ふと思いついたFate/zeroのネタ作品   作:ふふん

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綺礼は不感症

 ――祈りを捧げる。

 その姿は、堂に入っていると言ってもいいだろう。少なくとも、他人に見せて恥じるような作法ではない。そう言峰綺礼自身が自画自賛できる程度には、洗練されたものだ。誰一人として、綺礼に文句をつけた者はいない。つまりは、少なくとも、その程度には出来ているという事なのだろう。

 片膝を突き、胸元で合掌し、頭をたれてただ祈る。宣教師が説法を説く台か、巨大なパイプオルガンか、その上にあるステンドグラスか。あるいは、その辺にあるキリストやマリアを模したと信じられている石像。そんなものの向こう側に、やはりいると信じられている唯一神に。

 疑うべきでは無い。それは分かっている。少なくとも、信心深い者がする思考ではない。そして、綺礼は誰よりも信心深くなくてはならない。しかし、と。否定するよりも早く、思考は続けられた。

 聖杯戦争。サーヴァント。英霊。願い。どれもこれも、つまらない。正確に言えば、興味を引かれるようなものは、何一つ無い。願う事もない。何も無い。己に令呪が現れた事に多少驚きはしたが、それだけだ。繋がりの深い遠坂時臣からの要請がなければ、すぐにでも破棄していたであろう程度のもの。つまり、やはり。これも無い。

 綺礼が僅かな疑問を持ち始めたのは、実際にサーヴァントを召喚してからだった。別に、アサシンというサーヴァントに特別な何かがあるわけではない。あえて言うならば、召喚できた事自体に驚きを隠せなかった、という点だが。まあこれは、魔術関連に対する常識的な知識があれば、誰でも同じ道を辿るだろうが。英霊という、霊的に存在を一段昇華させた者をほぼ完全な状態で召喚できるなど、誰が考えるだろうか。はっきり言って、その瞬間を目の前にするまでは、良くて話半分、実情はただの妄言だろう、などと失礼極まりない事を考えていた。少なくとも、密かに病院の手配を考え、召還後にキャンセルしていても、非難されるいわれは無い。

 実際に、英霊という存在を目の前にして。綺礼は口に出さずに、実の父にすらそれを打ち明けず、思う。

 彼らという存在は、何なのかと。

 過去の偉人や有名人。レジェンドやミソロジーの登場人物。言葉にしてみれば、ずいぶんと卑近な存在だ。実際、紙をめくればいつでも会える英雄を、ありがたく拝む者もいまい。御利益を得られるのは、呼んでいる内だけなのだ。まあ、少年少女の心を躍らせるのには、この上なく役立つだろうが。そういう意味では、下手な神よりも御利益があるかもしれない、と考え直す。

 とりあえず、一番驚いたのは。英雄という者が――少なくとも、そうであると信じられている者が――実際に召喚できた、という点だ。

 偉人、有名人、伝説、神話。とにかく、そんなものの人物。なぜ、そんなものが呼び出されるのか。いや、なぜそんなものが存在するのか。英霊とは、いないからこそ意味があるというのに。そんなものが本当に存在してしまっては、全くの無意味だ。実体として存在してしまっては、誰も盲目的に信じることができない。

 例えば、神性というスキルがある。あらかじめ言っておくと、綺礼に限らずキリスト教徒には、ありえない話だが。ヤハヴェこそが唯一神なのに、それと全く関係を持たず『神の血筋』もくそもない。ないのだが、まあ、大目に見たとして。他の宗教で神と信じられる者の血族も、英霊として存在するのだという。

 まず、失笑をした。馬鹿な、と。引きつりそうな口元を必死で押さえて、まるで何でも無いことの様に、当然の有様のように、笑った。続いて、下らないとも。そして、呪った。

 神とは何だ。

 唯一無二にして、全知全能であり創造主。考え得るものから、想像も付かないものまで、全てを内包する超越事象。それが神だ。神の筈だ。神はそうでなくてはならないのだ。

 しかし、存在しないはずの伝説がいる。あり得ないはずの神話は、確たる存在として、現世に降臨していた。

 馬鹿馬鹿しい。考えるような事では無いはずだ。少なくとも、自分は。

 手には、いつの間にか力が入っていた。それを緩めるのに注力して、また祈りに集中するよう努める。だが、それは無駄な努力でしか無く。またもや心には霧がかかった。

 他の宗教とは言え、神と定義されている事には変わらない。それは、同じく超越した存在で無くてはならないのだ。しかし……神は証明された。そこに神はいるのだと、証明されてしまった。それは、言うのであれば。神は実のところ、人でも足下が見える位置にいる、そういう事では無いのだろうか。影も形も見えぬ、超常的な存在でも何でも無く。

 ――やめろ。心の中の誰かが言った。

 信仰とは、無形であり無償のものである。その根幹には、神とは理解しえず道のみを示す、という不文律があるからだ。だからこそ、人はその存在を疑わず、盲信できる。だからこそ、救われる。

(そうだ。神は私に手をさしのべない。それは、森羅万象に対して等しく神であるからだ。何もかもを導く、無形の道しるべ)

 しかし、神が存在してしまっては。純粋に、そこに存在してしまっては。

 それは果たして、神と言えるのだろうか。信仰を、続けられるのだろうか。神の存在証明など、ただ残酷なだけで……ただの、絶望ではないか。全てであり、何者でもないからこそ、無垢に祈る事ができたと言うのに。

 目に見えて、手が届くことの出来る神。そんなものを、誰が喜ぶのだ? 影も形も無く、夢の向こうの偶像。だからこそ、救いを求められ、満たされぬ事に呪うことができ、それで自分を慰められるのではないのか。

 神は道だけを示す。しかし、それすら無かった自分。それでも、己だけは哀れむことができていたのに。神が、思っているよりも遙かに人間に近いなどと知ってしまえば、何を信ずればいいと言うのだ。

(私には情動がなく、共感も持てなかった。人とは感性の構造が違う……神にある筈の無い、明らかな欠陥品)

 それは試練だと、今までは思えていた。神が万物に等しく与える、生きる意味を見つけるための。そうではなかった。本当に、ただの欠陥だった。

 下らない。感傷だ。世界はそうだと、心の中では気付いていた。ただ、それを誤魔化し続けてきただけで。それに気付いたところで、また同じように祈りながら生きれば良い。今度は、神以外の何かに祈って。

 ふと現れる、胸の中のわだかまり。一つだけ残った希望。

(衛宮切嗣)

 心の中でだけ、その名前を反芻する。もしかしたら、己と同じ回答を持っているかもしれない男。

 彼の連絡手段を知れたのは、幸運だと言って良かった。いつの間にかあったそれの出所は分からないが、どうせ他のマスターの妨害工作あたりだろう。聖杯戦争の勝敗に興味が無い以上、それが自分に対しての妨害であったとしても何ら問題はない。すぐに連絡を入れまくったが、生憎とまともな会話にもならなかった。直接アインツベルン城に出向いても、切嗣の取り巻きと思わしき女達とろくに話す間もなく、セイバーがやってくる。ろくな情報は得られなかった。

 それを確認するまでは、どれだけささやかだろうとまだ希望はある。少なくとも、己に救いは無い、と確信するギリギリ手前で。

 ぴたりと、祈りを止めた。ただの習慣に成り下がったそれを、続ける意義が得られなくなって。

 すっと立ち上がり、そのまま反転。まだ薄暗く、冷気の強い外界へと足を踏み入れた。名目だけ脱落したマスターが外を歩くのは、当然命の危険がある。が、だからはいそうですかと諦めて、教会に引っ込んでいられない理由があった。

 前日夜中に、遠坂時臣から、アインツベルン城に向かうという連絡を貰った。出来ればついて行きたかったが、それが許可されないであろう事も分かっている。そして、人が集まった所に衛宮切嗣が現れないであろう事も。

 そして、それからしばらくして。アサシンから、時臣に異常が発生したらしいという連絡が入った。訳も分からぬまま、連絡を取ろうとするが返信がない。非常事態だ、そう判断して令呪を発動。時臣の元に、アサシンを転移させようとしたが、その前に優先命令が下されてしまった。何が起きたかも分からず、アサシンは全滅。存在するであろう残りも、ラインを限りなく薄弱にされ、何体残っているかも把握できない。

 現場と思われる場所に急行するが、そこには左腕一本が転がっており。僅かな魔力の残滓と共に、遠坂時臣という人物は永久に消え去った。

 とりあえず、魔術刻印がある腕を持ち帰り、父に時臣が死んだのであろう事を報告。腕が腐らぬよう処置を施して、そのまま璃正は倒れてしまった。一気に何十年分も老け込み、哀れなほどに力の無い姿。放っておけば、そのまま老衰で死んでしまいそうだ、などと言う事を、無感動に考える。

 現在聖杯戦争の監督者、教会の管理者が脱落したとして、責任を放棄して良い理由にはならない。とは言え、聖杯戦争の参加者となっているので、そちらに監督者として何かができる訳でも無いのだが。教会の人間として、遠坂時臣を殺した犯人だけは見つけなければいけなかった。

 冷たい空気を杯いっぱいに吸い込み、活力を吸収する。

 正直に言ってしまえば、面倒ではあった。時臣に恩義がない訳では無い。だからと言って、この時期に命を危機にさらしてまで調査する程の仲でもでなかった。璃正の嘆願と義務感、この二つがなければ動かなかったに違いない。

 薄情ではあるのだろう。しかし、恩も親愛も、殺された怒りも悲しみも理解できないのだ。感情以外を動く理由にしろと言うのに無理がある。

 体に気力が充実したのを確認して、綺礼は走り出した。多少異常な速度が出ていても、起きている人間もまばらな明け方であれば、そう気をつける必要は無い。さらに、目的地までの道のりも廃れた場所ばかりとなれば、気をつけるのも億劫であった。仮に誰かに見つかったとしても、所詮は早く走っていただけ。ごまかしはいくらでも効く。

 一度ギアを上げてしまえば、体は軽快に駆動する。教会の裏を抜けて、小さな林をくぐり、背の低い雑草の丘に。途中、戦場を分断する川に当たるが、これは素直に橋を渡った。他に通れる場所などないし、まさか水の上を走るわけにも行くまい。

 多少の遠回りをしつつ、また走り出す。

 すぐ脇には森がある。そんなギリギリの位置を走り、現場へと戻っていった。

 街が遠く離れた位置で、ミニチュアのようになり。木々が僅かに生えた、森の中で立ち止まった。奥まった、という程では無い。

 膝をたたんで、その場にかがみ込む。そこは、昨日には血だまりがあった場所である。現在は、掘り返して草葉を掛けられ、凄惨さの残り香は確認できない。回収しておいた血痕から、それが遠坂時臣のものであるというのが判明している。つまりは、まず無い話であるが、腕だけが本人のもの、という可能性は消えていた。

