東方煩悩漢   作:タナボルタ

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大変お待たせいたしました。

今回かなり時間がかかった割にあまり文章量はありません。
また、今回は横島の幼少時代を少し捏造していますので、そういったことが苦手な方はお気を付けください。


第七十四話

 その日、紅魔館と永遠亭の主要メンバーは玄関ホールに集まっていた。今日は横島が地底へと旅行に行く日。要はお見送りというわけである。時刻はちょうど十時頃だ。

 

「ティッシュとハンカチは持った? 着替えは充分? さとりへのお土産は?」

「そんな母親みたいな……大丈夫ですって、ちゃんと用意出来てますから」

 

 まるでお出かけ前の子供に対する母親のような咲夜の言葉に横島は苦笑する。咲夜の方が横島よりも年下であるのだが、何故だかその光景には違和感がない。最近は上司と部下というよりは友人、あるいは姉弟といった関係性へと変化してきたようである。

 

「横島君、これも持っていきなさい。きっと必要になるから」

「何すか、これ?」

 

 永琳が横島へと渡したのは何本かのビンが入った袋。その中身と用途を説明され、横島は納得すると懐へとしまい込んだ。さっそく物理法則を無視しだす横島にパチュリーは溜め息を吐く。息をするように常識から外れるのは勘弁願いたいようだ。

 

「準備は整ったようですね、横島様。それでは参りましょうか」

「……やっぱ様付けは慣れねーな」

 

 諸々の確認を終えた横島に声を掛けたのは八雲藍。紫から横島を地底へと送り届ける役目を仰せつかっているのだ。紫は半身を失った後すぐさま横島の文珠によって回復しているが、現在は念のために休眠を行って心身の回復に努めている。元々紫は横島の元の世界の捜索を寝る間も惜しんで続けていたのだが、長期の休眠は紫にとっても必要な行為であり、ちょうど捜索も一段落ついているので少しの間休むことにしたようだ。

 藍は以前と違い、横島を敬称で呼んでいる。これは龍神との戦いの際に、自らが氷漬けにされていながらも紫の命を救ったことから来ているようだ。宴会の時にはぐしゃぐしゃに泣きじゃくりながら紫と橙を抱きしめつつ横島に土下座して感謝を表す藍の姿があったそうで、以来、藍と橙は横島を様付けで呼ぶようになったのである。

 

「一先ずは地底の入り口である縦穴前までスキマで移動しましょうか。古明地さとりにも到着は夕方ごろと連絡も入れてありますし、地底の街を観光してから向かいましょう」

「了解っす」

 

 藍の提案に横島は頷く。ちなみに横島は微妙に視線をずらして藍を直視しないようにしている。これは近くに輝夜もいるため、いつぞやの宴会の時の様に煩悩が暴走しないようにしているためだ。しかし、そうは言っても当たり前であるが今この場には輝夜もいる。なので実は徐々に煩悩が高まってきているのだが、その感情はラインを通じて妹紅にも伝わってしまっている。

 妹紅は隣に立っている輝夜を何故だか直視出来ないくらいに意識してしまっている自分に困惑していた。それでいてチラチラと輝夜を盗み見ては視線を外すという行動もとっている。頬が熱い。そして輝夜は輝夜で挙動不審気味な妹紅を見てどこか気まずさを覚えている。何となく初々しいカップルのような雰囲気の二人に、永琳のカメラのシャッターを切る手は止まらない。

 

「そんじゃ、みんな。行ってきます」

「こちらに戻る際も私がスキマを開くので」

 

 横島は皆に手を振りながら藍が開いたスキマに入ろうとする。皆も思い思いの声を掛けて横島を送り出すのだが、レミリアがそれに少し待ったをかけた。レミリアが掛ける言葉は一つ。

 

「横島――――私の顔に泥を塗るような真似はするなよ?」

「――――勿論です。勿論です、レミリアお嬢様」

 

 レミリアの言葉に、横島は家族と別れて戦場に向かう兵士のような表情で答えた。以前人里に出かけた時に咲夜から言われた時とは明らかに違うその姿。横島のレミリアへの信仰心は馬鹿に出来ないレベルに到達しているようである。

 そうして、今度こそ横島は藍と共にスキマの中に入っていった。その先は地底へと繋がる縦穴。ある意味での地獄門だ。

 

 そして、これが横島が見せた最後の姿となったのだった――――。

 

 

 

 

 

 

 

