東方煩悩漢   作:タナボルタ

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お待たせいたしました。

いつもよりちょっとだけ早く更新です。

そしてやっと番外編も後編となりました。

では、またあとがきでお会いしましょう。


番外編・後編

 

 本当に何てことのない理由だった。『それ』は、探し物を見つける為の手駒が欲しかった。だから、『それ』は山の中に居た一匹のゴキブリに力を与えた。

 

 自らの『能力』を以て。

 

 

 

 

 

 

 

 妖夢と人型は地面に降り立ち、戦っている。妖夢は一定の間合いを保ちながら刀を振るい、突っ込んでくる人型に弾幕を浴びせる。だが、人型の外殻は思いの外堅く、弾幕が効いている様子はない。

 

 ならば、と妖夢は踵を強く踏み込み、爆発的な推進力を発揮して人型の眼前に高速で移動。上手く虚をつく事が出来た。妖夢はそのまますっと、人型の首を紙を断つ様に刎ねる。彼女の経験上、首を切断されて生きていた人間も、妖怪も居なかった。

 

 それが、油断となった。

 

「―――なっ!?」

 

 残心を解いてはいなかったが、首を刎ねた人型がそのまま自分の腕を掴み、体を無理に引き寄せるなど考えられなかった。

 

「うあああああっ!?」

 

 力任せに体を振り回され、地面に叩きつけられる。その衝撃に一瞬視界が白く染まり、肺の中の空気が一気に押し出される。

 

 何故、と考える暇も無い。人型は首を失ったというのに未だ活動を続けており、妖夢を渾身の力で踏みつけようと足を上げている。

 

 妖夢はそれを避けようとするが上手く体に力が入らず、動けない。妖夢の悲鳴を聞きつけた幽々子が助けに入ろうと必死に向かうが、幽々子自身のスピードでも、弾幕のスピードでも間に合いそうにない。

 

「妖夢ーーーっ!!!」

 

 幽々子に出来たのは名前を叫ぶことだけだ。人型の足が振り下ろされ、妖夢の頭蓋を踏み砕かんとしたその瞬間。

 

「妖……っ!?」

 

 幽々子の視界の隅に、赤い光が灯った。

 

「……っな!?」

 

 それは刹那の間に空間を横断し、人型の体を飲み込んだ。強大な力の奔流が過ぎ去り、残った物は人型が軸にしていた左足だけだった。どうやら他の部分は全て消滅したらしい。

 

「今のは……『グングニル』……?」

 

「妖夢っ!!」

 

「ゆ、幽々子様!?」

 

 妖夢は先程の赤い光の正体に考えを巡らせようとしたが、それは幽々子によって遮られた。幽々子は妖夢を抱き締め、しきりに体を触り、大事がないかの確認をする。

 

「どうやら間に合ったか」

 

 幽々子の過保護ぶりに妖夢が辟易としてきた頃に、赤い槍が飛来した方角から声が届いた。蝙蝠の様な翼を広げたその姿は、容易に悪魔を想像させる。

 

「やはり貴女でしたか、レミリア・スカーレット。助かりました」

 

「私からもお礼を言うわ。ありがとう、レミリア」

 

「何、気にするな。見ていて気持ちのいいものでもなかったしな」

 

 二人の感謝を軽く流し、レミリアは残った人型の左足を矯めつ眇めつ眺める。少々気になったのか、断面から垂れる血の匂いを嗅ぎ始める。しかし気に入らなかったようで、顔をしかめ、魔力球により左足も消滅させる。

 

「……それにしても、首を刎ねたのに何故人型は生きていたのでしょうか?」

 

「う~ん……。ゴキブリは首が取れても生きていられるって聞いたことはあるけど……」

 

 妖夢と幽々子は人型の圧倒的な生命力に疑問を覚える。しかしレミリアは最早人型に興味を持っていないのか、小指の爪で耳孔をほじくっている。咲夜のお陰で綺麗であった。

 

『―――っ!?』

 

 少々和んだ雰囲気の中、突如大地が震える様な重低音が数回響く。その方角に目をやると、何かが途轍もない勢いで空に吹き飛んでいくのが見えた。

 

「今のは、人型……?」

 

「ほう、中々やるもんじゃないか。ウチの門番も」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 時間を少しだけ巻き戻す。美鈴はレミリアからの指示に従い、先行して霊夢達の救援に向かっていた。

 

 紅魔館周囲の靄は殲滅し終えたのだが、黒い月からは相変わらず靄が発生し、またも紅魔館を覆わんと迫る。レミリア達はうんざりとしながらも迎え撃とうとするが、突如靄の半分は進路を変え、猛烈な勢いで東へと流される。博麗神社に向かっていると、レミリアは何故か確信出来た。嫌な予感がしたレミリアは美鈴を先行させ、救援に向かわせる。

 

 靄を追う美鈴だが、道中でもゴキブリ達の妨害に合い、時間を取られてしまう。空には黒い月の他に、もう一つ黒い球体が出来上がっていた。幸いと言うべきか否か博麗神社からは幾条も光芒が迸っており、ゴキブリ達を容易く消し去り、もう一つの球体も削っている。しかし、それも数分の間。博麗神社が目視出来る距離にまで近付いた時には球体は割れ、消失した。

 

「一体何が……?」

 

 呟くのは疑問。今もそうだが、黒い月が現れてからこう考えなかった時はなかった。今回の異変は余りにも意図が読めない。美鈴は暫し熟考するが、結論は結局『分からない』であった。

 

「ま、私は頭脳労働担当ではなく肉体労働担当ですし? 別に頭が悪いってわけじゃありませんし?」

 

 それは何に対する言い訳なのか、美鈴は明後日の方を向きブツブツと呟いている。気付けば博麗神社は目と鼻の先にまで迫っている。

 

「にゃーーーっ!?」

 

 そこで、幼い少女の悲鳴を聞いた。

 

(今のは確か、橙っていう子の……!)

