双六で人生を変えられた男   作:晃甫

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 これにて臨海学校編終了。


#45 収束と終息

 

「――――そうか。いや、ご苦労だった。後は私が話を通しておく」

 

 向こうの通信機のスイッチが切られたことを確認してから、千冬は誰にも悟られぬよう小さく息を吐いた。これまで気を張っていたために伸ばされていた背筋も、少しだけ力が抜けて丸くなる。通信の相手は鞘無を回収に向かうために戦闘空域へと向かったラウラからのものだった。彼女が言うには、既に戦闘空域に鞘無の姿は見当たらなかったという。通信衛星の映像にも彼の姿が映らないことから、地上ではなく地下や海中を移動しているのかもしれないということだ。

 IS学園に在籍する生徒が失踪。これが表沙汰となれば由々しき事態になることは明白だが、今千冬の胸中を埋めているのは一夏が無事に生還したことによる安堵だった。

 結果だけを見れば銀の福音の機能停止は成功、搭乗者であるイーリス・コーリングも無事に保護することが出来た。だがしかし、その過程はお粗末だと言わざるを得ない。急な作戦遂行にアクシデントは付き物だ。誰もが最悪を想定し、最善を尽くして最良の結果を得るように尽力する。一夏や他の代表候補生たちもそれは頭に叩き込んであったし、そうなるように力を尽くしたのだとは思う。

 それでも、実戦経験が足りなさ過ぎたことは否めない。そんな生徒たちを戦場へと送り出さなければならないほどに事態が逼迫していたことは事実だ。だが、そうだとしても自身は奥に引っ込んで教え子たちを送り出さなければならない状況には奥歯を噛み締めた。

 教鞭を取る立場上、生徒たちの前で狼狽えることはあってはならない。故にこれまで毅然とした態度を崩さなかった千冬だったが、その実心の内は心配と不安が綯交ぜになって気が気ではなかった。

 作戦が無事に終了し、無事に生還した今だからこそこうしていられるが、失敗していた時は自身がどうなっていたか想像に難しくない。

 

(……私情に流されそうになるとは、まだまだ青いな、私も……)

 

 旅館の一室、開かれた窓から空を見上げる。

 雲一つない澄んだ夏の夜空の中に、綺麗な月が浮かんでいた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 結果から言えば、俺はサイレント・ゼフィルスの操縦者である氷見鳳仙を見逃した。乱入してきたHCLI社の男、キャスパー・ヘクマティアルの言うがままになった形だ。

 当然ながらその当初は見逃すなんてことを考えておらず、実力行使も厭わないつもりだった。ことIS戦闘において俺と同等に戦えるのは千冬や織村、あとは他のV7の面々だけだろうと思っていたし、一方通行の能力を使えば最悪ヘリを堕とすことだって造作もない。だから向こうがどんな出方をしようが俺は自身の考えを変えず、このまま氷見を捕縛してサイレント・ゼフィルスを回収するつもりだった。

 そんな俺の考えを、おそらくキャスパー・ヘクマティアルは見透かしていた。

 その上で奴は言ったのだ。『実力行使』という言葉を。

 

 

 

 次の瞬間、キャスパーの背後から飛び出したのは見覚えのない女だった。首筋程までの黒髪に白い肌。アジア系の顔立ちをしていないことから欧米かロシアあたりの人間だろうと適当にあたりをつける。

 その女は何の装備も持たないままに自然体で空へと飛び出し、次の瞬間には全身に装甲を纏っていた。

 光沢のある黒い装甲に身を包んだ女は、俺ではなく氷見鳳仙の正面に降り立つ。

 

「こんにちは、お嬢さん」

「……誰だお前。気安く私の前に立つんじゃない」

「あらまあ。随分と嫌われちゃってるみたいよ? ちゃんと話は通してあるのキャスパー?」

 

 鳳仙の怒気を滲ませた声にも動じず、女は小首を傾げてキャスパーへと振り返った。

 

「伝達事項はきちんと伝えているはずですよチェキータさん。少なくとも僕にこの仕事が回ってきたときにはもうココが手を打ってたんですから。もし認識の祖語があれば向こうの責任です」

「相変わらずドライねえ」

「まさかチェキータさんにそう言われるとは思ってませんでした」

 

 チェキータと呼ばれた女は小さく笑い、くるりとその身体を反転させた。

 必然、俺と視線が合う。

 

「初めまして、楯無くん」

「…………」

「あらあら警戒されちゃってるわねえ。ま、無理もないか」

 

 俺が言葉を返さないことをたいして気にすることもなく、彼女は俺に話しかける。

 

