東方煩悩漢   作:タナボルタ

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お待たせいたしました。

今回から番外編が始まります。……と言っても早くて次、遅くてもその次で終わりますが。

また、番外編は少々血なまぐさい描写が増えるので、警告タグを追加させていただきます。
ご了承ください。

それではまたあとがきでお会いしましょう。


番外編・前編

 

 最近、妙な噂を耳にする。

 

 何でも、ここ数日で人里に存在する全てのゴキブリが群れを成し、森や山の方へと移動したというのだ。

 

「まあ、私も一度見たことがあるのだが……」

 

 月光に照らされた、黒光りするゴキブリ達の大移動。その時の光景を思い出し、独り言を呟いた少女は一つ身震いをする。

 

 迂闊に思い浮かべる物ではない。お陰で全身に鳥肌がたっている。

 

「いかんいかん、今日は妹紅が遊びに来る日だというのに……」

 

 こんな調子では、妹紅にいらぬ心配をかけてしまう。彼女はプルプルと頭を振り、忌まわしい映像を頭から叩き出す。

 

 少女は手に持った様々な食材が入った袋に目を向け、夕飯の材料に不足が無いかを確かめる。吟味に吟味を重ねた新鮮な食材達。どうやら量も申し分ないようだ。

 

「……早く帰って、夕飯の支度をしよう」

 

 最近独り言が多くなってきたことを気にしているのだが、ついつい口をついてしまう。「これだから一人暮らしは……」などと、またも声に出してしまう。

 

 どうせなら、妹紅に同居を促してみようか? 頭に浮かんだ考えに苦笑をこぼす。不老不死だからと言って、まともな食事をしようとしない妹紅。最近はちゃんと食べているようだが、栄養のバランス等は考慮していないだろう。

 

 やはり、何だかんだで断られるのオチだろうか。だが、言うのは只だ。いつも私に心配をかけるのだ、偶には私が彼女を困らせてもバチは当たらないだろう。

 

 人里の大通りを、一人の少女が歩く。彼女は半妖の生まれであり、現在は人里にある寺子屋で教鞭を執っている。

 

 若く美しく教養が深く、だが授業は分かりづらいし、宿題を忘れようものなら強烈な頭突きが待っている。

 

 子供達に好かれ慕われ恐れられ、保護者や人里の大人達の覚えがめでたい皆の先生。

 

―――彼女の名は上白沢慧音。藤原妹紅の、理解者の一人。

 

 

 

 

 

「……ん、もうこんな時間か」

 

 壁に背を預け、本を読んでいた妹紅は外から入り込む光に朱が混じり始めたことに気付く。

 

 今日は慧音に夕飯をご馳走になる予定だ。彼女の料理は美味い。味覚が似ているのか、彼女が施す味付けは妹紅にとっても好みの物だ。

 

「さーて、今日のご馳走はなんだろなっと」

 

 軽く体を伸ばし、身嗜みを整える。何となく気分を変えるために、髪型をポニーテールにしてみる。これだけで雰囲気ががらりと変わるのだから、長い髪とは不思議な物だ。

 

「……ま、自分の髪なんだけど」

 

 特に苦労することなく纏め終え、戸締まりを確認し、宙に浮く。

 

 空には赤く輝く夕日が見える。何気なく月の存在を確認しようとするが、その途中である事に思い至る。

 

「ああ、そういや今日は新月だっけ」

 

 月を思い浮かべた妹紅だが、それは次の瞬間にはとあるお姫様と従者達へとすり替わる。

 

(そういえばあいつらって満月の日には餅を搗いてるみたいだけど、新月の日にも何かやってるのかな)

 

 妹紅の言う餅搗きとは例月祭という行事の事であり、月の都から逃げ続けている輝夜・永琳・鈴仙達が罪を償うために行っている。

 

 彼女はそういえばそんなことを言っていたな、というくらいにしか覚えていない。輝夜達が妹紅にそういった事を話すくらいに打ち解けているのを、慧音は知っているのだろうか。

 

「あいつらの餅って結構美味いんだよな……普通だけど。―――ん?」

 

 他愛ない事を考えていた視界の端、森の片隅に何か黒い塊が通り過ぎたように見えた。改めて振り返るもそこには何も無く、ただ静寂が広がっているだけである。

 

「……気のせいか? ま、野犬か何かだろ」

 

 結局、彼女はそれ以上気にも留めずに空を行く。既にお腹はぺこぺこだ。何せこの日の為に二日間何も食べていないのだ。

 