 

 美鈴は素早く周囲に目をやり、橙と人型の何かを発見する。その人型は倒れている橙に殴りかかろうとしており、左手を大きく振りかぶっていた。

 

 人型は美鈴に気付かず、美鈴の方へと体を開いている。美鈴は意識を集中させる。

 

(最も『気』が集中しているのは……頭部、胸部、腹部……!!)

 

 美鈴は腹をへこませながら大きく息を吸う。息を止め、吸った息を下腹部へと追いやり、押しつぶす。そして、下腹(へそ)のみを左右に引き伸ばす様に一気に収縮させ、息を漏らす。

 

「ふんっ!」

 

―――爆発呼吸。

 

 それと同時に足を強く踏み出す動作と沈気を協調させる。結果、強く踏み出した瞬間に大地を震わせた様な重低音が響く。

 

―――震脚。

 

 そこから地面を氷の上を滑走するかの様に移動し、瞬く間に人型との距離を『0』にする。八極拳の歩法、活歩。

 

 人型がようやく美鈴の存在に気付くが、もう遅い。美鈴は既に技を繰り出している。腕を左右に開き、身体を上下左右に伸長させ、掌底による打撃の瞬間に震脚。十字勁によって増幅された威力は腹部の『気の集中点』を容易く粉砕した。

 

―――打開。

 

 腹部を貫く衝撃に、人型は体をくの字に曲げさせられる。その瞬間には美鈴は身を回転させていた。肩と背中の大面積が震脚と同時に人型の胸部へと叩き込まれる。その衝撃も体を貫通し、胸部の『気の集中点』二つを貫いた。

 

―――貼山靠。

 

 二度の衝撃と三カ所の『気の集中点』の破壊により、人型は地面に前のめりに倒れようとする。それは自らの意志ではなく、『神経節』を壊されたからなのだが、美鈴は容赦をしない。倒れくる人型の顔面の中心に、縦拳を斜め上へと叩き込む。震脚とほぼ同時に放たれたそれは、足からの力を背中の筋肉で増幅し、全身の力を全くのロスもなく伝えきる。その威力は凄まじく、頭部を一瞬で破砕し残った体を暴風に晒される小枝の様に空へと吹き飛ばした。

 

―――揚炮。

 

 昆虫には、『神経節』という物が存在する。それは頭部、食道下、胸部、腹部の四つだ。頭部神経節はそのまま脳と言える。各神経節は感覚情報処理や運動制御、記憶・学習の場として働き、脳が統合中枢として機能する。つまり、神経節とは体の各部に独立して存在する『脳の様な器官』なのだ。

 

 ゴキブリを含む虫が首が取れても活動出来るのはこの神経節が存在するからであり、当然人型にもそれは存在していた。美鈴はそれを『気の集中点』として捉え、全てをピンポイントで破壊した。

 

 流れる様に腹部、胸部、頭部を破壊した連続攻撃。これが美鈴の絶招の一つ、熾撃『大鵬墜撃拳』―――!!

 

 美鈴は吐息と共に気を静め、ゆっくりと橙へと振り向く。

 

「大丈夫?」

 

 柔らかく微笑み、橙に問い掛ける。それは橙の緊張を解し、安心を与えるものだった。

 

「はい、大丈―――」

 

 ぶ、と答えようとしたその瞬間、美鈴の姿が掻き消える。

 

「橙に何をするか貴様ぁああーーーっ!!!」

 

「ぶぇえーーーっ!?」

 

 何故ならば空から物凄い勢いで繰り出された藍のドロップキックによって、吹き飛ばされたからだ。華麗に着地を決めた藍は吹き飛んだ美鈴を指差し、叫ぶ。

 

「貴様、紅美鈴!! いくら橙が可愛いからといって、無体を働こうとは不届き千万!! この私が塵も残さず消滅させてやる!!」

 

 藍は何かを盛大に勘違いしていた。へたり込んでいた橙が、美鈴に襲われていたように見えたのだろうか。

 

「ち、違います! 違うんですよ藍様ーっ!」

 

「安心しなさい、橙。泣き寝入りなど、絶対にさせないからな」

 

「だから違うんですって!」

 

 橙は藍に、美鈴に助けられたことを事細かに語った。話を聞くにつれて藍の顔色は青くなっていき、全てを聞き終えた後は全速力で倒れ伏す美鈴に駆け寄った。

 

「本当にすまんっ! 橙の命の恩人に何たる無礼を……!!」

 

「ふふ……、良いんですよ。所詮私はこういう役柄なんですよ……」

 

