東方煩悩漢   作:タナボルタ

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大変お待たせいたしました。

今回、横島君が煩悩を振り切る程にまで(振り切れたとは言ってない)修行した中国拳法の腕前がどれほどのものかが分かります。


そして、今回は久々に残酷な描写タグが仕事をしています。
そういった物が苦手な方はご注意ください。

それではまたあとがきで。


第三十二話『一人の人間の終わり』

 

 妖怪の山、山腹のとある洞窟の前。そこを目掛けて1つの黒い影が空から落ちる。

 それは黒翼を広げた鴉天狗の少女。射命丸文だ。

 

 文は翼をはためかせて速度を殺し、ゆっくりと地表へと降り立つ。文はキョロキョロと辺りを見回し、自分を呼び出した人物の姿を探す。

 夕霧だろうか、辺りには白い霧が立ち込める。人を探しているというのに視界が悪くなった事に少々眉間に皺を寄せてしまう文だが、()()から響いてくる声によって、その表情は驚きへと変えられる。

 

「――――そんなに皺を寄せてると、それが癖になっちゃうよ?」

 

 驚く文を尻目に、()()()()()()()()()()()()()()()()。やがてそれは、歪な人型を取った。頭部に捩れた角が生えた、幼い少女の姿をした鬼。伊吹萃香である。

 

「やふー。久しぶりだね、文」

 

 そう言って、萃香はいつも提げている瓢箪から酒を呷った。文からは溜め息が出てしまう。

 

「はい、お久しぶりです萃香さん。ですが、そんな事を言っている場合ではありませんよ? 霊夢さんが『肝心な時にあいつはいない!』ってカンカンでしたよ?」

「うへぇ……そいつは勘弁願いたいねえ……」

 

 少しおどけたような文の言葉に、今度は萃香から溜め息がこぼれてしまう。それを見て文の溜飲が下がったのか、1つ咳払いをすると、今度は真面目な調子で話し始めた。

 

「それで、一体どうしたんですか? 何も言わずに3週間以上も姿を消すなんて、最近ではなかった事ですよね?」

 

 萃香は文の言葉を受け、またも瓢箪を呷った後、いつになく真剣な表情で頷いた。

 

「うん、ちょっと色々あってね。最近人里でも騒ぎになっている異変を調べていたんだよ」

「異変……それは、獣達が血液や内臓を抜き取られて殺されているという異変の事ですか?」

 

 文の問いに、萃香はゆっくりと頷いた。彼女は瓢箪を弄びながら、姿を消していた時の事を語り始める。

 

「ちょーっと目立ちすぎてたからね。一体どんな奴がこんなことを仕出かしたのかを確かめてやろうと思って、霧になって探ってたんだよ。いやー、最初は真面目にやってたんだけど、どうにも集中が続かなくてね。お酒を呑みながらブラブラうろついて、気付いたらもう10何日も経ってて」

「……萃香さん、昔からそうでしたよね」

 

 文は昔を思い出したのか、げんなりとした表情になる。あまり思い出したくない類の記憶なのだろう。文は萃香に目線で続きを促し、萃香は1つ頷くと続きを話し始めた。

 

「んで、元凶は一応見つけることは出来たんだよ」

「え!? ほ、本当ですかっ!?」

 

 萃香の言葉に文は身を乗り出す。手にはネタ帳とペンを持ち、話を聞く準備は完了だ。

 

「それで、一体どんな奴が犯人だったんです!?」

 

 文は鼻息荒く萃香に詰め寄る。その目はギラギラと輝き、傍目にも危険な雰囲気を醸している。萃香はそれに臆することなく、簡潔に答えた。

 

「――――よく分からなかった」

「何ですかそれっっっ!!?」

 

 文はまるで水泳の飛び込みのように頭から地面へとずっこける。ただその場で倒れただけだというのに何メートルもの距離を滑り、頭から摩擦による煙を出している。一体どのように慣性が働いたのかは分からないが、つまりは色々な意味でそれだけの勢いだったということなのだろう。

 

「文も結構力が付いたんだね」

「そんなこたぁどーでもいいんですよ!! それより、よく分からなかったってどういうことなんですか!? 犯人は見つけたんですよね!? 種族は!? 外見的特徴は!? 何も分からなかったんですか!?」

 

 かつての姿からは想像出来ないような剣幕で文は萃香に迫る。これには流石の萃香も面食らってしまう。かつての力関係からは考えられないことだが、これは良い傾向でもある。対等に酒を呑める仲というのは良いものだ。萃香は文を宥めながら、いつか彼女がそうなってくれることを願う。

 