―――結果、妹紅はまず食事の前に慧音の頭突きと説教で胸をいっぱいにすることとなった。

 

 

 

 

 

 

 博麗の巫女、霊夢は今絶望に支配されている。

 

 たった数分前は友人達が訪ねて来たこともあり、表情には出さずとも喜びの感情があったのだが、それも今や消失した。

 

 何故神は私に斯くも多くの苦難を与えるのか。私は貴方に対し、何か粗相を働いただろうか。霊夢は問い掛ける。だが、博麗神社に祀られている神が聞けば、恐らくはこう答えるだろう。「私の名前も知らないくせに何言ってんの?」と。

 

 言わば、これは起こるべくして起こった悲劇なのだろう。慢性的に参拝客は来ない。突然の来訪者達。夕飯をたかる畜生共。即ち―――

 

「……米が、尽きた―――」

 

 霊夢はその場で悲しみに打ちひしがれる。あれだけあった米が、米びつの中に存在していない。今月はご飯だけで食いつなぐつもりだったのに。大根飯とか。菜飯とか。焼きおにぎりとか。お粥とか。

 

「……何故そこまで困窮しているのかしら?」

 

 訪ねて来た者の一人、八雲紫が頭痛を耐えているかの様な表情で尋ねる。

 

「……だって、参拝客、来ないもん……。お賽銭、無いんだもん……」

 

 所々言葉が不自然に途切れる。泣いているのだろうか、その肩は震えている。

 

(……でも、お米だけで食いつなぐという程困ってるわけじゃないはずだけど……?)

 

 そう、如何に博麗神社が辺鄙な場所にあり、妖怪が湧いて出てくるとはいえ、奉納品や紫達からの差し入れ等があるはず。特に紫は野菜だけでなく、魚や肉も渡している。だというのに何故こんなことに……?

 

「皆……宴会で、ウチの食材、使うんだもん……。宴会の食材、持ってくる奴、少ないもん……」

 

「ああ……」

 

 紫は全てを理解した。博麗神社で行われる宴会に出てくる料理、その食材はほぼ霊夢が備蓄していた物から出していたのだろう。

 

 食材を持ってくる者……。確証は無いが、恐らくは妖夢に咲夜、アリスといったところだろうか。宴会では皆がよく食い、よく呑む。彼女達が多少の食材を持ってこようと、これでは確かに食材どころか米すら尽きてしまうだろう。

 

 しくしくと泣いている霊夢をどうやって慰めようか悩む紫の横に、同じく霊夢を訪ねて来た魔理沙と萃香が紫に視線を一つ寄越す。

 

 私達に任せろ。彼女達の目はそう言っていた。紫は躊躇いつつも自らの友人と、霊夢自身の友人に任せることにする。

 

 紫は彼女達の目を見て、頷いた。二人も頷きを返す。

 

 二人は霊夢の肩にそれぞれ手を置き、慰めの言葉をかける。

 

「米が無けりゃ、餅を食えばいいんだぜ?」

 

「お米が無ければ、純米酒を呑めばいいんだよ?」

 

「「ぶち殺すわよあんたら」」

 

 いっそ清々しいまでに殺意を漲らせる、霊夢と紫の声が重なった。

 

 

 

 

 

 

「はぁ~……。暇だわぁ~」

 

 蓬莱山輝夜は暇を持て余していた。ここ最近は異変もなく、患者もなく、遊びに訪れる者もいない。最近は妹紅と殺し合うこともないし、趣味の盆栽もとっくの前に枝を整えたばかり。大事なコレクションも、自慢する相手が居なければ整理する気も半減だ。

 

「ひーまーひーまー」

 

 暇と口にしながら畳の上をゴロゴロと転がる。その姿は最近外から幻想入りしてきた、垂れたパンダを思い起こさせる。

 

 引きこもっている時はこんな事はなかった。自由でないとはいえ、毎日をそれなりに楽しく過ごしていた。

 

 輝夜が暇を持て余すのは、表に出てきてしまったからだろう。人との親交を羨ましがったとはいえ、彼女達は月からの追っ手に見つからぬように潜んでいたのだ。その追っ手が居ないと分かり、表に出て断絶されていた人との繋がりを得た。

 

 それなりに楽しかった引きこもりの日々など途端に色褪せ、代わりに始まった日々は何物にも代え難い、宝石の如く煌めいている。

 