 美鈴の双眸からは、熱い液体が止め処なく流れ出ていた。

 

 何やかんやありまして、美鈴達の下には幽々子と妖夢、紅魔館のメンバーが集まった。

 

「しかし、私達より大分早く出たのに、ここに着いたのは私達と同じくらいだったんだな」

 

「普段昼寝ばかりしているから、体が鈍ったのではないでしょうか?」

 

 紅魔の主従の言葉のナイフが美鈴の心を刻んでいく。先程とは別の涙が出そうだ。そんな美鈴を哀れに思ったのか、小悪魔が少々引きつった顔で話題を変えようと口を開く。

 

「と、ところで他の皆さんは大丈夫なのでしょうか? どうやら人型は結構強いみたいですし……」

 

 何気なく放たれた小悪魔の言葉。だが、それに劇的な反応を示す者が二人存在した。

 

「あ゛」

 

 二人の口から同時に漏れたのは、そんな単語。そこから先はとんでもない慌てぶりを披露し始める。

 

「あああ、紫様!? 紫様ーっ!! な、何故、何故私は紫様を忘れて……っ!?」

 

「ゆ、ゆかゆゆ、ゆか、ゆか、ゆかり……! ゆかり、ゆか、ゆゆゆか……っ!?」

 

「……早く助けに行きなさいよ」

 

 途端に頭を抱えてカオスな混乱を撒き散らす二人だったが、パチュリーはただただ冷静に二人に突っ込んだ。「それもそうだ」とばかりにキッと紫が居るであろう空間を睨むと、そこから猛烈なスピードで鉄の塊が降ってきていた。

 

「どぅおおおおぅ!?」

 

 少女にあるまじき叫びを上げながらそれを回避する乙女達。鉄塊はそのまま地面とぶつかり、轟音を立てる。藍と幽々子は見覚えのあるその鉄塊に、驚きの声を上げる。

 

「これは、紫様の電車……!?」

 

「というか、人型が思い切り轢かれてたわね」

 

 電車の運転席正面の窓に、人型がへばり付く様な形で轢かれていた。当然今は原型のないミンチとなり果てているだろう。

 

 皆はゆっくりと電車が降ってきた方向を見る。そこには、再び正気を失い、先程よりも狂った馬鹿笑いを響かせる幽鬼が居た。何か眼が『ビカー』と光っている。

 

『うわぁ……』

 

 二人は呟いてそっと目を逸らす。それを見たパチュリーは二人の頭を叩き、「さっさと正気に戻しなさい」と促す。

 

 藍と幽々子は折れそうになる心を必死に保ち、紫の下に飛ばんとする。……だが、紫の周囲にスキマが開き、そこから覗く『眼』が怪しく閃いた。

 

「皆逃げろーーーっ!!」

 

 藍は橙を抱きかかえて猛ダッシュ。幽々子も妖夢を抱きかかえて猛ダッシュ。他の皆は二人の行動に呆気にとられ、初動が遅れてしまう。

 

 ……そして、再びのネストの雨。というより最早嵐である。

 

「うわあああああっ!?」

 

 それは、今度こそ無秩序に降り注ぐ。宙に浮いていようと、地に足を付けていても、誰彼構わず無遠慮に破壊の嵐が蹂躙する。

 

 魔理沙は自分の正面に居た人型がその光景を遮る壁となった為に、人型を撃ち抜いたレーザーに気付く事が出来ず、彼女が空を飛ぶ際に使用している箒を破損させてしまう。

 

「しまっ!?」

 

 バランスを崩し、体勢を立て直そうとするも全ては遅かった。既に眼前には無数の光芒が迫っている。それに飲み込まれようとした時、小さな救援が現れた。

 

「戦符『リトルレギオン』!!」

 

 背後から聞こえてきたのは少女と思われる者の声。武器を持った小さな人形達が、魔理沙に迫る光を弾く。魔理沙は驚くまま何者かに抱えられ、パチュリーがいつの間にか形成した結界の中へと連れて行かれた。

 

「ふう……。大丈夫だった、魔理沙?」

 

 魔理沙を助けた少女が問い掛ける。傍らには小さな人形達が浮かんでいた。

 

「ああ、助かったぜ。アリス」

 

 救援に現れたのは、魔理沙と同じ魔法使いアリス。話を聞くと、突如発生した異変を解決しようとしたが、自分一人ではどうにもならず魔理沙や霊夢の力を借りに来たらしい。

 

「多分、あの黒い月をどうにかすればいいと思うのだけど……」

 

 三人の魔法使いは考える。どうすればあの黒い月を破壊出来るのか。一番確実なのは魔理沙のマスタースパークやレミリアのグングニルといった、大出力の攻撃で消滅させることだが、あれほど巨大な物を破壊するのにどれほどのエネルギーが必要なのか……。

 

 懸案事項はそれだけではない。今も暴風雨の如く辺りを蹂躙している、スキマからの光のシャワー。パチュリーの結界も耐えるだけで精一杯であり、移動することもままならない。普段の紫ならば霊夢は無事なのだが、今は霊夢すら例外ではなくなっていた。

 

「ちょっ!? 紫、落ち着いて……! きゃああああああっ!!?」

 