「さて、詳しく言うとだね。姿は人型だったんだよ。人型の男。ほら、紅魔館の執事の横島いるでしょ? あいつに似てたね」

「横島さんに、ですか……?」

「うん、そう。横島が老けたらああなるだろうな、って感じの見た目。種族は……本当に分からないね。とにかく人間ではないし、妖怪でも魔族でもなさそうだった」

 

 (おとがい)に指を当て、萃香は1つ1つを思い出しながら犯人について語る。文もメモを取りながら一体どの様な存在なのかを考えているようだ。

 

「……しいて言えば、神族に近い……かな? 洩矢諏訪子とか、あれに近い、かな」

「諏訪子さんに……?」

「うん。ん~~~~、何て言えば良いか分かんないんだけどね。()()()()、そんな感じがしたような……」

「……では、神族なのでしょうか」

「……いや、それは違うと思う」

 

 文の予想を萃香は否定した。

 

「本当に何て言えばいいのか……。とにかく、あいつは神族じゃないね。近くはあると思うけど……それに、()()()()良く似たのがいたような……いや、2人……? あー、何か難しいこと考えてたらイライラしてきた」

 

 苛立ちに任せて頭をガシガシと掻き毟る萃香の姿に、文は思わず引きつった笑みを浮かべてしまう。これは相当に頭に来ているようだ。

 

「あー、そうそう。仮に犯人を見つけても単独で退治しようとかは止めといた方がいいよ」

「え……?」

 

 文は萃香の物言いに違和感を覚えた。そうして文は気付く。先程萃香は『10何日』と言っていた。見つけてから今日に至るまでまだあ10日以上残っているだろう。では、その間は何をしていたのか?

 空白の日数。未だ正体が分からぬ犯人。萃香の『単独では挑むな』という言葉。そして、未だに続いている異変――――。

 全てが頭の中で1つに繋がり、文は愕然とした。

 

「まさか、萃香さん……!?」

「……」

 

 文の言葉に、萃香はゆっくりと頷いた。

 

「正直――――死ぬかと思ったよ」

「……!!」

 

 文にとっての絶対的な強者、萃香から発せられたその言葉に、文は雷に打たれたかの様な錯覚を覚えた。それだけの衝撃が今の短い言葉にはあったのだ。

 言葉を失い立ち尽くす文を尻目に、萃香は瓢箪の酒を呷る。そして何かに気付き、顔を空へと向ける。

 

「……一雨来そうだね」

 

 そう呟いて、萃香はまた酒を呷った。

 

 

 

 

 

 

第三十二話

『一人の人間の終わり』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横島は目の前の敵を睨みつける。彼の全身には制御しきれない程の霊力が充溢し、余剰分の霊気が炎の様に揺らめくオーラとして彼の体から噴き出している。怒りにより、繊細な制御が出来ていないのだ。

 しかし、横島は安堵もしている。輝夜の用事が無ければ横島はここに居らず、妹紅は目の前の『男』の餌食になっていたかもしれない。特に紅魔館から人里まで運んでくれた一号達にも感謝の念を抱く。それにしても、ただ輝夜が妹紅に渡し忘れていた漫画の最新巻を届けるというだけのはずだったのに、とんだ事態になったものだ。……ちなみに、その最新巻は横島が妹紅の危機を察知した時に放り出されている。

 

「……?」

 

 『男』は自分を睨みつけてくる横島を見て首を傾げる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。目の前の少年に、『男』はそういった感想を抱いた。しかし、だからと言ってそれが『彼』に影響することは無い。大切な物を忘れ去っている『彼』は、自らの欲に従って行動するのみだ。

 

「お前の文珠を寄越せ」

 

 『男』の両手が変化する。身の毛もよだつ様な異音を響かせ、その腕は猛禽の脚の如く変化した。

 

(はらわた)も食ってやろう」

 

 『男』は体勢を低く、横島へと突進した。その速度はまさに獣が如く。『男』は横島の臓物を抉り出さんと腕を突き出した。

 

「――ふんっ!!」

「――っがあぁっ!!?」

 

 竹林に重い踏み込み、爆発呼吸、打撃音、苦悶の声が響く。腹に攻撃を食らい、吹き飛ばされるのは両手を変化させた『男』。横島がこれを一瞬で成したのだ。

 『男』の一撃を左手で()()()受ける。その際の衝撃と()()()()()()()()()()に受ける事により、威力を吸収、ゼロにする。――化勁。

 相手の威力を吸収し、更にその威力を自らの力へと蓄える。――蓄勁。

 そして、横島は爆発呼吸と共に震脚し、右肘を跳ね上げる様に突き出し、『男』の胸部を強かに打ち抜いた。沈墜勁、十字勁からなる全身の力の全てを微量のロスもなく伝えきったその一撃は、『男』を軽々と吹き飛ばしたのである。――発勁。

