翌週。月曜日の放課後。
とうとうクラス代表決定戦の日がやってきた。放課後ということもあって第三アリーナの観客席には大勢の生徒が詰め掛けており、中には直接的には何の関係もない二年生や三年生の姿も見受けられる。流れとしては先ず先に一組の代表を決めるために一夏とセシリアが戦い、それが終わり次第簪と四人目が戦う手筈となっている。
どうして別のアリーナで並行して行わないのか、と思うかもしれないが、基本的に放課後のアリーナは訓練機の使用許可を得た生徒が訓練の為に使うことがほぼ毎日だ。
今日のような事がある場合は例外的にアリーナを貸切の状態にすることもできるが、流石に三つあるうちの二つのアリーナを貸し切るような事をする訳にはいかない。只でさえ数の少ない訓練機をやっとの思いで使えると思ったらアリーナは使えません、なんてことになったら他の生徒への配慮が至らなすぎる。
という訳でこの二つの対戦は第三アリーナのみで行われる。
対戦するのが日本とイギリスの代表候補生と三人目と四人目の男性IS操縦者だからだろう。たかだか一年生の模擬戦だというのに、アリーナの周囲には殆どの一年生に上級生、教師陣もちらほらアリーナにやってきている。ネームバリューというのはこういう時に効果を発揮するらしい。
そんな中、俺はというとピットに居た。
今この北側のピットに居るのは俺と一夏に箒、そして千冬だ。南側のピットでは恐らくセシリアが既に準備を終えている頃だろう。
「どうだ一夏。いけそうか?」
「この一週間、とにかくISの知識と基礎鍛錬だけを徹底的にやってきたんだ。それなりに自信はあるぜ、師匠」
「ここじゃ更識先生と呼べって。……さて、じゃあ展開してみろ」
俺に言われた一夏は瞼を閉じ、数秒の後、真っ白な機体が全身を包み込んだ。
十年近く前に千冬が初めて乗った機体に酷似したその機体は、どこまでも白く、どこまでも鋭利な印象を抱かせる天災、篠ノ之束の手がけた第四世代。現行機を大幅に上回る機動力と、拡張領域を必要としない新技術を備えた最新機。
「これが……」
「ああ。『白式』だ」
白式。
倉持技研が束の製作した機体に手を加えて完成させた、世代としては第四世代機にあたる一夏の専用機。
初めてそんな専用機を纏った一夏は自身の身体を一通り確認し、動作が正常であることを確かめてから俺へと視線を向けた。
「師しょ……更識先生。行けます」
「そうか。なら、行ってこい。時間がないからフォーマットとフィッティングは試合中に無理にでもやれ」
俺へと一言声を掛けた一夏は、次いで千冬、箒にも一言告げて颯爽とピットからアリーナへと飛び出していった。初期設定のまま戦えというのはIS操縦経験が皆無と言っていい一夏には少々酷かもしれないが、まだ専用機を与えられたばかりの新米だ。何年も専用機を乗りこなしてきた人間がいきなり初期設定の機体に載せられれば混乱するのは当然だが、あの白式が一夏の初となる専用機である。最初からあの状態の機体に乗っておけば、幾分は慣れるだろう。
「さて、じゃあ俺たちは管制塔のほうに移動するか。篠ノ之は観客席のほうに戻るように」
「分かりました」
「千冬、行くぞ」
「ああ」
一夏の居なくなったピットにいつまでも居てもしょうがない。アリーナの上部に設置されている管制塔から試合の様子を観せてもらうとしよう。千冬はさっきから気が気でないようだが(それでも表面上は無表情を貫いている)、俺としてはそこまで心配するようなことでもないと思う。
実力の差は本人が一番分かっているだろうし、セシリアも絶対防御が発動するまでのことはしないだろう。
どちらかといえば、俺は楽しみだった。
一夏が現段階で代表候補生相手にどこまでやれるのか。
ひょっとしたら、ひょっとするかもしれない。
ISに関しては一夏はズブの素人だが、事戦闘術については俺が何年も稽古をつけてきたのだ。ある程度のところまでは戦えるとほぼ確信している。後は一夏がどれだけあの専用機を乗りこなせるかにかかってくるだろう。
「さて、お手並み拝見といこうか」
管制塔内部に設置された大型モニタを前に、俺はニヤリと口角を上げて小さく笑った。
◆