 生存を期待していたのでは無い。面倒なもしもを考慮しなくて良いならば、その点だけは感謝してもいいと思っただけだ。その、時臣を殺した誰かに。

 しばらく、魔術的な痕跡を探して。それが存在しない事の確認を取った後、顔を上げた。

 考えなければならない事は、いくつもある。同時に、調べなければならない事も。

 やや明るくなってきた空を確認しながら、視線を横に飛ばす。木々の隙間から、街の輪郭が見えている。つまり、森の対して深い場所でもないのだ。

「なぜ、この場所なのだ?」

 リスクを回避するならば、この場所は中途半端すぎた。こんなに浅い場所で犯行に及べば、もしかしたら一般人に見られる可能性がある。結界を張っていても、遠目で、かつ勘の良いものであれば見つけてもおかしくは無いのだ。魔術師の扱う結界など、所詮は人の技、万能とはほど遠い。

 他のマスター達――正確に言えば、アインツベルンに見つかりたくないのであれば、森の外でなくてはならなかった。アインツベルンが居城のある森からは遠いが、しかし接触している場所でもある。本格的な結界はなくとも、進入を察知できる仕掛けくらいはあっても、おかしくない。

 つまり、この場所では双方からのリスクが存在するのだ。もっと奥にいくか、森から出てしまうか。賢い選択はそのどちらになる。わざわざリスクを増やす理由とは、何なのだろうか。

 まだ問題はある。

「どうやって時臣師を殺した? 容易い相手ではない筈だ……」

 間違いなく、一流と言っていい腕前が、その男にはあったのだ。少なくとも、綺礼が魔術で張り合ったところで、勝ち目は万に一つも無い。戦闘という一点に絞っても、良くて勝率五割だろう。そして、戦えばあたりは焦土と化す。

 周囲を見回した。確認するまでも無い、無駄な行為。全て確認し終えたところで、そこにおかしな光景などはない。森らしい静けさが、相も変わらずそこにある。

(相手は、時臣師を一瞬で無力化した。もしくは、探索の隙間を縫って不意打ちをしかけた……か)

 これから戦場になりかねない場所に行く人間が、まさか警戒しなかったという事もあるまい。当然、索敵型の魔術の一つも展開していた筈だ。一流の魔術師が扱う魔術は、何気なく使ったものでも侮れない。即興とはいえ、真剣に使ったのであれば、それを何とかするのはまず不可能だ。

 控えめに言っても、人間業では無い。馬鹿馬鹿しいと、笑い飛ばした。

「そんなことが出来るならば、サーヴァントとも戦えるな……」

 例えば、神の血を引くような。例えば、神と触れあったような。そんな超越者どもとも、対等に戦える。

 そう思えば、大した事はないのかもしれない。高々、ちょっと人間離れしただけの魔術師が、互角に戦える程度なのだ。凄いことは凄くても、大した高みにはいない。所詮その程度だ、と思わせてくれた。それが、誰に対してかは分からなかったが。

 立ち上がり、指に付いた葉を軽く払う。これ以上地面とにらみ合っていても、得られるものは何もない。

(その、恐るべき魔術師がいたとして。時臣師を殺した動機はどこにある。サーヴァントと戦いたかった、と言うならば話は早いのだが)

 それはないだろう。

 時臣を殺すなどと言う迂遠なことをせずに、普通に戦いに行けば良い。そうすれば、情け容赦なく殺してもらえるだろう。こんな事をする理由にはならない。逆に、脱落後の襲撃を恐れたマスターに袋叩きに会うだけだ。

 それに、その後にアサシンが取った不可解な行動も、説明がつかない。時臣の持つ優先順位の高い令呪で何かをした。そこまでは予測がつくものの、それ以上に何があるかまでは予想できない。

 が、まあこれは良いだろう。妄想と変わらぬ、馬鹿馬鹿しい仮定なのだから。

 とは言え、本命と思える可能性も、それはそれで下らないものだ。

(襲撃したのは、時臣師の知る相手。総称と故知……あとは何か一要素あたりか。これで油断と集中力の欠如を誘い、仕留めた)

 これならば、場所がここであった理由も一応説明はつく。一つは、ろくな魔術行使なくして、双方からのリスクが控えめだという点。もう一つは、余裕が無く場所を選べなかったという点。

 油断を誘いたいならば、大層な魔術展開などしてはならない。そして、聖杯戦争中に時臣を殺さざるを得ない人物に、余裕などあるはずが無いだろう。危険すぎる橋を渡って、メリットを得る方向に動いたのだから。確かに、時臣の現状と、サーヴァント達のある程度の情報を持っていれば、この上ない機会だとは思うだろう。そして、最大の問題だけが残る。

 その相手は、誰なのだ。

 魔術師は閉鎖的な生き物だ。同時に、独善的な生き物でもある。友好的と呼べるほどの魔術師など、どれほどもいない。そして、数少ない知人の一人が、綺礼でもある。

 つまり、ある程度警戒されず接近できる人物事態が限られているのだ。そこから、時臣の不意を突けそうな実力のある人物を参照し。さらに、実際に実行しそうな者まで絞ると、該当者はいなくなる。

(面倒な話だ)

 ため息をつきつつ、頭を指で支えた。そうしなければ、やる気無く傾きそうになる。これから考慮する可能性を考えれば、特に。

 可能性を一段下げた。つまりは、実行する可能性がありそうな者、という部分を削除する。これで、実行する能力がある者に絞られた。その中には、当然言峰綺礼もいる。まあ、そうである可能性は、言峰が急性の夢遊病にかかり、さらにそんな状態でも十全な思考能力と戦闘能力を発揮できる、という前提あっての話だが。

 そうすると、第一容疑者に上がるのが、間桐臓硯であった。

 あの老人である可能性が本当にあるのか、という疑問は当然ある。綺礼が知る臓硯という化け物は、慎重に慎重を重ねるのだ。それが理由で、機を逸しかねない程に。

 ふと、思い出す。間桐邸の事後処理をしていた時に知った事実。間桐桜は拉致、間桐雁夜は逃走していたのではなかったか。だが、所詮は出来損ないと養子でしかなく、致命的な痛手とは思えない。少なくとも、追い詰められる理由にはならないし、同時に時臣を手に掛ける理由にもならない。

 だが、他に当てがある訳でもなし。とりあえず、事情徴収くらいはしてみなければならないだろう。当然、最大限の警戒をしながら。

 綺礼の持つ代行者の業は、間桐臓硯に致命的だ。こちらが武装していると分かれば、下手な真似はすまい。

 そして、また新たな疑問。

「そう言えば、臓硯は今どこにいる?」

 間桐邸崩壊後に、連絡を取った覚えがない。聖杯戦争参加者でもない者に、そこまで手間をかけていられなかったからだが。今になって、それが裏目に出るとは。

 その場でしばらく、臓硯に接触できる方法を――通常の接触から脅迫を交えた誘き出しまで――考えて、ふと気がつく。

「陳腐で、下らない言葉だ。普通に考えれば、現実を知らない者の戯言、その程度だろう。言わば推理小説のようなものだ。犯人がトリックを駆使する訳が無い。複雑さを増せば、それだけヒントが増えるのだ。現実味の無い現実味。つまりは、意味が無く馬鹿馬鹿しいという現実」

 腕をゆっくりと下ろした。脱力はしない。僅かに関節を曲げて、伸ばすにしても畳むにしても、最適で最速の行動ができるように。同様に、膝も曲げた。僅かに猫背になったのは、咄嗟の防御力を高めるためだ。当然、人体として攻撃を受けて良い部位では無いが、それでも腹などに直撃を受けるよりは、遙かに信頼できる。

 すっと、視線を周囲に飛ばした。先ほどと寸分違わぬ風景。しかし、漂う空気が僅かに入れ替わっていた。

「犯人は犯行現場に戻ってくるなどと言う格言だか洒落だかがあった気がするが、まさそれを本当に実行する愚か者がいたとはな」

「ならば答えは簡単じゃろうて。意味なく戻ってきたのではなく、明確に意図があっただけの事よ。例えば、この事件を調査しようとする者に、接触をしようとした、とかのう」

 キキキキ――という耳障りな音と共に響く。スピーカー越しの電子音とはまた違う、ささくれて割れた声。聞き慣れたものではない、しかし聞いたことが無い訳でもない。臓硯という魔術に寄生した怪物のそれ。

 神経を集中する。木の葉が擦れ合う様すらも見落とさぬように。が、相手の位置はつかめなかった。恐らく、この場にいるのは使い魔か何かだけなのだろう。当然ではある。

 しかし、この場にいないからと言って油断してはいけないのも、魔術師という存在だ。両手に、不格好な剣の柄を握った。集中するまでも無く、あくまで挙動の延長として、それらに魔力が流された。ずらりと、一瞬にして伸びるそれは、一般的な長剣ほどの長さにもなる。黒鍵と呼ばれる、代行者が持つ代表的な奇跡だった。とは言え、間違えても扱いやすいとは言い難く、それを本格的に扱う者は少なかったが。

 この障害物が多い場所で、黒鍵がどれだけ役に立つかは分からなかったが。何かに直接触れるよりはマシであろう。

「さて、間桐臓硯よ。単刀直入に聞こう。遠坂時臣を殺したのは貴様か?」

「ワ、ワシではないんじゃ、信じてくれぇ! ……とでも言えば、信じてくれるのかのう?」

 キキキと、またもやあざ笑うように、音。不快でない訳が無い。だが、これが本当に間桐臓硯だとすれば、それを気にしている余裕などなかった。

 迂遠なそれを肯定だと受け止め、さらに警戒度を高める。精度を上げた探索術に、一匹の虫がひっかかった。やはり、使い魔か何かで見ているだけのようだ。

「このような愚かな真似をしたのはなぜだ? 正当性無くば、貴様を討伐の対象とする」

「ほほう……それはまるで、正当性があれば討伐をしない、と言っておるように聞こえるぞ」

 なぶるような声に、しかし綺礼は淡々と応えた。

「そう言っている。あればの話だがな」

 その返答に――なぜだろう、面白くて仕方が無いと言わんばかりの笑い声が木霊した。相変わらずの調子であり、つまりは不快であるはずのもの。しかし、そこからは何故か、一切の情動を得られなかった。

「面白い。とても面白いぞ、言峰綺礼とやら」

「これから自分が貫かれる剣の輝きが、それほど面白いか?」

 あまり言って意味のある返しではなかったが、一応してはおいた。会話の時間が長引けば、使い魔から本体を逆探知できるかもしれない。元の実力が違うので、可能性は限りなく低かったが。