 20年も生きていない横島だが、その一撃は彼の生涯に於いても、今後繰り出せるか分からない程の物だった。横島にとっての地獄の修行は、その実力に確実に根付いてきているようだ。

 

「……どうだ?」

 

 横島は警戒を怠ることなく霊力を全身に漲らせたまま倒れ伏した敵を見据え続ける。すると、『男』は少々ふらつきながらもその足で、すぐさま立って見せた。胸部……心臓の辺りが陥没しているが、それを気にした様子はない。

 

「……ま、そうこなくっちゃな。てめーは散々ボッコボコにしてからぶっ殺してやる……!!」

 

 憎悪の表情で横島はそう言った。普段の彼には到底似合わない物言いだ。それだけに彼の怒りの凄まじさが見て取れる。それは彼の霊力にも大きな影響を齎した。

 今の横島が纏う霊波は強大だ。しかし、それ故に集束がまるで出来ておらず、ただ全身を霊波が覆っているだけに過ぎない。横島にもその自覚はあった。だが、それでも彼は構わなかった。いや、構うことが出来ないと言った方が良いか。横島は冷静さを失ってしまっている。それでも物事を考える事は出来ているが、通常のそれとは比べるべくもない。今の状態では、サイキックソーサー・プラスも作れはしないだろう。

 

「ま、()()()()()()()()()()()()()()

 

 『男』は思い切り息を吸い込むと、長く長く息を吐いた。そして、今度は背中から翼を生やし、2度3度と羽ばたく。最後に思い切り翼を振って強い風を起こし、犬の様な遠吠えを上げながら突進する。

 

「ゥオオオオオオオオオオオオンッッッ!!!」

「うるっせーんだよ、怪奇動物人間!! ……ってゆーか羽生やしといて飛ばねーのかよ!?」

 

 横島のツッコミも意に介さず、『男』は矢継ぎ早に攻撃を仕掛ける。それは何の統制もされていない、滅茶苦茶で単純な軌道だ。だが、それを補って余りある程の速度で繰り出されている。それはまさに打撃の速射砲と言えるだろう。

 しかし、横島も只者ではない。その人間の領域を超越した動体視力と反射神経で、全ての攻撃を払い、かわし、捌き、受ける。

 すると、不思議な光景が浮かび上がってきた。

 攻撃を受けている横島ではなく、攻撃を仕掛けている『男』の方が傷を負っているのだ。

 

「ぐ、ううううぅ……!?」

 

 『男』の体にピリピリと痺れる様な、焼ける様な痛みが襲う。事実、その部分は焼け、爛れていっているのだ。莫大な、横島の霊力で以って。

 それは、横島の体から溢れ出す霊波。それが『男』の肉体を焼いているのだ。

 この戦法はとある人物を参考にして横島が即興で編み出した物。かつてのGS(ゴーストスイーパー)資格試験、その実技試験で戦った相手『陰念』の魔装術がそのモデルだ。彼の操る魔装術は不完全な物で、霊波を余り集束出来ていない。だが、不安定が故に直接触れていない相手にも、近寄りさえすれば余剰霊波で間接的な攻撃が出来ていた。

 そして、今の横島と陰念では力量が違いすぎる。だからこそ、横島は『男』に対してダメージを与える事が出来ているのだ。

 

「真面目に修行さえしてりゃ、あいつもかなり強くなれたんだろーけどな。陰……いん……インなんとかさんも」

 

 横島が1度戦っただけの、しかも男の事をいつまでも覚えているわけがなかった。だが全てを忘れ去られているわけではないので、そこだけが救いか。……逆に残酷かもしれないが。

 

「ぐるぅああああああああ!!!」

 

 これでは埒が開かないと考えたのか、『男』は前のめりに吶喊する。猛禽の爪を振りかざし、突進してくる『男』に、横島は口角を吊り上げる。

 

「があああああああああ!!!!」

「へっ……見せてやる、横島の拳を!!」

 

 横島の燃え盛る様な霊波が、右拳に集中する。繊細なコントロールの出来ないそれは栄光の手や文珠の様に実体化する事はないが、それでもそこに込められた霊力は尋常ではない。それはまさに灼熱の一撃だ。

 

「バーニングファイヤー――――」

 

 横島は『男』の攻撃を左手で流し、右足を半歩踏み込み、右の縦拳を突き出した。

 

「――――パァァァーーーーンチッ!!!」

「――――ッッッ!!!?」

 