 誰かと出会い、誰かと話し、誰かと友好を結び、誰かと喧嘩し、誰かと別れ、再会を約束する。

 

―――それが堪らなく楽しく、また嬉しいのだ。

 

 やはり自分には月での生活より、この穢れに満ちた地上での生活が性に合っている。永琳が付いてきてくれたのには感謝しかない。まあ、彼女を特に慕っていた月の姉妹には申し訳ない気持ちもあるが……、全ては永琳が決めたのだ。それは理解してもらうしかない。尤も―――

 

「そんなに暇だ暇だと言っても、ここには貴女の娯楽になる物はないわよ輝夜」

 

 その永琳にも、この如何ともしがたい退屈は払拭出来ないらしい。

 

「むぅ……」

 

 輝夜は不機嫌そうに唇を尖らせ、うつ伏せにべしゃーっと垂れている。その表情とは裏腹に可愛らしい姿が永琳の心の琴線に触れたのか、最近魔法の森の入口にある道具屋で購入した写真機を取り出し、その姿をパシャリと写真に収める。

 

 それが切っ掛けになったのかは分からないが、輝夜は「そうだ!」と言って体を起こし、鈴仙を呼ぶ。

 

「れーせーん! 聞こえるなら永琳の部屋まで来てちょうだーい!」

 

 輝夜の顔は何とも微妙に歪んでいる。さながら面白いことを思いついた悪戯っ子といった風情だ。

 

 それから数十秒、パタパタと足音がし、間もなく部屋の襖が開かれた。

 

「すいません姫様、遅くなりました。……それで、何かあったんですか?」

 

 鈴仙の言葉に輝夜は胡散臭い笑みを浮かべながら、彼女の謝罪に「うんうん」と頷く。この時点で鈴仙の危機管理センサーがビンビンに反応しているわけだが、今更逃げられるわけがないので、内心で涙を流しながら覚悟を完了させる。

 

(―――当方に受容の用意あり)

 

 何だか悲壮感を漂わせる鈴仙。輝夜はいまだにニコニコ顔だ。

 

「私、思ったのよ」

 

「……何をです?」

 

 輝夜は立ち上がり、後ろ手でゆっくりと鈴仙の背後に回る。鈴仙は警戒しているのか、身体を固くしている。永琳はまたとないシャッターチャンスの予感に写真機を構える。

 

「この部屋に娯楽が無いのなら、娯楽をこの部屋に持ってくれば良い……と!」

 

「……つまり」

 

 輝夜の瞳が強く、怪しい輝きを放つ。

 

「そう! 今から貴女は私のオモチャなのよ!!」

 

 そう言い放ち、鈴仙の服に自らの手を潜り込ませる。

 

「ひゃわぁっ!? な、何するんですかぁ!!?」

 

 鈴仙は体をよじり抵抗するが、輝夜はお構いなしに鈴仙の肢体をまさぐっていく。指がうねうねと蠢く様は少しホラーチックだ。

 

「やっ……! ちょっ、姫様……!?」

 

「―――っ! 見切ったわ!!」

 

 輝夜は類い希なる感覚を以て鈴仙の『弱点』を見抜く。輝夜の左手は鈴仙の左脇腹を、右手は右太ももの内側を優しくさする。

 

「ひやぁっ!? ちょっ、駄目ですーっ!!」

 

「ふふふっ、くふふふふふ!」

 

 輝夜の突然の奇行に面食らった鈴仙はバランスを崩し、輝夜と共に倒れ込んでしまう。だが、輝夜は手を緩めず、倒れたことを利用して鈴仙に絡み付きつつ更にまさぐる。その手腕は実に鮮やかで、鈴仙はもう声を我慢することも出来ないくらいに追い詰められる。

 

「さあ、私の手によって悶えなさい!」

 

「―――っ! ……、……っ! ……っ、く―――!?」

 

 輝夜は鈴仙のうなじに顔を埋め、彼女の匂いと柔らかさを堪能する。それが引き金となったのか、ついに鈴仙の心の堤防が決壊した。

 

「―――あはははははっ!! ちょっ、あは、あはははははは!! や、やめ―――!? ひ、くふっ……!?」

 

 部屋に響き渡る鈴仙の(はしたない)笑い声。それはかなり切羽詰まった、多少苦しげなものだ。

 