第七十四話

『いざ、地底へ』

 

 

 

 

 

 

 

「そして、これが横島が見せた最後の姿となったのだった――――」

「不穏なモノローグを流すな輝夜ぁっ!」

 

 割とシャレにならない冗談をぶちかます輝夜に妹紅の容赦のないツッコミチョップが入る。輝夜は大きなたんこぶが出来た頭を押さえて玄関ホールの床を転がっている。そして冗談の内容が内容だけに誰も彼女の心配などしないのであった。

 

「行っちゃったねー」

「行っちゃいましたねー」

「私も行きたかったなー」

「私もですよー」

 

 間延びした口調でフランと美鈴が顔を見合わせて不満を口にする。二人とも口を挟まずに大人しくしていたのだが、やはり納得はしていなかった。それは妹紅や小悪魔もおなじである。そして不満があるわけではないが、それを疑問に思う者も当然存在する。

 

「でも真面目な話、何で横島さんだけ旅行に行かせたんです? 正直てゐや妹紅達恋人と出かけたほうが癒されると思うんですけど……?」

 

 それを口に出したのは鈴仙だ。その疑問は妹紅達も抱いていたものであり、皆の視線は自然と永琳へと集中する。

 

「んー、そうね……。横島君は女性からの承認欲求でワーカーホリックになったんだけど、ここまではいい?」

 

 永琳の確認に皆は首肯を返す。それは今回の旅行が決定された時に皆に説明されていたことだ。

 

「簡単に言えば、みんながいると横島君が頑張りすぎちゃうの」

「え……っと? それは、どういう……?」

 

 返ってきた答えの意味がよく分からず、妹紅達は首を傾げる。ただ、横島の恋人達の中でもてゐだけは頷いていた。

 

「どういうことなんです、てゐさん?」

 

 小悪魔はてゐのふかふかの耳をいじりながら問う。てゐが小悪魔の相談に乗って以来、二人は一緒に行動することが増えた。可愛いものが好きな小悪魔はよくてゐを抱きしめたり耳やしっぽをいじくりまわしている。時折やきもちを焼いたフランも参戦しているが、その感触に骨抜きになっている模様。

 

「簡単なことだよ」

 

 ふふーんと得意げな笑みを浮かべながら、てゐは胸を張る。その答えに気をよくしているのだ。

 

「男の子はね、好きな女の子の前では格好つけたくなるものなのさ」

 

 そうして、てゐは真理の一つを説いた。

 横島は褒められるということに慣れていない。幼少の頃からそうだった。かけっこで一番になっても、テストで百点を取っても、両親からは「俺達の息子なんだから当然だな」と、努力とその成果を認めてもらうことは稀であった。真正面から褒められたのは初めて女の子にスカートめくりをした時に、父親の大樹から「それでこそ俺の息子! よくやったぞ!」と頭を撫でられた時だろうか。当然大樹は妻の百合子の手によって血の海に沈んだのだが。そうした経験もあり、横島の褒められたい、認められたいという承認欲求は煩悩へと繋がっていったのかもしれない。

 そういった少年時代から十年ほど、横島は元居た世界から外れて別の世界へと墜落した。この世界での横島の生活は元の世界と比べて順風満帆と言っても良いだろう。ここでは頑張ればその分褒めてくれる。認めてくれる。期待を掛けてくれるのだ。だからこそ、横島は皆の期待に応えようと仕事に修行に打ち込んでいる。

 横島の欲求を甘えだと言う人もいるだろう。大人になれていないと言う人もいるだろう。そのせいで無理と無茶を重ねてしまうのだと。しかし、言い換えればそれほどまでに横島は飢えていたのだ。ただただ愚かなほどに“愛”を求めているのである。

 

「みんなも気付いてると思うけど、執事さんと付き合う前より付き合ってからの方が一緒の時間が短いよね?」

「……言われてみれば、確かに」

 

 てゐの問いに、妹紅は横島のことを思い浮かべながら頷く。その際に手がてゐの耳に伸びており、ふと感じた寂しさから小悪魔がいじり倒していたふかふかの耳に触りたくなったのかもしれない。

 

「あれはね、執事さんが私達に“頑張ってる俺はどないや”アピールをしているんだよ。離れてほしくない、もっと好きになってほしいって考えからそういう風にいっちゃったんだろーね。……可愛いなあ執事さんは!!」

「な、なるほどー」

 