 ヒットしたのは体勢の関係で先程陥没させた胸部、心臓付近。カウンターで繰り出された横島の半歩崩拳は見事『男』の体に突き刺さり、その衝撃を貫通させた。『男』の体が横島の拳を支えにがくんと沈む。

 その光景に横島は自分の勝利を確信した。それにより、横島の顔には嗜虐的な笑みが浮かぶ。このままボコボコにしてぶっ殺してやる――――脳裏に危険な思考が過ぎる。

 

 ――――だが。

 

「……?」

 

 横島は気付いた。()()()()()()()()()()

 横島の拳が突き刺さったままの『男』の胸部から、ピキピキと何かが弾ける様な音がする。それは、骨が折れた音ではない。強いて言えば、それは卵の殻が割れる様な音だった。

 そして、その音はどんどん大きくなってゆき、やがてガラスが割れたかの様な音を立て、『男』の胸部が()()()

 

「っんな!?」

 

 『男』はその反動で身を仰け反らす。そうなった事により、横島には弾けた胸部の中身が晒された。

 

「……!?」

 

 横島は驚愕した。『男』の弾けた胸部に収まっていたのは、本来そこに在るべき物ではなかったからだ。()()は、心臓の代わりに()()に存在した。

 

「……あれは、たしか()()()()……?」

 

 見覚えのあるそれに、横島が呆然と呟いた直後。

 

「――――ぎぃぃぃぃぃいいいいいああああああああああああああああ!!!!」

 

 『男』の翼が変質した。

 

「んなっ!? 何だぁ!?」

 

 横島は『男』の変化に慌てて距離を取る。『男』の翼は羽根の1枚1枚が異様に伸び、枝分かれしていき、まるで植物の根の様な形態を取った。それは根の成長を早送りの映像で見ている様で、最早太陽の光すら遮るほどにまで大きく、広く根を伸ばしていく。

 

「まさか、羽はこれのためか……!? 何か厄介な能力とかがあんじゃねーだろーな……!!」

 

 横島は根を警戒しつつ霊力を練る。怒りや焦りの感情を制御仕切れていないのでその速度は普段よりも遅い。横島は舌打ちをし、それでも何とか防御を固める。

 

「――――――――ォォンッッッ!!!!」

「……っ!!」

 

 『男』の雄叫びは人間の可聴域を超えていたのか、横島には咆哮の余韻しか聞き取れなかった。だが、それでも大音波の衝撃はビリビリと伝わってくる。霊力を纏った横島の鼓膜を痛める程ではなかったが、反射的に耳を塞ぎたくなる。横島はそれを何とか我慢し、『男』の出方を窺う。

 先程までとは違い、静寂が場を支配する。じりじりと互いが間合いを詰める中、突如として草木を掻き分けて1つの影が姿を現した。

 

「――!?」

 

 横島は突然の闖入者に意識を取られる。それは少女だった。彼女の眼はどこか虚ろであり、正気でない事が予想された。何故こんな場所に――!? そう考える暇も無い。視界の端に捉えていた『男』。その表情が喜色に歪んだからだ。そう、『男』はこの時を待っていたのだ。

 

「なっ!?」

 

 『根』が少女へと伸びる。『男』はもう少女しか目に入っていないかのように横島へと隙を晒す。それは決定的なまでに致命的な隙。その隙を突くために、横島は足に霊力を込め、地を蹴った。

 

「――え?」

 

 少女の呆けた様な声が聞こえる。『根』は、少女の眼前にまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 その日、人狼の少女『今泉影狼』は言い知れぬ嫌な予感に苛まれていた。昨夜夜更かしをしたせいか、目が覚めたのは正午も近い時間帯。朝食と昼食を兼ねた食事をとった後、彼女はのんびりと午後を過ごしていたのだが、時間が経つにつれ、布に染みが広がっていく様に言いようの無い不安が膨れ上がっていった。

 妖怪の中でも彼女は弱小の部類に入る。それでも今まで大きな怪我も無く過ごせてきたのは種族に備わる危機感知の鋭さだ。臆病な彼女は危機から遠ざかる事で平穏を過ごしてきた。だが、今回は臆病な彼女の性質が危機を招く事となる。

 

「っ!?」

 

 突如彼女の住む迷いの竹林に充満する強大な霊力。それは2つあり、片方は覚えがある物だ。ここ最近は感じなかった、藤原妹紅の本気の霊波。以前は永遠亭の蓬莱山輝夜とのケンカが頻繁にあったのである意味慣れ親しんだ物。しかし、問題はもう1つの方だ。それを知覚した瞬間、影狼は凄まじい嫌悪感と吐き気に襲われた。まるで、皮膚の下を無数の虫が這っているかの様なおぞましい霊波の感触。