「チェキータよ。親しい人はチェキと呼ぶわ、あそこにいる白いののボディガードみたいなものね」

「やだなあチェキータさん。それじゃ僕とは親しくないみたいじゃないですか」

「ごめんねえ」

「え、いや、うそでしょう?」

 

 真顔のままのチェキータに冷や汗が止まらないのか、キャスパーはスーツのポケットからハンカチを取り出して額を拭った。

 さて、いい加減俺もこの進展しない状況には痺れを切らしてしまいそうだ。

 回りくどい話は止めて、さっさと事を進めよう。そう決めて口を開く。

 

「で? アンタが割って入ってきたってことは、俺の相手はアンタでいいのか?」

「んん。別に相手をするのは吝かじゃないんだけど、今回は仕事のほうを優先させてもらおうかな」

「仕事だと?」

「そ、」

 

 直後、俺の目の前からチェキータの姿が掻き消えた。

 

「ッ!?」

こっち(・・・)を回収するっていう仕事」

 

 気が付けば、チェキータは鳳仙の腹部にアサルトライフルを突きつけた状態で立っていた。愕然とした表情を浮かべる鳳仙を気にする素振りすら見せず、彼女は容赦無くその引鉄を引く。

 甲高い金属音が間断無く響く。ゼロ距離からの射撃ゆえに回避はおろかまともに身動きすら取れない鳳仙は、銃撃をもろに受ける形となった。

 銃撃に合わせて小刻みに鳳仙の身体が震える。数十秒続いた銃撃が終わったころには、既に彼女は意識を手放しているようだった。

 意識を失い、ISの展開が解除された鳳仙を小脇に抱えて、チェキータは嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「追ってきたいならご自由に。その時は相応のおもてなしをさせてもらうわあ」

 

 気絶した鳳仙をキャスパーに投げ渡し、再び俺と向かい合う。静電気のようにピリピリとした空気が肌を刺激しているのが分かる。最初に目にした時から感じていたことだが、この女は俺と同じニオイがする。表の世界とは違う場所で、文字通り命懸けの戦いを経験しただろう一般人からは決してしないニオイだ。

 おそらくは人を殺した数も十や二十ではないだろう。

 どうするべきか。このままみすみす見逃すのは避けないところだが、かといって深追いして周囲を危険に巻き込むことも出来れば避けたい。

 どちらを選ぶべきか天秤にかけようとしていたところ、不意にプライベート・チャンネルが開いた。

 

『楯無、私だ』

「千冬?」

『銀の福音の活動を停止させることに成功した。一夏も無事だ』

 

 それを聞いて心の内で一息つく。銀の福音を無事に回収することが出来たのなら織村の友人だというイーリスも無事なのだろう。セシリアとシャルロットを向かわせたが、その必要はなかったかもしれない。

 

「そうか」

『そちらの様子はどうだ? 必要があれば増援を出すが』

「……いや、大丈夫だ。もう片が付いた。機体の回収は出来なかったが、被害は出さずにすんだ」

『了解した。ならすぐに帰還しろ』

 

 一言返事をして通信を切る。

 視線を向ければ、興味深そうにこちらを見つめるチェキータの姿があった。その瞳の奥に見える感情は、少しの驚きと安堵だろうか。

 

「意外ねえ。てっきりこの場でおっぱじめるものだと思ってたけど」

「元々俺たちに与えられた任務は二機の回収もしくは破壊だが、うちの生徒たちが無事ならそれ以上は望まない。それにこの場でアンタとやりあったところで、お互いにデメリットしかないだろうよ」

 

 俺の言葉が意味するところを理解していたのか、チェキータは何も言わず、ホバリングを止めて帰路につくであろうヘリの中へと乗り込んだ。

 その際何かを言いたそうにしている彼女の横顔を、俺は見なかったことにした。

 

 

 

「――――結局、 キャスパー(アイツ)の思惑通りにことが進んじまったってことだよな」

 

 あの時の行動に反省や後悔はしていないものの、抱いた疑念はなかなか払拭されない。

 あの場所にHCLI社が割って入ってきたこと。鳳仙を回収したこと。普通に考えればこの二つが裏で繋がっているということになるだろう。

 だが、何かが引っ掛かる。俺が今見ているものは氷山の一角に過ぎず、更にその裏でもっと大きなことが起こっているような、陰謀めいたものを感じずにはいられなかった。

 考えすぎだと言われれば返す言葉も無いが、何年も暗部を見ているとそういった危機感知能力というものは少なからず向上されるものだ。その第六感とも言えるべき部分が警鐘を鳴らしている。これは今までのものとは比較にならないほどに大きな事柄へと繋がっていると。