 よだれを垂らしつつのてゐの推察にフランは少々戸惑いながらも納得を示す。しかしフランの手は妹紅達と同様てゐの耳に触れており、手触りを楽しむように蠢いている。

 

「でも、横島さんならもっと“ぐお-っ!”って迫って来そうなものですけど……?」

「確かにその方が横島さんらしいね」

 

 せっかくだからと自分もてゐの耳に触れる美鈴がそう疑問を投げると、耳ではなくてゐの赤ちゃんのような手触りの頬に触れていた鈴仙がそれを支持した。折角恋人という関係になったのだから()()()出来ることも増えているだろう。だというのに横島が単なるアピールだけで済ませているというのが二人には引っかかった。

 その後もあーでもない、こーでもないと話し合う横島の恋人達(鈴仙を除く)を、レミリアと永琳は沈み込んでしまう感情を抑えながら眺める。この二人は()()()()()()()()()()()。彼のちぐはぐな言動の理由も思い知っている。

 

「……どうしたの、二人とも?」

 

 パチュリーはレミリア達が何かを隠していることに勘付いている。一体何故話さないのか、それとも話せないのかは分からないが、パチュリーとて横島のことは気に入っている。出来ることならその何かを教えてほしいと考えているが、どうにもその機会を得られそうにない。

 

「……いいえ、何でもないわ」

 

 その一言でパチュリーは追及を止めた。レミリアは話したそうにしているが、それでも視線を逸らしてその小さな口を引き結ぶ。迷いはあるが話さない、という表れだ。どうやら余程に深刻な内容らしい。あるいはパチュリーでは何も出来ないから話せないのか。

 

 ――――まさか、私がその“何か”で横島をイジメるとか思われてるんじゃ……?

 

「……」

 

 うん。ないない。絶対にない。そんなことしない。

 自らの心に言い聞かせるかのようにイジメないと念じるパチュリー。そんな親友の思考を読んだのか、レミリアは溜め息を吐く。

 

「出来れば時間を掛けてゆっくりと治していきたいけれど……」

「荒療治は危険だものね」

 

 それこそ、横島の心を粉々に砕きかねない。妹紅達横島の恋人の幸せの為にも失敗は許されないのだ。

 

 

 

 

 

「ここが地底に繋がる縦穴っすか……」

 

 スキマを抜けた横島の眼前に広がるのは底が見えない巨大な穴。地底へと続く入り口は他にもあるらしいが、この場所こそ最初期から存在した最も有名な場所だ。この穴から地底へと向かう人間もそれなりに存在するらしいのだが、普通の方法ではどうやっても降りられそうにない。

 

「どっかにエレベーターでもあんのかな……?」

 

 横島の疑問はともかく、せっかくなので二人は穴に飛び込んだ。横島は思い切り腰が引けていたが、藍に空を飛べることを指摘されて「そーいえばそーだった!!」と手を打ち鳴らし、藍を苦笑させた。落ちていく速度は比較的早いが、地底に近づくほどに周囲から光が消えていき、目で確認することが困難になってくる。横島の心臓の鼓動が恐怖で速度をどんどんと上げていく中、藍が口を開く。

 

「もうすぐですよ。光が見えてきました――――あれが旧都です」

 

 底に見えた小さな光。それがどんどんと大きくなり、やがて眩い輝きへと変じる。暗闇に慣れ切っていた横島の目はそこで眩んでしまったが、やがてその光にも慣れると旧都の景観が目に入ってくる。

 

「おお――――おおおおぉぉぉ……!!」

 

 それは感嘆の呻き。紛れもなく地底であるというのに暗さを感じない街。大小様々な家屋が立ち並び、遠くに見える街並みには巨大なビル街の様なものまで存在している。地上を追われた妖怪達が住まい、元は地獄だったとは到底思えない、地上の人里よりも発展しているその街に、横島は感動すら覚えた。藍はそんな横島に笑みを浮かべつつ、着地の用意を促した。と言ってもゆっくりと降り立つだけなのであるが、何せ横島のことだ。地底の街並みに感動したまま結構な速度で地面へと突っ込むことだって考えられる。だって出会いがそうだったし。

 やがてゆっくりと地面に降り立つ二人。その目の前には木造の大きな橋が存在している。縦穴と旧都を繋ぐ、入り口の様なものだ。

 

「この橋には番人というか守護神のような者がいましてね、これが中々厄介な性格をしているのです。今回は私もいますし観光なので橋を渡りますが、次に地底に来る時には空を飛んで行くことをお勧めします」