 それは影狼の『超感覚』が捉えた何者かの霊波。影狼は思わず胃の中の物を吐き出してしまう。何度も何度も咳き込みながら、胃の内容物を吐き終えた後、次に襲ってきたのは体の芯からくる震えであった。

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い! 暫く恐怖に震え続けた影狼は、震える足に無理矢理活を入れるとそのまま家を飛び出した。一刻も早くこの迷いの竹林から抜け出したいのだ。目指す場所は人間の里に住む友人、ろくろ首の妖怪である『赤蛮奇』の下。

 震える足ではいつもの様に動けず、何度もこけそうになってしまう。それでも竹林からの脱出を目指していると、そこである事に気付いた。竹林が余りにも静か過ぎるのだ。そういえばいつも竹林を跳ね回っている妖怪兎の姿も見えない。それほどまでに、今の竹林が異常な状態だということだ。

 

「――――っ!!?」

 

 妹紅の霊波が消えた。だが、あのおぞましい霊波は未だ健在である。まさか、とも思ったが、彼女の超感覚はそれが事実である事を捉えてしまっている。

 影狼は今にも叫びだしたい気持ちでいっぱいになった。だがそんな事をすれば、あの霊波の持ち主に気付かれてしまうかもしれない。再び影狼の体に震えがくる。どうすればいいか分からなくなった時、またも突然に強大な霊波が出現した。

 目まぐるしく推移している竹林の状況に、影狼はしばし呆然となる。だがすぐに気を取り直すと、竹林の出口へと向かって走りだした。

 

 今出せる全力で地を駆ける。影狼はただひたすらに出口を目指して走った。そうだ、こっちに行こう。足がもつれるも、何とか立て直す。こっちに行けばいいような気がする。少々大きな石に足を取られ、転んでしまった。こっちに向かおう。痛みも我慢し、必死に走る。ここを抜ければ、()()()()()()()。影狼は草木を掻き分け、そこへ飛び出した。

 

「……あれ?」

 

 影狼の前に広がる光景。それは竹林の出口でも何でもない。1人の少年が、あのおぞましい霊波の持ち主であろう『男』と睨み合っている姿。何故だ、自分は竹林から抜け出る道を進んでいたはず……!!

 ここは出口ではない。その受け入れがたい現実に影狼の思考は真っ白に染まった。そう、影狼は出口までの道を進んでいたのではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 『男』が横島に吹き飛ばされて立ち上がった際、『彼』は空気と共にある物を排出していた。それはフェロモン! 蟻がフェロモンを用いて食物までの道を示す様に、『男』は背から生やした翼でフェロモンを竹林に撒き散らし、自らに向かってくるように仕向けていたのだ。

 無味無臭のフェロモンは影狼の超感覚を以ってしても防げず、その影響は()()()()()()()()()。彼が不自然なまでに逃げの一手を打たないのはその為だ。

 

「――え?」

 

 影狼は呆けた様な声を出した。気付けば目の前におぞましい霊波を纏った『木の根』の様な物が迫っている。影狼は理解した。自分はここで死ぬのだと。死を前にしたからと言って、それでどうするというわけでもない。思考は相変わらず働かず、ただ『死』という現実を認識しているだけ。

 影狼はただ呆然と死を待つのみだった。

 

 ――だが。

 

「――っ!?」

 

 突然横合いから体に衝撃が走り、影狼は吹き飛ばされた。体に走る痛みに咳き込み、何があったのかと先程まで自分がいたであろう場所を見る。そこには、左足に大きな傷を作った、執事服の少年の姿があった。

 

「痛っっっつぅぅぅ……!!」

 

 少年は止め処なく血が流れる左足を押さえていた。その近くの地面に突き刺さっているのは、先端に血が付着した『根』の様な物。間違いなく、影狼を狙って放たれた物だ。

 そう、影狼はその少年に庇われたのだ。

 

「ちょ、だ、大丈夫なの……!?」

 

 影狼は自分を庇った少年……横島の下へと駆け寄る。だが、それを好機と見た『男』が更に多量の『根』を放ってきたのだ。

 

「ひっ!?」

 

 その光景に影狼は小さく叫びを上げる。しかし、そうはさせじと横島が影狼の前に躍り出た。

 

「おんどりゃーーーーーー!!」

 

 横島は霊波を纏った両手で全ての『根』を弾く。幸い『根』の攻撃スピードはそう大したものでもなく、何とか耐えている。

 

「そこの女の子! ちょっとの間目を瞑っててくれ!!」

「え、ええっ!? な、何で……!?」

「いいから!!」

「は、はいぃ!!」

 