「来ましたね」
「悪いな。待たせたか?」
「いえ、規定の時刻まではまだ三分ありますわ」
一夏が白式を纏いアリーナへと出ると、既にそこには青い機体を展開した金髪の少女、セシリア・オルコットが空中で静止していた。一見して何でもないように見えるが、空中で微動だにせず静止することがどれだけ難しいことなのか、ISの基礎理論を叩き込まれた一夏には十分に理解できた。
周囲の観客の多さに少なからず驚きながらも、一夏は上空のセシリアから視線を外さない。
「それがブルー・ティアーズか」
「ええ。よくご存知で」
一夏の呟きに、セシリアは憮然として答える。
「流石に相手の機体くらい調べるさ」
「そうですね。その程度の事、やって当たり前というレベルです」
セシリアにとって、自身の機体の事を調べられるということは予想の範疇だった。というより、その程度の下調べも無しに戦いに望むような輩であれば今頃一夏を蜂の巣にしていた事だろう。その点に関して言えば、一夏は及第点だった。
最も、調べられた所でセシリアのすることは全く変わらない。
「わたくしの機体を調べたのなら勿論知っていますよね。この機体のスペックを」
「当然だ」
一夏は事前に頭に叩き込んで置いたセシリアの専用機の情報をもう一度思い返す。
ブルー・ティアーズ。
イギリスが開発した第三世代型の中・遠距離型の機体。
BT兵器と呼ばれる最新鋭の武装の実働データのサンプリングを目的とした試作機という扱いだが、その実BT兵器としてはほぼ完成形だと言っていい。このブルー・ティアーズとの適正値、親和性が高ければ
一方、一夏の専用機『白式』。
件の天災科学者篠ノ束が開発し、倉持技研が完成させた史上初の第四世代機。
その機体内部のあまりにもブッ飛んだ設計は専門科学者である研究員たちでさえも手を加えることは出来ず、元々完成系に近かった機体を急造で間に合わせた純白の近接系IS。まだ各国では第三世代型の試作機が製造されている段階にも関わらず、恐らくは優秀な科学者でも到達するのに十年は必要とする第四世代である。
一夏にしてみればつい最近までISなんてものを深く知らなかったものだから『へー、最新型なのかすげぇな』程度で乗り込んだが、その筋の連中からしてみれば開いた口が塞がらないこと確実だ。
拡張領域を必要としないこの機体に付属された武装はなんと近接型のブレードひと振りのみ。これには一夏も驚愕した。
それはつまり、遠距離型であるセシリアに対して近接戦にまで持ち込まなくてはいけないということ。更識流柔術を使うにしても距離を詰めなくてはならないことは同じであり、結局一夏に取れる手段というのはそれしかないのだ。
「さて、お喋りはこのくらいにして。始めましょうか」
途端、セシリアの纏う雰囲気が豹変する。
穏やかな貴婦人のようなものから、獲物を狩る狩猟者のものへ。
その変貌ぶりに思わず一夏は身構える。
「……あら、中々鋭敏な感性をお持ちのようですね」
セシリアの軽口に、一夏は体勢そのままに答える。
「これでも武道を嗜んでてな。そんなあからさまに殺気を出されちゃ、イヤでも反応しちまう」
そうですか、とセシリアは返し、次いで右手に量子変換させたスナイパーライフルのような武装を構えた。
そして鳴らされる、試合開始を告げるブザー音。セシリアは一度だけ微笑んで。
「それでは、わたくしと踊りましょう」
瞬間、耳を劈く轟音と共に青白い熱線が発射された。
◆◆
「ん、あれスターライトか」
管制塔で試合の開始を見ていた俺は、セシリアの使用している武装を見てそう呟いた。その武装に見当たりがあったのはどうやら俺だけではなかったらしく、隣に居た千冬や真耶も真っ青なレーザーライフルを眺めている。
「ああ、どうやらそうみたいだな」
「でも前のものとは違いますね。新型でしょうか」
千冬と真耶がそう言うように、セシリアの使用しているあの武装と俺たちが知っている武装とは細部や威力、照準補正などが異なるようだ。平たく言えば、知っているものよりも格段にパワーアップしている。となるとあれは恐らく三代目だろう。以前あの武装を使っていたのは二人だから、セシリアで三人目となる。