「うーん、普段温厚で優しい藍さんがそこまで言うとは……」

 

 そんなに厄介な人物がいるのなら今回も無理に渡らなくてもいいのでは? と考える横島だが、藍は実際に会ってみてどれだけ厄介な人物なのかを知ってもらおうと考えたのだろう。藍もその人物のことを心から嫌っているわけではない。だが、横島は紫の恩人であり、自らにとっても大事な存在と化した。藍は身内に甘い。地底を訪れる度に橋を渡り、癖が強すぎる()()に横島が不快な思いをしないようにと考えてのことだった。

 

「――――あら、随分と珍しいお客さんね?」

 

 不意に横島達二人に掛けられた涼やかな声。横島が地底なのに明るい天井や橋の下などに向けていた視線を前に向けると、そこには金髪碧眼の美少女が佇んでいた。初めて見る顔なのに、横島はどこか親近感を覚える。

 

「あの九尾の狐が男連れで地底を訪れるだなんて、妬ましいったら――――?」

 

 少女が藍に向けていた視線を横島に向ける。何故か強烈な視線を感じたからだ。それはほんの一瞬の出来事。しかし、当事者の二人にはそれが数分にも感じられるような時間であった。

 

 

 

「――――ッ!!?」

「――――ッ!!?」

 

 

 

 二人の視線が絡み合う。瞬間、互いの身体に電流にも似た衝撃が走り抜ける。それは驚愕。そして共感。それは生き別れた家族が偶然再会出来たかのような、そんな心の奥底をざわめかせるような感覚を伴った出逢い。

 横島が一歩踏み出せば少女もまた一歩を踏み出す。そうして一歩、また一歩と近付き、二人の距離はやがて恋人同士の様に近くなる。

 

「え? え……?」

 

 藍は二人の放つ雰囲気に戸惑うばかり。もしかして二人は知り合いであり、実は深い仲であったとか? などと想像してしまう。そんな藍を置き去りに、横島と少女は同時に右手を差し出し、固い握手を交わしていた。更に左手も重ね合わせ、まるで親密な仲の男女のような雰囲気すら漂っている。

 

「俺は横島忠夫。……君の名は?」

「私は水橋パルスィ。……よろしくね、横島さん」

 

 二人の眼に、言葉に宿るのは親愛、友愛、親近感、様々な感情。そう、横島とパルスィはほんの一瞬で互いのことを深く理解しあったのだ。二人に共通する理不尽な力、その類稀なる“嫉妬力(しっとちから)”によって――――。

 

 

 

「んで、今回は地底に観光に来てて――――」

「それなら向こうの区画が温泉街になってて――――」

 

 すっかりと意気投合した二人は藍をそっちのけでにこやかに会話を交わしている。いや、見る者が見ればパルスィの心の裡に嫉妬が渦巻いているのが分かるだろう。自らと同等の嫉妬心を抱ける者が存在したことを妬ましく思っているのだ。

 水橋パルスィ。彼女は橋姫という妖怪であり、非常に嫉妬深い性格をしている。それは聊か常軌を逸しており、自分よりも幸福な者を見た時はもちろん、不幸な者を見た時ですら嫉妬心を抱くほどだ。そういった性格から彼女は周囲から嫌厭されており、友人も多くはない。しかし、彼女のことを理解してくれる者はちゃんと存在している。

 

「それで俺の目の前で西条っていう中年貴族が美神さんに――――」

「くぅっ、妬ましい妬ましい妬ましい――――」

 

 今も話が盛り上がっている横島もそんな存在の一人だ。横島はパルスィの嫉妬心の裏に隠れた憧れや羨望といった感情を見抜いている。普段の鈍さからは想像がつかない鋭さであるが、どうしたわけかパルスィの複雑な性格を深くまで理解出来ているようである。あるいは、これこそが二人が似た者同士であるということの証左なのであろうか。

 

「……あの、横島様?」

「え? あ……っと、すんません藍さん。ついつい盛り上がっちゃって」

「いえ、それは別に……」

 

 まさかここまで意気投合するとは思っていなかった藍は戸惑った様子で横島に声を掛けるが、逆に横島に恐縮されてしまう。藍の思惑と違って二人の仲が良くなってしまった。とんだ誤算ではあるが、誰かを嫌うよりも誰かを好く方が良いというのは藍も承知している。なので、藍は横島が気に入るであろう情報を開示することにした。