 

 心の準備だけはしておくべきだろう。そう結論付けて一旦その思考を打ち切る。

 何はともあれ、こうして無事に銀の福音事件を乗り越えることができたのだから今はそのことを素直に喜ぼう。一夏が海に落ちたと聞いたときはその先を分かっていても肝を冷やしたが、終わってみればきっちり二次移行(セカンド・シフト)して戻ってきたというのだから大したものだ。本人に向かって直接褒めるような真似はしないけれど。

 ちらりと部屋に予め備え付けられている壁掛け時計に目をやる。いつのまにか午後九時を回っていた。どうりで腹が減っているはずだ。思えば朝食以降まともな食事を摂っていない。夕食の時間はとうのに終わってしまっているし、女将に夜食を作ってくれとお願いするのもなんだか申し訳ない。

 

「コンビニでも行くか……」

 

 生徒たちは今日一日旅館から外に出ることを禁止されているが、俺を含む教師たちは別だ。

 千冬や真耶はおそらくほかの部屋で上層部への報告に忙しいだろう。ついでに何か軽食でも買っておこうと決めて、静かに部屋を出た。

 

「…………で? なんでお前と鉢合わせにゃならんのだ」

「こっちのセリフだくそったれが」

 

 旅館を出て目の前の道路を右に曲がったらばったりと織村と出くわしたの図。

 どうやら織村も俺と同じく夕食を食べ損ねたらしい。コイツの場合はイーリスを専門病院に搬送したりアメリカと連絡を取ったりと時間が取れなかったらしいが。

 そんなわけで図らずも二人でコンビニへと向かうことになった。ISに興味を持つ人間からしたら知名度がダントツな二人が並んで歩くこの光景をどう思うだろうか。などとどうでもいいことをぼんやりと考えていると、唐突に織村が口を開いた。

 

「イーリスは大事無いみたいだ。脳への障害も残らないって医者が言ってたよ」

「そうか、良かったな」

 

 お前の大事な友人なんだろう? そう聞き返すと織村は小さく笑った。

 

「俺とナタルとの、だな。付き合いだけならナタルのほうが長い。俺はナタルが卒業してアメリカに戻るまでの間にイーリと仲良くなったんだ。ま、最初は男の日本人だってんでかなり険悪だったがな」

「お前人相悪いからな」

「お前にだけは言われたくねえよ」

 

 俺の軽口に軽口で返す。こんなやり取りをするのも、いったい何年ぶりになるだろうか。思えば織村と和解するまでの期間のほうが長いわけだから当然だが、コイツと二人きりで話すというのもかなり久しぶりに感じられる。

 

「……一夏の二次移行も見た。ありゃ篠ノ之のやつ、かなり入れ込んで作ってんな」

「そんなに違ったのか?」

 

 話題は切り替わり、一夏の白式の二次移行を間近で見ていた織村が俺の問いに答える。

 

「ただでさえ機動力だけなら現行トップの白式の二次移行。そのスラスターが六基だぞ。どこまで速度を追求すりゃああの形になんのかね」

「二次移行にはコアとの対話が必須だからな、大方一夏が望んだ何かに関係してんだとは思うけど」

 

 この会話の前提条件として、二次移行するためにはコアとのシンクロ率が八割を超えなくてはならないという共通認識が必要である。この知識は原作からの引用ではなく、束から直接聞いた話だ。

 通常、ISコアとのシンクロが一割を超えれば起動することができる。大半の女性がこれにあたるわけだが、その中でも親和性が高く二割から三割のシンクロを可能とする人間がIS学園の生徒として入学することを許されるのだ。当然頭脳もそれに付随してそれなりになければいけないが。

 女性の全体でみればシンクロ率が二割以上を記録できるのはたったの九パーセント、一桁だ。これを見れば、IS学園というのが如何に敷居高く、その生徒たちが優れているのかが理解できるだろう。

 因みに代表候補性クラスともなればシンクロ率が四割から五割に達し、国家代表ともなれば六割以上になる。

 

 しかしながら、たとえ国家代表であっても二次移行できる人間は滅多に現れない。

 ISが開発されてから十年。これまで二次移行にまで達した人間は片手の指で数えられるほどだ。それほどまでに二次移行とは困難なものであり、だからこそこんなにもあっさりその領域に足を踏み入れた一夏に驚きを隠せない。

 