イギリスが開発したIS専用のレーザーライフル、『スターライト』。
六七口径の特殊レーザーライフルで、その威力は戦車一台楽々破壊できるほど強力な代物だ。
EU諸国の中でもイギリスは遠距離型の機体に心血を注いでおり、国家代表や代表候補生も近接型主体の人間よりも遠距離型主体の人間のほうが圧倒的に多い。
イギリスが過去二回のモンド・グロッソでも成績を残したのは遠距離型の選手だったことから、今後もこの方針で開発していくのだろう。
そして、このレーザーライフルを一番最初に使用していたのは何を隠そう俺たちと同じ第一期IS学園卒業生、リリィ=スターライだったのだ。というか、あの武装を使ったのがリリィだったのではなく、彼女のために直々に製造されたのがあの『スターライト』であり、この名称もリリィの名前から取られている。
イギリスでは英雄扱いされている彼女こそが、祖国の遠距離型の方針を固定させたと言ってもいいくらいなのだ。
次いでスターライトを使用したのがリリィの愛弟子にしてセシリアの先輩にあたる国家代表、チェルシー・ブランケット。彼女もまた遠距離主体の選手で第二回のモンド・グロッソでは真耶をあと一歩にまで追い詰めた優秀な操縦者だ。その時の名称は確か『スターライトmkⅡ』だったから、多分セシリアが使ってるのは『スターライトmkⅢ』とかそんなんだろう。
というかあの武装の使用を許されるのは各世代でトップの人間だけであるので、セシリアはイギリス代表候補生の中でトップということになる。
あれ、おかしいな。さっきまで鮮明に見えてた試合のビジョンが急に不鮮明になってきたんだが。
「織斑君、防戦一方ですね」
真耶が試合状況を見ながらそう零した。
「相手は国家代表候補生。みすみす近づけさせるような事はしないか」
俺もアリーナへと視線を向ければ、セシリアの弾幕から必至に回避行動を行っている一夏の姿を捉えた。とてもISに乗るのがこれで二回とは思えないほどに一夏は白式を乗りこなしている。だが、そんな一夏を完璧にロックオンしているセシリアの射撃の腕が単純な戦況の差として如実に現れていた。
「…………、」
千冬は何も言わず、ただその様子を無言で眺め続ける。
きっと内心は弟を応援しているんだろうが、俺たちの手前表情には出さないようにしているんだろう。
俺もその様子を眺めていたが、確かに今の戦況はセシリアが断然有利だろう。このまま押し切られてしまえば一夏の負けは目に見えている。
が、先も言ったように俺はそこまでのことは心配していなかった。理由は二つ。
一つは白式がまだ初期設定のままであるということ。
そして二つ目。
更識流の存在。
「――――誰がアイツを鍛えたと思ってんだ?」
◆◆◆
(くそっ、中々近づけない……!)
降り注ぐ弾幕を寸での所で回避しながら、一夏はアリーナの外壁に沿うように低空で飛行していた。つい数瞬前まで自分が居た場所に無数の光線が降り注ぐというのは肝が冷えるが、そうも言っていられない。何度か無理矢理にでも近接戦に持ち込もうと特攻じみた事もしてみたが、あっさりとセシリアに躱され攻撃を食らってしまった。
未だセシリアは上空で碌に動いてすらいないというのに、こちらのシールドエネルギーは既に三分の一程が削られてしまっている。
「どうしましたか一夏さん。まさかこのままエネルギー切れで敗北、なんてことは無いですよね?」
挑発にも似た言葉が一夏の耳に届く。尚も光線が一夏を貫かんと迫ってくるが、そこで一夏はあろうことか動きを止めた。
「?……」
突然の停止にセシリアの整った眉が僅かに動く。そこで攻撃の手を休めないあたりは流石代表候補生と言ったところか。
レーザーが一夏に迫る。その刹那、一夏の唇が動いたのをセシリアは確かに目撃した。そして目を見張る。あろうことか、彼はそう口にしたのだ。
安心しろよ。退屈なんてさせない。
一夏の立っていた地点に、幾筋ものレーザー光線が降り注いだ。
ここでようやくセシリアの攻撃の手が止まる。地面の砂が舞い上がり、周囲一体を砂塵が包み込む。
(一夏さんに遠距離の攻撃方法は無かったはず……。なら、何を……?)