 ちらり、と鋼のように宿った奇跡に目を落とした。剣の力強さは、反射する光沢に至るまで、今までと何一つ変わらない。教会の主張を信じるならば、この刀身を作れるのは神を信仰しているからだ。信仰心が揺らいでいる今でも当たり前のように存在するそれ。当たり前だった。こんなものは、魔術的反応でしかない。神がこれに及ばせられる力など、最初からないのだ。非常に下らない。こうして、構えながら臓硯を問い詰めることくらい下らない。

 一瞬、自分が何を信じ何をしているのかさえも疑い――しかしすぐに立て直す。これは、そういう問題ではない。単純に義務の話だ。

「お主、ワシに正当性あらば、討伐せず身をひくと、そう言ったのだな? 師の敵を討とうともせずに」

「……何が言いたい? それが道理、というだけだ」

「クッ、呵々々々々! 本当に分かっておらぬようだのう! 人とは、そういう生き物ではないのじゃよ。理性を持ちながら感情を優先させる、ある意味もっとも神に近く、同時に動物的な生き物よ。恩人が、家族が、兄弟が死して『道理』などというもので引っ込める者など、この世に、人間には居らぬわ!」

 みしり、と。どこかが音を立てた気がした。どこかは分からなくとも、そこが自分にとって、重要で致命的であるのだけは理解できる。

 聞く必要などない。情報が得られない以上、とっとと虫を潰して、間桐臓硯の探索に切り替えれば良い。犯人が分かった以上、これから間桐邸まで赴いて、痕跡を調べなければいけないのだ。聖杯戦争が未だ正常に行われている以上、探索に使用できる時間は少ない。余計な事をしている余裕など、無いはずだ。

 しかし、どうしても。その言葉を遮る気にはなれなかった。

「貴様は何を知っている?」

「何を? 大したことは知っておらぬよ。せいぜい、遠坂の小倅から抜き出しに成功した情報くらいじゃて。その程度でも、貴様が壊れておる、というのは手に取るように分かるわ。まるで機械のように、行動に感情が絡んでおらん。そもそも、そんなものが『存在しない』様にすら見えるではないか。呵々」

 ――見抜かれた。初めて。

 今まで、師も同僚も上司も父も、そして死した妻でさえ自分から告白しなければ気付かなかった真実。それを、この老人は時臣から奪った僅かな知識から、見抜いたと言うのだ。

 本当にそうなのか? 誰も気がつかなかったそれを、見つけたと言うのか? 容易く信じられる話では無い。だが、黒鍵を構えていようと、もう綺礼は手を出す気になれなかった。

「奴は人間としての機微に疎かったからのう。良くも悪くも魔術師的ではあったが、それが過ぎて鈍くなっておったようだ。こんな簡単な……自分の弟子が本当の意味で敬意を向けていない事にすら、気がつかなかったのじゃ。滑稽な事よ」

 虫のすり切れるような笑いが止まらない。しかし、先ほどまで脳に張り付いていたそれが、嘘のように通り抜ける。集中する対象は、ただ臓硯の言葉のみ。

「――下らん。言いたいことはそれだけか?」

 違う。口に出したかったのは、そんなことではない。

 しかし、臓硯はそれを見透かしたかのように――いや、実際に見透かしていたのだろう。悠々と、笑いながら続けた。

「なんだ、ワシを急かす理由でもあるのかのう? お主の行動には常に戸惑いがある。疑念ではない、戸惑いじゃ。まるで、本来あって当然のものを手探るように」

 否定するのは簡単だった。心を偽るのは慣れている。いつもそうしてきたのだから。しかし、ここでそれをしてどれだけの意味があるだろうか。自分を知る機会を潰してまで、それをする理由。

 実際、綺礼はその言葉に魅入られていた。それは、まるっきり臓硯の思惑通りだったであろう。それでも、やめられない。人生を通して探索し続けた『答え』の前には、全てが霞んでいた。義務も、使命も何もかもが消えてしまうほどに。不確かな神など、風解してしまうように。

「それも当然よの。器というのは、覗こうとして覗けるものではない。ましてや、お主のような者であれば……」

「もったいぶるな」

「もう取り繕いもせぬか。呵々」

 にんまり、臓硯が笑う。顔を見せなくとも、それが手に取るように分かるほど、その男は歓喜していた。

 もどかしさに、指に力が籠もる。こんな無様な緊張の仕方をしていては、戦闘行為などまるで不可能。しかし、それすらどうでもよくなっていた。

「そもそも、お主は己の器を勘違いしておるのよ。理解を求める? 人並みの感情? 己の、人間らしさ? どれも勘違いが過ぎて、腹がよじれるわ!」

 嘲笑う。恐らく、自分を侮辱する類いのそれで。どうでもいい。笑いたくば、好きに笑えば良い。どうせ、そんなものを感じる器官など存在してはいないのだから。

 答えを。心が全力で、ただ求めを謡う。中身など問いはしない、欲しいのはただの回答。もっとも原始的に、究極的に。自分が『誰』なのかを知りたいのだ。

「――何も無いわ、貴様には」

「……なに?」

「聞こえなかったのかのう? 貴様の器は、ただの無だと言っておるのだ」

 ひたすら、楽しそうに。

 臓硯は、笑いながら。

 言峰綺礼には何も無いと。

 そう、言った。

「なんじゃ、何を意外そうにしておる? 人の感情とは、経験と反応の反復よ。そうして、少しずつ蓄積されていくのが『人間』というものじゃ。器の底が抜けたか、それとも蓄積が出来ぬのか……お主は天然の欠陥品」

 黒鍵が、地面に転がり落ちた。指が震えている。森は音すら消えた。木々の隙間から差し込む光が、常闇の誘いに思える。

 虚無、つまりは虚像。ホログラム。在って無き。空。器だけの食器。断たれた階。そして――自分自身。

 曖昧であり、漠然として、混濁し、亡羊である。あるものがない。在るが故に、形だけのもの。そうだ、それはまるで……例えるならば、神の様だった。人が届くようになった、もはや手垢と欲にまみれたそれではない。遙かな昔、夢の中にあった、ただの神という器のみのそれ。ヤハヴェですらなくキリストでもない、ただの、概念の受け皿。

 それはまるで――

「お主は、ただの人形なのじゃよ。己の意思と思っていたそれすら、誰か、何かの模倣に過ぎぬ。偽りの自分しか持たぬお主は、所詮誰かの受け皿にしかなれぬのだ」

 答えを求めていた。いつからは始まったそれは、いつの間にかそれだけを追い求めるまでに成長した。多分、前も後ろも分からず、霧をかき分けるように進んでいたのだろう。

 しかし、それもこれまでだ。ここに、終着点はあった。知ることができた、己の業。ただの無であり、乾いた皿でしかない反応機器。

 臓硯はまだ何か語っている。しかし、もう言峰には、どうでも良かった。

 その答えが、自分が求めていたものかどうかは分からない。いや、多分求めていたものなのだろう。なぜならば、反応とはそういうものだ。正否でも善悪でも是非でもなく、ありのままのそれを受け止める。清々しい、とはこういう気分なのかも知れない。もう思い悩む必要は無い。あとは、やることは決まっている。

 満たせばいい。己の器を。幸いにして、器に満たして有り余るそれを、自分は持っていたのだ。

「さて、言峰綺礼よ。ワシに協力して貰おうかのう」

 自信に満ち溢れ、己の失敗など一遍も疑わぬ言葉。

 綺礼の反応は、冷淡とすら言っても良かった。ただひたすら無感動に、まだ居たことだけを確認する。もはや彼にとって、それはなんら価値のないものではあった。しかし、

「いいだろう」

 そう答える。

 恐らく、これは必要になる。この老人は、求める最後のパーツを手に入れるのに、重要なのだ。他ならぬものが、そう言った。

 うごめき、歩き出す虫の後ろを追って、歩き出す。

 胸が高鳴った。初めての経験だ。やっと、己を知ることが出来た。あとは追い求めさえすればいい。それを手に入れた時こそ、きっと本当の意味で感動ができるのだろう。

 確信を、胸にしまい込んで。自分の器を満たした『中身』を、ただ一人、称えていた。

 

 

 

 最初からわかりきっていた事ではあるが。まあ、俺に探索なんて出来るわけがないのだ。

 一応言峰教会に顔を出しても見たが(遠くから見ただけで、中には入っていない)、存在を確認できたのは父親の方だけで、当然の如く綺礼はいなかった。綺礼父の憔悴した様子を見ると、始末されたという線まで想定する必要があるかも知れない。時臣の方も一応探してみたが、こちらも家には居なかった。まあ、彼に取っては綺礼が生命線なのだから、そちらの探索をしていてもおかしくはないが。

 まず綺礼自身がこれを命じたと言う可能性、これはほぼない。彼らにとって、デメリットしかないのだから。本来なら存在したアーチャーという切り札。しかし、現在にそれはなく、多少弱いエースでもアサシンを使わなければならない。そんな状態で、アサシン使い潰そうと考える者はまず居ないだろう。

 ならば、綺礼が倒されたという可能性。これの最有力候補は切嗣だが、ぶっちゃけ綺礼と接触したがるとは思えない。彼の視点に立ってみれば、完全に電波なストーカーなのだから。こんなのにつきまとわれたら、俺だって逃げるか殺すし、絶対に近寄らない。

 雁夜とバーサーカーを使って始末した、とも考えられる。これならば、上手く遭遇できるかどうかは別にして、ほぼ確実に綺礼を始末できる訳だし。だが、これもアサシンを潰す理由にはならない。高確率で雁夜に命じた切嗣が、それを欲するであろうし。セイバーでサーヴァントの足を止め、アサシンと自分二枚で暗殺に向かうのであれば、桜以外のマスターを殺せるだろう。確実に、自陣営に引き込もうとするはずだ。

 綺礼と時臣、二人同時に始末された可能性もあるにはあるのか、と思い返す。アインツベルン城に行くこと自体は隠していなかった。俺に接触しようと考えていたならば、それもあり得るだろう。

 まあ、どれも信憑性の低い予想でしかない。

 こうして街をほっつき歩いているのも、何かヒントを得るためだ。これも、やらないよりはマシという程度であるが。

「アーチャー、何か見つけたか?」

「お前と同じものしか見てない」

 だから、まあ。ランサーが俺の後に付いてくるのはいい。いや、本当は良くないのだが。

 ケイネスが工房をがちがちに堅め、聖杯の欠片の解析に入った。その際、足りない道具を補うために、いくつか宝具を貸し出してやった。あの目の輝きは、本気で恐ろしかった。最悪宝具が返ってこない事まで想定させた程に。とにかく、アンリマユの摘出術式の作成という、ある意味本題に入ったのだが。必要なのは魔術師としての技能であるために、ランサーは役に立たない。戦力を遊ばせるくらいならば、外で探索をさせようと思ったのだろう。多分に、ソラウの近くに居させたくないという思惑があったのだろうが。