 空中で人型と戦っていた霊夢は、横合いから閃光が走った瞬間、勘を頼りに地面へと急行する。振り返った時には人型は無数の光に貫かれ、僅かな残滓を宙にばらまくだけとなっていた。それを成した光が、自分にも迫る。

 

 霊夢は何とか紫の正気を取り戻させようと光を避けつつ必死に呼び掛けるが、返ってくるのは馬鹿笑いとレーザーのみ。嫌らしいことにレーザーは霊夢の逃げ場を徐々に削っていく。

 

「こんの……!!」

 

 今、霊夢はこの異変が起こって以来、初めて紫に本気の怒りを覚えた。ギリギリと奥歯が鳴り、その顔が般若の様に歪んでいく。

 

「いつもは胡っ散臭い笑顔で偉そうなことをベラベラと喋る癖に、たかがゴキブリに対して泣くわ叫ぶわ気絶するわ暴走するわ……! いぃぃいいぃい加減にしなさいよ紫ィィイイィーーーーー!!!」

 

―――“鬼”が、吼える。瞬間、幻想郷に存在する全ての力有る者が戦慄いた。

 

 霊夢は足下に陰陽玉を出現させ、そのしなやかな足を思い切り振り上げる。

 

「陰陽玉を……!!」

 

 紫の姿を見据え、渾身の力を込めて、陰陽玉を蹴り飛ばす。

 

「食ぅらぁいなさぁあああぁぁぁい!!!」

 

 それはまるで音の壁を突破したかの様な爆音と衝撃波を撒き散らし、恐ろしいまでの速度で紫に迫る。

 

―――嗚呼、何故この時霊夢は足元を確認しなかったのであろうか。それをしてさえいれば、この悲劇は起こらなかったというのに。

 

「ん……? 霊夢、足元に陰陽玉が転がってるよ?」

 

「え?」

 

 萃香の言葉に思わず足元を見る霊夢。なるほど、確かに陰陽玉は足元をコロコロと転がっている。では、霊夢は一体何を蹴ったのか。

 

「……っ!?」

 

 萃香は見た。紫へ向かって突き進む物を。また、力有る者達も自らの恐怖を刺激する怒気が発せられる方角を無駄に良い視力で見た。

 

「紫ー! 避けろっ! 避けるんだーーーっ!!」

 

「紫ーっ! そこから逃げてーーーっ!!」

 

 霊夢達は必死に叫ぶ。飛んでいった物を紫が見たら、それこそ今まで以上のトラウマを紫の心に刻みかねない。

 

 紫の下に飛び行く物。それは、霊夢に蹴り飛ばされたことにより形がひしゃげていた。それには、虫の様な触角が生えていた。棚引く髪は、昆虫の羽を思わせる物だった。

 

―――それは、妖夢が斬り落とした人型の首だった。

 

 今までの紫に言葉は通じなかった。だが、一体どうしたことか。紫は、霊夢達の言葉に反応し、振り向いてしまった。

 

「―――え?」

 

 紫の眼に正気が戻る。だが、正気に戻らなかった方がどれだけ良かったか。

 

 紫の眼前にはひしゃげた、片方の眼球が飛び出した人型ゴキブリの生首が映っていた。それだけではない。人型の首はまだ生きていたのか、紫を食わんと大口を開けていた。

 

 何という運命の悪戯だろうか。

 

―――紫と人型の首の唇が、深く深く重なり合ってしまっていた。互いに口が開いていたせいか、舌も絡んでいる。

 

「――――――ッッッ!!?!!?!!?」

 

 それを見た者全てに全身を貫く様な衝撃が走る。だが、紫を襲う衝撃はそんな物ではなかった。

 

 あまりの衝撃に、脳の思考力が加速。あらゆる思考が駆け巡り、浮かんでは消え、消えては浮かぶ。その弊害か、加速された意識はほんの一瞬の出来事を何秒にも、何分にも引き伸ばし、紫に極上の辛苦を与える。

 

―――これは何? これは人型。その生首。それが何故飛んできたのかしら。そういえばほんの一瞬だけ霊夢の顔が見えたけれど、一体どうしたの? 酷く狼狽していた様だけど。ああ、そうそう。霊夢の足元に陰陽玉が転がっていましたわ。もしかして、陰陽玉と間違って生首を私に向かって蹴り飛ばしてしまったのかしら。……ああ、それでこんなにも顔がひしゃげて、眼球が飛び出しているのね。よりにもよってこんなにスプラッタにしちゃうなんて。うふふ、霊夢ったら意外に力も強いのね。もし霊夢に抱き締められたら、私の様なか弱い美少女は、忽ちまいってしまうかもしれませんわね。ああ、霊夢に組み敷かれ、唇を重ね合うのならば文句などは無かったというのに。こんなのが相手だなんて。どうせ男性とするのなら、別の方としたかったですわね。別に格好良くなくてもいい。情けなくてもいい。強くなくてもいい。ただ私を受け入れ、欲し、求め、側に居てくれて、愛してくれる男性となら……。ふふふ、私もまだまだ夢見がちということなのかしら。そんな人、居るはずが無いというのに―――。

 

