないだろうな。
若干嫌な予感を覚えつつ、最終確認を終える。
後は開会式を待つのみだ。
真耶はこの後も此処で一年生の試合の様子を観察するようだが、学年主任を任されている俺はそういうわけにもいかない。何せ各試合の結果を二、三年の学年主任と報告し合い、観戦しに来ている企業以外のIS関連施設にもその内容を書類で随時報告しなくてはならないのだ。
こればっかりは仕事なのでどうしようもないが、正直物凄くめんどくさい。
本音を言えば一夏と皿式の試合を見たかったが、教師が仕事を疎かにするわけにもいかないのでその役目は真耶に任せ、俺は管制塔を後にする。
その後直ぐにアナウンスが流れ、生徒会司会の簡潔な開会式が行われた後、姫無の宣言によってクラス対抗戦の幕は切って落とされた。
◆
クラス対抗戦。
各クラスの代表がトーナメント方式で優勝を目指すこの行事は、当然のことながらその狙いというものが存在する。
一つはクラスの結束力を高めるため。
自分たちのクラスを背負って戦う代表に必死の声援やサポートをすることで、クラス内の士気を高めて団結力の向上を図ることを想定している。これに付属的に追加されたのが副賞としての半年間学食デザートフリーパスであったり篠ノ之束博士直々のメンテナンスであったりするのである。
もう一つは、現段階での各クラスの実力を推し量る為。
始業して一ヶ月足らずではあるが、そのクラスの特色というものはこの段階から徐々に現れ始める。
勝気やマイペースといったクラスの特色は少なからず代表にも付随し、戦い方にも変化が起こる。当然、自身に合った戦い方というのが基盤にはなるが、思考の隅にそういったクラスの特色というものは存在し、判断基準の一端になることもあるのだ。
そんなクラスたちの、現段階の実力推移は学園側にしても視察に訪れる企業側にしても手に入れて置きたい情報に相違ない。
二、三年生はそもそも学科が分かれていたりするので特色に関してはハッキリと表に出ているが、実力という面ではこうして戦う以外に明確な答えは提示できない。
さて、こうした対抗戦の狙いではあるが、当の本人たち、つまりクラス代表やその他の生徒たちは実のところそこまで深く考えていない。
どちらかといえば半年間のデザートフリーパスのほうに関心は寄せられており、そのためにクラスの代表を応援しているようなものなのだ。特に一年生は初めての大きな行事である。舞い上がらない方がおかしいと言えるし、授業がなくなることの方が嬉しいような雰囲気がある。
言ってしまえば、一年生の大半はお祭り気分で現在観客席に陣取っているのである。
クラス対抗戦の第一試合、一夏と皿式の試合まで後数分となったアリーナには、一年生女子と企業の人間、そして生徒会のメンバーが集まっている。
徐々に上がるアリーナのボルテージを感じながら、観客席の一角を陣取る生徒会役員の一人、更識姫無は呟く。
「なんだかこっちは舞い上がってるわね」
「始めての対抗戦ですし、二、三年生と比較するのは酷ですよ」
眼を細めて言う姫無を宥めるようにしているのは同じく生徒会の一人、布仏虚。
姫無の言う通り、確かにどこか舞い上がって落ち着きがない一年生の様子は見ていてあまり気持ちの良いものではない。しかしそれも無理からぬことだ、と虚は割り切っていた。何せこれから第一試合を戦うのは世界にたった四人しか存在しない男性でIS適性を持つ人間なのだから。
「とは言っても、実力的には下の二人だけどね」
「それを比較する方が酷ですね……」
姫無のなんとはない一言に虚は苦笑する。
たった四人しかいない男性のIS適合者。姫無が下の二人と評した一夏と皿式と、暗に上の二人と評される楯無と織村ではその実力差は語るまでもない。たかだか数ヶ月前にISに触った人間とV7に数えられる人間を比べるのは烏滸がましいとさえ言える。
「まぁ、一夏君も頑張ってはいるみたいだし」
「楯無さんが稽古をつけているんですし、実力は付いていると思いますよ」
「そうでないと困るわよ。兄さんの顔に泥を塗るようなことしたら、私一夏君のことこれからずっと無視するわ」
ふふふ、と何か黒いものを背後に纏わせて姫無はアリーナの中心へと目を向ける。
そんな会長を横目に見ながら、虚は一夏に内心で合掌。純情な少年の一途な想いは、どうやらまだ届きそうにないらしい。