 鈴仙は頬が紅潮し服も髪も乱れ、既にスカートからは下着が丸見えになっている。更には涙目になっているのもあり、輝夜から逃れようと身をよじる姿はある種、官能を刺激する様相を呈している。永琳はそれを思う様写真に撮る。バシャバシャとではなく、秒間十六回のスピードでシャッターを切っているため、『バシャー』と音が繋がっている。どうやら妖怪の山の河童に永琳のシャッタースピードに耐えられるよう改造してもらったようだ。

 

「―――っ」

 

 だが、ここで永琳は撮影を止め、窓から見える竹林を凝視する。その事に気付かない輝夜はいまだに鈴仙をくすぐっているが、永琳は気にせず輝夜に声を掛ける。

 

「輝夜、そこまでにしておきなさい。……今から、『あれ』を起動させるわ」

 

 その言葉に輝夜は首を傾げる。

 

「あれって……『あれ』よね? 何でまた今時分に……?」

 

「―――、―――。……っ。……、……――。……?」

 

 輝夜は永琳の言葉にくすぐる手を止め、息も絶え絶えではあるが鈴仙もようやく解放された。全身がビクビクと痙攣し、肌が余す所なく赤くなっている。彼女は数十秒を掛けてそれと喘ぐような呼吸から立ち直り、輝夜と同じく疑問を抱く。

 

「……強いて言うなら勘よ。とにかく、準備をお願い」

 

「……分かった。鈴仙、行くわよ」

 

「は、はい……」

 

 ヨロヨロと立ち上がり、乱れた服を直しながら輝夜の後へと続く鈴仙。それを見送った永琳はもう一度窓の外を睨んだ後、部屋を後にする。

 

 

 

 

 

 

 灯り一つないテラスにて、月の無い空をじっと見つめ、ワインを呷る。

 

 大きな光の無い空に散らばるのは、とても多くの、小さな光。

 

 ここ数年、新月の日にはこうして過ごしている。

 

 ……新月の日には『れみりゃ』という幼児と化すなんて根も葉もない噂を聞いたことがあるが、そんなことがあるわけない。……まあ、何回か酒を呑み過ぎてその夜の記憶が全く無かったりしたこともあったのだけど。

 

「だが……、ふふっ。こうしている私はさぞ大人っぽく見えていることだろう……」

 

 そうして、ワインをまたグラスに注ぐ。

 

 彼女の名はレミリア・スカーレット。この紅魔館の主。

 

―――彼女は気付いていない。自分で『大人っぽく』と言ってしまうということは、無意識の内に普段の自分が子供っぽいと認めているということに。

 

「……お嬢様、もうそろそろ就寝のお時間です」

 

 その声は突然背後から聞こえてきた。咲夜がわざわざ能力を使い、それを伝えに来たようだ。

 

 レミリアは咲夜に倣い持ち始めた懐中時計を見やる。例え一切光の無い暗闇だとしても、彼女には何の問題も無い。吸血鬼は夜目も利く。

 

「……いや、まだ夜の九時なんだけど……」

 

「良い子はもう眠る時間ですよ?」

 

 主の言葉にはっきりと答える従者。ちなみにだが、咲夜に悪気は一切無い。

 

 レミリアは暫く咲夜の顔を(若干涙目で)睨んでいたが、諦めたのか深い深い溜め息を吐き、席を立つ。

 

「はいはい、分かった分かっ―――!?」

 

 言葉の途中、突如感じた異常な気配を察知し、空を睨む。

 

「お嬢様、一体どうし―――これは!?」

 

 次の瞬間、幻想郷に存在する全ての力ある者が気付いた。

 

 幻想郷全土に充満する敵意とも悪意とも呼べないような、稚拙な意識。

 

 そして、月の無い空に鎮座する黒く、巨大な球体。

 

「何だ、あれは……?」

 

 レミリアはその驚異的な視力を以て黒い球を観察する。そのレミリアの下にパチュリーが現れる。

 

「レミィ!」

 

「パチェ! ……貴女も気付いたの?」

 

 レミリアは一瞬だけ球から視線を外し、パチュリーと言葉を交わす。

 

「あれだけの気配を撒き散らしているのだもの、当然よ。……それより、あれは一体何なのかしら? 見た目はさながら『黒い月』って感じだけど」

 

 パチュリーの言葉にレミリアは眉間にシワを寄せる。あんな物を『月』と呼称するのに抵抗があるようだ。

 

 レミリアが何とも言えない表情で発言に窮していると、その黒い月に変化が現れた。黒い月に纏わりつくように発生した黒い靄のような物。レミリアもパチュリーもそれをジッと見ていたのだが、突如背筋を走る悪寒に、考えるより先に感覚で判断を下す。