 紫の首は衝突した人型の勢いに負け、後ろへとはね飛ばされる。そのままの勢いでぐるんぐるんと周り、地面に墜落。……ぴくりとも動かない。

 

 止まっていた周囲の時間が動き出し、霊夢の悲痛な叫びが木霊する。

 

「紫いいいいいいいっ!!」

 

 霊夢は紫に駆け寄り、その腕で抱き寄せる。

 

「ゆ、紫、ごめっ、ごめん! 私の、私のせいで……!」

 

 霊夢の目には涙が浮かんでいた。同じ女として、あんな物と口付けを交わさせてしまったことに、強烈なまでの罪悪感が宿る。

 

 紫はゆっくりと瞼を開く。霊夢の手を取り、時間をかけて微笑みを作る。唇が僅かに上下し、か細いながらも言葉を紡ぐ。

 

「私は、この幻想郷が、大好きでした……」

 

 そして、紫はそれきり動かなくなる。

 

「ちょ……っ。紫、紫っ!? いくら何でもそういうのは止めてほしいんだけど!?」

 

 まるで辞世の様な言葉に霊夢はギョッとし、腕の中の紫を揺する。そんな霊夢の肩に魔理沙は手を置く。

 

「大丈夫。気を失っているだけだ」

 

「いや、でも……。大丈夫って……」

 

 霊夢の顔がくしゃりと歪む。自分の行いのせいでこうなったのだ。無理もない。だが、ここで霊夢の下へと集まった皆は、口を開く。

 

「おのれ……、ゴキブリ共め!!」

 

「紫様を、こんな目に……!!」

 

「人型さえ現れなければ、こんなことには……」

 

 皆、一様にゴキブリ達へと責任を転嫁させる。流石に今の霊夢を哀れに思ってのことなのだろう。藍と幽々子に至っては紫に縋りついて泣いていたが、それでも霊夢のせいではないと言ってくれる。皆に慰められ、霊夢は紫を抱えたまま立ち上がる。思っていたよりも、ずっと軽かった。

 

 皆の優しさが霊夢には痛かったが、これは自分のせいなのだ。紫が起きたら誠心誠意謝ろう。出来る限り優しくしよう。その為にも今は、あの黒い月を消し去らねばならない。

 

「どうやったら、あれを攻略出来るかしら?」

 

 霊夢の言葉に、皆は黒い月を見る。

 

「ここに来る途中で『グングニル』を試してみたが、完全に受けきられた」

 

 レミリアは博麗神社に到達する前、黒い月に最大出力でグングニルを放ったのだが、月の周りの靄、そして月から『生まれ来る』幾千幾万のゴキブリの壁により、流石のグングニルも威力を保てず霧散してしまった。

 

「……フランの能力は?」

 

「対象が多すぎて……」

 

「そう……」

 

 霊夢は二人の答えに深く思考を巡らせる。そこに、パチュリーが前に出る。

 

「さっき魔理沙とアリスと話したんだけど……地脈の力を使おうと思うの」

 

「地脈の力を?」

 

 その場の全員がパチュリーに注目する。

 

「幻想郷に存在する地脈には、非常に強力な力が流れているの。それを抽出し、収束し、撃ち出せば……恐ろしい威力になる」

 

 パチュリーは「むきゅー」と鼻息荒く語る。確かにパチュリーの言う様に撃ち出せれば問題は無いのだが……。

 

「どうやって抽出して、どうやって収束して、どうやって撃ち出すつもりだ? それだけの無茶、私でも出来んぞ」

 

 否定的な意見を出すのは藍だ。如何に最強の妖怪の代名詞『九尾の狐』と言えど、地脈から莫大な力を抽出し、それを完全に収束し、ロス無く撃ち出すことなど不可能なのだ。そんなことをしようものなら、黒い月より先に自らの体が反作用で吹き飛んでしまう。それに対し、パチュリーはニヤリと笑う。

 

「何も一人だけでやらなくてもいいのよ」

 

「何?」

 

 パチュリーは両手を広げる。

 

「ここには、こんなに大勢居るのよ? それを利用しない手はないわ」

 

 それは、藍にとっては盲点だった。いつも主に言われている通り、藍はやや思慮が浅い嫌いがある。今回も地脈に関して自分を中心に考え、それを口に出してしまった。これではまた、紫にお仕置きを受けるかも知れない。

 

「……では、どうするんだ?」

 

「まず、私が地脈を特定、その力を伊吹萃香に萃めてもらい、私が抽出」

 

 パチュリーは人差し指を立てる。次に、中指を立てた。

 

「次は抽出した力を計算に強い八雲藍とアリスが収束」

 

「……ふむ」

 

 最後、薬指を立てる。

 

「そして、収束した力を魔理沙のミニ八卦炉を使って撃ち出す。……確か、霊夢も集めた力を撃ち出せるんだっけ? なら霊夢も一緒に」

 

「いや、まあ出来ないことはないけど……」

 

 パチュリーの言葉に霊夢は歯切れ悪く答える。いくら何でもぶっつけ本番で成功出来るとは思えなかったからだ。

 

「どうせやらなきゃ幻想郷が大変なんだ。だったらさっさとやっちまおうぜ」

 