 

「じつは水橋パルスィなのですが、何と()()“丑の刻参り”を開発した方でもあるのです」

「何ですとっ!?」

 

 横島は背後の藍と向き直っていたのだが、藍の言葉に首だけを“ぐりん”と回し、再びパルスィに向き直る。その姿はホラーそのものなのであるが、藍もパルスィも特に反応はない。二人とも妖怪であるし、そんな程度で驚くような精神は持ち合わせていないのだ。なので二人の眼に浮かぶ涙や引きつった口許に震える身体などは全て目の錯覚である。

 

「パルスィが、丑の刻参りを……!?」

「え、ええ……。そうだけど……」

 

 パルスィは嫉妬の化身。そもそも丑の刻参りは()()()()()()呪術効果というものはほとんど存在せず、むしろ嫉妬に駆られて行う者にこそ大きな負担を強いる行為である。これは人間の嫉妬の力を取り込み、自らの糧とするためだ。横島はそんな裏の背景を知らない。ただ彼の中に浮かぶ感情は、感謝の気持ち。横島は再度パルスィの手を握り、真っ直ぐに彼女の緑の眼を見つめる。

 

「――――ありがとう。パルスィのおかげで、今の俺があるんだ……!!」

「……ど、どういたしまして……?」

 

 真剣な表情の時はそこそこ格好が良い横島にパルスィの頬が淡い朱に染まる。珍しいものを見た藍は微笑みを浮かべるが、それはパルスィから見れば嘲笑にも等しい笑みである。

 横島は今まで数々の呪いで使用してきた藁人形を思い出し、少しだけ誇らしい気持ちになった。これほどの美少女が生み出した呪いを己は使い続けてきたのだ。自分の嫉妬は間違っていなかったのだと。

 こうして、パルスィは横島内信仰対象ランキング(幻想郷限定)の第二位に躍り出た。ちなみに一位はレミリア、三位は諏訪子である。

 

「それじゃ、また今度な。今度来た時には俺が作った藁人形の出来を見てくれ」

「ええ、妬ましい程に楽しみに待ってるから」

「では失礼するよ」

 

 思わぬ時間を取ってしまったが、時刻は未だ正午前。観光に使える時間はまだまだ残っている。これから次に向かうところについて話しながら去り行く二人の背中を見送り、パルスィは妬まし気に深い息を吐く。

 

「妬ましい。妬ましいったらないわ。本当に、本当に――――()()()()

 

 緑の眼が見つめる先には一人の少年の背中が映っている。その嫉妬は何なのか。その羨望はどこから来るのか。それを朧げに理解しながらも少女はただ妬むだけ。胸に宿る痛みは大きな力を与えてくれるが、それに虚しさを覚えたのは随分と久しぶりのことだった。

 

 

 

 

 それからしばらく、横島と藍の二人は昼食をとる店を探しながら地底の街を巡る。やはり地底でも藍は目立つようで、二人の周囲には常に多くの者が付いて回っていた。周りを囲む者達は二人の容姿について嫉妬や優越感から陰口を叩いており、特に横島は普段は貧弱なぼーやにしか見えないことから多くの者達に嘲弄される。その度に藍が怒りの妖気を振りまいてその者達を追い払うのだが、また数分と経たぬ内に人だかりが出来る。中には藍を口説こうとする者も存在したが、藍の眼光に耐えられずその全てが逃げていった。

 

「……これではおちおち観光も出来ませんね」

「まあ藍さんは俺と違って超絶美人だからしゃーねーって。いよっ流石は傾国の美女!」

「やめてくださいよ、もう……」

 

 自分の容姿にコンプレックスを持つ横島がややヤケクソ気味にやんややんやと囃し立てるが、横島の抱える劣等感について紫からある程度聞き及んでいるので、苦笑を浮かべるにとどまった。しかし、このままでは少し面白くない。なので、藍はちょっとした意趣返しをすることにした。横島の手を藍がそっと握る。

 

「……っ!?」

「その“傾国の美女”を、横島様はこうして侍らせているんですよ? もう少し自信を持ってください」

「ほ、ほああああああ……!? 細くしなやかな指が、温もりがあああぁぁ……!?」

 

 また珍妙な反応をするものだ、と藍は微笑む。余程横島の反応がツボを突いたのか、もはや藍は周囲の視線など意に介さない。そのまま食事が出来る店を探そうと手を引いて歩こうとするが、そこに一人の少女が待ったをかける。