 ちなみに、ランサーは町内のどこに居ても、全力で走れば数分以内に帰れる。消耗を考えなければ、短時間ヴィマーナよりも早いと言うのだから恐ろしい。最速の名は伊達では無い。現在、ケイネスの工房は索敵方面を強化しており、前回のような不意打ちは許さない。これも、側を離れた探索を実行した理由の一つだ。

「そう言うな。こう騒がしくては、見逃しが出てしまうかもしれないのだ。っと、申し訳ないが、俺にはやることがある。君にはつきあえない」

「半分お前のせいだって分かってるか? 貰ってやるからとっととよこせ」

 主要道から一本離れた、歩行者通り。大きなデパートなのではなく、個人経営の小洒落た店が並んでいる。そして、今は昼前という時間。早い話が、人が多いのだ。

 右からはあるゆる年齢層の女が山と群がり、左はカルト宗教のように頭を垂れる者の群れ。冗談というよりも、むしろ悪夢のような光景だった。その中心に自分がいると思うと、何と言うか、もう死にたい。警察に通報されないのが奇跡である。

「お前達が揃うと凄いのう……」

「カオスだ……」

「こうなる原因が言う台詞じゃないなおい」

 と、背後から声をかけてきたのは。サーヴァントの中でも、絶対に人混みに出してはいけない二人を引っ張り出した原因だった。

 ランサーが付いてくるのはいい。同盟中だし、いざと言うときの盾にもできる。しかし、ライダーが付いてくるのはきっぱりと邪魔だ。現に、今害になっている。

 最初は、町外れを集中的に探していたのだ。こちらでも、範囲が広すぎて、散歩の延長程度でしかなかったのだが。そこを、運悪くこの主従に見つかってしまった。昼に大暴れをするわけにもいかないし、同行する気など当然無かったのだ。離れて終わり、というのがベストだったのだが、何を思ったか一緒に来ると言い始めたのだ。

 正直すごく嫌だった。だが、ランサーに行動を把握しておいた方がいいと言われては、反対する理由が思い浮かばない。放っておいて策を弄するタイプではないが、代わりに何をするか分からない怖さがある。確かに、見張っておいた方が安心感を得られた。

 そして、口車に乗せられ、いつの間にか街の中に入ることになり。最終的にこの有様である。

「ただそこに居るだけで、人を従わせるか。うむ、中々よのう」

「何が中々だ。そうさせた大元が」

 思い切り、犬歯をむき出しにして睨んでやる。が、当のライダーは何が悪いのか分からない、という様子だった。

「人が寄ってきているだけではないか。何か問題があるのか?」

「俺たちが何をしに街に出たかって聞いてたか? それに、こういうのは嫌いなんだよ……」

 言っても、理解はされまい。諦めながら献上品をひったくった。俺の望みがないと、献上される品は多岐に渡る。それでも、渡されるのはほぼ必ず書面だったので、バッグ一つあれば十分なのが救いであった。

「驚いたな。お前にも苦手なものがあったのか」

 本気で意外そうなその視線に何を言っているのだと思ったが、ふと思い出す。そう言えば、彼らは紛う事なき英雄であった。視線を集めるというのは、ごく当然の日常なのだ。実際、女性を追い返す手並みはとても慣れたものであった。ウェイバーは肩身が狭そうなのに対し、ライダーは悠然としている。俺はそこまで酷くないが、居心地がいい空間ではなかった。

「面倒だろ」

「ああ、貴様はそんな感じだのう。割と飽きっぽいと言うか、長続きせんと言うか」

 適当に吐いた台詞に、やはり適当に納得するライダー。視線は常に、入れ替わり周囲を飛んでいる。会話はおまけで、あくまで現代を楽しむのが主題なのだ。当然、アサシンの真相も、彼にとってはどうでも良い事でしかない。

 ふっとため息をつきながら、周りを確認する。自発的に寄ってくる者を無視したとしても、人が多い。ここでは、目的を何一つ果たせそうは無かった。

 背後には当然ライダーが居て、その隣にはまた当然ウェイバーがいる。

 スキル性能というのは、案外広義に解釈される。例えば、真っ先にセイバーが潜伏するアサシンに気がつき、他のサーヴァントが気がつかなかった理由。潜伏した時点で戦闘フィールド扱いされ、直感が働いたためだだろう。俺の場合は、単純に宝具の力だ。

 ライダーのスキルに、軍略というものがBランクで存在する。これは、戦場に複数、もしくは対象人数が複数の宝具に体して、有利な判定を得られるというものだ。原作でセイバーの対城宝具を受けても、戦車が吹き飛んだだけで済んだのに、このスキルの影響が無かったわけではないだろう。まあ、それを上回る直感Aがあるのに直撃しなかった、という不可解な点はあるのだが。

 状況を限定された直感スキル、と言い換えることも出来る。そして、その発動条件は戦場である事と、多人数もしくは対象人数が二人以上であればだ。

 四人居る現状で、俺が隙を見てウェイバーを殺そうと思っていたら、そうできない状況へと持って行く能力があるのだ。おそらくは、無自覚であっても。

 ここでライダーが脱落してくれていれば、聖杯戦争は勝ったも同然だと言うのに。つくづく、スキル補正とは厄介だ。宝具のように目立ちはしないが、要所要所でいい仕事をしてくれる。良くも悪くも。

 まあ、好意的に考えるならば。ケイネスが聖杯の欠片を所持している現状で、あまり大きな変化があるのは宜しくない。下手をすれば、解析などに影響がでるのだから。急ぐ訳でも無く、一対一であればほぼ確実に負けない。諦めは肝心だ。

「これじゃ何も分からんだろうな。どこかに入るか」

「そうしよう。外歩くだけでこんなに疲れたのは初めてだ……」

 思い切り疲弊した声が、援護に回る。このような状況に、一番慣れていないだろうから当然だ。

「おう、そりゃいいのう。そう言えばもうすぐ飯時ではないか。こいつは一つ、うなるような旨いものが食いたいわ」

「ライダー……我らに食事は必要ないのだぞ?」

「食わんでも大丈夫というだけで、食って悪い物ではあるまい。せっかくこの世に具現して、食事の一つも楽しまんでなんとするのだ。それで、アーチャーよ。お主どこか旨い所を知らんか?」

「何で俺に聞くんだ」

「そりゃ、貴様が現代を一番知っているからに決まっているであろう。何かないのか?」

「大層なもの食いたいなら、どこも予約か必要か時間がかかる。そこら辺に入るなら、どこも変わらんだろ。ゆっくりできる所ならどこでもいいんじゃないか?」

 幸い、まだ店が混み始めるよりも前の時間だ。一般的な店ならば、どこでもさほど待たされはしまい。

「そりゃ残念だ。ふむ、せっかくだからこの国の料理を食ってみたいな。よし、あそこにしよう」

 良いながら、俺たちを追い越してずんずん歩いて行く。ウェイバーもそれに慌ててついていった。戦闘になっていなくとも、敵対サーヴァントが二人もいる状況、さすがに離れては不味いと分かっていた。

 俺の方はともかく、ランサーの取り巻きは邪魔をされて怒りそうなものであったが。文句がありそうではあっても、それを口に出来たものはいない。誰もがライダーを直視すると、その瞬間に息を飲んでいた。さすがは化け物じみたカリスマAの持ち主だ。

 本来は、俺もカリスマA+を持っていた筈である。これが黄金律と組み合わさったらと思うと……恐ろしくて考えたくもない。

 ライダーが選んだ店は、奇縁と言えばいいのか、お好み焼き屋だった。それが、原作のものと同じかまでは分からなかったが。彼らしい選択と言えば、そうであろう。

 店の中に入っただけで、えらく驚かれる。まあ、カリスマと黒子のスキルを抜いても、美形二人に巨漢一人を含んだ、外人の四人組だ。そりゃこんなのがいきなり入店してくれば、ぎょっともする。

 フリーズしている店員に、四人である事と座敷にする事を無理矢理伝える。どもりながらも再起動し、奥に案内される。一番奥の、締め切りができる他者から見られづらい場所。意外にも気が利く事に、僅かに驚いた。

「手慣れているな」

「好き放題やってるからな」

 呆れたような声を、気にもとめず返す。

 非難するつもりこそないのであろうが。ランサーにとっては、娯楽に時間を使うくらいならば鍛錬を、という意識が先立つのだろう。こういう所融通の利かない所が、ケイネスとかみ合わないのだろうな。指摘したとして……まあ直るまい。彼の自分に厳しい所は、性のようなものだ。

 靴を脱ぎ捨てて、座敷の奥に陣取る。当然ながら、俺の隣はランサーだった。対面にライダーペアが座る。 

 改めて、席の位置を確認する。俺の背後も、反対側も壁だ。仕切りではなく、しっかりと一部屋が独立している。人から見られるような場所は、故意に隠れたりしなければ通路側だけだ。その通路も、先にあるのは非常口であり、つまり人通りは少ない。通路の奥は壁、と言うか厨房だろう。行きがけにカウンター席が見えていた。あとは、興味本位で覗いてくるバイトを視線で追い払ってやれば、大層な話はできなくとも、ちょっとした情報交換くらいならば可能になる。

「おお、これは旨そうだ! むむ、しかしこちらも捨てがたい……。なんとも珍妙な料理だ。こいつは悩ませてくれるのう」

「お、おいライダー。ボクたちにはそんなに持ち合わせがないんだぞ」

「坊主は何を言っとるんだ? ここはアーチャーの払いであろう」

「は!?」

 素っ頓狂な声を上げたウェイバーが、俺を見てくる。

「そうだな」

 いい加減な回答をしながら、隣でメニューを占拠している男を見る。やたら真剣な目で、一品一品を吟味してた。面倒くさい。こいつ実は、料理を食べに行くと、なかなか決められないタイプだった。

 とっとと決めてしまうのは早々に諦め、ラミネート加工されたサイドメニュー表を取り出す。当たり前だが、そう珍しい飲み物があるわけでもなく。無難に烏龍茶と心に刻んで、早々に手放した。