 魔理沙は不敵に笑い、霊夢の背中をぽんと叩く。魔理沙は普段危ない橋を渡ろうとはしない。だが、今回は違うようだ。

 

「ほれ、向こうもこっちに狙いを付けたみたいだぜ。ごちゃごちゃ言ってる暇はねーぜ!」

 

 見れば、確かに靄がこちらに向かって来ている。中には何体かの人型が混ざっているようだ。それに対し、レミリアが前に出る。

 

「少々不満だが、露払いは任せておけ。その後はお前達に任せる」

 

 レミリアはゆっくりと空へと浮かぶ。それに続き、フランや咲夜達幽々子と妖夢達も同じく浮かぶ。

 

「ついでにこの子達にも頑張ってもらおうか。妖鬼―疎―!」

 

 萃香は自分の髪を抜き、息を吹きかけ小さな分身をいくつも作り出す。その分身達は萃香の「玉砕しておいで」との言葉にショックを受け、キーキーと文句を言っている。だが術者本人には逆らえないのか、涙を流しつつ靄へと向かって行った。

 

「……鬼だな」

 

「そうだけど?」

 

 藍の皮肉にきょとんとした顔で返す萃香。その顔には何ら含む物が無く、素であることが分かる。そんな様子に幽々子はくすりと笑い、懐から扇を取り出し、広げて口元を隠す。

 

「さ、私達も行くわよ。まずは私が……」

 

 幽々子は扇を靄へと向ける。彼女の周囲から、色鮮やかな蝶が数多出現する。

 

「さあ、お行きなさい。死蝶『華胥の永眠』……!」

 

 幽々子から放たれた蝶は、羽ばたきながら靄へと急行する。ただの蝶と侮ってはいけない。それは幽々子の能力の化身。即ち、『死を操る程度の能力』の具現。蝶に触れた靄は片端から『消滅』していく。

 

(……やはり、この子達は)

 

 その様から、幽々子は確信した。やはり、『純粋な生命』ではなかった。だが、思考に耽る暇は無い。靄を囮とし、人型が蝶の群れを突破してきた。それを睨み、幽々子は力強く彼女達の名を呼ぶ。

 

「妖夢、橙!」

 

「はいっ!!」

 

「にゃっ!」

 

 橙が回転しながら人型に体当たりする。その人型を足場に次の人型へ。それを足場に次の人型へ。目にも留まらぬ猛スピードで繰り返し、人型を翻弄する。そして、人型が橙に気を取られた瞬間、斬撃が閃いた。

 

 それは橙を遥かに超えるスピードで人型を切り刻み、物言わぬ残骸へと変えていく。最後に人型の正中線を大上段から切り裂き、全ての神経節を断つ。

 

「人鬼『未来永劫斬』……!!」

 

 妖夢の周囲に人型の欠片が舞い落ちていく。その中、欠片を払い背後から妖夢に迫る影がある。人型の一体が拳を握り締め、渾身の突きを放とうとしていた。ただ、妖夢は一言告げる。

 

「流石ですね、美鈴さん」

 

 その言葉が切欠になったのか、人型の動きが止まる。体内に打ち込まれた衝撃が内部で増幅、やがてその体を内側から爆砕せしめ、また一つの骸を作った。それは、熾撃『大鵬墜撃拳』と同様、美鈴の絶招の一つ。

 

「華符『彩光蓮華掌』……。中国拳法っていうのは、本当に不思議よね」

 

「咲夜さんのナイフ術程ではありませんよ」

 

 並んで現れたのは美鈴と咲夜。咲夜はナイフでジャグリングをしており、彼女に近付く人型や靄はいつの間にかナイフで滅多刺しにされている。能力で時間を操っているのだろうが、端から見れば悪夢以外の何物でもない。

 

「ではお嬢様方、どうぞ」

 

「ああ、任された」

 

 二人の上空に陣取るのは二鬼の少女。暴力的なまでの魔力と存在感を撒き散らし、黒い月を睨む。

 

「せっかくだ、ど派手に決めようかフラン」

 

「うん、お姉様」

 

 レミリアその手に魔力球を。フランはねじ曲がった杖を持つ。

 

「スピア・ザ……!!」

 

 魔力球を握り潰し、強大な力を宿す槍と為す。

 

「禁忌……!!」

 

 杖に炎を宿し、強大な力を宿す剣と為す。

 

 吸血鬼の姉妹は同時に振りかぶり、力を解放する。

 

「グングニル!!!」

 

「レーヴァテイン!!!」

 

 互いに神器の名を冠する力を撃ち放つ。それは点と線の軌道で黒い月に迫り、敵を滅ぼさんと唸りを上げて突き進む。だが、そうはさせじと黒い月の周囲に漂う靄が二つの神器に殺到する。それは触れた端から消滅していくが、黒い月より生み出される、無限とも思える靄の生成が殲滅を阻んだ。

 

 黒い月内部より生み出されるゴキブリ達。その何割かを食らい、また生み出し、加工して靄を形成する。中心部に存在する数十、数百のゴキブリ達がそれを成している。その速度は人知を超越し、毎分数万匹と言ったところか。中でもそのサイクルの中、突然変異的に現れた人型は嬉しい誤算と言えよう。今までの自分達より強く、大きく、また知恵もある。

 