 横島は影狼に目を瞑るように言うが、ただでさえ恐怖に呑まれている影狼にその注文は受け入れがたかった。だが、横島は強い口調でそれを押し切る。影狼が目を瞑った事を確認すると、横島は莫大な霊力を両手に集中させ、思い切り手を打ち鳴らした。

 

「サイキック猫だまし!!」

 

 瞬間、溢れるのは視界を焼く強烈な閃光。それをまともに見てしまった『男』は両目を押さえて悶え苦しんでいる。それを確認した横島は手に文珠を1つ取り出し、それに『護』の念を込めた。

 

「こいつはあらゆる危険から君を護ってくれる! これ持って早くここから逃げろ!!」

「え……!?」

 

 横島は文珠を影狼へと手渡した。突然淡く輝く宝石の様な物を渡された影狼は戸惑うが、その宝石を見ていると何か不思議な安心感を齎してくれる。影狼はそれが直感的に横島の言うとおりの代物なのだと理解した。だが、それならば。

 

「で、でも君の方こそ酷い怪我を……!!」

「俺の事はいいから!! さっさとしねーとあいつが回復しちまう!!」

 

 影狼は自分よりも怪我を負っている横島がそれを持っているべきだと主張したが、横島はそれを却下した。今はとにかく時間が惜しい。影狼には早くここから逃げてもらわないと、負担が大きくなってしまうのだ。

 

「でも!!」

「死にてーのか!!!」

「……っ!?」

 

 横島を心配し、未だ逃げようとしない影狼に、横島は本気で怒鳴る。影狼はそのことに体をびくりと震わせた。

 

「俺なら大丈夫だから、早く逃げてくれ。この状態で君を守りながらじゃ、どっちも殺されちまう」

「……」

 

 横島は影狼に言い聞かせる様に優しい声音でそう言った。影狼は俯き、体を震わせる。自分は、何も出来ない。

 

「……分かり、ました」

 

 やがて出たのは、掠れた様な声。影狼は横島に背を向け、走り去る。その背中に声が掛けられた。

 

「こっちを見ずに、そのまま逃げるんだぞー!! また縁があったらデートしようぜー!!」

 

 命が懸かった状況だというのに、その声は明るさを含んだ物だった。思わず横島を振り返る。目に映ったのは、夥しい数の『根』に飲み込まれゆく横島。

 

「……っ!!」

 

 それでも、影狼は走り続けた。あの少年は自分を助けてくれたのだ。ならば、彼が助けてくれた命を無駄にするわけにはいかない。

 

「……くっ、ううぅぅぅ……!!

 

 視界がぼやける。影狼は泣いていた。自らの弱さに、何も出来ない自分に絶望し、涙を流した。彼女は泣きながら竹林を脱出する。

 早く、赤蛮奇に会いたい。少年の救出を手伝ってほしい。影狼は人里への道を全力で走っていった。

 

 

 

 

「……また、勝手に体が動いちまったな」

 

 完全に周囲を『根』で覆われてしまった横島は溜め息を吐いた。横島は当初影狼を助ける気はなかった。そのまま『男』に攻撃を仕掛けるつもりだったのだ。だが、気が付けば自分はあの少女を突き飛ばし、せっかくのチャンスを逃してしまった。かつての事を思い出し、苦笑を浮かべてしまう。

 

「ま、この方が俺らしい……かな?」

 

 苦笑を消した横島は眼前の『男』を睨む。『男』は笑っていた。

 やはり、思った通りだった。それが『男』の抱いた感想だ。『男』は横島の妹紅に対する行いから、こうなるであろう事を予想していたのだ。僅かばかりの『人』としての知能。ここに来て悪知恵が働いたようだ。

 

「さて、どーすっか……」

 

 横島はこの状況を切り抜ける為の策を考える。と言っても、彼に浮かぶのは目の前の『男』をぶちのめせばいいという様な事ばかり。多少冷静さを取り戻した様だが、それでもフェロモンの影響下からは逃れられていない。痛む足を気にしつつ、霊力を更に練り上げようとした瞬間、それは発動した。

 

「……っっっ!!!!」

 

 横島に襲い掛かる圧倒的な不快感、嫌悪感。それは横島の動きを制限し、魂をも竦ませる。突然の事に硬直する横島だが、彼は気付いた。この金縛りにも似た現象の出所に。

 

「……な……あ……!?」

 

 横島はそれを見た。そして気付き、怖気に囚われる。『根』の正体、それは無数の動物の『腕』だったのだ。羽根の1枚1枚が動物の腕に変化し、指にあたる部分がまた動物の腕に変化し、また指の部分が腕に変化し……。そうして出来上がったのが今周りを取り囲む『根』の様な物。その節々……関節から光が()()