 

「おやおや、真実味のない噂を聞きつけてやって来てみれば、まさか本当に九尾の狐が男連れで地底に降りて来ていたとはね。珍しいこともあったもんだ」

 

 そう言って手に持った盃を呷るのは、金の長髪、星の印がついた赤い角を持つ少女。地底温泉街の元締めである鬼、“星熊勇儀”だ。勇儀の額から生える派手な模様をした角に、横島がぴくりと反応する。

 

「星熊勇儀……」

「藍さん、知り合いっすか?」

「ええ。紫様の親友である萃香様の友人です。彼女と同じく、“鬼の四天王”の一人です」

 

 顔を寄せ合って小声で話す藍達の様子を見て、勇儀はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。その表情を見た横島は背筋に少し嫌な予感が過ぎるが、それでも何とか顔に出すようなことはせず、まずは挨拶を交わそうとする。

 

「えっと、俺は横島忠夫。よろしく」

「ああ。私は星熊勇儀だ」

 

 言って勇儀は右手を差し出し、横島と握手を交わす。その瞬間、勇儀の直感に反応した。……強い。鬼として戦乱をまき散らしていた勇儀の戦士としての勘が、横島の潜在能力を感知したのである。

 

「へえ……お前さん、相当強いね」

「……そ、そうか?」

 

 自分の手をにぎにぎと何度も握ってくる勇儀に煩悩が反応してしまうも、彼女の発するとある特徴的な匂いのせいで湧き上がってきた煩悩も瞬時に萎えていく。これは横島の自称ライバル、伊達雪之丞が持つ匂い――――バトルジャンキーの匂いである。

 

「なあ、横島殿。もし時間があるなら――――」

「申し訳ありませんが、私達はこれから昼食をとる予定でして」

 

 危険な雰囲気を放ち始めた勇儀の言葉を遮るように、藍がやんわりと勇儀の手と横島の手を解いた。藍は勇儀の性格を知っている。せっかく身体を休める為に観光に来たというのに、戦闘行為などしていられない。それならば危険がいっぱいな地底に行くなというのはもっともであるが、藍も紫の影響を受けてうっかりが発動していたのかもしれない。

 

「そうなのかい? 何なら私が美味しい店を紹介しようじゃないか。飯も酒も、女だって極上だよ? ま、流石にあんたにゃ劣るけど……具合の良さで評判の娘を何人か呼んでやろうじゃないか」

「いえいえ、お気になさらず。私達は観光でこちらに来ていますから。旅先での食事は自分の目や耳、鼻で探すのも旅情かと。あとナチュラルに色町に誘うのはやめてください」

「………………」

 

 勇儀と藍。一見にこやかに会話をしているように見えるのだが、二人の視線の間には火花が散っていた。二人の妖気にも剣呑な色が混ざっていき、肌をピリピリと刺す。間に挟まれている横島の顔色はどんどんと悪くなっていった。

 

「……じゃあ単刀直入に言うけど、横島殿と一発()らせてくんない?」

「……さては面倒くさくなりましたね? 却下です」

「ああ、やっぱりそーいう……」

 

 台詞だけ聞けば色事の誘いかと思える言葉であるが、勇儀の表情や身体から溢れ出る強大な妖気から『戦いたい』という欲望が漏れ出している。別の意味でヤらせてくれるのなら横島は飛びついただろうが、戦いとなれば話は別である。ちなみに勇儀の外見年齢は咲夜と同程度か少し下くらい。もはや二歳~三歳程の外見年齢差ならば普通に受け入れられるようになってしまった横島なのであった。

 

「別にあんたでもいいよ? とにかく今は身体が疼いちゃってねぇ……」

「お断りします。私達は観光に来ているのです。何故そんなことをしなければ――――」

「心配しなくてもちゃんとハンデはあげるよ? 私がこの盃の酒を一滴でも零してしまえばそれであんたの勝ちさ」

「――――は?」

 

 びきり、と藍のこめかみに井桁が浮かぶ。普段から穏やかで優しい藍ではあるが、実はこう見えてプライドが高い。己が軽んじられるということはつまり、主である紫を軽んじられているということである。そして、心から尊敬し敬愛する主を侮辱されて笑っていられるほど、藍は穏やかでも優しくもなかった。

 

「……いいだろう、肉の一片までも余さずズタズタにしてやろうじゃないか、()()