「ま、多少脇道に逸れはしたが大体は原作の通りに進んでるってこった。俺やお前みたいなイレギュラーがいたって、大きな相違にはならねえってことだな」

「その大きな、ってのがどこまでを言ってんのか知らねえけどさ、男の操縦者が四人もいる時点でそれはもう大きな歪みなんじゃねえの?」

「わかんねえぜ、ひょっとしたら他にもまだ隠れてるかもな」

 

 そう言って笑う織村。あながち無いとも言い切れないのがなんとも言えない俺の微妙な表情を作り出していた。

 織村の言うようにこの先、五人目、六人目の男性IS操縦者が現れないとも限らない。そうなった場合この世界にどんな変化を齎すのか想像すら出来ないが、今はただ悪い方向に向かわないことを祈るしかない。

 

「……篠ノ之とはきちんと連絡とってんのか?」

 

 次の角を曲がれば目的のコンビニが見えてくるところまで来て、唐突に織村が呟いた。視線は前に向けたまま、静かに俺の返事を待っている。

 

「ああ。……お前との約束もあるからな、蔑ろになんかするわけないだろ」

「ならいいけどよ。ちょっとでもあいつらを放っておくようなら俺が迷わず貰ってくからな」

「それはナタルに言っていいんだな?」

「マジすんませんでした言わないでくださいお願いします」

 

 見本のような美しさと速さで直角に腰を曲げて頭を下げる織村。この速さからして、どうやらアメリカでも何度かこういったやり取りはしているらしい。謝罪のやり慣れている感が半端じゃない。なんだ、こいつをからかえるやつが海の向こうにも存在していたのか。こりゃ近いうちにそいつと二人で織村をからかわなくてはいけないな。

 織村と二人で真面目な話をするのは未だに違和感が拭えない。本当に大切な話であってもさっさと要件を済ませ、こうして軽口を叩いていたほうが何かと気が楽なのだ。それはきっと織村も同じだろう。俺が話を変えたところで僅かに口元が綻んでいたのがその証拠だ。

 

「ま、互いに積もる話もあるだろうからな。今夜は二人で飲み明かすとしようぜ」

「IS学園の教師がそんなことしていいのかよ」

「明日に支障が出なきゃ問題ないさ。お前とナタルの話も聞きたいしな」

「だったらお前ら三人の話も聞かせろよ。篠ノ之がおめでたなんだっけか?」

「んなわけねーだろ勝手に孕ませてんじゃねえ」

 

 遠くの空で私はいつでも準備おっけーだよーと聞こえたような気がしたが、全力でそれを聞かなかったことにした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「もう、心配したんだからね一夏ッ!」

「わ、悪かったよ。だからその拳を下ろしてもらえると嬉しいんだけどな鈴」

「でも本当に良かったぞ一夏。撃墜されたと聞いたときは気が気でなかった」

「悪い、心配かけちまったな箒。箒たちが海域の封鎖をしてくれてたおかげで被害も出さずに澄んだ。ありがとう」

 

 夕食を他の生徒たちとは別の場所で済ませて、今回の作戦に携わった一年生八人は大部屋でそれぞれの無事を喜び合っていた。

 やはりというべきか真っ先に叱責を受けているのは一夏で、周囲を七人の女子に囲まれ逃げ場がない状態でお小言を甘んじて頂戴している。

 

「だが二次移行したと聞いたときは驚いたぞ」

「僕もびっくりだよ。まさか一夏が二次移行しちゃうなんてね」

 

 手元に置いてあったせんべいを可愛らしく齧りながら言うラウラにシャルロットも首肯した。

 

「俺もあれが二次移行だなんて思いもしなかったよ」

「……とにかく、無事で良かった」

 

 緑茶を啜る簪に、全員がそうだなと頷いた。

 やんわりとした緩い空気が充満する。そんな中、鈴が口火を切った。

 

「ところでさ、簪。あんた一夏が落とされた時にいの一番に突っ込んでいったってほんとなの?」

「ぶふっ!? けほっ、けほっ!」

「あ! その反応はほんとなのね!? どういうことか説明してもらおうかしらぁん!?」

「ど、どうもなにも、仲間が落とされたら駆けつけるのが当たり前……」

「お前らそれは俺のいないところでやってくんない?」

 

 一夏のお願いはあっさりとスルーされ、簪さん大尋問会の幕が切って落とされた。

 因みにこの話題に興味のないシャルロット、箒は速やかにその場からフェードアウトしていったそうな。

 そんな話題から一夏の好きな人は誰なのかという話題に切り替わり、逃げ場を無くした少年が火だるまにされるのは、この数分後の話である。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 時は少しだけ遡り、キャスパーが鳳仙を回収したすぐあとのヘリコプター機内。未だ気を失ったままの鳳仙の四肢を拘束具で固定して椅子に横たえ、残った座席にキャスパーとその護衛、チェキータが腰を下ろしている。ヘリは日本海を越えて今は中国の上空を飛行中だ。本来なら領空侵犯だのと言われているだろうが、HCLI社に限って言えばそれは問題ない。故に悠々自適にヘリは目的地へと進路を取っていた。