一夏がセシリアのことを調べていたように、セシリアもまた一夏のことをある程度調べていた。
かのブリュンヒルデ、織斑千冬の実弟にして世界で三番目となる男性IS操縦者。そしてあの黒執事、更識楯無に稽古をつけてもらっていた。残念ながらどんな稽古をしていたのかまでは知るに至らなかったが、織斑一夏という少年が乗るISの性能とも相まって近接型ということは容易に想像することが出来た。
そしてセシリアの想像は見事に的中していた。
あれほどまでに攻撃を躱されるとは思っておらず驚きもしたが、その後は目立った反撃も特攻にも似た攻撃が二度。大した策もなく行ったであろうその攻撃は酷く杜撰なもので、簡単に躱して反撃に転じた。
正直、この程度が関の山か。と思った。
搭乗が二回目だというのにこれ程操作技術が優れていることには率直に関心したが、それだけだ。ひたすら躱すのみ、攻撃には何の意図もない。これではこの学園の女子生徒のほうがまだ戦えるのではないだろうか。そう思った矢先の、彼の言葉。
――――その言葉に、偽りはないのでしょうね。
セシリアは嬉しかった。自身が初めて認めた男性の弟子が、この程度では終わらないということに。自らの予想を超えてくるという、その事実に。
やがて、砂塵はどこかへと流れていった。
視界良好となったアリーナに立っていたのは織斑一夏。しかし、その身に纏う白式は先程までとは姿を変えていた。
――――フォーマットとフィッティングが完了しました。確認ボタンを押して下さい。
「……ったく、危機一髪だな」
そう言う一夏の瞳には、先程までと変わらない闘志がありありと浮かんでいた。
そしてセシリアは理解する。目の前の少年は、
「……
その言葉に一切の棘はない。純粋に初期設定の機体のままでここまで戦えていたことに対する賞賛だけがセシリアの言葉には込められていた。
そして一夏も、彼女に対して不敵に告げる。
「ああ、悪いな。これでやっと全力の勝負ができるぜ」
一夏は最適化と初期化を終えた自らの機体に視線を落とす。これまでのどこか無骨な工業的な凹凸はすっかりなりを潜め、滑らかな曲線とシャープなラインが特徴的な中世の騎士を連想させるデザインへと変化していた。そして、その武装もまた姿を変える。
モニタにはこう書かれていた。
近接特化ブレード、雪片弐型。
弐型、という部分に一瞬だけ違和感を覚えた一夏だったが、雪片の文字で納得する。これは、この武装は。自身の姉が使用していた武装の名称だ。日本刀を模したその刀身は刀というよりは太刀に近く、妙に機械的な光がISの武装であることを知らせている。
この雪片がセシリアの機体に届きさえすれば、一夏の勝利は確定する。
だがあろうことか、一夏はその雪片を取らなかった。
「……どういうつもりですか?」
「別に、この雪片弐型は確かに一撃必殺を体現したような武装だが、当たらなきゃ何の意味もない。それにコレ、物凄くエネルギーを食うみたいだしな。先ずはセシリアに攻撃が届く範囲にまで詰めることが最優先さ」
「随分と冷静のようですけれど、それを聞いてわたくしが貴方を近づけるとでも?」
「だろうな。でも安心しろよ、そこまでほんの一瞬だからさ」
そして一夏は重心を落とし、腕を前方に突き出す形で構えを取った。
セシリアは一夏のことを調べていた。しかし一点、どうしても調べられなかったことがある。
更識流。
それはどうやら秘匿されるべきものであるらしく、代表候補生という地位にある彼女でも全く情報を得ることが出来なかったのである。故に、セシリアは知らなかったのだ。そして疑わなかった。
更識流とは、対人戦闘にのみ使用されるものであると。
無言で一夏を見つめるセシリアの耳に、やがて小さなつぶやきが届いた。
「更識流四の型、――――
白式の設定は原作では倉持技研が開発した欠陥機に束が手を加えた、ということになっていますがこの作品では真逆になってます。
そして簪ちゃんごめんよ……、君の出番はまだなんだ……!