(というか、一夏君の想いって楯無さんがいる時点で絶対報われないんじゃ……。お嬢様がブラコン卒業することって……ないわよね)
訂正。
まだではなく、全然であった。
「ていうか、男子の試合とか見てもねー」
「言えてる。たまたまISの適性があったってだけで、試合内容なんておざなりなんだし、さっさと他の代表候補の試合見たいんだけど」
ふと、姫無たちより上の観客席に座る一年生たちの声が二人の耳に届いた。
ピクッと姫無たちの耳が今の言葉に反応する。
「そんなこと言ったら、はっきり言ってあの先生も強いのかどうか分からないよねー」
「更識先生? 黒執事とか言って昔は凄かったらしいけど、今はそれ起動させてるの見た人いないんでしょ?」
「座学専門の先生なんじゃない?」
「織斑先生とか山田先生とかとよく一緒に居るけど、正直なんか釣り合ってない感じするよね」
ビキビキッ! と姫無の額に青筋が浮かぶ。
いけないと直感的に悟った虚は瞬間的に姫無の両脇に腕を回して羽交い絞め動きを拘束。暴れだそうとした生徒会長を必死に抑えた。
「離して虚。あの二人にオハナシがあるの」
「そんな冷静を装ってもダメです。明らかに怒ってるじゃないですか」
「やあね、怒ってないわよ。私は至って普通よ?」
「じゃあ専用機を部分展開しようとしないでください」
待機状態の専用機に手を添える姫無を抑えつつ、しかし虚も決して怒っていないわけではない。
彼女たちが楯無たちの実力をよく知らないというのも仕方ないのかもしれないが、それでも教員に対しての評価にしては些か低すぎる。
女尊男卑の風潮は、四人の男性IS適合者の出現で殆ど無くなったと言っていい。
が、それでもやはりその風潮に流される輩というのは出てきてしまうのだ。
こういった生徒は少数だが、なまじ学園に入学出来るだけの適正があるだけに尚質が悪い。此処で姫無が出て行ったところでどうしようもないということは本人が最も良く理解しているので虚の拘束から逃れることはしないが、しかし内心で燻った感情を完全に押し込めることもどうやら不可能のようだ。
「…………」
「お嬢様、目が怖いです」
ジトッ、というよりはギンッ、と上の観客席で会話をしていた二人を睨みつける。
「兄さんのこと弱いなんて言える人間がこの学園に居るなんて知らなかったわ」
「まぁ楯無さんは一年生の学年主任ですけど授業の受け持ちは二、三年生ですし、そう言えるのも今のうちだけだと思いますよ」
「というかあれよ。今のご時世でまだ女尊男卑とか言ってるのが信じられないわ」
その言葉には虚も同意だ。
何せISが発表されてからの約十年、最もその名を知らしめたのが『白騎士』、『黒執事』、『蒼天使』の三機。その操縦者の二人は男性である。これでどうして女性の力が男性よりも上だと言えようか。
適性を持たない多くの男性を標的にする女性も居るが、そういった女性の多くはISの適正値が低い。それなのにどう勘違いしたのか、IS適性を多く持つ女性のほうが男性よりも偉いなどという誤解をしてしまっているのだ。
先程姫無たちの上で話していた生徒も恐らくはその部類に入るのだろう。
「一度兄さんに相手してもらえばいいのに」
「それは流石に……」
「とりあえず、兄さんの弟子なんだから一夏君にはきっちりしっかり勝ってもらわないとね」
兄さんの為にも、という言葉が後に続いているような気がしたが、そこに突っ込むことは虚はしなかった。
藪蛇は御免だからである。
「あ、織斑君出てきましたよ」
虚の言葉の通り、ピットから二機のISがアリーナへと飛び出してきた。白と山吹色の機体が空中で静止し、互いに開始の時を待つ。
「お嬢様から見て、織斑君はどうですか?」
「身体能力は申し分無し。ISの操縦はまだ荒いけど、兄さんの稽古を受けてるだけあってそれなりに戦えると思うわよ。皿式ってのは簪ちゃんとの試合映像を見る限り遠距離型みたいだし、更識流を叩き込めればそこで勝負ありってところかしら」
懐から取り出した扇子でパタパタと仰ぎながら姫無はそう評価する。
なんだかんだ言っても彼女にとっても弟分のような存在なのだ。やはり勝ってほしいと思う。
「ま、じっくり観させてもらいましょう。私を守れるくらい強くなるんなら、こんな所で躓いちゃダメよ」
人の悪い笑みを浮かべて言う生徒会長。
彼女がそう言った数秒後、試合開始を告げるブザーがアリーナ内に大きく鳴り響いた。