「へえ。そいつは楽しみだよ、()()

 

 爆発的に膨れ上がる両者の妖気。周囲で事の成り行きを眺めていた野次馬達も、遂に一人残らず逃げだしていく。それも当然だ。藍にしろ勇儀にしろ、地底の街を破壊し尽くすなど簡単に出来る程の強さを誇る。そんな二人の間に割って入り、衝突を止める者など、その場にはたった一人しか存在しなかった。

 

「ストップ!! スト――――――ップ!! 美人は仲良く!! ねっ!!?」

 

 泣きそうな顔でありながら、それでもなけなしの勇気を振り絞った横島が二人の間に両手を広げて立ち、二人を引き離した。

 

「しかし、横島様……!!」

「藍さんの怒る気持ちも分かりますけど、ちょっと待ってくださいって!!」

 

 どうどうと藍を宥めながら、横島は藍の肩を押さえて勇儀から距離を取る。藍は横島に文句を言うが、横島はそれでも藍を抑える。何故ならば、横島も怒っていたからだ。

 

「星熊勇儀! お前の挑戦、受けてやる!!」

「――――へぇ?」

「ちょ、横島様!?」

 

 横島は何故藍が激怒しているのかを正しく理解している。横島にとって紫は大切な女性である。この世界に墜落する原因となった彼女であるが、横島は紫に幾度も助けられてきた。自分らしくないことは重々承知だが、今後のためにもそれでもやらねばならない時がある。

 

「任せてくださいって、藍さん。()()()()()()()()()()()

「横島様……?」

 

 やや引きつってはいるが、それでも笑顔を見せ、勇儀の前に立つ。腰が引けているのはご愛敬だ。その少々情けない姿に自分の見立てが間違っていたのかと、勇儀は苦笑を浮かべてしまう。

 

「……そんなへっぴり腰でよくもまあ……」

「うるへーバーカ! お前はそのへっぴり腰に負けるんだよバーカ!」

「子供ですか……」

 

 バーカバーカと勇儀を罵る横島の姿はまさしくお子様。これには勇儀も藍も毒気を抜かれてしまい、高まっていた戦意も沈静していく。

 

「……ま、いいや。いいかい、横島殿。さっき八雲殿に言った通り、私が盃から一滴でも酒を零したらあんたの勝ちだ。私の勝利条件は……どうしようかね?」

()()()()()……ね。それならそっちの勝利条件は……」

 

 腕を組んでうーむと唸り、やがて横島はポンと手を叩く。

 

「勇儀の勝利条件は――――勇儀が一発でも俺に攻撃を命中させること……で、どうだ?」

「……」

「横島様!?」

 

 その条件に、勇儀の眼が細くなる。侮られている、と感じた。互いの勝利条件としては釣り合っているだろう。否、種族の差を考えればそれは誤りか。意識が先鋭化され、妖気が洗練されていく。思考が、身体がここ数十年はなかった純粋な戦闘状態にシフトしていく。

 

「……ああ、それでいいよ」

「よし。それじゃ始めるか――――」

 

 瞬間、既に勇儀は横島の間合いに入っていた。固く握られ、引き絞られた拳。込められた妖気は人間一人吹き飛ばすには十分に過ぎる。目の前の男……横島は確かに強いだろう。見た目以上に鍛えこんでいるし、感じられる霊力も規格外だ。だが、それでも勇儀は自分の方が上だと確信している。そして、それは紛れもなく事実なのだ。横島もそれは重々承知している。

 圧倒的な威力を湛えた拳が繰り出される。もはや避けようがない距離。藍も勇儀も当たる、と。そう確信した。しかし、その拳は――――。

 

「――――っ!!? よ、横島様……!!」

 

 吹き荒れる突風、巻き起こる砂ぼこり。しかし、そんなものが気にならなくなるほどのものが藍の眼には映っていた。

 

「な……あ……っ!? まさか……そんな……!!?」

「くくくくくくく……」

 

 ()()()()()()()()()()。拳を……否、全身を震わせ、信じられないものを見るかのように瞳を見開いている。そして、勇儀の眼前にはそれはもう邪悪な笑みを浮かべ、自分の懐に手を突っ込んで何かをチラチラと見せている横島がいる。

 

「よ、横島様……? 一体何が……」

 

 混乱する藍は二人に近付き、何がどうなったのかを確認する。どうやら横島は懐からビンを取り出したようであり、勇儀はそのビンを見て衝撃を受けているようだ。

 