 

 ――それは、()()だった。

 

 ありとあらゆる動物の眼。それが関節から覗いている。人は見られるという行為に萎縮する。体を縛り付けている何か。それは邪視と言っても過言ではない程の負の力を纏った視線で見られる事によって発生する物だったのだ。

 

 ……そして。

 

「――しまっ!?」

 

 正気を取り戻した時にはもう遅い。横島の眼前には『男』がいて、その猛禽の爪が腹部に迫っていたのだ。

 

「ぐぅっ、がっ、あああああああ!!?」

 

 腹に突き刺さる鋭い爪。それによる激痛に横島は叫びを上げた。逃げようとしても体が動かない。いつの間にか『根』に囚われている。腹に溜まった血が口から溢れ、声が思うように出なくなる。

 

「あ……っ、ぎ……ひっ!!?」

 

 ばつん、と。まるでブレーカーが落ちたかの様に下半身の感覚が無くなった。脳を痛みが支配する中、見れば『男』の腕は肘辺りまで自分の腹に埋まっている。内臓ごと背骨を砕き、貫通したのだ。

 

「……っ!! ――……っ」

 

 横島の意識が遠のいていく。視界も白く染まってゆき、どんどんと何も考えられなくなっていく。

 

 

 ――ダメ、だ……意識を、保た……ない、と……。

 

 

 『男』が腕を引き抜く。『男』の腕で塞がっていた穴が開き、そこから鮮血が溢れ出した。『男』はその血を全身に浴びる。『男』の顔が狂気に歪んだ。

 

「あぁはははははははははははははははははは!!!!」

 

 『男』の哄笑が響く。その馬鹿にうるさい笑いを横島は間近で聞いているわけだが、反応を示さない。否、示せない。

 

「これで――せる! あの――を! 文――があれば――を取り戻――!!」

 

 横島は消え行く意識の中で、それを聞いた。『男』が取り戻そうとする物を。確かに聞いた。

 

 

 ――意識を……保た……ない、と……保た……保……――――――。

 

 

 横島の意識は、完全に断たれた。その様子を見ていた『男』は、横島を地面に横たわらせる。そして、主菜(メイン)の前にまずは前菜(オードブル)だと、『男』は横島の血や肉片が付着した腕に舌を這わせた。

 血を舐め取る度に、肉片を食む度に、『男』は幸福感に満たされる。充分に満足した『男』は、ついにごちそうに齧り付く。自らの目的、横島の手の中で輝く文珠に気付かぬままに――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽたり。ぽたり。

 妹紅の頬を水滴が何度も打つ。その勢いは増していき、それはやがて彼女の全身を濡らすまでに降り注ぐ。彼女の周囲に張られていた結界はその効力を失っていた。

 

「ん……んぅ……?」

 

 妹紅が意識を取り戻した。そのまま数秒、自分は何故竹林で雨に打たれているかを考える。

 

「――そうだ、あいつ!! ……って、あれは……!?」

 

 『男』の存在を思い出した妹紅はすぐさま立ち上がり、周りを警戒する。雨の周囲を見渡す中、何か妙な物を発見した。『根』の様な物で構成された球体。それは間違いなくあの時目にした物だ。

 

「……っ」

 

 妹紅はあの時の事を思い出し、思わず身震いしてしまう。だが、妹紅は情報を収集しようとその球体を眺めた。すると、『根』の隙間から中が透けて見えた。そこには地面に這いつくばって何かをしている『男』の姿も見える。

 

「何だ……? あれは……何かを食ってる、のか……?」

 

 『男』が()()()()()()()()()()()()()()()。妹紅は食われている()()を見た。そして――。

 

「――――ぇ」

 

 妹紅の視界が、真っ赤に染まった。

 

 

 

 

「横島!! 横島ぁっ!!!」

 

 妹紅は横島に食いついている『男』を周りの『根』ごと焼き払った。妹紅の炎は周囲数10メートルの木々を一瞬で()()させる程のものだったが、横島にはその炎の影響は一切無い。『男』もその炎に体の何割かを焼かれたのだが、それでも死には至らず姿を消した。

 妹紅は横島の体を見る。腹に開いた大穴。滅茶苦茶に食い荒らされた内臓器官。そこから導き出される結果は、1つだけだ。

 

「横島……横島ああぁぁぁ……」

 

 妹紅の双眸から、止め処なく雫が溢れ出る。何故横島が竹林に居たのかは分からない。何故こんなことになってしまったのかも分からない。ただ分かるのは、横島が、自分の愛する者が殺されたという事だけ。それが、妹紅の心を締め付ける。