 

「パチュリー! 紅魔館全体に結界を張って!!」

 

「分かってる!!」

 

 叫ぶレミリアに、パチュリーもまた叫んで返す。よほど余裕が無いのか、二人の表情は鬼気迫るものとなっている。程無くして紅魔館に結界を張り終えたパチュリーが空を睨む。

 

「……来るわよ……!」

 

 靄が、動いた。

 

 黒い月から離れ、まるでノイズの様な、嵐の様な耳障りな音を立てながら紅魔館に迫る。だが、それは結界によって阻まれ、紅魔館の敷地に入ることなく周りに漂うだけに留まる。その際に、ビチャビチャと生理的に不快な音を立てながら。

 

「お嬢様ー! パチュリー様ー!」

 

「やっと来たわね、美鈴」

 

 咲夜が靄を睨んでいると、背後から門番の声が聞こえてくる。彼女はかなりのスピードで走ってきており、物の数秒でテラスに辿り着いた。

 

「とりあえず簡単に聞きますけど、何がどうなってるんです?」

 

「分からん」

 

 美鈴の質問にレミリアが即答した。本当に分からないのだから仕方がないが、それでも不安は募るというもの。

 

「……そうですか」

 

 美鈴は不安げな表情で黒い月を見やる。先程から美鈴の探知能力に引っ掛かる物があるのだ。

 

 それは、数えることが馬鹿らしく思える程に莫大な数の気配。彼女は『気を使う程度の能力』を持っており、自分だけでなく、他人の気も感じることが出来る。美鈴はレミリア達に自分の感覚が捉えたことを話す。

 

「……なるほどね」

 

 返ってきたのは納得だった。レミリアは忌々しそうに黒い月と靄を睨む。

 

「私も今視認出来た。……あれは、虫の集合体だ」

 

 その言葉は場に怖気を齎す。

 

「あの黒い月も、靄も、全部ですか……!?」

 

 咲夜の問いにレミリアは頷く。今も鳴り響く耳障りな音は羽音、結界にぶつかる不快な音の正体は、奴らが潰れる音なのだろう。それは、今も止まらない。否、徐々にではあるが、どんどんと数が増えているようにも思える。

 

「……そういえば、人里でゴキブリが大移動したという噂が流れていました」

 

 咲夜は人里での買い物の途中で聞いた噂を語る。その顔色は生理的嫌悪感からか青を通り越して既に白い。遠くから見える靄だけでも、恐らくは数千万単位で存在しているだろう。それを鑑みれば、黒い月を含めた総数は―――。

 

「……考えたくないな。一体どうやってこれだけの規模に」

 

 あれだけ巨大な黒い月を構成するのだ。この幻想郷で隠れる場所があるとも思えない。

 

 レミリアは思考を巡らせるが、頭を振り、考えを改める。理由などは関係無い。奴らはこちらに攻撃してきたのだ。ならばこちらが取るべき手段は一つ。

 

「……あいつらを殲滅するわよ」

 

「え!? ほ、本気ですか、お嬢様!!?」

 

 美鈴が叫ぶ。彼女は自らの能力で相手がどれだけの数を誇るかを感じ取ってしまっている。あのゴキブリ達を殲滅するのがどれほど無謀なことか、彼女はまざまざと思い知らされている。

 

「当然だ。奴らはこっちを攻撃してきている。……それに、このままでは幻想郷が奴らに覆い尽くされてしまう」

 

「うう……」

 

 今度は美鈴も反論出来ない。向けた視線の先には、確かに黒い月から排出される靄は数を増し、幻想郷のあらゆる場所に向かっているのが見える。

 

 ―――元々、選択の余地などなかったのだ。

 

「―――、分かりました。行きましょう」

 

 大きく深呼吸をし、覚悟を決める。美鈴だけでなく、他の者もそうだ。皆の顔を見たレミリアは一つ頷き、まずは咲夜に指示を出す。

 

「とりあえず、フランと小悪魔を呼んできてちょうだい。妖精メイド達は紅魔館の防衛を任せるとして……」

 

 レミリアは周りを見渡し、結界に群がるゴキブリ達を見やる。どうやらただ数が多いだけで力は無いらしく、結界も微塵の揺らぎも見せない。とはいえ、鬱陶しいのも事実。

 

「……ふん。まずは私達で紅魔館の周りの奴らを片付けるわよ。最大戦力で一気に殲滅する……!」

 