「実在……していたのか……!!」

「その通り……。()()はこの幻想郷が出来る数百年前から数十年に数本だけが市場に出たという、幻の純米大吟醸酒――――その名を“月の頭脳”!!」

「――――っ!!!」

「……え」

 

 横島が取り出したのは“酒瓶”。それも何やらとても貴重なお酒であるらしい。

 

「実はこの酒は()()()()からの預かり物でな……。地底には酒好きのハイカラな角を持った鬼がいて、俺は必ず絡まれるだろう、と言われてな。友好を築けるようにって渡されたんだよ」

「な、何だってっ!!?」

 

 横島の言葉に勇儀の眼が光り輝いた。横島が“月の頭脳”を右にやればそちらに顔ごと向き、左やれば同じく顔ごと向ける。しまいには口から涎を垂らして物欲しそうに見つめる始末だ。横島の口許が更に邪悪に歪む。

 

「くくくくく……。この酒を呑むのに、下手な酒器は使えないよなぁ……?」

「……っ!?」

「ああ、()()()。けっこうな力を感じるな。多分、かなりの逸品なんだろうなぁ……それこそ、この酒を呑むのに相応しいくらいによぉ……!!」

「く……っ!? ううぅ……!!」

 

 勇儀は追い詰められていた。こんなことで、ここ数百年は無かったほどに彼女は精神的に追いつめられていた。まさかこんなことでこれほどまでに追いつめられるとは誰も思わなかっただろう。勇儀本人や藍だってそうだ。これを見通せた者がいたとすれば、それはただ一人。この“月の頭脳”の生産者、八意永琳のみ――――!!

 

「さあ、どうする星熊勇儀!! この酒をーーー!! そこらの酒器で味わうのかーーーっ!?」

「……っ!!」

 

 ぎりり、と勇儀の歯が鳴る。彼女は大きく息を吐き、盃を持っていない手で自分の頬を叩き――――。

 

「あ……!!」

 

 ぐい、と。盃の中の酒を呑みほした。盃の中にはもう酒は一滴も残っていない。勇儀の出した横島の勝利条件は“盃から一滴でも酒を零させる”こと。ここに、その条件は果たされた。

 

「――――俺の、勝ちだ」

 

 真っ直ぐに勇儀の眼を見据える横島。勇儀の胸に去来する感情は何か。悔しさはある。蟠りも、怒りも、情けなさもある。だが、ここに勝敗は決したのである。はっきりと言って気に食わない。気に食わないが……それでも、負けは負けだ。

 

「ああ。――――そして、私の敗北だ」

 

 それは儀式だった。勝者と敗者を決定する、神聖な儀式。決して呑兵衛がお酒呑みたさに勝負をほっぽり出したわけではない。例え勇儀のお尻に犬のしっぽが生えてぶんぶん振られているような幻影が見えていたとしても、これは神聖な儀式なのだ。そこは誤解のないように。いいね?

 

「……えぇー」

 

 ただ一人の見届け人となった藍は、そう口にするしかなかった。色々と衝撃すぎて上手く言葉にすることが出来ない。二人に怪我がなくて良かったが、後に遺恨が残るのではなかろうか……?

 そう思う藍であったが、目の前の光景を見て考えを改める。既に横島と勇儀がおかしそうに笑みを浮かべ合っているのだ。勇儀は横島の背をバシバシと叩いているが、そこに陰湿な雰囲気は見られない。どうやら、横島の()()を気に入ったようである。

 

「……ふう」

 

 こうなってしまえば勇儀もしばらくは横島を離しはしないだろう。先程は断ってしまったが、勇儀も一緒に昼食に誘ってしまおうか。二人の発する雰囲気に、藍は苦笑を零す。一体彼の何がどう気に入ったのか、酒の肴にするのも悪くはないだろう。藍は笑い合う二人の間に入っていった。

 

 

 

 

第七十四話

『いざ、地底へ』

~了~

 

 

 

 

 




お疲れ様でした。

今回はパルスィと勇儀に出会いました。地霊殿メンバーが本格的に登場するのは次回からですね。

パルスィはパチュリー曰くペルシャ人とのことですが、金髪……金髪碧眼のペルシャ人……黒髪のパルスィも見たいなぁ。

勇儀の性格は……ちょっと彼女らしくないですね。精進しないとなぁ。

それではまた次回。

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