「でも、いいのかよ?」

「別に」

 ランサーが現代の金を持っているわけが無く、俺の支払いになるのは当然。今来ている服も、出所はこちらだった。そして、一般人の家に潜り込んで生活しているような連中に、金銭面で期待などするわけが無い。常識的に考えれば、マスター連中が大量の金を所持してはいないのだし。聖杯戦争に大金持ち込むくらいならば、事前準備に消費しきるだろう。少なくとも、無意味に外食をするために持つ金は無い。余裕があるのは俺だけだ。

 ついでに言えば、これは俺が誘ったことでもある。周囲に金がない事を承知している上に、言い出しっぺで惜しむような真似はしない。

「けど……」

「じゃあ払えるのか? そっちのでかぶつは遠慮無く注文するつもりみたいだが」

「うっ」

 とたんに息を詰まらせる。先ほど金欠を示唆していたばかりなのだから、こうなるのは当然だ。

 しかし、と。視線を横に飛ばす。あれこれと、山のように注文しようとしているライダーと違い、ランサーは一品目すら決められていない。あれが、いやこれの方が……とぶつぶつ呟きながら、当然メニューを手放す様子は無い。

 奴を待っていては、いつまで経っても食事が始まらない。ただでさえ、これからランチタイムで、人がたくさん入ってくると言うのに。

 待とうか、待つまいか。しばらく考えようとして、しかしすぐに決断し、呼び出しベルを押し込む。待ってたら進まないのに、これ以上時間を浪費してどうする。

「おいおいアーチャーよ、ちょいとせっかちすぎやせんか?」

「その通りだ。まだメニューを決めていないのだぞ?」

「……先に飲み物だけ決めろ」

 飲み物と少量のおつまみがのったパウチメニューを、ウェイバーに投げた。慌てて受け取り、すぐに飲み物を選ぶべく視線を向ける。

 この時、ランサーの顔面に拳を打ち込まなかったことは、きっと誰かが称賛してくれる筈だ。

 入店時は不満げだったくせに、もう馴染んでやがる。あれなのだろうか、料理はサーヴァントをおかしくさせる力でもあるのだろうが。……まあ、気持ちは分からなくもないが。日本人の食に対するこだわりは異常。海外に行って帰ってくると、コンビニ弁当すら旨く感じる事があるくらいだ。

 やってきた中年くらいの店員――恐らく店長か、フロアリーダーかあたり――がやってくるなり頭を下げてきた。さっきの、店員の視線についてだった。ぶしつけではあったが、多分にこちらの事情もあったので気にしない。

「余はレモンスカッシュなるものを頼むぞ」

「アイスコーヒーを頼む」

「ボクはコーラで」

「烏龍茶と」

 ランサーが持ったままのメニューを、指の裏側で軽く叩きながら、

「全部」

「……は?」

 と、にこやかだった店長(仮)が素の表情に戻って、聞き返す。指でたたき直しながら繰り返した。

「だから、飲み物以外の全部。できたものから順番に持ってきて」

「あ、あの、はい。少々お待ち下さい」

 手元のハンディをがちゃがちゃと急いで操作している。最初戸惑ったが、やはりプロなのだろう、すぐに立て直した。そういう意味では、サーヴァントとマスターは負けている。彼らはまだ、驚いたままだった。

「トッピングはどうなさいますか?」

「別にして持ってきて」

「承知いたしました」

 一度対応してしまえば、あとは流れるように注文取りを終わらせる。帰り際に鉄板の火を入れて、店長は戻っていった。

「むむむ、なんとも豪快な注文をするものよ。こいつは余も負けてられんぞ」

「何がむむむだ。お前に勝負を仕掛けたわけじゃない」

「オマエ、張り合うところが間違ってるだろ……」

 嬉しそうに口を三日月にしながらも、どこに対抗意識を覚えたのか、やたら挑戦的な視線が飛んでくる。本当に、豪快な事が好きな奴だ。

「しかし、なるほど……全部か。そういう頼み方もあるのだな」

「おい、やめろよ。ボクの払いでそんな事絶対にするなよ。いいか、絶対だからな!」

「それは、前振りというやつか?」

「違うよ! どこでそんなこと覚えてくるんだオマエは……」

 ライダーの様子に頭を抱えながら、余計な事を覚えさせやがって、という視線を飛ばしてくるウェイバー。しかし、今度どのような注文の仕方をしようとも、俺の知ったことではない。軽く受け流す。

「相変わらず、豪快と言うか無精者と言うか。それがお前なのだろうが」

 諦めたような物言いをしながら、メニューを渡される。受け取って、恐ろしく納得のいかない感情をもてあましながら、建てかけに戻した。

 そもそも俺がメニューを全品頼んだ原因は、決めるのを悩みまくっていた誰かのせいである。金遣いが荒い、と言うのであればそれは認める。自分でもびっくりするくらい、金銭感覚が狂っているのだから。だが、この件に限って言えば、殆ど目的を忘れていた奴にだけは言われたくない。

 ……すごく今更だったが。ランサーは、戦闘以外では割とだめな奴なのではないだろうか。

「お待たせいたしました、お客様」

 待つこと、さほどの時間でもなく。お盆いっぱいにものを乗せた先ほどの店長がやってきた。商品を置いては、また取りに行き。テーブルの上に次々とのせられるお好み焼き玉とトッピングの山は、中々に壮観だった。テーブルが六人席でなければ、置く場所にも困ったに違いない。これですら、まだ全てではないのだ。

 テーブルにきっちり並べ終えると、最後に焼き方の説明が載った紙を置く。

「お客様、ご注文のお品物が多いので、宜しければこちらで焼いたものをお持ちいたしますが、どうなさいますか?」

「ん? こいつは自分で焼くのが醍醐味なのであろう? いらんいらん」

 頼もうとしたのだが、ライダーが先に断ってしまった。呼び直して頼んでも良かったが、別にそこまでするほどの事でもない。時間は確かにかかるが、それでどれほど変わるわけでもなし、諦める事にする。

 ランサーとライダーは、紙を熟読しながら早くも焼き始めていた。顔つきは真剣そのもので、何故か聖杯戦争をやっているのが悲しくなる。鉄板の上で焼けるお好み焼きを放置しながら、適当なつまみをつまむ。俺が確保したのは、冷や奴だった。まあ、どれも似たようなものだが。火を通さなくてもいいものから優先して持ってこられるため、基本全部冷や物である。

 大して大きくもない、粉物が焼ける音を聞きながら。ちまちまと、豆腐を崩していく。

「……たく、こんなに注文して食い切れるのかよ」

「そりゃ大丈夫だ」

 正面で、納得いかなさ気にしていたウェイバー。愚痴のようなつぶやきに、まさか反応されるとは思っていなかったのだろう。飛んできた声に、あからさまにぎょっとしていた。

 俺も、別に意味があってそれに答えたわけでは無い。サーヴァント同士、話す事くらいはあるのだが。残りの二人がお好み焼きに本気すぎて、声を掛けられないのだ。だから、声に応えたのも気まぐれの暇つぶし、それ以上の理由はない。

「大丈夫って、どうやってだ?」

 おっかなびっくりと聞いてくるウェイバー。実際、俺は隙あらば殺そうとしていたのだから、その警戒は正しい。

「単純な話、魔力を使って食べ物を消化できるんだよ。まあ、腹を満たせば満腹感も感じるし、そこまでして食いたいかってのとは別問題だけどな」

 消化をするのに消費する魔力と、消化で得られる魔力を計ると、得られる方が多い。大量に食べて魔力を摂取しよう、というのは、一応不可能ではなかった。ただし、魔力の支出量にさしたる差がないため、恐ろしく効率が悪い。少なくとも、好んでやろうと思える手口ではなかった。

「へえ、そうなのか……ん? だとすると、何を食べても魔力で分解できるのか」

「それは無理だ。分解できるのは、あくまで食べ物に限定される」

 ここは俺も、よく分からないのだが、聖杯の知識ではそうなっている。例えば、その辺の石でも食べたとして、それを消化はできない。あくまで判定は、食い物に限定されるのだ。サーヴァントが非生物なのだから、対象が物体なら何でもよさそうなものだが。まあだめなものはだめで構わない。そんなことをする機会は、絶対に無いし来させない。

「できたとして、それを実行するサーヴァントなんていないぞ。その辺に生えてる木でも食いまくれ、なんて令呪で命令するマスターがいると思うか?」

「ああ……確かにそれは無理だ。絶対に殺される」

 表面が泡立ち始めたお好み焼きをひっくり返す。ライダー達は、要領を掴んできたのか、次の玉に入れるトッピングを吟味していた。本気で満喫している。

 サーヴァントが非生物だと言っても、人間的な感覚を失ったわけではないのだ。これで味覚や触覚を失ってれば、まだ抵抗がなかったかも知れないが。生憎と、全て生前のものが完備されている。魔力のためにそのへんにある物を適当に食えと言われて、怒らない英霊がどれだけいるか。少なくとも、俺であればすぐに縁を切る。

 焼き上がったお好み焼きに、ソースや鰹節を適当に振りかける。食べ慣れているわけではないので、この辺は適当だ。一切れつまんで食べてみると、それは予想以上に旨い。この店は当たりだ。

 とっとと一枚目を食べ終えて、次を鉄板に落とした。トッピングは無い。わざわざトッピングを楽しみにしている人間から取り上げる事も無いし、ノーマルが好きでもあるし。

 さらに、途中で残りが運ばれてくる。その頃には、店内もずいぶんと騒がしくなっていた。

「のうアーチャー、それにランサーよ。ちょいと話がある」

 軽く腹を満たし、少々余裕ができたのか。ライダーが話を振ってきた。それでも、へらを手放さないあたりはさすがだが。

 半ば予想はしていた。いくらライダーとて、遊ぶためだけに話しかけてきた訳ではあるまい。マスターがいつ殺されてもおかしくない状態だったのだ。それだけの理由と、目的があって当然だ。

 まあ、様子を見る限りでは。現代を、そして料理を楽しむというのも目的だったのだろうが。

「貴様ら、余と同盟を組む気はないか?」

「断る」

 焼きそばをつつきながらも、断固とした態度で言う。ランサーやウェイバーが口を挟むよりも早く。

 ふむ、と悩みながら。ライダーの右手に握られたへらが翻った。無駄に精緻な動作で、お好み焼きをひっくり返す。トッピングの入れすぎで三割ほど体積を増していたそれが、沈黙の中ひっそりじゅうと音を立てた。

「理由を聞かせて貰うぞ」

「お前と組むメリットがない。お前の能力も、マスターの能力も」

 辛辣な言葉に、身をすくめたのはウェイバーだった。引き合いに出すような真似をして悪いとは思う。ライダーが弱いというのは、つまり遠回しにマスターの魔力供給が少ないと言っているも同然。ただでさえ、ケイネスとは魔術師としての能力に、天と地の差がある。