 しかし、何も最初からその様な能力があったわけではない。かつて山の中で出会った、『男』から授けられたのだ。そのゴキブリは、新たな産声を上げた。

 

 『男』の力によって遥か過去から停滞していた自分達の種族が、新たな道を歩く事が出来るようになったのだ。

 

 『男』は約束してくれた。『探し物』を見つける事が出来れば、自分以外も『進化』させてくれると。

 

 『私』は『彼』の役に立ちたい。この幻想郷を覆えば、探し物を見つけられるだろう。だから仲間を集めた。仲間と『力を合わせ』、新たな『種』を生み出し、宙を行く『巣』を作ったのだ。

 

 巣の中で繁殖を繰り返す内、自分には無い新しい能力を持った者が生まれてきた。巣を守る靄も、人型も、新しい種族なのだ。生成の速度も上がり、あらゆる力も我らの『生命』には通じない。

 

 進化だ。あの『男』が与えてくれた『進化』のお陰だ。だから役に立ちたい。新たな進化の為に、我ら種族の為に。それを邪魔する者は葬り去ろう。我らの仲間を殺し回る『奴ら』を倒そう。

 

 奴らの力では我らには勝てない。事実、奴らが放った『槍』も、『剣』も、全てを受け止めたのだ。巣を守る『靄』は完全に消滅してしまったが、すぐに生み出せる。我らの『生命』と『進化』の前に、奴らは負けるのだ―――。

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、露払いは済んだな」

 

 レミリア達は地面に降り立ち、背後を振り返る。その目線の先には、眩いばかりの光を放つ球体が存在していた。萃香にパチュリー、藍にアリスは全身に汗を滲ませ、立っている。目線は言わずもがな、黒い月だ。

 

「おう、ご苦労さん」

 

 魔理沙は地脈の力を集中させたミニ八卦炉を既に構えている。力は今にも弾けそうで、抑えることは想像を遥かに超えて難しい。

 

 それでも、魔理沙は笑ってみせる。

 

「へへ、お前らに恨みは無いんだが……、あ、やっぱあったわ」

 

「あら、あんたもなの?」

 

 魔理沙の言葉に、寄り添うように立つ霊夢が問い掛ける。

 

「おう。楽しみに取っておいた大福を食われた」

 

「私もおせんべいを食べられちゃったのよね」

 

 二人は同時に噴き出した後、黒い月を睨む。

 

「ま、食いもんの恨みは恐ろしいってことだ」

 

「そーゆーこと!」

 

 魔理沙の持つミニ八卦炉が、その機能を解放する。ついに火を吹く時が来たのだ。彼女の放つ魔砲、その名は―――!!

 

「ファイナル……!! マスタースパァアアーーーク!!!」

 

 瞬間、光が爆ぜた。

 

 魔理沙が撃ち出した魔砲は夜を終わらせ、昼と変わらぬ明るさを幻想郷に齎した。

 

 黒い月を守る靄が存在しない今、その光は黒い月を飲み込まんと迫る。だが、ここで黒い月に異変が起こった。

 

「黒い月から……靄が!?」

 

 黒い月内部より生み出される靄の速度が、この時に最高にまで早まった。その速度は黒い月を飲み込もうとする魔砲と拮抗し、逆に侵食してくる程に。それが、黒い月の中枢たる一匹のゴキブリには痛快だった。勝つのは自分達だと、そう思ったのだろう。確かにこのままなら魔理沙は負けるだろう。そう、魔理沙一人だけならば。

 

 霊夢がゆっくりと浮かび上がり、魔理沙のすぐ上で停止する。霊夢の周囲には輝く七つの陰陽玉が浮かび、力の解放を今か今かと待ちわびている。

 

「……」

 

 霊夢は目を瞑り、黒い月へと向かって手を伸ばす。そして、力を解放した。

 

 それは魔砲に沿って進み、重なり、混ざり、極光となって突き進む。靄など歯牙にも掛けず、やがて極光は黒い月へと辿り着く。

 

―――何だ、この光は。

 

 瞬く間に黒い月の外殻を撃ち抜き、全てを飲み込み消滅させる極大の光。

 

―――何だ、この光は!?

 

 一匹のゴキブリは、進化した知能を以て光の正体を探る。だが、当然それが何かなど分かるはずもない。『それ』を完全に視界に収めた瞬間には、体も魂も何もかも、消滅していたのだから。

 

 

 

 

 

 

「……終わったか」

 

 光は幻想郷中に満ち、今回の原因たる全てのゴキブリ達を消し去った。魔理沙は溜め息と同時に呟き、ミニ八卦炉を下ろす。見た目にもくたびれたそれは、しばらく使い物になりそうもない。近い内に製作者に見せなければならないだろう。

 

 魔理沙が周りを見渡すと、皆が地面に座り込み、重い息を吐いていた。異変の規模が規模だけに、かなり疲弊しているようだ。

 

「……紫は大丈夫?」

 

 霊夢は寝かされている紫を気に掛ける。それに藍は苦笑を浮かべ、「問題ない」と答えた。ついでに目を逸らし、「起きてからが怖いが」と心の中で呟く。霊夢は藍の内心には気付かず、ほっと息を吐いた。

 