 皆は頷き、静かに力を高める。咲夜は姿を消し、フランと小悪魔の二人を呼びに行った。

 

 しかし、ほんの数分で咲夜は二人を伴って現れる。どうやら二人もレミリアの下に向かって来ていたらしい。

 

「フラン、小悪魔。咲夜から話は聞いた?」

 

「うん、ちゃんと聞いたよ。……これ、全部が『あれ』なの……?」

 

「ひいいぃぃ……!?」

 

 フランは如何にも嫌そうな顔を、小悪魔に至っては涙目で露骨に怯えている。レミリアも二人の気持ちは理解出来るが、そういつまでもまごついてはいられない。

 

「そう、『それ』よ。とにかく、こいつらを全部やっちゃわないと幻想郷が無くなるかもしれない。それは嫌でしょ?」

 

 レミリアの言葉に二人は頷く。

 

「なら、やることは分かるわね?」

 

「うん!」

 

「……は、はい!」

 

 フランは元気よく、小悪魔は怯えながらも力強く頷いてくれた。

 

「んじゃ、さっさと行くわよ。このゴキブリが大量発生するっていう訳の分からない異変を解決しなきゃ」

 

 レミリアは言葉と同時に浮かび上がり、右手に強大な力が込められた魔力球を生み出す。彼女はパチュリーに視線をやると、パチュリーは頷くことでそれに応える。

 

「まず、私が道を作るわ」

 

 レミリアは魔力球を握り締め、大きく振りかぶる。狙うは一点、最もゴキブリが多い場所。

 

 パチュリーが張った結界は、侵入を拒む結界。『中から外に侵出する』分には、何の問題もありはしない―――!

 

「―――神槍『スピア・ザ・グングニル』!!!」

 

 レミリアは魔力球を放つ。それはまるで音を置き去りにするような速さで突き進み、その形状を球体から、まるで槍の様な形へと変化させる。

 

 突如飛来したそれにゴキブリ達は何の反応も出来ず、ただただその身を消滅させていく。

 

 一切の手加減無く放たれた神槍は、黒い月より群がりたる数千数万の虫達を相手に減衰することなく突き破り、その余波で結界を覆う靄にすら巨大な穴を開けた。

 

「今よ!」

 

 レミリアの号令に皆は飛ぶ。穴は徐々に塞がっていくが、彼女達が結界から出るのには障害とならなかった。

 

「……これはこれは」

 

 空を飛び、結界から出て来たことで周りの様子も掴めてきた。幻想郷の至る所で戦闘が始まっている。特に異様なのは人里だ。そこには、何やら巨大な炎の壁の様な物が見える。あれでゴキブリの侵入を防いでいるのだろう。

 

 ゴキブリが辺りを覆っていく。これから先は余計なことを考えている余裕はなさそうだ。

 

「まるで悪夢の様な光景だな……。なら、悪夢には悪夢で対抗しようか」

 

 レミリアのその言葉に、皆は弾幕でゴキブリ達を撃ち消しながら安全圏へと避難する。それを眺めたレミリアは口角を歪に吊り上げ『それ』を宣言する。

 

「魔符『全世界ナイトメア』アアァァ!!!」

 

 レミリアを中心に放たれた幾つもの弾幕が、辺りに蔓延する靄を撃ち抜いていく。弾の一つ一つが数十、数百のゴキブリを消滅させていく様は、悪魔的というよりはいっそ神々しい。

 

 ゴキブリ達の数は間違いなく減っている。だが、それでも全体から見ればまだまだ微々たるものだ。誤差と言ってもいいだろう。

 

 この異変はまだ始まったばかり。開幕の一撃を誰が下したのかは知らないが、分かっていることはある。実にシンプルなことではあるが。

 

 つまり、殺さなければ殺されるのだ。

 

 首謀者が誰かは分からない。首謀者が居るのかも分からない。今出来ることは、目の前の虫達を殲滅することだけ。

 

 月の無い空に浮かぶ黒い月。それは、何を意味するのだろうか。

 

 

 

 

番外編・前編

『新月の日の黒い月』

~了~




と、言うわけで。

実はとんでもない規模の大異変だったこの『ゴキブリ異変』

さて、紫を襲う(乙女的)悲劇とは何なのでしょうか。

皆、分かっても口には出さずに心の中に仕舞っておこう!
紫さんが泣いちゃうからね!

それではまた次回。

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