「ふむ……自分で言うのも何だが、余は強いと思うぞ?」

「俺の言ってることがそういう事じゃ無いのは分かってるだろ?」

「まあ、そうなのだがな……」

「どういう事だよ、ライダー?」

 怪訝そうに、眉をひそめてウェイバー。

「坊主、セイバーとランサーとアーチャー、この中で余が組むとしたら、誰になると思う?」

「え? そりゃアーチャーじゃないのか? なんだかんだ言っても、一番スペックが高いだろうし」

「違うな。余が必要とするのは、セイバーかランサーだ」

 言われても、まだ怪訝そうだ。まあ、当然だろう。これは身にしみてみなければ、実感できない。俺だって、絶対に必要という訳では無いが、しかしランサーがいるとなれば、安心感が違う。

「余やアーチャーのようなタイプに必要なのは、盾となれる者なのだ。強靱で分厚く、敵の足を止めてくれる力があってこそ、火力が生きる」

「ゲーム的に言うならば、俺とそいつは後衛だ。後衛二人でも弱いとは言わんが……前衛後衛バランス良く揃えたときと比べれば、まるで話しにならない」

 仮に、俺がライダーと組んだとして。そのときに取れる戦略は、とにかく面制圧の連続をする事のみになる。遠距離から乱射する俺と、突撃を繰り返すライダーでは、他に戦いようがないのだ。互いに当てぬよう、当たらぬよう気を遣いながら戦うのでは、敵が強ければ、むしろ楽にすらなっているかもしれない。

 その点、前衛と組めれば、敵を止めた一瞬に撃ち込んでやればいい。細かく配慮する必要は無く、また自分に攻撃が届かない安心感から、精密射撃もできる。ライダーの場合も、射撃が戦車の突撃になるだけで、やることは同じだろう。あとは、どこかに隠れられても、俺がいぶりだして、前衛が仕留めるなどもできる。これがライダーとになると、偶発的な発見を期待した、無意味な破壊活動まで成り下がるのだ。

 唯一、王の軍勢と王の財宝の組み合わせ。これだけは強力かも知れないと思える。だが、これなら王の財宝から直接ぶっ放しても大して変わらないのだ。俺にメリットが無い。

 戦闘面でも、それ以外でも。とにかく、組んで一番意義の見えない組み合わせである。

「けど、それってライダーが必要にならない理由にはならないんじゃないか? 少なくとも、セイバーとバーサーカーを倒すまでとか」

 そこには、純粋な疑問もあっただろう。が、顔つきがそれ以上に、ライダーが必要ないと言われたことが気に入らないと書かれていた。やはり、最も仲の良い主従はここなのだろう。

「俺がランサーと組んだ一番の理由は、マスターがケイネスだったからだ」

 一番苦手な人間の名前が出て、僅かに怯むのが見えた。が、すぐに立て直していた。アインツベルン城での一件を考えれば、ずいぶんと肝が据わったものだ。

「本当に必要だったのは、腕の立つ魔術師だったんだよ。ランサーがサーヴァントだったのは嬉しいが……もしそうじゃなくても、同盟を申し込んでいた」

「そいつが聖杯の異常と関わってくる訳だな?」

 疑問系にしては、確信に満ちた鋭い視線。まあ、ここまで言えば分かってしまうだろう。それに、ライダー相手に腹芸が通じるとも思っていない。

 カッ、と音をさせたのは、ライダーが持ったままのへら。お好み焼きのようなごちゃ混ぜ焼きを、きっちり四等分し、慣れた手つきでソースと鰹節を振る。それらを、手の止まっていた俺たちに滑らせてきた。サーヴァント組は普通に食べているが、ウェイバーだけは顔を青くさせている。食い過ぎなのだろう。頑張れ。俺は助けない。

「アーチャーよ、結局聖杯の異常とは何なのだ?」

「確証はないって言ったぞ」

「だが、予想はしている。言ってしまえ。俺の主も関わっているのだ、関係ないとは言わせんぞ」

 鉄板の上で、唐揚げを温め直しながら。しかし、視線は真剣なものだった。敵意一歩手前な程に。

 その主は、話を承知しているのだが。守る側からすれば、事情も分からずに信じることは出来ないだろう。

「聖杯が無色だっていうのは聞いたことがあるよな」

「ああ、この前主がぽつりと呟いてたあれだな? 意味はよく分からなかったが」

「俺だってちゃんと分かってるわけじゃ無い。まあ分からんでも、水だとでも思っておけばいいだろう」

 言いながら、コップを前に差し出す。入っているのは、何の変哲も無い水道水だ。

 同じ魔術師であるウェイバーが、一番興味深そうに身を乗り出していた。お世辞にもいいとは言えない顔色で、必死に集中をしている。どうやら出されたものは食べきるタイプらしく、手元にはもうお好み焼きは無い。

 とっとと食べきってしまうから、次を差し出されると言うのに。今も隣で、ライダーが嬉々としてお好み焼きを焼いているのに気付いていない。変なところが学習能力が低かった。

「聖杯は水だからこそ機能する。ここで重要なのは、中身が水であるという事だ。ジュースや他のものじゃ、聖杯は正常に機能しないんだ」

「つまりこうなっておると言いたいのか?」

 ライダーが持っていたソース瓶を傾け、コップの中に流し入れる。黒は一瞬だけ滞留したが、それもかき混ぜられれば全てを黒く染めた。そして、混ざってしまえば普通の手段では戻らない。

「これが、お前がやったようにソース程度ならかわいいもんだ。実際、影響が出ても誤差の範囲内な可能性が高い。だが」

「水に投げ込まれたのが、毒などであれば致命的になる」

 一番深刻な顔をしたのは、ランサーだ。最前線で戦っていた経験があるからか、その恐怖を一番身に染みさせているのだろう。

「そして、聖杯の儀式はただの指針。触媒なしにサーヴァントを呼んだ場合、術者に最も近い性質を持った者が呼ばれるのも、聖杯が無色であるが故の特性だ」

「だからか……!」

 ウェイバーははっとした。

「予備マスターに殺人犯が呼ばれたのはまだ納得したとしても、それで殺戮者のサーヴァントが呼ばれるのとは訳が違う。性質って言うのは、ただ気が合うとか趣向が同じとか、そんな些末な事じゃない。もっと深く根強い場所に起因する。つまり、殺人犯に殺戮者が呼ばれたって事は、今の聖杯は抹殺や破壊方面に偏っているって事か!」

「そんなもので願いを唱えた場合、中身好みの過程を中継して、結果に走ってくれるだろうな」

 ここで頭の切れる魔術師の存在は、非常にありがたい。ぽつぽつと情報を出すだけで、勝手に結果へと至ってくれるのだから。これで魔力量さえ多ければ、文句なしだったというのに。非常に惜しい。

 驚嘆の事実に至り、顔を引きつらせたウェイバー。しかし、その後すぐに別方面に引きつる羽目になる。またライダーから、お好み焼きが滑ってきたのだ。もう半泣きであるが、彼を気にするのは彼の相棒の役割。俺は知らない。

 そこで、ランサーに向いた。交わる視線に、殺気のようなそれが混ざり始める。

「だから、ケイネスが絶対に安全だとは言えない」

「それでは……!」

「けど、俺たちが近くにいたらもっとやばい。サーヴァントは聖杯によって具現化してるんだからな。下手をすれば触れた瞬間に吸収、脱落しかねない。だが、魔術師ならまだ対処法はある。俺たちがサーヴァントである以上、出来ることはなにもない」

「くっ……己の無力がこれほどもどかしいとは……」

 悔しそうに拳を握り、手の内にあった割り箸を握りつぶす。忠義に飢えた彼が、守る事を許されないと言うのは、想像を絶するストレスだろう。

 いつの間にか店員を呼び、追加の注文をしていたライダー。日本酒やらビールやら、とにかく酒を片っ端から頼んでいた。隣のマスターが、食べ過ぎとは別の意味で顔を青くしている。とりあえず全部頼む、は金欠魔術師に鬼門だ。

 満足そうに店員を見送って、すぐに振り向く。

「しかし、貴様の話を聞くと、全くどうにもならんように聞こえるのだが。良く分かっとらん余ですら、ただ事で無いと分かるぞ」

「だからただ事で無い魔術師の協力が欲しかったんだよ。俺も可能な限りの道具を貸し出してる」

「ほお、この上まだ何かを持っておるのか。そろそろ名乗る気はないか?」

「断る」

 ギルガメッシュがすでに、対策の立てようがない能力ではある。それでも対処法を編み出す機会を、与えてやる馬鹿はいない。

 命がかかっている。ならば、勝てればいいなではだめなのだ。細心の注意を払い、必勝を狙う。まあ、景品が景品足ればの話だが。

「それでだめだった場合はどうする?」

 おどけた、若干試すような口調。が、目は真剣そのものだ。回答によっては、確実に殺しにくる、そう語っている。

「壊すしかないだろう。この馬鹿騒ぎで、他者に大きな被害を出す気はない。残念ではあるけどな」

「それが貴様が前話していた「なんとかする」の方か。うむ、そんな所だろうな」

「覚えてたのか」

 酒の席で、ぽつりと出た言葉でしか無いのに。

 満足げに頷いたライダーが、丁度運んできたビールの大ジョッキを一気に飲み干す。味など期待できない筈だが、旨そうに飲んでいる。それ自体のうまさよりも、雰囲気を味わって飲んでいる。

 熱い吐息を吐き、口の周りに泡をつけたまま、テーブルにジョッキを叩き付ける。顔を絞ってくぅ、などと言われては、こっちも飲みたくなってしまうではないか。

「当然よ。気になってはいたのだからな。人任せは性に合わぬが、こればかりはどうにもならんか。果報は寝て待つとする」

 俺も酒を頼もうかと、すこし心が揺れる。いや、この前酒はもう飲まないと誓ったばかりだ。悪酔いしてダウナー入るのは、一度で十分。

「なあアーチャー。その、聖杯の解析? ってのは、ケイネス先生じゃなきゃいけなかったのか? その……例えばセイバーのマスターとか」

 終始口ごもりながら、ついでに言えば、最後は誤魔化すようにして、ウェイバーが言った。よく見るまでも無く、その心情は見て取れる。ケイネスはそれほどのものなのか、そして自分ではいけなかったのか。彼には自尊心があり、それは人一倍強いと言ってもいい。だが、未熟である事も自覚はしているのだ。だからこそ、これほど歯切れが悪い。