 辺りには和やかな雰囲気が流れ、暫し談笑していたが、流石にこれ以上は体に障ると判断したのだろう。藍は紫を横抱きに抱え、橙と共にその場を辞した。橙は本来紫達と同居してはいないのだが、紫のことが心配だったのだろう。

 

 藍は最後に「また明日、会おう」と言って、空に消えていった。それを見た他の者達も同じく帰ることにする。その際、パチュリーが持病の喘息の発作が起こり、紅魔館や永遠亭よりも近い、魔理沙の家に緊急搬送された。パチュリーには魔理沙とアリスが付き、薬草にも詳しい二人が看病すればすぐに収まるだろうとの判断だ。

 

 去りゆく魔理沙達を見送った後、レミリア達も帰路へと着く。途中で人里に寄り、異変解決の報告をしてくれるらしい。「風呂に入りたい」と言っていたことから、彼女も相当にくたびれた様だ。

 

 幽々子と妖夢も既に空を飛んでいる。先程からしきりに幽々子の腹から異音が鳴り響き、妖夢が冷や汗を垂らしている。妖夢が休めるのはまだまだ先のことになりそうだ。

 

「……結局、今回の異変は何が目的だったのかしらね」

 

「さあね。私に分かるのは、今日の異変を思い出したら酒が不味くなるってことだけだよ」

 

 そうして残った霊夢と萃香はしばらく空を見上げて話した後、軽く息を吐き、空を飛んで博麗神社へと戻る。二人の頭には、否、先程まで一緒に戦っていた皆には、共通する思考があった。

 

「……早く、本物の満月が見たいわね」

 

「その時こそは、気持ち良く酔えそうだね」

 

 

 

 

 

 

 

 光一つ届かぬ山の中腹。そこから全てを眺めていた『男』は溜め息を吐いた。『男』にとって、今日という日は厄日だったのだ。

 

 何せ、相手に『探し物を手伝ってほしい』と頼んだのに、その相手は何故か『幻想郷に異変を齎した』のだ。彼からすればこれほど意味の分からない事態も無いであろう。

 

 彼は空を見る。探し物に関係のありそうな人物達は結界内に引きこもっていたし、黒い月なんて物が現れる。

 

 彼は獣より多少優れた頭で考える。探し物はどこにあるのか、どうやれば見つかるのか。

 

 『男』はフルフルと首を振る。そのまま『鳥』の様な翼を広げ、『蛇』の様な尾を揺らし、『野犬』の様に遠吠えを上げ、夜の闇に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 数刻が経ち、夜が明けて。博麗神社には多くの者が集まっていた。それは昨日という日を戦って過ごした者達。そして、ある悲劇を目撃した者達だ。普段の霊夢なら追い返すのだろうが、彼女達の姿を見た霊夢は一つ頷き、皆で酒を呷り始める。その日の宴会は、今までにないくらい静かに始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 白蓮は朝の日差しの中写経をしつつ、昨夜行われた神子との会話を思い出す。彼女は言っていた。形だけになってしまうが、せめて葬儀は執り行う、と。白蓮もそれに頷き、骸は無いが墓を建てようと思っている。思い浮かぶのは、命を弄ばれた虫達。

 

 因果は巡り、行いに応じた報いを受ける。あれを為した者に、また、彼らにあのような行いをした自分に、十王はどのような裁きを下すのか。

 

「……ふう」

 

 白蓮は筆を置き、溜め息を吐く。今日これから神子や慧音と共に、人里の住人達の心のケアを行うつもりだ。このように沈んだ顔では皆が更に不安に思ってしまう。

 

 白蓮は伸びを一つ、立ち上がる。幸いにも今日の天気は快晴だ。昨日とは違い、今日という日は佳日であってほしいと願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、その思いは届かなかったのであろうか。

 

 幻想郷と外の世界の狭間にある、とある屋敷。そこで一人の少女が目を覚ました。

 

「……まさか、妖怪である私がこんなに弱るなんて……」

 

 そして、此処とは違う、どこか別の世界で。

 

「おー、今日は快晴ってやつか。最近雨ばっかだったからなぁ、何か久しぶりな感じだ」

 

 ぺしゃんこに潰れた煎餅布団の上で、少年は窓の外を見ながら声を出す。そこから見えるのは雲一つ無い、抜けるような青空。最近は悪天候が続いたせいか、中々に眩しく見える。

 

「何か良いことが起こりそうだなー。可愛い女の子達と知り合えるとかだったらいいなー!」

 

 心に浮かんだことを正直に口に出す少年は、朝から煩悩にまみれていた。

 

―――それが、少年の望みとは少々外れるが、真実になるとも知らずに。

 

 やがて、運命の時は訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

番外編・後編

『運命の日』

~了~




お疲れ様です。

やっと番外編も終了し、次回から本編に復帰します。

この番外編、本当は星ちゃんやナズや布都ちゃんや文や幽香や早苗や魅魔様(声だけ)が登場する予定でした。
登場したら更に長くなるので一切の出番を無くしましたけども。

ついでに言えば戦闘シーンの練習みたいな試みもありました。
付き合わせてしまい、申し訳ありません。

次のお話はほのぼのとしているはずです。
主人公も出てきます。

それでは次回の投稿をお待ちください。

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