 最新設備が使われているせいなのか揺れどころかモーター音さえも聞こえないほどに静かな機内でおもむろにキャスパーが息を吐いた。それは緊張が切れたことによるものだと、隣に座るチェキータは正確に理解していた。

 

「フゥ、流石に緊張しましたねえ。あの場でドンパチ起こされてたらたまったもんじゃないですよ」

「フフ、確かによく引き下がってくれたわねえ彼」

「あの感じだと僕がまだ何か隠してるってことにも気づいてそうですね。流石はココに最重要視される人物だ。底が知れないってのはああいうことを言うんでしょうね」

 

 キャスパー・ヘクマティアルという男は基本的に自分の目で見たものだけしか信じない。言ってしまえば超現実主義の男である。だからいくら肉親であり信頼の置ける妹の言葉とは言え、更識楯無という男がそこまで危険視するほどの人物なのかわずかばかりの疑問を抱いていた。

 だがそれも楯無と視線を交えるまで。そこで彼は己の考えを改めた。これはココの言う通り、恐らくは地球上で最も警戒しなくてはならない獣だと。

 その意見にはチェキータも概ね同意見らしい。

 

「ほんと、あそこで刃を交えなくて良かったわ。私も久しぶりだったわよ、鳥肌立ったの」

 

 彼女もココの私兵同様、超のつく凄腕である。その彼女をしてここまで言わせる男の実力を、キャスパーは改めて理解した。

 

「でもま、うちがつくったISの性能も出来ればチェックしておきたかったんですけどね」

「初飛行でおしゃかにしてもいいってんなら戦ったけど」

「それはゴメンですね。それ一機つくるのに億単位の額を投入してるんですから、もう少し役立てないと」

 

 HCLI社は基本的に武器の販売を行う会社である。海運王と呼ばれたキャスパーとココの父親である現社長を筆頭に、世界各地で武器の販売を行っている。

 その商品の中には、当然のようにISが存在した。武器(・・)のリストの中に、堂々とその姿を晒しているのだ。当然他の兵器に比べれば金額に天と地ほどの差があるが、それでも注文を取り付けようとする輩はあとを絶たない。

 そんな中でHCLI社が独自開発したのが先程チェキータが纏っていた漆黒のISだった。製造方法は全く明かされていないものの、篠ノ之束が作成したコアと同質のものを核としてほぼ同じ性能を発揮できるパワード・スーツ。

 

「ま、それでもやっぱりオリジナルには及ばないんですが」

「コアの解析は出来なかったんしょう?」

「ええ、世界の名だたる科学者を集めましたがついぞその中身がなんなのか知ることはできませんでした。でもそれが全くの無駄ってわけじゃないんですよ、それがこの擬似ISの完成に繋がったんですから」

「ま、見た目と性能だけならほぼ同じよねえ」

「そうでしょう? 欠点は二次移行が存在しないのとオリジナルに比べて展開維持時間が短いってことくらいですかね」

 

 と、そんな会話をしていると突然ヘリを操縦しているパイロットから二人へ通信が寄越された。

 

『キャスパー様、前方に正体不明の物体が』

「なに?」

 

 訝しげに眉を潜めて、横の窓から前方を見る。

 

 そこには、黄金の鎧があった。

 

「なんだ、あれは……」

 

 よくよく見てみれば、その黄金は人の形をしていた。

 どうやら緩やかに移動しているらしいその人の形をした黄金の鎧を近くで視認して、キャスパーはその正体に気がつく。そして口元を手で覆った。堪えきれそうにない笑いを必死で押さえ付けるかのように。

 

「僕はついてる。まさかこんな形で彼と接触できるなんて」

 

 黄金の鎧、《黄金伯爵》を纏ったままの皿式鞘無を発見したことで、キャスパーはその口角を持ち上げる。

 手に入れられなかったピースの一つが、こうして転がり込んできたことは僥倖以外のなにものでもない。

 こうして三人目の男性IS操縦者、皿式鞘無は誰も行方を把握できぬまま、忽然と姿を消したのだった――――。

 

 

 

 




 そんなわけで長かった臨海学校編が終了。
 次回から織村過去編を挟んで夏休み編に入ります。

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