 取り繕うべきか、はっきりと言うべきか。少し考えて、オブラートに包むのはやめる事にする。俺は魔術師では無く、彼らの価値観は理解できない。

「単純に実力で計った場合、セイバーのマスターの優先順位は三番だ」

 答えてから、ふと彼らはセイバーのマスターが切嗣か知っているのか気になった。だが、どちらでもいいかと考え直す。アイリスフィールが本当にマスターだったとして、順番は変動しない。

「2番は誰なんだ?」

「俺を呼んだ奴」

「じゃあそいつで良かったんじゃ……って裏切りそうな奴だったのか」

「ああ。それに顎髭だしな」

「どんだけ顎髭が嫌いなんだよ……」

 もっさりしててて非常に鬱陶しい所が嫌いなのだ。それに、第一印象でうさんくささ大爆発だったし。

「ちなみにお前は五番だ。下はど素人と死にかけ」

「う……」

 反論したそうではあったが、結局言葉にはならない。彼も、自分の実力は下から数えた方が早い、という自覚はあるのだろう。俺にとっても死活問題なのだから、真剣に実力で選んでいる。つまり、他者の基準であっても忌憚の一切無い意見だ。これを、お前は分かっていない、で飛ばすには少々重い。

 まあ、これは上位四名が化け物であるのだから、仕方が無い。とりわけ上位二名は、戦闘特化の魔術師に、単純に魔術の腕だけで食らいつける超人だ。これと張り合おうというのが無謀である。まあ、そういう化け物が平然と存在するのが聖杯戦争なのだから、やっぱり参加自体が間違いか。

「まあ、組むにしたって、どちらにしろセイバーの所はないけどな」

「何でだよ? あそこの組には、まだ何かあるのか?」

 あるにはある。主に切嗣が。だが、それを抜かしてもセイバーとは組みづらい理由がある。

「セイバーというクラスは、正しく最優であるという事だ」

 俺の代わりに言い始めたのは、ランサーだった。何だかんだ言って、セイバーと一番縁が深いのは彼である。同時に、セイバーに最も拘っているのも彼だろう。

「あの前にするだけで肌がしびれるような、圧倒的な剣気。荒々しくもありながら、清澄さを失わない鋭さ。なにより迷いの無い剣筋は、共に戦うよりも雌雄を決したいと胸を高鳴らせる……」

「違います。はい、ライダーさんどうぞ」

 ただの感想文になっていた言葉を中断する。俺が聞きたかったのは、もっと戦術的な面だ。

「うむ、指名されてしまっては仕方が無い。余が説明をしてやろう。セイバーはな、限りなく万能型に近いのよ」

「万能型って言ったって、さっき前衛って言ってただろ」

「あやつを一番生かせるのがその位置というだけで、後ろに据えて戦えない訳ではない。本当の意味で、奴には連携を取る必要がないのだ。一人で全ての役割をこなせるのだからな」

 脇で、ランサーが人知れずへこんでいた。真面目に答えないから(本人は大真面目だっただろうが)そうなるのだ。

「セイバークラス全てがそうかは知らぬがな。一発のエクスカリバーに、変幻自在で使い勝手の良い風の宝具。特に風は、上手く使えば全距離に対応できる。最高ランクがずらりと並ぶステータスとスキル。多少の攻撃では通らんし、危険なものは直感で対応される。な、厄介であろう? 間違いなく正面からぶつかってはいけない相手よ」

 さらに、と続ける。

「アーチャーは前衛後衛と言ったがな。余は技巧型、火力型と表現できると思っておる。余やアーチャー、あとはキャスターのように、威力や数で押し込むのが火力型。対して、身につけた技で食らいつき、隙を逃さず一太刀浴びせるのが技巧型。……もう分かったであろう? セイバーはこの二つを高次元で融合させておるのだ」

 ただ突っ込むだけでも強いセイバー。あまり目立っては居ないが、風王結界は変幻自在かつ不可視で、対応がごく難しい。完全に封じられるのは、恐らくランサーだけだ。それをなんとかしても、本命のエクスカリバーが残っている。あれの前には、王の軍勢も無力であろう。仮に軍勢が削りきられなかったとしても、ライダーに直撃する。一度は戦車を犠牲によけたとしても、二度は無い。そして、切嗣がマスターのセイバーならば、無理をすれば二連射が可能だ。

 原作で、ライダーがセイバーに対して王の軍勢を使わなかったこと。あれはとても正しいと、俺は思っている。軍が展開した所で、エクスカリバーでライダーを狙われれば、それで終わりだ。

 互いの威力型宝具の力の差も大きい。ただでさえ、戦車はエクスカリバーの7割以下の威力である。ついでに言えば、突撃型と放出型では、ぶつかり合ったときのダメージが違う。装甲車で突撃と、ロケットの射撃がぶつかり合ったと考えれば分かりやすい。仮に威力が互角であったとしても、装甲車が一方的にダメージを受けてしまうのだ。

 そもそもライダーは、宝具のチョイスからして偏りすぎている。EXとA++では、取り回しが最悪なのだ。武器が戦車な関係上、そう細かく戦うことも無理であるし。瞬間火力に優れていても、時間が経てば経つほど不利になる。かと言って、軍勢と戦車を同時に使えば、魔力など一瞬で枯渇するだろう。いや、そもそも固有結界を展開しておいて併用できるかすら分からないが。そこまでしておいて、令呪で撤退されたら最悪だ。

 逆なのはランサーだ。こっちは戦場を選ばず戦い続けられるが、決定力がない。やはり、セイバーの万能のCと瞬発のA++の組み合わせは、バランスが良すぎて犯則的である。正面から戦って打ち破れるサーヴァントは、ギルガメッシュを除くとほぼ存在しないのではないだろうか。

 改めてみるとヤバい万能スペックなのに、なんで総じて見ると残念になるのだろうか。きっとzeroセイバーには妙な呪いがかかっている。

「セイバーと組んでも、安く買いたたかれるだけだ。協力は、手の届かない場所を補い合ってこそ意味があるんだからな」

「ある意味バーサーカーは当たりであったな。連携という選択肢が最初からない分、余計な事を意識しなくて済む」

 そしてこれが、ライダーがこちらに声をかけに来た理由でもあるだろう。バランスよく揃っているとは言え、基本特化型のこちらの方がまだ目がある。

「ずいぶん余計な話をしたな。けど、まあ。そういうわけで、同盟は断る。……だが、期間限定の休戦条約ならば結んでもいい」

「お前は、普通に倒せばいいと言う意見だと思ったのだが。どういう心変わりだ?」

「それをこれから聞くんだろ」

 むっつりと、黙り込んでいるライダー。

 料理はもう殆ど残っていない。かちゃかちゃと、店員が皿を下げる音と、そしてピークを過ぎて若干静まった店内の音が響く。それが心地よいわけでもない。ただ、間を取るには丁度良いものであったのも確かだ。

 皿が持ち去られ、音源の一つが消えた頃に、ライダーは口を開いた。

「……気付かれておったか」

「気付かない訳が無いだろ。不自然すぎたんだよお前は。町中でもアーケード街に誘って、休憩を取ろうとしたし。その上、自分を売り込むだ? 少なくとも、俺の知っているライダーにはあり得ないな。お前は売り込ませる側の人間だ」

 俺の言葉に、反対する者はいない。どこまで気付いていたか、具体的だったかは分かれるとしても、誰もがライダーに違和感を持っていた。気弱とも違う、それほどの戸惑いがあったのだろう。

「根拠はないぞ?」

「俺も根拠なく言っていたが」

「そんなもん比べものにならないくらい、根拠など無い。なにせ、理由は余の『勘』だけだ」

 普通であれば、一笑に付してやる類いのものなのだろうが。しかし、それで笑い飛ばせないものがある。

「それはいつからだ? どういうものがどれほどだ?」

「……やけに具体的な質問よ。また、何か掴んでおるのか……。昨晩、酒宴が終わる当たりから少しずつ不安が大きくなってきた。今では、なんとなくだが、しかし確実に、このままでは不味いと思うようになったのだ。だから、なんとか手を組もうとしてのう」

「お、おい! ボクは一言も聞いてないぞ!?」

「と言われても、今回は本気で理由がないからのう。坊主は、こんな事言われてどう反応した?」

「いっ、いや、確かに言われても困るだろうけど……」

 ライダーの、本気で困ったような顔に。半ば怒っていたウェイバーも、その勢いをしぼませた。頼りないから相談されなかったのではなく、どうすれば良いか分からなかったからだと分かったから。

 サーヴァントの勘は馬鹿に出来ない。それに、俺はもしかしたら勘違いをしていたのかもしれなかった。それが「アサシン襲撃の前後」となれば尚更。

 軍略というスキル、これの発動条件は、思うところとは別だったのかも知れない。俺はずっと、これは戦闘レベルで発動するものだと思っていた。この場合の戦闘とは、開戦直前あたりから、という意味だ。つまり、準備段階では発動しないと思っていた。しかし、これが本当の意味で戦術レベルで機能するのであれば。例えば、誰かがどこかで、サーヴァントに致命的な何かを企んでいることも、勘で知れるのであれば。ライダーの不安は、無視できない要因になる。

 事態は、予想よりも危険かもしれない。

「――ライダー。昨日の、アサシンの不可解な動きを覚えてるよな?」

「そりゃ、昨日の今日で忘れぬが……」

 視線をランサーに飛ばす。この件は、一応こちらで把握した情報である。俺一人の決定で、喋っていい事では無い。

 頷きが返されるのを確認して、話を続けた。

「アサシンのマスターが見つからない。それと、アサシンのマスターと縁が深い、俺を呼び出したマスターも」

「……そりゃ本当か?」

 死んだ、ではない。見つからない、だ。単純に殺されただけならば、聖杯戦争の犠牲者で片付ける事もできた。しかし、生死不明で姿をくらませたのであれば、それ以上を疑わなくてはならない。

 狙われたのはどちらかか、それとも両者なのか。どちらにしても、このタイミングで聖杯戦争が無関係な訳が無い。さらに問題なのは、容疑者がいないという事だ。

 どの組であっても、殺した事実を隠す理由がない。第三者であったとしても、隠蔽にどんな意味があるのかが分からない。とにかく、全てが不明であった。

 それでも、俺の聖杯戦争に関係なければ放置してもいいと思ったのだが。ライダーの反応を見る限り、その線はとても薄い。それどころか、聖杯戦争どころではない事件も、覚悟すべきだろう。

「ああ。我々もそれくらいしか把握していないが。だから町中を探索していた。とにかく、状況もつかめていない」

「納得は行かなかったが、敵サーヴァントより気にする必要はないと思っていたんだが。そういう訳にはいかなくなってるかもな。と言うわけだライダー。同盟は組めないが、この件が発覚するまでは攻撃をしかけないし、情報のやりとりもする。それでどうだ?」