 妹紅はただ暴れだす感情のままに、哭き声を上げた。

 

 

「――――ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 横島に縋り付き、妹紅はただただ涙を流す。彼女の叫びは竹林に消え、残らない。

 

 だが、()()()()()ならばそこに居た。

 

「――……?」

 

 ()()を、確かに妹紅は聞いた。横島の口から漏れる、何かの音。

 

「……まさか」

 

 妹紅は横島の口元に耳を当てる。すると聞こえてくるのは消えそうなほどにまでか細い呼吸の音。妹紅が目を見開く。

 

「生き……てる……!?」

 

 そう、横島は生きていたのだ。腹に大穴が空こうと、内臓を食い散らかされても、まだ生きていたのだ。

 

「でも、一体どうやって……!?」

 

 霊力が強いと言っても横島はただの人間だ。こんな状態で生きていられる筈が無い。何故、と考えていると、握られていた横島の手から、淡く輝く宝石の様な物が転がった。

 

「これは……『保』……?」

 

 その宝石には文字が刻まれていた。その文字は『保』。それを見た瞬間、妹紅はある考えにたどり着いた。

 

「まさか、これが()()()()()()()()()()のか……!!?」

 

 普通ならば一笑に付す様な考えだが、妹紅にはそれこそが真実なのだという予感があった。いや、真実がどうであろうとどうでもいい。重要なのは横島が生きているということだ。

 

「早く横島を医者の……永琳の所へ連れて行かないと……!!」

 

 妹紅は一刻も早く横島を永琳の所へ連れて行こうと、横島の体を抱き上げようとする。今の状態がどれだけ続くかは分からない。故に妹紅は行動を起こす。

 

 しかし、それは最悪のタイミングでやってきた。

 

「――ああぁっ!?」

 

 ピシリ、と。文珠に皹が入る。妹紅はそれを見て極大の恐怖を味わった。これが完全に割れてしまえば、横島は今度こそ完全に死んでしまうだろう。

 

 

 ――どうする!? どうするどうするどうするどうする!? どうすればいい!!? どうすれば横島を助けられる!!?

 

 

 目まぐるしく回転する思考、だがそれは空回りするだけで横島を助けられる案は浮かばない。そうしている間にも文珠の皹は広がっている。

 

「嫌だ……!! 死んじゃ()だぁ……!!」

 

 妹紅は嫌々と首を振り、横島に懇願する。それが無意味な事だと理解してはいるが、それでも妹紅には縋るしかなかった。

 どうして横島がこんな目に合うのだと。どうして横島なのかと。妹紅は運命を呪う。

 

 どうして、()()()()()()()()()()()()()()()と――――。

 

「……」

 

 ――妹紅はそれに気付いた。そして、実行に移す。これは許される事ではない。私は、()()()()()()()()()()()()()()()()

それでも。それでも……!!

 

 

 

 

 そして、文珠は砕け散った。

 

 

 

 

「横島さーん!! どこですかー!?」

 

 雨が降る竹林の中を一号達が進む。彼女達は横島を一先ず人里に送り届けた後、2人の邪魔になってはいけないからと頬を膨らませながらも付いていくのを遠慮したのだ。

 横島の帰りを人里の茶店で団子を食べつつ待っていたのだが、突如として竹林で巨大な爆炎が噴き上がったのが見えた。一号達は横島に何かがあったのかと突然の事態に混乱する人里の人達を尻目に、竹林へと急いだ。

 

「……2人とも、あそこ!」

 

 三号が竹林の一角を指差す。そこは炭化した木々が辺りに横たわった、異様な場所だ。その中心部分、そこには何か人影の様な物が見える。

 

「横島さん!? おーい、横島さーん!!」

 

 二号を先頭に、三人はその場へと急行した。そして、そこで見たものは。

 

「……っ!? こ、これは……!!?」

 

 全身を自らの血で染めた横島と、横島と同じく()()()()()()()()、妹紅の姿だった。

 妹紅は意識の無いまま、何事かを呟いていた。何度も何度も、『ごめんなさい』と――。

 

 

 

 

 

 

第三十二話

『一人の人間の終わり』

~了~

 

 




お疲れ様でした。

はい、つまり横島君はあれです。あれになるのです。
一体どうなるかは次回の更新までお待ちください。
物凄く分かりやすいとは思いますが、次回まで。


今回横島君の敗因は色々ありますが、一番の要因は『シ リ ア ス だ っ た か ら』です。


色んな謎(?)も明かされてきました。
それでは次回をお待ちください。

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