「うむ、それで構わん。坊主も良いか?」

「ああ、大丈夫だ。教会の奴って、確か代行者だよな。そんな奴が……」

「そんな心配するな。いざとなれば、余が吹き飛ばしてやるわ!」

 ばしん、と大きな音を立てて、ウェイバーの背中が叩かれた。その勢いは細い体に強すぎて、上半身が激しく踊る。背をさすりながら、恨みがましそうにライダーを見上げるが、そこにはもう、恐怖の色は無い。つくづく、良いコンビだ。

「ちょっと待て、今主に事情と連絡を……こちらも許可を貰った。この件が解決するまでは、矛を交えないと誓おう」

「うむ。余が感謝をしよう。受け取るがいい」

「ふ……謙虚なんだか尊大なんだか、よく分からぬ奴よ」

 がはっと、一つ大きな笑い声を上げて。太ももをばしりと叩く姿からは、先ほどまでの不安は、完全に吹き飛んでるようだった。

「そうと決まれば、さっそく行かなければな。坊主、いつまで休んでおる。ほれ、行くぞ」

「待てよライダー! まだ腹が……」

「腹がぁ? 何でそんなになるまで食ったのだ」

「お前がどんどんよこすからだろうが! あ、ちょっ、待ってよ!」

 どたどたと慌ただしく去って行く。あの様子のライダーは、正直苦手なタイプであるのだが。しかし、妙にしおらしかったのと比べれば、遙かにらしいだろう。

 彼らが去って、俺たちが残っている理由も無い。伝票を持ち、支払いを済ませて店外に出た。人混みを避け、裏通り辺りまで入っていき、今度は宝具まで展開して探索を再開する。危険な可能性が高い以上、出し惜しみをして情報を逃すような、間抜けな事だけはすまい。

「ライダーに会ったときはどうなるかと思ったが、結果的にはあえて良かったな」

 目の鋭さを三段階は上げたランサーが、神経を全開で尖らせたまま言う。準戦闘態勢に入っているのだろうか。もしかしたら、それで心眼のスイッチを入れられるのか。どちらにしろ、頼もしい。

「ああ。知らなかったら手遅れになってたかも知れん」

 宝具から送られてくる情報料は多い。さらに自分自身でも探索していると、酔いそうにすらなる。流れてくる情報と、この場所。どちらに自分が経っているか、分からなくなりそうだ。

 脳にじんわりと、違和感が広がる。ここまでやっても、おそらくは何も見つけられないだろう。これで見つかるなら、綺礼と時臣の生死くらい、とっくに発見している。

 現状は、確実に後手だ。例え切り札はこちらの方が強力だとしても、切り所が分からなければ意味が無い。普通に考えるならば、仕掛けた誰かもサーヴァントが動きづらいタイミングで動いてくる。いや、考え方を変えてみればいいのかもしれない。いつ、ではなく、誰に仕掛けてくるであれば。まだ対処法はある。

「ランサー」

「何だ?」

 振り向かないままに問うてくる。俺も、雑草の増えてきた道を蹴りながら、それに答えた。

「一つ……いや二つか。保険を掛けようと思ってな。何かあったときの為に」

 

 不幸とは、連続するものなのだろうか。

 マーフィーの法則なるものがある。これは単純な話、ただのユーモアなのだが。現実に、あるいはフィクションに。それがただの冗談で終わらせられない現実味、とういものがあった。落ち込んだ時に何かがあっても、ネガティブに捕らえてしまう、などと言うような事も含め。教訓にはなっているだろう。

 不幸は連続しない。それぞれ独立したものであり、個別の対処法があったであろうものだ。連続して存在しているのは、あくまでそれを受ける自分自身。

 だから、これらに関連などない。

 きっかけこそは、裏切り者のサーヴァント、アーチャーにあっただろう。奴こそ転落の出発点だと言って、誰も否定はできまい。そして、彼を恨むのもお門違いとは言うまい。

 それでも、なんとか立て直そうとはしていた。掟破りのダブルマスターに、可能な限りアサシンの温存。マスター脱落によるサーヴァントとの再契約まで考慮した、令呪の分配。同様に、問題も次々と積み重なった。間桐桜の簒奪。それに影響され、時臣は聖杯戦争から意識をそらし始める。さらには、アーチャーとランサー、セイバーとバーサーカーの同盟。勝ちの目はどんどん削られていった。

 極めつけは、時臣の死だった。昨晩、状況も分からぬままに死して、左腕だけが戻ってきた。刻印を保持するために、今も魔術的措置を施した霊廟の中心に安置されている。

 青白い光に照らされながら、ぽつんとそこにある腕。それを初めて見下ろしたとき、体から生命力そのものが抜け落ちていく錯覚に陥った。終わった……なにもかも。そこに転がっていた腕は、非常な現実を叩き付けるのに、この上なく有用だった。

 現実を把握するのにすこぶる都合の良いそれ。事実を間違えようがないという意味で、それはとても優秀だった。肩の根元辺りから食い破られたような痕。同じものなど二つとしてない魔術刻印。形見らしいものと言えば、彼が所持していた一本のステッキ、それだけだ。その全てが、持ち主を遠坂時臣だと告げている。

 完膚無きまでに間違えようが無い。疑う余地はないし、確かめる必要も無い。ゆえに、希望も無い。

 もしかしたら、どこかに否定できるだけ隙間があれば、何かが変わっていただろうか。必死に否定して、探索をしていたかもしれない。問題はないと、ゆっくりお茶を飲んでいたかも知れない。もしかしたら、大声で泣き崩れる事もあっただろうか。しかし、そのどれでもない。生気が抜けていく自分の無力を、ただ押しつけられただけだ。

 だが、それと同時に、心はどこか安らいでいた。これ以上、不幸が重なる事は無いと。

 不幸中の幸いとして、言峰璃正の愛する息子、言峰綺礼は健在であったのだ。綺礼だけは、無事であった。

 不幸は連続しない。そして、アーチャーも関係ない。我々の聖杯戦争は終わり、故にもう不幸は重なりようがない。あとは、静かに監督者としての役割を果たすだけだった。

 なのに――

「……なぜだ」

 言葉が、喉から漏れた。意識したのではない。単純に、心の枷が壊れて、勝手に喉を震えさせ、舌を動かした。

 意図したものではない。もしかしたら、意識すらないのかも。何も分からぬまま、ただ感情が慟哭となって消えた。

「何故だ!」

 絶叫など、そんな無力なものなど、どこにも届かない。誰一人として捕らえようともしない。璃正自信ですら、その叫びが意味あるものだと思えなかった。

 慟哭したのだ、魂が。それは悲鳴だった。

 終わりの筈だ。何もかも。それ以上もそれ以降も、存在してはいけないのに。

 安らかに過ごせる瞬間とは、必要なのだ。それがどれほど一瞬であっても、それなくして人は生きていけず、それがない者は人間ではない。言峰璃正にとっては、これからがそうである筈だったのに。これ以上など、あってはならない。何を置いても、あってはならない。そう重いながら、床に膝を突き、右腕の根元を押さえ込んだ。

 肩口からきれいに切断された、血を吹き肉を覗かせる断面を。

「何故だ――答えろ綺礼!」

 意味の無かった音を、今度こそ意味がある言葉にする。

 血を吐くように、ただ叫んだ。己が実際に血を吐いていない、その事実が不思議でならない。なぜ、血を吐いているのが口では無く、腕なのか。どうして、こんな事になってしまった。愛する息子は、なぜあんなにも――安らかなのだ。

「父上」

 いつも通りの言葉。表情も、声も、仕草も、何もかもに違和感がない。左手に黒鍵を構え、右手に腕を持ち、顔に血しぶきをつけていなければ、あれは悪い夢だったと考え直してしまいそうなほどに、いつも通りだ。

 父親の腕を切り落として置きながら、しかし綺礼には動揺の色は無い。ひたすら静かな――神に祈っているかのように、波紋一つ無い水面のよう。

「申し訳ありません。ですが私には、どうしてもこれが必要だったのです」

 言いながら、腕を、その上に浮かぶ令呪を愛おしそうに撫でる。浮かぶ微笑から、なぜ信心深さすら感じるのか。

「なぜなのだ……! この期に及んで、まだ聖杯を欲するか!」

「……聖杯? ああ、そう言えば、今は聖杯戦争中でした。そんなものはもうどうでも良いのです。前段階として必須ではあるでしょうが、それ自体に何ら価値はないのですよ」

 断じながら、笑みを深める。黒鍵を取り落として、腕を僅かに広げ。そして表情は、どこまでも優しげであり、一切の不純物がない。

(これは……誰だ?)

 言峰綺礼。それを装った誰か? 分からないが、そんなはずはない。しかし、このような綺礼は見たことがなかった。そして、誰かも分からなくなったような男が――聖人にすら見えるのだ。

「父上、どうか信じて欲しい。私は真実を見つけたのです。神よりも確かなそれを。令呪はそのために必要なのです。渡していただけないと思ったから強硬手段に出ましたが、きっと最後は父上にも気に入ってもらえる」

 狂った。何にどう狂えばこうなるのか、定かではない。しかし確実に、綺礼は正気ではなかった。

 綺礼が一歩を踏み出す。次の行動が全く予想できない。狂人の次の一手を考えるほど、不毛な事はない。だから、璃正に出来たのは全力で背後に飛び、その後すぐに逃走する事だけだった。一歩を踏み出す度に、右肩に激痛以上の違和感が走る。気を抜いたら、その時点で膝が折れてしまいそうだ。それでも、ただ走り続けた。生きたかったからではない。無念が、死ぬことを許さなかった。

 勢いのまま、日の落ちかけた外に躍り出ながら、考える。どうしてこんな事になってしまったのだ。不幸はもう終わりの筈だ。誰も、そして何も。それを繋げる手段など持たない筈なのに。こんな事はありえない。あってはいけない。なぜ、綺礼がそうならなければならなかったのだ。答えてくれ、神よ――

 声が出ない。目もかすむ。どこに向かっているか分からないが、どうせ見えていても目的地などない。ただ、足が動くままに任せるだけなのだ。心が正常に、機能していないのだから。

 もしその感情に名前をつけるのであれば、憎しみだっただろう。

 不幸はある所にはあるし、積み重なる。それが自分になるという可能性があるのも分かる。だから、納得しろと言うのか? そんなことは世界の誰にも……それこそ、神にすらできやしない。

 だから、ただ呪った。命の火を消しかけながらも、魂の底から絞り出すように。

 敬虔な神の使徒。言峰璃正が初めて、純粋に混じりっけ無く呪ったのは。

 運命という名の神であった。


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